序
ぼくは農 学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌 を公開 する。どうせぼくは字も文章 も下手 だ。ぼくと同じように本気に仕事 にかかった人でなかったらこんなもの実 に厭 な面白 くもないものにちがいない。いまぼくが読み返 してみてさえ実に意気地 なく野蛮 なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方 ない。ぼくらは空想 でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂 田舎臭 いものに変 ってしまう。
ぼくはひがんで云 うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽 べつする人がきっと沢山 あるだろう。そんなやつをぼくは叩 きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬 むことしかできないやつらはいちばん卑怯 なものだと思う。ぼくのように働 いている仲間 よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界 から無 くしてしまおうでないか。
ぼくはひがんで
一九二五、四月一日 火曜日 晴
今日から新らしい一学期 だ。けれども学校へ行っても何だか張合 いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居 ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶 を待 ってそっと横眼 で威張 っている卑怯 な上級生 が居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低 い天井裏 が無 くなったような気もするけれどもまた支柱 をみんな取 ってしまった桜 の木のような気もする。今日の実習 にはそれをやった。去年 の九月古い競馬場 のまわりから掘って来て植 えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根 がでるころなのに西風はまだまだ吹 くから幹 がてこになってそれを切るのだ。けれども菊池 先生はみんな除 らせた。花が咲 くのに支柱があっては見っともないと云 うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余 もある。菊池先生は春になったのでただ面白 くてあれを取ったのだとおもう。
その古い縄 だの冬の間のごみだの運動場 の隅 へ集 めて燃 やした。そこでほかの実習の組の人たちは羨 ましがった。午前中その実習をして放課 になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后 はみんなでテニスコートを直 したりした。
その古い
四月二日 水曜日 晴
今日は三年生は地質 と土性 の実習だった。斉藤 先生が先に立って女学校の裏 で洪積層 と第 三紀 の泥岩 の露出 を見てそれからだんだん土性を調 べながら小船渡 の北上 の岸 へ行った。河 へ出ている広い泥岩の露出で奇体 なギザギザのあるくるみの化石 だの赤い高師小僧 だのたくさん拾 った。それから川岸を下って朝日橋 を渡 って砂利 になった広い河原 へ出てみんなで鉄鎚 でいろいろな岩石の標本 を集 めた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立って向 うの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時頃 うちへ帰った。
そして晩 まで垣根 を結 って手伝 った。あしたはやすみだ。
そして
四月三日 今日はいい付 けられて一日古い桑 の根掘 りをしたので大へんつかれた。
四月四日、上田君 と高橋君 は今日も学校へ来なかった。上田君は師範 学校の試験 を受 けたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農 学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家で稼 いでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年 の旱魃 がいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀 するだろう。それへ較 べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫 れたのだからいい方だ。今年は肥料 だのすっかり僕 が考えてきっと去年の埋 め合せを付 ける。実習 は苗代掘 りだった。去年の秋小さな盛 りにしていた土を崩 すだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量 と園芸 が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無 くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身 は農事試験場へ行った工藤 さんから譲 られてあるから残 りは九冊 だけだ。
四月五日 日
四月六日 月
今日は入学式 だった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦 しそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴 れ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年はみんな僕 らのようになってまた新入生をわらう。そう考 えると何だか変 な気がする。伊藤君 と行って本屋 へ教科書を九冊 だけとっておいてもらうように頼 んでおいた。
四月七日 火、朝父から金を貰 って教科書を買った。
そして今日から授業 だ。測量 はたしかに面白 い。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑 でほんとうの反別 になっている処 がないと武田 先生が云 った。それだから仕事 の予定 も肥料 の入れようも見当がつかないのだ。僕 はもう少し習 ったらうちの田をみんな一枚 ずつ測 って帳面 に綴 じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年 の旱魃 の埋 め合せと、それから僕の授業料 ぐらいを穫 ってみせる。実習は今日も苗代掘 りだった。
四月八日 水、今日は実習 はなくて学校の行進歌 の練習 をした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧 しつけられるようであの行進歌 はきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭が痛 くなるような気がする。実習 のほうが却 っていいくらいだ。学校から纏 めて注文 するというので僕 は苹果 を二本と葡萄 を一本頼 んでおいた。
四月九日〔以下空白〕
一千九百
まだ朝の風は冷 たいけれども学校へ上り口の公園の桜 は咲 いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好 きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙 の卵 のような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠 むのろのろしたような昔 の人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕 はもっと好きだったかも知れない。誰 も桜が立派 だなんて云 わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫 んだかも知れない。僕は却 ってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕陽 になんか照 らされたらいくら立派だか知れない。
今日の実習は陸稲播 きで面白 かった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくは杭 を借 りて来て定規 をあてて播いた。種子 が間隔 を正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽 を出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣 が三つ四つある。実習している間になんべんも降 りたのだ。けれども飛 びあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。
今日の実習は
一千九百二十五年五月六日
今日学校で武田 先生から三年生の修学旅行 のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発 って二十三日まで札幌 から室蘭 をまわって来るのだそうだ。先生は手に取 るように向 うの景色 だの見て来ることだの話した。
津軽海峡 、トラピスト、函館 、五稜郭 、えぞ富士 、白樺 、小樽 、札幌の大学、麦酒 会社、博物館 、デンマーク人の農場 、苫小牧 、白老 のアイヌ部落 、室蘭 、ああ僕 は数 えただけで胸 が踊 る。五時間目には菊池 先生がうちへ宛 てた手紙を渡 して、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行かれるのだそうだ。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それは県 の規則 が全級 の三分の一以上 参加 するようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円納 めるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内藤 君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父が居 ないので母へだけ話したけれども母は心配 そうに眼 をあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大きな手帳 へ二冊 も書いて来て見せよう。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それは
五月七日
今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼 ねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相談 するからと云った。祖母 や母に気兼ねをしているのかもしれない。
五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちでは誰 も何とも云わない。だから僕 はずいぶんつらい。
五月九日、
三時間目に菊池 先生がまたいろいろ話された。行くときまった人はみんな面白 そうにして聞いていた。僕は頭が熱 くて痛 くなった。ああ北海道、雑嚢 を下げてマントをぐるぐる捲 いて肩 にかけて津軽海峡 をみんなと船で渡 ったらどんなに嬉 しいだろう。
五月十日 今日もだめだ。
五月十一日 日曜 曇 午前は母や祖母 といっしょに田打 ちをした。午后 はうちのひば垣 をはさんだ。何だか修学旅行 の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授業 の時間に行く人を調 べたり旅行の話をしたりしなければいいのだ。
北海道なんか何だ。ぼくは今に働 いて自分で金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。
五月十二日、今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。みんなは僕 だの斉藤君 だの行かないので旅行が不成立 になると云 ってしきりに責 めた。武田 先生まで何だか変 な顔をして僕に行けと云う。僕はほんとうにつらい。明后日 までにすっかり決 まるのだ。夕方父が帰って炉 ばたに居 たからぼくは思い切って父にもう一度 学校の事情 を云った。
すると父が母もまだ伊勢詣 りさえしないのだし祖母 だって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡 り一ぺんしただけこの十何年死 ぬまでに善光寺 へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年 からのここら全体 の旱魃 でいま外へ遊 んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪 くてどうもいけないということを云った。
僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙 がこぼれて仕方 なかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云 った。ぼくはみんなが修学旅行 へ発 つ間休みだといって学校は欠席 しようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談 するからと云ってあとはいろいろ稲 の種類 のことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持 ちがさっぱりした。
五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人居 て何だか嬉 しそうにして田の畦 を切っていた。
何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
けれども父はまだ帰って来ない。
五月十四日、昨夜 父が晩 く帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろ向 うのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道開拓当時 のことらしくて熊 だのアイヌだの南瓜 の飯 や玉蜀黍 の団子 やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田 先生へ行くと云 って届 けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員 を超 えたことにして県 へは申請書 を出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳 しく話すのだ。
一九二五、五、一八、
汽車は闇 のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡 の上のそらがまだぼうっと明るく濁 って見える。黒い藪 だの松林 だのぐんぐん窓 を通って行く。北上 山地の上のへりが時々かすかに見える。
さあいよいよぼくらも岩手県 をはなれるのだ。
うちではみんなもう寝 ただろう。祖母さんはぼくにお守 りを借 してくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻 ってみんなの席 の工合 や何かを見て行った。
さあいよいよぼくらも
うちではみんなもう
一九二
五月十九日
*
いま汽車は青森県の海岸 を走っている。海は針 をたくさん並 べたように光っているし木のいっぱい生 えた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太平洋 なのだ。その向 うにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だか変 な気がする。
海が岬 で見えなくなった。松林 だ。また見える。次 は浅虫 だ。石を載 せた屋根 も見える。何て愉快 だろう。
*
青森の町は盛岡 ぐらいだった。停車場 の前にはバナナだの苹果 だの売る人がたくさんいた。待合室 は大きくてたくさんの人が顔を洗 ったり物 を食べたりしている。待合室で白い服 を着 た車掌 みたいな人が蕎麦 も売っているのはおかしい。
*
船はいま黒い煙 を青森の方へ長くひいて下北半島 と津軽 半島の間を通って海峡 へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影 は波 にうつって黒い鏡 のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重 の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸 にわずかの砂浜 があってそこには巨 きな黒松 の並木 のある街道 が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建 っていてそこの浜には五、六そうの舟 もある。
さっきから見えていた白い燈台 はすぐそこだ。ぼくは船が横 を通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手 だといいんだけれども僕 は絵は描 けないから覚 えて行ってみんな話すのだ。風は寒 いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔 わない。ほかにも誰 も酔ったものはない。
*
いるかの群 が船の横を通っている。いちばんはじめに見附 けたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波 から抜 け出て小さな弧 を描 いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付 けの姿勢 で水を出たり入ったりしているようで滑稽 だ。
先生も何だかわからなかったようだが漁師 の頭 らしい洋服 を着 た肥 った人がああいるかですと云 った。あんまりみんな甲板 のこっち側 へばかり来たものだから少し船が傾 いた。
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合 がわるくなってきた。
*
いま汽車は函館 を発 って小樽 へ向 って走っている。窓 の外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢 のようだ。
巨 きな桜 へみんな百ぐらいずつの電燈 がついていた。それに赤や青の灯 や池にはかきつばたの形した電燈 の仕掛 けものそれに港 の船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜 からよく寝 ないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色 は忘 れない。それからひるは過燐酸 の工場と五稜郭 。過燐酸石灰 、硫酸 もつくる。
いま汽車は青森県の
海が
*
青森の町は
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船はいま黒い
さっきから見えていた白い
*
いるかの
先生も何だかわからなかったようだが
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか
*
いま汽車は
五月廿日
*
いま窓 の右手にえぞ富士 が見える。火山だ。頭が平 たい。焼 いた枕木 でこさえた小さな家がある。熊笹 が茂 っている。植民地 だ。
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いま小樽 の公園に居 る。高等商業 の標本室 も見てきた。馬鈴薯 からできるもの百五、六十種 の標本が面白 かった。
この公園も丘 になっている。白樺 がたくさんある。まっ青 な小樽湾 が一目だ。軍艦 が入っているので海軍には旗 も立っている。時間があれば見せるのだがと武田 先生が云った。ベンチへ座 ってやすんでいると赤い蟹 をゆでたのを売りに来る。何だか怖 いようだ。よくあんなの食べるものだ。
*
いま
*
いま
この公園も
*
一千九百廿五年十月十六日
一時間目の修身 の講義 が済 んでもまだ時間が余 っていたら校長が何でも質問 していいと云った。けれども誰 も黙 っていて下を向 いているばかりだった。ききたいことは僕 だってみんなだって沢山 あるのだ。けれどもぼくらがほんとうにききたいことをきくと先生はきっと顔をおかしくするからだめなのだ。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信 ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示 さないのだろう。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと
一千九百廿五年十月廿五日
今日は土性調査 の実習 だった。僕 は第 二班 の班長で図板 をもった。あとは五人でハムマアだの検土杖 だの試験紙 だの塩化加里 の瓶 だの持 って学校を出るときの愉快 さは何とも云 われなかった。谷 先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別々 のコースをとって調査にかかった。僕は郡 で調 べたのをちゃんと写 して予察図 にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっ ていない。猿ヶ石 川の南の平地 に十時半ころまでにできた。それからは洪積層 が旧天王 の安山集塊岩 の丘 つづきのにも被 さっているかがいちばんの疑問 だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭 を丘の頂部 近くで見附 けた。結局 洪積紀 は地形図の百四十米 の線以下 という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育 ち工合 や何かを参照 して決 めた。ぼくは土性の調査よりも地質 の方が面白 い。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取 っていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松林 の中だの萱 の中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子 も飛 んだ。
耕地整理 になっているところがやっぱり旱害 で稲 は殆 んど仕付 からなかったらしく赤いみじかい雑草 が生 えておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所 も少しも分蘖 せず赤くなって実 のはいらない稲がそのまま刈 りとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為 にしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性 もすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来 は反当 三石 まではとれるようにできると思う。
午后 一時に約束 の通り各班 が猿ヶ石 川の岸 にあるきれいな安山集塊岩 の露出 のところに集 った。どこからか小梨 を貰 ったと云 って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗 りなおしたりした。先生はその場所 では誰 のもいいとも悪 いとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩 だの三紀 の泥岩 だのまではいった込 んだ地質 や土性のところを教わってあるいた。図は次 の月曜までに清書 して出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直 してもらったら次の日曜に高橋君 を頼 んで僕のうちの近所 のをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積 と沖積 があるきりだしずっと簡単 だ。それでも肥料 の入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対 にやってるんでないかと思う。
ぼくらは
萱の中からは何べんも
やっと仕付かった
ぼくはあの図を出して先生に
一九二五、十一月十日。
今日実習 が済 んでから農舎 の前に立ってグラジオラスの球根 の旱 してあるのを見ていたら武田 先生も鶏小屋 の消毒 だか済んで硫黄華 をずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかり取 って僕に呉 れた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高価 い種類 だよ。君 にだけやるから来春植 えてみたまえと云った。すると農場の方から花の係 りの内藤 先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくは変 な気がしたけれども仕方 なくポケットへ入れた。すると武田先生は急 いで農舎の中へはいって農具 だか何だか整理 し出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へ返 して、急いで校舎へ入って実習服 を着換 えてうちに帰った。
一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、
本にある通りの
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと
一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午 から七時まで番水 があたったので樋番 をした。何せ去年 からの巨 きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛 けてこぼこぼはっていく温 い水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲 になったような気がした。そしてぼくが桃 いろをした熱病 にかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸 いあげているのだった。どきっとして眼 をさました。水がこぼこぼ裂目 のところで泡 を吹 きながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
水が来なくなって下田の代掻 ができなくなってから今日で恰度 十二日雨が降 らない。いったいそらがどう変 ったのだろう。あんな旱魃 の二年続 いた記録 が無 いと測候所 が云 ったのにこれで三年続くわけでないか。大堰 の水もまるで四寸 ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。
三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐 れまで行ってみたら権十 がこっちをとめてじぶんの方へ向 けていた。ぼくはまるで権十が甘藍 の夜盗虫 みたいな気がした。顔がむくむく膨 れていて、おまけにあんな冠 らなくてもいいような穴 のあいたつばの下った土方 しゃっぽをかぶってその上からまた頬 かぶりをしているのだ。
手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、農 学校終 ったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗 んで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直 した。やっぱり権十はぼくを子供 だと思ってぼくだけ居 たものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯 なやつらはみんな片 っぱしから叩 きつけてやるから。
一千九百二十七年八月廿一日
ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが············を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。