戻る

娘の生霊

田中貢太郎




 ある相場師の娘が、父親にねだって買ってもらった衣服きものを、知りあいの裁縫さいほう師の処へ縫わしにやった。なにしろ相場で巨万の富を積んだ家のことであるから、その衣服も金目のかかったりっぱな物であったろう。またそうした衣服であるから期日も急ぐので、裁縫師は他の仕立物を後廻あとまわしにして裁縫にとりかかったが、期日が翌日の朝になっているので、その夜は一時近くまで仕事をして、やっと縫いあげたところで客があった。裁縫師は夜遅くなって何人だれが来たろうと思って、入口の雨戸をあけると、それは相場師の娘であった。

「おや、まあ、お嬢さん」

 娘は光沢つやのいい顔に微笑ほほえみを見せた。

明日あすの朝までに、どうかと思って、見に来たのよ」

「やっと出来あがったところでござんすの」

「そう」

 裁縫師は娘を上へあげて、胡蓙ござの中に包んであった彼の衣服をって見せた。すると娘は、

「ちょっと」

 と云って、それを着るなり、ずんずんと表の方へ出て往くので、裁縫師は驚いて、

「まあ、お嬢さん」

 と云って呼びとめようとした。と、娘の姿がなくなってその衣服ばかりふわふわと崩れるように下へ落ちた。

 裁縫師は不思議でたまらないので、朝になるのを待ちかねて相場師の家へ往って見た。相場師はその前におおがらをくらって、その夜のうちに夜逃げをしていた。

「それでは」

 裁縫師はそこで娘の衣服に対する執着を知った。






底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社

   2003(平成15)年10月22日初版発行

底本の親本:「日本怪談全集」改造社

   1934(昭和9)年

入力:Hiroshi_O

校正:noriko saito

2010年10月20日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について



●図書カード