このごろ未刊随筆百種のうちの「
江戸末期の文久二年の秋||わたしの叔父はその当時二十六歳であったが、江戸幕府の命令をうけて
八月から九月にかけてひと月あまりは、無事に城下や近在を
しかし本街道をゆく時は、敵に追跡されるおそれがあるので、叔父は反対の方角にむかって、山越しに越前の国へ出ようと企てた。その途中の
叔父は足の達者な方であったが、なんといっても江戸育ちであるから、毎日の山道に疲れ切って、道中は一向にはかどらない。もう一里ばかりで下大須へたどり着くころに、九月の十七日は暮れかかって奥山のゆう風が身にしみて来た。糸貫川とは遠く離れてしまったのであるが、路の一方には底知れぬほどの深い大きい谷がつづいていて、
さりとて元へ引っ返すわけにも行かないので、疲れた足をひきずりながら、心細くも進んでゆくと、ここらは霜が早いとみえて、路ばたのすすきも半分は枯れていた。その枯れすすきのなかに何だか細い路らしいものがあるので、何ごころなく透かしてみると、そこの一面に生い茂っているすすきの奥に五、六本の
「ともかくも行ってみよう。」
すすきをかき分けて踏み込んでみると、果たしてそれは一軒の人家で表の板戸はもう閉めてある。その板戸の
戸をたたいて案内を乞うと、僧は出て来た。叔父は行き暮らした旅商人であることを告げて、ちっとの間ここに休ませてくれまいかと頼むと、僧はこころよく承知して内へ招じ入れた。彼は炉の火を焚きそえて、湯を沸かして飲ませてくれた。
「この通りの山奥で、朝夕はずいぶん冷えます。それでもまだこの頃はよろしいが、十一月十二月には雪がなかなか深くなって、土地なれぬ人にはとても歩かれぬようになります。」
「雪はどのくらい積もります。」
「年によると、一
「一丈······。」と、叔父もすこし驚かされた。まったく今頃だからいいが、冬にむかって
「お前、ひもじゅうはござらぬか。」と、僧は言った。「なにしろ五穀の
彼は木の実を盆に盛って出した。それは
「おまえはお江戸でござりますか。」と、僧は
「さようでございます。」
「わたしもお江戸へは三度出たことがありましたが、実に繁昌の地でござりますな。」
「三度も江戸へお下りになったのでございますか。」
「はい。しばらく鎌倉におりましたので······。」と、僧はむかしを
「道理で、あなたのお言葉の様子がここらの人たちとは違っていると思いました。」と、叔父はうなずいた。
「そうかも知れませぬ。しかし、わたしはこの土地の生れでござります。しかもここの家で生れたのでござります。」
彼はうつむいて、そのやさしい眼を薄くとじた。その顔には一種の暗い影を宿しているようにも見られた。叔父は又訊いた。
「では、鎌倉へは御修業にお出でなされたのでございますか。」
「わたしが十一のときに、やはり大垣から越前を越えてゆくという旅の出家が一夜の宿をかりました。その出家がわたしの顔をつくづく見て、おまえも出家になるべき
生来鈍根と卑下しているが、彼の人柄といい物の言い振りといい、決して愚かな人物とはみえない。しかも鎌倉の
「それで、唯今ではここにお住居でございますか。再び鎌倉へお戻りにならないのでございますか。」
「当分は戻られますまい。」と、僧は答えた。「ここへ帰って来て丸三年になります。これから三年、五年、十年······。あるいは一生······。鎌倉はおろか、他国の土を踏むことも出来ぬかも知れませぬ。」
「御両親は······。」と、叔父は訊いた。
「父も母もこの世にはおりませぬ。ほかに一人の妹がありましたが、これも世を去りました。」
と、僧は暗然として仏壇をみかえった。
「どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったのでございますか。」
「そうでござります。」と、僧は低い溜息をついた。「妹はわたしの二十四の年に歿しました。その翌年に母が亡くなりました。又その翌年に父が死にました。」
「三年つづいて······。」と、叔父も思わず眉をよせた。
「はい、三年のうちに両親と妹がつづいて世を去ったのでござります。なにしろこんな
「ごもっともで······。お察し申します。」と、叔父も同情するようにうなずいた。「それから引きつづいてここにおいでになるのでございますか。」
「両親はなし、妹はなし、こんなあばら家一軒、捨てて行っても惜しいことはないのですが······。ある物に引留められて、どうしてもここを立去ることが出来なくなりました。唯今も申す通り、三年、五年、十年······。あるいは一生でも······。その役目を果たさぬうちは、ここを動くことが出来なくなったのでござります。」
ある物に引留められて||その謎のような言葉の意味が叔父には判らなかった。あるいは両親や妹の墓を守るという事かとも思ったが、それならば当分といい、又は三年五年などという
叔父はその晩、そこに泊めてもらうことになった。初めにそれを言い出したときに、僧は迷惑そうな顔をして断わった。
「これから下大須までは一里余りで、そこまで行けば十五、六軒の人家もあります。旅の人のひとりや二人を泊めてくれるに不自由のない家もあります。お疲れでもあろうが、辛抱してそこまでお出でなされたがよろしゅうござります。」
しかし叔父は疲れ切っていた。殊に平地でもあることか、この嶮しい山坂をこれから一里あまりも登り降りするのは全く難儀であるので、叔父はその事情を訴えて、どんな隅でもいいから今夜だけはここの家根の下においてくれと頼んだ。
「何分にも土地不案内の夜道でございますから、ひと足踏みはずしたら、深い谷底へ真っ逆さまに
深い谷底||その一句をきいたときに、僧の顔色は又曇った。彼はうつむいて少し思案しているようであったが、やがてしずかに言い出した。
「それほどに言われるものを無慈悲にお断わり申すわけには参りますまい。勿論、夜の物も満足に整うてはおりませぬが、それさえ御承知ならばお泊め申しましょう。」
「ありがとうございます。」と、叔父はほっとして頭を下げた。
「それからもう一つ御承知をねがっておきたいのは、たとい夜なかに何事があっても、かならずお気にかけられぬように······。しかし熊や狼のたぐいはめったに人家へ襲って来るようなことはありませぬから、それは決して御心配なく······。」
叔父は承知して泊ることになった。寝るときに僧は雨戸をあけて表をうかがった。今夜は真っ暗で星ひとつ見えないと言った。こうした山奥にはありがちの風の音さえもきこえない夜で、ただ折りおりにきこえるのは、谷底に遠くむせぶ水の音と、名も知れない夜の鳥の怪しく啼き叫ぶ声が
「おまえはお疲れであろう、早くお休みなさい。」
叔父には寝道具を出してくれて、僧はふたたび仏壇の前に向き直った。彼は低い声で経を読んでいるらしかった。叔父はふだんでもよく眠る方である。殊に今夜はひどく疲れているのであるが、なんだか眼がさえて寝つかれなかった。あるじの僧に
僧はある物に引留められて、ここに一生を送るかも知れないと言った。その「ある物」の意味を彼は考えさせられた。僧は又たとい何事があっても気にかけるなと言った。その「何事」の意味も彼は又かんがえた。
前者は僧の一身上に関することで、自分に係合いはないのであるが、後者は自分にも何かの係合いがあるらしい。それなればこそ僧も一応は念を押して、自分に注意をあたえてくれたのであろう。山奥や野中の一軒家などに宿りを求めて、種々の怪異に出逢ったというような話は、昔からしばしば伝えられているが、ここにも何かそんな秘密がひそんでいるのではあるまいか。
そう思えば、あるじの僧は見るところ
時の鐘など聞えないので、今が何どきであるか判らないが、もう真夜中であろうかと思われる頃に、僧はにわかに立上がって、叔父の寝息を
掛け蒲団を押しのけて、叔父もそっと
何とはなしにぞっとして、叔父はなおも耳をすましていると、それはどうしても笑うような声である。しかも生きた人間の声ではない。さりとて猿などの声でもないらしい。何か乾いた物と堅い物とが打合っているように、あるいはかちかちと響き、あるいはからからとも響くらしいが、又あるときには何物かが笑っているようにも聞えるのである。その笑い声||もしそれが笑い声であるとすれば、決して愉快や満足の笑い声ではない。冷笑とか嘲笑とかいうたぐいの
僧が注意したのはこれであろう。僧はこの声を他人に聞かせたくなかったのであろうと、叔父は推量した。この声は一体なんであるか。僧はこの声に誘われて、表へ出て行ったらしく思われるが、この声と、かの僧とのあいだにどういう関係がつながっているのか、叔父には容易に想像がつかなかった。自分ばかりでなく、誰にもおそらく想像はつくまいと思われた。そんなことを考えている間にも、怪しい声はあるいは止み、あるいは聞えた。
「おれも武士だ。なにが怖い。」
いっそ思い切ってその正体を突き留めようと、叔父は蒲団の下に入れてある護身用の
僧はどこへ行って何をしているのか、いつまでも戻らなかった。怪しい声も時どきに聞えた。どう考えても、何かの怪物が歯をむき出して
「ええ、どうでも勝手にしろ。」
叔父は
僧は起きていた。あるいは朝まで眠らなかったのかも知れない。いつの間にか水を汲んで来て、湯を沸かす支度などをしていた。炉にも赤い火が燃えていた。
「お早うございます。つい寝すごしまして······。」と、叔父は挨拶した。
「いや、まだ早うございます。ゆるゆるとおやすみなさい。」と、僧は笑いながら
家のうしろに
「いろいろ御厄介になりました。」
「この通りの始末で、なんにもお構い申しませぬ。ゆうべはよく眠られましたか。」と、僧は炉の火を焚き添えながら訊いた。
「疲れ切っておりましたので、枕に頭をつけたが最後、朝までなんにも知らずに寝入ってしまいました。」と、叔父は何げなく笑いながら答えた。
「それはよろしゅうござりました。」と、僧も何げなく笑っていた。
そのあいだにも叔父は絶えず注意していたが、怪しい笑い声などはどこからも聞えなかった。
別れて十間ばかり行き過ぎて振り返ると、僧は朝霜の乾かない土の上にひざまずいて、谷にむかって合掌しているらしかった。怪しい笑い声は谷の方から聞えたのであろうと叔父は想像した。
下大須まで一里あまりということであったが、実際は一里半を越えているように思われた。登り降りの難所を幾たびか過ぎて、ようようにそこまで行き着くと、果たして十五、六軒の人家が一部落をなしていて、中には相当の
「ゆうべはどこにお泊りなされた。松田からでは少し早いようだが······。」と、そのうちの老人が訊いた。
「ここから一里半ほども手前に一軒家がありまして、そこに泊めてもらいました。」
「坊さまひとりで住んでいる
人々は顔をみあわせた。
「あの御出家はどういう人ですね。以前は鎌倉のお寺で修業したというお話でしたが······。」
と、叔父も人々の顔を見まわしながら訊いた。
「鎌倉の大きいお寺で十六年も修業して、相当の一ヵ寺の住職にもなられるほどの人が、こんな山奥に引っ込んでしまって······。考えれば、お気の毒なことだ。」と、老人は心から同情するように溜息をついた。「これも何かの因縁というのだろうな。」
ゆうべの疑いが叔父の胸にわだかまっていたので、彼は探るように言い出した。
「御出家はまことにいい人で、いろいろ御親切に世話をしてくださいましたが、ただ困ったことには、気味の悪い声が夜通しきこえるので······。」
「ああ、おまえもそれを聞きなすったか。」と、老人はまた嘆息した。
「あの声は、······。あの
「まったく
「では、両親も妹もあの声のために死んだのですか。」と、叔父は思わず目をかがやかした。
「妹のことも知っていなさるのか。では、坊さまは何もかも話したかな。」
「いいえ、ほかにはなんにも話しませんでしたが······。してみると、あの声には何か深い訳があるのですね。」
「まあ、まあ、そうだ。」
「そこで、その訳というのは······。」と、叔父は畳みかけて訊いた。
「さあ。そんなことをむやみに言っていいか悪いか。どうしたものだろうな。」
老人は相談するように周囲の人々をみかえった。
人々も目を見合せて返答に躊躇しているらしかったが、叔父が繰返してせがむので、結局この人はすでにあの声を聞いたのであるから、その疑いを解くために話して聞かせてもよかろうということになって、老人は南向きの縁に腰をかけると、女たちは聞くを
「お前はここらに黒ん坊という物の棲んでいることを知っているかな。」と、老人は言った。
「知りません。」
「その黒ん坊が話の種だ。」
老人はしずかに話し始めた。
ここらの山奥には昔から黒ん坊というものが棲んでいる。それは人でもなく、猿でもなく、からだに薄黒い毛が一面に生えているので、俗に黒ん坊と呼び慣わしているのであって、まずは人間と猿との合の子ともいうべき怪物である。しかもこの怪物は人間に対して危害を加えたという噂を聞かない。ただ時どきに山中の
黒ん坊は
その黒ん坊と特別に
こうして幾年かを無事に送っているうちに、源兵衛はあるとき彼にむかって、冗談半分に言った。
「源蔵は鎌倉へ行ってしまって、もうここへは戻って来ないだろう。娘が年頃になったらば、おまえを婿にしてやるから、そのつもりで働いてくれ。」
女房も娘も一緒になって笑った。お杉はそのとき十四の小娘であった。その以来、黒ん坊は毎日かかさずに杣小屋へも来る。源兵衛の家へも来る。小屋へ来れば材木の運搬を手伝い、家に来れば水汲みや柴刈りや掃除の手伝いをするというふうで、彼は実によく働くのであった。ここらは雪が深いので、今まで冬期にはめったに姿を見せないのであったが、その後はどんな烈しい吹雪の日でも、彼はかならず尋ねて来て何かの仕事を手伝っていた。
ここらは山国で水の清らかなせいであろう、すべての人が色白で
こうして、結納の取交しも済んだ三月なかばの或る日の夕暮れである。春といっても、ここらにはまだ雪が残っている。その寒い夕風に吹かれながら、お杉は裏手の
「あれ、なにをするんだよ。」と、お杉はその手を振り払った。
多年馴れているので、
「あれ、お
その声を聞きつけて、源兵衛夫婦は内から飛んで出た。見るとこの始末で、黒ん坊はほの暗い夕闇のうちに火のような目をひからせながら、無理無体に娘を引っかかえて行こうとする。お杉は栗の大木にしがみ付いて離れまいとする。たがいに必死となって争っているのであった。
「こん畜生······。」
源兵衛はすぐに内へ引っ返して、土間にある大きい
「これだから畜生は油断がならねえ。」と、源兵衛は息をはずませながら
「お杉をさらって行って、どうするつもりなんだろうねえ。」と、お兼は不思議そうに言った。
その一
黒ん坊が娘を奪って行こうとするのは、あながちに不思議とはいえないのである。夫婦はだまって顔をみあわせた。
「おっ母さん。怖いねえ。」と、お杉は母に取りすがってふるえ出した。
あたかもそこへ杣仲間が二人来あわせたので、源兵衛はかれらに手伝ってもらって、黒ん坊の始末をすることになった。
彼はまだ死に切れずに唸っているので、源兵衛は
「谷へほうり込んでしまえ。」
前には何十丈の深い谷があるので、死骸はそこへ投げ込まれてしまった。二人が帰ったあとで、女房は小声で言った。
「おまえさんがつまらない冗談をいったから悪いんだよ。」
源兵衛はなんにも答えなかった。
あくる朝、源兵衛は谷のほとりへ行ってみると、黒ん坊の死骸は目の下にかかっていた。二丈余りの下には松の大木が枝を突き出していた。死骸はあたかもその上に投げ落されたのである。勿論、谷底へ投げ込むつもりであったが、ゆう闇のために見当がちがって、死骸は中途にかかっていることを今朝になって発見したのである。二丈あまりではあるが、そこは足がかりもない断崖で、下は目もくらむほどの深い谷であるから、その死骸には手を着けることが出来なかった。
「畜生······。」と、源兵衛は舌打ちした。お兼もお杉も覗きに来て、互いにいやな顔をしていた。
それはまずそれとして、さらにこの一家の心を暗くしたのは、かの縁談の一条であった。黒ん坊のことが杣仲間の口から世間にひろまると、婿の方では二の足を
さてその黒ん坊の死骸はどうなったかというと、むろん日を経るにしたがって、その肉は腐れただれて行った。毛の生えている皮膚も他の
自分の家の前であるから、その死骸の成行きは源兵衛も朝晩にながめていた。女房や娘は毎日のぞきに行った。そうして、死骸のだんだん消えてゆくのを安心したように眺めていたが、最後の
今までは不安ながらも
その以来、木の枝にかかっている髑髏は夜ごとにからからと笑うのである。笑うのではない、乾いた髑髏が山風に
実際、髑髏はその秋から冬にかけて、さらに来年の春から夏にかけて、夜ごとに怪しい笑い声をつづけていた。それに悩まされて、お兼はおちおち眠られなかった。不眠と不安とが長くつづいて、かれは半気違いのようになってしまったので、源兵衛も内々注意していると、七月の盂蘭盆前、あたかもお杉が一周忌の当日に、かれは激しく狂い出した。
「黒ん坊。娘のかたきを取ってやるから、覚えていろ。」
お兼は大きい斧を持って表へ飛び出した。それはさきに源兵衛が黒ん坊を虐殺した斧であった。
「まあ、待て。どこへ行く。」
源兵衛はおどろいて引留めようとすると、お兼は鬼女のように
「この黒ん坊め。」
大きい斧を真っこうに振りかざして来たので、源兵衛もうろたえて逃げまわった。
その隙をみて、かれは斧をかかえたままで、身を逆さまに谷底へ跳り込んだ。半狂乱の母は哀れなる娘のあとを追ったのである。
こうして、この一つ家には父ひとりが取残された。
しかし源兵衛は生れ付き剛気の男であった。打ちつづく不幸は彼に対する大打撃であったには相違ないが、それでも表面は変ることもなしに、今まで通りの仕事をつづけていた。この山奥に住む黒ん坊はただ一匹に限られたわけでもないのであるが、その一匹が源兵衛の斧に
「ええ、泣くとも笑うとも勝手にしろ。」と、源兵衛はもう相手にもならなかった。
その翌年の盂蘭盆前である。きょうは娘の三回忌、女房の一周忌に相当するので、源兵衛は下大須にあるただ一軒の寺へ墓参にゆくと、その帰り道で彼は三人の杣仲間と一人の村人に出会った。
「おお、いいところで逢った。おれの家までみんな来てくれ。」
源兵衛は四人を連れて帰って、かねて用意してあったらしい太い
「おれはこの蔓を腰に巻き付けるから、お前たちは上から吊りおろしてくれ。」
「どこへ降りるのだ。」
「谷へ降りて、あの骸骨めを叩き落してしまうのだ。」
「あぶないから止せよ。木の枝が折れたら大変だぞ。」
「なに、大丈夫だ。女房の仇、娘のかたきだ。あの骸骨をあのままにして置く事はならねえ。」
何分にも屏風のように切っ立ての崖であるから、目の下にみえながら降りることが出来ない。源兵衛は自分のからだを藤蔓でくくり付けて、二丈ほどの下にある大木の幹に吊りおろされ、それから枝を伝って行って、かの髑髏を叩き落そうというのである。こうした危険な離れわざには、みな相当に馴れているのではあるが、底の知れない谷の上であるだけに、どの人もみな危ぶまずにはいられなかった。
源兵衛も今まではさすがに躊躇していたのであるが、きょうはなんと思ったか、
薄く曇った日の
その髑髏のかかっている大木の上へ吊りおろされた源兵衛のからだは、もう四、五尺で幹に届くかと思うとき、太い蔓はたちまちにぶつりと切れて、木の上にどさりと落ちかかった。上の人々はあっと叫んで見おろすと、彼は落ちると同時に一つの枝に取付いたのである。しかもそれが比較的に細い枝であったので、彼が取付く途端に強くたわんで、そのからだは宙にぶら下がってしまった。
「源兵衛、しっかりしろ。その手を放すな。」と、四人は口々に叫んだ。
しかし、どうして彼を救いあげようという手だてもなかった。この場合、
源兵衛は両手を枝にかけたままで、
細い枝は源兵衛の体量をささえかねて、次第に折れそうにたわんでゆくので、上で見ている人々は手に汗を握った。源兵衛の額にも脂汗が流れた。彼は目をとじ歯を食いしばって、一生懸命にぶら下がっているばかりで、何とも声を出すことも出来なかった。こうなっては、枝が折れるか、彼の力が尽きるか、自然の運命に任せるのほかはない。上からは
そのうちに枝は中途から折れた。残った枝の強くはねかえる勢いで、となりの枝も強く揺れて、髑髏はからからからからと続けて高く笑った。源兵衛のすがたは谷底の靄にかくれて見えなくなった。上の四人は息を呑んで突っ立っていた。
源兵衛の一家はこうして全く亡び尽くした。娘の死んだとき、女房の死んだとき、源兵衛はそれを鎌倉へ通知してやらなかったらしいが、こうして一家が全滅してしまった以上、無沙汰にして置くのはよろしくあるまいというので、村の人々から初めて鎌倉へ知らせてやると、せがれの源蔵は早々に戻って来た。
源蔵も今は
「あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここを離れませぬ。」と、彼は誓った。
両親や妹の
彼が三年、五年、十年、あるいは一生ここにとどまるかも知れないと覚悟しているのも、それがためであろう。
この長物語を終って、老人はまた嘆息した。
「あまりお気の毒だから、いっそ畚をおろして何とか骸骨を取りのけてしまおうと言い出した者もあるのだが、息子の坊さまは承知しないで、まあ自分にまかせて置いてくれというので、そのままにしてあるのだ。」
叔父も溜息をついて別れた。
その晩は上大須の村に泊ると、夜中から山も震うような大あらしになった。
この風雨がかの枝を吹き折るか、かの髑髏を吹き落すか。かの僧は風雨にむかって読経をつづけているか。||叔父は寝もやらずに考え明かしたそうである。