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そり(童話)

オイゲン・チリコフ

鈴木三重吉訳




    一


 はてもない雪の野原を、二頭だてのそりが一だい、のろ/\と動いてゐました。そりにつけた鈴が、さびしい音をたてました。まつ白にこほりついた、ぼろござをきせられた馬は、にえたつた湯気のやうな息を、ひゆう/\はきつゞけました。

 ぎよ車台には、こちらの村の百姓の子で、今年十三になるリカがすわつてゐます。お父つァんの古帽子をかぶつて来たのはいゝけれど、とてもづば/\で、ちよいとでもうつ向くと、ぽこりと、鼻の上までずりおちて来ます。リカは、それを、あらつぽくおし上げながら、

「ほい、ちきしよう。うすのろめ。はやくあるかねえか。ほい。」と、馬をどなり/\しました。

 そりの中には、冬休みで田舎の家へかへつていく、中学二年生のコーリヤが、からだへ外とうや、ふとんをまきつけて、のつてゐます。北風は、ものすごいうなりをたてゝ、ふきまくり、リカの鼻をつねつたり、コーリヤの外とうをつきとほして、氷のやうな息をふきかけたり、指をこち/\にして、動かなくしてしまふかと思ふと、こんどは、ぞつと、くびすぢをなめまはしたりします。リカの靴は、まつ白にこほりついてゐます。帽子の下からのぞき出してゐる髪の毛は、まるで年よりの髪のやうに灰色になつてゐます。

「リカ。」

 中学生のコーリヤはたまらなくなつて、どなりました。

「なにかもつと着せてくれよ。寒くつて寒くつてたまらないよ。」

「なんだつて? 寒い? ちよッ。」

 リカは、かういひ/\、ぎよ車台からとびおりて、帽子をおしあげながら、そりのはうへいきました。そして、大きな手袋をはめた手で、コーリヤのかけてゐる毛布をなほしはじめました。

「おや、ふるえてるな。」

 リカはからかふやうにいひました。

「どうしたの? こゞえちやつたんかね。鼻をほら、鼻をかくさないかよ。家へいくまでに鼻がなくなつちまふよ。みなさい、まあ、なんておまいさまの鼻、赤くなつてんだ。」

「なんだい。鼻なんかどうだつていゝぢやないか、はやくやれよ。」

 そこで、リカは、じぶんの鼻をこすつて、手袋をはめて、また、ぎよ車台にとびのりました。

「どう/\/\、ちきしよう。」

 リカは、長いむちを力一ぱいふりまはしました。そりは、ぎし/\きしみながら、又うごき出しました。

 コーリヤは、ぢつとちゞこまつて、身動き一つしませんでした。ちよつとでも動くと、北風は、どこかしらあたらしい入口をみつけて、ふきこんで来るからです。しかし、コーリヤの心の中は、だんだんにあたゝかいよろこびにみちあふれて来ました。コーリヤはこのそりが、じぶんのうちの大きな門のまへについたときのことを、心にゑがいてみました。

 そりがつけば、窓には弟たちの頭がちらちら見え出して、小さい手で窓硝子をたゝいてゐるのがきこゑて来ます。家中のものがみんな、げんかんへかけ出し、戸が、ばた/\とあくかと思ふと、ぢいやのドウナーシヤが階だんをころがるやうにかけおりて、そりからだき下してくれます。お父さんや、お母さんや、ワアニヤ叔父さんや、ドウーニヤ叔母さん、それから、けんか相手の弟のレワにボーリヤと、目の黒い妹のサーシュにもあへるのです。

 あゝ、家はいゝな。でも、冬休みはみじかいからつまらない。たつた二週間ぽつちです。するとまた学校へいかなければならない。さうだ、あともう一週間だけ、にせ病気になればいゝんだ。さうすれば、冬休みが三週間になるわけだ。でも、お父さんに見ぬかれたらだめだなァ。

 このほかに、もう一つ、コーリヤには心配なことがあります。それは、家へもつていく二学期の成績表の、算術の点が、たつた二点しかないことです。しやくにさはる点め。これさへなかつたら、コーリヤはどんなに仕合せだつたでせう。しかし、それだつてどうにか、算術の先生が意地わるなんだとか、みんなも、出来なかつたんだとか、うまく言ひわけをするからいゝよ。

 そんなことより、弟や妹たちが、じぶんが買つてきたクリスマスのおくりものをみたら、どんなにをどりあがつてよろこぶだらう。それに、お母さんは、蓄音器をかつたと手紙にかいてよこしたし、ああ、家へかへると、とてもおもしろいぞ。

 ぎよ車台のリカは、コーリヤの考へてゐることなんかにはおかまひなく、たゞ、むやみに鼻をこすつたり、こほりついた靴を、ばたばたうち合はせたり、手袋をはめた手をたゝいたりするだけで、なんにも、考へごとなんかはしませんでした。

「ほい、ちきしよう。」

 いくらどなつても、馬はやつとこさ、そりを引きづッてゐるだけで、この小さな馬車つかひのいふことなんか、ちつともきゝませんでした。

「ちよッ、はしらねえか。こらつ。」と、リカはさけびつゞけました。

「もつとはやくやれよ。リカ。」

 コーリヤは、とてもじれつたさうに、いひました。

「いやに急がすね。火事場へいくんぢやあるまいしさ。なんぼ馬だつて、ちつとは、かはいさうだと思つてやんなくちや。おまいさまは、そこにすわつてるが、馬のやつはおまいさまを引つぱつてゐるんだからなァ。ゆんべは材木を引つぱつたんだ。馬もすこしはこたへるよ。」

「なんだ。」と、コーリヤはいひました。

「だつて馬が二頭ぢやないか。ぼくの家の馬なら、一頭だつてもつとはやくはしるぞ。」

「それやあ、お前さまんとこの馬はえん麦をたべてるんだもの。おらのは乾草だけだもの。えん麦なんか、ちよつとにほひをかゞせるだけだからな。」リカは、いひくはへしました。

「おまいさまだつて、やつぱし、うまいものばつかしたべてんだらう? 砂糖ばつかしなめてんぢやないかよ。」

 コーリヤは笑ひました。

「ばか、世界中でお砂糖よりおいしいものはないと思つてゐるんだね。おまい、本がよめるかい?」

「よめるよ。少しぐらゐ。」

「ぢやあ、字をかくのは?」

「字をみてかくんならできるよ。それよりもおまいさまァまだ卒業しないのかね。」

「まだだつて? もう七年、中学にゐて、それから五年大学へいくんだよ。そしてお医者になるんだよ。」

「ぢやあ、なにもかも勉強しなくちやあならないんだね。大へんだなァ。」

「おまい、町へいつたことがあるかい?」

「あるもんか。||ちよつ、はしれ、こおら、ちきしようめ。」



    二


 あたりは、もうすつかりくらくなつて、はだを切るやうな風が、びゆう/\まともにふきつけました。コーリヤは顔中がこほりつき、足が木のやうになつてきました。

 リカは、ぎよ車台からとび下りて、馬をぶちながら、じぶんは、そりとならんでいきました。馬は、やつとかけだしました。リカもおくれまいとして、手をふりながらかけました。

 けれどすぐにおくれて、うしろにとりのこされました。

 コーリヤは、それが気になりました。やつぱりリカがぎよ車台にのつてゐるはうが安心です。リカはなか/\もとへかへりません。北風は、ます/\ふきつのつて、野原の一面をうづまくやうにあれくるひ、雪けむりをたかくまきあげたり、白かばの枝を笛のやうにうならせるかと思ふと、どつと大声で笑つたりしました。

 コーリヤは心細くなつてきました。どこかから不意に狼がとび出して、馬をもじぶんたちをも、くひころしはしないだらうか。短刀をもつた悪漢が出てきて、つかまへでもしたらどうしよう。そんなことがおこつたらお母さんや、お父さんや、レーワや、ボーリヤやサシュールカが、それこそどんなに泣くだらう。さうだ、ドウーニヤ叔母さんだつて泣くにきまつてゐる。

 コーリヤは、あたりをみまはしました。何だか、ほんたうに狼か悪漢かゞすぐそばでじぶんをねらつてゐるやうな気がしました。間もなく、白かばのかげで、ちらりと何か動きました。コーリヤははつとして目をつぶりました。

「あゝ神さま。もうだめだ。」

「こおら、ちきしよう。走れい。」

 リカの声がしました。コーリヤは目をあけました。

「リカ、おまいは、なんにもこはくない?」

 コーリヤはいひました。

「なにが?」

「狼が出てくるよ。」

「狼? こんなところに狼がゐるもんか。ゐたつて、そりの鈴の音をききやあ、ふつとんで、にげちまふよ。」

「ぢやあ盗棒どろぼうがきたら?」

「盗棒? 何をいふんだ。こんなところに盗棒なんかゞゐるもんか。こゝいらに住んでる人は、みんないゝ人ばかりだよ。なんだつておまいさまはそんなことばかり言ふの? クリスマスのまへの、原つぱには、そんなけがらはしいものはゐませんよ。

 マカルをぢさんがさういつたよ。なんでもをぢさんがまだ子どものとき、今日みたいにそりにのつていくと、原つぱのまん中で森のばけものがをどりををどつてゐたと。うそぢやあない。ばけものゝやつが、白かばのかげで、はねくりかへつてをどつてやがつたんだつて。」

「ふうん。」

「で、マカルをぢさんは讃美歌をうたひ出したんだと。けふぞマリヤを、つてのをよ。それをきくと、ばけものゝやつは、蠅になつてさ、蠅によ。そして、雪あらしの中をぴゆう/\ふつとんで、どつかへにげてしまつたんだつて。」

「うそだらう。」

「うそ? それぢやあこんな話だつてあるよ。クリスマスの前の晩には、魔法使の女が臼にのつてやつてきて、まつ黒な鬼と一しよに輪になつてをどつたり、うたつたりするんだといふよ。そして、朝お寺の鐘がなるとみんな蠅になるんだつて。」

「それだつて、うそだい。」

 コーリヤはいひました。でも、心の中ではばけものが出て来やしないかとこはくて/\じつと身体をすくめました。

 すると、どこかで、ばけものが笛をふいてゐるやうな、笑つてゐるやうな気がしてきました。

「やい、だれだい、ほえるない。」

 リカがどなりました。コーリヤはとび上るほどおどろきました。

「おどかすない、リカ。」

 リカは笑ひました。

「はッはァ。」

 ふと、前の方にあかい火がみえて来ました。一つ、二つ、三つと。村ぢやあないでせうか。

「おい、リカ。」

 コーリヤはさけびました。

「ほら、あの光つてゐるの、なんだらう。」

「あれやあ火だよ。」

 リカはすましてゐました。

「村の家のあかりだよ。」

「村だつて? やァ、ばんざァい。」

 コーリヤはうれしがつてさけびました。こはばつてゐた顔が急にゆるんで、よろこびが顔中へひろがりました。もう、寒くも何ともなくなりました。

 コーリヤは、そりの中でくびをのばして、だん/\に、はつきりしてくる、光を、じつと、みつめました。

「ほうら。はしれッ。」

 リカも元気づいて、ぴゆう/\むちをふりました。



    三


 さあ、村にきました。おゝ、この堀。あの橋。水車場からはあかりがもれてゐます。山ぎはにあるコーリヤの大きな家では、コーリヤをむかへるやうに大きな門があけてあります。そりは、いきほひよく門の中へかけこみました。すると家中はさつきコーリヤが考へたとほりに、おほさわぎでした。ガブリーラや、ミハイラやバラーシュカたちは、気ちがひのやうにかけまはつて、なんだか、どなつてゐます。犬はよろこんでほえたてます。戸があいて、ぢいやのドウーニヤが手にろうそくをもつてとび出してきました。馬はあらあらしく白い息をはいて、いせいよく鈴をならしました。家の窓々には、あかりが走りあるいてゐます。あすこにランプをもつてゐるのはだれでせう。あゝお母さんだ。

「さァ、下りた。」とリカがいひます。

「あッ、しびれが切れた。」

 それから一分の後には、コーリヤは、大きな、だきついてやりたいほどなつかしい、おなじみの湯わかし器が、ちん/\いつてゐるそばに、すわつてゐました。

「お母さん、ね、ぼくリカに乗せてきてもらつたの。」

「あら、ニキフォールぢあなかつたの?」

「えゝ。」

 お父さまはニキフォールのことをおこりました。

「あいつめ、あんな小ぞうつ子にコーリヤを送つてよこさせるなんて、ひどいやつだ。リカはどこにゐるんだ。」

「台所に。馬に乾草をやつて、じぶんはストーヴの上であたつてゐるの。」

 お父さんは台所へいきました。あとから子どもたちもぞろ/\ついていきました。

 リカは靴をぬぎ、帯もとつて、テイブルの前にすわつてゐました。下女が、お茶をくんでやつてゐました。リカの顔は、まつ赤になつてゐます。鼻の先の皮がむけ、ぬれた麻色の髪の毛が、大きな頭の上にぺつたりと、くつついてゐます。

「おいリカ。」とお父さんはどなりました。

「一たい、おまいみたいなものをよこすなんてどうしたわけだ。おまい、いくつだ。」

「おれァ赤ん坊ぢあねえよ。」

 リカは、ぶつきらぼうに答へました。

「もつと遠くへだつて一人でいくんだよ。ここまでぐらゐなんでもねえよ。」

「とちゆうで、もし、まちがひがあつたらどうするんだ。おまいにはまだ馬がじゆうにはなるまい。」

「おれに?」

 リカは笑ひました。

「三頭びきだつてやれるよ。二頭ぐらゐなんでもないよ。」

「ふうん、そいつあ、えらいな。」とお父さんはいひました。

 レーワと、ボーリヤと、サシュールカは、びつくりしたやうな目をして、リカをみてゐましたが、じぶんたちも、リカとお話がしたくなつたらしく、すこしづゝそばへよつてきました。

「家へね、今にクリスマスの飾りもみの木がくるわよ。」とボーリヤがいひました。

「あつちへおいでなさい。」とお父さんはいひました。

「こゝはお前たちのくるところぢやありません。」

 子どもたちは、しかたなしに、いや/\台所を出ていきました。けれど、お父さんがお部屋へいつてしまふと、すぐまた台所へやつてきました。

「ね、家へね、クリスマスのもみの木がくるのよ。」

「ふん来るものは来させるがいゝよ。」とリカはいひました。

「それよりかお母さんに言つてくんな。金をくんなつて。一ルーブル八十コペックだよ。」

 リカは、お茶をやたらにのみました。で、すつかり汗をかいて、ためいきをしながら窓の外をみて下女にいひました。

「ふう。なんてひどい天気だらう。一晩とまらなきあならないな。お前おれをおひ出しやしないね。」

「リカが家へ泊るんだつて。」と、子どもたちは、うれしさうにさけびました。

「だけど、お前どこにねるの?」と下女がきゝます。

「あの腰かけの上によ。」

「なんの上に?」

「腰かけの上だつていふに。」

「だつて、まくらがないよ。」

「まくらなんかいらない。坊ちやん、おれに砂糖をすこしもつてきてくんねえか。」

 ボーリヤは、お砂糖をみつけ出して、もつてきてやりました。レーワはクルミをもつてきました。サーシュカもまねをして、こはれたお人形をもつてきました。

 子どもたちは、奥から台所へ、台所から奥へとかけあるいて、お母さんに、リカがなんと言つたとか、どんなふうにせきをしたとかと、一々それを話しました。まるで、台所になにかめづらしい動物でもゐるやうなさわぎです。

 コーリヤは、お母さんが手紙にかいてよこした蓄音器をかけてゐました。蓄音器は、勇ましい行進曲をふいたり、歌をうたつたりしました。

「コーリヤ、蓄音器をリカにみせてやりませうよ。」とボーリヤが言ひました。

「お母ちやま、コーリカをつれてきてもいゝでせう。」

「どうして?」

「蓄音器をみせてやるの。」

 子どもたちはお母さんにとびついて、ねだりました。そしてお母さんがゆるして下さると、よろこんでかけ出しました。

「これ/\、かけるんぢやありません。それから靴はぬがせるんですよ。」

「もうぬいでるの。」

 コーリカはいつまでもぐづついてゐて、中々奥へこようとしませんでした。

「おれの見たことのないものだつて? なんだらうな?」

「森のおばけだよ。」とコーリヤがいひました。

「なんだ。」

「なんでもいゝからおいでよ。」

「よし、いく。」

 リカは、やつとコーリヤのあとについていきました。コーリヤが食堂のまへをとほるとき、リカはちよつと後しざりをしました。奥さまのすがたが、ちらりとみえたからです。

「いゝんだよ。さ、いゝんだよ。」

 コーリヤたちはリカを引つぱつて、蓄音器の前につれてきました。

「ほら、この箱ね、この箱の中に魔法使がゐるんだよ。」

「うそう。」

「うそだつて?」

 コーリヤはかういひながら急に蓄音器をしかけました。リカは、びつくりしました。

「ほう、こんちきしよう。うたをうたひやァがる。」

 リカは、音のするその箱をこはさうにのぞきこみました。子どもたちは、みんなで、きやつきやと笑ひました。



    四


 あんまり笑ひさわぐので、お父さんが出てきました。そして、お父さんも笑ひました。それをきいて、お母さんもきました。

「まあ、なんです?」

「リカつたら、お母さん、リカつたらね、蓄音器をこはがつてるのよ。」

「うそだい。」と、リカはまつ赤になつていひました。

「こはがつてなんかゐるもんか。これあ器械だよ。」

 かう言つて、リカは、しゆつと鼻をすゝりました。お母さんは顔をしかめて、リカの肩をつついていひました。

「さあ、もうたくさん。あつちへおいでよ。ね。」

「あらまだいゝわ。」とサーシュカがいひました。

「もう少しゐさせてあげてよ、ね。」

「いゝえ、もうたくさんですよ。さあ、あつちへいきなさい、リカ。」

 リカは、台所へかへりかけましたが、食堂のところまでくるとふりむいて、

「あ、さうだつけ、おくさま、駄賃をおくれよ。」

「あげますとも。」

「ぢやァ、今すぐおくんなさい。でないとおら、あすは夜あけにいくだから。」

「あいよ、すぐ女中にもつてよこさせます。さあ、あつちへおいで。」

「おらに、ぢかに、ください。その方がまちがひがないから。夜明けにはやくいかないと父ちやんは泊るでねえつていつたんだから、しかられるといけないから。」

 そのときボーリヤが出て来ました。

「坊ちやん、ぢやァさよなら。」

 リカは、手を出していひました。ボーリヤは手を出さうとしましたが、急に、その手を引つこめてしまひました。きたない子と握手をしてはいけないといはれてゐるからです。リカは、くるりとまはつて、台所へいきました。

 おくさんは女中をよんで、リカに駄賃をわたさせました。リカはそのお金をぼろッきれにつゝんで、長靴の中へおしこむと、やつと安心して、腰かけの上にからだをのばしながら、晩御飯の支度をしてゐる女中に話しかけました。

「なにを焼いてるの?」

「うなぎよ。」

「うふん、この家の人たちは、うなぎを食ふのかい。ふうん、おらが村のだんなは毎日鳩をくふよ。」

 晩御飯がすむと、奥からピアノの音がひゞいて来ました。

 リカは、それを聞きながら、うと/\となりかけましたが、急におき上つて、さけびました。

「あゝ、さうだつけ。馬のことをわすれてゐた。」

 リカは靴をはいて、庭につないである馬のところへ、水をやりにいきました。

「ほうら。」

 リカは、馬のしりをぴたんとうつと、水桶をどさんとおいて、空を見上げました。馬はうれしがつて、リカに鼻をすりつけながら、ひくゝなきました。

「あまつたれるない。」

 リカは、馬の首をぴた/\たゝきつゞけました。

 あくる日、リカは夜あけまへに門を出ました。

 コーリヤはむろん、まだ、あたゝかい床の中でねむつてゐました。家中の窓はみんなしまつてゐました。

 リカは、コーリヤや、ボーリヤや、あの音楽をやるふしぎな器械のことなどを思ひ出しながら、力一ぱい、ぴしんとむちをならしました。

「さあ、いけ。」

 そりは、とぶやうにはしり出しました。鈴の音が、ほのぐらい静かな空にいつまでも/\ひゞきました。






底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版


   1978(昭和53)年11月30日初刷発行

底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第八巻」文泉堂書店

   1975(昭和50)年9月

初出:「赤い鳥」赤い鳥社

   1932(昭和7)年1月〜2月

入力:tatsuki

校正:noriko saito

2007年11月20日作成

青空文庫作成ファイル:

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