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狐の渡

土田耕平




 むかし、一人の旅人が、科野しなのの国に旅して、野路のみちを踏みたがへ、犀川さいがはべりへ出ました。むかうへ渡りたいと思ひましたが、あたりに橋もなし、渡も見えず、困つてをりますと、

「もうし、旅のお人。」

といふ声がします。見ると、いつどこからとも知らず、一人のうつくしい顔した子どもが舟をこぎよせてゐるのでした。

「渡しのコンすけといふものだが渡しの御用はないかな。」

といひますので、

「御用は大有りだ。早くわたしてくれ。」

と旅人は舟にとび乗りますと、子どもはをたくみにあやつつてむかう岸へつきました。舟をおりようとして、旅人がひよいと見ますと、へさきに立つてゐる子どものしりべたから、長い尻尾しつぽが垂れてゐました。

 なんだ、きつねなのか、未熟な狐めが化けそこねてゐるわい、と旅人はをかしくなつて、舟を下りました。岸べりに、はびこつてゐる、くずの葉を一枚むしりとつて、何げない顔で、狐の前にさし出して、

「さてコン助さんとやら、渡し賃に小判一両あげる。さあさ、遠慮なく受けとりな。このあたりには、よく狐めがゐて人をばかすといふうはさだが、わしは狐ぢやない。くずの葉を見せ変へて、小判だなんといはぬから、よくあらためて受けとりな。さあさ。」

 コン助は、えらく恐入つたやうすをしてゐましたが、きふに、旅人の手からくずの葉をもぎとるやうにして、ぷいとすがたを消してしまひました。そのあとで、旅人は、ひとり大笑ひしました。

 それから、旅人は道をいそいで、夕方宿場へつきました。宿をとらうと思ひまして、目にとまつたはたご屋の門をくゞりますと、宿のあるじは旅人のすがたをつくづく見て、

「さきほど、お知り合の方だと申されて、うつくしげなお子供衆から、これをおあづかりしました。」

といつて状箱のやうなものを出しました。

「わしは、この辺には知り合なぞないはずだ。人ちがひではあるまいか。」

とふしんに思ひながら、その状箱のやうのやうなものをあけてみますと、

 サツキハ、バケソコネテ、ヲカシカツタダロ、コバンハ、カヘシテヤルヨ、コンスケ。

としたゝめて、みごとな小判が一枚入つてゐました。

 さてはわたしの狐であつたのかと、旅人は合点して、小判を火にあてましたところ、めらめらと焼けせてしまひました。おどろいたのは、宿のあるじでしたが、旅人から狐の話をきいて、一しよに大笑ひしました。

 狐の手紙は、あるじがもらひうけて、家の宝にしてあるとかいふ話であります。






底本:「日本児童文学大系 第九巻」ほるぷ出版

   1977(昭和52)年11月20日初刷発行

底本の親本:「裾野」古今書院

   1936(昭和11)年4月

入力:菅野朋子

校正:noriko saito

2013年5月15日作成

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