セーヌの
河波の上かわが、
白ちゃけて来る。風が、うすら冷たくそのうえを上走り始める。中の島の岸杭がちょっと
虫ばんだように
腐ったところへ渡り鳥の
ふんらしい
斑がぽっつり光る。
柳が、気ぜわしそうにそのくせ
淋しく
揺れる。橋が、夏とは違ってもっとよそよそしく乾くと、
靴より、日本の
ひより下駄をはいて歩く音の方がふさわしい感じである。巴里に秋が来たのだ。いつ来たのだろう、夏との
袂別をいつしたとも見えないのに秋をひそかに巴里は迎えいれて、むしろ人達を
惑わせる。そうなると、
街路樹の葉が
枯葉となって女や男の冬着の
帽や服の肩へ落ち重なるのも間のない事だ。
ハンチングを横っちょにかむり、何か
腹掛けのようなものを胸に当てたアイスクリーム屋のイタリー人が、いつか
焼栗売りに
変っている。とある
街角などでばたばたと火を
煽ぎながら、
||は、いらはい、いらはい、早いこと! 早いこと! アイスクリームの寒帯から早く焼栗屋の熱帯へ
······は、いらはい、いらはい。
空には今日も
浮雲が
四抹、五抹。そして流行着のマネキンを乗せたロンドン
通いの飛行機が
悠長に飛んで行く。
||いよいよね。今月
一ぱいで店を
畳んで、はあ、ツール在の土となるまでの巣を見つけて買い取りましたよ。巴里にも三十年、まあ三十年もまめに働けばもう、楽に穴にもぐって行く
時節が来たというものですよ。
パッシー通りで夫婦
揃って食料品店で働き抜いた五十五、六の男の自然に
枯れた声も秋風のなかにふさわしい。男は
小金を
貯めた。多くの巴里人のならわし通りこの男も老後を七、八十
里巴里から離れた
田舎へ
恰好な家を見付けて
買取り、コックに一人の女中ぐらい置いて夫婦の後年を
閑居しようという人達だ。
||店の
跡を
譲った人も
素性はよし(もちろん売り渡したのだが)安心して
引込めますよ。この秋は
邸のまわりの栗の樹からうんと実もとれますし、来秋から邸についた
葡萄畑で素敵な新酒を造りますよ。どうぞおひまを見てお訪ね下さい。
相手になっているのは、これも勤勉な
隣街の大きな靴店のおやじだ。
ひるひとときはひっそりとする
巴里。ひるのひとときが夜のひそけさになる巴里。秋は
殊さらひそかになる昼だ。
何処か
寂然として、
瓢逸な街路便所や
古塀の壁面にいつ誰が
貼って行ったともしれないフラテリニ兄弟の喜劇座のビラなどが、少し
捲れたビラじりを風に動かしていたりする。
ブーロウニュの森の
一処をそっくり運んで来たようなショーウインドウを見る。枯れてまでどこ
迄もデリカを失わない
木の葉のなかへ、スマートな男女
散策の人形を置いたりしている。オペラ通りなどで、そんなデリカなショーウインドウとは似てもつかないけばけばしいアメリカの金持ち女などが
停ち
止って
覗いているのなどたまたま眼につく。キャフェのテラスに並んでうそ寒く肩をしぼめながら
誂えたコーヒの色は
一きわ
きめこまかに濃く色が沈んで、
唇に
当るグラスの親しみも
余計しみじみと感ぜられる。店頭に出始めたぬれたカキの
からのなかに弾力のある身が
灯火に光って並んでいる。
路傍の犬がだんだんおとなしくしおらしく見え出す。西洋の犬は日本の犬のように人を見ても
吠えたりおどしたりしない、その犬たちが秋から冬はよけいにおとなしく人なつこくなる。
公園で子を遊ばしている
子守達の会話がふと耳に入る。
十八、九なのが二つ三つ年上の
編物を
覗き込みながら、
||あんた、まだそれっぽっち。
||だってあのおいたさんを遊ばせながらだもの。
なるほど、
傍で砂いじりしている子はおいたさんと呼ばれるほどの一くせありげないたずらっ子の
男児だ。
||だけど、その帽子の色
好いね、ほんとに。あんた毛糸の色の見立てがうまいよ。
||うん。
||あら、やに
無愛想だね。またあの
兄んちゃんのことでも考えてるんだろ。
||からかうにもさ、リヨン
訛じゃ
遣り切れないよ、このひと、いいかげんにパリジェンヌにおなりよ。
十八、九のは少し
赧くなりながら、
||大きなお世話さ。
||だってさ、お前さんのあの人だって、いつまでもリヨン訛じゃやり切れまいさ。
||大きなお世話さ。
十八、九のはてれ
隠しに自分の
守り
児のかぼそい女の児を抱き上げて、
||芝居季節が近づいたんでこの子のお母さん
巴里へ帰って来るってさ。
||あのスウィツルの女優かえ、
又違ったお父さんの子でも連れて帰るんだろ。
夕ぐれ、めっきり水の細った秋の公園の噴水が
霧のように淡い水量を
吐き出している
傍を
子守達は子を乗せた
乳母車を押しながら
家路に帰って行く。