「風よ風よ、吾を汝が立琴となせ、彼の森の如く||か、ハツハツハ······琴にならぬうちに、おさらばだよ、森よ森よ、さよなら||と!」
「真面目かと思へば冗談で、冗談かと思へば生真面目で、転がせ/\、この樽を||だ、ハツハツハツ······」
「泣いて呉れるなヨ、出船の邪魔だヨ······」
「今日は黒パン、明日は白パン、兵士の歌だよ、白い娘と黒いパン、黒い娘と白いパン、どんどん行け行け鉄砲かついで||」
私はテントの袋を肩につけて、何かしら不安な思ひにでも打たれてゐるかのやうに黙つてゐたが、皆なは勝手な歌をうたひ、口笛を吹き、手風琴を鳴しながら、ガヤガヤと馬をつらねて山径を降つてゐた。皆なが、山彦を面白がつて、殊更に声を張り挙げ、殊更な笑ひ声を挙げると、それが森の梢に陰々と反響した。崖の間からハラハラと水が
「おい/\、ちよつと立ち止まつて皆なでいち時にワツハツハツ! といふ笑ひ声を挙げて見ようよ、可笑しいぜ、山彦が······」
歌のところは解らなかつたが、誰かゞ束の間の静けさの時に挙げた笑ひ声が、まるで天狗の声でもあるかのやうに梢の間に響き渡つたのに興味を覚へて、私はそんなことを云つた。
「ワツハツハ······」「ワツハツハ······」「ワーツ、ワーツ!」
私は、芝居の「高時」に想ひを馳せて凝ツと梢に向つて眼をむいた。
近々都へ向つて出発する私のために村の友達連が集まつて、この森を宴会場に定めて、流れの傍らに幾張りものテントを建て、夜に日をついだ送別会を行つた後に、漸く今になつて引きあげたところであつた。悪口を云ひ合つたり憾みごとを云ひ合つたりした者も悉く打ち溶けて、思ひ/\の仮装を凝らし、踊り、飲み、歌ひ抜いて、名残りなく引きあげて来たところであつた。
「最後にシノンが梢を睨んで、得意の微笑を浮べてゐる姿を一つ撮らうぢやないか。」
馬を降りて、酔醒めに谷川の水を次々に飲んで一休みしてゐると、誰かゞそんなことを云つて私にレンズを向けた。私はシノンの恋人に扮してゐる私の妻に楯を持たせ、その妹に
「さあ、これで||」
と、三人は並んだが二人は、私が厭に武張つてゐて変だ、もう仮装舞踏会は終つた後のことなのだから、もつと/\打ち寛いだ姿を執つて貰ひたい、でなければ一処に並ぶのは厭だ! と、かぶりを振つて諾かなかつた。
シノンは恋人を抱き、またその妹をも抱いて、別れの挨拶をしなければならないんだ。||「その姿を撮らう。」
と云つて私が、二人を引き寄せようとすると、二人は赤くなつて逃げ回つた。誰かゞ、私が居酒屋の娘に怪しからぬ想ひを抱いてゐる、それで、せめてもそんな言ひがゝりをつけて抱擁の快を感じようとでもしてゐるに違ひない||などゝひやかすと、妻は幾分殺気立つて、
「何といふ厭な奴だらう、失礼な。」
と笑ひながら、娘を己の胸に抱き寄せた。そして、皆はいち時に仰山な笑ひ声を挙げずには居られなかつた。私は、ちよつと具合が悪かつたので、空とぼけた顔をし、
「ほんとうに、笑ひ声の||こだまは、天狗の笑ひ声のやうだな。」
と仔細気に首をかしげながら梢を仰いだ。
「もう一度笑つて見て呉れ||」と私が追求すると、皆なつまらなさうに黙つてしまつた。
トロヤ戦争余聞、木馬の腹に潜んで敵地に赴く決死隊の一員、勇士シノンに就いてのエピソードを挿入すると、この場の情景が鮮明になるのであるが、「シノンの芝居」は私が前の晩に森の中で大見得切つて演じた後であるから、省く。
で、私が、ひとり、呆然と梢を眺めてゐる様子を素早く撮影したのを区切りとして、私達は、行列をつくりまた歌をうたひながら賑やかに森を見棄てた。「真夏の夜の夢」の、ひようきんな役者達のやうに馬鹿/\しい夢を春霞みの深い森の中に置き去りにして||。
やあ、鶯が鳴いてゐる!
愉快だな! 春だ、春だ! などゝ、はじめは鳥の声を耳にする度に一同は馬の上から相呼応し合つてゐたが、行列が森をぬけ、沢を渡り、明るい峠にさしかゝると八方から間断のない鶯のさへずりが群がり起り、
「もう少し脚を速めないと午の汽車に乗れないかも知れないよ。」
「何しろこれから村に着いて着物を着換へなければならないからね。」
「蜜柑問屋のフオードが空いてゐないとすると馬車を仕立てなければならないからな。」
「いそげ/\!」
などゝ口々に云ひ合つてゐるものゝ、おそらく行列は鶯の声に酔つてゐるのだらう、ぽか/\と、駒の蹄の音ばかりが長閑にそろうてゐるばかりで一向脚なみは速まらなかつた。
いよいよ都をさして旅立つ僕等夫妻を送る僕の森の友達連である。僕等は森に小屋を建てアメリカ土人の服を着て、この冬を森で過したのである。鳥を打ち、魚を釣り、薪をつくり、またある時は掠奪を
峠を越えると一行は川に沿つた堤を静かに駆けて村に達した。
「蜜柑問屋の自動車は十日も前にパンクしたまゝ使はずにゐるが途中で二三度空気を入れたら停車場位までは使へるだらうツてさ。」
「その代り、ドライバアは、そいつを好く心得た上で、最も技巧的に不思議なスピードを出さなければならないだらうツてさ。」
水車小屋の若者が、不安な面もちを現して行列に復命した。
「その腕前だけは、たしかだ!」
大学生である弟が、唯一の得意の腕を突き出して、
「兄さん!」
と唸つた。
「タバン・イダーリアの妙ちやんに手伝つてもらつて||」
と僕は妻を馬から手をとつて降ろしながら命令した。「髪を梳き、白粉もつけ、踵の高い靴と穿き換へておいで。その間に、大ちやんが馬を飛ばせて町の金貸者にあづけてある首飾りを持つて来て呉れるさうだから。」
「うれしいやうな、悲しいやうな······」
と妻は微笑を湛へて胸をおさへた。
「早く/\、馬鹿!」
僕は叱つた。そして僕は、タバンのテーブルで、東京の井伏へ宛てゝ約束のハガキを書いた。
「これから出発する(Mr & Mrs)。あしたの午後レインボー・グリルで待つ。今度は決して酒を飲まぬ。」
*
僕は指を挙げてタキシイを止める。速い! 速い!
「蜜柑問屋のフオードよりは具合が好いね。」
「ほんとうにね。あたし、ルイズ・ブルツクス大好き。他に何処かで演つてゐないかしら?」
「今日は鈴木に案内してもらつてカーピ・オペラを見物しよう。ミセス・ヘンキナの奇麗な声に酔はう。」
「封切される時には、あんなのはカツトされてしまふんでせうね。惜いわね。」
「試写なんていふものをはじめて見たらう。」
「淪落の女||か、あたし面白かつたわ。あんな風な
「無論あるだらうよ。」
「伴れてつてよ。」
「よろしい||」
行先きのビルヂングに着く。
「おい/\こつちだ。梯子段なんてあがるんぢやないよ。このボタンをおすとエレベータアが降りて来るんだよ。」
「六階へ!」
「しばらく、K・M君。これからオペラを見に一緒に行かないか。それから······」
「何時までこちらに居るの?」
「面白いな、東京は||。このまゝこちらに住んでしまふのだ。」
「賛成だ。マダムは?」
「あたしも||」
帝劇の廊下で僕の妻は煙草を喫してゐる。これが昨日まで森の小屋でまつくろになつて飯を炊いてゐた人かと思ふと、僕は眼をしばたゝき、軽い皮肉を感ずる。
「鱒二さん達が、日本橋のG||何とかといふ、何でもその名前はイタリア語か何かで、細君がブツブツ云ふといふほどの意味なさうだが||そこで待つてゐるさうだから、オペラはこれ位にして、駆けつけて見よう。||大丈夫だ、決して酔はぬ。」
「それから、あなたと二人でダンス場へ行きませう。」
「その帰りに||だけど、そいつは、ちよつとの間皆に内緒にしておこうぢやないか、おれ達のダンスはきつと時代おくれのものに違ひないだらうから、二三個所見物した後でないとおれは気恥かしいんだよ。」
「おすしを食べたい。」
「ではあの屋台店で食べよう。」「||ストツプ||タキシー。」
「ベレエとライタアを買つて下さいな。」
「よし/\。||一番安いのはいくら位だらう。」
「まあ狭くて、薄ツ暗いわね。顔も碌々見えやしないぢやないの!」
「山の連中に手紙を書かなければならないんだが、何と書かうかしら、何だかおれは彼等が
「憤つたつて仕様がないわ。」
「でも||明日でも一寸帰つて来ようかしら。」
「帰りたいの?」
「あのね。」
と僕は妻の耳にさゝやいた。「昨夜僕は
「センチ······」
とほき出して妻は横を向いた。