農民の五月祭を書けという話である。
ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく知らない。
そこで困った。
全然知らんことや、無かったことは、書くにも書きようがない。
本当らしく、空想で、でっち上げたところで、そんなものには三文の値打ちも有りゃしない。
で、以下は、労働祭のことではない。五月一日に農村であったことである。
香川県は、全国で最も弾圧のひどい土地だ。第一回の普選に大山さんが立候補した。その時、強力だった農民組合が叩きつぶされた。そのまゝとなっている。
なんにもしない、人間を、一ツの警察から、次の警察へ、次の警察から、又その次の警察へ、
ちょっと、郷里の家へ帰っているともう、スパイが、嗅ぎつけて、家のそばに張りこんでいる。出て歩けば尾行がついて来る。それが結婚のことで帰っていてもそうなのである。親爺の還暦の「お祝い」のことで帰っていてもそうなのである。
西山も、帰るとスパイにつき纒われる仲間の一人だ。その西山が胸を悪くしてO市から帰っていた。
彼は、もと、若手の組合員だった鍋谷や、宗保や、後藤の顔を見た。それから彼等の小学校の先生だった六十三の、これも先生をやめてから、若い者よりももっと元気のある運動者となった藤井にあった。
どの顔にも元気がない。
組合が厳存していた時代の元気が、からきしなくなってしまっている。それに、西山が驚いたのは、彼等の興味が、他へ動いていることだ。
ごつ/\した、几帳面な藤井先生までが、野球フワンとなっていた。慶応
五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い組合旗と、沢山の労働者が、どん/\集っていることだろうな、と西山は考えた。彼は、むほん気を起して、何か仕出かして見たくなった。百姓が、鍬や鎌をかついで列を作って示威運動をやったらどんなもんだろう。
彼は、宗保と後藤をさそい出した。三人で藤井先生をもさそいに行きかけた。
「おや、お揃いで、どこへ行くんだい?」
下駄屋の前を通って、四ツ角を空の方へ折れたところで、
「山の根へ薪を積むとて行ってるんだよ。」宗保が気をきかした。
「ヘエエ。」
スパイは、疑い深かげな眼で三人を眺めた。そして、ついて来た。
──こいつは、くそッ、なにも出来なくなっちゃったな、と西山は思った。彼は、一寸なにかやると、すぐ検束騒ぎをするここの警察をよく知っていた。
三人は、藤井先生の家へ行くことが出来なくなった。宗保は、薪を積みに行くという真実味をよそうため、途中で猫車をかりて、引っぱって山へ行く坂の道を登りだした。
「今日は、どうするにも駄目だよ。」彼の眼は二人に語った。「俺れんちの薪を積む手伝いでもして呉れろよ。」
スパイは、三人が集ったのを、何かたくらんでいると睨んでいた。この男は、藤井先生がY村で教えていた頃の生徒だ。そのくせ、昔の先生に対してさえ、今は、官憲としての権力を振りまわして威張っていた。そして、旧師に対するような態度がちっともなかった。運動をやっている者は、先生だって、誰だって悪いというような調子だ。傍で見ても小面が憎かった。彼は、三人のあとから、山の根の運び出した薪を散り/\に放り出してある畠のところまでついて来た。
三人は仕様がなかった。そこで薪積みを始めた。スパイは、煙草屋でせしめてきた「朝日」を吸って、なか/\去ろうとしない。
薪は百姓に取って、売るにはあまりに安かった。それで、二年分もあるのだが、自分の家に焚きものとするとて、畠のつゞきの荒らした所へ高く積み重ねて、腐らないように屋根を作りつけて、かこって置くのだ。
「よいしょ。」
「よい来た。」
「よいしょ。」
「よい来た。」
宗保は、ねそを掴んで提げて来る薪を一把一把積み重ねて行った。西山は、下駄をはいていた。五十把ほど運んだ頃、プスリとその鼻緒を切ってしまった。跛を引きだした。細長い、長屋のように積重ねられて行く薪は、背丈けほどの高さになった。宗保は、後藤と西山とが下から両手で差上げる薪束を、その上から受け取った。彼が歩くと薪の塚は崩れそうにゆさ/\と揺れた。
「ちょっと手伝えよ、そんなに日向ぼっこばかりしとらんで。」後藤はスパイにからかった。「遊んどって月給が貰えるんだから、そんなべら棒な仕事はないだろう。」
スパイは苦笑した。
「よいしょ。」
「よい来た。」
「よいしょ。」
「よい来た。」
薪は、積重ねられて、だん/\に家ほどの高さになってきた。五月の太陽はうら/\と照っていた。笹や、
「おい/\、こいつ居眠りをしているよ」暫らくして後藤は西山の耳もとへきて囁いた。
「············」
見ると、スパイは、日あたりのいゝ、積重ねられた薪の南側に腰をおろしてうつら/\櫓をこいでいた。
人の邪魔をしながら、いい気になっていやがるんだ、と西山は思った。彼は何か胸にむら/\とするものを感じた。
「やったろうか!」彼は後藤に囁いた。
「うむ。」後藤の眼はうなずいた。
彼はゆさ/\崩れそうにゆれる薪の上を歩いている宗保に手で合図をした。
宗保が、揺れる薪の上からおりて来ると、三人は、スパイが居眠りをしているのとは反対の北側へ集った。そして、家のようなうず高い薪の堆積にぐいと力を入れた。薪は、なだれのように、居眠りをしている×××の頭上を××××、××した。ぐしゃッと人間の肉体が××××音が薪の崩れ落ちる音にまじった。
「あ、あぶない、あぶない。薪がひとりでに崩れちゃったよ」
三人は、大声をあげて人に聞えるように叫んだ。
それが、メーデーに於ける彼等の、せめてもの心慰めだった。
(一九三〇年四月)