一
東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の
町端に、近頃新開で土の色赤く、
日当のいい
冠木門から、目のふちほんのりと
酔を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の
瀟洒たる人物がある。
黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか
目庇のつッと出た、鉄道の局員が
被るような
形なのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった
頬骨のちっと出た、目の大きい、鼻の
隆い、背のすっくりした、人品に威厳のある
年齢三十ばかりなるが、
引緊った口に葉巻を
啣えたままで、今門を出て、刈取ったあとの
蕎麦畠に面した。
この畠を前にして、門前の
径を右へ
行けば
通へ出て、
停車場へは五町に足りない。左は、田舎道で、まず近いのが
十二社、堀ノ内、
角筈、目黒などへ
行くのである。
見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へ
曳いて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、
停車場の道には向わないで、かえって十二社の方へ靴の
尖を
廻らして、
衝と
杖を突出した。
しかもこの人は牛込南町辺に
住居する法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、
新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、
痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、
静に療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしようという。
ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から
歩行いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。
これから、名を
由之助という小山判事は、
埃も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、
真赤な
蕃椒が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、
田圃道を楽しそう。
その胸の
中もまた察すべきものである。小山はもとより医者が
厭だから文学を、文学も妙でない、法律を、政治をといった側の少年ではなかった。
されば法官がその
望で、
就中希った判事に志を得て、新たに、はじめて、その方は
······と神聖にして犯すべからざる天下控訴院の椅子にかかろうとする二三日。
足の運びにつれて目に映じて心に
往来するものは、土橋でなく、
流でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、
路傍の
藪でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、
日南でなく、土の
凸凹でもなく、かえって法廷を進退する
公事訴訟人の
風采、
俤、
伏目に我を仰ぎ見る囚人の顔、弁護士の額、原告の鼻、検事の
髯、
押丁等の服装、傍聴席の光線の
工合などが、目を遮り、胸を
蔽うて、年少判事はこの
大なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の
爪尖と、杖の端の輝く銀とを心すともなく
直視めながら、一歩進み二歩
行く内、にわかに
颯と暗くなって、風が身に染むので心着けば、
樹蔭なる
崖の腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が
百筋に乱れて、どッと池へ
灌ぐのは、熊野の
野社の
千歳経る杉の林を頂いた、十二社の滝の
下路である。
二
「何か変ったこともないか。」と滝に臨んだ中二階の小座敷、欄干に
凭れながら判事は
徒然に茶店の婆さんに話しかける。
十二社あたりへ客の寄るのは、夏も極暑の節
一盛で、やがて初冬にもなれば、上の
社の森の中で狐が鳴こうという場所柄の、さびれさ加減思うべしで、建廻した茶屋
休息所、その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ
葦簀の屋根と柱のみ、
破の見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの
緋の
毛布を敷いてある。その掛茶屋は、松と
薄で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の
汀になっていて、
緋鯉の影、真鯉の姿も
小波の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋
辷るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに
留めて憩ったのであるが、
眩いばかり西日が
射すので、頭痛持なれば眉を
顰め、
水底へ深く入った鯉とともにその
毛布の
席を去って、
間に土間一ツ隔てたそれなる母屋の中二階に引越したのであった。
中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩
煎餅の
壺と、駄菓子の箱と
熟柿の
笊を横に控え、角火鉢の
大いのに、
真鍮の
薬罐から湯気を立たせたのを前に置き、
煤けた棚の上に古ぼけた
麦酒の瓶、
心太の皿などを乱雑に並べたのを
背後に背負い、柱に
安煙草のびらを張り、天井に
捨団扇をさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんも
何も居ない、
盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿
停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、
独身の
便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い
澄すという趣。
判事に浮世ばなしを促されたのを
機にお幾はふと針の手を留めたが、返事より
前に
逸疾くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の
吸子に
沸った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、
前垂の
糸屑を払いさま、
静に壇を上って、客の前に
跪いて、
「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながら
膝近く
躙り寄って差置いた。
判事は欄干について頬を支えていた手を膝に取って、
「おお、それは
難有う。」
と
婆の目には、もの珍しく見ゆるまで、かかる紳士の優しい
容子を心ありげに
瞻ったが、
「時に旦那様。」
「むむ、」
「まあ可哀そうだと
思召しまし、この間お休み遊ばしました時、ちょっと参りましたあの女でございますが、
御串戯ではございましょうが、旦那様も
佳い女だな、とおっしゃって下さいましたあのことでございますがね、」
と言いかけてちょっと
猶予って、聞く人の顔の色を
窺ったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は聴く耳を立てたのである。
「おお、どうかしたか、本当に
容子の佳い
女だよ。」
「はい、容子の
可い
女で。旦那様は都でいらっしゃいます、別にお目にも留りますまいが、
私どもの目からはまるでもう弁天様か小町かと見えますほどです。それに深切で優しいおとなしい
女でございまして、あれで一枚着飾らせますれば、
上つ
方のお姫様と申しても
宜い位。」
三
「ほほほ、
賞めまするに税は立たず、これは柳橋も新橋も御存じでいらっしゃいましょう、旦那様のお前で出まかせなことを失礼な。」
小山判事は苦笑をして、
「
串戯をいっては
不可ん、私は学生だよ。」
「あら、あんなことをおっしゃって、
貴方は何ぞの先生様でいらっしゃいますよ。」
「まあその娘がどうしたというのだ。」と小山は
胡坐をどっかりと組直した。
落着いて聞いてくれそうな様子を見て取り、婆さんは嬉しそうに、
「何にいたせ、ちっとでもお心に留っておりますなら可哀そうだと思ってやって下さいまし。こうやってお
傍でお話をいたしますのは今日がはじめて。
私どもへお休み下さいましたのはたった二度なんでございますけれども、
他に誰も
居りませず、ちょうどあの
娘が来合せました時でよくお顔を存じておりますし、それにこう申してはいかがでございますが、旦那様もあの
娘を覚えていらっしゃいますように存じます。これも
佳い
娘だと思いまする年寄の
慾目、人ごとながら
自惚でございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色に
憂を帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いで
幽に
肉の動くのを覚えた。
向島のうら
枯さえ見に
行く人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、もの
好として
差措いても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で
一盞すすめられて杯の
遣取をする内に、
娶るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、
耳朶を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも
乃公が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。
何かしら
絆が
搦んでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を
||色も変ったよう、
「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。
「煩っておりますので、」
「何、煩って、」
「はい、煩っておりますのでございますが。
······」
「
良い医者にかけなけりゃ
不可んよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とつい
通の人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。
婆さんも張合のあることと思入った形で、
「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、
委しく申上げませんと解りません、お
可煩くなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。
あの
娘は
阿米といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、
昨年の春まで
麹町十五丁目辺で、旦那様、
榎のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その
邸で世話になって育ちましたそうでございます。
門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はどういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」
四
「流行りません癖に因果と
貴方ね、」と口もやや
馴々しゅう、
「お米の
容色がまた評判でございまして、
別嬪のお医者、榎の先生と、番町辺、津の
守坂下あたりまでも
皆が
言囃しましたけれども、一向にかかります病人がございません。
先生には奥様と男のお
児が二人、
姪のお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。
そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい
御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速
家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。
世帯を片づけついでに、古い
箪笥の
一棹も工面をするからどちらへか片附いたらと、
体の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの
娘も全く縁附く気はございませず、親身といっては
他になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは
遣繰の様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、
我儘を申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。
伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなれば
可いのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。
あの
容色で
家の
仇名にさえなった
娘を、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。
漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、
唯今居りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」
「誰の邸だね。」
「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お
老人はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も
他に大勢、男衆も
居ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池の緋鯉や目高に
麩を遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな
姫様々々と申しますよ。
奥様のお顔も存じております、
私がついお米と
馴染になりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でも
私どものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体
人懐いのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」
婆さんはこの時、
滝登の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを
静に

したから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。
向直って顔を見合せ、
「この
家は旦那様、
停車場前に
旅籠屋をいたしております、
甥のものでも
私はまあその厄介でございます。夏この滝の
繁昌な時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、
私も
姨捨山に居ります気で
巣守をしますのでざいましてね、いいえ、
愚痴なことを申上げますのではございませんが、お米もそこを
不便だと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、
袂からだの、小風呂敷からだの、
好なものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、
老の目は早や涙。
五
密と、
筒袖になっている
襦袢の端で目を
拭い、
「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって
贔屓なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な
服装がさせてみとうございましょう。ああ、
叶屋の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に
褄の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を
罰だと思って罪滅しに
懺悔ばなしもいいまする。
私もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも
皆なり
行だと
断念めましても、断念められませんのはお米の身の上。
二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何
貴方、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あの
娘もいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気は
可し、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、
私風情へいろいろと浮世話。
お米も嬉しそうに
傍についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の
姑に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。
何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は
心懸の
良いものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。
黄金が肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけは
除けるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。
貴方五百円。
台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。
お手箪笥の
抽斗から厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。
両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と
莞爾ついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは
薄笑をした。
判事は眉を
顰めたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。
婆さんは額の
皺を手で
擦り、
「はや
実にお情深い、もっとも赤十字とやらのお
顔利と申すこと、丸顔で、
小造に、
肥っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り
々と見えまして、白襟で小紋のお召を二枚も
襲ねていらっしゃいまして、早口で弁舌の
爽な、ちょこまかにあれこれあれこれ、始終
小刻に体を動かし通し、気の
働のあらっしゃるのは格別でございます、旦那様。」と上目づかい。
判事は黙ってうなずいた。
婆さんは
唾をのんで、
「お米はいつもお
情ない方だとばかり申しますが、それは貴方、女中達の
箸の上げおろしにも、いやああだのこうだのとおっしゃるのも、
欲いだけ食べて胃袋を悪くしないようにという御深切でございましょうけれども、
私は胃袋へ入ることよりは、
腑に落ちぬことがあるでございますよ。」
六
「
昨年のことで、妙にまたいとこはとこが
搦みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の
停車場から四人
詰ばかりの小さい馬車が往復しまする。
岩淵の
渡場手前に、姉の
忰が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない
身上ではありまするけれど、気立の
可い深切ものでございますから、私も
当にはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで
不沙汰見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれまして、
翌日おひる過ぎ帰りがけに、貴方、納屋のわきにございます、柿を取って、土産を持って行きました風呂敷にそれを包んで、おばさん、詰らねえものを重くッても、持って行ッとくんなせえ。そのかわり私が志で、ここへわざと
端銭をこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。
二人とも野良へ出がけ、それではお
見送はしませんからと、
跣足のまま並んで
門へ立って見ております。岩淵から引返して
停車場へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの
服装で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。
人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、
臆面もなく別の待合へ入りましたが、誰も
居りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の
緞子みたような
綾で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、
爪尖がポンとこう、」
婆さんは手を揃えて横の方で軽く
払き、
「
刎上りますようなのに控え込んで、どうまた度胸が
据りましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。
いきなり
卓子の上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、
連の若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。
銃口が
私の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、
おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう
······こうでございます。
人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が
腑に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。
後馳せにつかつかと
小走に入りましたのが、やっぱりお供の
中だったと見えまする、あのお米で。
卓子を取巻きまして
御一家がずらりと、お米が
姫様と向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」
婆さんはまた
涙含んで、
「
袂から出した
手巾を、何とそのまあ結構な椅子に
掴りながら、人込の
塵埃もあろうと
払いてくれましたろうではございませんか、私が、あの
娘に
知己になりましたのはその時でございました。」
待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。
七
婆さんは
過日己が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが
||知らずやその時、
同一赤羽の
停車場に、沢井の一行が
卓子を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を
目深に、
外套の襟を立てて、
件の紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、
一場の光景を
屹と
瞻っていたことを。
||されば婆さんは今その事について何にも言わなかったが、実はこの
媼、お米に椅子を払って招じられると、帯の
間からぬいと青切符をわざとらしく抜出して手に持ちながら、勿体ない
私風情がといいいい貴夫人の一行をじろりと

し、
躙り寄って、お米が
背後に立った前の処、すなわち
旧の椅子に直って、そして手を合せて小間使を拝んだので、一行が白け渡ったのまで見て知っている位であるから、この間のこの茶店における会合は、娘と婆さんとには不意に顔の合っただけであるけれども、判事に取っては
蓋し不思議のめぐりあいであった。
かく
停車場にお幾が演じた喜劇を知っている判事には、婆さんの昔の栄華も、
俳優を茶屋の二階へ呼びなどしたことのある様子も、この
寂寞の境に堪え得て一人で秋冬を送るのも、全体を通じて思い合さるる事ばかりであるが、
可し、それもこれも判事がお米に対する心の秘密とともに胸に秘めて何事も
謂わず、ただ
憂慮わしいのは女の身の上、聞きたいのは
婆が金貨を頂かせられて、
||「それから、お前がその
金子を見せてもらうと、」
促して尋ねると、意外千万、
「そのお金が五百円、その晩お
手箪笥の
抽斗から出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは
溜息を
吐いたが、小山も驚いたのである。
赤羽
停車場の婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の
所為とは
不言不語の内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円が
失せたというのは思いがけない
極であった。
「ええ、すっかり紛失?」と判事も
屹と目を
瞠ったが、この人々はその意気において、五という
数が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。
「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお
了いなすったのは
私もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ
吃驚いたしますものお邸では大騒ぎ。女などは
髪切の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。
さあ二日
経っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、
纔ばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その
御吹聴で。
そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く
行っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒
辺をかけて
徘徊をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと
談話をしますという、鼻の大きな、
爺の
化精でございまして。」
八
「旦那様、この辺をお通り遊ばしたことがございますなら、田舎道などでお見懸けなさりはしませんか。もし、
御覧じましたら、ただ鼻とこう申せば、お分りになりますでございましょう。」
判事はちょっと口を挟んで、
「鼻、何鼻の大きい老人、」
「御覧じゃりましたかね。」
「むむ、
過日来る時奇代な人間が居ると思ったが、それか。」
「それでございますとも。」
「お待ち、ちょうどあすこだ、」と判事は胸を斜めに振返って、
欄干に
肱を懸けると、滝の下道が三ツばかり
畝って葉の蔭に入る
一叢の
藪を
指した。
「あの藪を出て、少し行った
路傍の
日当の
可い処に植木屋の木戸とも思うのがある。」
「はい、植吉でございます。」
「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、
女郎花だの、
桔梗、
竜胆だの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。
私はこう下を向いて来かかったが、目の前をちょろちょろと小蛇が
一条、彼岸
過だったに、ぽかぽか暖かったせいか、植木屋の生垣の下から道を横に切って畠の草の中へ入った。
大嫌だから
身震をして立留ったが、また
歩行き出そうとして見ると、蛇よりもっとお前心持の悪いものが居たろうではないか。
それが
爺よ。
綿を厚く入れた薄汚れた
棒縞の
広袖を着て、日に向けて
背を円くしていたが、なりの低い事。草色の
股引を
穿いて
藁草履で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」
「でございましょうね、旦那様。」
「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体
馬面で顔も胴位あろう、白い
髯が針を刻んでなすりつけたように生えている、
頤といったら
臍の下に届いて、その
腮の
処まで垂下って、口へ
押冠さった鼻の
尖はぜんまいのように巻いているじゃあないか。
薄紅く色がついてその癖筋が通っちゃあいないな。目はしょぼしょぼして眉が薄い、腰が曲って大儀そうに、船頭が持つ
櫂のような
握太な、短い杖をな、唇へあてて手をその上へ重ねて、あれじゃあ
持重りがするだろう、鼻を乗せて、気だるそうな、退屈らしい、
呼吸づかいも切なそうで、
病後り見たような、およそ何だ、
身体中の精分が
不残集って熟したような鼻ッつきだ。そして背を
屈めて立った処は、
鴻の鳥が寝ているとしか思われぬ。」
「ええ、もう
傘のお化が
とんぼを切った形なんでございますよ。」
「
芬とえた村へ入ったような
臭がする、その
爺、余り
日南ぼッこを仕過ぎて
逆上せたと思われる、大きな
真鍮の
耳掻を持って、片手で鼻に杖をついたなり、馬面を据えておいて、耳の穴を掻きはじめた。」
「あれは癖でございまして、どんな時でも耳掻を放しましたことはないのでございます。」
「余り希代だから、はてな、これは植木屋の荷じゃあなくッて、どこへか小屋がけをする
飾につかう
鉢物で、この爺は
見世物の種かしらん、といやな
香を手でおさえて見ていると、爺がな、クックックッといい出した。
恐しい
鼻呼吸じゃあないか、荷車に積んだ植木鉢の中に
突込むようにして桔梗を
嗅ぐのよ。
風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は
見返もしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。
「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」
九
「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は
卜をいたします。」
「卜を。」
「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの
筮竹を読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。
耶蘇の方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり
活如来様が千年のあとまでお見通しで、あれはああ、これはこうと御存じでいらっしゃるといったようなものでございますとさ。」
真顔で言うのを聞きながら、判事は二ツばかり
握拳を横にして火鉢の
縁を軽く
圧えて、確めるがごとく、
「あの鼻が、活如来?」
「いいえ、その新聞には予言者、どういうことか
私には解りませんが、そう申して出しましたそうで。何しろ貴方、
先の二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、
昨日はどこそこの城が取れた、今日は
可恐しい軍艦を沈めた、明日は雪の中で
大戦がある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のものになるなどと、一々申す事がみんな
中りまして、号外より
前に
整然と心得ているくらいは
愚な事。ああ今頃は
清軍の地雷火を犬が
嗅ぎつけて前足で掘出しているわの、あれ、見さい、軍艦の帆柱へ
鷹が留った、めでたいと、何とその戦に支那へ行っておいでなさるお方々の、親子でも奥様でも夢にも解らぬことを手に取るように知っていたという
吹聴ではございませんか。
それも道理、その
老人は、
年紀十八九の時分から
一時、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き
白雲という峰に
閉籠って、
人足の絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在に
談が出来るようになった、実に希代な予言者だと、その山の形容などというものはまるで
大薩摩のように書きました。
その鼻があの
爺なんでございましてね。
はい、いえ、さようでございます、旦那様も新聞で御存じでも、あの爺のこととは思召しますまいよ。ちっとも鼻の大きなことは書いてないのだそうでございますから。
もっとも
鐘馗様がお笑い遊ばしちゃあ、鬼が
恐がりはいたしますまい、私どもが申せば活如来、新聞屋さんがおっしゃればその予言者、活如来様や予言者殿の、その鼻ッつきがああだとあっては、根ッから
難有味がございませんもの、売ものに咲いた花でございましょう。
その癖雲霧が立籠めて、昼も
真暗だといいました、甲州街道のその峰と申しますのが、今でも爺さんが時々お
籠をするという
庵がございますって。そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何
蕨でも生えてりゃ
小児が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、どうせあんな
萌の
糸瓜のような大きな鼻の生えます処でございますもの、うっかり入ろうものなら、
蚯蚓の天上するのに出ッくわして、目をまわしませんければなりますまいではございませんか。」と、何か激したことのあるらしく婆さんはまくしかけた。
十
一息つき言葉をつぎ、
「第一、その日清戦争のことを
見透して、何か自分が山の
祠の扉を開けて、神様のお馬の
轡を取って、
跣足で宙を
駈出して、旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっとも
戦のあった最中に、そんなことが解ったのではございません。ようよう一昨年から去年あたりへかけて騒ぎ出したのでございますもの、
疑ってみました日には、
当になりはいたしません。しかしまあ何でございますね、
前触が
皆勝つことばかりでそれが
事実なんですから結構で、
私などもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」
と黙って聞いていた判事に
強請るがごとく、
「お
可煩くはいらっしゃいませんか、」
「
悉しく聞こうよ。」
判事は
倦める色もあらず、お幾はいそいそして、
「ええどうぞ。
条を申しませんと解りません。
私どもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが
御祈祷をしたり、お
籠、断食などをしたという事を聞きました時は、
難有い人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり
敵対になりまして、憎らしくッて、
癪に障ってならないのでございます。
あんなもののいうことが当になんぞなりますものか。
卜も
くだらないもあったもんじゃあございません。
でございますが、
難有味はなくッても信仰はしませんでも、
厭な奴は厭な奴で、私がこう
悪口を申しますのを、形は見えませんでもどこかで聞いていて、
仇をしやしまいかと思いますほど、気味の悪い
爺なんでございまして、」
といいながら日暮際のぱっと
明い、
艶のないぼやけた下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんは
後見らるる風情であったが、声を低うし、
「全体あの爺は甲州街道で、
小商人、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの
饅頭だのを商いまする内の隠居でございまして、
私ども子供の内から親どもの話に聞いておりましたが、何でも十六七の小僧の時分、神隠しか、
攫われたか、行方知れずになったんですって。見えなくなった日を命日にしている位でございましたそうですが、七年ばかり
経ちましてから、ふいと内の者に姿を見せたと申しますよ。
それもね、旦那様、まともに帰って来たのではありません。
破風を開けて顔ばかり出しましたとさ、厭じゃありませんか、
正丑の刻だったと申します、」と婆さんは肩をすぼめ、
「しかも降続きました
五月雨のことで、
攫われて参りましたと
同一夜だと申しますが、
皺枯れた声をして、
(
家中無事か、)といったそうでございますよ。見ると、
真暗な破風の
間から、ぼやけた鼻が
覗いていましょうではございませんか。
皆、手も足も
縮んでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親が
居りました時分、魔道へ入った
児でも鼻を
嘗めたいほど可愛かったと申しまする。
(
忰、まあ、)と
父親が寄ろうとしますと、変な声を出して、
寄らっしゃるな、しばらく人間とは
交らぬ、と払い
退けるようにしてそれから一式の恩返しだといって、その時、饅頭の
餡の製し方を教えて、屋根からまた行方が解らなくなったと申しますが、それからはその島屋の饅頭といって街道名代の名物でございます。」
十一
「在り
来りの皮は、
麁末な麦の香のする田舎饅頭なんですが、その餡の
工合がまた格別、何とも申されません
旨さ加減、それに
幾日置きましても干からびず、味は変りませんのが評判で、売れますこと売れますこと。
近在は申すまでもなく、府中八王子
辺までもお土産折詰になりますわ。
三鷹村深大寺、桜井、
駒返し、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。
三年と五年の
中にはめきめきと
身上を仕出しまして、
家は建て増します、座敷は
拵えます、
通庭の両方には
入込でお客が一杯という
勢、とうとう蔵の二
戸前も
拵えて、
初はほんのもう屋台店で渋茶を
汲出しておりましたのが
俄分限。
七年目に一度顔を見せましてから毎年五月雨のその晩には、きっと一度ずつ
破風から
覗きまして、
(家中無事か。)おお、厭だ!」と寂しげに笑ってお幾婆さんは
身顫をした。
「その
中親が
亡なって代がかわりました。三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります
筈の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。
そこで三蔵と申しまする、末が
家へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません、寄合にも上席で、三蔵旦那でございまする。
誰のお
庇だ、これも
兄者人の御守護のせい何ぞ恩返しを、と神様あつかい、伏拝みましてね、」
と婆さんは
掌を合せて見せ、
「
一年、やっぱりその五月雨の晩に破風から鼻を出した処で、(何ぞお
望のものを)と申上げますと、(ただ据えておけば可い、女房を一人、)とそういったそうでございます。」
「ふむ、」
「まあ、お聞き遊ばせ、こうなんでございますよ。
それから何事を差置いても探しますと、ございました。来るものも一生奉公の気なら、島屋でも飼殺しのつもり、それが年寄でも
不具でもございません。
(色の白い、美しいのがいいいい。)
と異な声で、破風口から食好みを遊ばすので、十八になるのを
伴れて参りました、一番目の嫁様は来た晩から
呻いて、泣煩うて貴方、三月日には
痩衰えて死んでしまいました。
その次のも時々悲鳴を上げましたそうですが、二年
経ってやっぱり骨と皮になって、可哀そうにこれもいけません。
さあ来るものも来るものも、一年たつか二年持つか、五年とこたえたものは居りませんで、九人までなくなったのでございます。
あるに任して
金子も出したではございましょうが、よくまあ、世間は広くッて八人の九人のと目鼻のある、手足のある、胴のある、髪の黒い、色の白い女があったものだと思いますのでございますよ。十人目に十三年生きていたという評判の
婦人が一人、それは
私もあの辺に参りました時、饅頭を買いに寄りましてちょっと見ましたっけ。
大柄な
婦人で、鼻筋の通った、
佳い
容色、少し
凄いような風ッつき、
乱髪に
浅葱の
顱巻を
〆めまして病人と見えましたが、奥の
炉のふちに立膝をしてだらしなく、こう額に長煙管をついて、骨が抜けたように、がっくり
俯向いておりましたが。」
十二
「百姓家の納戸の薄暗い中に、毛筋の乱れました
頸脚なんざ、雪のようで、それがあの、客だと見て
真蒼な顔でこっちを向きましたのを、今でも
私は忘れません。可哀そうにそれから二年目にとうとう
亡なりましたが、これは府中に居た女郎上りを買って来て置いたのだと申します。
もうその以前から評判が立っておりましたので、山と積まれてからが
金子で
生命までは売りませんや、誰も島屋の隠居には片づき
人がなかったので、どういうものでございますか、その癖、そうやって、嫁が
極りましても女房が居ましても、家へ顔を出しますのはやっぱり
破風から毎年その月のその日の夜中、ちょうど
入梅の
真中だと申します、入梅から勘定して隠居が来たあとをちょうど
同一ように指を折ると、大抵梅雨あけだと噂があったのでございまして。
実際、おかみさんが出来るようになりましてからも参るのは
確に年に一度でございましたが、それとも日に三度ずつも来ましたか、そこどこはたしかなことは解りません。
何にいたしましても、来るものも
娶るものも亡くなりましたのは、こりゃ
葬式が出ましたから
事実なんで。
さあ、どんづまりのその女郎が殺されましてからは、怪我にもゆき
人がございません、これはまた無いはずでございましょう。
そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵も
旧のようではなくなりました。一時は買込んだ
田地なども売物に出たとかいう評判でございました。
そうこういたします内に、さよう、一昨年でございましたよ、島屋の隠居が
家へ帰ったということを聞きましたのは。それから戦争の祈祷の評判、ひとしきりは女房一件で、饅頭の餡でさえ胸を悪くしたものも、そのお国のために断食をした、お
籠をした、千里のさき三年のあとのあとまで見通しだと、人気といっちゃあおかしく聞えますが、また隠居殿の曲った鼻が
素直になりまして、新聞にまで出まする騒ぎ。予言者だ、と旦那様、
活如来の
扱でございましょう。
ああ、やれやれ、
家へ帰ってもあの
年紀で毎晩々々
機織の透見をしたり、糸取場を
覗いたり、のそりのそり
這うようにして
歩行いちゃ、五宿の宿場女郎の
張店を両側ね、糸をかがりますように一軒々々格子戸の中へ鼻を
突込んじゃあクンクン
嗅いで
歩行くのを御存じないか、と内々私はちっと聞いたことがございますので、そう思っておりましたが、善くは思いませんばかりでも、お
肚のことを嗅ぎつけられて、変な杖でのろわれたら、どんな目に逢おうも知れぬと、薄気味の悪い
爺なんでございます。
それが貴方、以前からお米を貴方。」
と少し言渋りながら、
「
跟けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。
「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。
「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、
夜更でも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、
容色が評判になりました時分から、
藪からでも垣からでも、ひょいと出ちゃああの
女の
行くさきを
跟けるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」
十三
「おなじ奉公人どもが、たださえ口の悪い処へ、大事
出来のように言い
囃して、からかい半分、お米さんは神様のお気に入った、いまに
緋の
袴をお
穿きだよ、なんてね。
まさかに気があろうなどとは、怪我にも思うのじゃございますまいが、
串戯をいわれるばかりでも、
癩病の
呼吸を
吹懸けられますように、あの
女も弱り切っておりましたそうですが。
つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。
急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。
まだ
明も
点けません、晩方、
直きその夕顔の咲いております垣根のわきがあらい格子。
手許が暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、
畦道を馬も百姓も、
往ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの
爺のそのそ
嗅ぎつけて参りましてね、
蚊遣の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあの
ふやけた色づいて薄赤い、てらてらする鼻の
尖を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。
もうもう五宿の女郎の、油、
白粉、
襟垢の
香まで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で
重量がついているのでございますもの、夢中だって
気勢が知れます。
それが貴方、
明前へ、
突立ってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人の
蹲みます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、
娑婆の風に吹かれたという
顔色で、黙って、

をしちゃあ、クンクン、クンクン小さな
法螺の貝ほどには
鳴したのでございます。
麹室の中へ縛られたような何ともいわれぬ
厭な気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。
お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと
癇持で、気に障ると直きつむりが
疼み出すという風なんですから
堪りませんや。
それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、
劫経た
私どもでさえ、
向面へ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目を
塞いで逃げますまでも、
強いことなんぞ
謂われたものではございませんが、そこはあの
女は近頃こちらへ参りましたなり、
破風口から、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。
串戯にも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あの
女はただ汚い変な乞食、
親仁、あてにならぬ
卜者を、愚痴無智の者が
獣を拝む位な信心をしているとばかり承知をいたしておりましたので、
(
不可ませんよ、不可ませんよ、)といっても、ぬッとしてクンクン。
(お前はうるさいね、)と手にしていた針の
尖、
指環に耳を
突立てながら、ちょいと
鼻頭を突いたそうでございます、はい。」
といって婆さんは
更まった。
十四
「
洋犬の
妾になるだろうと謂われるほど、その緋の袴でなぶられるのを
汚わしがっていた、
処女気で、思切ったことをしたもので、それで胸がすっきりしたといつか
私に話しましたっけ。
気味を悪がらせまいとは申しませんでしたが、ああこの
女は飛んだことをおしだ、外のものとは違ってあの
けたい親仁。
蝮の首を
焼火箸で突いたほどの
祟はあるだろう、と
腹じゃあ
慄然いたしまして、
爺はどうしたと聞きましたら、
(いいえ、やっぱりむずむずしてどこかへ行ってしまいました、それッきり、さっぱり見かけないんですよ。)と手柄顔に、お米は胸がすいたように申しましたが。
なるほど、その後はしばらくこの辺へは立廻りません様子。しばらく影を見ませんから、それじゃあそれなりになったかしら。帳消しにはなるまいと思いながら、一日ましに私もちっとは気がかりも薄らぎました。
そういたしますと今度の事、飛んでもない、旦那様、五百円紛失の一件で、
前申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分で
罷出ましてさ、お
金子の行方を、
一番、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。
どうして礼なんぞ
遣っては腹を立って
祟をします、ただ人助けに
仕りますることで、
好でお
籠をして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも
四文とのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げたものですから、仕事はなし、新聞は
五種も見ていらっしゃる沢井の奥様。
内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外に
当はつかず、
旁々それでは、と早速
爺をお頼み遊ばすことになりました。
府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日
措いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から聞いた話ではございません、爺をお招きになりましたことなんぞ、私はちっとも存じないでおりますと、ちょうどその
卜を立てた日の晩方でございます。
旦那様、
貴下が
桔梗の花を
嗅いでる処を御覧じゃりましたという、
吉さんという植木屋の
女房でございます。
小体な暮しで共稼ぎ、
使歩行やら草取やらに雇われて参るのが、
稼の
帰と見えまして、
手甲脚絆で、貴方、鎌を提げましたなり、ちょこちょこと寄りまして、
(お婆さん今日は不思議なことがありました。沢井様の草刈に頼まれて朝
疾くからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかを
卜うのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お
金子が紛失したというお
居室へ入って、それから
御祈祷がはじまるということ、手を休めてお庭からその
一室の
方を見ておりました。何をしたか分りません、障子
襖は閉切ってございましたっけ、ものの小半時
経ったと思うと、見ていた私は
吃驚して、地震だ地震だ、と
極の悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺れて、そのままひッそり静まりましたから、縁側の処へ駆けつけて、ちょうど出て参りましたお勢さんという女中に、
酷い地震でございましたね、と謂いますとね、けげんな顔をして、へい、と謂ったッきり、
気もないことなんで、奇代で奇代で。)とこう申すんでございましょう。」
十五
「いかにも私だって地震があったとは思いません、その朝は、」
と婆さんは振返って、やや日脚の
遠退いた座を立って、程過ぎて秋の暮方の冷たそうな座蒲団を見遣りながら、
「ねえ、旦那様、あすこに坐っておりましたが、風立ちもいたしませず、障子に音もございません、穏かな日なんですもの。
(変じゃあないか、
女房さん、それはまたどうした訳だろう、)
(それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすった
験なんでございましょうよ。案の定、お前さん、ちょうど祈祷の最中、思い合してみますれば、瓦が揺れたのを見ましたのとおなじ時、次のお座敷で、そのお勢というのに手伝って、床の間の柱に、友染の
襷がけで
艶雑巾をかけていたお米という小間使が、ふっと
掛花活の下で手を留めて、活けてありました秋草をじっと見ながら、顔を
紅のようにしたということですよ。何か打合せがあって、
密と目をつけていたものでもあると見えます。お米はそのまんま、手が震えて、足がふらついて、わなわなして、急に熱でも出たように、部屋へ下って
臥りましたそうな。お昼
過からは早や、お邸中寄ると触ると、ひそひそ話。
高い声では謂われぬことだが、お
金子の行先はちゃんと分った。しかし手証を見ぬことだから、
膝下へ呼び出して、
長煙草で
打擲いて、
吐させる
数ではなし、もともと念晴しだけのこと、
縄着は
邸内から出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、
神業で、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をしてかかった
祈なんだそうだから
僥倖さ。しかし太い
了簡だ、あの細い
胴中を、鎖で
繋がれる
様が見たいと、女中達がいっておりました。ほんとうに女形が
鬘をつけて出たような
顔色をしていながら、お米と謂うのは大変なものじゃあございませんか、悪党でもずっと
四天で出る方だね、私どもは聞いてさえ五百円!)とその植木屋の
女房が
饒舌りました饒舌りました。
旦那様もし貴方、何とお聞き遊ばして下さいますえ。」
判事は
右手のさきで、左の
腕を洋服の袖の上からしっかとおさえて、
屹とお幾の顔を見た。
「どう思召して下さいます、
私は口が利けません、いいわけをするのさえ残念で
堪りませんから
碌に返事もしないでおりますと、
灯をつけるとって、植吉の
女房はあたふた帰ってしまいました。何も悪気のある人ではなし、私とお米との仲を知ってるわけもないのでございますから、驚かして慰むにも当りません、お米は何にも知らないにしましても、いっただけのことはその日ありましたに違いないのでございますもの。
私は寝られはいたしません。
帰命頂来! お米が盗んだとしますれば、私はその五百円が紛失したといいまする日に、耳を揃えて頂かされたのでございます。
どんな顔をされまいものでもないと、
口惜さは口惜し、憎らしさは憎らし、もうもう
掴みついて
引
ってやりたいような沢井の家の人の顔を見て、お米に逢いたいと申して出ました。」
十六
「それも、
行こうか行くまいかと、気を
揉んで揉抜いた揚句、どうも
堪らなくなりまして思切って伺いましたので。
心からでございましょう、誰の挨拶もけんもほろろに聞えましたけれども、それはもうお米に
疑がかかったなんぞとは、

にも出しませんで、逢って帰れ! と部屋へ通されましてございます。
それでも
生命はあったか、と世を隔てたものにでも逢いますような心持。いきなり
縋り寄って、寝ている夜具の袖へ手をかけますと、
密と目をあいて
私の顔を見ましたっけ、三日四日が間にめっきりやつれてしまいました、顔を見ますと二人とも声よりは
前へ涙なんでございます。
物もいわないで、あの
女が前髪のこわれた額際まで、
天鵞絨の襟を
引かぶったきり、ふるえて泣いてるのでございましょう。
ようよう口を利かせますまでには、大概骨が折れた事じゃアありません。
口説いたり、すかしたり、
怨んでみたり、叱ったり、いろいろにいたして訳を聞きますると、申訳をするまでもない、お
金子に手もつけはしませんが、
験のある祈をされて、居ても立ってもいられなくなったことがある。
それは

やっぱりお
金子の事で、私は飛んだ心得違いをいたしました、もうどうしましょう。もとよりお金子は数さえ存じません位ですが、心では誠に済まないことをしましたので、神様、仏様にはどんな
御罰を
蒙るか知れません。
憎らしい鼻の
爺は、それはそれは空恐ろしいほど、私の心の内を見抜いていて、日に幾たびとなく
枕許へ参っては、
(
女、罪のないことは
私がよう知っている、じゃが、心に済まぬ事があろう、私を頼め、助けてやる、)と、つけつまわしつ謂うのだそうで。
お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、
厭と
冠をふり廻すと申すこと。それは私も
同一だけれども、罪のないものが何を
恐がって、煩うということがあるものか。済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、頼むようにすりゃ泣きますね、調子もかわって目の色も
穏でないようでございましたが、仕方がございません。で、しおしおその日は帰りまして、一杯になる胸を
掻破りたいほど、私が案ずるよりあの
女の容体は一倍で、とうとう貴方、前後が分らず、厭なことを口走りまして、時々、それ
巡査さんが捕まえる、きゃっといって
刎起きたり、目を見据えましては、うっとりしていて、ああ、
真暗だこと、牢へ入れられたと申しちゃあ泣くようになりました。そんな
容子で、一日々々、このごろでは目もあてられませんように弱りまして、ろくろく湯水も通しません。
何か、いろんな恐しいものが寄って
集って
苛みますような
塩梅、爺にさえ縋って頼めば、またお日様が拝まれようと、自分の口からも気の
確な時は申しながら、それは殺されても厭だといいまする。
神でも仏でも、尊い手をお延ばし下すって、早く引上げてやって頂かねば、見る
中にも砂一粒ずつ地の下へ崩れてお米は貴方、旦那様。
奈落の底までも落ちて参りますような様子なのでございます。その上意地悪く、鼻めが沢井様へ
入り込みますこと、毎日のよう。奥様はその祈の時からすっかり御信心をなすったそうで、畳の上へも一件の杖をおつかせなさいますお扱い、それでお米の枕許をことことと叩いちゃあ、
(気分はどうじゃ、)といいますそうな。」
十七
お幾は
年紀の功だけに、身を震わさないばかりであったが、
「いえ、もう下らないこと、くどくど申上げまして、よくお聞き遊ばして下さいました。昔ものの口不調法、随分御退屈をなすったでございましょう。
他に相談相手といってはなし、交番へ届けまして助けて頂きますわけのものではなし、また親類のものでも
知己でも、
私が話を聞いてくれそうなものには謂いました処で
思遣にも何にもなるものじゃあございません、旦那様が聞いて下さいましたので、私は半分だけ、荷を下しましたように存じます。その御深切だけで、もう沢山なのでございますが、欲には旦那様何とか御判断下さいますわけには参りませんか。
こんな事を申しましてお聞上げ
······どころか、もしお気に障りましては恐入りますけれども、一度旦那様をお見上げ申しましてからの、お米の心は私がよく存じております。
囈言にも今度のその何か済まないことやらも、旦那様に対してお恥かしいことのようでもございますが、
仂ない事を。
飛んだことをいう奴だと思し召しますなら、私だけをお叱り下さいまして、何にも知りませんお米をおさげすみ下さいますなえ。
それにつけ
彼につけましても時ならぬこの辺へ、旦那様のお立寄遊ばしたのを、私はお引合せと思いますが、飛んだ因縁だとおあきらめ下さいまして、どうぞ
一番一言でも何とか力になりますよう、おっしゃっては下さいませんか。何しろ煩っておりますので、片時でもほッという
呼吸をつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」と
言も切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともに
真は
面にあふれたのである。
行懸り、
言の端、察するに
頼母しき紳士と思い、且つ小山を
婆が目からその
風采を推して、名のある医士であるとしたらしい。
正に大審院に、高き天を頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、
渠は実際、事の
本末を、
冷かに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、
言下に打出して事理を決する答をば、与え得ないで、
「都を少しでも放れると、
怪しからん話があるな、婆さん。」とばかり
吐息とともにいったのであるが、言外おのずからその
明眸の届くべき大審院の椅子の周囲、
西北三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって
露れた。
「どうぞまあ、何は
措きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまいました。決してあの、唯今のことにつきましておねだり申しますのではございません、これからは茶店を預ります商売
冥利、精一杯の
御馳走、きざ柿でも
剥いて差上げましょう。生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰に
埋んで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。
······どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」
今は物思いに沈んで、
一秒の間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとく
疾く、
颯と繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁む
外の
方を、欄干
越に
打見遣った。
黄昏や、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝を
蔽える下道を、
黒白に紛るる女の姿、
縁の糸に引寄せられけむ、裾も
袂も
鬢の毛も、
夕の風に漂う風情。
十八
「おお、あれは。」
「お米でございますよ、あれ、旦那様、お米さん、」と判事にいうやら、
女を呼ぶやら。お幾は段を
踏辷らすようにしてずるりと下りて店さきへ駆け出すと、
欄干の下を駆け抜けて壁について今、婆さんの前へ
衝と来たお米、素足のままで、
細帯ばかり、空色の
袷に襟のかかった
寝衣の
形で、寝床を
脱出した
窶れた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に
爪先を取られて、うつむけさまに倒れかかって、横に流れて
蹌踉く処を、
「あッ、」といって、手を取った。婆さんは
背を支えて、どッさり尻をついて膝を折りざまに、お米を内へ抱え込むと、ばったり諸共に畳の上。
この
煽りに、婆さんが座右の火鉢の火の、
先刻から
じょうに成果てたのが、
真白にぱっと散って、
女の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと
懸ったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。
「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな
呼吸づかい、疲果てた身を
悶えて、
「
厭よう、つかまえられるよう。」
「誰に、誰につかまえられるんだよ。」
「厭ですよ、あれ、
巡査さん。」
「何、巡査さんが、」と驚いたが、抱く手の濡れるほど哀れ冷汗びっしょりで、身を
揉んで逃げようとするので、さては私だという見境ももうなくなったと、気がついて悲しくなった。
「しっかりしておくれ、お米さん、しっかりしておくれよ、ねえ。」
お米はただ切なそうに、ああああというばかりであったが、急にまた堪え得ぬばかり、
「堪忍よう、あれ、」と叫んだ。
「堪忍をするから
謝罪れの。どこをどう狂い廻っても、
私が目から隠れる穴はないぞの。無くなった
金子は今日出たが、
汝が罪は消えぬのじゃ。
女、さあ、
私を頼め、足を頂け、こりゃこの杖に
縋れ。」と蚊の
呻くようなる声して、ぶつぶついうその音調は、一たび口を出でて、唇を垂れ
蔽える鼻に
入ってやがて他の耳に
来るならずや。異様なる持主は、その鼻を
真俯向けに、長やかなる顔を薄暗がりの中に据え、一道の臭気を放って、いつか土間に立ってかの杖で土をことことと
鳴していた。
「あれ。」打てば響くがごとくお米が身内はわなないた。
堪りかねて婆さんは、鼻に向って
屹と居直ったが、
爺がクンクンと鳴して左右に
蠢めかしたのを一目見ると、しりごみをして固くお米を抱きながら
竦んだ。
「杖に縋って早や助かれ。
女やい、女、金子は盗まいでも、自分の心が
汝が身を責殺すのじゃわ、たわけ奴めが、フン。
我を頼め、膝を抱け、杖に縋れ、これ、
生命が無いぞの。」と洞穴の奥から
幽に、呼ぶよう、人間の耳に聞えて、この
淫魔ほざきながら、したたかの
狼藉かな。杖を逆に取って、うつぶしになって
上口に倒れている、お米の
衣の裾をハタと打って、また打った。
「厭よ、厭よ、厭よう。」と今はと見ゆる悲鳴である。
「この、たわけ
奴の。」
段の上にすッくと立って、名家の彫像のごとく、目まじろきもしないで、一
場の光景を見詰めていた黒き
衣、白き
面、
清
鶴に似たる判事は、
衝と下りて、ずッと寄って、お米の
枕頭に座を占めた。
威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけた目でじっと見ると、予言者の鼻は居所をかえて一足
退った、鼻と共に進退して、その杖の
引込んだことはいうまでもなかろう。
目もくれず判事は
静にお米の肩に手を
載せた。
軽くおさえて、しばらくして、
「
謂うことが分るか、姉さん、分るかい、お前さんはね、紛失したというその五百円を盗みも、見もしないが、欲しいと思ったんだろうね。
可し、欲しいと思った。それは深切なこの婆さんが、
金子を頂かされたのを見て、あの金子が自分のものなら、
老人のものにしたいと、
······そうだ。そこを見込まれたのだ。何、妙なものに
出会して気を痛めたに違いなかろう。むむ、思ったばかり罪はないよ、たとい、不思議なものの
咎があっても、私が申請けよう。さあ、しっかりとつかまれ。私が
楯になって
怪いものの目から隠してやろう。ずっと寄れ、さあこの
身体につかまってその
動悸を鎮めるが可い。放すな。」と
爽かにいった
言につれ、声につれ、お米は震いつくばかり、人目に消えよと取縋った。
「婆さん、
明を。」
飛上るようにして、やがてお幾が捧げ出した
灯の影に、と見れば、予言者はくるりと
背後向になって、耳を傾けて、
真鍮の耳掻を悠々とつかいながら、判事の
言を聞澄しているかのごとくであった。
「安心しな、姉さん、心に罪があっても大事はない。私が許す、小山由之助だ、大審院の判事が許して、その証拠に、
盗をしたいと思ったお前と一所になろう。婆さん、
媒妁人は頼んだよ。」
迷信の深い小山夫人は、その後永く鳥獣の肉と
茶断をして、判事の無事を祈っている。
蓋し当時、夫婦を
呪詛するという
捨台辞を残して、
我言かくのごとく
違わじと、杖をもって土を打つこと三たびにして、
薄月の十日の宵の、十二社の池の周囲を弓なりに、飛ぶかとばかり走り去った、予言者の鼻の行方がいまだに分らないからのことである。
明治三十四(一九〇一)年一月