京都
西陣の某と云う商店の主人は、遅い
昼飯を
喫って店の
帳場に坐っていると電話のベルが鳴った。主人は
己で
起って電話口へ出てみると聞き覚えのある声で、
「あなたは
||ですか」
と云ってこちらの名前を聞くので、
「そうです、あなたはどなたです」
と聞くと、
「わたしは○○です」
と云った。それは主人の弟で
支那へ往っているものであった。主人は喜んで、
「お前は帰ったのか」
と云って聞くと、弟は、
「わたしは病気になって、今、長崎の
||旅館へやっと帰ったところです、兄さんに、
是非会いたいから、どうかすぐ来てください」
と云ったかと思うと電話は
断れてしまった。主人は病気の模様を聞きたいと思ったが、電話が
断れたので残念でたまらなかった。しかし、病気ですぐ会いたいと云うからには、すぐ往ってやらなくてはいけないだろうと思って、電話口を
放れたところで、番頭の顔が見つかったので、
「
支那へ往ってた弟が、病気で長崎まで帰って、すぐ来てくれって電話がかかって来たから、これから往って来る、
後をよく気を
注けてくれ」
と云った。すると番頭が変な顔をして主人の顔を見返した。
「長崎へ電話が通じておりますか」
その時は明治四十三年の八月
比のことで、長崎への長距離電話は無論なかった。主人は気が注いて電話局へ
問あわしてみた。
果して長距離の電話もなければ、今電話をつないだこともないと云った。主人はますます不思議に思ったが、そのままにしてもおけないので、とにかく長崎へ往くことにして、その日の汽車で出発して長崎へ往き、怪しい声が云ったその
||旅館と云うのへ往ってみると、
病をおして支那から帰って来ていた弟は、兄の往くのを待たないで病死していた。後で
詮議をしてみると、電話のかかって来た時は弟が息を引きとった時であった。この話は明治四十三年十月、田島金次郎
翁がその時京都にいた喜多村
緑郎氏を訪問した際に、その席上にいあわしていた医師某が、真面目な知人の話だと云って話した話である。