このおぢいさんは、大そうえらい人だつたと、私の子供のじぶん、
「なぜえらいのか。」
ときゝますと、
「大そう学問ができたから。」といふ返事をしてくれました。学問ができたからえらい、といふのでは、私は満足することができませんでした。
少し大きくなつてから、私は、こんなことをきかされました。おぢいさんは、どんなときにも、手から本をはなしたことがなかつた。外へ出るときにも、きつと本をふところへ入れてゐた。本をよまないときには、何かぢつと考へこんでゐた。考へ/\道を歩いてゐるうちに、一里も歩いてしまつて、気がついてみたら、とんでもないところへ来てゐた||こんな話をきかされたときは、おぢいさんつて変な人だなと思ひました。さういふのがえらいのかな、などとも考へました。
もう少し大きくなつてから、私はまたある人から、こんな話をきかされました。
おぢいさんは、あるとき、文字の話をしたとき、
「わしは、うそ字なら知らぬ。ほんとの字で知らぬ字は一字もない。」
といつたさうです。この話は、私をかんしんさせませんでした。
「なまいきなおぢいさんだな。」
とおもひました。
けれど、おぢいさんはまだ若くて死んだのだから、たまには、自慢もいつてみたのだらう、と後、大人になつてからは考へるやうになりました。
私が幼かつたころ、二階の間には