夕食前の
小半時、
巴里のキャフェのテラスは特別に混雑する。一日の仕事が
一段落ついて、今少しすれば食欲
三昧の時が来る。それまでに心身の緊張をほぐし、
徐ろに食欲に呼びかける時間なのだ。どのテーブルにもアペリチーフの
杯を前にした男女が仲間とお
喋りするか、
煙草の煙を輪に吹きながら
往来を眺めたりしている。フランス人特有の
身振の多い
饒舌の中にも、この時
許りはどこかに
長閑さがある。アペリチーフは食欲を呼び
覚ます酒
||男は
大抵エメラルド・グリーンのペルノーを、女は
真紅のベルモットを好む。新鮮な色彩が眼に、
芳醇な香が鼻に、ほろ苦い味が舌に
孰れも
魅力を
恣にする。
午後七時になるとレストラントの
扉が
一斉に開く。誰が決めたか知らない
食道法律が、この時までフランス人の
胃腑に休息を命じている。
フランス人は世界中で一番食べ意地の張った国民である。一日の中で食事の時間を何より大切な時間と考えている。
傍で見ていると、何とも
云えず幸福そうに見える。それは味覚の世界に
陶酔している姿に見える。
恐らく大革命の騒ぎの
最中でも、世界大戦の混乱と
動揺の中でも、食事の時だけはこういう態度を持ち続けたであろう。
巴里のレストラントを一軒一軒食べ歩くなら、半生かかっても全部
廻れないと人は云っている。いくらか
誇張的な言葉かとも
聞えるが、
或は本当かも
知れない。日本では震災後、東京に飲食店が
夥しく
殖えたが、それは飲食店開業が一番手早くて、どうにかやって行けるからだと聞いた。
然し巴里のレストラントの数は東京の比ではない。それは東京に
於けるような経済的理由からではなくて、もっと他に深い理由がありはしないだろうか。
兎に
角中流以下のレストラントには必ず何人かの
常客がいて、毎日同じテーブルに同時間に同じ顔を見ることが
出来る。私のような外国人でも二三日続けて行くと「あなたのナプキンを決めましょうか」と聞く。ナプキンを決めておけば食事
毎にその洗濯代として二十五サンチームぐらいの
小銭を支払わなくても済むからである。
ルクサンブルグ公園にある上院の正門の
筋向いにあって、議場の討論に
胃腑を
空にした上院議員の連中が自動車に乗る面倒もなく
直ぐ
駈けつけることの
出来るレストラン・フォワイヨ、マデレンの
くろずんだ巨大な
寺院を背景として一日中自動車の
洪水が
渦巻いているプラス・ド・マデレンの
一隅にクラシックな品位を保って
慎ましく存在するレストラン・ラルウ、そこから
程遠くないグラン・ブールヴァルの裏にある魚料理で名を売っているレストラン・プルニエール、セーヌ河を
距ててノートルダムの
尖塔の見える
鴨料理のツールダルジャン等一流の料理屋から、テーブルの
脚が妙にガタつき
縁のかけたちぐはぐの皿に
曲ったフォークで一食五フラン(約四十銭)ぐらいの安料理を食べさせる
場末のレストラントまで数えたてたら、
巴里のレストラントは
一体何千軒あるか
判らない。
牛の
脊髄のスープと
云ったような
食通を
無上に喜ばせる
洒落た種類の料理を食べさせる一流の料理店から
葱のスープを食べさせる安料理屋に至るまで、巴里の料理は値段相当のうまさを持っている。たとえ、一皿二フランの肉の料理でも、十分に食欲と味覚は満足させてくれる。
所謂美食に
飽きた食通が
うまいものを探すのは中流の料理屋に
於てである。巴里の料理屋にはどこにも必ずその家の
特別料理と称するものが二三種類ある。美食探険家はこういう中流料理屋のスペシャリテの中に思わぬ味を探し当てることがあるという。
巴里に行った人で一度はレストラン・エスカルゴの
扉を
排しないものはないであろう。エスカルゴとは
蝸牛のことで、レストラン・エスカルゴは蝸牛料理で知られている店である。この店も一流料理屋の列に当然加わるべき資格を持っている。
一体蝸牛は形そのものが
余りいい感じのものではない。
而もその肉は非常に
こわくて弾力性に富んでいる。これを食べるには
余程の勇気がいる。フランス人に
云わせれば
牡蠣だって形は感じのいいものではない。ただ牡蠣は水中に住み、蝸牛は地中に住んでいるだけの相違だ。人間が新しい食物に
馴れるまでには蝸牛に対するのと同じ
気味悪さを経験したに違いないと主張する。云われて見ればそうかも
知れないが、日本人にとっては
無気味此上もないものである。
蝸牛はどれでもこれでも食べられるのではなくて、レストラン・エスカルゴ等で食べさせるのはブルゴーニュという地方で産するものである。この地方に産するものが一番
旨いものとされている。
食用蝸牛の
養殖は
一寸面倒な事業だそうである。その養殖場には
日蔭をつくるための
樹林と
湿気を呼ぶ
苔とが必要である。市場に売り出すものは子供でなくてはならないので、一年に一度子供を親から
別居させなければならない。そして蝸牛の
需要は秋から冬にかけてであるため、その頃になると蝸牛は土の中にもぐってしまうから、養殖者は
丁度芋を掘るように木の棒で掘り出さなければならない。掘り出したものは何度も何度も洗ったり
泥を
吐かせたりしなければならぬ。寒い季節になると
巴里の魚屋の店頭にはこうして産地から来た蝸牛が
籠の中を
這い
廻っている。
蝸牛料理はまだ一種類しかない。それは蝸牛の肉を
茹でて
軟かくしたものを上等のバタと細かく
刻んだ
薄荷とをこね
合せたものと一緒にして
殻に詰めるだけのことである。
然しこの簡単な料理にもなかなか
熟練を要するという。蝸牛の季節には巴里のレストラントのメニュウには
大抵それが
載っている。
或る養殖家の話では巴里で一年に食べられる蝸牛の数は約七千万匹で、それを積み重ねると巴里の
凱旋門よりも高くなるというから大したものである。
蛙を食べ始めたのもフランス人だと聞いた。食用蛙は
近来日本でも養殖されるが、本場のフランスに
於てさえまだなかなか
普遍的な食物とはなっていないようだ。その点から云えば蛙より
蝸牛の方が
遥かに
優っている。蛙料理は上等のバタでフライにしてトマトケチャップをかけて食べる。上等のバタを使うので、
出来上りが
ねっとりしていて
些か
無気味に感ぜられる。蛙は
寧ろラードのようなもので
からりと
揚げた方があっさりしていてよくはないだろうか。
蛙や蝸牛などのグロテスクなものを
薄気味悪い思いをしてまで食べなくとも、
巴里には
甘い料理がいくらもある。
ラングストと
云っている大きな
蝦の味は忘れかねる。これは地中海で
獲れる蝦で、
塩茹にしてマヨネーズソースをつけて食べる。
伊勢蝦よりもっと味が細かい。
芝蝦より
稍々大きいラングスチンと呼ぶ蝦は
鋏を持っている。鋏を持っている蝦は
一寸形が
変っていて変だが、これがまたなかなかうまい。
殊にオリーブ油で日本式の
天麩羅にするといい。
日本は
四方海に囲まれているから海の
幸は利用し
尽している
筈だが、たった一つフランスに負けていることがある。それは
烏貝がフランス
程普遍的な食物になっていないことだ。日本では海水浴場の岩角にこの烏貝が
群っていて、うっかり
踏付けて足の裏を切らないよう用心しなければならない。あんなに
沢山ある貝が食べられないものかと子供の時によく考えたことだが、それがフランスへ行って、始めて子供の時の
不審を解決することが出来た。烏貝はフランス語でムールと云う。このムールのスープは冬の夜など
夜更しして少し
空服を感じた時食べると一等いい。
日本に始めて渡来した西洋料理がポークカツレツ
||通称トンカツであったかどうかは知らないが、西洋にいても日本人はよくこのトンカツを食べたがる。ところがこのトンカツなるものが西洋の
何処へ行っても
一向見当らないので失望する人が多い。イギリスのレストラントへ行ってメニュウを探して見るとポークカツレツというのがあるから、喜んで注文するとそれはわれわれの予期するカツレツではなくて日本の
所謂ポークチャップであった。トンカツは英語と考えている人があると見える。
倫敦で会った人の話に、その人もトンカツを英語とばかり思っていたので、レストラントへ行ってトンカツレツをくれと
云ったがどうしても通じないで非常に弱ったそうだ。
トンカツに
巡り会わない日本人はようやくその代用品を見つけて、衣を着た肉の
揚物に対する
執着を
充たすだけで我慢しなければならぬ。それは
犢の肉のカツレツである。フランスではコトレツ・ミラネーズと云い、ドイツではウィンナー・シュニッツレルと云う。
フランス人はその名の示すようにこの料理を
伊太利ミラノのコトレツと考え、ドイツ人は
墺太利の
首府ウィーンの料理と考えているらしい。
差当ってこの両都市で
本家争を
起すべきである。コトレツ・ミラネーズとウィンナー・シュニッツレルの
異るところは前者は伊太利風のマカロニかスパゲチを付け
合せとして
居り、後者が
馬鈴薯を主な付け合せとしていることで、そこに両本家の特色を表わしている。