一
にいさんの
「ふたり、ちっとも、ちがわないね。」
と、よく人がいいました。そうすると、にいさんの松吉が、口をとがらして、虫くい歯のかけたところからつばをふきとばしながら、いうのでした。
「ちがうよ。おれにはふたつもいぼがあるぞ。杉にゃひとつもなしだ。」
そういって、右手の
この兄弟の家へ、町から、いとこの
克巳は五年生でも、からだは小さく、四年生の杉作とならんでも、まだ五センチぐらい低かったが、こせこせとよく動きまわる子で、松吉、杉作の家へくるとじき、はつかねずみというあだ名をつけられてしまいました。
松吉、杉作の家のうらてには、ふたかかえもあるニッケイの大木がありました。その木の皮を石でたたきつぶすと、いいにおいがしたので、おとなたちが、昼ねをしている昼さがりなど、三人で、まるできつつきのように、木のみきをコツコツとたたいていたりしました。
また、あるときは、おじいさんの耳の中に、毛がはえていることを克巳が見つけて、
「わはァ、おじいさんの耳、毛がはえている。」
とはやしたてたことがありました。松吉、杉作は、もうずっとまえから、そんなことは知っていました。が、あまり、克巳がおもしらそうにはやしたてるので、いっしょになってこれも、
「わはい、おじいさんの耳、毛がはえている。」
と、はやしたてたものでした。すると、おじいさんが、松吉、杉作をにらみつけて、
「なんだ、きさまたちゃ。おじいさんの耳に、毛のはえとることくれえ、毎日見て、よく知ってけつかるくせに。」
と、しかりとばしました。そんなこともありました。
克巳はからうすをめずらしがって、米をつかせてくれとせがみました。しかし、二十ばかり足をふむと、もういやになって、おりてしまいましたので、あとは、松吉と杉作がしなければなりませんでした。
あしたは克巳が、町へ帰るという日の昼さがりには、三人でたらいをかついで
三人は南の
たらいが、バチャンといいました。その音が、あたりの山一面に聞こえたろうと思われるほど、大きな音に聞こえました。たらいのところから、波の輪がひろがっていきました。見ていると、池のいちばんむこうのはしまでひろがっていって、そこの小松のかげが、ゆらりゆらりとゆれました。三人はすこし、元気が出てきました。
「はいるぞ。」
と、松吉が、うしろを見ていいました。
「うん。」
と、
三人のはだかん
もう、こうなっては、じっとしているわけには、いきません。三人は足を動かしました。はじめのうちは、
長い時間がたちました。
三人はへとへとになりました。もう足を動かすのがいやになりました。さて、三人は、どこまできたのでしょう。じぶんたちの
まわりの山で、せみは鳴きたてています。気ばかりあせります。しかし、からだはもう動きません。
「もう、おれ、およげん。」
と弟の杉作が、なきだすまえのわらい顔でいいました。
松吉も、なきたい気持ちでした。だまって目をつむりました。
「ぼくも、もう、だめや。」
と、
松吉は目をひらくと、きっぱり、
「もどろう、そろそろいこう。」
と、いいました。
そして、たらいを、ぎゃくの方向に、ぐいとひとつおしました。
杉作も克巳も、だまっていました。しかし、松吉についていくより、しかたがありませんでした。つかれきったふたりの顔に、かすかにわきあがる力のいろが見えました。
たらいは、動いていくようには思えませんでした。いつまでたっても、もとの
三人は、ときどき、ちっとも近くならない土手の方に、ちらっちらっと、
そのとき、松吉の口をついて、
「よいとまァけ。」
という、かけ声がとび出しました。
よいとまけ||それは、いなかの人たちが、家をたてるまえ、地がためをするとき、重い大きいつちを、上げおろしするのに力をあわせるため、声をあわせてとなえる
「よいとまァけ。」
と、水をけって、また松吉はいいました。
すると、弟の杉作がなき声で、
「よいとまァけ。」
と、
「よいとまァけ。」
松吉は、声をはりあげました。
するとこんどは、杉作ばかりでなく、
「よいとまァけ。」
と、応じました。
克巳もまた、必死だったのです。
三人とも必死でした。必死である人間の気持ちほど、しっくり結びあうものはありません。
松吉は、じぶんたち三人の気持ちが、ひとつのこぶしの形に、しっかり、にぎりかためられたように感じました。そうすると、いままでの百倍もの力が、ぐんぐんわいてきました。
「よいとまァけ。」
と、松吉。
「よいとまァけ。」
と、杉作と克巳。
きゅうに、たらいが、速くなったように思われました。もう
克巳は、いなかの松吉、杉作の家に十日ばかりいたのですが、最後のこの日ほど、三人がこころの中で、なかよしになったことはありませんでした。
池から家へ帰ってくると、三人はこころもからだも、くたくたにつかれてしまったので、ふじだなの下の
そのとき
「いぼって、どうするとできる? ぼくもほしいな。」
と、わらいながらいいました。
「ひとつ、あげよか。」
と、松吉はいいました。
「くれる?」
と、克巳はびっくりして、目を大きくしました。
松吉は、家の中から、
「どこへほしい。」
「ここや。」
克巳は信じないもののように、クックッわらいながら、左の二の
松吉の右手の一つのいぼと、克巳の腕とに、箸がわたされました。
松吉は、大まじめな顔をしました。そして、天のほうを見ながら、
「いぼ、いぼ、わたれ。
いぼ、いぼ、わたれ。」
と、よく意味のわかるじゅもんをとなえました。
そのよく日、町の子の
二
牛
松吉と杉作が、土曜の午後に、学校から帰ってくると、そのお餅を、町の克巳の家にくばっていくことになりました。これはもうきのう、お餅をつくっているときから、ふたりがおかあさんにたのんで、かたく約束しておいたことです。
なぜなら、このことには、ふたつのよいことがありました。ひとつは、夏休みになかよしになったいとこの克巳に会えるということ、もうひとつは、あまりはっきりいいたくないのですが、おだちんをもらえることです。そしてまた、町のおじさんおばさんは、いなかの人のように、お
おかあさんが、お餅のはいった
「ねえ、おっかさん、電車に乗ってっても、ええかん。」
と鼻にかかる声で、ねだりました。
「なんや? 電車や? あんな近いとこまで、歩いていけんようなもんなら、もうたのまんで、やめておいてくよや。おとっつぁんに自転車でひと走りいってきてもらや、すむことだで。」
「うふん。」
と、松吉は鼻をならしました。しかし、帰りはもらったおだちんで、電車に乗ることができると思って、わずかに心をなぐさめました。
松吉と杉作は、ぼうしをかむらないで家を出ました。ぼうしをかむって町へいくと、町の子どもが
ふたりが
「杉、どこへいくで、遊ぼかよ。」
と、声をかけました。
杉作は、
「おれたち、町へいくんだもん。」
と、いいました。そしてふたりは、新しい幸福にむかって進んでいく人のように、わき目もふらないですぎていきました。
けん
村を出てしまったころに、松吉は、じぶんの右手がいたんでいることに、気がつきました。見ると、
ちょうど、うまいぐあいに、一メートルぐらいの竹切れが、道ばたに落ちていました。ふたりはその竹を、
ふたりはしばらく、だまっていきました。松吉はぼんやりと、考えはじめました||五十銭くれると。五十銭もくれるだろうか。でもおばさんは、きょ年もそのまえも五十銭くれたから、ことしだって、くれるだろう。五十銭くれると、それでなにを買おうか。
松吉の、とりとめのない
「どかァん!」
という、とてつもない音で、ぶちやぶられました。松吉はきもをつぶして、あやうく、持っていた竹を、はなしてしまうところでした。
そんな声をだしたのは、すぐ前を歩いている弟の杉作でした。杉作であることがわかると、松吉ははらがたってきました。
「なんだァ、あんなばかみてな声をだして。」
すると杉作は、うしろも見ないで、こういうのでした。
「あっこの木のてっぺんに、とんびがとまったもんだん、
それでは、しかたがありません。
また、しばらくふたりはだまっていきました。
また松吉は、考えはじめました||
松吉は、じぶんの右手をそっと見ました。
三
町にはいると、ふたりは、じぶんたちが、きゅうにみすぼらしくなってしまったように思えました。
これでは、ぼうしの
ふたりは、こころの中では、ひとつの不安を感じていました。それは、町の子どもにつかまって、いじめられやしないか、ということでした。だから、ふたりはこころをはりつめ、びくびくし、なるべく、子どものいないようなところをえらんでいきました。
そのうちに、杉作が、
「あっ、ここだ。」
と、落とした
ふたりは、
店の前までくると、入口のすりガラスの大戸の前には、冬の午後の、かじかんだ日ざしをうけて、ひとつひとつの葉の先に、とげのあるらんの小さい
重いガラス戸をあけて中へはいりますと、おじさんがひとり、たたみのしいてあるところに、あおむけにひっくり返って、新聞を読んでいました。こちらの方では、まるい銀の頭を、ぴかぴかにみがきあげられたタオルむしが、ひとりで、ジューン、ジューンと湯気をふいていました。
おじさんは新聞を読みながら、うとうとしていたらしく、しばらくそのままでいましたが、やがて、人のけはいにおどろいて、ガバッと新聞をはねのけ、起きあがりました。それを見て、ふたりはびっくりしました。おじさんではなかったのです。
それはふたりの村の、かじ屋の三男の
ふたりは、つくづくと小平さんの顔とすがたを、うちながめました。
小平さんはなんとなく、おとなくさくなりました。色が白くなり、あごのあたりがこえてきたようでした。頭も
いちど、松吉は、耳の中へあずきを入れられて、こまったことがありました。ああいうことを、小平さんは、今でもおぼえてるかしらん、忘れてしまったかしらん||ともかく、いまも小平さんは、白いうわっぱりのポケットに両手を入れて、ふたりを見ながら、にこにこしています。
小平さんは、きょうは
ふたりは、ちょっと
「だが、まだ三時だから、もうちょっと待っておれよ。そのうちに、おかみさんが帰っておいでるかもしれんに。」
と、小平さんがいいました。
そこでまた、
小平さんは、ともかく、お
あれから、五分たちました。まだ、おばさんは帰ってきません。おじさんも
小平さんは、ふたりの頭を見ていましたが、
「だいぶ、のびとるな、ひとつ、だちんのかわりに、かってやろか。」
と、いいました。
ふたりは顔を見あわせて、クスリとわらいました。
松吉も杉作も、生まれてからまだ一ども、
ふたりは、目の前にある、りっぱな腰かけを見ました。白いせともののひじかけがついています。おしりののるところは、黒い皮ではってあります。もたれるところも、黒い皮です。その上に、小さいまくらのようなものまで、ついています。下の方は、足をのせるかねの台があって、それにはすかしぼりの
小平さんにうながされて、松吉と杉作は、先をゆずりあって、おたがいにすみの方へひっこみあいをしましたが、とうとう、にいさんの松吉が、先にしてもらうことになりました。
松吉はこわごわ、りっぱな腰かけにのりました。ばかに高いところに、のぼったような気がしました。すぐ前の大きい鏡に、あまりにはっきり、じぶんのひょうたん顔がうつりましたので、はずかしくなりました。
小平さんは、まっ白な布で、松吉の首から下をつつんでしまいました。手も出ませんでした。
小平さんは、どこかからバリカンをとり出してきました。バリカンは、家のと同じもののように見えました。バリカンがさわったとき、松吉は思わず首をすくめました。このバリカンも、かみつくかと思ったのです。
ポロリと、白い布の上に落ちてきたものを見ると、かられた、黒い、じぶんのかみの毛でした。なァんだ、もうかられているのかと、思いました。ちっとも、いたくないではありませんか。そこで松吉は、やっと安心して、かたの力をぬきました。
かみがかられてしまうと、松吉は、これでおしまいだと思いました。家ではいつでも、それだけだったからです。ところが、おどろいたことには、腰かけがキーイとかすかな音をたてて、うしろへたおれていきました。
「あッ。」
と、松吉は、声をたてました。しかし、腰かけはたおれたのではありませんでした。もたれだけが、うしろにのびて、腰かけている人があおむけにねるようになっただけでした。
天じょうの
小平さんはタオルをのけると、太い筆のようなもので、せっけんのあわを松吉の顔にぬり、かみそりで、ひたいぎわからそりはじめました。
松吉はそのとき、小平さんがまだ子どもで村にいたころ、松吉たちによくいたずらをしたことを、また思い出しました。小平さんはよくうしろから、そっときて、人の
いまも松吉は、小平さんが、そんないたずらを、はじめるのではないかと、おしりのおちつかぬ思いでした。ことに小平さんが、松吉の耳をつまんで、二どばかり、耳の毛をそったときには、松吉は、てっきり、小平さんが、むかしのいたずらをはじめたと、思いました。もうすこしで、クックッとわらいだすところでした。しかし、小平さんの顔を見ますと、まじめな顔をしていました。あそびをしているのではない、仕事をしているおとなの顔つきでありました。
松吉には、小平さんがおとなになったから、もうあそばないということがわかりました。おとなは仕事をするのです。たとえ、人の耳をつまんでそるというような、いたずらみたいなことでも、小平さんは仕事ですから、まじめにするのです。松吉には、おとなになるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束のように思われました。なんとなく、さみしい感じがしました。
すみの
時計を見ると三時四十分でした。さっきは、入口のガラス戸の下までさしていた日ざしが、いまは、上の方に忘れられたように、ほんのすこしのこっているだけです。
と、そのとき、入口の戸をガラガラと
「ただいまァ。」
松吉と杉作は、一ぺんに生きかえりました。「克巳ちゃん。」ということばが、松吉ののどのところまで出てきました。しかし、そこで、とまってしまいました。克巳のあまりに
克巳は、最初に松吉と、それから杉作と顔をあわせました。しかし克巳の目は、知らない人を見るように
克巳はながくは、そこにいませんでした。松吉のうしろの
でもまだ松吉は、望みをすてませんでした。
だが、克巳はさっぱりおりてきませんでした。
やがて、克巳の友だちらしいのがふたり、
「克巳くゥん。」
といって、外から店にはいってきました。
克巳は二階からおりてきました。
松吉は、
しかし克巳は、松吉には目もくれませんでした。そして、ふたりの町の友だちを手まねきして、三人いっしょに、どやどやと二階へあがってしまいました。
松吉は、つき落とされたように感じました。じぶんの立っている大地が、白ちゃけたさびしいものにかわってしまいました。
松吉にはわかりました。克巳にとっては、いなかで十日ばかりいっしょに遊んだ松吉や杉作は、なんでもありゃしないんだと。町の克巳の生活には、いなかとちがって、いろんなことがあるので、それがあたりまえのことなんだと。
四
松吉と杉作は、町から村のほうへ、
からの
いくときの、
考えてみると、きょうは、あほくさいことでした。第一、
こうしてじぶんたちは、すっぽかされて、青
「どかァん。」
と、杉作がとつぜん、どなりました。
また、とびかと思って、松吉は見まわしましたが、それらしいものは、どこにも見あたりません。かれたクワ畑のむこうに、まっかな太陽が、今しずんでいくところでした。
「なにが、おるでえ。」
と、松吉は杉作にききました。
「なにも、おやしんけど、ただ
と、杉作はいいました。
松吉は、弟の気持ちが、手にとるようによくわかりました。弟も、じぶんのようにさびしいのです。
そこで松吉も、
「どかァん。」
と、一発、大砲をうちました。
すると松吉は、こんな気がしました||きょうのように、人にすっぽかされるというようなことは、これから先、いくらでもあるにちがいない。おれたちは、そんな悲しみになんべんあおうと、平気な顔で通りこしていけばいいんだ。
「どかァん。」
と、また杉作がうちました。
「どかァん。」
と、松吉はそれに
ふたりは、どかんどかんと大砲をぶっぱなしながら、だんだん心を明るくして、家の方へ帰っていきました。