馬車が深い渓流に沿った懸崖の上を走っていた。はるかの底の方に水の音がする。崖の地肌には雪に、灰色の曇った空がうつって、どことなく薄黒い。疎林がその崖に死んだように立っている。
その中に、馬車の
私は馬車の窓に倚りかかって、この
馬車の中でも、もう皆くたびれていると見えて、誰も口を
私は目も疲れた。||からだは今朝から長いあいだ、窮屈な
すると、その道の両側に、ごまの実そっくりな形をした、実がはじけてついている草の枯れたのが、つづいて立っているのを見た。「やまごま」、そんな名の草のあることを聞いたように覚えている、この珍らしい雪国に来たのだ。或いはその草かもしれぬと、私は故もなく思った。
崖の道は山にはいった。水の流れも聞こえなくなった。そしてとうとう雪が降り出した。
それから二時間ばかりして、もう日が暮れかかった。馬車の中はいよいよ無聊だ。中の人のあいだで又思い出したようにそろそろ話がはじまった。
その中に私もはいった。やがて、向い合って坐っていた老人に、「今来た道に、ごまのような草がありましたが、何でしょう。山ごまと言うのではありませんかね。」
「山ごま? そんなものは知りませんが、何だろな、ごまのような、草って······」
「種がたくさんついたまま、枯れていたのです。」
「あ、あれは月見草。」
「月見草、そうですか。」
私はそれでこの、無聊なうちに、せっかく踊って来た好奇心も、何もすっかり消えてしまった。また、手のやり場もない、無聊を感じながら馬車の垂幕をおろしてしまった。
しばらくすると、老人がこういった。
「あの草はつい明治二十三年の洪水までここらになかったのです。」
「·········」
「この奥に、
「はやちね。この
「いいえ、その早池峯の裾の平にね、蜜蜂を飼うと言って種を播いたのです。ところが二十三年の洪水の時に、そこがすっかり流れてしまった。すると、この
「おもしろい話ですね。」と私は
そして、今まで自分の目に見えていた、草の枯れた姿を思い浮かべて、生きた人の運命を思うように、その草の、亡びなかったのを祝した。