道は闇の中に一筋西に通っております。両側は
わたくしは
下の方は横一文字の鉄道線路の土手で
わたくしが物ごゝろついた六七歳時分の、家の事を考えてみますと、小ぢんまりしたしもた屋で細い川の河岸に在りました。家の中は
母は眼は少し窪んでいましたが
「先生は、肺病で気狂筋と来てるんだから始末が悪いよ」
母はこう言って、しまと眼顔で冷笑し合いました。しまの言うところに依ると父は大変な学者で大学の先生もしている。母は下谷の雛妓だった時分に父に見染められて、それからずっと
わたくしが十三になった頃、父はぱったり来なくなりました。父は肺病で死にました。
そのずっとまえ、わたくしのごく幼い頃から母はわたくしに気に入らないことがあると妙なことを申すのです。
「へん、お
するとしまは、むっとした様子を見せ、
「お新造さん、いくら何でも、それだけはおよしなさいませ」
母は「なに
そのわけはしまの口からだん/\判って来ました。この中老の女とて終始、子供のためを想うとか幼なごゝろを飽くまで
「お蝶さまはご自分のお腹をお痛めなすったお子さまじゃございませんか。何が憎くてそうも酷いことが仰しゃられるんでございましょう」
このしまという女は小さいときから父の本宅、豊島家に
おなじ取仕切った微笑の唇から彼女は楽しそうに、またわたくしの父の身の上の秘密をまるで物語のようにして話すのでした。
憲法発布の明治の頃、日暮里の
もとは伊勢藩の
当時赤坂の竜土町に甲州出で天下の豊島と呼ばれている事業家がいました。もっともその頃は天下の糸平をはじめ少し剛腹で山気のある人間には天下という名をつけて呼び慣わす癖がありましたから、この豊島もそれほどの商人ではなかったかも知れませんが、三方窓の張出し玄関の広間の中央に大火鉢を据えつけ、その前に
発明節の親子乞食は一週間に一度ぐらいずつこの方面へ立廻って来て、豊島の応接間の窓に立ちます。すると豊島は煙草入れの中に入っている小銭を与えながら、乞食の仲間の貰いの様子、家々の屑の捨て方の
ある朝、親子乞食が来たので豊島は窓へ来ますと、子供が紙片れを差出しました。それは同じ長屋に住む浮浪人たちの毎度の食べものを表に作って記したものでありました。
ヅケとか川越チャブとか鮒チャブとか、それは子供が僅に同宿者に教えて貰った片仮名と数字だけで印づけられたものであって、かなり口の説明を添えねばならぬものがありましたけれども、豊島が、親に向って一番
「これ、おまえ一人で考えて書いたのか」
「あゝ、そうだよ、おじさん」
豊島は、うーむと唸りました。
「この小僧、見どころがあるぞ。おやじ、この小僧を俺の家へ置いて行け」
発明乞食の父親は眼を放心したように
子供の蝶造は
豊島家には元来、姉と弟とありまして、弟が相続人です。で娘は婿につけて目黒の別邸の方へ家を持たせられました。この姉娘の婿||すなわち蝶造がわたくしの父だったのでございました。
父はこの結婚に満足したのでしょうか。しまに言わせると満足していたと言います。なにしろ
もちろん、それもございましょう。しかし、それだけではあゝまで永く母のような女を持ち切れるものではございません。わたくしに言わせますれば||これはわたくしがずっと育った後の観察ですけれども||父は母に妙なものをあさっていたのではないかと思います。母は
たゞ、わたくしの母だけは、父から面と向ってその話の出るのを極端に嫌いました。話の
母は父が言うのを嫌う癖にわたくしに向ってはとき/″\自分の口からずば/\洩して
だが、そのうちにも何としても堪え難い目に遭ってつく/″\身の
秋の日曜の朝、目黒の父の家の夫人からわたくしに秋祭りがあるから遊びに参れとの使いです。こんなことはわたくしが生れて以来始めてゞす。もっともしまの言うところによると、自分に子供がないせいか夫人はたび/\わたくしを自邸へ呼び寄せるよう父に申し出たそうですが、父は断然、反対して遂にそのことが無かったのだと言います。
「おや、珍らしい。旦那さまのお気がお弱りになったのじゃないかしら」
この一月半ほど前から父がわたくしの母の家に姿を見せなかったのなぞも考え合せてしまはこんなことを言いました。
「きりゝしゃんとして」
母はわたくしに十二分の
「ほんとに、いゝかよ。ぼや/\しているんじゃないよ。おっかさんの恥にまでなるんだから」
また、一つ背中を叩きました。わたくしはその度びに頸ががくりとなって「あうん」と返事いたしました。「わたくしもあとからお手伝いに行きますよ」というしまに見送られ、自動車の広い座席にわたくしはお土産の栄太楼の
別邸といいながら本邸造りです。四五段の石段を上ると玉石を敷き詰めた広場があり、
「蝶ちゃんでしょう。まあ/\/\よくね」と言いました。わたくしは直ぐこれが夫人だと判りましたので一つお
「綺麗におけい/\(お化粧)が出来て、おべべ(着物)もよくお似合い」
そう言って夫人はわたくしの
「ほんとによいおべゝ」
夫人は何の失態も見出せなかったらしく、こう言って
運転手から受取って書生が差出した土産ものゝ包みに向っては「こんなことをしないでもいゝのに」と言って
わたくしは、きょう逢う人は本家の正妻、そして自分の母は
「さあ/\みなさん、おばさんが可愛がっている親類の子が来ました。名前は蝶ちゃんと言いますよ。みんな仲好く遊んであげて下さい」
わたくしを遊びの席のまん中へ割り込まして呉れました。それから成るべくわたくしに附添うようにして遊びの判らない仕方は手伝って教えて呉れたり、お不浄場へも自分で連れて行って裾を
遊びに夢中になっていた子供たちは新入のわたくしに向ってたいした関心も払わず「君の番だよ」とか「あんた、そいじゃ駄目よ」とか
面白さに融け、親切に融け、わたくしの中に
ほのかに
けれども子供というものは仕方のないもので、この身慄いするほど嫌なお務めを今度もしなくてはならないのを直ぐ忘れて、また夫人に掻きつくのでした。また襲って来る象牙の面の頬ずり||
こういうことが四五回もあってお昼のご飯になりました。食堂と呼ばれる別の部屋でそこも昼に電灯がついていました。鏡板や食器棚などがあってまるで西洋料理店みたいな部屋でした。夫人がテーブルの端に坐って、わたくしは直ぐ隣の角、それから左右の他の子供たちも並びました。チキンサンドイッチが出るかと思えば玉子焼やら
「さあ、おばさんは御病人のお食事の面倒を見て来なくちゃ、蝶ちゃん一人で食べていらっしゃい。直ぐ来ますから」
と言って立って行きました。
あとで目黒名物の栗のご飯が出ました。わたくしはこういう
「まだ、食べてるのかい。あの子は」
「はあ」
「食ものにがつ/\してるね。他の子に対しても見っともないじゃないか」
「でも」
「お里を出すね、やっぱり」
夫人の声は決定的な
わたくしはこれを聞くと、意味は充分には判らないながら

「おうちへ||帰るう||」
と唱えました。二人の女中は周章て飛んで来て

「勝手におしな」
代って、ひょっこりうちのしまが現れました。しまはわたくしの後から電車で来てお勝手の手伝いをしていたのだそうです。しまはかなりわたくしを静めるこつを知っているので、わたくしはどうやら慰められ、抱きかゝえられて機嫌直しに裏の田圃へ連れ出されました。
小川が流れています。その片側に蓋の無い大きく四角い樋が通っていて綺麗な水が早瀬のように流れています。樋は錆び
みそ萩、露草、猫じゃらし、そういった雑草がわたくしの立つ道端から樋の水を覆って乱れ伏しています。
「
取ろうとすると、あの小舟のような形をした虫の舳のようなところについている
わたくしはほっと息を吐いて立上り、水音を背にして田圃の方を眺め渡しました。しまは「仏さまの花、仏さまの花」と言って
わたくしはまた「はーっ」と今度は息をもっと深く吐きました。こゝは一たいどこであろう。そして自分はどうしてこんなところへ来ているのであろう。
三月の雛祭りに
田園の
わたくしは三度目の息をほーっと吐きました。するとどこに残って溜っていたのでしょうか、悲しみに少し甘酸っぱい味がついて、それが胸を蜜柑の房のように絞るとその悲しみは
このとき、しまが手に一ぱい秋の野の花を抱えて戻って来まして「さあ、うちへ入って、みんなと一緒に神社のお祭りへ行くんです」と言って自分でそこにいた蝗を巧に捉えてわたしの手に一疋握らして呉れました。私は少し脅えにぎゅっとそれを握りながら、もう、あんな茨の館へは帰り度くない。おうちへ帰ると言い張りました。
するとしまはちょっと考えていたが、
「そりゃそうかも知れませんね。やっぱり相手がなさぬ仲の奥さまですからね」
と言いました。それから、急に声を落して、
「じゃ、ま、おうちへ帰るとして、そのまえ、内密でちょっと、おとうさまにお逢わせしてあげましょう」と言いました。
しまに手をひかれて、物置と古びた南京羽目との間の細い道を入って行きますと、
うす暗くて床が低く妙に湿っぽい感じのする部屋でしたけれども、二間ほどの窓が開いていて、明りがそこから射し込むのですからその前にいる人の姿は明暗の影を帯びてはっきり見えます。
痩せて肩が
父は「うむ」と返事をしましたが、顔には脅えだけ除かれて、たゞ張り拡がったまゝ縮まない無気味に
ちょっと間を置いて、父の手から竿はぽたりと落ち、ぎごちない立て膝はきちんと坐り直され、左手を内懐へ入れたいつもの父の坐り方になりました。
「どうも、この頃はうちで酒を飲まさんで困る。酒を飲まさんじゃ||」
そう言って首を二つ三つ振りました。
しまが何か言おうとするまえに、父はにやりと笑って、
「おまえ、内密で||」
これだ/\といって左の手でコップを
「困りますですね」と言ったしまは、それでもどっかへ出て行って台附コップへ赤葡萄酒を八分目ほど入れたものを運んで来ました。
父はそれを受取ると震える手で酒を
この間の父は全く自分の気持だけを相手とした所作であって、前に私たちがいるのを感じていない様子でしたが、それが済むと膝の上へ突立てた腕の肘を右の手で
「お蝶か、よく来たな」
そして遠視眼の人のするように眼を
「大きくなったな」
さも懐かしみ慈しむように顔を交る/″\右左にやゝ傾けながら始めて見る娘ででもあるようにわたくしの顔を覗き見るのでした。
わたくしは父は好きでしたけれども、とき/″\家に来て逢う父はいつもぴり/\電気が身体中に充満しているような父で、傍にいれば鋭い男性の力で間断なく
ところがいま眼の前の父の言葉といい、態度といい、全く思いがけないもので何だかわたくしの身体に融け入って来る
父は変った。父はもういなくなった。代った父がいる。
わたくしの戸惑った表情を見て取ったのでしょうか、父は腕を腕組に組み直しながら眼はなおもわたくしから離さず、しみじみ何か言って聞かせました。わたくしが後年しまから度々聞いたところによりますと、
「お蝶、おまえは、まだ七つで俺の言うことはよく判らないだろうが、大きくなったらしまからお聞き、人間はなあ、四十を過ぎたらまた元の根に帰るものだ。二度と生涯を出直すにしても、一たんは根に帰るものだ。そうしなければとても心が寂しくてやり切れない。殊に俺のような無理をして伸びて来た人間はな」
と父は言ったそうでございます。そのときわたくしの後にいたしまは、父の言葉が幾らか年齢の功の勘で受取れたので、つく/″\、
「全くでございますね。旦那さまの
と私に代って答えたようでございます。父は例のフランス
「ところが、俺は病気になった。もう精魂も尽きている。根に還る気力も体力もない。あせりと酒がこんなにした。たゞもうこんなに、うと/\しながら根を恋しがっている。全くつまらん」
「でも、まだ」としまが宥めかけると父は首を振って、
「いや判っている。あのくらいの葡萄酒じゃ、もう
父の顔は再び酒を飲まないまえの虚脱してたゞ緊張のまゝ鯱張った顔に戻って来ました。
「あーあ、眠むくなった。どれ、あのしっとり湿って
父は手枕をして横になりかけました。わたくしは何か胸に一ぱい迫るものがありながら、こゝで何とそれを言い現していゝか判らないので、たゞ丁寧に頭を下げて、
「おとうさま、さよなら」と言いました。すると、父は、少し起き直って、わたくしの顔を見ましたが、涙を二つぶ三つぶ
「うん、さよなら」
と言って、ころりと横になりました。
しまは、そこに在った丹前を父の寝姿の上にかけました。棕梠竹の林を透けてきら/\した緑色の羽根が光り、鋭い叫声が聞えました。しまは小さい声でお庭の孔雀が鳴くのですと言った。送り帰される自動車の中でふと気がついてみるとわたくしはまだ先ほどしまが田圃で握らして呉れた蝗をしっかり握り締めていました。蝗は手のぬくもりに暖まって死んでいました。樹脂色の蝗の
家へ帰って来ると母は、しまに、
「どうだったい。首実検の様子は」
と言いました。しまは
「とても、そりゃ、ご無理ですよ」
と言いました。すると母は私の顔を見て笑って、
「蝶ちゃん、おまえさんがふったのかい、それとも向うにふられたのかい。しかし、人が七つまでも育てた子をぬけ/\と人から
と言いました。母は何だか上機嫌でした。
ついに自分に子が出来ないと思いきわめた夫人は、世間によく例のある
そして最後に会ったとき却って何だかわたくしの生命に
母はまた、ふだん何の真味の親娘の愛情も持たない癖に、奪われそうになった子が手に戻ったとなると、ちやほやして上機嫌になるとは、何が何やらさっぱり判りません。
父はその後だん/\床につくようになり、一年足らずの翌年の夏に
父が死んでから、わたくしの家と本邸とは全く絶縁になりました。母は
しかし何度か噂を
「色恋だなんて、あんな面倒臭いもの、どうして世間であんなに騒ぐんだろう」
母は始終こう言っていました。
母は自分でも多少の小金は
しまは母から給料の減額を申渡されましたが、こゝの家にいる方がいっそ暢気でいゝと言って動きませんばかりでなく指物屋を呼んで来て、自分の部屋へ仏壇など
わたくしは家にいるより学校にいる方が好きでした。何とも得体の判らない家の生活に混っていると、いつまで経っても割り切れない奇数の出続ける数字を扱っているようなもどかしさから不安の気持に襲われました。母は浮気の沙汰こそないけれども、父が
母が道具類の好きなことは前にちょっと申しましたが、ほとんど毎日、古道具屋
母はこの雰囲気の中に坐りながら、しょっちゅう、何かしら道具を膝の上に置いて、楊子で間に挟まった
「よい道具の中にいると、しぜんと人間に品がつくもんだよ。そして持ってるうちに道具は値が出るしさ」
はじめは道具好きの連中が入り込んで来たのでしょうが、友は友を呼んで、将棋が始まったり、俳諧が始まったり、やがて酒宴になります。八々のような金銭を賭ける遊びごとは品が悪いと言って母は許しませんでした。
母がこれ等の連中に対する態度は、大ようにして、あまりに干渉しませんでした。けれども利目利目には口を出します。
「だめ/\、うちの物をそんなに使っちゃ。いくらの金目になるものか考えて貰い度いね。そんなに沢山要るものは、自分たちでお金を出して、しまに買って来て貰ってお使いなさいよ」
すると、連中は「へい/\」と頭を掻く真似なぞして母の言うなり通りにします。
こういうのはどういう場合かと言うと、例えば半紙なら二三枚か四五枚ぐらいのところならば母は黙って見ていますけれども、帳面でも作るようなことがあって、欲しがる半紙の量が
「なんだか陰気な日で、くさ/\するじゃないの。どう、みんなでおいしいものを喰べない。なんか喰べ度いじゃないの」
こう言って懐の暖かそうな二三へ誘いをかけます。そのと
「そら、また、おばさんの食い
と苦笑しながらも誰かゞ
こんなことが続けられて行くうちに、不思議にも、来る連中の顔触れが決まってしまって、その人々は下町でも金持とか物持とかいわれる家の息子ばかり六七人になりました。池上の清太郎も入っていました。
この
「どうして、御新造さんの凄腕と来たら、同じいらっしゃいと言う挨拶の言葉のかけ方一つにも、ちゃんと特等と一等と並があるんですからね。なにしろ下谷で雛妓時代にも、いい姐さんが泣かされたといいますからね」
それから、しまはこんなことも言いました。
「お蝶さま、見てらっしゃい。お新造さんはだん/\あの連中の中から、あなたの
わたくしは家のこんな雰囲気が嫌いなものですから、出来るだけ、学校に残るようにして、図書室へ入ったり、テニスをしたり、先生の舎宅へ呼ばれたりして、暇を
F||学園の校長さんは地方の
前に申しましたような家の事情でわたくしには男というものはそう珍らしいものではありません。だが、今まで見つけて来た男というのは主に下町の男たちで、何やらにちゃ/\したものと
吉良という子と義光ちゃんという子と八重子という小さい女の子とが、いつの間にかわたくしのパアテイを形造るようになりました。吉良という子は肩や胸の辺に男の子の力が集まって、胴から下とか手足は棒のようについている恰好の少年でした。バスケットボールをして、この子がボールを拾い当てます。すると、ボールを
この三人とわたくしは、また、舎宅に住んでいる安宅先生に所属のグループでもありました。各舎宅の先生は自分と自然に気に合う生徒たちを三四人か五六人ずつ選んで自由な出入りを許していました。
安宅先生の書斎に入り込んでわたくしは先生の廻転椅子に寄りかゝります。
安宅先生は、体操の女教員でした。しばらくフヰンランドへ行っていられて、
先生は朴のような柔い木で作ってそれにネルを張ったような感触を持っている三十五六の独身嬢です。
生徒たちは想像の限りいろ/\な噂を立てます。その園芸手の葛岡はまたわたくしが好きである。その為め安宅先生は内心ひそかに
もっともわたくしとても、年齢からいってそろ/\人恋しい時代で、心の中にうずく痛痒い情緒につれ、学課の暇には歎きの面持で花畑をさまよったり、
わたくしが人恋うる気持の中には、
このことが度重なれば、ときには葛岡にも出会います。葛岡は花畑の添木をさしてやっていたり、噴霧器で果樹に殺虫剤を噴きかけていたりします。わたくしを見ても知らん顔をして横向きのまゝ、わたくしの足の先五六尺のところへさいかちの虫を投げ出したり、木枝についている蛾の
「よしてよ。びっくりするわ」
と言いますと、葛岡は笑いを堪えるように下唇を前歯で噛み押えながら、急に忙しい風を装って知らん顔を通してしまいます。こんなことが幾度、人に見られたとて噂の種になるほどのものではありません。わたくしは一時、葛岡の所作によって気を
眼の前には、丘の傾斜に在る先生たちの舎宅の一劃が見え、更に一段下った崖端の平地には学園の建物が
晴れた日は大山から箱根の山脈の上に富士が覗くこともあります。右手に遥か秩父の連山が浮いています。
晩秋のうす曇りの日に私は竜の
それで私は寂しくなる
風はだん/\強くなって来ます。校庭のポプラの大木は黄金色になって狐の尾を逆に立てたように梢をうち振り始めましたが、私の耳にうしろから強く吹き当てる風が叫び度くなるほど一しきり凄しい響を立てゝから間も無く、ポプラの大木は鞭のように

私の膝の上に残った葡萄の大房は、風で鼻尖や頬を

葛岡は園芸学校を出てからこの学校に雇われ、生徒の園芸の実習の手伝いや園庭の監督をしていましたが、もと、山の手の小さい植木屋の息子で縁日の夜店などにも出たことがあると語っていました。何の癖もない大柄の青年で、
二三日して学校が
小屋の前に
葛岡はわたくしを見ても気の付かぬ振りをして相変らず何とも言わずに例の上歯で下唇を噛み押えて笑いを我慢する様子をして、かたん/\いわすのを続けています。わたくしはちょっと軽蔑されたような憤りを感じましたが、なにを
すると、やっと葛岡は気がついたふうをしてわたくしを見上げ、眼を
「温室で出来たアレキサンドリアだよ。うまかったかい」と子供をあやすような調子で言いました。
「吉良や義光ちゃんたちでみんな食べてしまったわ」
葛岡は「なんだい。そうか」とつまらなそうに言いましたが「じゃ、またやる。いつか」と言ったなり、もう、わたくしには関心を持たない振りをして罠の蓋の手入れにかゝりました。
わたくしはこれだけでは何だかつまらない気がしたので、ちょっとこの青年をしゃくってみる気持が湧いたのは、やっぱり年頃近くなった娘のせいでしょうか。
「あたしより、安宅先生に上げたら、どう」
そして、言ってしまったあとで、何だか安宅先生を利用した形になったのを済まなく思う気持が
葛岡は、この言葉を訊くと、こっちが眩しくなるくらいわたくしの顔を見詰めましたが、
「君には、まだ何も判っていない。まあ、いゝ」
と言って、手の甲で鼻を
ある日、
「さあ、いくら、いま一声、早いとこ、勇敢に、さあいま一声」
すると、坐って眺めている連中は、どっと笑いましたが、中の一人が気取った声を立てました。
「三十三銭」
息子は「え」といって聞えない振りをして、片手を耳に当てゝ首を前に突出しましたが、すぐ判った振りをして、
「なに、三十三銭。えー三十と三銭。
こゝでぱん/\/\と手を
「負けて置こう。さあ、持ってけ」
笑い声がまた起った。中から一人が伸び出して息子から古ぼけた
「や、お目出度う。永く御家宝ものです」と言った。するとまた一座はどっと笑った。
息子は、今度は
「さあ、今度はたいしたもんだぞ、木質は天竺、
「
誰かが
母はどうしてるかと見ると、例の自分の長火鉢の前に坐って、子供を遊ばしてるような詰らなそうな顔をしています。しかし「さあ、七銭からとお銭、飛んで十と五銭||」と
わたくしは、しばらく土間に立って、また、騒々しい嫌な催しが始まっているとくさ/\して、靴も脱がずに立っていました。障子を距てゝ、しまのいる女中部屋があります。しまはみんなが
しまは、わたくしがいつまでも土間に立っているのを見付けると、
「おや、お蝶さま、早く上ってご覧なさいましよ。蚤の市から
と言いました。わたくしは、そこで靴を脱ぎ、競りの場をすり脱けて母に「只今」の挨拶をしました。すると母は、
「蝶ちゃん、池上さんが退屈だから、あんたをご飯食べに連れてって、あげるとさ」
と言いました。
池上は意外なような顔付きで「そんなこたあ言やしない」と母を眺めましたが、母が空とぼけたような顔をしているのを見て、何か察した様子で、
「そうしてもいゝな。蝶ちゃん行こうか」
居ずまいを直しました。わたくしは、母が何か小細工をやってるなと感付かないこともございませんでしたけれども、娘として若い男とたゞ二人でどこかへ物を食べに連れて行かれることは始めてなので、珍らしく、それと池上は若旦那連の中ではわたくしには比較的感じがよい方なので、
「えゝ」と答えました。
母は顔の色を少しも動かさずに、
「行くんなら、家を別々に出るのよ||みんなに気取られちゃ駄目よ」
池上は先に家を出て行きました。わたくしは着物に着換えるために二階の自分の部屋へ上って行きました。こゝは、もと父の部屋であったのを、父の死後わたくしの部屋に宛てられ、部屋の調度など、かなり片付けられましたが、床の間の違い棚の上に法令書のようなものが二三冊、それから
窓の外の堀川の水へ夕栄えが映り、その反射がまた二階の天井へ射返して明るい波型が止め度もなく揺れております。わたくしはそれをぼんやり眺めて亡父の思い出に
C||橋の
他人行儀のような、そしてお互いに相手を呑み込んで軽蔑しているような、それ故に好感を持っていると言ったような妙なお
わたくしはまた、この棒立ち歩きに、どう連れだっていゝものか、趣向しあぐね、しかし相手が大股なものですから、とき/″\駆け足にならなくてはなりません。
石垣の乾きにもう初冬の色を見せている堀川は黒い水の上にうそ寒い
釣船屋の店には釣りの客が火鉢のまわりに集まって自慢話をしているらしく高笑いが聞えます。その店先には、きょう獲れた魚を盤台に盛り、往来へ向けて晴がましく列べてあるうえへ子供が
わたしは袂で鼻を押えながら鯔を覗き込みました。わたくしはこの魚の腥ささは嫌いでしたが、この魚の姿は好きでした。何の屈曲もなく鉛色と銀色のふた色で
父はわたくしの家へ来て、少し長
わたくしは、その煙のようなにおいを
「お蝶さま、はい、鯔のお臍」
わたくしは名前が面白いので、くゝと含み笑いしながら、喰べます。
そして気がついてみると父も鯔は喰べないけれども、この鯔の臓器は好きで、しまに拵えさしたのを膳の上に並べ、これを酒の肴に
しまが、わたくしのことを言うと、日頃、わたくしに無関心な父が、じーっとわたくしの顔を
わたくしも心に迫るものがあって、
「お父さまだって||」
と言い返しました。父とわたくしとが、心の触れ合うような生々した言葉を取り交わしたのは父の生涯に死の前、目黒の別邸で会ったときは別として、たったこれ一度だけのようと思います。
わたくしはそんなことを考えたので、釣船屋の前に
「何か面白いことがあるの。蝶ちゃんは魚が好きなの」
と言いました。
わたくしは只今の複雑な気持を短い言葉では返答し兼ねて、たゞ「えゝ」と言いました。すると池上は、
「そりゃ、いゝ。僕も獣より魚が好きだよ。今度一しょに釣に行って見ない」
と言いましたが、さすがに先を急ぐ様子を見せ、
「腹が減って来た。とにかく急ごう」
とわたくしを
川沿いの町はとっぷりと暮れ、藍墨いろの家並と藍墨いろの川の面を籠めた夜霧が、咽喉に冷たく吸い込まれるほど藤紫に濃くなって来ました。にじみ出すようにまた噴き出すように、蛍色や水晶色の灯が、水にも路面にも空にも、際立って感じられて来ます。ほろ/\と肩に散りかゝる河岸の秋の名残りの柳。
堀川が十字路になって幾つかの小橋が四方に見渡せる地点まで来ると、わたくし達も一つの橋を渡りました。
「この橋は男ばしと言うのだよ。そして向うに見える橋は女ばし||」
池上は、だいぶ口がほぐれて来たと見え、こんなことをわたくしに
そこは、むかし大川の河口の
たゞ、大川に面した河岸側だけ、むかし
「ちょうど川向きのお部屋が空いておりますが、少しお寒うございましょうか」
池上は「結構」と答えました。
広い座敷に、たった二人切り、床の間まえをやゝ川づらに近く食卓を据えて、川の夜景を障子の嵌硝子を透して、とき/″\眺めながら二人はぽつ/\箸を運びました。池上は飲める口と見え、徳利を自分で酌をしながら盃を口に運んでいます。女中は気を利かしたつもりか、食品の皿を運んで来たときにちょっと愛想を振りまくのほかは、あとは影を潜めています。
「まるで寒夜に千鳥でも聴きに来たようだ」
とか、
「元禄の頃、こゝから
とか池上は、話の
わたくしは大きくなってもまだ、食物を食べるときには例の癖を出して、さま/″\の思いに耽りながら「そう」とか「そうなの」とか、上の空の返事をしていました。
ふと、学園の園芸手葛岡が秋の陽ざしを浴びながら
どうかそういう気持もさせずにわたくしは葛岡と交際出来、またこうして池上ともつき合えたならわたくしはどんなに幸福であろうか。そうした男と女の
娘ごころに恋とか愛とかいうものも、この頃は胸の痛むほど欲しくなるときはありました。けれども、それ等は中味の違ったものが擬装している形であり、若し誤ってそれに引っかゝったなら突き詰めて行くほど、もどかしさに焦立たさせられるのでなければ、だん/\色を醜く
わたくしはこの怜悧で人の良い青年に、わたくしの人生の設計を話してみようか。
わたくしは、
「お酌してあげてよ」
池上は、
「男のお酌なんか滅多にしない方がいゝよ」
と優しく言いました。
わたくしは、折角してやったのに生意気なと思って、少し怒りを含んで、
「判ってるわ」と言いますと、わたくしの態度を、意表外に思ったものか池上は、機嫌をとる笑い方をして、
「僕にだけ、して呉れるというのなら、こりゃまた別だがね」
と冗談のようにして言いました。わたくしも、それに釣込まれて、
「じゃ、あんた、
と、やはり冗談のように言いました。
すると池上は、しばらく黙って俯向いていました。それから顔を
「正直のところは、実はそうなのだ」と言いました。
わたくしは
わたくしは、それに気が付くと少し驚いてその訳を訊ねました。すると池上は、人の事でもそういう無邪気で
元来地所持で資産の充分な池上の家では、瀬戸物町の店の麻問屋は、先祖伝来の商売を持ち伝えるというだけで発展の慾望はない。当主である清太郎の父の理兵衛は
清太郎が大学へ移ると、俳句や俳史に興味が傾いた。後見の三人はまたこの趣味を助長させることに力を入れました。旧派の宗匠や、新傾向の俳人が浜町の寮に招き寄せられた。
後見の三人にはなお一つ計画がある。理兵衛の妻同様、清太郎にも下町式のいわゆる「出来た嫁」さえ持たして置けば家はいつまでも安泰であろう||
「蝶ちゃん。君はまだ苦労知らずの娘だから、深い察しもつくまいが、人間が周りからこんなふうにされて素直に自分の思う方向に歩いて行けると思うかね」
清太郎は、もう徳利の四五本を空にしています。悪酔いする性質と見え、近代青年らしい眉のあまり濃くない顔は若葉の汁を塗ったように真っ蒼になっていて、唇だけが生々しくなっています。
「折角、人が心で何か純真に求めかけると、俗物共は寄って
酔いの乱れか、誰に言うともなく池上は眼を据えて、呟き始めます。
「
もとから根に
「女道楽はなお更のことさ。人に
それは自分の好みでもあるが、しかも俗物共への反抗も自分に混って
女中はこの間に、お嬢さんだけでも御飯にいたしましょうかと、二三度も訊きに来たが、池上は追い帰しました。
「もう、一言、蝶ちゃんに聴いて貰い度いことがあるんだ。いゝかね」
そして、両肘を立てゝ首を突出し、
「蝶ちゃんのおっかさんは、僕に蝶ちゃんを押し付けようと企らんでいる。おっかさんは僕が煮え切らないと見ると、蝶ちゃんを他へ妾に出すの、芸者にするのと
そして、池上は気狂い
「何だか知らないけど、そんなことに、あたしを仲間に入れないじゃいけないの」
わたくしは少し
「いかんね。すべて行動というものには、その行動を起すに足りるほど動機に魅力を持つものでなければ。というと難かしくて判るまいが、とにかく相手は蝶ちゃんでなければいけないということだ」
その熱心な言い方にわたくしは娘ごころの浅墓な歓びを感じます。わたくしは少し気取って「まあ、困っちまうわね」と言います。
そこで始めて池上は、あゝ酔ったと言って女中を呼び、わたくしに御飯を食べさして呉れました。こゝの店の名物だという菊の花の味噌漬を飯の上に載せたお茶漬けを食べていますと、川づらでぴよ/\と鳴く声が頻りに聞えます。女中は料理場で捨てる食ものゝ屑に鴎が寄って来るのだと言いました。
母だけが長火鉢の前に丹前を着てまだ起きていました。わたくしが「只今」と挨拶して二階の部屋へ上って行くとき、母親は「あいよ、お帰り」と優しく答えながらなぜかじっと瞳を
一年あまりは過ぎました。わたくしをだん/\避けて行く葛岡の
年の暮です。学園の学課は月末の二十三日の昼でおしまいになり、二十四日を一日置いて二十五日には安宅先生の家で出入りの園生たちが集まってクリスマスをすることになっております。それから来年の七日までは正月休みという訳です。
二十四日の朝、わたくしは二階の自分の部屋で、今学期だけで要らなくなった教科書や雑記帳の整理をしながら、来年は十八という娘盛りの齢になり、春の四月にはいよ/\高女程度を卒業して研究科へ入ることなど考えていますと、母から呼ばれて、知り合いへ年末の
第一に行くことになったのは学園へ通っては、特に世話になる安宅先生の宅です。実際のところは、去年の晩秋頃から理由もよく判らずにセンチメンタルになってしまった安宅先生を、気にしないまでもわたくしは少しうるさく感じ出し、五度のところは三度に、二度は一度にという工合に、安宅先生の宅へ立寄る足を抜いて来ました。近頃になっては一月に何回という
道や空一面に濃く靄がかゝり、それに午前の陽が
程よい距離を置いて聞えて来る犬の声や銃声は、わたくしに先生に対するなつかしさを取戻させました。そして荒い火薬の爆発する音にしても、一弾を放ってから、その撃ち損じを取り返す為めらしく、追い撃ちにするあと弾との距離の時間に、何となく、女が事を仕損じて、それを
櫟林は、丘の上では果樹園や花畑の背後を囲みながら学校教職員の舎宅のある段と、学園の建物のある段と、その下の多那川べりの灌漑地帯の田畑の平地と、三段になっている地層を抱きかゝえるように多那川の岸にまで立ち続いております。
わたくしは銃声と犬の声を目宛てに林の中に僅に通っている細い径を
音はすぐそこに聞えたと思って行ってみると、もうあらぬ方に犬の声が聞えます。自分でおかしくなるくらい
こうして
林の中の靄は一層に濃く、二十間ほど四方の外は漠々たるそれに取囲まれ、わたくしは、行けども/\果しの無い木立の中を
わたくしは自分のもと住んでいた天地に再び
何の奇もない平凡な景色で、学園のある懐地からの多那川の
川水に近くなって、畑地は終り、雑木と雑草とが茫々と藪になっている地帯があります。そして、この雑草地帯の下は二三年前、大洪水のあったときに大きく崖土を持って行かれて、その後も崖肌は白土のまゝ露き出され、水は淀んで、ちょっとした淵になっているようです。淵にはとき/″\小鴨の寄る話を安宅先生はしていました。銃の音も犬の声も聞えなくなったが、ことによると先生はそこに降りて行ってるかも知れない。
うっとりした気持を続けてわたくしは雑草地帯を通り抜けているものですから、幾分広くなった白土の道へ、その藪の中から
「学園のお嬢さん||」
と声を掛けられてもわたくしは、制服を着ていることではあるし、学園のお嬢さんに違いないと思うだけで、恐らく老人は日和の挨拶でもしようとするのだろうと思って
ところが、その次にわたくしは老人から、
「お嬢さん、焼いたお薯、食べませんか、おいしいですよ」
と言われてみて、思わずわたくしは叫び声の出そうになったのを危うく止めたほど二重の脅えを感じたのでした。
一つは、この老人に、わたくしの根が乞食の素性のものであるのを見破られたのかと思い、一つは没くなった父の心に深く住っていたことが、この老人の口を
わたくしが、父の心を探りますのに、父は人世の疲労の極、中年過ぎより、こども時分にそれによって育った
わたくしが、自分は乞食の素性をひく娘だということは、日頃父のその気持の探求に耽りつゝあるときでも、わたくし自身に対しては忘れていたものである。わたくしは寂しさを風の音にも掻き立てられる性分でありながら、一方わたくしには、父の勝気に母の技巧家のところも多少は混り入って、人の目にはとかく派手で、心に止まる娘であるらしい。人の目にはこうも見られている若い娘が、つい自分でもその気にならないことはないし、事実、花を見ても月を見ても、その当座の分として、わたくしは恐らく人並の娘以上に面白さを感ずる性質であるでしょう。また、母も、わたくしが年頃になり、売物として花を飾らなければならない必要から、乞食の子呼ばりは

だが、いままた、わたくしの酔うた夢を醒すかのように浅ましい声が聞える。
「焼いたお薯、食べませんか。おいしいですよ。お嬢さん」
わたくしは
「汚なくありませんよ。お嬢さん。箸で挟んで火に出し入れして、そして私の手はちっともつけないんだから」
とまれ、わたくしは
出鱈目な服装はしているが、それほど汚くはない。手も顔も小さくて、
「何のお薯なの」
と、先ず訊ね返してみました。老人は、
「唐の芋、そら、お
黒い塊を冷めるように暫らく空気中を振り廻してからわたくしに串の根元を渡しました。
老人は、
「もう冷めたでしょう。自分で
わたくしは、なお決意しかねていると、老人は同じ
「さっき、安宅先生と葛岡さんも通りかゝって食べて行きましたよ。おいしいって言ってましたよ」
わたくしのこころは、自分の素性の懸念のことから一足飛びに葛岡に対する思惑へと飛躍します。一年以上も、あんなにわたくしに
「あんた、安宅先生や葛岡さんを知ってるの」
すると老人は得意になって、
「学園の先生なら、校長さんはじめみんな知ってますよ。何しろ、わたしがこの辺にいるのは学園よりも旧いんだからねえ」
老人はわけて安宅先生と葛岡には、猟銃や、草木の採集に関係して以前から親しく口を利く間柄だと言いました。
「珍らしい草や木があったら、葛岡さんに教えてやる。土地に鳥のついたところは安宅先生に教えてやる。別に礼を貰うわけじゃありませんがね、そういうものを見付けたら、誰かに教えてやりたくて
わたくしは、この老人にだん/\安心して来ました。晩年に性も魂も抜け果てゝ、たゞ枯れるを待つ鉢植の植木のようになった父を、もし生かして大地へ下ろし、土の精気で健康を恢復さしたら、思いの外、こんな軽くて感じの良い老人になったのではないかとさえ考えながら、腹が餓えていたためでもあるでしょうが、わたくしはいつの間にか唐の芋を、

「あら、おいしいわ」
すると老人は、「それ見なさい」と言ったが、どこかから新藁を運んで来て敷いて呉れました。
「学園はもう休みでしょう。まあ、休んでいきなさい。冬の川原の景色も見とくものですよ」
それから「
わたくしは、きれいな新藁に腰を下して唐の芋を食べ進んでいますと、それは
「みゝずという奴は、眼も耳も無い癖に、
老人は焚火の木箸を止め、滑稽に自分の首を縮めて真似をして見せます。それはわたくしを面白がらせて、少しでも永くこの座にいさしたい気持が充分に
けれどもわたくしは、いよ/\ものに思い耽って、たゞ愛想に微笑するくらいでいますと、老人は、この手でわたくしの興味を
「何でも、安宅先生は、来年から学園を退くようになるんだってね。お嬢さん知ってるかね」
と言いました。これはわたくしには寝耳に水です。わたくしの意識は
「知らないわ、それ本当?」
わたくしには、また何か葛岡との間に問題でも起ったのではあるまいかという疑さえも出ました。
「じゃ、まだ、その話は表向きにはしてないのだな」と言って、老人は次のように話しました。
老人のみるところでは、前に二人は実にきれいなお友だち同志であった。ところが今年の春あたりから妙に二人の間に
わたくしは老人の話を聞きながら、いろ/\思い
「さよなら」
と言ったなり、学園の方へ一散に駆け出しました。老人は何の事か知らない様子で、
「銀杏々々」と呼んでいました。
先生は、今年は少し早くスキーに出かけます。明日のクリスマスはやめます。
十二月二十四日昼
と書いてありました。十二月二十四日昼
あだか
みなさんわたくしは、一生懸命、呼鈴の紐を牽いてみました。何の答えもありません。
わたくしは、しどろもどろになって、園庭の道具小屋へ葛岡を探しに行きました。戸が締って、戸には正月の
わたくしは風呂敷包を持って、一たん家に帰りましたものゝ、まるで落付いた心はありません。何だか無垢の人を
「たいへんよ。安宅先生が学園をやめるのよ」
そして、みんなが相談に集るのに都合のよい山の手のデパートの階上の食堂を指定しました。そこはまた学園行の郊外電車にも近くありましたから。
わたくしがバスで馳け付けると、三人の顔はもう集まっていました。南向きの窓硝子に近い
わたくしは椅子へつくなり、左の手では、吉良と義光ちゃんの手を、右の手では八重子の手を堅く握って、顔を見廻しました。涙がぽろ/\
吉良はわたくしと同じ歳で来年は十八歳です。相変らず男の力は四角い両肩に集り、それから下は一本花の茎のように
わたくしより一つ下の義光ちゃんは、日本語の片言もすっかり直った以上に、豊富な
八重子は今年の春に附属小学校から学園に移ったのですが、中産階級の奥さま型に出来上っている顔はもう制服姿に似合わないほど纏って
わたくしは、こうみんなの手を握りながらみんなの顔を見廻していると、よくもこれ等の男女が三四年の間も、全く性を超越し、個性を超越して同心同体になり、花に戯れ、枝を縫って学園の庭を蝶や鳥のように遊び
と思うのには、なおそこに、既に同心同体の睦びの中心であった安宅先生が、だん/\自分の心情にかまけて、このグルウプを
わたくしの嘆きの間に「どうしたんだってば」「何だか言ってよ」と、
「われらのお姉さまともあるものが、こうセンチになっちゃ全く手がつけられないわ」
と言いますと、吉良は
「勝手に泣いていなさい。僕はもう帰るよ」
とナフキン紙をテーブルに投げつけてわたくしを脅しました。一場の不可解な
わたくしは、やっと気を取直して、安宅先生の退職の噂を聞いたことゝ、もしそれが実現するようだったら、自分たちは如何に寂しく悲しいことであろうということを、事件の中味は伝えないで||もっとも伝えるにしたところで未だぼんやりした推測に過ぎないところもありますが||さしずめ、わたくしたちの心緒に影響のある範囲だけを語りました。
「嘘なら、行ってご覧なさい。毎年欠かしたことのないクリスマスを先生は止すって玄関の扉に貼紙がしてあるから||」
さすがに、みんなは「ふーむ」と呻きました。だが、忽ちのうちに義光ちゃんが道を拓きました。
「校長先生に逢って訊いて見ようよ。そしてもし、本当だったら、校長先生に留めて貰うことに頼んだらどうだ。いま安宅先生がいないというなら、これが一番確な方法じゃないか」
もしか、また、それでも安宅先生が言うことを聴き容れて呉れないとしたら、先生退職の理由を
「じゃ今からすぐ、男の方二人で校長先生のところへ行ってよ。あたしと八重子はどっかで待っているわ」
と言いました。
「なんだい/\、やっと泣き止んだかと思うと、もう直ぐ人を使って、相変らずわが
義光ちゃんは苦笑しましたが、それでも立上ると吉良に向って、ちょうど試合の場に臨むときにキャプテンが選手たちに与える眼くばせに似たような眼つきを与えて「行こう」とあっさり言いました。
吉良は「うん」と簡単に返事して、どし/\後について行きました。男の子というものは何と気持のよいものでしょう。それを見送って「ファイン・プレイをよ」と八重子は、お
どうせ安宅先生のところでクリスマスが無いなら、今日はこっちだけで、一日遊ぼう。銀座へ出て待っていて呉れという男の子たちの言い残しでしたから、わたくしは八重子を連れて銀座へ出ました。
暮の夜店は、泊りがけで店を張っています。揃いのように紅白のだんだら幕で、柳の根方に店囲いを作り、羽子板店に
午前中でも人出は相当に多く、水を流した舗石の上を、袖外套を着て子供を連れた下町の人や、インバネスを着てステッキをついた山の手の人や、間に混って蛾のように眉をひいた洋装の娘も泳ぐようにして通って行きます。
昨日に較べると、その度は薄いけれど、やはり靄がかった暖い日で、見渡すと銀座一二丁目の華やかな建物から京橋に向う高層建築は真珠細工のように潤んで光っております。町中に育ったわたくしはこういう賑わいの中へ入ると、自分の家にいるよりも自分の家に居ついた気持になり、
「こんなところへ立って見世物になるんじゃない。病気とでも言って帰りなさい」
と言うかと思うと、ふいと行ってしまったことを思い出しました。人にそんな親切があるくらいなら、安宅先生にも、もう少しは
やがて十二時過ぎに、吉良と義光ちゃんは張合いの抜けた顔をして帰って来ました。二人の話を聞くと、校長先生は、昨日安宅先生が来て、ちょっとそんな話はしたが、なにしろ藪から棒のことだし、それに安宅先生というものは学園を創めるときからのスタッフの一人であるし、よく/\の事情のない限りは、おいそれと関係を切り離せるものでない。そして、辞めるという事情も不得要領だし、これは中年近い女性に有り勝ちの一時の気分の変調と見たので、よく
「なんだ、そんなことなの」と八重子はわたくしの顔を幾分非難らしい表情で振り返りました。
「でも、まあ、それだけでも訊いて来て、よかったわ」と、わたくしはやゝ
「さあ、七面鳥とプヂングを食べて、それから映画を見に行こう」
吉良は、すっかり肩から荷を
義光ちゃんは「それにしても安宅先生は、どこへスキーに行ったんだろ、いつもの赤倉かしら」と、いろ/\想像を
この子供たちも、やがて親や兄弟と一緒に何処かへ越年の旅行に行くことになっているので、しばらく話はその方面のことで賑いました。
正月も三日と過ぎて四日の朝になりました。わたくしは正月といったとて、別に面白いことのあるわけでなく、たゞ厚化粧をして、着物を着換えていなければならない億劫さに不平の気持で、自分の部屋に引籠り、手細工などしていました。四月に学園の普通科を卒業して研究科へ入るのが楽しみです。そんなことを考えていますと、とき/″\母が階下から
「ご近所の方が、みんな出て羽根をつくからあんたも出なさいよ」
と言うので、嫌々、母と一緒に羽子板を持って表へ出ます。
ふだんは、たいして交際もない商家や、しもた屋の家の者が大ぜい、往来に出て一年に一度の親しい顔つきになって羽根を送り合います。負けると筆でお白粉を顔に塗る。嫌がる、追っかける。そのうちほろ酔い機嫌の男たちも仲間に入って来て、わんわという騒ぎになります。
空は磨いたように晴れて、背丈高い門松の笹の葉を、風がざわめかします。いま
母がこういう手合いの中に入っての仕こなしは、また鮮かなものであります。はじめは多少容態を
これには、母も匙を投げて「そう/\判った/\」と敬遠の手段を取っているようでした。
羽根の突き手の番が廻って来るのを待ちながら、わたくしは溝板の上へ
葛岡は、ちょっとわたくしに日頃にない愛想のよい顔を真正面に振り向け、それから母のところへ行って丁寧に挨拶しました。何やら告げております。母はこれに対し、葛岡以上に丁寧な挨拶を返していましたが、やがてにっこり笑ってわたくしを手招きしました。
「さあ、安宅先生からお迎いだよ。何か急に春のお催しがあるんだそうだよ。直ぐこちらにお伴していらっしゃい」
そして葛岡に「わざ/\遠いところを」とか、「こんなものまでお呼び下さるなんて」とか、礼を言って送ります。母は官署とか学校や先生とかいうものに無上の権威を感じ、何か
わたくしは、しまが持って来て着せて呉れたコートを着て、しばらく黙って葛岡について行きました。わたくしにはいくら安宅先生がヴヰラに帰って急にわたくしたちを呼び集めるにしろ、葛岡というものを今迄に来たこともないわたくしの家へ寄越すなんて、あんまり到り過ぎる。これは妙だとは思いました。葛岡は電車通りへ出て、折れ曲り、母たちのいる追羽子の群からは見えなくなると、急に足の歩調の力を抜き、
「蝶子さん、驚いたか」と訊きました。
わたくしは、いよ/\狐につままれたような気がして葛岡の顔を穴のあくほど眺めて、「驚いたわ」と言いました。
すると、葛岡は、
「何もかも、あとでゆっくり話すが、さしずめ、どこか二人だけでいられる場所はあるまいか」
と言います。わたくしは何だか葛岡が
「そんなところ、知らないわ」と言いました。
葛岡は、さっと顔に
「そんな、わが
と、あとは力も脱けて言います。
こゝではじめて、わたくしは、事の
「じゃ考えるわ」と言って、いろ/\と考えた末、及ばぬ智慧を絞って芳町まで出て、そこの鰻屋に入りました。母が始終、うちへ来る若旦那たちに、ランデヴーには鰻屋が一ばんいゝ。
正月
「僕は、こんな立派な料理屋へ来たのは始めてだ」
と言いました。それから心配そうに、
「僕は十二三円しか持ってないが、大丈夫かい」
と訊きました。
わたくしは「あたしが五円ぐらい持ってるからたぶん大丈夫よ」と言いました。二人はまたしばらく黙って、これから切出される問題に触れるのを少しでも先へ
「安宅先生は学園を出た。もう還らない」
わたくしは、つく/″\溜息をして、
「そう、やっぱり||」と言いました。
「君や僕が学園にいるうちは、安宅先生は決して還らないのだ」
わたくしは、少し間の悪い思いをぐっと
「ねえ、葛岡さん。あたしにも大概、事の成行の原因に就ては想像がつくけれども、しかし、念のためあなたの口で一応説明して呉れない。でないと、この先の相談にも
そして、この言葉は、われながら大人になったものだと思うほど
上州赤城の麓で育った安宅先生は、栃木県下で女学校の体操教師をしているときに、スキー場で学園創立以前の校長先生と知合いになり、その人格材幹を認められて、校長先生の出資により、スポーツの国フヰンランドに留学をした。学園創立に当って帰朝し、学園のスタッフとなり、そのスポーツ上の新智識と、理想家肌のところは学園の教職員のみならず一般女子体育家の間にも推重された。
安宅先生は平生の持論としてピューリタニズムの男女交際を主張としていた。心友としての男女の
安宅先生は花が好きなので、附近の町に夜店のある度びに、出かけて植木屋を
むかし大久保が
異常に健康な身体を持っている少年も、過労の疲れが
安宅先生は、少年を憐れに思った。足りない学費を少しずつ
理想に対する欲望はあっても、今までに
「安宅先生くらい清らかで美しい女性はこの世の中に二人はあるまいと思った。この女性の為めになら自分は一生を捧げてもよいと子供ごころに思った」
ゲーテとシュタイン夫人の友情、ジョルヂュサンド夫人とフローベルとの友情||安宅先生はこういう世界で著名な男女間の友情の例を沢山調べて知っていて美しく語った。
葛岡は青年になるにつれて、それ等の友情の中身を、現に架け渡しつゝある安宅先生と自分との間の
すると、そこに人界のものでない霊妙な暖か味が伝わり合い、その潤いはガラス玉のような心臓の内側に凝り付くと、しとり/\
韻と律と腕を組んでいるようで、野も
「いつまでも、こういうお友だちでいるんですね」
「えゝ、いつまでも」
二人は異常に健康な肉体を持っていた。有り
二人は道で、落栗を見つける。一人は取ろうとし一人は取らせまいとする。身体をうち付け合う。危うく取られそうになると、素早く前方へ投げ出す。一人は追って拾おうとする。一人は拾わせまいとする。また、肉体の
そこにはまた猟銃というものがある。犬というものがある。機械が空気を
だが、葛岡はだん/\不審に思われることのあるのに気がついた。
安宅先生が葛岡と親しみ合うのは、櫟林を越した川上の野藪の中でだけである。そこは学園の先生も生徒も滅多に来なければ、人家もない。清らかな異性間の友情は自然の中で最も順調な発育を
そこには正教員の資格と、雇員の資格の相違をつけ、智識人の女性と土に労務する男性との区別を置くかのように見られた。
葛岡はつい不断の癖が出て、多少慣れ/\しい口調で話しかけでもすると安宅先生は、特に容儀を正し、「はあ」「はあ」と切口上の返事をして、「それもいゝでしょう」などゝ自分は高みに上った冷たい答をする。それはまた、葛岡に人前には応待を慎しむものだと諷刺してるようでもある。
葛岡は憤慨した。すでに清い男女の友情ではないか。人前に現して、それがなに恥しいのだ。
葛岡はあるとき、川上の丘で安宅先生にこのことを
「我慢しなさいよ、そのくらいのことは。世間の俗人の眼の誤解ぐらい恐ろしいものはありませんからね」
そして、
「わたくしたちのような最高級性の愛情は、最も賢明に行動しなくては」
とも言った。葛岡には、安宅先生が人前では体裁を
「ところが||」と葛岡はこゝでちょっと考えを変えるように間を置いてから、言いました。
「そのこころを二つに割ったのは蝶子さん、あんただよ」
と、葛岡は言葉を改めて言い現しました。
人の好き嫌いは、何だか生れ付きに定まっているように思う。まだ十三四歳の少女で、下げ髪を振り乱し、靴の足を外輪に踏みしだいて校庭を駆け歩く時代から、あんたは、自分の心に浸みた。派手で勝気で、爛漫と咲き乱れる筈の大輪の花の
それだけに余計いじらしい。恐らく、この風情を気付くものは、他にあるまい。自分には判る。花作りを職業とする自分には判る。
少年のうちから暮しの苦労で、おなじように、何か水を揚げ兼ねているものを身の内に感ずる自分にはひと目で判った。
蝕まれた莟の女は美しく心を牽く、雲間の日のように、風に揺られる水のように。
男が蝕まれた場合にはたゞ/\乾燥する。女が蝕まれた場合には酸性の溶液化する。自分はあんたに滲み込まれた。あんたで重たくなった。だが、自分は、そのことを有りのままに感じ、有りのまゝに表現する自由を持たない。そこには安宅先生というものが鎖のように自分を縛っている。幾とせの悩み、幾とせの諦め。そのうちにあんたは段々育って娘となった。わくら葉の新緑のような娘となった。自分は立っても居てもじっとしていられないほど心は
「都合の悪いことは」と葛岡は言う。「先生も、蝶子さん、あんたを愛していることだ」
先生に言わせると、蝶子さん、あんたは、安宅先生が自分自身にはなれないで、そしてもし先生がなれたらなってみたいそのたった一人の娘なのだそうである。先生は言われた。
「蝶子さんを見ると、私の理想主義もピューリタニズムも影の薄い無理なものに思われて来る。意志や知性は結局女の本能には敵わないのであろうか。蝶子さんを見ると、流れに任せてなよ/\と、どこの岸にでも漂い寄って咲ける
あんたに憎みを懸けられないばかりでなく、あんたを、あこがれさえもする先生が、あんたに僕を奪われようとするその
人や生徒のまえでは、もと通り
先生のいう愛の道徳の裁きの上では、自分は
自分は先生が、自分と結婚すれば世間の不評判を招いて、恐らく教職員の職も辞さねばなるまい。少くとも、この都会の地は落ち延びねばなるまい。こゝまでの犠牲を払う決心をした先生の心中を察して、自分で自分のようなものは、今はどうでもなれと思い、先生の許に身を投げようとさえする。しかし、そこへ来て、やっぱり
「自分はまだ若い」だから、どうかその決断を来年まで待って呉れるよう自分は先生に頼んだ。先生は「自分は老けてしまう」と言って承知しない。先生は自分が煮え切らないのをみて、もう自分や蝶子のいる学園には勤まらないから辞職をするとさえ無茶を言い出した。自分は
だが、正月にもなり、昨日来た先生からの手紙によると、先生は赤城の麓の実家へ戻っている。そして、そこでこの事件が何とか片付かないうちは、永遠に学園へは帰らないと告げ知らせて来た。先生は書いている、もはや東京も学園も自分にとっては憂いところになったと||。
わたくしは、葛岡のこの長
いかだにした蒲焼、きも吸い、う巻の玉子焼。
二人は、ともかくも食事にかゝりました。風がだいぶ出て、門松の笹の葉の鳴る音や凧のうなり声が聞えます。障子に水飴色の陽が射して、ぽつん/\冬の蠅の障子紙に突当る音が聞えます。
葛岡は食べながら、
「下町の食いものはうまいね」
と言いましたが、鰻屋の料理なぞはよく食べ方を知らない様子なので、わたくしは葛岡に食品の説明をしてやりながら、きも吸いの椀の中に入っている縁起鉤に気をつけさせ、それを取出させて襟にかけることを教えました。
「その鉤に当った人は、その年きっと幸運を釣るというわ」と、言って、わたくしが苦笑しますと、葛岡はわたくしの言う通りその鉤を背広の襟元へ刺しながら、
「ちと、幸運でも見舞って呉れなくちゃ、正月から家出人の心配なんか、つく/″\有難くない」
と呟きました。
ところで妙なのはわたくしの心でした。先生の消息が
「どうしよう。僕からもあんたからも手紙を出して、先生に帰るように頼んでみようか」
と言いましたのを、わたくしは切り返して、
「だって先生は、まだあたしが何も知らないと思ってるんでしょう。それにそんな手紙を出すのはおかしいわ」
と承知しませんでいると、葛岡は重ねて、
「いや、あんたは
と言いました。
わたくしは、何を今更、葛岡が詫び、そして何もしないわたくしまでが頭を下げて先生に頼むことがあろう。わたくしは別段、もう先生に帰って来て貰い度い気持は無い。だから、もしそうしたければあんた一人でなさい。あたしまで仲間に入れるなぞと男らしくもないと言いました。わたくしの気持はいまさっきとはもう、こういう風に変るほど何か衝撃を受けています。葛岡は二三度わたくしと押問答しましたが、その甲斐もないのを知って
「女というものは小娘でも、意地を張り出すと強いものだな。では仕方が無い、そうしよう」
と言いました。
二人は鰻屋を出ました。
「詫び手紙の中に、あんた、あたしを思い切ると書くの」
と訊きますと、葛岡は、
「だれが、そんなことを。恩は恩、愛は愛だ」と昂然と言い切りました。それでわたくしも、
「それだけ聞いとけば||」
と、あとは言葉を霞ませながら、何か深く心に決めるものがありました。
琴にも替手があります。娘ごころだとて何で一本調子ばかりでいましょう。わたくしは、安宅先生に無理があり、不純なところがあり、人を曲げるところがあると気付いてから、わたくしが先生に寄せていた好感はすっと引込んでしまったのみか、そんなことをするなら、先生を相手にひと
わたくしは芳町の鰻屋を出て、家の方へ帰りかけました。日はまだ高く二時にはなりません。何とか作り事を言って家に帰れば帰れないこともありませんが、わたくしに、ふと、一つの智恵が構えられて来ました。「この事件は、なか/\簡単には片付くまい。当事者の葛岡とわたくしのような若い女一人の手だけでは間に合わなくなるかも知れない。そのときの力になる人を得て置かねばなるまい」
事件がこういう性質を帯びて来た以上、もう吉良でも義光ちゃんでもないことは判っています。わたくしは、やはり相談は池上以外にないと思って、暮に池上に会ったとき正月は浜町の寮に一人でいるから是非遊びに来いと言っていたのを思い出しまして、そこへ訪ねて行きました。
浜町というところは、今は人家
寮番の老いた妻は、わたくしのことを池上から言い付けられでもしてあるのか、わたくしの名を聞くと、すぐ「さっき知合いの方がお出でになって、ちょっと食事に連れて出かけられました。けれど、じきに帰られることになっていますから、どうぞ上ってお待ち下さって」と、言って、わたくしを導き入れました。
茶室附の平屋建で、硝子障子が締め切ってあります。その中でわたくしは待っております。寮番の老妻は、その間にもとき/″\来て、火鉢の炭を直したり、お茶を入れたりしながら、
「どうしたんでしょう、若旦那は。すぐ帰ると言って出かけられたのですが、遅うございますわね」と、わたくしの為めに気を
「いえ、どうせ、暇なんですから、ゆっくりお庭を見せて頂いておりますわ。そのうちには
と却ってこっちで
去年の秋の末に、池上とは中洲の菊廼家で合って以来、なお二三度、わたくしは池上に食事に連れ出されております。母はひそかに、その都度、池上がわたくしに陥ち込んで行く度の深まるのを推量して、ほくそ笑みました。
池上はまた、母のそのほくそ笑みに
母はだいぶ安心したものか、もうこの頃ではわたくしを
そしてわたくしのこころは? わたくしももう十八歳ですから、身の振り方に就て考えないことはありません。しかし、結婚ということはどうかと思っています。普通の考にしたなら、子供のうちから真の肉
もう一つの懸念は自分の性格であります。わたくしには、何か、男に
そこで、つい自分のような女は、それほどの男でなくとも、たゞ何となく自分から遜下らずして済み、男として甘いところのあるような男とばかり近付きが出来て参りました。
しかし、こういう性質の男は、わたくしにはそりは合うけれども、結局、わたくしの方の負担になって、庇って貰うどころでなく、こっちが庇わなければならない相手となることは、たったさっき、正体を見せて来た葛岡との交際の例を見ても判るように思います。こんなことで望みの結婚はできましょうか。
池上の底ごころは、わたくしをダシに使うようにして、まわりから
池の柴の橋を渡って、インバネスを着た池上の姿が見えます。その後から、堅気の風でちょっとした外出着を着た十五六の娘がついて参ります。わたくしは「おや」と思いました。
寮番の妻がお客と言ったのはあれか、寮番の妻はさすが女で、わたくしに気を兼ねて、客が女であるのをわざと言わなかったのであろう。
橋のまん中には朽ちた穴でもあるのか、池上は容易く渡ったが、娘はためらっております。すると池上は手を差出して、娘にその手につかまらせ、
「男って、もうこれだ。なんのことだ」
わたくしは、老人がもし傍に煙草入れやら眼鏡の
寮の老妻が駆け出して行って、池上にわたくしの来訪を告げている様子です。すると池上は笑み崩れるような顔になって、家の中に上って来ました。
「や、済まなかったね、蝶子さん。だいぶ待ったかね」
それから、これは番頭の嘉六の末の娘でおきみという。小間使風に使って欲しいという親の望みで、正月は三日過ぎたらこの寮へ通って来ることになっていたのだ。きょうはその初日だったので、
その娘は、いかにも律義にわたくしに挨拶したのち、すぐ池上のインバネスを畳むやら、お茶をいれ替えてわたくしに出すやら、全く忠実な小間使の仕事振りです。わたくしが遠慮するのにわたくしのコートまで丁寧に畳みかけて、
「おや、泥がつきましてございますね。
と言って、硝子戸の外の
器量は色が白いだけでたいしたこともないけれど、その律義と初々しさが水仙の
「番頭さんが娘を若旦那の嫁に押付けるなんて、まるで御家騒動の
と言いますと、池上はじっとわたくしの顔を見ていましたが、
「ばかなことを言う。蝶ちゃんなぞ察しもつくまいが、僕の家なぞというものは、未だに階級制度が
あの娘はあゝやって三四年、主人の家で行儀作法を見習って、それから大体定まっている嫁入先へ片付くのだ、と説明しました。
わたくしは、それを聴いてそうには違いあるまいとは思いながら、すでに
「でも、万一ということもありますからね」
そして、そのおきみという娘が硝子戸の中へ入って来ても、平気で、むしろ、これ見よがしに、わたくしは、
「なにしろ、気をつけて頂戴よ」
と言うと同時に、そこでまた、
「ち、ち、ち、ち、ひどいことをするね。蝶ちゃん」
池上は、ほろ酔いの下地でもあるのか、わたくしのこの
「正月早々だよ。ちと、お手柔かに願い度いものだ」と言ってから
おきみは急に深く首を下げましたが、彼の頸元から
わたくしは何となく残忍な勝利を感じて来て、なるべく艶っぽく池上の笑いに笑いを合わせました。たった一つの技巧だが、それは一方には男が操れる。一方には対立の女を動揺させられる。女でこの味を覚えたものは、
わたくしは得たり
「あんた方、おいしいもの喰べて来たのね。あたしも喰べたいわよ。晩ご飯にはあたしも何処かへ連れて行ってよ」
なぞと、あどけなくみせて池上に甘たれたり、
「おきみさんて仰っしゃるの。なんて美しい方なんでしょう。女惚れがするわ」
と言って、おきみを
こうなると、ふだん煮え切らない、深刻なものを持っている筈の池上も、生れて始めて開放した気持になれるという面持を正直に現して、
「蝶ちゃんには、なか/\フラッパアなところがあるんだね」
と、ほく/\しながら、おきみにウヰスキーのセットを持って来さして、わたくしにはその酒を湯で薄めて角砂糖を入れたものを
「一つ春らしくやろうじゃないか」
おきみにレコードをかけることを命じたり、ひたすら、感興の火に感興の
梅の中では紅梅が一ばん早く咲きます。それというのはこの木は寮の座敷の硝子戸のすぐ外に在って、硝子戸は、その角から
しなもふりも無く、むすっと黙り込んで
まだ寒いうちから、こういう変人のような枝や幹に対して、何の打合せもなさそうに、あどけない
その花が育って来ますと、あの長くてもじょ/\した
だが、もう一とき時が経ちますと、蕋も花弁も分ちなく月日に老い痴れ、照る陽に
この紅梅に次いで咲くのは茶室の南の端の手洗石の傍に在る豊後梅です。幹は鱗の皮だけになって、危く水分を枝へ通わし、そこに重弁で白にごく淡く紅紫色が臨んでいる花をつけます。梅ともつかず杏ともつかず、手の込んでいる花の割には寂しい感じのする梅です。これにやゝ後れて咲くのが豊後梅に並んでいる若い野梅です。これは普通のしら梅なのであっさりして匂いが高くあります。これ等の梅の咲く
豊後梅と野梅とは、ちょっと見ると並んでいるようですが、実は主副の関係にあります。主なる豊後梅は老い朽ちて花数も少くなり、茶室からの早春の空の眺めも透け勝ちなので、若く威勢のよい野梅を持って来て副に植え添えたものだそうです。その植え添え方は、豊後梅の幹の洞の中へもって来て野梅を据え、遠くの客座敷の方からは、それが一本の木の花にも見えるよう設えたと言います。
私はそれを眺めながら、
「ずいぶん
と言いますと、寮のあるじの池上は、
「僕が植えさせたのじゃない。店の番頭の嘉六なるものゝ差配だ」と言いました。
わたくしは正月にこの浜町の寮へ池上を訪ねて、その日はそのまゝ帰りましたが、胸に
「あんな
池上の言い分はこうでした。わたくしは母にまさか、その通りにも言えませんから、ただ池上が
「いよ/\あの男は、本気になってそう言い出したのかい。いゝよ、お出で。素直におとなしくお出で。だが||」
と言ったが、ちょっとあたりの気配を探る眼をした後、わたくしの肩へ手をかけ、わたくしの耳を自分の口に近く引寄せまして、
「おまえさんも、もう十八だろ。ちゃんとしたお嫁さんになるまでは、誰にも
わたくしは、おなかの中でおかしくなりましたので、
「あら、そんなことちっとも心得てないわ」
と、天井を斜に仰いでわざとあどけなく言ってやりますと、
「よし、そのくらい空呆けることがうまくなれたんなら、男と共住みも大丈夫だろ。おっかさんも安心して出してやれるよ。けれどもねえ、蝶ちゃん、油断してはいけないよ」
と言葉尻はひどく優しく言い流しまして、わたくしの肩から手を離しました。
わたくしには、もとから気に入らぬ母親です。そしてわたくしの
ところが、葛岡と鰻屋で会って以来、わたくしは
||おっかさん、おっかさん、あなたの娘は一人前になりました。秘密ということを覚えました。その秘密の城に孤独で立籠ることを覚えました。一人の男のために、妙ないきさつから||。
池上の寮へ行くのは、あなたのわたくしに望んでいらっしゃるような身を固める目的のためではありません。単に彼を利用するためです。わたくしはあなたの望まれるように身を固めたくありません。固めたくても固めようもない今のわたくしの考えです。わたくしはただ流れて行きます。その場その場に盛り上る水の瀬のような情熱に任せて||。
おっかさん、堪忍して下さい。あなたの娘は普通に生きて行くにはあまりに弱いものと強いものとをちぐはぐに持ち過ぎました。普通には立って歩けません。横に縦に、水に身を浮かして辛うじて流れて行きます。それですから、あなたの娘はこれからちっとは苦しみましょう||。
母が世の常の母であり、わたくしが以前のわたくしなら、むろんこう告白して、父池上の寮へ行くのは、あなたのわたくしに望んでいらっしゃるような身を固める目的のためではありません。単に彼を利用するためです。わたくしはあなたの望まれるように身を固めたくありません。固めたくても固めようもない今のわたくしの考えです。わたくしはただ流れて行きます。その場その場に盛り上る水の瀬のような情熱に任せて||。
おっかさん、堪忍して下さい。あなたの娘は普通に生きて行くにはあまりに弱いものと強いものとをちぐはぐに持ち過ぎました。普通には立って歩けません。横に縦に、水に身を浮かして辛うじて流れて行きます。それですから、あなたの娘はこれからちっとは苦しみましょう||。
「楽しい、なかじゃ」と口で唄いつゝ、前方へ向けて拡げた掌を肩腰の捻り方の呼吸でおおらかに空間へひるがえして上げながら、右の髪の
「いかが」
これは母が生れながらに冠っている殻の性格に対し、今、殻を冠り始めたわたくしの殻の挨拶でした。なんだか胸に悲しみがこみ上げて来ました。
「まあ/\この子は何をするのかと思ったら、踊りでお
母親の言葉も
こういう所作を
学園なぞもう通う気になれません。池上もわたくしの寮から外出を悦びません。わたくしにしましても、自分を死ぬほど愛している葛岡が、別に
わたくしはこの狭い住家に悪度胸ほどにも落付いた腰を据え、ひたすら葛岡からの安宅先生の消息を待ちながら、一方
その池上はというと、はじめ、
「蝶ちゃん、怠けるのもいゝが、女学校だけは卒業しといて貰わないと、ちょっと困ることがあるんだ」
と言いました。たぶん家元へ向ってのわたくしに花嫁候補の資格が欠けるためでしょう。そう言いながらわたくしが、いざ学園へ出かける気配いでも見せると、何かかにか理由をつけて引止めます。
わたくしも「はあ、今に行くわ」と返事をして相変らずぐず/\していますと、池上は結局それを悦んで、殆どわたくしの茶室へ朝夕入り
「蝶ちゃん、蕪村の句に、
ふたもとの梅に遅速を愛すかな
というのがあるが、判るかね」と首を仰向いて、
「そのくらいのこと、わたしだって判るわ」
と言いますと、嬉しそうに頷きましたが、
「面白い句だが、まだこの句には、到ってはいないところがあるんだぜ」と言います。
「昔の人の発句なんかゞ到ろうと到るまいと、今の人間の私たちに、どうでもいゝじゃないの」とはぐらかしてやりますと、
「いや、そうじゃない。これは単に俳句だけの問題でなく、一般にものごとの鑑賞力がしんに
わたくしは、なお続いてこの坊っちゃんが何か意見を述べたげなのを面倒臭いとは思いましたが、大事の前の小事ですから、
「聴くわ。だから、あんたの気の済むまで、その問題に係ってみてごらんなさい」と、こんな言い方で続きを誘い出してやりました。そこで池上の次いで述べた意見では||
物事の遅速の面白味というものを、二本に分けた梅の木の上で表現しようとするのは、鑑賞から来る愛が散漫で
「僕がもし蕪村ならこう作るね、
ひともとの梅に遅速を愛すかな
これでいゝ」聴いていたわたくしは、なぜかぷっと吹き出しまして、
「あんたの独り合点の発句じゃない」
と言いますと、池上は、
「これが判らんかい。そうかな。じゃ今度はこういう
池上は言います。たとえば蝶ちゃんに対する自分の鑑賞である。自分は蝶ちゃん一個の女の上に単に遅速というが如き二つの相対の関係ばかりでなく、そこに娘らしさも、童女らしさも、母性的なものも、いろ/\と認めるのである。蝶ちゃんが歩き疲れて、胸を張って
もし、これを仮りに蕪村の鑑賞の愛のように、蝶ちゃんあんたを一方の対象に置き、また一方に、たとえばですよ、たとえば、あのおきみを据えて、どっちが若いとか美しいとか遅速を計りでもするようなことにしたら、蝶ちゃん、あんたの気持はどう? 僕の方にしたって蝶ちゃんのみならず、女というものを愛し理解する
わたくしは池上のわたくしに対する執心を愕くべきものに感じましたと同時に、池上がふとした単なる
わたくしはその苦しく衝上げた金属製の皮膚下の板を、やおら引き下げるために、わざとにっこり笑った顔を突き付けるように池上の方へ向けて、
「あら、あの若いおきみさんと二人並べて見較べられちゃ、あたしとても敵わないわ」
と言いました。この言葉にはわたくしの卒直な感情が一捻じ二捻じ三捻じと切なく
「女のそういう月並な卑下の仕方は、世の中で僕が一ばん嫌いなものだ。後生だから蝶ちゃんだけはそれをやって呉れるな」
と言いました。
以後、わたくしは池上が縁側を伝ってわたくしの部屋へ来る顔を見るなり挨拶代りに、
「ひともとの梅に遅速を愛すかなでしょう」
と言ってやる仕方を取りました。するとどういうわけか池上は、ちょっと顔を
「そうだよ」
と言って、しかし機嫌はいゝです。
わたくしどもは、殆どこんな他愛もないことに寮の月日を送って、朝夕暮らしているうち、部屋のすぐ前の左右だものですから、わたくしは紅梅の一代記も見過ごし、豊後梅の皮に野梅のしんが植え添って一本の梅に見せかけてある趣向も見破りまして、こゝに渋くっていた庭の林泉に何やら活気を帯びた
木瓜の枝のまわりに、若芽が一ぱい子供の毛糸のシャツのようにふく/\と暖かそうにかぶさり、
ああ、悩ましい春||
わたくしは、この世の中から隔絶した寮の住居に感化されて、こんな言葉をひとりでに口の中で呟いて、片手は軽く握って口の
HAIKU

k

「面白いね、西洋人の俳句の観察は、こゝにこういうことが書いてあるね||鳥の鳴声が短いようにこの詩形は短い。短い鳴声なるが故に鳥は相頷ける。その如く元来詩的本能を持つ日本人は相頷く詩形に決して長いものを要しないのだ||と。短かいことゝ本能の関係を鳥の鳴声に比喩を持って来るところがこの異人さんの著者の手柄だ」
わたくしは池上の言うことにたいして関心もなく、たゞ言葉敵となってやるため、
「だって、鳥の鳴声でもカナリヤなんか、随分長いじゃないの、陽のあるうちは日がな一日鳴いてるわ」と言いますと、
池上は反問するように、
「え、なんだって」と、仰向いて来て、ちょうど二度目にわたくしが欠伸のために擡げ上げている左の肘の附根の八つ口が少し
「あら、人のアラを見ちゃ嫌よ」
と言って押え隠しますのを追って突き倒すような語気で、
「ばか、自分の膚なんか、ひとに見せるもんじゃない」
と言ったかと思うと、ちらりと庭の柴の橋詰の方を見ました。そこには霜除けの藁づとなどを取り払っている植木屋の若者がいました。そのあと池上は、続いて喚きたいような力を無理に堪えるものゝように、べそを掻いて歪んだ時のような顔を急にうつ向かすと、ふら/\と立って縁側を蹴立てゝむこうの座敷へ行ってしまいました。
わたくしは池上のこの素振りにはたいして驚きませんでした。池上は
けれども、わたくしがこの寮へ来るまでは、それをそれほど現す機会も事件もなし、池上自身も、わたくしを
池上はわたくしを絶対に寮の外へは出しませんでした。買物があると言えばおきみを代って買いにやらせるし、友だちに会い度いと言えばこゝへ呼び寄せればいゝじゃないかと言うし、母と内緒の相談があって家へ帰ると言い出せば、また母を呼寄せようと言います。そして、呼びにやられた母親が、いつも
「ほんとは、何でもないのよ」
わたくしが不興気に言いますと、母は腫れものにでも
池上は母の帰ったあとで、
「蝶ちゃんのおっかさんも、老いたね。もうもとの、人を操縦する技倆に自信をもって誰でも呑んでかゝったあの
それというのも、今年は蝶ちゃんのお父さんの先生が
母のことのみならず世間の何事に対しても相当鋭い観察や常識的な頭を持っている青年の癖に池上は、寮に来てからのわたくしに対してだけは、まるで気狂い沙汰です。
わたくしは外出の口実を見出したいために
芝居を見度いと言えば、
「これだけは、どうしても、自分で外へ行って買って来なければ女の恥になります。誰にも頼めません」と言いますと、
「ふーむ」といって困った顔に腕組をして考えていた池上は、やがてむこうへ行っておきみと何やらこそ/\相談していた様子ですが、三十分ばかり経つと、わたくしの部屋と次の控えの間との襖が細目にすーっと開きましてその隙間から若い女の細い手が出まして、引っ込みました。見るとそこの畳の上には包入りの丁字帯のいろ/\の新型のものが置いてありました。
「あらっ!」
そのとき出て引っ込んだ女の細い手首は、それを見るわたくしの心なしか、顔を
「まるで化物屋敷か、手品師の謎の箱みたいじゃないの」
わたくしはそう言うなり、手に取上げた包入りの丁字帯をいやというほど勢込めて縁側に投げつけました。さらりと、
葛岡はその後どうしたのであろうか。安宅先生との交渉はどうなったのであろうか。わたくしの胸の中ではその消息を待ちに待って焦れ切っています。わたくしはこの寮へ移るとき葛岡にわたくしのこの寮へ乗り込む企劃を手紙で報らせ、
それなのに、わたくしの手に届いたのは、はじめ二十日ほどの間に、赤城の麓へ帰った安宅先生から何の返事も来ないという報らせの手紙が一本、学園は始業されて、体操時間は副教師だけで間に合わしていること、従来皆勤の安宅先生の休みのことだから多少不審の声が学園内に呟かれていることを報じた手紙が一本、合せて二本だけでした。もっともそれと前後して吉良と義光ちゃんと八重子とで混り書きのわたくしの休校に就ての見舞いやら、矢張り安宅先生が帰校しないことを書いて、いま校長先生と秘密に相談中でもあるし、わたくしの意見も知り度いという手紙が自宅へ来まして、そこから寮へ届けられて来ました。
だが、そのあとは、むろんこちらからも可なりせっせと葛岡にだけは催促のため手紙は出しますものゝこれもおきみにポストへ持って行かせるより仕方がありませんから途中でどうなりますことやら梨の
池上は病的な嫉妬家でしょう。おきみはその助手でしょう。そして、多分、もう葛岡のことも嫉妬家の敏感さで池上は感付いているのかも知れません。
わたくしは早くもそうと解しましたので幾度か、わたくしの目論みのいとぐちを繰り出さずに投げ捨てゝ、寮を出てしまおうかと思ったり、ときには思い切って一か八か池上に突っかってみようかと決心したことがあります。だが、そういうとき、まともに見る機会によって、池上から妙にそのどっちをも切出せない不思議な気持を起させられるのでありました。このインテリで独断家でエゴイストに見える男に、とても弱い影がありまして、わたくしが自分の目論みを投げ捨てるか繰出すかそのどちらにしましても、一つの強い決意を持ちまして彼に立向うとき、その弱い影はあだかも陽の中の秋水の面のように微かに震えおののきながら、「自分との関係以外に係る蝶ちゃんの身の上の事実は、すべてぼんやりとしといて呉れ、はっきりさせないで置いて呉れ、自分はそれに堪えられるほどの包容力のある男じゃない」そう言っているようにわたくしには見えるのであります。そこで、折角、わたくしの中に猛り出した決意も手持無沙汰になり、
わたくしは前から葛岡に対しても同じような一種の愛憫の情を起しています。しかし、それは葛岡の上に安宅先生というわたくしに取っては同性の敵を持っているためでありますか、その愛憫の情は変形して猛く熱いものとなっています。それに引代え、わたくしが今度池上に対して催し出しました愛憫の情は、たゞしお/\として底なし沼に足を踏み込んだように、力足の施しようもなく遂にわたくしを無力にいたしました。「どうでもいゝや」
わたくしは池上に嫉妬の
わたくしはかような訳の判らぬアンニュイな気持を
「もう毎朝、三州味噌のおつけにも飽き果てた」
と言いましたので、池上は、「それじゃ当分、
この寮の庭は京都の建仁寺
池の上手の方に、真ん中に朽ち穴のある柴の橋が通っています。わたくしが以前その先に石ばかりの中之島かと思ったものは近づいてみますと、それは対岸の築山の裾が池に臨むそこのところにある出岬で、この大石の出岬から女の足でも
それゆえに、わたくしは池上が朝飯の卓を庭のどこに据えようと訊ねましたときに、
「あちら||」
と、その庭の部分を指しました。
「あんな庭のはずれ、よそうよ」
池上はそう言って、それから、くどくわたくしを説服しまして、庭全体が見晴せる下手の池の中之島に場所を定めることにわたくしを同意させました。
これは本式の中之島で
「少しまだ寒いのね」
「あ、あ、少しまだ寒い」
わたくしはツーピースの洋装の胸を、池上は朝服のジャンパーの胴をごし/\撫でました。三がい松の根方に籐のテーブルを据え、愛蘭土
テーブルと揃いの籐の椅子を引寄せて池上はわたくしを
「けさは
と言いました。
「そう、鱈」
「僕は鰊」
半熟卵とトーストパンとを保温箱から取出して卓上の定めの位置に置いていた白服のおきみは、わたくし達の注文を
「なんだか、まわり全体が香水の朝風呂に入っているようだね」
「あんたの眼はとても腫れぼったくてよ、毎晩、お酒あんなに飲まない方がいゝと思うんだけど」
わたくしは、そういうと女の本能から、差し向いのテーブルながら掛けた椅子をちょっと池上の方へ
「
池上はこう言うと、その姿勢のまゝ、しばらく造りつけの人形になって食事の手の運びも止めてしまいました。
朝陽は靄を抜けて、光をじかに庭に当て始めたためでしょうか、木々の芽立ちの匂いがくん/\あたりに立ち
この中之島には亭々とした三がい松以外には源平染分けの椿、四季咲きの薔薇、黄水仙、青黄ろい春蘭、青木の深紅の実、むらさきの雲のような沈丁花などが、岩の根締めやら芝生との配合のためわたくしたちの朝飯の卓をめぐって、ところまだらに、それ/″\持前の色彩を盛り上げております。しかし眼近かのこれ等の色彩を物の数ともしないように池の渚の草の綾条から、築山の木枝の
それには、
中之島から北へ向けての対岸には、もう彼岸桜が白く潤んでいます。その花の影に、何やら人影になって見えるものがあります。わたくしは覗いて、はたと微笑しました。つい町娘らしい小唄が唇から呟かれます。
「とぼけしゃんすな、芽吹き柳が風に吹かれて、ふわりとふわりと||おゝさ、そうじゃいな」
わたくしは、池上が何か物を言い出すと大概、理屈やら感傷やらであって、それはわたくしの胸の途中に引っかゝって煩わしく、そこを空廻りするだけのものに過ぎません。却って池上が何にも言わないとき、無心でいるとき、わたくしには池上と心の底であわれにじかに取引きするものがあります。こういう経験を数重ねて来ましたので、只今、池上が言い出したことも、また例の感傷と片付けて、これは敵わないと思いましたから、急いで自分の気の向く春の木の芽の色に心を遊ばせて思わず池上をはぐらかすような小唄さえも口に出してしまったのでした。だが池上は、これとは全く没交渉に、相変らず作りつけの人形のような姿勢で、
「須臾のいのちというのか、流るゝ時世というのか」
と同じ言葉を繰返しました。続いて深い/\溜息をついたのち、
「蝶ちゃんはいゝなあ、物を考えなくて||」
わたくしはその言葉が不服だったので、
「そう見えて、こりゃまた、なんて浅墓な人なの」
と言いかけるのを、池上は押えるようにして、
「いや、そりゃ考えるだろう。けども、蝶ちゃんのは何といっても人間の考えの範囲だ。だが僕のは危なくすると人間の考えから浮き出しそうになるのだ。そしてそのときの苦しみはまた別で、蝶ちゃんなぞの思いも考えも及ばないものだ」
ボイルドした秋田産のシギ鱈は季末になって、かなり脂づき、フォークで一へぎ/\する身の肉の間にも何だかもち/\した
そのトーストパンにはバタを避けて、南国の太陽の下に枝から

わたくしは、また、ほの/″\としたリプトンの紅茶の陽気に身体中の神経を寛がせながら、
「あんた、また何を言い出すつもりなの」
と、やゝ子供をたしなめるような調子で、眼はそのまゝ池上の見詰めるに任したまゝ反問しました。すると池上はナフキンを外し、テーブルに置いた両手で頬杖をついて、
「いや、僕は今にして思い当ることがあるのだ。僕の死んだ友だちの不断いってた言葉だ。その当時は何とも思わなかったが、近頃身に覚えて来ると、ありゃ実に凄い言葉なのが判って来た」
その友だちというのは、池上が高等学校時代、寮を同じくしていた親友で、同じ文科志望だが、その友人は美学方面から印度の仏教美術史を専攻するつもりだったのだと池上は話した。
「その友だちは言った。君たちは、人間を単純に人間と思っていよう。だが、それは皮相な観察だ。人間の中には、もう人間でない人間も多少は混っているのだ。その人間はすでに人間を追い出されかけている。人間から
と、池上はその死んだ昔の親友の言葉を感銘を新しくしてわたくしに語り出しました。
慾天には六つの種類がある。そしておよそ生物の慾望の充足というものには、おの/\持前に具体の途があるものだが、この慾天のそれに至っては極めて抽象に近くなって来るのであった。例えばその第四の
「蝶ちゃん、これを架空の話と思ってはいけないよ。現にこの土の上に生きている人間たちの中にそれがあるのだから」
今度は池上の自説である。
現実の生活に
西洋の公園に、春日の下に男女手を組んで幾十組も小半日を堆座している。これを慾天の集りと見ないで説明がつくだろうか。
もし、大きく時代の上に見るなら、藤原末期の詩歌管絃のみやびの男女、支那宋末の官人たち、フランス十九世紀末の象徴派の詩人たち、その官能はいずれも慾天的である。
紅梅や見ぬ恋つくる玉簾
女は現代、欧洲の前衛芸術の超現実派にしろ抽象派にしろ、主張するものは何と論じようと僕の感覚から言えばもう人間を離れて慾天の世界に昇華している。
時代が
「うるさいかも知れないが、も少しのところを蝶ちゃん聞いて貰いたいんだ。こゝが、いま僕を怯え上るほど悩み続けさしている問題の核心なのだから||」
池上の家の瀬戸物町の麻問屋は、旧幕時代から
「どっちも同じ日本人じゃごせんか。さりとは、しりの穴の狭い」
と答えた。部将はこの度胸を賞でゝ、それから
「妙なんだな、僕のおやじは。一つ事業を始めるのに着眼点も眼新らしいし精力的でもある。そこは隔世遺伝というのか、おじいさんの太兵衛の筋をひいてないこともないと思われるのだが、その一つ事業から、枝が出るような仕事でもあると、それを目新しがって直ぐそれに夢中になる。それからまた葉が出ると、またそれに取り付く。結局、纏りが付かなくなるのだ」
そして、妙なことは、はじめの事業の性質は大体、実際的であるが、枝葉の仕事に移るにつれ、だん/\抽象的な商業の性質に移って行くのである。例えば、
「蝶ちゃんのおとうさんを途中から顧問に頼んで監督して貰ったあの貿易事業のようなものも始めは貨物をちゃんと船荷して送り出していたものが、しまいには店の持船はチャーターしてしまって、反対に外国へいろ/\な品物を注文して、いよ/\貨物を送り出したという証拠の船荷証券が届くと、直ぐそれを以って他に転売する。他にもそういう種類の小さなブローカーがあるがその親元のようなことをして、全然貨物は見ないで、たゞ紙の上だけの売買の投機に陥ってしまうという塩梅さ。蝶ちゃんのおとうさんは、うちのまわりの者から頼まれて、おやじのその商売の昇華を引卸すに相当骨を折ったものだ」
これ等がすでに清太郎の父の上に現れた池上家の人間の現実遊離の浮游性であった。
「僕に至っては、もう完全に現実性をスポイルされてしまっていた。僕に取って事実というものくらい無味
池上は言います。その月の光の当った表にしろ陰にしろ、そこに一つの世界が覗かれて来るのだ。それは永遠に通ずるというのか、幽玄に導くというのか、無量百千万のまぼろしが表に陰に
「酒のときもあれば、女のときもある。古人の詩であることもある」
わたくしはちょっと
「だって、あんた、いつか女道楽ははたから無理に勧められるからするが、自分はいこじに童貞を守って反抗していると言ったじゃないの」
と訊いてみました。
すると、池上は、
「女道楽の女と、月光としての女とはわけが違うさ」
と言いました。
こゝまで来てわたくしは大体池上の話の落ちつきどころが判った気がしましたので、
「じゃ、その月光とかいうものの一人として今度、あたしがあなたの
だが、池上は首を振りました。
「違う。その反対だ」
池上はまだ彼の話の一途の途中と見え、わたくしの問いに向っては単にこれだけを答えたあとは、別に気にもせずに続けて彼のわが事を話し進みます。
「その酒をのみ、女に親しみ、古人の詩に触れるにつけ、僕はだん/\慾天になる危険性を悟って来た。一例として酒のことを採って話してみようか。
「蝶ちゃんは、僕を大酒飲みのように言うがあれだけ飲んで、事実、飲んだ気はほんの僅かしかないのだ。あの
「女にしてもそうだ。詩にしてもそうだ。僕はそれ等が
「死んだ友だちは言った。その人間は既に人間を追い出されかけている。人間から
「また、その友だちは言った。この人間は文化人の頂上でもあれば現実には滅ぶる人間だ。
「そしてその友だち自身、何の理由もなく、大学へ進む途中に
池上はこれ等を言い終ると、
「ねえ、蝶ちゃん、僕は滅びたくない。近頃ひし/\と自分に慾天の身を感じて来ただけに、一層その恐怖を覚える。僕は何としても滅び度くない。是非とも人間性に噛りついて、地上の人界にいたい。そこのところを察して僕の無理も僕の
池上は泣かんばかりであります。わたくしはくさ/\しました。嘗て
「いやになっちゃう。それで嫉妬すれば、あんたはあたしから救われるとでもいうの」
すると池上は、わたくしの手首から腕へ片手を握り進めながら、
「結局は嫉妬という形になるのだ。しかし内部の心的工作は、もっと真剣なものなのだ。僕は、蝶ちゃんのいのちの散漫になる窓を全部塞いで、中に溜った蝶ちゃんの女のいのちを胸一ぱい吸い込んでいるのだ。それは何と取られてもいゝ、現在の僕に取っては瀕死人が酸素吸入をしているようなものだ。それがこゝ三月ほど僕が蝶ちゃんと共住みの作業なのだ」
こう言われてみると、わたくしも一応、次のように逃れてみないわけには行きません。
「あたしはそんな女じゃありませんわ。学園の園芸係は、あたしのことを、
けれども池上は、まるで取上げないで、
「冗談でしょう。なんで蝶ちゃんが、そんな不健康な女なものか。蝶ちゃんはしな/\見えていてそれで、土の上にじかに起き臥して逞ましい土の精気を一ぱいいのちに吸い込ましている原始人のような逞ましい女なのだ。僕にはそれがよく感じ当てられる。蝶ちゃんの現代娘はその仮面に過ぎないのだ」
わたくしはぎょっとしました。池上がなおわたくしに何か自信を強いでもするようにわたくしの手を振りながら、同じ都会人にも
土に起き臥しして||
土の精気を一ぱい吸い込んで||
あーあ、わたくしは、それによって久々振りに、わたくしに取って一向有難くもない乞食の子の血統なのを想い起させられたのでした。
そう思い到ると、わたくしはさらでだに「どうでもいゝや」という近頃の身の倦怠の残りの支えを
何の光りも無い暗闇の空洞の中で、「無」が「無」に向って||
わたくしはそれを感ずると、その粒々が何であるかは判らぬまゝに、頻りに涙ぐむのでした。この瀬戸になっても、自分の中に積み上げようとする力があるのか。いじらしいその力。
わたくしは何か励まされるものがあって、考えを構えるまでもなく前へ推し進みました。
「ときに、結婚の話は、どうなったの」
わたくしは言ってから、それがまるでわたくしの腹に無かったことなのに気付きました。けれども関いません。また、一歩推し進みます。
「相談があるのよ。あんたお金持でしょう。一人の男の身の上を引受けて呉れない」
これは、わたくしの腹にあることです。
何の理由か知らないが、わたくしが急に涙ぐんだのを見て、池上は、はっとした様子でしたが、わたくしがすぐさま立て続けにぽん/\と喋った二つ玉のような言葉に愕いて眼を
「むう?」
と言って
相当な時間の長
「あら、父が」
おきみが、例の如く少し
「大将、自分が差配した木だものだから、毎年あの梅のとこへばかり行って見るのだ。現金な奴だ」
と言って、快げに笑いました。
池上は番頭の嘉六を座敷へ迎え入れると、座につく途端に、
「この人はこれで
と、自分と一緒に座敷へ伴い入れたわたくしに向って言いました。池上は、いま相手が切出す要件は多分自分に取って興味のない性質のものであろうことを察して、以下できるだけ先手を打って相手に、無駄口ならいざ知らず、要件の口は滅多に切らせまいとする様子が見えます。
嘉六は池上の様子に一向
「正直のところ、おかしな
と言って、今度は
背は低いが肩幅の広い身体に作り附けたように大きな
たちまち池上に命ぜられてウヰスキーのセットを運んで来た娘のおきみが、まず池上へ注ぎ、次に父親に向ってコップへ注ぎかけると「おっと、待った」と言って、コップの口を掌で蓋をしてから、池上に向い
「どうせ、頂くなら、一つヂャパンの方にして頂きましょうか」
と言ったが、そのあと、まるで商談のときのように、へら/\と笑いました。
おきみは珍らしくむっとした顔をして「お
「なにも酔払ったり、迷惑をかけたりしやしまいし||早く持って来い」
と、まるで自分の家で娘に酒の支度をさせるように言いますが、娘は「だめよ」と
「おきみ、いゝから、持って来てやれ」
そこで、おきみは主人に一礼して、酒を取りに立去ります後姿へ、嘉六はなおも、
「酒の
と呼びかけました。わたくしは、さっきから、この番頭の言葉に何かかすかな
「お蝶さん、そりゃほんとでございますよ。よそ様で酒の肴にごて/\と喰われもしない皿数を並べて下さいますが、実際、有難迷惑なものですわ」
それよりか、菜の浸しもの、豆腐、おすんこ、このどれか一つあれば、私には何よりでございます。酒の肴は品数を省くほど酒の味は深くなるんですよと言った。
「という調子で、この人はとう/\自分の家庭までも省いてしまったんだから、趣旨は徹底している」
と、池上が
すでに、主従の畳の酒盛りは始まっていました。嘉六は片手に盃を、片手では額を押えて、ちっ/\/\と笑って、
「省くにしても、少し省き過ぎましたな。なにしろ
と言った。
池上は「僕はたったいま朝飯を済ましたばかりだから」と言いながらも、嘉六の差出す盃を相当に数を返して受け押えしています。春先の町の景気の話が嘉六によって賑々しく伝えられます。やがて池上は「酒の肴は君にはこれでもよかろうが、僕にはとてもやり切れないから」と、おきみに命じて近所の関西料理屋からまな鰹の焼ものかなどと、
それを食べたあと、わたくしが退屈して、もう一度お庭へでもと立上りかけますと、嘉六は腕時計をちょっと見て「いや自分も急ぐところがある。そうはお邪魔はしてられない。そしてそのお暇をするまえ、ぜひ蝶子さんに少しお話があるので、も暫く、こゝにいて下さい」と言って押えました。そうかと思うと、そのことはけろりと忘れたように嘉六はまた雑談を続けて、池上と盃の遣り取りを急がしております。
池上が、再び妻の話に還って、
「ほんとうに君、鰥暮しで不自由はないのかい」と訊ねますと、
「そりゃ、不自由はありません。もとから女はべたくさして嫌いでしたから」と言って、その訳を次のように話しました。
まだ父母恋しい十二の幼年のときから、秋田在の親の家から
物ごころついて、おせっかいな手代なぞから指導されて、夜な夜な、店の大戸を
手代になって、羽織を許される羽織手代になって、
結局、酒を飲んで、浄瑠璃を語るのがいちばん、身につまされて、心がほごれる思いがした。浄瑠璃を習い始めた。
「なにしろ浄瑠璃の中の女なら、大概、銭金には慾のない女ですから、節廻しの中で、夢中にその女と語り合っていてもうっかりその女に懐の中を覗かれるような
やゝ、晩婚の
「こういう女は、浄瑠璃の中でこそいゝようなものゝ、
そのとき姉娘は十五になっていた。
「娘の子も下町で十五になると、かれこれ役に立ちますな」
その姉娘が主婦の形で、お店から小僧一人を力仕事や使い走りの手伝いに寄越しといて貰えば、結構、家の中も切り盛りしますれば、妹たちの面倒もみる。こっちはこっちで勝手に酒が女房で、浄瑠璃が恋人。何の心に渇きを覚えることもなく、いや、気散じな暮しです。殊に酒は
「ですから、このおきみなぞも、こちらさまへ上ってからは上品な顔をしてますが、これでなか/\したたか者です。小世帯を切り廻して来ましたから、量目の足りない品を御用聞きに突き返すときの苛め口なぞ、そりゃ、とても
酒が廻って来たせいか、なおもこれに続いて嘉六は、おきみの家庭にいたときの悪たれ口を二つ三つ叩きました。
人に使われつけている身が主筋に対して、何ぞの愛嬌に、身うちのことを手柄のように暴露して、
それに対して娘のおきみは、たゞ
わたくしはそれを感じて、
嘉六が憎々し気に言うにつれ、おきみは
「だって、あんまり······」そういったおきみの言葉には日頃になく晴々として甘えた調子さえ含んでいました。
池上が例によって顔の色を蒼ざめさせ、盃の運びが早くなると反対に、嘉六は赭ら顔が少し赭い度を増した程度で、盃もだん/\応酬の数の間をうろ抜いて行きました。そして「私はこれで充分。もうおつもりにして頂きます」と言って、最後の盃を伏せてからは、池上がいくら強いても頑固に断って、額や手首にハンカチを運ぶのに忙しいだけでありました。
池上は感心して、
「君はよく、その程度で、切上げられるね。さっきも庭で蝶ちゃんに話したんだが、僕は、飲めば飲むほど酔わなくなるんだ」
すると嘉六は解せない顔をして、
「そりゃ、おかしゅうございますね。身体でも悪いのじゃございませんか。第一酒は米の脂ですから、そう沢山にあがってはまた強過ぎて中毒を起しましょう」
池上は、酒好きにしては穏当過ぎる相手の言葉が気に入らぬらしく、少しむっとして、
「じゃ、君は、酒をどんなつもりで飲むんだ」
と
嘉六は異なことを問うものかなという顔付で、けっ/\/\と笑ったのち、
「判っているじゃございませんか。酔うためには違いございませんが、ときには気付け薬になったり、ときには滋養になったり、だから飲むに時と処は選みませんが、よいだけ酔って、これ以上、むだだと思ったらさっさと切上げます。あなたのお言葉じゃござんせんが、以下は省いてしまいますな。そこは永年の習練です」
と、再び快げに笑いました。
池上は感歎しながら「君はまだ滅びない人種の酒呑みだよ」と、しかし口惜しそうに言いました。嘉六は何の意味とも解せぬまゝに「そうでございましょうか」と答えたきり、強いて意味を訊ね返しもしませんでした。
思わず時を過しまして、時計は二時を少し廻っております。春先の陽気の定めもなく、空は
空をさし覗いた嘉六は「ほい、春先の雨か」と言って、上質な洋服の上衣や膝にかゝった巻煙草の灰を指で
「お蝶さんは、F||学園の園芸手の葛岡という男をご存じですか」
と訊きました。
池上は、いよ/\番頭が要談に入るのかと不興気な顔を見せました。わたくしは、もう先程、庭で、どうでもなれと思った捨鉢の底から、暗く何とも知れない力に押し上げられ、われとしもなくぽん/\と結婚のことも、救けねばならない葛岡のことも鉄砲の二つ玉のように池上へ言ってしまったあとですから、いずれ、これに就ては何かわたくしの身の上に取って
「いやなにね。この葛岡という男が、瀬戸物町の店へ度び/\訪ねて来まして、浜町の寮に蝶子さんがいる筈なのに電話をかけても面会に行っても居ないと断られ、どうしても会わして呉れないと申すのです。用事は重大な用事なのだそうです。聞けばこちらが本宅なそうだから是非蝶子さんに面会出来るようこちらから取計らって貰い度い。そう葛岡という男は頼むそうです」
店の主人夫妻も心配して、その男への返事はうやむやにしたまゝ、その男の身元を出入りの私立探偵社に頼んで調べてみて貰ったところが、事実、その男はF||学園に勤務して居り、身状も実直な男、その重大な要件というのは判らないけれども、別に
「いかゞです若旦那、いかがです蝶子さん」
と言いました。
池上は「ふーむ」といってやゝ渋面作った顔をしています。わたくしは、また、葛岡のこともさりながら、今まで瀬戸物町の本宅の方からは
「まあ、本宅の方は、あたしをちっともご存じないのに、もう、そんな風にお決めになりかけたの」
と言いますと、嘉六は、迂遠とばかり、その愁いのある眼をわたくしの上に投げかけて、
「いえ、もうちゃんと、ご両親も丹波屋の旦那も、何度かこの寮へそっと来られて、あなたの御様子は充分ご承知でいらっしゃいます。どことなくしっかりして、そして
これを聴いて、いよ/\「まあ」と愕いたのはわたくしばかりではありませんでした。池上も寝転びかけた身体を擡げました。
「僕は、ちっともそんなこと知らないぞ」
と言います。するとおきみは、気付かれぬよう、すーっと立って座を外してしまいました。池上は、その後姿を睨めて、
「あいつが、僕に内密で本宅の連中の手引をしたのだな」
と言いますのを、嘉六は太って短い手を猫招きして煽ぎ消し、
「何ですね。若旦那だって、商売人の子じゃござんせんか。このくらい手近かにある現品の
それから膝に権威附けた手の置き方をして、
「しかし、ねえ、若旦那。親という字は、立木に見るという字を書きますな。ご両親はああ見えていても油断なく、立木のような高いところから息子さんのあなたさまを見張っていらっしゃるんですぞ。実は、蝶子さんのことに就ても、蝶子さんのお父さまはああいう立派な方で申分はないのだが、おふくろさまは、蝶子さんの前では申し難いですが、ご承知の通り日蔭者とされている身分の方ゆえ、この点では随分、親御さまたちは御考えなさいました。まあこれからも何かとあることゆえ、親御さまたちにあんまり心配をかけなさいますな」
そういうかと思うと、腕時計を見て、
「こいつはいけない。では、いずれ」
と言って
わたくしは、おきみが座にいないのを好都合にして、眉を
「あの人、随分変ってますね」
と池上に言いました。すると池上は、酒の疲労と共に、首を前に落して深い想いに沈んでいるようでしたが、わたくしの言葉に「え」と言って身体を坐り直して、
「あれかい。ありゃあゝいうものさ」
と答えました。わたくしは言葉を重ねて、
「なんて、
と言いますと、池上は首を振って、
「いゝや、そうとも言えない」
いくら種子は旧くても、その単純卒直さに直ぐ手足が着いてるところは、ひょっとしたら旧くないかも知れんぞと言いました。
嘉六は小僧時代に習った漢字教訓を一生の
考えが直ぐ動きに代えられるような、そういう簡易明白な考え、こういうものがだん/\望まれて来る時勢に、嘉六の頭は旧いか新しいか判らないが、とにかく今を
半月ほど経って再び嘉六が来て池上家の重立った人々の意見を代表して、あらためて池上とわたくしに向って相談を開始しました。そして一週間の後を期し、わたくしは一先ず母の家へ戻り、池上家から公然認められた花嫁候補として、いよ/\清太郎との結婚の具体的な交渉に移ることに相談が
ところが池上のこの相談の
「はじめあんたは、まわりのものから強いられる
ところが今度は、逆に向う側が聯合して、あんたの望み放題の結婚になぞえに賛成して来ましたから、あんたはその
すると池上は
「それもある。確にある。しかし、より大きい、熱のなくなった理由がある。これは何ともしようのないものだ」
そして池上は、全く途方に暮れた顔になって言い出しました。
「蝶ちゃん、あんたと同じ家の棟の下に住み、朝夕、共住みをしてみて、はじめて判ったことなのだが、あんたの、その底の根に在ると感じられたあの土を
「あんたは、それこの間、感冒に
ひと匙、食べては ちちのため
ふた匙、食べては ははのため
そして覚束なく笑った」ふた匙、食べては ははのため
池上はいつの間にか真剣な顔付になって話を進める||「あのとき、風もないのに、猫柳の花の萼は、ほろ/\と畳に落ちた。あんたは、見据える力の無い朦朧状態の眼ざしで、その萼の落ちるのを眺めながら、また、粥を匙で掬い、ゆっくりゆっくり呟くように唄った。
ひと匙、食べては ちちのため
ふた匙、食べては ははのため
そしてまた覚束なく笑った。ふた匙、食べては ははのため
猫柳の花の萼は落ち尽して、銀の毛房は
あの短い時間の間の所作も唄も、あんたは今、覚えてもいまいし想い出せもしまい。しかし、僕は、あんたの病中の食事の事が少し心配だったので、障子を細目に開けて覗いていて、いしくも感じたのだ。あの、どこから響き出して来るとも知れない呟くような唄の声、それは老婆のように
あんな、蝶ちゃんのへたくそな唄い声が、どうしてこうも、大の男を脱力さすのか。われ人共に、何をもってしても
だが、また、その声を聞くと、普通のいのちの附根を哀れに絞り千切られたあと、別のいのちが、附根から芽生え出して来たものが
ひと匙、食べては ちちのため
ふた匙、食べては ははのため
障子の破れ紙をから風が鈍く顫わすようなその声。それでいて若い娘の声。その声の源は何なのか、あゝ、何なのか。ひれ伏す心で願うけれども、誰も教えては呉れない、誰も敢えては呉れない。ふた匙、食べては ははのため
結局、その悲痛さに、腸をかき廻され、僕はたゞ、われを忘れて暴れ度くなるのだ。
これが単に僕のメランコリックな感傷ばかりかと思うと、それは間違いである。おきみに訊いてみるがいゝ。あの何の感覚もない氷魚のような娘のおきみさえ、粥の道具のあくのを待つ間、あの唄声を聞いて、俯向いて涙をぽろ/\と
蝶ちゃん、あんたは、あんた自身はまだ知らない。しかし、こういう弱い果が却って強い果になる。蝶ちゃん、あんた自身には知れないで、あんたの中に潜んでいる不思議な力があるのだ。そして僕は、あの声を聞いてから、眼の前の色も香もあるふだんの蝶ちゃんには少しうとましい感じがして来た。この蝶ちゃんは普通の女より一
眼の前のこの蝶ちゃんなら、いつかお互に気まずい思いをして一たん
これに思い当ってから、僕はもう意地だの反抗だの、自我を立てるの、好みに徹するの、そんな労作は、この短い人世に取って無駄なあがきに思えて来たのだ。従って、それから
それにはやはりこの世の中の慣習では、結婚という形になって来るのだ。もし、それよりも一層緊密な関係のものがあるなら、むろん自分はそれに越したことはないと思う。けれども、無い以上、熱は失ったまゝでも、その束縛に向って捉われ入るより
池上の話を聞いて、わたくしは、何が何やら判らないけれども、ひどく迫ったものを感じさせられました。思い廻らしてみるのに、たしかに四五日まえまで、わたくしは感冒に
わたくしは、首を一つ傾げて、しずかに口の中で唱えてみました。
ひと匙、食べては ちちのため
ふた匙、食べては ははのため
さて、どこで、いつ覚えた唄の句であろうか、わたくしも知らない。ちちといいははという、それは誰れに向っていう言葉なのだろうか。われながら意趣が知れない。わたくしがもう一度、今度は口に出してそれを繰返しかけると、池上はあっと叫んで、ふた匙、食べては ははのため
「やめて呉れ、その唄だ。その唄だ。それをいま蝶ちゃんの正気の声で聞くと、どういうものか、とても怖ろしいのだ。どうか、頼むからやめて呉れ」
と、池上は耳を押えて絶叫しました。
一たん釣り上げかけて、ちらりと銀光の
葛岡のことに就いて池上の気持を探ぐってみますと、
「もう、そのくらいのことは問題ではない。蝶ちゃんがその男のことによって僕に向う気持を折り散らしさえしなければどうでも君の気が済むように取計らい給え」
と、うるさそうに言いました。わたくしはこれに
「では、もし、なにかのひょうしで、その男の身の上をあたしが引受けでもしなければならなくなった場合は」
と訊き
「なるほど、蝶ちゃんほどの娘には、衛星の一つや二つはあるに決っているのだろう。では仕方がない。月を逃さないためにはその衛星も引受けなくてはなるまい」
と答えました。わたくしは、まずは上首尾と思いました。
母にも嘉六から通ぜられたと見え、
「まあ/\いよ/\ほんとに結構なお話しになって||」
という言葉を真っ先に振り
「けども、ねえ、蝶ちゃんや。おまえさんどんなに先さまのお
それから声を小さくして、
「ほんとに/\親甲斐もない
そう言って、嘘かほんとか、やゝ涙を
こう言われてみると、わたくしも嘘かほんとかと、用心しながらも矢張り眼にちゃんと涙が滲んで来て、しかし若し、それを母が見付けて、子から獲得した親身の獲ものゝように、これからいつまでも覚え込んでいられて、思い出しては始終娯しまれたのでは、とてもこちらは遣り切れない気がしましたゝめに、二三度、急いで「えへん/\」と空咳をして、しんみりしかけた気持を吹き払ったのは、どこまでお腹の中の虫の合わない母子なのでしょうか。
母親は、片手の襦袢の袖口を袖に納め、ほっと一息入れた恰好をしていましたが、何に気が付いたか、今度はたちまち物凄い眼であたりを
「けども、蝶ちゃんや、物事は、また、こうなってからが実は肝腎なのだよ。この先、すら/\と事が運ぶと思ってもそりゃ危いものだよ。世の中には傍からのやっかみということもあれば、意地悪るということもある。油断をしたら
万一、そういう場合の用心にも、既に事がこゝまで運んだ以上、おまえさんも抜からず、転んでも只は起きない、相手の胸倉だけはもうちゃんと掴えているんだろうね。いざというとき、たゞおっぽり出されの、あばよで塩花を
わたくしは、母の例のが始まったと思いました。それでいつもながら少し
「転んでも、たゞでは起きない相手の胸倉って何よ」
と
「お
と言い放ったのちは、したり顔に、喫いさしの巻煙草を再び取上げて、しずかに煙の環を吹きました。
わたくしは母のみならず、人さまから、一たいこういう感違いをされる度びに、この頃では悲しいというより、人が悪くなって、却って何か楽しい気がするようになりました。いよ/\わたくしの身のまわりに殻が厚くなったせいでしょうか、それともいざとなったら世の中に一人ぽっちと覚悟がきまって来たせいでしょうか。
そこで、母のこの感違いを聞くと、とても面白くなって、つい、
「吹けよ 河風、あがれよ簾、中のお客の、顔みたや||」
と、鼻唄でまぜ返さずには
「どうも張り切ってしまって、手の附けようもないおまえさんになったね。じゃ、きょうはおっかさん、これで帰るから」
と、手に合うわたくしの身の廻りのものなどを風呂敷包にして提げて帰りました。
嘉六はまた母に、池上のわたくしに対する解放令を伝えたものか、母は帰りしなに、自宅に来ていたわたくし宛の手紙と葉書を安心して置いて帰りました。手紙の二本は葛岡の旧いもので、彼がいかにわたくしへの面会の困難に当惑して右往左往したかを証拠立てゝいました。一枚の絵葉書は多那川遊園地の桜を背景にF||学園の遊びのパーテイ、吉良、義光ちゃん、八重子の三人が並んで
僕は無事普通科を卒業して研究科へ入った。君がいれば一緒なのになあ 吉良
安宅先生はついに帰って来ず君も来ず、みんなもうヤケ気味だ。面白くないよ 義光
お姉さまは御結婚をなさるという噂がもっぱらよ。そんならお目出度いけれど 八重子
わたくしは、この絵葉書の写真を、老人のように眼をしょぼつかせたり、見開いたりして眺めました。そうはすれどもすれどもこれ等の映像のなつかしみは、わたくしの心のなつかしさの焦点へ、ぴったり安宅先生はついに帰って来ず君も来ず、みんなもうヤケ気味だ。面白くないよ 義光
お姉さまは御結婚をなさるという噂がもっぱらよ。そんならお目出度いけれど 八重子
すると、わたくしの耳の奥に、あの鼻詰りの濁み声で「えゝ?」と返事するのが聞えます。次にわたくしは「義光ちゃん!」と呼びます。「イヤース」と、ロンドンのシチー
八重子はまた八重子で、「お姉さま、なによう」とすでに甘えかゝろうとする調子で返事する声が聞えます。
わたくしは、しばらく眼を
再び眼を開いてからも、その無形の索引の糸が、いま鮮やけく
「あーあ、みんな懐かしい」と口に出して言うのでした。
そう言った言葉のあとからは、既に、にべもなく自分から過去へ振り捨て去った幼ない日の幸福がひし/\と心に
とつおいつ思案していますと、ふと、近頃寄席に出て曲芸が評判の支那人が僅に憶えた日本語を、いざ、曲芸をやろうとする場合に、
「さあ、やりましょーう」と言うのでした。
考え始めたら切りがありません。それを打切るには、たゞ、眼の前の事に向って、こう言うより仕方がないじゃございませんかしら。わたくしは、そうして
たとえ池上は解放令をわたくしの上に
なに、あと幾日の辛抱でもなし、わたくしはそう諦めて、なるべく神妙に寮にいて、わたくしに向って求め始めた、何とも知れない彼の望みに就ての悩みに、たゞ相手になっていてやるだけのお守役を勤めてやるのでした。一つは、いくら解放されるからといっても、また元のあの得体の知れない倶楽部のような母の家へ帰る事はどう考えても気が乗りません。そこに、わたくしをして、それほど強い
いよ/\あと一日で寮を出て母の家へ帰るという日の夕方ごろ、寮へ葛岡が訪ねて来ました。たぶん、瀬戸物町の本店の方からでも面会禁止の解除を
おきみが、それをわたくしに取次ぐと、そこに居合せた池上は、是非もないという顔をして、それからなるべく
「こゝの家で、その青年のお客と話しをするというのも蝶ちゃんは窮屈だろう。そうなあ、日本橋倶楽部なら、こゝから近くていゝ。あすこの食堂でお茶でも飲みながら話し給え」
と、場所や、もてなし振りまで指定しました。察するところ、まだ
わたくしは、お化粧も既に出来ていることなり、前に述べたような、たゞ「さあ、やりましょーう」という気持だけで立上って、玄関に待たしてある葛岡と一緒に、表へ出ました。
何という
「どうしたのよ。おかしいわ。まるで、ひどくなってね」
と言いました。すると葛岡は、世にも恨めしそうな眼で、ちろりとわたくしを見返しましたが、
「おかしいとは何だ。ひとを
と、
「だって、あたしが、したことじゃないんだもの」
左側は、待合や小料理店や、ちょっとした茶房があり、右側は、浜町公園の側面に当る、その細道を、わたくしたちは歩いて行きました。部屋を建て込まして殆ど空地のないこれ等の商売屋は、門付を瀟洒と見せるためにも、また、庭代用に青味を需給するためにも、入口から垣うちに添うて
前方には、晴れたまゝ暮れて行く深川区の空の下に大川がだぶん/\と水量豊かに流れているのを望みながら、日本橋倶楽部の楽屋に沿って歩いて行くと、公演の支度と見え、下座の三味線らしい音が聞えます。じき浜町河岸へ出ましたので、わたくしはそこの河岸ぎわに
「うれしいわ」とわたくしが、つい言いますと、葛岡は、何か自分に言ったのかと「え」と反問しましたが、それが、そうでもなかったのに気付くと、
「暢気な真似をしてないで、早く、その話す場所へ行き度いね」と言いました。
わたくしは「こゝよ」と左の手で、明るく軽快な洋式の建物を指しますと「なんだ、ここか」と窓々の明るい灯を見上げましたが、少しよろめいて「いけない、眼が、廻る。早く休まして呉れ給え」と、わたくしの肩に手をかけました。
こゝに於て、わたくしも、本気に心配し出しまして、葛岡を急いで倶楽部内へ連れ込みました。
事務所の構えの中には、事務服を着たわたくしと小学校友達の娘もいれば、食堂の入口の計数器の前には夏場に公園で催される浜町音頭の踊り子仲間の娘もいます。それ等のいる中へ、いま、すっかり
わたくしはテーブルに着くや否や、
「どうして、あんた、そんなに身体を弱らしてしまったのよ」と言わないわけにはゆきませんでした。
紅茶を
「どうしたって、こうしたって、すっかり精根を使い果してしまった。それに僕は、学園からは先月限りでお払い箱になったのだ」と言って、続けて、安宅先生の事件に就てその後の消息を報告しました。
先生は昨年、葛岡に結婚を強要して、それが受容れられないところから、暮の十二月に赤城の麓の郷家へ帰ったきり、年も越えた正月の学期始めになってもその儘です。何でもよい、ぜひ一度先生に学園へ帰って貰い度いと葛岡が矢の催促を放っても、先生からはたった一本、手紙で、葛岡に与えた先生の要求を葛岡が受容れない限り、先生は絶対に帰る気持はないという返事を寄越した。さればといって、この要求だけは、自分は誓って先生の注文に応ぜられない。月は二月も末になった。その間、何度、蝶子さん、あんたと連絡を取ろうと骨折ったか知れないが、どうしても寮では交通さして呉れない。まさか警察沙汰にするわけにもゆかない。
日頃、丈夫で皆勤の安宅先生が、何やら様子あり気な欠勤と見て取り、学園のスタッフの間でも、急に調査を始め出した。私たちの間の秘密の事情が学園に判れば、普通の常識で
あーあ、生活ということ、これがいかに人を必要以上に気を
自分は、自宅に母と祖母を抱えている。自分の少年の頃、一家に取って唯一の稼ぎ手であった父親を喪って以来、母と祖母が杖とも柱とも頼むのは独り息子の自分だけであった。夜店の植木屋をしている間も、植木屋をしながら園芸学校へ通っている時分も、母や祖母は、自分が家を出入りする毎に、自分の姿に向って「おまえ、ほんとに済まないよ。でも、よくやって呉れるね」と、手を合わさんばかりに感謝するのであった。安宅先生の手引で、F||学園の園芸手に住み込まれるようになってからは、家族の二人は、まるで息子が立派な
園芸手勤続のこの六七年間というものは、残るほどではないが、母と祖母はたいした苦もなく暮した。ほとんど園長の物置小屋に住み続けて、めったに家へは帰らない息子の留守の暇に明かして、二人はもう嫁取りの相談ばかりであった。好き嫁をとて、心当りの娘に目星をつけてみたり、知る辺の人々には頼みかけたりした。若し、事実にその嫁が見付かって、あの貧弱なわが家へ乗り込み、女家族の中心の位置に就いたら、さぞかし双方とも
それが退職になる。そうして老女たちに神秘感を与えていたあの月給袋はもう永遠に手に入らない。この結果は、どういうことになるであろうか。蝶子さん、まあ試しに想像してみるがいゝ。
なるほど、蝶子さんから見たらば、われ/\のこれまでの家族の生活は
それなら、また他を探して何処かの園芸手になればいゝというのか。あのF||学園の園芸手ほどの、勤めが楽で余禄の多い勤め口はまたと他に見付かるものではない。
それでは、また、夜店の植木屋に戻れば食うことぐらいできるだろうと言うのか。それは体験のない人の言う言葉だ。六七年も、洋服を着て暖かい
窓から見える大川の景色はとっぷり暮れ切って、対岸の安宅河岸の黒い倉庫の上に、キリンビールと横ざまに、小名木川口へ寄って縦にポリタミンと広告灯の文字がくっきりと浮び出して来ました。灯の
壁側に、テーブルを一列に長く並べて、がや/\群集となって入って来た人々が、行儀よくその両側の椅子に着いたのを見ると、容貌は
なお見廻わすと、和装洋装の娘連れだけで入って来て「あとで
わたくしは、葛岡が話す間の指のまさぐりに、知らず/\テーブルの上に備えてあるナイフやフォークをいじっているのに気がついて、単にお茶ばかり取っての永話しもウエーターに対して気が利かないと思いましたので食事を
葛岡は、胸に溜まっていた誰にも話せない鬱積を漸く吐き出す
「蝶子さんは、
葛岡はいいます、自分はこの期になって、実は仕舞ったと思った。気がついてみると自分はいつか三面の鏡の箱の中につまみ込まれた蟇同様になっている。一面の鏡は安宅先生なのだ。そこに映る自分の姿は、先生の恩愛に
三面の鏡に映る三つの自分の姿は、それが単純に三つと分れているのではない。恩愛に絡まれている安宅先生の鏡に在る自分は、魅惑に
僕はいま、自分がその蟇の油の蟇であることを心から歓ぶようになった。だから、ただ、じっとしている。もう安宅先生へも何にも頼まない。F||学園へも復職を運動しない。そして蝶子さんにも心が
わたくしも、葛岡とお
それともう一つ異様に思ったのは、たった逢わない四ヵ月の間ではあるが、葛岡の考えなり喋り方がまるで人が違ったように近代的に迫ったインテリ風のところが
「あんた、だいぶ、変ったのね」
わたくしは思わずそう言って、それから女の疑い深さを働かせて、
「あんた、さっき、安宅先生とは、手紙の往復で交渉しただけと言ったが、そりゃほんと。あんた自分で、先生のところへでも訪ねて行ってみやしなかった」
すると葛岡は、もう臆病な眼の
「訪ねてなんか行ってみやしないさ。手紙だけさ」と、おず/\言いました。
わたくしは、この態度なり言葉つきなりから、裏切られた嫉妬の憤りよりも、何か男というものが生れ付きに持つあどけなさを感じて、実は「お、お、よし/\」と許してやり度いくらいでしたが、それでは事が進まないのを考えて、優しく、追求しました。
「ほんとのことを言ってもいゝのよ。言って頂戴よ、ね。あたしだって、あんたの知らないうちに、どんな、あんたの愕くようなことをしているかも知れないのだから」
そしてこの場合、わたくしの池上との結婚談、及びその結婚によって引受けられる葛岡の家族の生活、この二つのものが葛岡を愕かす二頭のダークホースとして、わたくしの胸の中の
その言葉に葛岡も、寛がされたもののように、寂しく微笑しながら、
「じゃ言うがね。先月の始めに、学園からも
「先生、どんな工合でいらっしゃるの」
「愕いた。先生は、今度の事件に就ては何もかも自然の成行きに任せる。と前の手紙とはまるで違った返事だ。そしてあなたはあなたの好きなようになさればいゝ。たゞ、わたくしは、どうしても学園へは帰る気はしませんと、こういう風になっていたのだ」
「何も愕くことはないじゃないの。いくら先生だって、結局はそうするより仕方がないじゃありませんか」
「いゝや、やっぱり愕くことがあるのだ。先生はそう言ったのち、僕が、じゃ僕はそうすることにしても、先生はこれからどうするんですと訊いたのに対して、わたしの事はわたしに任しといて下さい。わたしはこちらへ来てから、娘時代に手をつけていて途中で中絶していた「死に就て」の研究を再び始めています。ひょっとしたら、これがわたしのこの世に生れて来た使命じゃないかともこの頃思うんですと言われた」
「まあ、
「さ、それを聴いたとき僕もひやりとして、直ぐ先生に、露骨にそう訊いたもんだ。すると先生は心から、おかしそうに笑って、死を研究すると言ったって、死を目的としての研究ではない。生を深めるためのその死の研究なのです。物の影を黒めれば黒めるほど、その物の存在がいよ/\くっきり浮き出されて来るように、死の深まりを知らないで生の歓びの高さは突き止められない。こういうことを言われた」
「それで安心したわ。先生は大丈夫ね」
「だが、あのとき先生が笑われた笑いくらい先生が心の底から笑われたのを僕は見たことがない。それは何だか、もう僕たちがじくざくしている世界から一段高いところで笑っている声のようにも響いた。そこで僕はやっぱり先生は偉いなと思って、正直にいろ/\の悩みをうち開けて訊いてみた。すると先生も、やさしくそれ等のことの性質に就て、手を取るようにして教えて下すった」
わたくしはこゝまで来て、果して葛岡の変り方は葛岡の独創のものではなく、あの憐れな先生の何等かの考えからヒントを得たものであることに気付いた。しかしヒントは先生から得たものにしても、これだけ真剣に考えを自分で固められたのは葛岡がやっぱり四囲の事情による迫られた苦しい体験によることを察して、
「先生もそうかも知れないが、あんたも偉くなってよ」と、葛岡に慰めの言葉をかけました。
まわりを見ると、食堂の客はとっくに演芸場の方へ戻ってしまい、あからさまに照り下すシャンデリヤの下にはテーブルの白布の上に花差しの花がぬい/\と眼立って立っているだけになっています。
わたくしたちの話の間に、さきほどからもう二度ほども寮のおきみが食堂の入口のところまで覗きに来て、たぶん池上に命ぜられたのでしょう、監視やら帰宅の
わたくしは、この部屋にもこれ以上居づらい気がしましたし、うっかりすると、おきみにまた来られそうなので、急いで勘定を
「出て、そこいらを少し散歩しましょう。そして、また、話しましょうよ」と葛岡を促し、倶楽部から表へ出ました。
星の潤んだ晩春の夜です。わたくしは何となく夜の町の灯を望んで、足を大川から反対の電車通りを久松橋の方へ向けて、
池上とわたくしの結婚というものが、形は結婚ではあるが中味は妙に人間離れのしたもので、正銘のところ二人の関係は、一種の神秘憧憬病患者と附添い看護婦みたようなことになりましょう。ですから、これを葛岡に知らせるにしても、よくこの中身のところを説明してやりさえしたなら、どうにかこうにか葛岡を
結局のところ、三人は誰れもかれもお友だち同志、そうして、この寂しい世の中に孤独の人間が慰め合う小さなパーテイを作ろうというわたくしの昔からの理想に
この四ヵ月の間、途中にはわたくしの気持に幾つかの変化があって、ついさっきまでは、殆ど性なしの弾ね人形のような調子で動いて来ましたのが、葛岡の顔を見るなりまた再び昔の理想が蘇って来るのをわたくしはどうしようもありませんでした。そうして、世間態の表面の様子は、世間並に池上とわたくしとは夫妻のように見せかけ、内実では葛岡も加えてきれいな三人のお友だち
なら、それを、いますぐに葛岡に話したらいゝだろう。歩きながらわたくしもそう思います。しかし、どういうものかいま、わたくしはそれを切り出せないで口に蓋が出来たような感じです。
久松橋の橋詰まで来ると、わたくしは足癖でひとりでに左の河沿いの方へ曲ります。そこにはわたくしの家があるからです。家の前へ来ます。葛岡は、
「蝶子さんのうちだね。僕はこゝへもあんたを尋ねて二度ほど来たが、あの女中婆やに
と話します。橋詰を曲ったときから、浄瑠璃のサワリを弾いている音が聞えましたが、来てみると、わたくしの家の母の部屋からでした。千本格子の中から聞える三味線は、長唄のものを使っているらしく、浄瑠璃のあの節太い写実の調子はやさしく
それに合せて細く加減して声を出している初老近い男の声があります。節と節との合間に「どうです、もっと声を張りますか」と言ったのは、番頭の嘉六でした。母は身振りで返事をしたものか声は聞えませんでした。
わが娘の嫁入りの
それは、銀座でもなく、新宿でもなく、神田の神保町通りでもなく、また上野の広小路、牛込の神楽坂、麻布の十番でもなく、この東京の下町の盛り場の
寮に滞在中、池上はわたくしの退屈を
そういうウヰーンの服地のことや池上の言葉を、この人形町の品物を眺めて不意に思い出したのは、どこかあのウヰーンの品に似通ったものがあるからではないでしょうか。無論、手軽るで均一化している点は、日本の現代を浴びているには違いありませんけれども||店頭に並ぶ品々の色に就ても、赤い色がたゞ赤いのではなくて、刺激の骨は引抜かれ、代りにしみ/″\とした、激情の漂白剤が忍び混ぜてあります。灰色でなく、上部はそっけなく見せながら油断を見澄まして
わたくしは、これ等の店を眺めながら、いつも縁日の人出のようでもあり、また、普通の賑かな夜町の散歩客のようでもあるこの町の行人の歩き振りに、肩を触れたり縫い交わしたりして足を運んで行くうち、何だか連れの葛岡が野暮ったく重苦しく感じられて来ました。
都会の子であるわたくしは、また、官能の子でもあります。官能によって受容れられる四囲からの感覚によって、自分で人が違ったのではないかと思うくらい気分が変ります。わたくしに根から生え抜いた思想というものが認められない以上、この気分がわたくしに取ってまた、思想かも知れません。すればわたくしは、まわりの影響によって、どん/\思想も変る生命の流れに住むカメレオンかも知れません。
まして、四ヵ月近くも寮の中での嫉妬の扉厚く閉じ込められ、官能の芽が餓え渇き切っていたのが、さき程、寮を出たときからの昔
わたくしに取って恐らく思想であるであろうところのこの気分は、流れる場合に、それはわたくしを生きて来させ実在の感じを与えもし、わたくしの全部を支配するのでありました。この事をあるとき、少し池上に話しますと、池上は「それは蝶ちゃんという原子の中の電子のようなものさ。動かなければ蝶ちゃんを成立たせない」しかし、池上は、こうも言いました。「だが、その電子は、まわりを廻っているものだ。それと同じ力で張り合って、気分をしてまわりを廻らしめている何物かゞある筈だ。それが蝶ちゃんの核心であるに違いない」
わたくしは、池上がまた
わたくしはいま、気分が流れ出すまゝに身も心も軽々と、空
眼の前の町も、灯も人も、いまは嵐の前の花野のように、ざわ/\しながら照り輝いております。わたくしが進めば進んだだけわたくしの身に持つ
昨年の十二月のクリスマスの前日、わたくしは安宅先生のヴヰラへ御歳暮を持って行き、先生の留守に出会い、遥かに雑木林の中に先生が射たれる猟銃の音を聞きました。それからわたくしは先生を尋ねて雑木林の中に入り込み、うす日の射す林間の霧に浮かされ、踏みにじませる
今夜の気分の流れには、たとえ過去や未来の悔いや苦労にはたいした正体が無いものとたかを
「あんた、どうして、そう、ぐず/\してるのよ」
わたくしは葛岡の上衣の肘をひきました。葛岡は、倶楽部の食堂で鬱積したものを吐き尽したためか、ぼんやりしてしまって、こゝまで来る間も殆ど無言ですし、この賑かな夜町と行人の中に入ってからは、きょろ/\してしまって、他愛もない夜店の智恵の環の抜き差しに感心したり、化粧水の売弘めの女弁士に眺め入ったり、まるで田舎者です。
「久し振りでこういうところは珍らしいものだから」
葛岡はおぞい調子でこう言訳します。
わたくしは気分がいよ/\
それなら
つい、四五ヵ月前まで、まだ野の草の香りがあって木の生皮を
「何にも知らないこの青年に智恵をつけるにも程がある。これじゃまるで智恵をつけたために生きながら人間を
わたくしには、自分を愛しているものが、他の女によって奪還されつゝある不愉快に向っての抗争の気持も多少はありますけれども、公平に看て、より多く、男の
大体、この辺の横町は、大小
面白いのは、こういう黝んだ問屋の間に、
わたくしたちは、こういう横町を、曲る度びに、遠方の町の外れに必ず
小半町ほども普請の板囲いをして、池上商事会社新築場と掲示看板が
わたくしは、なぜ、これをいま見に来たのでしょうか。わたくしに何の好奇心も慾望もありません。わたくしは、たゞ葛岡にこれを見せて遣り、それに突き付けてわたくしがたった一言いい度い言葉によって葛岡に何か激しい気象を起させ度いためでした。そうしたら今こずんでいる釘付けの青年の心が、むくりと動き出すかも知れない。流れ出るかも知れない。
わたくしは
「あたし、近いうちに、こゝへお嫁に来るらしいのよ」
葛岡は、黙ってわたくしの指す家附を見ていましたが、少し慄える声で、
「たぶん、そんなことになるらしいとは思っていた」
「あんた、それでもいゝの」
「||仕方ない」
「
わたくしは、女だてらにこういう言葉を叫ぶと同時に、葛岡の肩を捉えて眠れる人を醒ますように、むやみと揺り動かしました。
「あんた、口惜しいとは思わないの。自分の愛する女を人に
あばずれた言葉を言わなければならない羽目にある自分を憐れむためか、それとも単に激情が形に浸み出すのか、わたくしの眼から涙が零れました。
池上の店とちょうど斜向いに、小さい薬屋があって、店の灯を道路に吐いております。わたくしはこう言ったあと、葛岡の肩に片手を置いたまゝ、
「||||」
瘠せてうす汚なくなって、ルオーの描いた
興奮した小鼻の膨れ縮むのが、水を離した魚の
葛岡は、ふーっと、
「その口惜しさを、これからの毎日の餌食にしようよ」と言いました。わたくしは、とう/\
「それで済むの、あんたも男じゃないか。男じゃないか」と
「||||」
薬屋の小店から、店員らしい男が
わたくしは「あー、あー」と歎声を洩して、後口の悪い思いに胸をむかつかせ、なり振りもなく
「これから、あたし、安宅先生に合って談判しに行くわ。なぜ、葛岡をこんな人にしましたかって。だから、あんたも一緒に行って頂戴よ」
あとのことなんか、この際どうなったって
「これから、赤城の麓へまでか」と問い返しましたが、すぐ、
「いゝだろう、蝶子さんも、先生に一ぺん会っとくがいゝ。この先、どんなお
わたくしはハンドバッグを開けてみました。幸い、内かくしに、池上はたっぷり紙幣を入れて呉れてあります。わたくしたちは自動車を上野駅へと急がせました。
上野のステーションへ来て調べてみますと、
今からでは、上越線で八木原駅に停車するのは夜中近くの十一時三十分発の列車だけであることが判りました。けれどもわたくしは
闇の中の宿場町です。たまに見える軒の灯は夜霧にうるんで、何度眼を
学園の遠足以外には田舎に出たことはなく、田舎の夜とては一層に不勝手なわたくしには、東京であれほど弾んだつもりの安宅先生説得の意気込みも、いつか、相撲の手だとて人から聞きました
咽喉に詰った
「赤城山に出る天狗は
と言いました。わたくしは擬勢を張って、
「そんな話、いくらしたってちっとも恐かありやしない。たんとなさいよ」
と、たしなめながらも、ます/\気に喰わない葛岡の背後にぴったり寄り添って歩かないわけには行きませんです。
ステーションで教えられた夜明しの旅館に着きました。
「夫婦ということにしといたよ。こういうところでは
「そんなこと誰に習ったのよ」
葛岡は、ちょっと躊躇していましたが、
「安宅先生と鳥撃ちやスキーに一緒に行って、度々の経験から覚えたのだ」
と、わざと声を厳粛にして言いました。
それから、火鉢の火や茶道具を運んで来た小女中が、
「レデーと寝室を共にするときの作法だからね、悪く思わんでね」
とテレ臭そうに言いました。
「それも、安宅先生と一緒に旅行したときの経験なの」
と、わたくしが
「いや、経験じゃない。最初から先生に
と押し返すように言いました。
わたくしは、自分の布団の枕元に坐って、この
「一体、どういうわけなのよ。わけを敢えてよ」と
すると葛岡はやゝ得意になって、
「先生は、世界のピューリタニズムの研究家なのだ。禁慾者の生活様式にはとても
と言いました。葛岡は、わたくしがなおも
鎌倉時代に一遍上人という特殊の念仏を布教する聖僧があった。寺は持たずに教団の男女を率いて諸国を
「そこで指導者の一遍上人が工夫したのが
浄土教の教相の中では、人間の情慾を火の河と水の河に
教団が夜泊して宿舎が狭い。男女一室に、眠らなければならないときには、上人は男女の臥床を左右へ分けた。間に十二因縁を
「安宅先生は宗教嫌いだった。けれどもこの作法をたいへん面白いことに思った。それからして先生は自分と一緒に旅行するときは、先生自身も白いバンドを締めるし自分にも締めさした。宿屋で一室に
それと「男女一緒に旅行して一室に寝なければならないとき、レデーに対する礼儀作法としても第一簡易な形式でよいではありませんか||」と。
葛岡が安宅先生の代弁をするとき、
普通に流して置けば別に目立たない本能の川であります。それを
精神分析学にも
普通に流して置けば、たゞの本能の川であります。先生はそれに禁圧の
「けちなことをしないでよ。することが見え透いているわ」
わたくしは、白いバンドを手に取って座敷の隅へ投げつけました。それを拾って来て、葛岡は元のように締めてから、
「旅行のときにはいつも癖になってるものだから、やっただけだ。なに······」
と、あとは口の中でぶつ/\呟いていました。
わたくしは
「疲れたでしょう。少しの間でもあんた横になっときなさい」
葛岡が言いかけたのを、わたくしは、「知ってゝよ」と言って、帯だけを解き、壁の方に向って床の中に入りました。
暗い電灯の下で葛岡はしばらく独りで茶を
「また、蟇の油の蟇哲学のことでも書いてるんじゃない」と
「ご覧、君の寝たところのスケッチだ」と臆病に見せまして、
「僕は、汽車の中ででも考えたのだが、今度こそ、先生も僕もあんたも、ちり/″\ばら/\になる運命が来たように思うのだ。それで僕の一生の記念に僕の手でスケッチしたあんたを手元へ遺しときたいのだ」
と寂しそうに言いました。わたくしも少し気持をそれに引入れられましたけれども、今更、何をこの愚かしい男がという気が出まして、
「ずいぶん
と寝ながらけなしますと、葛岡も自分で見返して、
「なるほど、拙いな。植物標本のスケッチなら園芸学校でも習っているから描けるんだが、生きた人間は始めてだから描き辛い」と言いました。
それから葛岡は、わたくしを穏かに眠らせるつもりらしく、その園芸学校時代に実習した染色剤を使って
窓の硝子戸を訪れる風の音を伴奏にして、努めて低く柔かく語る男の地声です。わたくしは
わたくしは、また、眼をぱちりと開きます。すると、すぐ傍の男の地声が力を張って撫で臥させます。
夢とうつゝの間に何度、こういうことを繰返しましたでしょうか。そのうちわたくしは、自分も乞食になって満足し、気早い心で、土の上に臥ているように思い
臥し向っている洋室
諦め切ったという男には、たとえ不甲斐ないことにはなったにしろ、またこんなに女を
「少し話を途切らすと、君は、ぴくりとして眼を覚ますのだから、弱った」
それで葛岡は一夜まんじりともせず、何かかにか咽喉から声を出していたと言います。
「眼を覚せば、君は、また突っかゝって来てうるさいからな」
わたくしは、さすがに有難く思って「ほんとに済まなかったわね」と言って、起上り、勢よく洗面所に行きました。
よく晴れた朝でした。窓硝子には
手製のパンにハムエッグとコーヒーが出ました。これで朝飯が済んだのかと思っていると、今度は改めて和食の膳が運ばれて来ました。これこそ本式の朝飯だといいます。サーヴィスが良過ぎるのか、わざと
低く青いのは麦畑、やゝ高く青いのは桑畑。そしてこの間に雑菜の畑や、まだ冬の刈田のまゝの水田などが縦横無尽に縞目をつけております。縞目のところ/″\にさかりを過ぎた菜の花畑とげんげ畑が色がうるめて咲き敷いております。丘というほどでもない堆土に子供らは
空から星屑を振り
地上にはこれ等の寸景を無数に載せながらこの平野はまた山裾の傾斜を受け継いで、緩く大きく、北より南へ傾いてもおりました。従って、里道のカーヴに制せられてうねり曲り行く車の上の私たちは、
草むらの中から、ぱっと投げ上げられて、中空に上り下りしながら鳴く音を続けている
一度、来たことのある葛岡は、山の名を覚えていまして、大体に於て、車のうしろの方に当り、空に牙を並べて噛みついている霞色の峰の塀を、あれが榛名、妙義、それから浅間の連峰だと言いました。いま既にその裾野の傾斜に乗りかけながら、なおも眼の前に
けれども、こう近寄って来てみて、判っているようで判らないのはこの山の界であります。というのは、この山はあまりに平ぺたく、幅を大地に取っておるからでございました。試しにわたくしが眼で左右に緩く裾野が傾く線を辿って行きますと、しまいには裾野だか地平線だか判らないほどこの裾の果は山から縁離れした遠方まで延びております。わたくしは葛岡に訊いてみました。
「ずっとこれがみんな赤城山なの」
すると、葛岡も
「さ、そいつはちょっと返事に困るな||近くへ寄ったら、どこの山だって、裾野か平地か、界は判るまいじゃないか」
葛岡は内ポケットから懐中手帖を出しかけながら、
「しかし、とにかくこの山は、山のスロープの雄大なので有名だね」
朝日を受けたので黄味がかった薔薇色に明るんでいる正面の緩い傾斜の山腹を眼で登って行くと、こゝにまたかなりな高さまで森の木立、畠、村落などがあるのを、山霧の
手帖の頁を繰り当てた葛岡は、頁の上とそれ等とを照し合せて、
「まん中に、向い合った峰を両方とも地蔵岳と言うんだね。それから右の外側にあるのが、荒山に鍋割山。左の外側に丘のような形をしているあれを鈴ヶ岳というね」
と説明しました。わたくしが、その手帖を覗きかけると、葛岡はちょっと引込めかけましたが、逆らってもつまらないと思ったらしく、
「なにね、このまえ来たとき、先生の部屋から僕がスケッチしたのへ、先生が名前を書き込んで呉れたんだよ」
とわたくしに見せました。わたくしは、いろ/\なことを言いながらも先生と葛岡とはこんな睦じそうな事までもしているのかと
「これもやっぱり一生の記念のためなの」
と皮肉に言いますと、葛岡は手帖を急いでしまって、
「たぶん、記念になりそうな気がする」と悲しそうに言いました。
車は村に入り、突き抜けて村外れの細い流れに板橋の架っている前で停りました。
「さあ来た」と言って葛岡は緊張した顔をしました。
わたくしは何だか学園で会いつけている安宅先生とは違って難かしい人を訪ねて来たような気がしまして、急に億劫な気持に襲われました。しかし心の底には許さぬ気性が歯を噛み鳴らし始めております。
板橋から下を覗くと、山麓の流れは清らかにも勢早く、
流れの向う岸は一帯に
わたくしは探るともなくこの家の様子を眺めますと、田舎慣れないわたくしの眼にも異様に感ぜられるものがありました。家は此方から見て、
わたくしは少し
かみなりに家は焼かれて瓜の花
今年の桃の頃、初雷が鳴ったとき日本橋の寮で、雷嫌いのわたくしは座敷の中を葛岡が張合抜けの顔をして来ました。
「誰もいないので裏の方まで探し廻った。先生の弟さんがいた」
と言いました。
「それよか、先生は?」
「養蚕の季に入ったので家の中がうるさいって、赤城の上へ勉強しに行かれたそうだ」
わたくしは多少ほっとした気持がないことはありませんでしたが、
「たぶんこんなことになりやしないかと思ったわ。あんたも運のいゝ方じゃなし、あたしだって同じことだし、で、どうする気」
葛岡は、その弟が二人に是非上って休んで行くよう、家の中で待っている由を告げ、しかし葛岡自身はあまり気が進まないらしく、今度は葛岡の方から「で、どうしよう」と言いました。
わたくしは、先生の実家や、きょうだいの様子を尚も見て置き度く、やはり、しばらく休んで行くことにしました。
拭き磨かれた台所の板ノ間が大部分で、そこを避け八畳ほどの畳敷に炉へ自在鈎で鉄瓶が釣った部屋であります。炉の端に私たちを招じた先生の弟は、土間の桑の若芽の束を指し、
「なにせ、養蚕期に入ったものですから、座敷はどれもその方に宛てゝあります。こゝで失礼さして頂きます」
といいました。
弟というのは安宅先生のあの中性型の美人の顔を、横着に、そして神経質な
「リョウマチをやったものですから」と言訳しました。
なお、そのほかこの男は
「赤城の
それから、意味あり気な冷笑を唇に浮べながら、
「姉が留守になりますと、いわば鬼の居ないうちに洗濯といった具合で、みんな羽根を伸して出歩きますもんで||」
と、今度は私たちをじろりと見ました。
この部屋は都会の家にしたら茶の間なのでしょうが、蠅帳やら台所戸棚やらがある外に、眼が家の中の暗さに慣れて来ますと、長火鉢を横に控えて帳場格子に簿記帳が立てゝある席があったり、安物の青
「あんたが、この前、寄せて頂いたという先生のお部屋はどこ」
と訊きました。
すると葛岡は、何気ない様子で襖を斜に指し、
「この奥の御座敷で、そりゃ赤城が真正面によく見える」
と答えました。わたくしには果して先生がこの家の中の主位に席を占め、独裁者のように振舞っている想像が当ったような気がしました。
弟は、わたくしと葛岡との私語に仲間入りしたいように、
「姉も、あゝいつまで、ぶら/\していて、一体どうする気なのでしょうか」
と言ってみせました。慣れない人には全く無口な性質の葛岡は黙っています。わたくしだけ努めてこの弟と、互いに探り合いながら話を少し重ねていくうち、だん/\、この弟は、先生対、葛岡とわたくしとの関係のいきさつも充分心得ていることが判って来ました。
そして葛岡にしろわたくしにしろ、先生を動揺さした害人であり、従って先生に頼っているこの家の家族たちに取っても亦、私たちは迷惑な存在であるとこの弟は思っていながら、しかし事の
「家の中のものは、蔭で心配ばかりして、全く手がつけられない仕末です。お察し下さい」
こうなってみると、わたくしには大層話がしよくなりました。葛岡の解放のため場合によっては先生の根元の考えからさえ変えて貰わねばならないその予備知識の為めにも、先生をあゝいう人間にした環境であるこの家の事情を出来るだけ多く知って置くのはなにかにつけて便利だと思いました。そこで愛想よく、
「御気の毒さまですわね。でもわたくしだってどうしていゝかほんとに判らないんですもの」
それから言った意味を徹底さすため葛岡に向って「ねえ、あんたも、そうなのでしょう」と同意を促しました。葛岡は少しきまり悪がって、それでも「うむ」と頷きました。わたくしは、尚もこの弟をいゝ鴨にして、
高崎中学を終えてから、各地の医専の入学試験を受けている最中、リョウマチにかゝり、少青年期の大事な部分を実家で療養に暮すうち中学生上りともつかず田舎紳士ともつかない
「今更、鍼灸師なんかになり度くはありませんが||」
弟はわたくしの
赤城の山||平野にこれだけの異変を
赤城の山頂には火口原湖として
欺き悲しんだ長者と妻は金に
以後、娘の村では、娘の入水の日を娘の命日にして赤飯を蒸し山へ持ち行きて小沼に投げ込む。山麓の村々一帯に、十六に当る歳の娘は登山を禁じられるような風習になった。
こゝまで語るのに、弟は、迷信的のことを自分は語っていても、これは単に話の段階で、自分は
「こんな伝説や風習は湖沼のある山の近所の村なら、どこにでも似たり寄ったりのものがあるんでしょう。だから、迷惑とも思いませんが、これが私たちの生活に直接影響して来ることになると、そう無関心ではいられなくなって来るのです」
その伝説の長者の家を、赤堀村の道玄といったり、小菅又八郎だといったり、所と人によって違うが、その昔からの噂は、移動性があるだけに
「私の家にもその噂を立てられたことがありました。もっとも私の家の方にもそういう噂を立てられても仕方がない村に対して無理なことがあったにはありましたのですが||」
この村の旧家であり村長を勤めていた父親は、新智識をもって任じた。その頃都会の智識階級中に行われたスマイルズの自助論の翻訳本で中村敬宇の西国立志編などを田舎で読み、本の中の有名な句の「天は自ら助くるものを助く」という言葉など口癖に言っていた。農作の改善、副業の
中には、進んで父親の機嫌に取り入るため、他人の非を
夏の夜になると、父親は
この辺まではまだよかった。父親の制裁は酒乱と共にだん/\苛酷を極めて来た。度重なって尚いう事を聞かない男には雇男の腕節の強いのに言い付けて
「あの家は小沼の竜女の血筋の家だ」「それだから人情に外れてるのだ」、噂は安宅先生の家の上に立てられて来た。
「今でこそ、こうあっさりお話が出来ますけれども、実際、噂を立てられた家の者は、あまり、いゝ気持はしないです。どこへ行っても村の人は悪丁寧な態度をして、妙に好奇な眼を向け出して来たのですから」
弟は、そのときの気持を想い出して、片奥歯をきつく噛み合せ、沈鬱な顔をした。
「その上、私たちはまだ子供でした。小学校などに行っていて、同輩と口争いでもすると直ぐ二言目には小沼の竜女の血筋云々が相手の子供の口から出るのですから||」
相憎とこの家の家族には結核性が潜んでいて、子供たちは腺病質で神経質だった。当時、長姉の安宅先生をはじめ、次姉もこの弟もまた次の男の子までみな弱かった。病床に
まわりのあらぬ噂に猛り立った父親は、いよ/\
「赤城の上に在ります赤城神社の祭礼は、五月八日が本祭り、四月八日は蔭祭りということになっております。今は、そんなこともありますまいが、この時分、蔭祭りの日は山の上の原の中に賭博場が開かれました。それを目当てに、麓の村の若い衆たちは暗い内から提灯を持ち勢揃いして登山するところもありました」
父親は、村の青年に向ってこの祭の日の登山は禁止した。青年の方では一年一度の神詣りに何が悪いと抗議をする。父親は賭博するのが判っているから停めるのだと押さえつける。それでも
二日三日と過ぎるうち雷の多いこの平野の中でも特に大雷雨の夜があった。その夜の明方に安宅先生の屋敷は火を発して殆ど焼け失せてしまった。残ったのは今のこの母家にしている屋敷の一端だけであった。
「火事は雷が落ちたことが原因となっていますのですが||なに、多勢に無勢の口ですから、どうにでもなることでして||中で皮肉な村人は、父親の口癖をとり天は自ら助くるものを助けたのだなぞと冷笑していました」
弟は、こゝへ来て大きく口を開いて笑いました。わたくしが不思議に思ったのは、この弟の笑い声は全く
「もう、そのときは、父親を除いて私たち家族一同、焼跡の上に立って、たゞ、ぽかんとして、何だか来るべきものが来てしまったという気持だけでした。家の財政のことなど知らない子供の私なぞは、
弟は、その追憶を現実の今に於て憶い味わう笑いを今度は笑いました。それは哀愁に黄ろい花を咲かしたような妙に快い笑いでした。
予感ということが滅多に当ったことのないわたくしも、この話を聞いて、さっき屋敷跡をみて、ふと思い出した、「かみなりに家は焼かれて瓜の花」という俳句の、この家の成行とは意味内容は違いながら、まず形は雷で家は焼けたことにされており、そして、その焼け出されたあとの家族の気持までがこんなにひょこんとしているところは俳句の感じそのまゝになって来ましたのに気付くと、わたくしとしては珍らしく当った予感の分だと自分で自分のカンに感心しながら、わたくしも知らず/\やはり哀愁に黄ろい花を咲かしたような妙に快い笑いで弟の笑いに合せていました。実際こういう
長火鉢の中の底がこと/\鳴ります。
「おゝ、そうだ」
と言った弟は、不自由な脚を曳いて長火鉢にいざり寄り、大事そうに
「卵の
と、私たちに告げると、ほく/\して「ちょっと失礼さして頂きます」と言い捨てさま、風呂敷を布くやら伏せ籠を用意するやらして、抽出しの中の雛子を外に移し出すのを、葛岡も面白がって手伝いまして、どうやら台所の土間の伏籠の中に雛子を納めました。刻んだ菜や、水を与えられると、籠の目を透くレモン色の小さい姿が激しく動くのが見え、田舎家の午前の
立った序にとて、弟は茶を
鼻から脳髄に香いは突き刺して、その爽かさは眼を見開かすほども強い山独活の
弟は語り続けます。
「明治も末期の頃で、農村はそろ/\
本性のものかそれとも変質的のものか判らない農村改革に、失敗した父は、もうこのとき伝来の資財も殆ど使い崩していて、捨てゝ置いても一度はこの辺で家産の整理をしなければならない羽目に向っていた。そこへこの仕儀なので父は、これ幸いとは思わないまでも、一つの機会を掴んだつもり、土地の奴は話にならない、これからは海外へ日本農民の発展の道を講ずるのだと言って、最後の資金を
三年間辛抱すれば、父親はテキサスから
「姉はあゝ見えていて、子供の時分から娘になりかけくらいまで、気弱で神経質な女でした。可愛がっていた妹の
祖母はこの姉の安宅先生を特に
約束の三年目に、送金はなくて、父親自身が白骨となって還って来た。父親は資金の金は
この当時に女学生が自転車に乗ることは都会でも珍らしかった。まして地方のこの辺では突飛なものゝように目立った。少女の安宅先生は、通学の途中、よく子供たちに石を投げられた。若い衆に道へ釘を撒かれたりした。それでも先生は
気の弱い神経質の少女にどうしてこの一筋だけ勇気があるんだろうか。それを先生は不審がるみんなにこういう言葉で説明した。「死んだと思えば何だって出来ないことはなくってよ」と。
この言葉は誰もちょっとした覚悟をつけるとき言う言葉だから何人にも判った。しかしそれが真実、先生の性質が変りかけている徴候だと気付くものは家族の中でも一人も無かった。
先生が女学校卒業間際に、先生の自転車乗りの姿を見染めて婚約の話を持込んで来た青年があった。
「私も知っていましたが、癖のない無邪気な青年のようでした。家は烏川の上流にある室田の旧家で、その家から山の薬草を
青年は十八で安宅先生は十七であった。大学へ行くくらいまで婚約の間柄にして置き、大学へ入ったら大学の所在地で結婚させようという工合な室田の実家からの申込みであった。先生も至極その青年が気に入ったらしく、殊に先生の祖母はやはり室田から来ている人なので青年の実家の事もよく知っており、あすこの家なら万、間違いはないと話はとん/\拍子に運んだ。
「所が、こゝにまた姉に就てあらぬ噂が立てられ始めました。姉の事を、あれは
この噂は求婚の青年の実家にまで聞えた。山間に入るほど迷信は雪と共に深い。そんなことに影響されない室田の実家の壮年者まで、そんな噂がある以上、娘には何か他に生理上にでもいわくがあるかも知れない。まあ控えた方がよいということになってこの縁談は破却された。
おとなしい性質の青年は、実家の言うなりに思い諦めたらしく、受験をかこつけに東京へ出て、それきり帰らなかった。先生は黙って打ち沈んでいた。先生より寧ろ遺憾は深いと思われる祖母は、
「盂蘭盆の日の間は、私の家では白張りの大きな切子灯籠を座敷の外の軒に掲げることになっております。毎年おばあさんの役目でした」
おばあさんは、今年は息子のおとっつぁんの歿くなった七周忌だからと言って、念入りに灯籠を張り替えていた。
「盂蘭盆の日でした。暗い早朝に起きた家の者が座敷の戸を繰ると白いものがぶら下っています。おや、おばあさんはもう切子灯籠を釣ったのかとよく見ると、それは灯籠ではなくて、おばあさん自身、首を
女学校を卒業した先生は、それから一人で頻りに赤城の山頂へ閉じ籠って勉強するようになった。山から下りて村に居るときは、村の娘なぞに向って「あたしは小沼の水底に光っている
先生のこの言葉には、
「姉は、その後、何か決意したらしく、自分の親から
先生が女性体育家になったのは、勉強に給費制度があるため学費に
三四年して先生が帰省して来たときには見違えるほど強壮な女性として家族の前に立った。家族は驚いて眺めた。けれども、もうこの長女は家族の誰にも心の通じない異邦の人のようになっていた。先生は肉
「姉は学園に勤めるようになってから、きょうだいのために学費を送って来ては呉れましたが、家や私たちの方針のことになるとすべて命令的で、相談ということをして呉れません。しかもその命令がまるで非現実的なもので、さし当って生活しなくちゃあならない私たちに取って三文の値打ちもないようなことばかりです。始めは学問のある姉の言うことだから本当だろうと思ってやりかけて、随分莫迦を見ました。家の者は、たゞ上面だけはい/\言うことを聞く振りをして、内実は実質になるような職業に早く就く方針で勉強をしているのです」
土間の裏口から物置長屋の一角、それを掠ってポプラの木が二三本あります。その先は桑畑になっていて、上に赤城の山はこゝからは左の方六分ほど覗けます。相変らず平ぺたく高まり、頂にだけ峰や裂目のある岩が
窓外の光線に私たちのいるこの炉の間は押し黒ずまされ、漆色の暗さは指に触れたら
弟は語調をやゝ改めて、
「ですから、今はもう、姉に対しては、金を送って貰う外、家族たちは何の期待を持っちゃあいられません。それを今度のような状態でぶら/\されているのでは、実に心細いのです。出来ることなら、あなた方のお力で、姉をもう一度、就職に気を向かすよう、
たぶん、しまいはこうなるだろうと思ったように弟は話のつゞまりをつけました。そして弟は、心から私たちに頼むように頭を下げましたので、葛岡まで緊張して、頭を下げ返しましたが、そのすぐあと弟は、また、負惜しみらしい口惜しそうな顔をして、
「なに、それも、養蚕さえも少し金になれば姉なぞはあてにせんでもいゝのですが、この養蚕というものも||」
繭は
「いずれ、私たちもよく考えまして||」
と月並な挨拶をして葛岡と共に座を立ちました。私たちが土間の表口を出ると、その前から始めての客を恥しがり、羽目の蔭に隠れて様子を窺っていたらしい子供連れの若い田舎風のおかみさんが裏口から土間の中へそっと入りました。そしてその子供が私たちを送り出した弟に向って「おとっちゃん」と呼びかけましたところを見ると、この弟は既に妻子を持ちながら姉に鍼灸師受験準備を
出口の板橋へ向うとき、わたくしは「あの話聞いてどう思った」と訊きますと、葛岡は「先生も小さいときに
「僕もその方が、いっそのこと君のためにもいゝと思うな」と応じました。
私たちは板橋の口に待たせてある自動車で赤城の登山口まで急がせました。
「何という人間離れのした景色だろう」
赤城の登山道もほとんど登り切って、新坂平とかいう、そこからは、もう山頂の火口原が平盆に一面、雪を盛ったように見下ろせる場所に
やゝ眺めていると、ひと色の平盆の雪も少し向う側寄りは、丸くうす緑の色に染っていました。そのぼんやりして
火口原の周囲を取巻いて、黒檜だとか駒ヶ岳とか薬師岳などという山々がありますが、半ば雪が解けていたり、
永劫の死滅の姿よ。そうも取れます。ですが、じーっと見詰めていると、この永劫の死滅の姿そのものが、姿そのまゝで今や微かに息を吹き返し、
そればかりでなく、いよ/\眺めに馴れて来ますと、火口原の雪の銀光は空に射向う途中から
何という
葛岡と、案内者に頼んだ茶店の老人とは、道端の白樺の根株の雪を払って腰を下し、巻煙草を分ち合って、のどかな煙を立てゝいました。淡い
「鳥はあの小鳥ヶ島と、赤城神社のお宮の樹にいちばん早く来るだね。すると、山はまず春だね」
もう行く先は眼の下に見えていますので、私たちは案内者の老人を
「あんた等に貸したその
私たちはだら/\と雪の火口原へ下り、湖面近くへ
一つはこちらが
「あら、来たのね」
そう言って立上って来ました。わたくしはまた、「えゝ、来ましたわ」と言って、顔を斜に俯け、女学生風の
「早くおあがりなさい。寒かったでしょうね」
と言いました。そしてわたくしが
「帯を除って楽にして、この褞袍をお着なさいな||おなか減ってやしない||少し横になって休まなくてもいゝの」
わたくしが、たゞ、こどものようにかぶりを竪に振ったり横に振ったりしさえすれば返事になる、相手はそつのない
わたくしはまた、それを当然のように感じ、逢ってしまえば何でもない先生なのだとさえ思わないわけには行きませんでした。過ぎ去った一年ほどの間に眼に見えて縺れ出した葛岡とわたくしと先生の間の
北欧風の、色は渋いが縞の荒い男ものゝガウンを着た先生は、わたくしに並んで炉べりに雄偉な両脚の膝を立て、膝頭を両手で抱えてしばらく炉の中に燃えしきる白樺の薪の焔に見入っていました。わたくしが、ふと、気がついてみると、先生は女の癖に小さなマドロスパイプを
しばらく先生も何か考えている様子です。ひょっとしたら、わたくし同様、過去のいきさつを流行り廃ったフヰルムの截片のように胸の中で値打なく顧みているのではありますまいか。
この炉を真ん中にして部屋は二十畳ほどの古畳を敷いた部屋です。入口の土間から炉べりまで一筋、畳を剥いで床板が出ております。これと直角にいま一筋、畳を剥いで床板の出ている線が長方形の畳敷の部屋を真中で縦に裁ち切って、炉の所を交点とする丁字型の溝が出来ています。旅人が、土足のまゝ炉端へ行けたり、団体客がそのまゝ上り込んで昼食を使ったりする為めの便利でしょうか。床板には斑々と泥の足跡がついております。
部屋は掘立小屋にも近く、荒壁や天井の木組がそのまゝ眼につくものゝ、風雪に堪えるためか頑丈な柱や板を使って、それが、幾十年かの
入口に向い合った奥の壁は一面に重い引戸の戸棚になっており、隙間から寝布団の旧式な縞柄がはみ出しています。旅宿といっても客の部屋はこれ一つらしく、この部屋の仕切りをしている襖の角の隅に古屏風が囲ってあり、その屏風にわたくしの見慣れた先生の裏毛の外套やスカーフが掛けてあるところを見ると、ここに先生の居どころが設けられてゞもあるのでしょう。その反対の角隅には、道者の
「ずいぶん、粗末な宿屋でしょう。驚いた」
先生は、わたくしがいぶかしげに周囲を見廻すのを気付いてか、パイプの灰を炉べりでぽん/\とはたきながらこう言いました。
「これでも、私の少女時代にはこの山頂で一ばん立派だった宿屋なんです。私はこの宿へ二十年も馴染なのです」
葛岡はと言うと、私たちがこの宿へ入って来てから先生がわたくしにかまけ切ってばかりいるのを見て、結局その方が気楽とでもいうように勝手に褞袍に着換えたり、宿のおかみさんが持出した安ビスケットや山独活の漬ものを
先生は私たちがだいぶ落付いた様子を見て、何気ないふうを装い、
「こゝへ私を尋ねに来るとは、あんたか蝶子さんか、どちらが先の発議なの」
と、炉の向うの葛岡へ訊ねました。
葛岡は
「蝶子さんが先に||」
「どうして、私が山にいると知ったの。うちへ寄って訊いた」
「えゝ、おうちへ行ってみたところが、先生は赤城だと伺ったので||」
先生は炉の鉄火箸を執り上げ、薪の焔をその尖で二三度、
「うちでは誰に会いましたの、みんなに」
「いえ、皆さんはお留守で、弟さんとかいう方にお目にかゝりました」
先生はこれを聞いて、つい、
「弟

と言い返したのでしたが、それから急に伏目になり、今まで見たこともない、もじ/\とした女らしい所作を私たちに示しました。やがて自分で自分の羞恥感に堪え通したような、ほっとした顔を上げまして、今度は私の方を見ました。
「じゃ、もう、私のことも、私の実家のことも、蝶子さんは一通り聴きましたのね。どうせあの弟はお喋りだから」
わたくしは逃れようもなく、「えゝ」と素直に答えました。
先生は火箸を投げ出して、膝に額を置いてしばらくその儘でいました。わたくしは先生が考え込んでいるというより泣き沈んだのではあるまいかと思うくらいその伏し方は打ち投げたさまなのに心配して試しに先生の簡単に束ねた髪の毛を見ました。別に顫えてもいないのを見ると、そうでもないと安心している私の眼の前へ、やおら
「わたくしのことは、蝶子さんには、すべて綺麗ごとに見せて置き度かったんだけれど||」
それから、まったく独り言になり、
「仕方がない。||いっそ何もかも知って置いて貰った方がいゝのかも知れない、||わたしの恥かしいことも
その声は諦め切った谷底で、どこともなく聞える
「ともかく蝶子さんが来てよかった||これでいゝのだ。そう||これでいゝのだ」
わたくしは怪しく悩ましい感じに撃たれ、「先生、それ、ほんとう」と訊かないわけにはゆきませんでした。すると先生は、はっきりした声で、
「えーえ、ほんとうですとも」
と言って、それから少時、黙っていたあと、「何もかも、ほんとうですとも」と言ったかと思うと、咽喉の奥で、しず/\と笑い出しました。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」
それは先生が笑ったのでしょうか、
「もう晩に近いわね。||」
どうせこの宿の食事はひどいから、蝶子さんには、先生が何か作ってあげましょうと、足取りも静に距ての襖を開けて台所らしい方へ入って行きました。
代って宿の主らしい五十ぐらいの男がランプを釣りに来ました。人品もそう
ランプの光で部屋の中は急に夕暮の気を漂わし始めました。部屋の隅に眠ていた行者風の男はむく/\と起き出し、粥の小鍋を炉の端に提げて来まして、白湯をさし、「ちょっと火にかけさしてお貰い申すだ」と、自在鈎へ釣り下げて元の隅へ戻ると、今度は
手持無沙汰のあまり、わたくしは葛岡と話し出しました。
「なるほど、あんたの言ったように、先生はずいぶん変っているわね」
「だろう、それ御覧。こちらからはもう何も言い出せはしまい。だが、実を言うと、この前、僕が先生の
「へえ、そうなの。じゃ、どう変ったの」
「まず言えないよ」
「どうして」
「だって、言えば君は嫉くか、怒るかするんだもの」
「ばか仰っしゃい。今更こんな雪の山の中へ来て」
「じゃ言ってみようか」
「あゝ」
「この前、会ったときの先生は、気高くはなっていたが、まあいわば、おふくろさんかおばさんの感じだった。ところが
事実、葛岡は声を潜めて言いました。わたくしは膝を打ち度いほど力を籠め、
「まったく、その通りだわ」
と葛岡の言葉に同意せずにはいられませんでした。
変ってしまった。いま見る先生みたいな人は、山の自然と一緒に、季節の早春にも自由に誘惑されるのでしょうか。
宿の膳のクキと鮒の煮浸し、馬鈴薯の味噌汁に添って先生がキャンプ料理風な鑵詰ものを使って
私たちはそれを食べたあと、先生に導かれて夜の湖辺へ出てみます。
月は
「来てみてごらんなさい、こゝへ」
先生はわたくしを一しお湖辺へ近く誘いました。そこの石に
「ね、もう、そこに大きく氷の割目の痕が出来ているでしょう。この辺ではこれをえみと言っていますが、近いうちに湖の氷は割れ出しますね。暖い南の風が吹いて来たら||」
「それ、氷のところ/″\にうす蒼黒く、まだらがあるでしょう。氷が薄くなったので底の湧き水の在所が透けて見えるのですよ||」
先生は私たちに一とおり山の夜景を見せて帰りしなに、わたくしに向ってこんなことを言いました。
「二三日、そう、三日間は、是非こゝに泊っていらっしゃいね。するうち、きっと南の風が吹いて湖の氷が解け始めますから||」
氷は一つ/\の形に壊けて、あっちへ漂ったり、こっちへ漂ったり、そりゃ壮観。せっかく来たことだから、これは是非見て帰らなくてはいけないと、先生は言いました。それから葛岡に向っても、
「三日間のうちは、蝶子さんを連れて帰っちゃだめよ。これは、よく言っときますよ」
その夜、私たちは、先生を真ん中に枕を並べて炉に近く寝ました。恋も恩愛もうやむやになった仲の三人が寝息も静に。枕に響くちろ/\した水音は雪解の水が御宮の川を伝って流れるのだと言います。
昼のうちはせい/″\山中を見物しときなさい、話は夜でも出来ますから||という先生の指図に任せ、私たちは宿の主を案内人に連れて、弁当持参で所々を見物して歩きました。都育ちの私には今更、山の景色の想いにも考えにも及ばないことが判って来ました。ですが、先生の私たちを引留めた目的は夜毎の炉辺の話にあるらしく、わたくしはまた、それを意表の外の思いで聴くのでした。わたくしはそれを述べるのに便利なため、三日三夜を一日一夜ずつに分けて述べてみましょう。
第一日、第一夜。
この日、私たちは赤城神社に詣で、小鳥ヶ島を尋ね、それから湖の岸のわきから黒檜へ登りました。枯木が密集した森林のあるところ、一望
陽当りで雪の解けた場所もあります。宿の主はそこの岩の根の土を少し穿ってみて、
山頂から眺めた四方の景気。きょうは曇っていました。空は一面に波型の残った砂浜のように、明暗の雲をだんだらに並べたまゝ、ちょっとも動きません。どこからともなく鈍い光がさしております。見晴るかす山また山には
私たちは五輪峠という方へも行き、大沼を一周して帰りました。
夜、先生と私たち二人は炉辺で向き合いました。先生はこの夜のことをば「懺悔の夜」と名付けると口切りしまして、それから次のように語り出しました。
「私が少女時代は、腺病質の内気な娘で、情熱は内へ内へと籠らせる性質であったことは、蝶子さんも、私の実家の弟に聞かれたでしょうね。そしてまた、私が体育の教師として学園へ勤めているうち、女生徒の蝶子さん、あなたを見て、もし自分があなたになれるのだったら、なってみたいたった一人の娘であると思っていたことも、多分この葛岡さんから聞いたでしょう。私がそう言ったのは、少女時代の自分がもし事に妨げられず、素直に育ち進んだら、きっとあなたのようになっただろうという未練や口惜しさが手伝った為でしたろう。しかし仮りにもしそうして育ってみたところであなたは都会生れの水の性の娘、私は田舎生れの山の性の娘、そこにだいぶ相違のあることが此頃では発見して来はしましたものの、やはり私は、あなたが流れに任せてなよ/\と、どこの岸にでも漂い寄り、咲き得る萍の花の自然の美しさを、女の本能の美しさを、うらやましく思う点は昔も今も変ってはいないのです。弱いものゝ持つ勁 みをあなたに感じずにはいられません。
だのに、なぜ、私が私の好きなあなたと敵味方のようになる仕儀にしたのでしょうか。もちろん、その原因として、中間に、こゝにいる葛岡さんというものを挟みはしましたが、しかし、これは気の毒ながら、挽木の鋸目 に入れる楔 のようなものです。スペクトルを検して採るプリズムです。実のところ、蝶子さん、私は、私の身の破滅を賭して、あなたの性格の影響から逃れようと試みてみたのです。言い換えれば、女の本能から、生から、弱さの勁みから逃れようという試み||まるで謎か、雲を掴むような話で済みませんが、どうか聴いて下さいね。世の中に滅多にない試みや手段だったのですから。だから、判らなかったら判らないまゝで関 いませんから、どうか、ゆっくり辛抱して聴いて下さいね。
私が少女時代はあなたにかなりよく肖 たなよやかな子であったのに、どうして男勝りと言われる意地強い女になったのでしょうか。私は少女時代から娘時代にかけて、育ち盛りの前を阻まれた女です。郷党のこどもから、小沼の竜女の家系の子だなどゝ異類呼わりをされたり、折角、愛する男と結婚しかければ、同輩の娘から、男まじわりの出来ない鱗娘だと縁談を打ち壊されたり、たとえ、それは廃物になりかけの莫迦々々しい伝説や因習を採り上げての周囲からの迫害でしたけれども、多勢に無勢で、実際には虐めつけられるのですから仕方がありません。多分この話もお喋りの弟からあなた方は聞いたでしょう。
私は死んだ方が増しだと、何度思ったか知れません。それから死んだ気になったらと、逆襲して出る気持にお腹が据って来たのも止むを得ません。
人は「死」を惧れます。私だとて始めはそうでした。しかし、生くるにも生きられない苦悩に追い詰められ、頸筋を掴えるようにして鼻先を死の世界に分けられたものは、息も詰まりながら、しかし遂に、この暗い世界から何ものかを愛し出さずにはいられないのです。人間というものはそういう風に出来ているものらしいのです。まして私も根は矢張り女です。のっ引ならなくなれば棘でも茨でも身を以て愛します。
陰の色に晒 された世界、心も凍る寂しい世界、絶望以外には頼りになるものゝない世界、唇一つ動かせない無力の世界。嘆きとか悲しみとかはまだ感情に味があるからこそ言われる途中の気持です。この世界の切岸に立って、この世界と面と向き合ったものは、撃たれるとか、放心とかゞある、たゞそれだけです。狂気する余 悠 も与えられはしません。そして心の眼は寸分の油断なくこの世界をうち見まもっていなければならないのです。私は娘時代、撃たれ続け、放心の仕続けで、死の世界に向き合っていました。するうち、ふと、この世界はまやかしものである。根から在るわけではない。譬えて言ってみれば、魔術師の闇色の幕のようなものである。この中にはきっと何か仕込んである。あるに違いない。そう思われて来ました。よろしい私はそれを取出してみよう。自分が魔術師になって、私がふと、こう思い立つ前に死の世界を愛し出していたのでしょう。それ故にこそ、むずとその中へ踏み込んで何か手堪えになるものを探り出してみる勇気も親しみも湧いて来たのでしょう。
私が死の世界の中から愛して取出したものは何でしたろうか。あの冷徹氷のような理智の短剣、独創の矢羽 が風を切る自我の鏑矢 、この二つでした。子供が友達の落したものを拾い上げ、やゝ揶揄 い気味に誇示するとき言います「こんなもの拾った/\」と、私は自分が闇黒の放心の中から取出したこれ等の宝物を物珍らしく、たゞしその儘の言葉では人に言えません。それゆえ、行きつけた赤城の小沼の水底から鱗の閃きを見たという風に人に吹聴しました。一つは私を鱗娘と言い触らした女達に逆襲の気味もたぶんにはあったにはありましたが。この事は弟はまだ話しませんでしたろう。なに話しましたの。あら、何というお喋りの弟なのでしょう。
普通、そういう性質の発見 ものは、力は多く外へ向って揮うものです。だが悲しいことに私は、それを外に揮えない人間です。やはり、少女のときの性質そのまゝに、内へ内へとそれを揮います。結局私は自分だけを自分の思い通りに改造し、男も要らなければ恋も要らない自分に造り上げてしまったのです。自分が全部です。自分だけが世界です。
この事をいまこゝで委 しくは話さないでも、私の今までの性格なり行動なりを知っている蝶子さんには大体察しがつくでしょう。一口に言ってみれば、私ははたから苛められるような性質や、敗れる性質や、辱しめられる性質は、その感受性もろとも、私の性格の中から切捨てゝしまったのです。あの女の身として命に替えても魅着したがる愛 しみを受ける可憐なところの性質さえも私は消してしまって、私は私の理想する通りの強くも秀でゝ、そして健康と自覚する女に私自身を改造しました。これは女の身として、骨より肉を一旦、截り放し、骨の性質を仕込み替えて再び人体を形造るような苦痛と惨ましさでありました。けれども私はそれを遣 り遂げました。理智の短剣をもって、自我の鏑矢をもって死の世界のあの冷厳な意志の逞しさをもって。
こゝで、ちょっと死の世界に住するものゝ勁みや張りを話してみましょうか。そうですねえ、人は生の意識の強まるときほど戯曲的に死の不安を感じるものです。その反対に、死の意識に深く住するときほど、生が恋しく慕わしく思われるときはありません。それは愛人へのあこがれのように念々に甘酸く胸を撃ちます。このとき、取りも直さず生の好もしい不安をもっともいみじく心に感じ取っているときでしょう。
皮肉ではありませんか。人生というもの、生が強調しているとき生は感じられず死が強調しているとき却って生を感じるのです。よいですか、蝶子さん、こゝのところをよく覚えといて下さい。私が理想主義を唱えては現実を味わい、ピューリタニズムを唱えてはその反対の慾望を充していた秘密の鍵は、みな、この皮肉な人生の手筋から教わって、これを逆手に生活に応用したものでした。私は人生を逆手々々で押し渡って来ました。泣くことさえも、笑うことさえも||
蝶子さん、あなたは私と根が同型な女だから、ひょっとしたら私のこの秘密の術を無意識にもせよ、少しは感付いちゃいないですか。
蝶子さん、だが、弓も張り拡げたまゝでは、ついに弛 みが来てしまいます。手鞠 もつき続けていれば、しまいには弾 まなくなります。私は死の意識を深め/\してその逆手により生の高調を裏側から味っているうち、いつか張り続け過ぎて、死の意識の弓竹を曲がりっきりにしてしまいました。そうなればそれに張り合う生の弦とて弾 む道理はありません。いまは、あれほど私をして克己させ、理想させ、精進させた人生の憂愁も不安も苦悩も失くなりました。有るものは東洋風の渾沌 とした無可有の世界だけです。この世界に於て、生としてあるものは、何万年か樹齢が判らないほど生き延びて大きさは天日も隠すほど聳 え立ちながら、無用の用としてのみの価値を持つあの散木という樹で象徴さしてある無刺激、無苦楽の生です。また、死といえば蟻、螻蛄 、羽虫 になっても縷々 と転生してしまう暢気極まる死です。死の弓竹と生の弦とが弛んで距離を縮め、殆ど一筋になってしまった世界の風光こそ、認識こそ、世にも捉えどころの無い無方図のものはありません。東洋の哲人はこれにひと浮きの胡蝶の夢を持って来て譬えますが、実はそういう恍惚も美しさも、その反対なものさえも全く無い任運 蕩々の時間と空間なのです。
明治以来、幾何学的な解剖と固形的な認識とを以て万有のとゞめを刺したとする西欧文化に養われて来た私たちの頭が、何でこゝに安住出来ましょう。自己の改造を決意して以来、寸分の暇も緩めず理智の匕首 、自我の剪尖 をもって自身の胸元につきつけ/\して自身を急き立て励ますことに慣れて来た私は、いまは木から落ちた猿同様な気持になりました。改造以来はじめて気の毒な自分になったと思いました。若しかしたら、自分が採ったこのコースは誤っていたのじゃないか知らなぞという寝汗さえかく嫌な反省が心に覗かないことはありません。一ばん恐ろしいのは、この私の弛緩 につけ込んで、私に私の中に秘んでいた骨身の女が疼 き出したことでした。それにつれ、口惜しいことに蝶子さん、あなたの姿が眼につき出したのです。あなたの性格がしつこく私の心に絡 み始めました。
カリエスの手術の際、外科医は完全に病竈 を消毒もし、自己の手腕も揮い得て、最早や一微片の腐骨も中に留めまいと確信して肉を縫い上げます。なんぞ図りましょう。中には粉末の腐骨が残されていて、肉の疲れを見すまし黴菌は駸々 と周囲を腐蝕し始めます。外部の黴菌もこれに呼応します。自分で自分の中の女なるものに向って換骨 脱 胎 の手術を施して、もはや自分の理想通りのもの、弱からず、恥かしめられず、強健な精神肉体を贏 ち得たつもりでいた私、人格転換の外科医を以って自任していたその私にも見落しがありました。手術残しの個所がありました。
おや随分遅くなりましたね、今夜はお話をこのくらいにして寝ましょう。」
だのに、なぜ、私が私の好きなあなたと敵味方のようになる仕儀にしたのでしょうか。もちろん、その原因として、中間に、こゝにいる葛岡さんというものを挟みはしましたが、しかし、これは気の毒ながら、挽木の
私が少女時代はあなたにかなりよく
私は死んだ方が増しだと、何度思ったか知れません。それから死んだ気になったらと、逆襲して出る気持にお腹が据って来たのも止むを得ません。
人は「死」を惧れます。私だとて始めはそうでした。しかし、生くるにも生きられない苦悩に追い詰められ、頸筋を掴えるようにして鼻先を死の世界に分けられたものは、息も詰まりながら、しかし遂に、この暗い世界から何ものかを愛し出さずにはいられないのです。人間というものはそういう風に出来ているものらしいのです。まして私も根は矢張り女です。のっ引ならなくなれば棘でも茨でも身を以て愛します。
陰の色に
私が死の世界の中から愛して取出したものは何でしたろうか。あの冷徹氷のような理智の短剣、独創の
普通、そういう性質の
この事をいまこゝで
こゝで、ちょっと死の世界に住するものゝ勁みや張りを話してみましょうか。そうですねえ、人は生の意識の強まるときほど戯曲的に死の不安を感じるものです。その反対に、死の意識に深く住するときほど、生が恋しく慕わしく思われるときはありません。それは愛人へのあこがれのように念々に甘酸く胸を撃ちます。このとき、取りも直さず生の好もしい不安をもっともいみじく心に感じ取っているときでしょう。
皮肉ではありませんか。人生というもの、生が強調しているとき生は感じられず死が強調しているとき却って生を感じるのです。よいですか、蝶子さん、こゝのところをよく覚えといて下さい。私が理想主義を唱えては現実を味わい、ピューリタニズムを唱えてはその反対の慾望を充していた秘密の鍵は、みな、この皮肉な人生の手筋から教わって、これを逆手に生活に応用したものでした。私は人生を逆手々々で押し渡って来ました。泣くことさえも、笑うことさえも||
蝶子さん、あなたは私と根が同型な女だから、ひょっとしたら私のこの秘密の術を無意識にもせよ、少しは感付いちゃいないですか。
蝶子さん、だが、弓も張り拡げたまゝでは、ついに
明治以来、幾何学的な解剖と固形的な認識とを以て万有のとゞめを刺したとする西欧文化に養われて来た私たちの頭が、何でこゝに安住出来ましょう。自己の改造を決意して以来、寸分の暇も緩めず理智の
カリエスの手術の際、外科医は完全に
おや随分遅くなりましたね、今夜はお話をこのくらいにして寝ましょう。」
第二日、第二夜。
きょうは矢張り弁当持参で宿の主に案内され小沼を見物に行きました。案内の主は、私たちに、「なぜもう少し早く、スキー、スケートの季節に来なさらなかったか、でなければ、もう少し遅く、
山一つ南へ越えました。夏秋ならば放牧の牛が一ぱいで、お嬢さんは恐がりなさるだろうと宿の主が言う峡に囲まれた平な原をしばらく歩いて行きますと、小沼に着きました。大沼の三分の一ほどの湖ですが、まわりは直ぐ山が
沼に身を投げた竜女を弔うため、麓の村では毎年、命日に赤飯を蒸してこの沼に投げ込んでやるのですが、赤飯は失せて、容器の殻だけが渚に漂い寄る、それがこれですという案内人の説明でした。
根が恐がりやの癖に、恐いもの好きな都会娘のわたくしは、
道は一まず元へ戻り、長七郎山、小地蔵ヶ岳をめぐりまして、足尾線の水沼口へ出る道の途中の利平茶屋とかいう辺まで遊び歩きました。この辺の渓には箱根山椒魚がいると言います。薪のように山独活をつけ、その上に
夜が来ました。この夜のことを先生は、「祈祷の夜」と名付けましょうと言いまして、また私たちと炉辺で向い合い、パイプの煙草に香水をミックスして、おいしそうに
「死の意識も弛むと共に生の意識も緩んで、私は素人の貼り損じた紙障子のように、私は知性や自我もろ共、べそりとした平衡状態になってしまったことを昨夜話しましたね。それから、その開いてしまった心の皮膚の毛根を狙い、私の内部から私自身消し残した女の本能が、外部の蝶子さん、あなたの性格の影響に呼応し出して、自我の落城まえのような私をうろたえ始めましたことも話しましたね。さて、今夜は、その先からですね。
私はそのとき実際うろたえました。家の大黒柱に白蟻がついてるのを見付けた時のように周章 えました。堤の切れるのは何を措 いても早く埋めなければならない。質 の悪い肉の癒着 は荒療治でも容赦なく截り分けなければならない。
私は、私の堤の決潰 を埋めるために葛岡さんを土俵として持って来ました。私は、私と蝶子さんあなたとの肉の癒着を防ぐために葛岡さんを鋭いメスとして使いました。こういった丈けでは判りますまい。事実の経過によって説明してみましょう。
なぜ、私は葛岡さんに結婚を強いたのでしょうか。私みたような人間は、男に対する愛も、夫婦慾もあるものではありません。たゞ性のスポーツの相手にだけには葛岡さんが入用でしたけれども、それを今更、なぜ葛岡さんを結婚に強要したのでしょうか。ああ、蝶子さん。あなたはなつかしくも恨めしい方です。私が生血を絞り捨てゝ作り上げた銑鉄の身体から、すい/\と容易く同型の母性だけをあなたは牽 き出さすのです。ひとり、髪を梳 く窓の夕まぐれ、あなたが私の娘に感じられたり、私が却ってあなたの頑是 ない娘で、お乳を呑まして貰い度かったり、恥しいことながら、蝶子さん、あなたはこれをどうして呉れますか。だが、この心を本能を、そのまゝうち出してあなたと充してしまえば、私は、私自身に向って敗北します。私はそんな弱い人間じゃなかった筈でした。誰に向っても感情の塵 っ葉 一つ貰い受けるような弱味のある筈はない人間でした。葛岡さんは幸い、あなたを愛しています。あなたは葛岡を愛し切らぬまでも自分に没頭して来る男には背 き切れない女です。私はそこを利用しました。
手っ取り早く言えば、私は葛岡に理不尽な註文を持出して、葛岡を困まらせ、その困るところを見ることによって義憤を起して来る蝶子さんに、私を憎ませようとしたのです。そして、のっぴきならぬあなたと私との本能の好みの繋がりを断ち割ろうとしました。もし、つまらない事情であなたと私と喧嘩したぐらいでは、なか/\あなたのこの影響は私から除 け切れるものではありません。生れ付き、本能の同型という深刻な原因を壊すには、やはりそれに相応 わしい深刻な度の本能の葛藤を斧 に持って打たせなければ断ち割れないのです。私はそれを決心しました。私は自分が折角、今までの一生を費 って作り上げて来た理想の自分を護るためには、従来、内へ向っては如何なることも仕兼ねなかった人間です。今度こそ私は、外に向って力を揮 いました。
私は、もし、この術であなたと敵味方となり憎み合う効果が挙らないなら、私はもう一つ辛辣 な手段を用意していました。蝶子さん愕いてはいけません。私はあなたの素性 まで調べて用意してあります。こういうだけで、それ、蝶子さん、あなたは蒼くなって震えなさるでしょう。でも、関いません。すべては祈祷の前の懺悔 のときです。私ははっきり言います。私は、あなたがもし葛岡と深い関係に陥ちたり、または、あなたが池上さんとかいう下町の大家へ嫁入りする機会に、私はあなたが乞食の素性の子であることを言い触らして、あなたから生涯の恨みを買い、きれいに私はあなたに対する本能の執着から脱れようとさえ準備していたのでした。
どうしてそんな秘密なことが判ったかと疑うのですか。用心おしなさい。あなたの家の島というばあやは口はしたない老女ですよ。少し鼻薬を飼えば何でも喋ります。私は去年の盆にあなたの代りに、あの老女中が中元を届けに来た以来、買収して、あなたのことなら現在まで私には筒抜けです。蝶子さん、あなたは泣きますか、たんと泣きなさい。私も少女時代から娘時代までそのように泣き続けていました。念のため言っときますが女が決心して女を離れたくらい、自分にも人にも平気で残忍を行える人間はないのですから。
あなたは私の葛岡さんに対する暴戻 を聞き、すっかり怒って、私に挑戦的になったようです。あなたは、私を憎み切り、場合によっては葛岡さんを生活まで庇い取る決意にまで運んだことを、私はばあやの島の牒 報やら葛岡さんの手紙の様子で、実家にいながら感じ取りました。
私もあなたを、何を小癪な小娘と、片腹痛く思い出しました。苦心の結果はこれで上々と思いました。私は、いまこそ私の女の腐骨を健全に劇薬で消毒して、再び体内へ納め込み、又、蝶子さん、あなたの影響からも立派に脱れられたと思いました。其の時私は自分の中でぺちんと破裂したような音を感じ、ハテ面妖なとは思いましたが、私はこの作業から立戻って、再び私のふる郷の、立上る力の泉の、死の世界を顧 る段取 になりました。落ちて弛 んだ死の弓竹を拾い上げようとしました。だが、もう、そこらにそれは見当りません。それに張られてある、生の弦も見当らないのは当然です。
見廻せば西欧風の知性も自我も、東洋風の渾沌未分も、みな消え失せてしまいました。在るものはちり/″\ばら/\の自分の精神だけでした。幾歳の不自然、幾歳の強気、幾歳の逆手は、遂に私をして、こうも身の破滅を招かしめてしまったのでしょうか。だが待って下さい。これをたゞの身の破滅と思い取るのも早合点のようです。なぜというのに、いま私は私の身や心として意識しているこのちり/″\ばら/\の髑髏 、背骨、肋骨、腰骨、肢骨は、ちり/″\ばら/\ではありながら、どれもみな水晶のように透き通り、万 更、そこらに朽 ち果てた野晒 しとも違うようです。女一人の力で人生如意に晒し抜かれたお蔭なのでしょうか。そして面白いことは、このばら/\の五体は、峰の白雪に向えば白雪がそのまゝ映り、なつかしい人が来ればなつかしいまゝに映ります。おかしいですね。
さあ、今夜もだいぶ遅くなりました。やすみましょう。妙な話になってお気の毒さまでしたわね。」
私はそのとき実際うろたえました。家の大黒柱に白蟻がついてるのを見付けた時のように
私は、私の堤の
なぜ、私は葛岡さんに結婚を強いたのでしょうか。私みたような人間は、男に対する愛も、夫婦慾もあるものではありません。たゞ性のスポーツの相手にだけには葛岡さんが入用でしたけれども、それを今更、なぜ葛岡さんを結婚に強要したのでしょうか。ああ、蝶子さん。あなたはなつかしくも恨めしい方です。私が生血を絞り捨てゝ作り上げた銑鉄の身体から、すい/\と容易く同型の母性だけをあなたは
手っ取り早く言えば、私は葛岡に理不尽な註文を持出して、葛岡を困まらせ、その困るところを見ることによって義憤を起して来る蝶子さんに、私を憎ませようとしたのです。そして、のっぴきならぬあなたと私との本能の好みの繋がりを断ち割ろうとしました。もし、つまらない事情であなたと私と喧嘩したぐらいでは、なか/\あなたのこの影響は私から
私は、もし、この術であなたと敵味方となり憎み合う効果が挙らないなら、私はもう一つ
どうしてそんな秘密なことが判ったかと疑うのですか。用心おしなさい。あなたの家の島というばあやは口はしたない老女ですよ。少し鼻薬を飼えば何でも喋ります。私は去年の盆にあなたの代りに、あの老女中が中元を届けに来た以来、買収して、あなたのことなら現在まで私には筒抜けです。蝶子さん、あなたは泣きますか、たんと泣きなさい。私も少女時代から娘時代までそのように泣き続けていました。念のため言っときますが女が決心して女を離れたくらい、自分にも人にも平気で残忍を行える人間はないのですから。
あなたは私の葛岡さんに対する
私もあなたを、何を小癪な小娘と、片腹痛く思い出しました。苦心の結果はこれで上々と思いました。私は、いまこそ私の女の腐骨を健全に劇薬で消毒して、再び体内へ納め込み、又、蝶子さん、あなたの影響からも立派に脱れられたと思いました。其の時私は自分の中でぺちんと破裂したような音を感じ、ハテ面妖なとは思いましたが、私はこの作業から立戻って、再び私のふる郷の、立上る力の泉の、死の世界を
見廻せば西欧風の知性も自我も、東洋風の渾沌未分も、みな消え失せてしまいました。在るものはちり/″\ばら/\の自分の精神だけでした。幾歳の不自然、幾歳の強気、幾歳の逆手は、遂に私をして、こうも身の破滅を招かしめてしまったのでしょうか。だが待って下さい。これをたゞの身の破滅と思い取るのも早合点のようです。なぜというのに、いま私は私の身や心として意識しているこのちり/″\ばら/\の
さあ、今夜もだいぶ遅くなりました。やすみましょう。妙な話になってお気の毒さまでしたわね。」
第三日、第三夜。
先生の話は、太古の哲人の
と、宿の主は明治時代らしい詩人の口振りを持出して冷淡に語りました。私たちはそれから平易な道を廻って血の池を見物して帰りました。
夜、先生は炉辺で、とても打ち沈んだ顔をしながら、今夜のことを「昇天の夜」と名付けましょうねと言って、話を語り出すまえに、低い、しかし清らかな声で唄いました。唄の文句は外国語で全く判りません。けれども、そのメロデーには、たとえ人間の持つあらゆる節廻しは浮世の暴風雨の音声に吹き消されても、これだけは一脈残ってどうしても人々の心に
先生は唄ったあと、「これは
陸の上に丸い波型に起伏する土丘のサルポセルカ、それに湛えられる大小無数の沼湖、雪原と大森林と渓谷と瀑流。そこに先生は異境の赤城を見出したのでした。
先生は話しつぎます。
「いま唄ったカレワラは、幾つもの神話や物語を含んでいるのですが、その中で特に私の心に染みついて離れない神話があります。手短かに話しましょう。
それは子を喪った母の話です。母はたったひとり児の英雄青年レミンカイネンの姿を見失いました。方々探して見当らず、太陽の許へ泣き込みました。太陽は見透す瞳を八方に向けてレミンカイネンが冥府 の中に黒く流れる河底に白骨となって横わっているのを照し出してやりました。母は悲しみましたけれど、決して諦めません。すぐさま鍛冶の名工の許へ行って大きな鉄の熊手を慥 えて貰いました。母はそれでわが子の骨を冥府の河底から一つ/\拾い上げ、河原の小石の上で根気よく接ぎ合せました。わが子の姿に似た形に骨は接ぎ合さりました。けれども、その姿は「おっかさん」と呼びかけては呉れない。母は、なお諦めません。骨の姿のまゝのわが子を、赤子のときのように抱いて揺りながら、折しも通りかゝった蜜蜂に歎いて唄いかけます。
それは子を喪った母の話です。母はたったひとり児の英雄青年レミンカイネンの姿を見失いました。方々探して見当らず、太陽の許へ泣き込みました。太陽は見透す瞳を八方に向けてレミンカイネンが
蜜蜂よ、蜜蜂よ、
月をも日をも飛び越え、
奥の奥なる空に往 ゆき通い
神のいぶきを汝が背に
いのちの香油 を、蜜蜂よ、やよ、
いとしき、わが子に。
月をも日をも飛び越え、
奥の奥なる空に
神のいぶきを汝が背に
いのちの
いとしき、わが子に。
蜜蜂も動かされて、いのちの香油 を持って来ます。母は丹精籠めて息子の骨の身体に香油を塗り籠めます。前より美しく勇ましい英雄青年レミンカイネンが再誕して来ます。」
先生は、これを話したのち、こう言いました。
「この物語をただ北の雪空の下に生れた美しい虚妄の譚 とばかり思っていたのは間違いでした。思い返してみれば、この頃の私のために作られた譚でした。こどもを生んだことのない、ひとり身の私は、私自身、母であって、また子であります。母なる私は、子なる私のちりぢりばら/\になった晶玉の骨をみて、傷 ましい思いに胸は潰れますが、決して諦めはしません。縋 れるなら太陽にも、頼めるなら鍛冶の名工にも駆けつけて、その骨を元の形に仕直そうと意気込みます。幸いそれは、私自身の精神胎内の出来事ですから、レミンカイネンの骨を母親が冥府の河底より掬 い纏 めたよりも遥に纏め易くあります。たゞ、この美しい晶玉になって、照らしよくなった骨も、それ自体、氷よりも冷たく鉄よりも硬くなっているのに、いのちの息吹き返さすその香油が何物であるか何処にあるのか、私の中なる母は、いま一生懸命考えているところです。蜜蜂よ、蜜蜂よ、おゝ教えてお呉れ||
たゞ、私にいま気がついておることは、私は元来、山の性です。岳山重畳の果、山道崎嶇 の奥に、それが見付け出されそうな気がします。
それにつけても蝶子さん、あなたは水の性、このさき恐らく格別の戯曲的な喜憂をも見ず、蘆手絵 のように、なよ/\と淀み流れることも、引き結ぶことも、自ら図 らわずして描き現われ、書き示して、生となし死となし、人々の見果てぬ夢をも流し入れて、だん/\太りまさりながら、流れそれ自体のあなたは、うつゝともなく、やがて無窮の海に入るでしょう。これも一つのいのちの姿で浦山しいとは思いますが、性格の違った私の望むことではありません。
たゞ一つ、こういうことは私の大好きだった蝶子さんに対して言って置きましょう。水の性のものは土を離れてはいけません。水の性のものはそれ自体、無性格です。性格は土によって規定されるのです。
あなたは乞食の素性のことをまだ怯えているようですが、何を怯えることがありますか。あなたは一度は土に親しく臥してみて、それから何事かを学ばねばなりません。性格を規定されて来ねばなりません。あなたが乞食の素性であり、一度はその経験に戻る運命に在ることを、私は何となく、この晶玉のように透しみる私のカンによって感じております。結構です。一度は土に流れてごらんなさい。きっと新鮮なものがあなたに見出されて来ますから。
さあ、今夜は、まだ少し早いけれど、あなた方明日は出発でしょう。身体を休めに臥 ることにしましょう。」
先生は、これを話したのち、こう言いました。
「この物語をただ北の雪空の下に生れた美しい虚妄の
たゞ、私にいま気がついておることは、私は元来、山の性です。岳山重畳の果、山道
それにつけても蝶子さん、あなたは水の性、このさき恐らく格別の戯曲的な喜憂をも見ず、
たゞ一つ、こういうことは私の大好きだった蝶子さんに対して言って置きましょう。水の性のものは土を離れてはいけません。水の性のものはそれ自体、無性格です。性格は土によって規定されるのです。
あなたは乞食の素性のことをまだ怯えているようですが、何を怯えることがありますか。あなたは一度は土に親しく臥してみて、それから何事かを学ばねばなりません。性格を規定されて来ねばなりません。あなたが乞食の素性であり、一度はその経験に戻る運命に在ることを、私は何となく、この晶玉のように透しみる私のカンによって感じております。結構です。一度は土に流れてごらんなさい。きっと新鮮なものがあなたに見出されて来ますから。
さあ、今夜は、まだ少し早いけれど、あなた方明日は出発でしょう。身体を休めに
その夜、わたくしは枕には就きましたが、御宮の川の雪解の水音が妙に二重に
二重に縺れる水音を聞きながら、眠るともなく覚るともなく夜中の時刻を過すうち、また、ふと気がついてみると、部屋の中へ霧が忍び込み、ランプは夏蜜柑の切口を見るような円光を放っています。
襖を距てた宿の家族の居間で、「南が吹いて来たな、氷が割れるぞ」と呟く声が聞えます。
先生が二度ほど起きて壁の小窓へ、外を覗きに行ったのまで覚えていますが、それから先は、さすがに昼の疲れが出まして、わたくしも眠りに入りました。
先生に起されて私たちは、急いで湖辺へ出て見ました。夜もしら/″\明けです。南の外輪山を越したり峡間を抜けて吹いて来る風は、一吹き毎に無形の拳となり、霧の塊を湖面へ向けて投げつけます。霧と霧と打当って大きく
風は一層つよくなりました。壊れて浮く湖岸の一つ一つの氷片もだん/\寄り集って大きな塊になって来ました。今や氷は、柔い雪をかぶったまゝ二坪三坪ほどの面積となって湖心へ向け漂い始めます。寝起きの事ではあり、あまり珍らしい事ではあり、風も凄しいので、私も葛岡も、たゞ「まあ」とか「ふーむ」とか、感歎の言葉だけ放っていました。
先生は一言も物を言いません。たゞ壊れて欠けて行く氷塊の一つ/\を思い深そうに見詰めていました。またひと塊が、ゆら/\と揺るぎ出しました。すると先生は、刀身の除いてあるスケート靴を軽く跳ねて、その上へ乗りました。私は思わず手を拍いて、勇ましいことをしなさる。脚幅で跳ねて戻れる距りまで氷塊が漂い出したら先生はまた岸へ帰るだろうと見ていますと、それも過ぎましたので、私はひやりとしました。すると先生はそこで手を振られて、
「さようなら、蝶子さん」
わたくしはその顔を見て、真面目なのを知り、胸から血が頭へ
「先生! 先生!」
「葛岡さんもお達者でね」葛岡は、たゞ
「先生、帰ってよ||」と叫びました。
もう先生の顔は霧に薄れて眼鼻の在所しか見えない距離です。その
わたくしは息を呑んだとも、手に
「どう、この私、真珠貝の中から生れたヴヰーナスの像に見えない

もう一声、
「死の果から生れる、美の戯れ。
わたくしは思わず「いやよ、いやよ」と叫びました。それから雪の渚によゝと泣き伏しました。
すぐに宿の主にわけを話して、湖畔を探し廻りましたが先生は見付かりません。計画はもう昨日あたりから整えられていたと見え、検めてみると古屏風のうちの先生の持物は、大体取片付けられていました。書きさしの「死の書」の原稿は破り捨てられていました。
二日ばかり葛岡と私は
「やっぱり先生は山姫になりに行かれた」
赤城の山を降りながら、葛岡は、しお/\と言います。
「あゝいう
わたくしは、その背を子供をなだめるように撫でゝやりながら、
「いゝから/\人間が入って出て来られないほど魅力のある奥山なんて、何処にもありやしないから||先生には、またきっと会えるわ||」
山の麓は春から初夏の爽かさに進んでいます。葛岡が、これからどうすると言いますから、わたくしは答えました。
「真剣なお芝居を見て、身体がくた/\になったわ。いますぐ東京へ怒られに帰る勇気なぞありやしない。お金があるうち、どっかのんびりした田舎を遊んで帰りましょうよ」
山を野へ下り立つ人は山を振り返るに、惜しき
ましてその山は安宅先生が一期の演出として死の果よ、美の戯れよと呼びながら
私たちは足を麓のほとりにたゆたわす程の序に、
「狐、狸、畜生||」
わたくしはこのさみどりの簾雨を浴びながら
いつの昔か||傍の農家の老人は樹齢から察して多分六百年以上は経っていると言いますが||お
上州野州の平野には汽車電車の利便が蜘蛛手のように張り亘っております。私たちは山に
雨の降る旅館の欄干に

音に聞く太田の
人ごみを危ながる老女に率いられた幼ない子たちは、小動物園の金網の前で小猿の餌のビスケットを分け与えられています。ひと本の短かい幹から五十間四方に蔓っているという
唄に名高い太田の金山は青々と若木の松に覆われています。この山頂からは関八州の地景が望まれると言います。わたくしは久し振りにやゝ伸びやかな気持になって両手を肩の附根から前後へ揺り動かします。振り出した手先の見当にあたって右のは利根川、左のは渡良瀬川、憂いも辛さも無いさまでたゞくね/\と流れています。わたくしはこれを眺めていると久し振りに自分の血の脈が通い出した気持に蘇ります。はしなく思い出されるのは安宅先生の山上の言葉でした。「蝶子さん、あなたは無性格な水の性、土によってのみ性格を規定されます」と。土によってのみ規定される水とは取りも直さず川ではありませんか。山上での安宅先生の人間の言葉は、環境の大がゝりな自然に支配されてか、浄瑠璃の
わたくしを取巻く幾つかの奇矯ないのちは、わたくしに気附かない
葛岡はというと、殆ど性根の脱けた藁人形になって、とき/″\時雨るゝように少しずつ泣きます。わたくしが、
「ご自慢の蟇哲学はどうしたのよ」
と刺激してやりましても、
「僕の人生の箱の鏡は、一面が壊れた。それに照り返されて見出していた僕の、悲痛による自我の存在はもう無い」
と、難かしいことは言っても刺激を押し返す工夫をするだけの知性に弾力はないようです。
「なにも、あんたは先生に泣くほど情を立てるには及ばないじゃないの、先生はあんたのことは、たゞスポーツの相手だけのものだったと言ったじゃないの」
と軽蔑して見せましても、
「相手はそうでも、こっちはそうは行かないのだ。やっぱり先生の身のまわりに可哀そうでやり切れないものが附纏って、今だにこっちにその糸の端を曳いて悲しみが伝わって来るのだ」
それから、
「先生は、僕を単に、先生が蝶子さんの性格に魅着して困るのを断ち切るために中に挟んだ
葛岡は精力を消耗した眼を大きく
「先生が独り合点で奥山へ求めに入ったものは何なのだろうか」
その解説はありそうでもあります。だが、はっきりあるとも言えはしません。人のこころの
それ故、わたくしは、
「先生は、蜜蜂よ、やよ、と言っただけだが、||何だか知らないが、山にしろ川にしろ結局じれったいところに在るものを先生は欲しがりに行ったのじゃない」
と、苦笑いしますと、葛岡はおぞくも反射的に呟き返し、
「先生は、じれったいところに在るそんなものを取りに行ったのかなあ||そうかしら」
と言いましたが、次いで「こっちはじれったくもあるがそれより寂しくなって遣り切れないじゃないか」と悲しげな顔を挙げて、こゝからはだいぶ離れて来た赤城の山かげに眼をやりました。
二人はなお一気には山かげに遠ざかり兼ね、太田の町外れからバスがあるのを幸い、下野の平野を山の遠輪に沿うて横へ利根川べりの
次いで、最早や安蘇山群の
道々の青葉若葉の家村には五月の
赤い毛布を敷いた軽く扁たい小舟に世俗の客と乗合って
「仕方のないことだ」
「仕様もないわね」
沼越しに躑躅の丘山が見渡せる料亭の二階で、この沼で
躑躅の灌木の群は丘の円味を一面に
藻の間の明い水面を小魚がさも何かから追われたように背波を立てゝ鋭く游ぎ過ぎます。まわりの藻に小波を浴せて空の色を石油色に映す水の渦紋はそこここで圏を拡げています。あたり万遍なくぽちん/\と雨滴のように水面に
身やこころが落付くと、わたくしには却って内部からざわ/\としようもない悔のようなものが騒ぎ出して来るのでした。もちろん今までわたくしが意識して故意にしたつもりのものとては一つもありませんですけれども、東京で池上と
眼の前にたゞ、もさ/\と味もないようにご飯を食べているこの葛岡という青年も、また考えてみれば、このわたくしの禍津日神が安宅先生のつむじ曲りに手伝ってこんな中途半端な人間にしてしまったものらしくあります。わたくしがこの青年と東京を
以来、この男がどうなろうと、あまり心配でなくなりました。この男がわたくしから逃げ出さない以上、性根の脱けているのは却って強情がなく連立ち易い男友達とも感じられています。若い男がしん底から弱ったらしい姿に、ユーモアを帯びた愛感さえ感ぜずにはいられません。何という手前勝手で横着な母性やらヒューマニチイでしょう。わたくしはこゝにもわたくしの中なる

「ちと静かにしてよ」
と言いますと、葛岡は何だか余計にそれをする気が致します。で、
「うるさいのね、何て真似をするの、男らしくもない」
ときめつけてやりますと、自分でも持てあぐねていた癇癪玉の投げつけ相手を直ぐ眼の前に見付けたように得たりや応と、葛岡は鎌首を
「男らしくないとは何だ」
と言います。
「男らしくないから男らしくないと言ったのよ。わけも言わずに
「誰が拗ねたか」
「あら、それが拗ねてないなんて誰に言えるの。いくら名人の振附師だって素直な気持であんたの今やったそんな断末魔の所作はとても振り附けられやしないことよ」
「断末魔の所作とは何だ。人を莫迦にして」
「それでお気に召さなかったら、お給金が上らないので膳椀にあたり散らす雇人みたいだと言ってあげたらいゝの。兎も角も下品ね」
わたくしは、以前聞き
葛岡はしょうさい
「擦れっ枯らし||君がこんな擦れっ枯らしとは思わなかった。僕はもう
「交際えなかったらどうする気」
葛岡は眥も裂けんほどにわたくしを睨めていましたが、
「どうすることがあるか。ひとりで何処かへ行ってしまうまでだ」
と怒鳴りました。わたくしは男の相当な手答えに残忍な愛感が湧きながら、しかし葛岡の一挙手一投足には注意深く眼を離しません。
「えー、えー行き度いなら勝手に行っちまいなさいとも、安宅先生といいこの頃は勝手に一人で行くことが
「よし、行く」
葛岡は上衣を持って立上りかけました。この段階になるとまた東京の下町の女には、相手を手もなく阻み止める慣用手段の言葉があります。
「いらっしゃいとも、どうせ安宅先生に未練がおありでしょうから。いゝわね、十歳も年上の女のあとを追って、山又山の奥へ、手鍋を提げる助手に行くなんて、とんだ色気のある園芸手だわ」
案の定、葛岡は「なに、安宅先生へいろ気」と振返り、わたくしのわざとする勘違いを真正面に取って受け、その無理解の口惜しさに殆ど力も脱かれたらしく、
「これだからな。女は仕末に悪いや」と熱寒の咬み合うべそ掻き笑いをして
「まあ、いゝから/\下に坐って落付きなさいってば、ほんとに大きな身体をしている癖に子供っぽいったらありゃしない、この人」
片眉を挙げて慈しみ深く、ころ/\と笑ってやります。「宿屋で呉れたこの手拭でその汗でもお拭きなさいったら」
すると葛岡は、どたりと坐って、腕で眼を擦りながら、しばらくして、
「僕もなあ、実は東京へ残して置いたことが気になり出したものだから、つい||」
と、正音を洩しました。
葛岡の言う東京へ残して置いた気にかゝることとは勿論、家族のことでした。葛岡は旅先から自宅へ葉書で一片のしらせだけはして置いたものゝ、年老いた祖母も母も、半月以上帰らない息子を案じ暮しているに決っていると言います。
「学園から呉れた退職金で二月や三月は食い継ぎは出来るようなものゝ、さて、その先をどうするか、二人ともさんざん気を
わたくしは、これを聞いては、行末、見定められぬ自分ではありますが、やっぱり、
「東京へ帰ったら、あたしが何とかするわ」
と慰めてやらないわけには行きませんでした。彼は半信半疑の眼ざしで、しかし現在生活に自信を失っている彼は、ちょっと頭を下げても、多少は力になって欲しいという意味の事をわたくしに頼みました。
旅寝を重ねてこゝまで来る間に、葛岡はもう安宅先生指導の二河白道の距てのバンドも
わたくしには、また、池上があれほど依怙地にも自慢気に振り廻す「童貞、童貞」という言葉がむかしから嫌味でなりませんでしたし、安宅先生が逆手によって強調した性の本能に就ても
旅寝を重ねて行くうち私たち二人のみょうとに似た関係もいつか水無川の流れのように断えてしまいました。もとからこの種の縁は水無川の水のように二人の間には源からは湧き切れなかったのでしょうか。わたくしに言わすれば、私たち二人の身の上に深くも眼覚めて来た諸行無常の苦しみを、かゝる耳掻きで耳の垢掻くほどの人事では滅多に忘れ得るものではなかったのだと思います。
青麦と蚕豆の
盛りの頃は地にまで咲き垂れるという
だが、私たちは東武電鉄に乗って、越谷、草加、竹塚、西新井とおい/\大都に近付いて参りますと、わたくしの血は控えても渦巻き上り、うつろと思っていた身体のしんに何か生活廻転のダイナモの震動が地響して感ぜられて来るのでした。わたくしは自分で醜いと思うほど落付きを失って、「まあ、いよ/\東京」と言って、車の窓から乗出さんばかりに眺めます。するとおかしなことに葛岡もにこ/\してわたくしに遅れまいとするように窓を向いて眺めます。
人家の
「何はさし措いても先ず銀座で苺のシアーベでも食べ度いじゃないの」
たった半月ほどとは言いながら、わたくしにとっては大旅行だった田舎の旅から帰って来ての東京は、銀座は、幾年振りかでふる郷へ戻ったようで
わたくしは急いでそれを洗い落すように派手な色、
僧院風の竪狭い窓に粗い滝縞の日よけが掛かっている蔭のテーブルで、苺のシアーベを食べ終ると急に食慾が出だしまして、生パンの粉のころもがかり/\と小気味のよい
日頃、
両手を拡げて撫でゝ歩き度いような馴染の両側の店の建築の列は、二階三階は襲いかゝるよう道へ乗り出していても、季節の装飾で和められ、
私たちはかなり潤いと勇気とを取戻した頃、東側の喫茶店の再建築の足場の頂上に西日が射して路面はたそがれ、ネオンがちらほら
すると、葛岡は、その掌の中のものを、じっと見詰めていましたが、他の手でわたくしの手を
「ロマンチックだね」
と言って帽子を振り/\階段を降りて行きました。
「でん、いや、でん、つるんでん、ちんでん、いや、ちんちんちんでん||」
夕月の三日月の下の河岸の家から地太い男の声で浄瑠璃の口三味線が聞えています。
千本格子の表格子をそっと開けて、さすがわたくしは敷居の端の方から片足を玄関の土間へ忍びやかに踏入れました。それでも思い切って「たゞいま」という私の声に応じて障子を開けて顔を出したのは池上の番頭の嘉六でした。わたくしの「おっかさんは」という言葉と嘉六の「蝶子さんですな、こりゃ驚いた」という言葉と鉢合せします。
家の中へ上ってみると、誰もいないようで、母の居間の長火鉢の前の客座布団の傍には夕刊新聞の上に浄瑠璃本が散らばっています。火鉢の鉄瓶には酒徳利がつけてあります。わたくしは嘉六が着ている丹前が母のものであると気付くと「成程ね」と、わたくしが半ヵ月ほど留守中のわが家の沿革をほゞ覚りました。
「ま、そこへ、お坐りなさいまし」
嘉六は自分は客座布団へ、わたくしを母の座布団の上へ長火鉢を距てゝ坐らせ、落付くとすぐさま、
「一たい、今まで何処へいってらしたんです。随分探しましたぜ」
わたくしはなおも母の事を聞きますと、母はわたくしの無断の家出から気狂いのようになって毎日神信心やら占やらで、きょうも、わたくしの旧学園友達の赤坂の吉良の家へ何事か
老女中の島はと訊きますと、わたくしが家出後二三日目に誤って河へ滑り込み
「どうしてよ」とわたくしは畳みかけて訊きますと、嘉六は、
「それも話しますけれど、まず、あんたの方の事情から話して下さいまし」
と話しませんでした。
わたくしは自分の方も変り果てたが東京の家もいよ/\変っていると
「相手は死もの狂いで次から次へと田舎を逃げ廻るんでしょ。急がなかったら追付きやしません。家へ断ったり途中から知らしたり、そんなことまるで思いつく頭に余裕がないのは判ってるでしょうに」
すると嘉六は、はっ、はっ、はっ、と笑って、
「申開きは、ざっと、そのくらいのことに承って置きましょうかね」
と言って、鉄瓶の徳利の燗の具合を見て、
「なにしろこっちは、また探すにしても瀬戸物町の店へ知らしたら、御縁談は破却でしょう。探す人を使うのも店へ内緒なのですからずいぶん窮屈しました」
嘉六は手をさし伸べて長火鉢の抽出しから
「まあ、お一つ」
わたくしは好むものでもないので「さあ」と渋面作っていますと、
「旅のお疲れ直しに、また、ひと口ぐらい、いゝものですよ」
と押し勧めました。
わたくしが二つ三つ盃の相手をするうち嘉六は、母親の心配もさる事ながら、池上の気の
「やけ酒を飲みなさるんだが、それも焦れ/\して落付けないらしく、しょっちゅう飲む場所を寮の中の部屋中に変えなさる。その上、おきみ! 貴様の見張りようが悪かったと言って、おきみをうち
嘉六は口を
「じゃ、あたしは随分あんたの娘さんに御厄介をかけたということになるのね」
「早い話が、まあ、そういったわけです」
わたくしは池上に就てはさもありなんと思うだけでした。しかしおきみに就ては妙な感想が浮びます。あのおきみという小間使は前から若主人の池上に対して内実、想いを寄せてるようにわたくしには思われていましたし、そうとするならおきみは若主人の池上に、たとえわたくしのことによってうち打擲されるにしろ、直ちに肉体に交渉して来る池上のその
わたくしは、自宅の敷居を
「寮では相変らずやってるのね。それにつけても、あたし、池上さんとの縁談のはなしはどうかと思って来るのよ。あたしあんな人の機嫌
嘉六ははじめ
「いや、あんたがそう仰しゃるなら、実は私も正直なところを言いますと、私の見込みもまずその辺のところですな。失礼ですが、あんたは私の逃げた
「いやあね、そんな予言は。しかし、ともかくあたし、いっそ、やめちまおうかしらとおもう||」
「もし、おやめになるなら、なんじゃござんせんか、今度の事件が丁度よいきっかけじゃござんせんか。この機会なら私が間に立って壊すにも穏に壊し
彼はこゝへ来て、
「一日に一ぺんはこれをやりませんと、皮膚があらびましてな」
わたくしは釣り込まれて、見物しながら、
「お酒の美容術ね。女の化粧下地よりも丁寧だわ」
「米の脂は鶯の糞より私には肌に合いますな」
それが終ると、彼は今度は両手の指で両耳の
「おかしなことをするのね。なによ。それ、耳のラヂオ体操」
すると彼は、ちっ、ちっ、ちっ、と笑って、
「違いない。耳のラヂオ体操」
つまり、こうやって耳朶の形を大黒さまのように福々しくして、将来、お金が出来るような耳相にするのだと彼は真面目な顔をして言いました。わたくしは声を挙げて笑ってしまいましたが、ふと、この番頭のすることを考えると、わたくし始め、少くとも二三人の生涯に影響する相談事の最中を、途中で差控えて、悠々、この所作をする平気さには不審を起さずにはいられませんでした。
この番頭は鈍感なのだろうか横着なのだろうか。そういえば嘗てわたくしと池上の縁談を取纏める方向に入れていた力の入れ方も、いま急にへん代えして破却に向けて入れようとする力も同じく

「いくら耳だけ、福耳にしたって、眼尻に泣
と突き崩してみます。すると彼は、
「人の福の為めに大骨ばかり折って、自分の為にはまず福運のある方じゃござんせんな」
と苦笑して、漸く耳朶のラヂオ体操の手を収めました。
彼は台所から
六十七になるこの老女は、わたくしが無断家出したのを矢張り心配して、近くの社寺へ祈祷を頼みに行ったりしていたそうです。そのうち少し気がおかしくなり、彼女がこの家へ来立てに飼いつけて二三年で姿を見失った赤砂糖色の小猫のことを頻りに言い出しました。「赤が帰って来たようだ」「赤の鈴の音が聞える」そう呟いてまるで小猫の姿が見えでもしたように呼び声を立てゝ追い廻す所作などもあったと言います。母も嘉六もなるべく部屋に閉じ籠めて静にするよう気を配っていました。
彼女が水に
「それから、ばあさんの
この島は、はじめ本邸の夫人から妾宅のわたくしの家へ女中として間者に入り込ませられた女でした。時の経つに従って本邸に対する忠実を失いながら、さりとて全部わたくしの家の者ともなり切れませんでした。わたくしはいま、この老女の身の上に就て考えないではいられません。
こどものとき小学校へ送り迎えをして呉れたり、わたくしの好きな
そうかと思えば、山での安宅先生の話によれば僅の金で彼女は先生に買収され、わたくしの恥の秘密すら売るような所業も致します。
しかし、不思議なことに彼女の追憶に向うとその親切と思うような事柄も格別有難いとも思えず、わたくしの秘密を売った所行に対してもたいして憎みを感じないのでした。何だか自然の衝動で動いている罪のない虫のようで。
最後にいまわたくしの心に残るのは、
それをしも通夜の席の笑いばなしの種子にされるというのは何という
「島の部屋にお位牌が置いてあるの、お線香でも上げてやりましょう」
わたくしが立ちかけると、嘉六はとめて、
「あなたのおふくろさん不機嫌でしてな、こゝのところ家出人だの急死人だのろくでもないことばかり続く、島の位牌もせめて初七日のうちだけは家へ置いてあげるから、それから先はうちの不縁起のものまでみんな背負ってとっとと出てお呉れと言って、持ものはその竪川河岸の錺屋にやり、位牌はお経料をつけて寺へ預けてしまいました。あなた、行って見てもいゝですが、ばあさんの部屋はきれいに片付けられていま魔除けの
夜の八時過ぎになるのに母はなか/\戻って来ませんでした。旅の疲れもあり、その上、酒のほろ酔いが出て、わたくしは眠くなって来ました。そこでわたくしは、一通りのことなら誰人の調法にも親切に身を入れて
嘉六は、またも、ちっ、ちっ、ちっ、と笑って、
「早速、御用命を仰せ付かりましたな。いや、よく似てなさる、私の逃げた嬶も、あっさり人をよく使う女でした」
わたくしはその湯の沸く間、二階の自分の部屋で一寝入りして来ると立上りました。すると嘉六はわたくしを呼び止めて振返えらせ、
「始めにお話しとくのを忘れましたが、あなたの捜索のことやら、それにばあさんが
と言いました。
「あなたのお部屋を拝借して荷物なぞ置いてありますが、決してお気兼ねなく、大事なものなぞは一つもござんせんから||」
ではおやすみなさいと言う嘉六の言葉を後にしてわたくしは自分の部屋だった二階へ上って来ました。
なるほど古トランクが一つ、旅館のペーパーがところ/″\貼ってあるスーツケースが大小二つ、電灯の下に見出されました。それらが座敷に敷いてある
床の違い棚に置いてある父の遺物の二三冊の法令書は片隅へ寄せられ、そこには浄瑠璃本と娯楽雑誌が散らばっています。白耳義製のウヰスキーのセットはあらぬ座敷の片隅に下されて、私が見覚えてから十年あまりの歳月、少しずつ蒸発しながらまだ半ば近く残っていた父の飲み残しの懐かしい粟色の液体はすっかり空になっていました。
「おとうさま、おとうさま、蝶子は判ります」と、口に含んで叫びました。泣く音が高くなって階下に悟られるといけません。そこに突き伏し、二の腕を袖の上から噛み詰めます。その痛みからまた父が深く懐われて来まして、しばらくは天も地も挟み

父よ、いまあなたは何処にいらっしゃる。遠い/\川のほとりの土の上にか。どうしたらお会いできるの。ふと耳に響く声がある。
ひと匙、食べては父のため、
ひと匙、食べては母のため、
おゝ、その文句は、わたくしが病気のとき朦朧とした意識で呟くように唄って、池上を神秘憧憬病患者にしてしまった、あの唄の文句ではありませんか。それを唄えばお会いできるの。いや、会えないけれども猫柳の花の萼はほろ/\と落とすことが出来る。おとうさま、それじゃあんまり詰らないわ。いや、そうでない、そこにおまえのほんとの父母はいます、ほろ/\と花の萼の落つるその事の上に||ひと匙、食べては母のため、
じゃぼり、ぎーっこん、じゃぼり、ぎーっこん、||
浪の揺るゝ音と、
母が帰ったと見え、階下で話し声が聞えます。わたくしは階段の上り口まで行って、そっと聞きます。
「だめですったら、いくら話を纏めようったって、当人にその気が無くなってるのだから、そりゃ無駄ですよ」嘉六の声、
「でも、あたしから、もう一ぺん、呉れ/″\も頼んでみたら」と母の声、
「それで出来ることなら、やってごらんなさいだが、僕はあの娘さんを始めて見たときから直ぐ判ったのだが、あの娘さんは牛の性と
「そりゃ、どういうわけさ」
「めすという字にも
母親は「また、お決まりの漢字教訓かい」とけなしましたが、その次は、しお/\した声で、
「だけどねえ、嘉六さん。お店からはこの六月で手当は貰えなくなるし、その上、あの娘にこの先き気随気儘にされてうっちゃられたら、あたしゃ喰べられなくなるよ。冗談じゃない」
「だから、わたしが生活費は持ってあげると言ってるじゃないか」
「そりゃ結構な話にや違いないが、だが断って置きますよ。お
すると嘉六は笑って、
「念を押すまでもないじゃないか。お互いこの歳まで苦労し、今更なま/\しい
と答えています。
わたくしは、またもや
階下から母親の声で、お風呂が沸いたと知らせています。わたくしは梯子段を降りて、館林で買って来た花山うどんの包を前に置き、澄まして母親に挨拶しました。
「たゞいま、これおみやげよ」
それから少し申訳に何か言いかけますと、母親は押しとゞめました。
「もう判った/\。そして総ての始末は明日からこのおじさんがつけて呉れるから任せてお置き。たゞこれだけは言っとくから、おまえさん、よく聞いてお置きよ」
母親は、これからは自分は貧乏でわたくしの面倒は見られないから、わたくしに自分でご飯を食べる工夫をしなさいと言いました。
「そのくらい勝手をおしのおまえさんなら、また、そのくらいの工夫の出来ないおまえさんでもあるまいじゃないか」
わたくしが湯に入っていると、各所の停車場へわたくしを捉える張番に行ってたらしい近所の出入りの若者たちがぽつ/\戻って来て、嘉六に
番頭の嘉六が急ぐでもなく怠るでもなく時計の振子のようにわたくしの家と瀬戸物町の店とを往来し、また、とき/″\は浜町の寮へも立寄って来る間に池上とわたくしの結婚談は氷へ湯をさすように解消されて来ました。嘉六は結果を報告して、
「一ばんごてると思った若旦那が案外あっさりしてなさったので
嘉六が池上から持出されたたゞ一つの条件は、この事件の有る無しに係らず、今後も蝶ちゃんとの交際は続けさして貰い度いという希望だったそうです。嘉六はこゝで例のちっ/\/\という笑いを笑いまして、
「どちらも我儘もの同志だから、これ以上、はたから
またもちっ/\/\と笑って、嘉六にしてはこれが
母は、
「損得の判らない人間くらい、世の中に恐ろしいものはないね」
と、わたくしを睨んでまだ当てこすりを言っています。
嘉六の報告のあった翌日、池上家から公式に結婚解消の挨拶がありまして、二番番頭が
わたくしはなお母の家に在って、心の底の流れは河沿の
家では老婢の島が歿くなってから女中は置きません。それでわたくしは母に代ってエプロンをかけて炊事もすれば洗濯もいたします。朝は人より先きに起き、飯櫃の蓋の簾から
「朝顔屋から朝顔鉢を買って、朝ご飯を食べるチャブ台から見えるようなところに置いとくなぞとは、蝶子さんもだいぶ世帯を仕済して来たね」
と嘉六が言いますと、母は母で、
「この子はどうかおしだよ。あんまり変ってしまって気味が悪いよ」
と
「だって、まだ、外で働いてご飯が食べられない以上、こうでもしなくちゃ家にいても恰好がつかないじゃないの。それともお母さんが分のいゝ女給の口か芸妓の口でも見付て下さるの。すればわたくしどこへでもさっさと出て行くけれども」
と逆襲して、われながら
まだ、池上にも葛岡にも逢いません。世帯
うす墨を流しているような気分のこの頃、男というものに逢えばそれでも多少は心に弾みか工夫の色つやをつけなければなりません。
それが割合に女には億劫なのです。たゞときどき人なつかしい気持の湧くときがございます。そんなときは誰に宛てよう相手もございませんから、やはり池上なり葛岡なりに向けて楽書のような手紙を書きます。すると向うからも中心の気持には刻み込まない冗談のような返事を寄越します。どんな事情があったにしろ、女にとって馴染の男というものは、その馴染ということだけでなか/\気持が抜けられないものでございます。
こうした人達とは違った意味の馴染ではありますが、わたくしは学園の旧級友の吉良や、義光や、八重子にもとき/″\旅先で買って来た絵葉書なぞなつかしく書いて出すのでした。これらの人たちには文句の端に必要あって職業に就き度いから、もし、めい/\の父親を通じて、自分に向きそうな職業でもあれば知らせて欲しいとも書き添えたのでした。三人は親切な返事を呉れて、わたくしの求めは必ず探して知らせて呉れるといって来ました。わたくしはそれを見て、まだ無邪気の垣の内に残っている子供たちを
夏も盛りになり、両国の川開きが催される頃になりました。こどものときから毎夏、川沿いの知合の家のどこからかで
柳橋河岸の船宿へ行くとすぐ導びかれて、あゆび板を渡り、船に送り込まれます。わたくしが屋根船の
「いらっしゃいまし、お危うございますよ」
と、手を取って呉れたのは、
船の中で待受けていた池上は、上機嫌で、
「きょうは
と言いまして、それから私が紹介する初対面の葛岡に向っては、
「よく来て下さいました。どうぞ、寛いで||」
と何気ない様子を見せています。
船は
もう見物の船はすみだ川へ向け神田川を競って下っています。私たちの船も中に混ります。明治の初期の
竹枝影在水楼間 春入嬌波洗碧湾
柳線織成鶯羽色 雲鱗畳得鯉魚斑
こんな詩を柳線織成鶯羽色 雲鱗畳得鯉魚斑
この人数ふねなればこそ涼かな
と口誦んでみせます。葛岡は判るのか判らないのかいかさま日頃はひろい川づらも、動く舟、とゞまる舟で埋っています。それはまるで川の中に都市が出来たようで、町並や
船の胴間でけんどん箱から食品を取り出して膳に配置したり、箱火鉢の銅壺に徳利を浸したりしていたおきみは、あとを船頭に任して表の間へ膳を運んで来ました。あらためて私と葛岡に挨拶して、それから酌の徳利を取上げました。
いけぬ口なのを葛岡は努めて池上の相手をします。わたくしにもとき/″\池上は盃を廻して来ます。座を
「蝶ちゃん、僕もこの娘をとう/\世話をしなきゃならなくなったよ」
と言って、はっはっと笑いました。おきみはちょっと顔を赭らめましたが、手をつかえて「どうぞよろしく」と言いました。わたくしは、
「そう、結構ですわ、似合のご夫婦」と褒めそやしてやりますと、池上は苦笑して、
「なに、
と言いました。わたくしは、いかに何んでも女をあまりに勝手に扱い過ぎる言い草だと義憤を起しましたが、また、こういうことを望みに妾奉公を承知する娘もあることですから、抗議を差し控えています。おきみは池上の言葉は聞えぬ振りをして丸髷へちょっと手をやり、
「若旦那が今日はぜひとも髷に結えと仰しゃるものですから||でも何んだか」
と話の気配いを
「蝶ちゃんを驚かすつもりだったのさ」と池上。
あたりはとっぷりと暮れて、川づらの景気はまわりから墨の闇で圧し縮めただけにきら/\華やかに浮上り、空に爆ける花傘も間を近くして、とき/″\は二輪三輪の重ね咲きも見せます。
「玉や||鍵や||」
船や河岸から花火を
わたくしは、これからさきどんな幸福でも見舞って来るかのような楽しさが胸ににじみ湧いて来ますのを、なに、後先きに関係もない、たゞ刹那の子供のうちからの習慣と、軽蔑しながら、別にその楽しさを消す気もございません。
池上はあたりの景気など格別面白くもなさそうに、しかも酒が少し廻って来たせいか、やゝ感傷的な声になって、
「実をいうと、蝶ちゃんが旅さきで、どういう
それから改めたように盃を盃洗で灌いで葛岡に差し、
「ねえ葛岡さん、そう言っちゃ何んだが、あんたのような、ちっとも臭味のない植物性の青年なら、蝶ちゃんの肉体ぐらい任せても口惜くないね」
こゝでまた磊落そうに笑いました。
わたくしは、ふゝんと鼻で笑って見せ、
「もう、わたしはそんなところに滞っちゃいないのだから」
と、池上の思惑を切りすてましたが、ちょうどよい機会だと思って、
「ですがねえ、あんた、あたしが寮を出るまえ、一人の男の身の上を頼んだことを覚ていらっしゃる。それとも、あれは今度の事件でご破算なの」
すると池上はしばらく黙っていましたが、
「解消したのは結婚のことばかりだ。あとの事は僕の意志継続と共に、君と契約したものは何んでも
わざと難かしい言葉を使い、はたに対して照れ臭いのを紛らかしています。わたくしは
「では、お願いするわ。この葛岡さんを学園で勤めていた額のお給金で、寮の植木屋さんにでも雇ってあげて下さらない。この人いま失業で実際困っているのだから、もしそうして下さるなら、わたしもどんなに肩の荷が下りるかしれないわ」
池上は案外気さくに、
「何だ、そのくらいの
お天気やの坊ちゃんの癖に物によるといやに執念深く意地を張る池上のいう声を聞いていますと、わたくしは寮にいた或日のこと、池上が悲痛な面持で、自分には未だ真のいのちの緒口が見付からない。蝶ちゃんにはそれがある。自分は蝶ちゃんによってその蓮の糸を抽き出して貰い度い。蝶ちゃんのそれにしっかりと結びつけて永遠に生かして貰い度い||こんなことを言ったのを思い出して、まだ坊ちゃんは
「どうせ、あんたの欲しがるようなものは、始めからあたしにはないのだから、上げたって減りやあしない。お望みならえーえー、いくらでも差上げますよ」
と茶化してかゝりますと、池上は爆発しそうな顔をしてわたくしを睨めます。傍でおきみがおろ/\して、
「何の事か、わたくしには判りませんが、この事を仰しゃり出すと、若旦那さまはお人がお違いになったように気が荒くおなりなのです。わたくしには御機嫌を取る見当がさっぱりわかりません。出来ますことなら、お嬢さまから
おきみの傍からのこの哀願は、この難かしい問題に対して無智の持つ強味を露骨に現し、通俗に扱う、その扱い方が、自覚しないで自然とこの問題の一つの軽妙な扱い方になっていますので、池上もわたくしも、ひょんな顔をしておきみがお
左隣の船は運送会社のマークの付いた高提灯を立て、紅白の幕で飾った会社の社員や関係者の家族の乗込んだ
右隣はモーターボートに学生風の男ばかり乗り、ビールを飲みながら近所の船の女を品藻してわい/\騒いでいます。向島の
花火にも船の賑いにも慣れて来て、私たちはそれを片手間に眺めながら暫らく船の中は男同志、女同志の話に分れています。葛岡はすっかり池上の抱えの植木職の気になって、「旦那の仰っしゃるそれは||」と相手の呼名まで敬って夏の庭木の手入のことか何かを仕方話で説明しています。わたくしは、白々しくもあり忠実でもある丸髷姿のおきみを、いつか気の置けない一家族の中の青女房のような気がして来ましたので、いろ/\自分の身近の経験のことなど親しく話し交わします。
「あたし、この頃、うちでご炊事をするのよ。ご覧なさい、この手」
と差し出して見せますと、おきみは、その指を撫でゝ、
「まあ/\、お気の毒なことですわ。女中衆でもお使いになればいゝのに」
「そんな贅沢なことを言ってられる身分じゃないと思って来ましたわ。この頃ではあんたのおとうさまのご飯のお給仕でもなんでもしますのよ」
「まあ、ほんとに恐れ入りますのね」
男同志で語りながら私たち女二人の話にも神経質に聴耳を立てゝいるらしい池上は、このときわたくしの方を向いて、ふと言います。
「物好きなことをするもんだ。僕にささすことをささしさえすれば、そんな目をせずとも済むのに。第一蝶ちゃんの炊事なんて板につかないじゃないか」
それから、
「だが、仕方がない。めい/\自分ですらどうしようもない虫が腹の中にいて、勝手な筋へ引っ張って行くのだから」
酔いと共にがっくり首を前に落しました。
夜も
虚無の闇に、むなしい空に、人間の
しばらくの火の努力はわたくしをしてわれを忘れさせて、美しさの中に身も心も溶け込ましていました。精一ぱい張り切って華やぐ限りを尽したあとは、未練気もなく憧憬の中に溶け去ってしまう空の花火。だが溶け去ったあとにこそ、スリルと忘我の隙から私たちは何やら光と悦びの世界の種を植込まれているのに気付きます。心の種。花火は永遠に消えない。
わたくしたちは少し寒くなった夜風に両袖を掻き合せながら、
「あゝとても面白かったわ」と言いますと、
池上は「寂しかった」と言いました。
俗な仕掛花火が始って、ナイヤガラ
池上はすっかり酔って、何で僕たちは、こんな変体の男女二組の形を世の中に造らなければならないのだ。もっといのちの
「旦那、まあ、お静に」
といって葛岡は、持前の腕力で、じいわり締めて抱え、すっかり旦那の抱えの植木職の務めになり切って、他事なく池上を寮へ送り込みました。
吉良と義光と八重子から、いずれも女としてのわたくしに適当な仕事を自分たちの父親に訊ね合せ、手紙で知らせて来て呉れました。よかったら父親から紹介させるとも言って寄越しました。相変らず無垢で親切な旧学友たちです。八重子なぞはさぞ鼻を鳴らしてわたくしのため父親にせがんだことでしょう。
わたくしはこの中から選んで頭脳的な仕事より手で働く仕事に就きました。吉良の父親は関係会社の一つに製菓会社があって、そこの包装部の特別室では思い付きのある娘たちに自由な意匠で製品を箱詰めさせ、豪華版の贈答品に売出すのを特色としていました。わたくしは他の旧友二人の紹介を丁寧に断って、吉良の父親から紹介して貰いこの特別室へ
女子美術の卒業生も混って、さち子、松枝、涌子、逸子、それにわたくしが加えられて娘五人、朝の七時半から午後の四時まで勤めて、みんなで、およそ百二三十箱ほど詰めればよろしいのです。
箱よ、箱。海のように青い箱、漂える箱、海藻の模様が潮の香を立てゝ貼りついてる箱。わたくしはその一つを
浪の音、恋えば聞ゆる、聞こゆればその音の忍び入るお菓子の花の形に。三稜のビスケットが花の弁となり。中継ぎに一つ
沖の島山は鳶色のヘレンとヘレン・クリームのビスケット。洞窟に中世紀風の鉄格子を嵌めましょう。ビスケット・ルヰ九世、第六次十字軍を起したり、ヱヂプト遠征で捕虜となり自分の身体を自分で買い戻して、お国へ帰ると第七次十字軍を起し、ローマ教会から聖者の位を贈られたその王様の名のビスケット。
半島の岩礁はメトロポール、白砂はクラッカー・クリーム。白砂の上にお嬢様のルビー入りの胸留が落ちていますよ。カロル・ビスケット。白砂から山にかゝって、果樹畑は暮れ染めにけり。乾葡萄入りのランチョン。
カップに入れてブーケ・ジャムサンドウィッチを下さい、岬の灯台。
輝くアルミホイルに包んだチョコレートを五つ六つ抛って下さいな。ぱら/\と煌めき出した星にしましょう。
さあ、一箱の詰めは出来上りました。じゃ、もう一枚段ボールを掛け布団にして、雪のよう軟かい截断紙も冠せて、蓋をしますよ。ビスケットさん方静におやすみなさい。
まず第一に詰めた箱をわたくしは、吉良と義光と八重子に贈って三人に食べて貰いましょう。わたくしの働きを祝福して貰いましょう。
わたくしは、しばらくは何もかも忘れて製菓会社の包装室で、ビスケットを化粧箱に詰める仕事を働きました。白いブラウスとキャップを身につけて。
二十七八を頭にわたくしが最年少者で十九の娘、五人、欧洲婦人の服飾史や、押花の帙や図案集が挿し込まれている書棚。フランス人形や
わたくしは小学校でも女学校でも科学や数学めいたことはとても得意でした。けれども趣味性に係る学課、習字とか手芸とか図画とかの才能はまるでゼロでした。それがどうしてこんな職業を選ぶようになったのでしょうか。
わたくしに取って理詰めの世界は見え過ぎて来ました。どっちへ転んだところでその落ちつきどころを覚悟してしまえば、人生は、こんな紋切形のものはございますまい。これに反して、美しさの世界というものは、もちろんそれには陰をもつ苦悩が伴いますけれども、念々に意表に出て、新しく生れて、落つきどこの定めようもありません。動きに動く物憎い抽象の恋人、わたくしはいつの間にかこの割りきれない落ちつきどころのない恋人の
美しさを産む材料が、筆や紙でもなく、絵の具や画布でもなく、また金属や板木の楽器でもなく、歯に当てればぽろりと崩れて、咀嚼の間に咽喉に流れてしまう。砂糖と、穀粉そしてわたくしの意匠は血と肉とになって人々に融け入る。何と心も躍る業でしょう。どうか、おじいちゃんやおばあちゃんには食べられたくない。あまりによく筋肉が締り過ぎたが故に厳しい縄目のあとのように憂愁の
同僚の娘たちにこの私の希求を話しますとみな大賛成です。午後三時のお茶、娘たちはおいしいチョコレートのナンバーをよく知っています。それを選び取って食べながら窓から見張らす東京郊外の田園の景色、蝉が丘を揺がすばかりに鳴立てゝおります。見廻りに来た包装部主任のSさんに若きダビデを顧客に持ちたい話をしますと、事務家風に考えていましたが、めき/\と顔に若い色が
「そうですね、この豪華箱だけは、そういった青年か美しいお嬢さんに開けて食べて貰いたいですね。よろしゅうござんす。一つ広告課へそういって、宣伝文にそう書いて貰いましょう。この会社だって儲かっているんだから、一方このくらいのロマンチックな商売はしてもいいでさ」
娘たちは自分たちの青春が主任の気分を誘惑し去ったのがおかしいと手と手を打ち合ってきゃっ/\と笑います。
この娘たちは、時日の長さや事件の軽重では大したこととも思われませんが、それだけに経験に於てすら何か人生全般にわたって頼むべからざる
「結婚は||」と訊きますと、「さあ」と答えます。「独身||」と訊きますと、「さあ」と答えます。「恋人は||」と訊きますと、眼を輝やかして「いゝわね、けども」と答えます。「けども」と訊き返しますと、「けどもねえ」と寂しく笑います。
恋人というものは永遠にいゝものには違いないが、また永遠に「けども」に終るものというわけでもございますか。四人ともみな若草のような体臭を持った美しい娘たちばかりでありました。
寄宿舎の一室は娘五人のために宛がわれて、四時に作業を終りますと、湯に入り、軽くお化粧して食事がてら東京市内へ出かけて行きます。二人、三人と別れて、文楽の浄瑠璃を聴いたり、洋画の映画を見たり、新舞踊の披露会を
雄蕋の花粉なくして雌蕋だけで自らのいのちを育んで行くこの若い女たちとの同室生活を夏秋から師走へかけて、正月も過し、梅も咲く頃までも続けて、わたくしはどんなにか楽しい月日に思い、なおも続くかぎりは続けようと五人腕を組み合せて独身の女を護るダイヤナの三日月に向って誓いさえもしたものでしたが、母が病気というので、わたくしは家へ呼び戻されました。しばらくもいゝ目を見たあとは、どうせこんなことでしょう。同僚の娘たちは誰一人、「早くまた帰ってらっしゃい」というような月並なことをいうものはなく、いずれ誰の身の上にも来るべき不如意のものがこの人には少し早く来過ぎたという表情で「仕方ないわ」と、たゞ、そういって寂しく笑って手を握って
母は三十五歳の時私を生みましたあとで、産後の腎盂炎をやったそうですが、しかし、これは産婦でまゝある慣しとかで癒ったあとはその病歴を忘れてしまったほど、その気もありませんでしたが、やはり寄る年
ですから、今度も、はたでは当人のいうほど心配もせず、心配したところで医者を呼ばせないのですからなんとも仕方がありません。するうち、いつか癒ってしまうのが例でした。
ところが今度は、病気の様子がおかしいので、わたくしと嘉六とは母を叱るようにして嘉六のかゝりつけの医者を呼んで来て見て貰いますと、むかし腎盂炎に
「薬は上げますが、食餌の注意が第一です」
医者はこう申して帰って行きました。
「済まないがね、蝶子さん、しばらく家へ来ていて、お母さんの面倒を見てあげて呉れないかね」
いま急に人手を入れて見たところで、看護婦などは嫌がるお母さんのことだから、馴染のない人間なら一層辛がりなさるだろう、「やはり、あんたが世話してあげるのが一ばんだ」と嘉六は申しました。
わたくしは「もちろんですとも」と答えますと、母はこれを聞き、すこし腫れぼったくなりおどんで血走った眼を私たちの方へ向けて、
「看護婦||たのむ」
と呟くように言いました。
「蝶ちゃん、お
そういって苦しい中からわたくしに向けて無理な愛想笑いをいたしました。
嘉六は案に相違した顔で、しかし勢づき、看護婦会から看護婦を呼び寄せました。
わたくしは母の心を深くは察し兼ねながら
「しっ、しっ」
と、猫を追うようにわたくしを追うのでした。わたくしが病気のことだから、強情を張らないでと
その続きだものですから、わたくしは、母がわたくしの手にかゝるより職業人の看護婦にして貰うのを望むのは、やはり身うちといっても女同志の
派出して来た看護婦は、嫌味のない機械的な女で、まめ/\しく働いて呉れ、その暇には黙って婦人雑誌の小説を読み続けています。
わたくしは、この看護婦の食事に少し気をつけてやる外、昼間、その女を寝かして置く間、母に附添って氷嚢ぐらい替えてやればよいのでした。
経過はだいぶよろしくて、意識もはっきりして熱も下って来ました。すると母は、家の中の自分の持ものゝ箪笥だの茶箪笥だの、衣桁だの、それから例の買い集めた古道具の常什物をぐるりと見廻して、安き色を現し、
「今度こそ、ほんとにあたしゃ死んじまうかと思ったよ」
それから、床の下に押込んである鍵の環を取り出し、その鍵の一つ/\をわたくしに渡して、いろ/\のものを取り出さすのでした。
中では、わたくしに向って、
「あたしの身体は臭いだろ、しばらくあっちへ行ってゝもいいよ」
と暗に、わたくしに遠慮することを
わたくしは、ひょっとしたら、病気の気弱さから
「おとうさまが歿くなってから、十二年経つのね」
と言いますと、
「歿くなったおとうさまは、何一つあたしたちのことを親身に考えて下さらないで、お酒のことばかり言って歿くなりなすった。だからあたしだって、おとうさまのことなんか、一度だって考えてあげたことなんかありやしないよ」
もしかしてこれで死んだって、二度とおとうさまのところへなぞ行く気はないと、母はつっけんどんに言いました。
嘉六は朝早く勤めに出て、夜食は蝶子さんに手数をかけるのも気の毒だと、どこかで食べては帰って来ますものゝ宴会でもない限り、たいして遅くもならず、母の枕元へ来て、町の噂、素人に判る程度の商取引の話などして聞かせます。新旧の食いもの屋の話など、母は聞耳を立てるものゝ一つです。
「南鍋町の風月堂の二階の洋食といえば、もとはお店の手代衆が前垂れかけで皿を運んで来たもんだが、へえ、そうかねえ、いつからそんなボーイ姿になったのかねえ、あれも
むかしの話も初老前後の男女たちには何かと心慰むよすがになると見えます。
それで病がやゝ癒るにつれ、臭気止めの香水など床の枕元に撒いて、嘉六の帰りを待ちます。嘉六の話は弾みます。
嘉六が一人前の番頭になった時分、瘠我慢を張って大店の旦那衆の遊び仲間に入ったことがあった。
「柳橋の一流の芸妓の時太郎、梅竜、ぼたんなどゝいう連中も混って餓鬼大将の会というのを
月に一度日を定めて、連中は集り、月番に当る餓鬼大将に率いられて市中所定めず遊び歩くのであった。費用は餓鬼大将の持ちの代りに会長は進退
「あんな皮肉な遊びの仕方はないね。みんなぶつ/\言いながら出発したよ」
「おまいさんもその時分には身体に色気があったろうから、そりゃ辛かったろう」
「その通り」
嘉六はこゝで例のちっ/\/\という笑いを笑いました。
母も若い気分をそゝられるように自分の雛妓時代に宝探しということが流行って、或る豪奢な旦那が下谷の名雛妓十人ほどを集め、伊予紋の庭でそれをさせた。旦那はダイヤモンド入の指輪を謎の地点に埋めた。
「それを掘り当てようため、十人の雛妓が懸命に
二人はまるで病気なぞそっちのけで賑かな笑い声を合わせました。そのとき、ちらりとわたくしの方を見る母の眼には、ふだん母がわたくしへ口癖に言う、わたくしの性質に母からみれば兎角、楽に
「勘定間違なし、それでと||」
と言って、母はその金の中から少しを分ち何やら立替えられてあるその自分が払うべきだから取っといて貰いたいと嘉六に差出します。嘉六は「まあ、いゝやね」と押返しても母がそれじゃきめしきにならないからと
「おまえさん、相変らず気前がいゝね」
と褒めそやすのでした。
小ざかなを両方の箸尖でほぜり合って食べるような親密の間柄の中に、経済は経済として互に独立しています。結局のところ母はこうした仲間が生きて行く上に欲しかったのではありますまいか。これが勤まらずに、女の内のものを求めたため、ついに母から何の情も得ず、空しく死んで行った父を、わたくしは可哀相に思います。人は落付くところに落付くと言いますが、わたくしは母が父を離れて独身になってから下品になりながら、母の自前の柄らしい、いき/\した母を見、一層卑賤に陥った今、全く母の地金に還った母を見てしまったのでした。
「何か、おいしいものが喰べたいね」
少し病気がよくなると母はこう言い出しまして看護婦の眉を
嘉六という男は他のことは分別のある癖に自分がしたことのないせいか、病気のことにかけては乱暴な男でして、母がそう言うと、
「ちと食わにゃ、力もつくまい」
なにかかにか取寄せたり、土産を持って来たりして母に食べさします。看護婦は自分の力では禁じ切れないので医者に告げ、医者からそう言って貰うと、嘉六はその場合は承知した顔をしていても、
「なに、医者のいうことばかり正直に聴いていても、学理だけでは生身の身体は扱えんものだ。こっちは経験があるんだから||」
そう言って母の
身体の加減のよいときは、わたくしを木の端か竹の端かのようにあしらいながら、病気が重って来ますとどういうものかまた
「神様からの預りものを、今まで粗末にして勿体ない/\」
と言って、ときには震える手を合せて、わたくしを拝むような真似をすることがあります。
「こんなにも、親切にして呉れるのかねえ、うれしいよ」
と言って、それからわたくしの顔を見て媚びた笑いに眼を細め、力無い声を無理に、ほ、ほ、ほ、ほ、と愛想笑いをするときがあります。わたくしは、これが大ぜいの若者たちを自由自在に操縦もし

「あんまり無理をしないでね」
と言って涙を隠して拭くのでした。
ついに尿毒症の烈しいのが来て、注射で一時は軽くなったものゝ医者はこの家では手当が覚束ないと病院入りを勧告しました。その患者運搬自動車が来るまでの暁方、ついに事切れてしまいました。
事切れる断末魔のまえ、母はひと声、雛妓時代のような若い媚びた声で「蝶ちゃんや」と叫びました。
母には、四谷の津の守で芸妓屋の参謀をしているふだんは音信不通の弟が一人ありますが、リョウマチで
嘉六はそれでも、紋付の羽織袴の姿をして、万事わたくしを補佐します。台所方面の指図役に池上の寮から娘のおきみを呼び寄せました。おきみは女中を連れて来て、いよ/\御側室の落付がつくと共に何の悪びれたところもなく、わたくしには女同志として、しんに心から同情した
嘉六は物慣れた態度で、近所の悔み客の挨拶をしています。「こちらのおかみさんも、慾をいえば切りもありませんが食べたいものは大概食べさしたし、まあ、いゝ御往生の方で」
また嘉六は物慣れた調子で「親類縁者が、横槍を入れるということもある。念のため、おっかさんの持ものを一応調べときなさい」と言って、鍵の環を指しました。集めてみますと、ひとり女の老後の身過ぎが出来るほどのものは母は持っていました。わたくしはいまそれに就いての興味はありません。用箪笥の戸棚を開けた中に「蝶子さんへ」と書いた信玄袋がありました。わたくしはそれを持って二階へ上り、今はすっかり嘉六の居間になっているもとのわたくしの部屋で、それを開きました。
軽い
もう一つの包は、兼ねて乞食の祖父からわたくしの父へ伝えられたと話では聞いていたが始めて見る、丸に鷹の羽のうち違いの紋のついている
通夜の晩の夜更け、町も、堀川の水も静まって、犬の遠声だけが聞えます。階下では嘉六が母の弟の妻や娘を相手に冗談ばなしでもしているのでしょう。とき/″\例のちっ/\ちっという笑い声が聞えます。
凝り澄して放心したように照り下す夜更けの電灯の下で、これ等の母の遺物を眺めておりますと、遊び半分のように暮してしまった母の生涯にもいくつかの女の本能が貫いて流れているのが胸に映ります。
自分のいのちを子に持ち伝えさせようとする本能、その家のものになり切って家を子に持ち伝えさせようとする本能。ですがわたくしには、母が何でわたくしに臍の緒を包む包紙にわたくしの幼ない時分の学校の成績を取って遺して置いたか不審がられます。もう一度取上げると、小さな紙片が出ました。
蝶子さん、あたしの一番うれしかったのは、おまえさんが生れて、学校の成績もよく、いゝところの奥さんになれそうな見込みがあったことでした。めかけ風情は人に知られない苦労があって、あたしは何度か蔭で泣いたか知れない。あたしはどうかして、生涯に一度、上品なれっきとした奥様になりたかったのだよ。あたしの気持をよく汲んでお呉れね。
何といっても、親一人、子一人、頼りになるのはおまえさん一人なのだからね。
何といっても、親一人、子一人、頼りになるのはおまえさん一人なのだからね。
母より
蝶子さんへ
もしこの気持が本当なら、わたくしに対する母の態度は半分は嘘になります。わたくしに対する母の態度が本当なら、この気持が半分嘘になります。おそらく嘘も本当も両方混っていて、自分でそれと気がつかない。奥山へ入った安宅先生とは違った意味で、違った形を取っても、結局女の真身なお芝居ではありますまいか。だが、その中で最後に自分の気持をわたくしの中に浸み込ませ、通し貫いて、わたくしの中に生きて行こうとする、親として憐れな女の本性を感ぜずにはおられません。わたくしは、物ごゝろついて以来、はじめて母に対する心からなる声を出して「おっかさん、おっかさん、判りました。あんたも哀れな女の一人でしたね」
そういうとき、また、わたくしは、どさりとまた一つ自分の心に重荷を
母の遺骸は、他に埋める墓所もないので、母の弟が家を受け継いでいる染井の墓地へ葬りました。母の弟は不承々々にそれに承知しました。父は十二年前に豊島家の、墓所に葬られています。こうなるとわたくしは一体どこの家の子でしょうか。三界無住というような気がいたします。嘉六に家も遺産も預け、わたくしの決意を池上と葛岡とが必死と止めるのもきかずに、わたくしはさすらいの旅に出ます。
遁れて都を出ました。鉄道線路のガードの下を潜り橋を渡りました。わたくしは尚それまで、振り払うようにして来たわたくしの袂の端を掴む二本の重い男の腕を感じておりましたが、ガードを抜けて急に泥のにおいのする水っぽい闇に向うころからその袂はだん/\軽くなりました。代りに自分で自分の体重を支えなくてはならない妙な
道は闇の中に一筋西に通っております。両側は田圃らしく泥の臭に混じった青くさい匂いがします。蛙が頻りに鳴いております。フェルト草履の裏の土のあたる音を自分で聞きながら、わたくしは足に任せて歩いて行きました。わたくしの眼にだん/\闇が慣れて来ますと道の両側に几帳面な間隔で電柱の並んで立っているのや、青田のところ/″\に蓮池のあるのや、おぼろに判って来ました。もう一層慣れて来ますと青田の苗の株と株との間に微かに水光りしていることや、そういえばわたくしの行手の街道の路面も電信柱も、わたくしの背後の空から遠い都の灯の光の反射があるので僅かに認められるのです。おゝ、都の灯||
わたくしは振返るのを何度、我慢したか知れません。それを、なお背後に近い電車の交叉点でポールを外しでもするのでしょうか、まるでわたくしを誘惑するようにちら/\とあのマグネシューム性の光りが闇の前景に反射します。では口惜しい東京ながら一度だけゆっくり見納めて置こう||わたくしは哀しい太々しい気持を取出して道端の草の上に草履を並べ、その上へハンカチを敷き、白足袋の足を路面に投げ出しました。膝がしらに肘を突き、頬杖の掌の間に挟んで東北の方、東京の夜空に振り向かしたわたくしの顔には、左様||娘時代のモナ・リザの表情でも浮んでいたことでしょう。
訣れに池上は昼、霞ヶ関茶寮で会席料理を御馳走して呉れました。葛岡は晩、下谷の腰掛茶屋で厚揚のカツレツを御馳走して呉れました。いずれも身分相応です。そして母は一昨日の朝、嫌な人生のお芝居を遺身に残して呉れました。実は母は一昨日死んだのですけれども、どうしても死んだとは思えません。この世界の何処かにいて、またペロリと舌を出しているような気がしてなりません。
わたくしは不承不承立ち上ります。あとへひかるゝ力を外して捨てるように肩ごと、きつく、首を揺り、思い切って都の夜空に背中を向けます。また、とぼ/\と踏み入って行く、奥底の知れない闇と青田の泥のにおい、あ||あ、ほんとに女の独りぽっちというのは、こんなひどい気持のものでしょうか。だが、わたくしは試みねばならない。分別にまれ、人情にまれ、判るという浅墓なものは、一時、切捨てなければならない。そこにこそ真に底に徹した人間の憩いが在り、深く吸い上られて来る生きの身の力というものが若しも世に在りとするなら、その憩いに於てこそ見出さるべきものでありましょう。
わたくしは
千里に旅立て路糧をつゝまず。三更月下無何入。
二度び三度び呟き返し、身に味わいしめてから、わたくしはこれが何で人が憧憬するほどの境涯であろうとこれは人々の前に現れると必ず、「一銭頂戴な」とねだる夫婦乞食であります。
夫婦乞食は
「いよう。ご両人」
と
人の話によると、乞食は二人とも見かけよりは若い四十ほどの男女で、男は根からの白痴、女は嘗てこの遊里に郭勤めをしていた遊女が花柳病で頭を壊したその成れの果てということです。
赤の他人の二人に手をつなぎ出さしたのは、始め誰かゞふと思い付きの悪戯だったそうですけれども、二人は手をつないで物乞いしてみると、人は愛嬌にして物も容易く呉れ、夫婦乞食と呼ばれて世間からやゝ暖くも待遇されるので二人の手は離し難くなったのでありました。その間に、
二人は町外れの藍染橋の下を住居にして、そこからこの郭のうちを縄張りに、日々、常得意や、物色した行人から一銭ずつを乞い集めるのでした。
乞う金の額を一銭に限るということも誰教えねど自ずと経験から、慾無しと呼ばれることが却って取得の多いのを白痴の一本調子に覚え込み、永年それを
二人は手をつないだまゝ霙の中を進んで行きます。もし行人で二人の姿を見て
都を
日々の馴れとて、わたくしは、われと黒髪をよもぎに撒き散らし、簪に野茨を挟む
ひとの身
若さを気付かれては危しと、わたくしはそういうとき、
「あー あー」「ううん」
と
人が口を開いて始めて出す声、「あーあ」人が最後に口を閉じて呻く声「ううん」それは生の象徴にもとれ、死の象徴にもとれる声です。今のわたくしにあとさきの生涯はございません。一声毎に生を味わい死を味わいます。もし寄せ重ねたら幾十百の生死||それはさて置き、この二声さえあればわたくしの身の上に取って何不自由ない表現の言葉になることはおかしいほどでございます。わが欲するものはすべて「あーあ」わが欲せざるものはすべて「ううん」です。飯を与えられゝば「あーあ」棒で打たれようとするときは「ううん」です。
人に対して若さを覆うために、われならなくに、ふと思い付いた唖の所作が、わたくし自身のためにも
謎をこころの住家となし、この住家に於て太古の湖の静けさにも通ずるほどの憩いを希うわたくしに取って、感覚的にも外界への交通を遮断することは表戸を
都を西南の方へさすらい出て、こゝの村外れにひと月、かしこの橋下にふた月と、わたくしは旧東京の市区と、大東京とは名のみの郡部とのすれ/\の境界線に沿うて、彼方に多那川の流れを心頼みにしながら南へ移って来たのでした。旧東京市区の繁華な町には既に乞食の縄張りやら、専門々々の貰いの
地に臥し、土の香を嗅ぎ誰れ
かほどまでに
霙は雪になりかけて、凝る雲も暗く北の空から地へ頭を競って巻き下ろうとしております。
十字路があります。こゝまで一筋に落付き払って運んで来た夫婦乞食は、漁師が定めの漁場に来たように、歩調を緩めると、いくらかずつ右へ左へと漁り歩きをし出します。
鼻唄をうたいながら青楼の
乞食の所作が突然にも見えたので客は、
「何だ、何だ、こいつ」
と眼を丸くして二人を見ました。芸者は承知していて、
「いえね、夫婦乞食なんですよ。土地じゃ有名な」
そして、帯の間から紙入れを出して女乞食の掌へ一銭入れてやります。客はこれを見て、
「おい、こっちの男の方へもやっといて呉れ」
と顎で芸者に指図しましたが、芸者は笑って、
「女から貰うのは
と言って、一銭銅貨を旦那の手に渡しました。旦那はこれを受取ると、犬にパンでも
男乞食は急いでこれを拾おうと片手は女乞食と繋いだまゝに足を踏み出します。芸者から貰った一銭を首にかけた袋の中に大事そうに仕舞い込むのに気を取られていた女乞食は、咄嗟の勢で引き倒されました。女乞食は
「罪な冗談は、およしなさいよ。いくら乞食だって可哀そうじゃありませんか」
と芸者はたしなめました。客は、
「どうも、珍だったよ、今の形は||」
と大口開いて笑いました。けれども何となく気が済まないらしく、
「おい、御夫婦の災害見舞に、五十銭銀貨でも一つはずんで遣りな」
と芸者に命じました。芸者は一人の恵み手からは一日一回一銭しか受取らないきめしきの乞食である旨を客に説明します。
「そいつは不思議に感心だ」
客は少し心を動かしたようでした。
「したら、どうすりゃ、やっこさんたちを
と芸者に訊きます。芸者もこれにはちょっと当惑した様子でしたが、
「まあ、何とか、声でもかけておやんなすったら」
と智恵を宛がいました。そこで客は、道行きの姿に向って、
「おい、女房を可愛がってやんな」
と叫びました。男乞食は聞えたものか、こくり/\と首で
「女房を可愛がるなんて、自分じゃ出来もしない芸の癖に」
と芸者は客を小突いて笑いました。「違いねえ」と客も苦笑しましたが、一件落着に及んだような元通りの顔になって、
「教わった唄は、それから何とかいったな||」
と思い出し/\唄い続けます。
「ぬしはたいそう髪が乱れてじゃ、つい撫でつけて上ぎょう、あれ羽織が片ゆきじゃ、ええ、え||え、ええ ええ え||え、え||ええ、どうすりゃ、こんなに可愛ゆかろ」
その唄う唄の声は何となくわざとらしく性が抜けていました。そして眼はとき/″\道行き姿の乞食の上に注がれます。
芸者は気敏く感付いたらしく、ちょっと旦那の肩をつき、
「意気地がないねえ、こちらは、あんなお手々繋ぎに気持を腐らせるなんて、あたしなざ、一々こちらのようじゃ、毎日の商売は出来ませんさ。あんなもの
すると客は「それでも、あゝいうのは根からわしの性に合わんね」と言い、それから付け元気のように唄声を張り拡げました。
「おまはんたいそうお痩だね。やっぱりいつものお
ふら/\引手茶屋へ送り込まれました。
生花の稽古帰りの娘です。「一銭頂戴な」と声も
「いや||ねえ、さ、早く持ってらっしゃい」
と、帯の間から蟇口を抜き出し、一銭銅貨を見付け出すと、急いで掌に落し込み、左右の手の傘と花とで駆ける身体の調子を取る間もなく乱れ腰でその場を逃れ去って行きます。けれども十間ほども離れると、今度は再び、そっと振返ってみる娘の表情には秘密な魅惑を盗み視るような狡さを泛べております。いくらよごれていても緊密に結ばれた男女の形には、若い身空の肉情に
夫婦乞食がめい/\に一銭を墨守する規律に就てはいろ/\の逸話があります。ある人が生物学者が生物の習性を調べるように試しに男乞食の掌の中に一銭銅貨を二個入れてやってみたそうです。すると男乞食は欲しくはあるし受取り兼ねるという風で、ぶつ/\言いながら女乞食の眼の前にも差出して二人でしばらく眺めていましたが、やがて残念そうにその人に押し返したそうです。そこでその人はこれを二つに分け二人の乞食の掌に落してやりますと、はじめて納得が行ったように二人はにやりと笑ったそうです。
食べものに就ても二人は仲好くしていました。一人が自分の貰い銭の中から何か買い求めて来ますと、半分は必ずベターハーフに分けます。けれども貪り食うのに
さて、夫婦乞食は雪の中を店先や行人から一銭ずつ貰い集めて、夕近い頃、さすがに寒さに堪え兼ねてか、ふだん馴染で彼等に目をかける壺焼芋屋の軒先に入り、火の
「おめいみたいな貞女が女房になるなら、おいらも乞食になるぜ、なあ、おい、およごれの
このときの男乞食の
「
男乞食は相手に聞えなくなる距離へ来ても相手が見えなくなっても尚、言い続けるのでした。それで、道行く人は自分に喰ってかゝられているのかと妙な顔をして振り返ります。男乞食がこういきり立つ傍で女乞食はどうしているのかと見ますと、たゞ普通に無表情で、
わたくしも寒さに急き立てられ、夫婦乞食より一足先に郭を出て、藍染橋を渡り、棲家の地蔵堂へ帰りました。
はじめはわたくしを渡り鳥の新参者と、ただ見下げる態度だけでいた女乞食が日を経るに従ってだん/\険悪な相を現して参りました。女乞食は痩せた両肩をぐい/\と上げ下げし、唇を片頬へ釣り寄せて、わたくしを小莫迦にした表情を見せたのが最初でした。それからは、わたくしの姿を見るや必ず額越しに据えた眼でじーっとわたくしを睨みつけ、口角から牙のように、犬歯を露き出して見せるのです。彼女は遂々そうせずにはいられない彼女の意趣を次の言葉で表白しました。
「あっちへ行け。唖気狂い。あたいの旦那を狙うと承知しないよ」
拳を振上げて脅す真似をしたり、果ては石を拾って投げたりいたします。彼女は嫉妬しているのです。このとき、廃石のように感じられていた乞食女のこち/\した身体から優にやさしい体気がほのめくように感じます。わたくしは久し振りに匂い入りの湯にでも浸ったような
夫婦乞食は藍染橋の下に住み、郭は夜明けの午前十一時頃まで寝ていて、それからのこ/\起き出し、郭へ物乞いに出かけます。わたくしはそれを知っているものですから、寝ているうちなら仔細あるまいと、朝のうちに藍染橋の橋板の霜を板草履で踏んで渡るのでした。橋にはわたくしのあと先に車や人も渡ります。だのに、いつか女乞食はわたくしの足音を雑音の中から聞分けるようになり、橋詰の土手へ躍り出て、狂乱の態で石を投げるのでした。わたくしは自分では
土橋近くの川の流れに木材の
「あーあー」
と言って呼ばれて行きます。
ご新造さんは一たん引込んでまた出て来た手には宴会の折詰のまだ紐で縛ったまゝのを持っていました。鯛の尻尾が蓋の外にぴんと跳ね出しています。
「こんなもの、たまにあたしの鼻薬に持って帰って、宛がうなんて、うちの人もあんまりすることが見え過ぎているじゃないかねえ||」
ご新造さんは溜息をつきます。
「と言ったっておまえさんにゃ聞えも判りもしやしないだろうけれど||さあ、これをおまえさんにあげますよ。持ってってお食べよ」
わたくしは、その折を受取って、栗のきんとんがどっしり入っているらしい折の重味が掌に堪えますと、われ知らず不覚にもにーっと熱いものが胸に滲み出ます。
わたくしは、気持を紛らすため、また唖言葉を吐きます。
「あーあー」
ご新造さんは、自分のためやら、わたくしのためやら判らない溜息を再び深くついたのみか、袖口で眼がしらをちょっと押えさえしまして、
「こうやって傍でみると、まだお前さん、娘のようだね。眼鼻立ちだって、
「あーあー」
「
「あーあー」
もう、ご新造さんは話すのを諦めたらしく
「また、こゝへお出で、よね。いゝかい、判ったかい」
わたくしは諒承した
わたくしは地蔵堂へ帰り、折詰を開けて見ると、栗と思ったのは隠元豆のきんとんだったのでやゝ拍子外れしましたが田舎の料理屋のものならさもそうずと諾いてそれを食べながら、自分が前身の五感具足な娘のまゝを世にさらしてるときは思わぬ曲った影響を人々に与え、こうして不具者の唖を真似していると材木屋のご新造さんのように人は却ってそれを慰めに息づいている不思議な現象を、たゞ妙なことだと思いながら、一夜を明しまして、翌日同じ時刻に材木店の勝手口に立ちました。
するとご新造さんは待受けてたように勝手の障子を開けて、
「おう/\よく忘れずにね」と言って、わたくしを敷居に腰かけさせ、待たしている間に台所で握飯を握り、野菜の煮ものと一緒に竹の皮に包んで呉れました。
ご新造さんはきょうは何にも言わないで、これだけの恵みでわたくしを悦ばせて帰そうと思っていたらしいのですが、わたくしが感謝の気持を現すために例の唖言葉の、
「あー あー」
を言ってお
「もう/\そんなにお礼を言わなくてもいゝのだよ。あたしこそおまえさんに諦めを教えて貰ってるんだから||」と
「けど、諦めと言っても、やっぱり諦めというものは無理
ご新造は感慨深く溜息をしたのち、わたくしに明日の日をまた約束して呉れました。
翌日行くと、食ものゝ外に、
「いよ/\冬だよ。おまえさんもその服装では」
といって、久留米の紺絣を持出してわたくしに呉れました。
「姉の
と言いました。
わたくしは地蔵堂へ帰り、その紺絣の着物を拡げてみながら考えるともなく考えます。あの女がわたくしを不運の手本にして諦めようとしながら、なか/\諦め切れない彼女の不幸というのはどういうことであろうか。相当な不幸に違いない。わたくしも諸行無常に疲れて、回避の半年ほども謎に住するうち、おかしなことに諸行無常が少しは恋しくなって来ました。胃酸過多の人間も老境に入ると自然と胃液の分泌が減るにつれ進んで酢の気を好もしくなると言います。わたくしは老いたとは思わず、まだ愁いには毒とは知りつつ、その酢の気に慕い寄る気持が出て来ました。
その夜は木枯しの風が野を吹き
伝馬船なら漸く二艘だけすり違えられる枝川であります。川は冬涸れて、ところ/″\に蘆荻を腐らした泥洲の影を刀身の錆に見せながら、残りの水は月光そのまゝの色を射返して、田畑の中をほとんど一本筋に南から北へ貫いております。もとこの枝川は染物を
極月の月光は曖昧の
まわりを見廻しますと、木枯の中に誰一人いず、地平線を取巻いて多那川の遠堤から榛の木の影の海の中に村落のやゝ
わたくしは眺めのおもしろさに暫くあたりを徘徊したのち、どうやら土橋に近づきました。材木店の勝手口や窓の灯も真近かに見えた途端に、わたくしは身を橋の勾配の蔭に伏せました。橋の向うの袂の堤の上に女一人の姿を見当てましたので。
堤の道は中天に差しかゝった月の光りを受けて、砥石の面のように滑かに照り返しております。細身の若い女は殆ど足音もなくその面の上を行きつ戻りつしております。片手に抱えている女の衣裳らしいものをとき/″\月に翳しては見あらため、くしゃ/\と揉み畳んで元のように手に抱え、また首を垂れて同じ路面を行きつ戻りついたします。歩調のせいでしょうか、それとも浴びる光の加減でしょうか、その身体の揺らぐ度に女の影は一重に見えたり二重に見えたりします。一重のときは単弁の花が咲いているように寂しく便り無く、二重になるときは重弁の花が弁の形ちを少しずつずらして咲いているように乱れごころを誘います。
そう見えるのは立ちかけて来た河霧のためでしょうか、風も止み加減になり、気温も急に暖かくなりました。わたくしは
月光に
ゆらめきの中からすゝり泣の声が聞えて来ました。女はとき/″\立止って衣裳を拡げて見ます。月光に大柄な模様がきらめきます。
わたくしは時分はよしと思って伸び上り、「あー あー」と言いました。
ご新造はびっくりしたようですが、すぐわたくしと認めて、ちょっとわが家の障子の灯を見返り、それから、なつかしそうにわたくしの方へ歩いて来ました。
風はすっかり止み、あたりには霧が立ち籠めてしまって、遊郭の灯りなどは海を距てた山上の竜灯のように潤んでいます。二人は材木店からは見透かされない橋の蔭の堤の道へ下り、そこの捨石に腰かけて肩を並べました。ご新造さんはまず、
「おまえさん、寒くはないのかい」
と、そういって、わたくしの着物を撫で、襟を捻ってきょう日中与えられた紺絣を下にわたくしがちゃんと着込んでるのを見て、
「そう/\お利巧/\」
とほゝ笑みました。
わたくしは、手付仕方でご新造さんが堤上を行きつ戻りつしたそのわけ、衣裳を拡げて検めたり、すゝり泣きをしたわけを訊ねました。
「あー あー」
するとご新造は苦笑して、張合のない手を振りましたが、わたくしが更にねつく訊ね進むのに動かされ、
「おまえさん、耳の方はいくらか通じるのかい。||よし聞えないにしろ、お互に女同志のことだから、親身の話なら何かしら通じないこともあるまい。とにかく話してみるから」
と言って、唖のつもりでいるわたくしに向って次のように語りました。
一年ほど前、この材木店の先妻は
ご新造さんは姉の遺言通り主人と結婚しました。妹は主人を憎からず思っております。妹は心が冷静なときは自分に強いて冷たくするわけでもないと判っているのでした。しかし何かのひょうしで主人が歿き姉のおもい出から脱けてないと知った場合は嫉妬と落胆とで心は散々に掻き乱されるのでした。
「主人は頼むんだよ、自分もおまえの姉の思い出を捨てるから、おまえも自分というものを捨てゝ、すっかり姉の気持になり代って呉れ」
歿き人の思い出を捨てるのも骨が折れるだろうが、自分を捨てゝ姉の気持になり代ることは一層むずかしい骨折だとご新造は言います。ご新造さんは姉の霊に祈るようになりました。どうか自分を姉さんそっくりのものにして呉れと。また妹は姉の気質から身振り言葉つきまで真似ようと務めました。その甲斐があって主人はとき/″\自分の上に姉の面影を見るようになったと言います。そこで自分は一たん歓びます。だが、それが女として何の手柄になることでしょう。自分の心の手堪えになることでしょう。主人の愛は矢張り姉に対する愛で、妹の自分に対するのではないではありませんか。さればと言って、妹は自分の力だけで主人の愛を自分に向けて新らしく催し出さす見込はありません。
妹の心は乱れながら、その乱れを主人に隠しています。主人はこの頃はかなり妹に対して姉に向っていたと同じ気持になれて来たと言って、姉の
今夜はまたます/\姉に
「しかし、この晴着もおまえさんにあげます。あたしゃ、主人がそうなって来るほど自分というものはどこかへ追い寄せられる口惜い切なさは、どうしていゝか判らなくなるんだよ」
わたくしは、この悩みの女に向って、こういう一言を思い付きました。
「自分が姉になるのが嫌いだったら、姉をこそ、自分に生れ
だがわたくしは遂に唖を護り通しました。今のところそんな小癪な言葉は、たとえ思いつけても、口から出ません。ただ俯向いていますとご新造はわたくしの手を取って言いました。
「あら、おまえさん泣いているのね。物狂も思う筋目のありと申すてことが謡の文句にあるが、||それでは、ちっとわたしの言ったこともおまえさんの胸に響いたのかえ」
もしわたくしがこゝで「あー あー」と返事してしまえば、物事は
これを聴き「やれ/\是非もない」とご新造さんの
人のなさけはあだにはなりません。わたくしは慣れぬ土の上の生活に、この程から、とかく足腰に神経痛が起って、この先き、寒さの増す厳冬が思いやられたのでしたが、乞食衣の下に着た材木店のご新造の呉れた紺絣晴着のかさね着は、内緒の親切のように、倍にもあたゝかくわたくしから湿寒を防いで呉れ、たとえ何かの具合で痛み出すにしても、その局部だけが熱いぐらいの程度で納って呉れます。わたくしはこの恩をしも唖で済ますのは忍びなくて、地蔵堂のまわりの野地を探し、寂しいけれども冬でも白い漏斗形の花をつけている
「お
彼女のしどろもどろの
「いゝ着物よこせ」
わたくしの伊達巻へ手をかけて、ずる/\引きほどしました。馬鹿力です。
わたくしもあまりの執拗さについ、
「よしてよ」
と怒鳴ってしまい、これは、失敗ったと思いましたが既に取返しがつきません。えゝ、まゝよと思いますと、すぐその思いの下から、まゝよ三度笠横ちょに冠り破れかぶれの三度笠という小唄が
その翌日、わたくしは
すると、冬田の畦道を女乞食がひとり来ます。ふだんからいびつな足取りが今日はときどき宙に浚われて顔を真っ赭にしているところを見ると酒に酔っているらしいです。わたくしは「おや」と思います。
女乞食はわたくしが地蔵堂の縁にいるのを見定めると、食ってかゝるようにしてわたくしの手前一間ほどまで詰め寄りましたが、昨日わたくしの手並に
襲われたように劇しい足踏みをしたのち唾を吐いて大きく足を踏張り、胴体を気取って反り返らせると、顔の皮を唇で引きつめて人を莫迦にする骸骨のような顔付をして見せます。そうかと思うと、急にわめいて霜の土の上へ蟻につかれた芋虫のようにごろん/\と転げ廻ります。また立上り何やら判らぬ叫声を挙げて両手で自分の頭を打ったり髪の毛をむしり散らしたり、いよ/\所作を激しくして胸をはだけて
わたくしは、それをたゞ昨日の
「へん、どうせ、あたいは、てめえには適わねえよう」
と泣きながら言った一言で、わたくしはこの白痴も女であることを感じました。
白痴の女乞食は白痴なるがゆえに嘗て一度も、他の女から女の腕にかけては仕負されたという
わたくしは安宅先生が指摘したように水の性とみえて、未だ嘗て、まともに他の女と闘った覚えはありませんでした。闘うべくばなよ/\と相手のまわりを
わたくしは、
「後生だから、その真似よしてね、その代りこれ上げるから」
と、材木屋のご新造の呉れた着物二枚を脱いで女乞食に投げ与えました。
したが女乞食は、
「いらねえよ」
と、さも憎々しげに言って、それからしばらくして、しく/\泣きながら去って行きます。いよ/\この白痴にも最後までも同性に負け度くない女の性の残存するのを感ずるとわたくしは妙に膚寒くなりました。
天地の謎の環に
女乞食は町うちから郭へかけてわたくしを贋唖と懸命に触れ廻っているらしく、わたくしを見返る人々の眼付にも詰る
「お嬢さまや、まあ、何というお可愛らしい方なの」
と覚束なくもせい/″\親しさを出してわたくしの手を取り上げようといたします。その気持の悪さ。負けたとなったら、今度はもろになぞえに
このところ暫らく謎に住し、殆ど自分なるものを留守にして生きて来ているつもりのわたくしには、女乞食のする性根が空家へ賊の入ったように、のこ/\とわたくしの中に入り込み、わたくしの中なる蛇の性、狐の性に慣れ合うと見え、その所作をしているのは女乞食でありされているのはわたくしと判っていても、その所作が幼稚は幼稚ながら、浅墓は浅墓ながらに、とき/″\女らしさの壺に
酒呑みのわたくしの父は、酒の肴に佐賀の名産のガン漬けというのをよく取り寄せて食べていました。有明の海の泥に匍う小蟹を生けるまゝ臼で
食品のガン漬を指して島は、この味を一たん知ったら、おとうさまのように口から離されなくなるのですよと言いました。いま、わたくしは自分の胸の中のガン漬の味を知り出して来そうなので、これが癖になったら胸の想いから離されなくなるのではないかと危うい気がいたします。わたくしはそれを控えるためには女乞食から手を
女乞食がやけ酒をのみ独りで酔っぱらって町中をおめき歩くのもしば/\見受けるようになりました。そういうときわたくしを見かける場合には、いつか地蔵堂へ襲って来てわたくしの眼の前で演じたと同様な破れかぶれの捨鉢な所作を繰返します。わたくしは顔をそむけながらも蔑すみ果てるわけには参りませんでした。
冬は余寒に極まって梅咲く春に向いました。
水がぬるんで来て、枝川にのっ込みの鮒を釣ろうと竿さきを立てゝ動き歩く釣人の影が見えます。彼岸ざくら、
桜、野地に
贋唖と知られて一時、町や郭の人々の眼はわたくしに対して
その男は、
「おい、貰いを見せな」
と手軽に言って、わたくしが差出す袋の中の金を掌の中へうち撒いて、その中からいくらかの粒を拾い、すでにじゃら/\鳴っている腹掛の丼に納めると、
「せい/″\稼ぎな」
と言って、また古自転車に乗って忙しそうに馳せ去って行きます。自転車に乗ってビジネスライクに見えるところがお可笑くあります。眼が窪んで、尖り鼻が鳶のように見える男ですが、たゞせか/\としているだけで猛悪なところはありません。始終額に汗を光らしていて、乾分として
この男がわたくしに馴染がついて来ますと、いくらかゆっくりして、他の乞食のことを話して呉れた中に、案外乞食が貯蓄家であることから、
「夫婦乞食のかみさんの方が昨日死んだよ。臍繰りに二百円近くの金を溜めていた。それでも近頃は酒飲になってだいぶ溜めた金を使い崩したということだが」
と話しました。さてはあの女乞食も死んだのか。わたくしは何となく
「可哀そうねえ。で、ご亭主の方はどうしているの」
「あいつは全くの白痴だ。かみさんの死骸に向って、おい起ねえかよ、起ねえかよというだけよ」
その日の夕べ、西の方に夕焼雲が赤くさして、郭の塔々は金字に輝き、枝川の水も空の色を映して
東京へ売出すのを目的に栽培された草花の畑には今、
郭の見納めに郭の中へ入って見ました。男乞食は娘人形を負うて、ひとりで貰い歩いていました。また誰か、作者好きである人間の一人が、後添えの代りだといってあれを男乞食に負わせたのでしょう。人が訊いたら「わたいの今度のおかみさんだい」と答えるセリフまでこの白痴に教えて。
だがわたくしはそこまで細工した人生を見たくありません。偶然目に止った諸行無常のひょうきんな一つの姿とだけみて流れて行きましょう。わたくしのこころは最早や謎を謎として今更
「謎々、なあに、照る日にからかさ」
この文句の句調から出る無邪気とも単的ともいいようのない謎々の謎なるものが自分が将来生みもしようこどもほどにもいじらしく可愛らしく感じられて来ました。
わたくしの中でわたくしはいよ/\空しくなり、それだけ余計に環境の風物は、自然の持つ持味だけで眼前に浮上って来るようです。季節と水の流れはわたくしを笹舟のように川下の夏へ移して今度はわたくしは多那川べりの鷺町の女乞食になりました。
川の中に人が立っています。麦藁帽子を冠って着物の裾は水に垂らしたまゝです。水は夏の夕映の空をうつして
「文公||、バカ||」
「そんなに河のまん中へ出ちゃ、洲から外れて深いところへ落っこっちゃうぞ」
川の中の人は欄干の方を振り向いて、愛想らしく麦藁帽子を冠った首を上下に揺り、また、前へ向き直るとゆさり/\裾を水にひき拡げながら一間ほど進み出ました。素早く右手が水を撃つ。掴んだ手に閃めくものを懐へ入れます。魚を捉えたのであります。再び凝然として水中に立っています。
きょうの大潮を目ざして町外れの漁師たちはこの大洲のまわりへ立て網を張りました。昼の三時頃には洲の水は浅くなって足の
文吉は魚を狙いつゝ、あんなところまでも洲があるかと思う辺まで河心へ乗出しています。そこはもう対岸に近く、
橋の欄干に大人の影も混って人の数が増しました。子供は怒鳴りくたびれて声を
「どうだろう。文公は泳ぎを知ってるか知らん」
「なに、トックリさ」
「あすこで一つ滑ったら土左衛門だぜ」
「もっとも、あいつは土左衛門には前に一度なりかゝったことがある。試験済みだ」
大人も子供も混ってどっと声を立てて笑いました。
「土左衛門じゃない。心中の仕損こないよ」
「心中じゃない。救けに入って自分もぶく/\になったのよ」
網シャツに白ズボンを穿いた年配の男がバットの灰を欄干にはたきながら言いました。
「面白そうに言うな。どっちにしても、また手数のかゝるのはおいらだ」
それは町会の小使の金さんでした。また、どっと笑声が起ります。
橋の上は今東京から鷺町附近の村へ帰って行く人や車でやゝ往来が激しくなりました。河はとっぷり暮れて一面に青錆びた水光を湛えています。その中に姿を滲じませてまだ魚を狙っている文吉の姿は
氷の塊を手に提げて自転車に乗ったまゝ欄干に凭れて見ていた青年が言いました。
「これ子供たち、誰か貸船屋のお秀のところへ行って、そう言ってやれ、文公が川へ入ってるって」
「うん、そう言ってやろ」
子供が二三人駈け出しました。氷屋の青年は、そのまゝはやり歌を口笛で吹きながら対岸の方へ自転車を走り出さしました。これをきっかけに人蝟りの大部分は去って行きます。あとに残っている小数の大人と子供は、みな鷺町の者で、貸船屋のお秀が不断乞食の文吉の面倒を見ている娘だということも知っているし、その娘が文吉の無茶な行為を見るとどんなに怒るだろうかも知っています。それでまだ欄干に
子供の声が河づらに響いて、子供を乗せた船が橋の下から娘に櫓を
船で子供の笑声が聞えます。声を合わすように橋の欄干の子供も笑いました。
左岸の橋詰に一かたまり
このとき子供はもう橋の上にはいなくなって、荷車の提灯のぼんやりした灯と、自転車の南京玉ほどの灯と、たまにトラックの扇形に開いた灯影が闇の中を互い違いに過ぎて行くだけになりました。
やがて橋の上流がぱっと明るくなって河容の一部は硝子絵のように滑っこく照し出されて来ました。わたくしが多那川について南へ下り鷺町の川べりの女乞食になってから二月ほど後の見聞です。
桟橋にアセチレンの照明器を灯し、またその近くに僅かばかりの炭火を貸船用の
「なにをそんなにきまり悪がるのさ。乞食になってもまだ見栄や外聞を構っているのかい」
お秀は、
文吉は乞食にしては奇妙なところがあって、表面のものは兎も角も、直接肌につけるものは綺麗に洗濯したものでないと着ません。食べものも菓子以外は自分で煮炊きをしたものでなければ口にしません。町の医者は「それは潔癖症といって一種の精神病患者です」というが、病的というほどの
お秀は、文吉の帯の結び目をちょっと直してやって、
「さあ、すっかり乾いた。お邸へ引取りなさい。蚊がひどいから、うちへ寄っておっかさんに蚊遣線香を貰って行くのよ」
文吉の帯の結び目をぽんと一つ叩いてやります。このときお秀にちらりと女らしい気持が湧きます。二十八の齢にまでなって夫もなく子供もない独身の身が顧みられました。乞食によってこんな気持が運び出されたことにお秀はひどく憤りを感じます。懐の魚を両手でしっかと押え、警戒するような横着そうな眼つきでお秀の顔を見ながらお秀の側を廻り過ぎて行く文吉を、お秀は誰も乞食の魚を取上げようともしはしないのに、いつになったら相手の気持が判るだろう、そこが莫迦なところなのだなと、少しおかしくなりながら、知らん顔をして、もう彼も行ってしまっただろうと思う時分に、お秀は簡易服の裾を急に後から捲り上げられました。お秀は「きゃっ」といって桟橋へぺたりと坐りました。途端にぱた/\と土手の上へ逃げ上る文吉の足音が聞えます。お秀はこの足音を聞きながら眼をぱち/\さして怯えが薄らぐ下からは、今まで異性に対して
「なんていうことするの。よし、あした警察へ言ってこの土地を追っ払ってやるから||」
土手の上から文吉が首を伸して顔を振り/\言いました。
「さっきの仇打だよ」
お秀はそのいたずらっぽいだけの文吉の声音にまた今の自分の感性が独り合点だったことを知って詰らなく思いながら、川の方へ向き直りました。
土手の後の店の前で文吉が鈍い声で怒鳴っています。
「ばばあ、ばばあ」
お秀の母親が、
「また、ばばあかい。困ったものだね。人さまの母親はばばあと言うんじゃない。おふくろ様と言うのだよ。言ってごらん」
お秀はまた相通ぜぬ二人の問答が始まったと思いながら手をあてゝ、アセチレンの灯で照し出される川面を見ていました。西北から流れて来る多那川の流勢が対岸の東の岸に突き当り急角度に西南の岸へ折れ曲って来る水の、しばらく淵になっている岸にお秀の貸船宿が在ります。この淵とさっき文吉が魚を拾っていた大洲との境の上に多那川橋が掛かっているわけであります。
お秀の船宿は父親が生きている七八年前、素人の間に釣が流行り出した時分が全盛で、田舟十五六ぱいの外に
ペンキの剥げたモーターボートなぞ誰も借りに来る客はありません。それでふだんガソリンの用意なぞはなくガソリンを自分で持って来た客だけにモーターボートを貸すことにしています。
すでにこの辺でこんな商売は時勢に合わないと悟ったお秀は思い切って引越しをするか、それともこの商売を時勢に合うよう振向けるかこの夏を限って決断することにきめています。
それでもまだ、この川に馴染んだ竿味を忘れかねる東京の下町の釣人や近所の工場に出ていて遠出の時間を持たない職工たちが毎日三四人ずつは船を借りに来ます。きょうも三ばいほど出て、その船は日没頃に帰って来ました。しかし久振りに
その客は妙な客でした。自分の娘らしい女を連れた紳士でした。河岸に繋いであるモーターボートを見ると、急に思い立ったものと見え、運転手に町のスタンドからガソリンを買わして来てまでして、ボートを借りて出船して行きました。娘らしいのがエンジンを受持ちましたが扱いは慣れていました。父親らしいのは少し酔っているようでしたが、お秀の店から
「胡麻油を買って天ぷらの用意をしときなさい。鯊をうんと釣って土産に持って帰るから」
すると運転手は苦り切った顔で、
「あんまり、見え透いた冗談は言わないことにして下さい。こっちはいら/\するのを我慢してるのですから」
ぷんとするように車を出して土手から折れ曲って橋へかゝりました。はじめから運転手がこの父親らしい紳士に対する態度には何か穏かならぬものがありました。それを紳士は
アセチレンの焔の勢が抜けて蝋燭火ほどになります。お秀は鑵筒の底を押えて挙げて、鑵の肩をたん/\と叩きます。焔は急に唸って吹き出します。これで一度暗くなりかゝった河原の景色は、ぱっと光彩を取り戻します。対岸の原の中でよしきりがじゅく/\呟きます。アセチレンの焔はまたすぐに蝋燭火ほどになりましたのでお秀は鑵筒の側に耳を持って行ってみると
わたくしは、多那川橋の下の近くへ戻り、そっと文吉はどうしているかと様子を覗きます。文吉は橋の下の闇の中に豆シンのランプを点して魚の肉を焼きながら焼酎の盃をまだ嘗めていました。酒は好きではないのですが、大人のすることを真似たく思って五勺ほどずつ町の酒屋から
「ともかく」
「で」
「それで」
「それでよろしい」
「まず、それでよろしい」
「つまり」
こういう言葉がぽつり/\と、しかし止め
「×××××」と言いました。
それから、は は は は と声を河に響かして頓狂に笑いました。彼はひとには何を云っているか判らないような流行語を言った直ぐそのあとは誰かゞ必ず高笑いをするものだということを、大人を観察して知っていたのでした。
彼は酒をやめて飯にしかけました。土釜で炊いた飯は頃加減に
この多那川橋の附近に定住の乞食は文公の外に新参のわたくしを入れて六人いますが、文吉が始終関心を持つのはタガメと通称されるタカリ専門の乞食と、ヅケを貰って歩くお三という母子乞食でした。文吉の住む多那川橋からは川の屈折の都合で対岸の出崎が左右に見えます。川下のは

「はあ、ばか面がちっとは緊ったようだ。へ へ へ へ」と嘲笑って河へどんぶり飛び込んで行きます。文吉はまるで旋風に見舞われたあとのようにぼんやりするだけですが、タガメは人間の思わぬ急所を知っている怪物のようで、出来ることなら避けたがっています。
川上の出崎は曲り久手といって小さな煉瓦工場が在ります。お三は三十七八の乞食で、始終子供を抱えて予田町の料理屋やカフェの
お三は体格に似合わず乳がほとんど出ません。牛乳屋で剰った乳を買ったり貰ったりして育てゝいますが、子供はよく泣きます。乳房をあてがっても、子供は出ないのを知っているものですから、含ませても
文吉はこれを覗き込んで見ているのが好きです。可愛ゆくて/\仕方がない。乳房をぺろんと前へ垂らして顔が歪みかゝり桃色の口が開きかゝるところまで見ているのが好きです。けれども子供が泣声を立て始めると
文吉は物を食べるときにはきっと二つの感情が起るようです。一つは警戒の気持で、一つは何となく人をなつかしむ気持であります。逆に、これなくしては食うことの味はこゝろに止まらないとも言えます。うまいものに有りついたときは一層この感情は深いと言えます。
今も文吉は、また川下のタガメを警戒するように密閉した真菰の塀から覗き、川上の母子乞食の方を覗きしながら食事を終えました。彼は食事道具を潮が下げ加減になって来た川の水で洗い、器用に始末してから、何処で貰って来たのかつぎはぎだらけの子供の昼寝の畳
朝早く涼しいうちに起きてわたくしは鷺町に入り、清光寺の境内の人の目につかぬところで、寺の仏飯の残りを貰って食べています。ぱん/\と朝霧の中に銃声が響きます。陽はまだ出ません。
一たいこの町の境内の名木には鷺が沢山巣食っているので田を荒して仕方がないのでした。これを狩るか狩るまいかの問題で、寺の住職と町村との間に一
大木の根元の幹は六抱えもある巨木で、肌は粗い
啓司は、二連銃の一方の弾機をひいて銃口をたんと言わせます。すると森のような梢から三四十羽の鷺が朝霧の中に飛び出します。それが梢の空をうろたえて鳴き廻りながらもとの梢へ舞い戻らないうちにあとの弾機をひいてたんと射つ。大概一羽か二羽落ちます。
「妙だな、あんなに沢山飛び出すんだから、めった撃ちに撃ってもあたりそうなものだが、やっぱり狙って射つのだな」
乞食の「眼鏡の花田」は巨木の根株の一つに腰をかけて
「全く妙だよ。塊まって飛んでいるから、そこがよかろうと思って大体の見当で射ってみるとあたらんね。それよりか一羽を確実に狙って射つと却って目的の鳥以外のやつにもあたることがあるんだ」啓司は散弾を詰め替えながら応じました。
「何か鳥の飛ぶ軌道には散漫なように見えて一羽と他の鳥との間には定まった確定率があるんじゃないかな。それで弾を漫然と抛り込んだのではどれにもあたらずに、隙を抜けてしまう。一羽を狙えば距離に同率のものがあって他にもあたるちゅう趣向かな」
「それには鳥の飛び方ばかりでなく、散弾の展開度との関係も調べなくちゃ。とにかく何羽も一度にと慾張ったら滅多にあたらないで、一羽ずつと地道に稼ぐつもりだと思わぬ獲ものがある。こりゃ何か処世訓になりそうだね」
啓司は猟銃の台尻を右の靴の先の上に
「ちがいねえ」眼鏡の花田も笑いました。
「それ
花田は立上って空を指さしました。朝の曇り空が
「あれっ、横着なやつ。もう射つ時間が切れると思って帰って来やがったのかしら||啓司君、頼むから射ってくれよ。あいつ/\/\」
「射ってやってもいゝが、大丈夫かい。あれほんとうに食える烏かい」
「大丈夫、確に
啓司は花田と
「畜生、世話をやかせるやつだ」
その恰好のおかしさ、わたくしは思わず笑います。
「誰だ笑うのは」
花田はわたくしの方をちょっと見ましたが、「ぼんやりのお蝶か」と言ったなり、それなり自分の事に気を
押えたついでに首をひねったと見え、啓司のところへ持って来たときには烏は眼を
「君の追っかけようは真剣なものだ。ふだん君にない高度の速力が出る」
「ばかにしちゃ困る。食いたい一心だ。乞食が食いものにかけたらそりゃ誰でも凄くなるぜ」
花田が撫で下げている紫っぽい翼に啓司は手を与えながら、
「そんなにうまいかね、これがね。相変らず奇癖を発揮するもんだ。食慾さえ
「いや、これは違う。僕は永らくの間、信州の上田に住んでいたんだ。あすこに烏でんがくを名物に食わせる店があってね。廉いもんだから、しょっちゅう食いに行ってるうちに味を覚えてしまったのだ。ちょっとこの灰臭いにおいが何とも言えんね」と説明しております。
「そら/\その灰臭いにおいを喜ぶというのがやっぱり
寺で六時の太鼓が鳴り出しました。啓司は花田に手伝って貰って射落した鷺を寺で葬って貰うため
「ゆうべは暑苦しく寝られませんでしたよ」
町役場の小使の金さんが水を撒いた朝顔の鉢を前にしてドーアの石段に腰かけています。左手の一町半ほど先に多那川橋のモダンな橋柱が見え、朝日に光っています。村から東京へ野菜を運ぶ荷車が一かたまりになって行く後姿が見えます。この往還は昔の鎌倉街道の脇道になっていて何度か土盛りをされたには違いありませんが、中高に盛り上っている白茶色の中央の路面から左右の家並の敷地にやゝ勾配をつけて鼠色に変って行く
町役場から一町半ほど南へ農家混りの商家が並びます。その中に「畑仕事作業服つくります」と看板を出した裁縫店もあります。それから町の中央に位する百瀬の家の大きな門構えが見えます。車廻しの
そこまで来る途中に二人は、横の路地からひょっこり現れて啓司と花田の横を過ぎながら竹の大きなピンセットで路面のものを素早く挟んで背中の籠の中へ投げ込んで行く乞食を見ました。手拭で頬冠りしてその上に麦藁帽子をかぶり、古い印半纏に腰から下は汚れた印度人の腰巻のように腰へ巻いた剰りを股から前へ通して腹で挟んでいます。二人の存在を無視するようにのそ/\と行く。花田は呼び止めました。
「たんば、早くから
するとその男はちょっと首をかしげて見ましたが、まるで
「あゝ、稼ぐよ。稼がなくっちゃ」と言いました。そして花田の肩を女のようなしなをして打って行きました。
啓司が気がつくといつの間にかまた一人、往還へ出て
「おい瀬戸勘」
花田が声をかけても、これは聞えぬ振りをしてさっさと行きます。とき/″\たんばの方を
鉄砲を店の小僧に渡して、そこでまたちょっと花田と立話していますと啓司は文吉が橋の方から来る姿を認めました。啓司が「また、一人、君のお仲間が来た」と言うと、花田は苦り切りながら、
「あいつも早起きの乞食の一人だ。あいつは此頃、小学校へ集団体操をやりに来るのだ」と言いました。花田は文吉が嫌いです。何だか人の意志を弱くする人間だとふだん言っています。
「君と歩いていると、とかく乞食が眼につくね」と啓司が笑って言えば、花田は漸く笑って、
「君も、僕のお陰でルンペン以下の人間層に視野が開かれたのさ」
と言って自分の住んでいる町外れの小橋の方へ歩いて行きました。
啓司が朝飯を食べている頃でしょう。小学校の方からピアノの音混りに体操の掛声が聞えて来ます。夏の始めから町の学務委員と小学校の教員との間の相談で、早起の保健体操が校庭で行われることになったのでした。生徒は必ず出席することに課し、町民は大人にも出席を勧誘しました。
秩父の山中から流れ出て、東京湾に流れ入る多那川は上流で早くから山岳地帯から離れ、武蔵相模平野の中を
町の一里ほど上手まで河はまだ山川の趣を備え、流れは瀬の音を立て、河原には砂利が一面に
鷺町から下流はもうすっかり平地の河の姿になって、水は淀み、岸は泥砂をねばらせて、まばらに在る葭の中によしきりが鳴いています。今はもう鮎はとれない季節で、鮒とかうぐいとかゞいます。以下一里半ほどの間に葭原がだん/\広く生い茂り、風の日は褐色の水がしゃぼんのような泡汁を波打たす海近い河の様子となります。
上流で一たん川から遠ざかった山岳地帯は、川を離れながらまだ川を見護るように平行し、やがて裾を拡げて相模の中央へ方向を振り向けて低くなって行きます。この巨大な山岳地帯の尾根は、地質学上、小仏層と称せられる地層で成立っているそうです。そしてその尾根から川の流域の沖積層までの間の洪積層は一面に皺立つ丘陵をなしています。この地質は多那川を越して高台になっているものだそうです。この丘陵は松の多い雑木山で、その
小仏層の山岳の尾根はところ/″\で川の方へ慕い寄るように丘陵群の中へごつ/\した山骨を延しかけますが、たいしたことはありません。ただ鷺町の附近では、やゝこれが著しく、
つつが虫で有名な越後の||で生れ、新潟で中学教育を受けるうち早熟な花田は花柳界で遊びを覚え、学校を卒業しても七八年ばかりこの風流な市に滞在して、あらゆる道楽を早廻りしました。三十歳前まではもう茶の湯謡曲から書画骨董のような老人
兄が派手な性質で、同じく家産を
「いや、何が骨が折れるといって、ルンペンから乞食に陥ちるこの一線を突破するくらい骨の折れることはない」
そう言って苦笑するだけでした。
彼はわたくしの小屋の在る多那川べりとは正反対の西南の町外れの小橋の側に仲間のうちでサブリといわれる乞食小屋を
わたくしは朝飯を食べたことなり昼飯貰いまでは用がありません。町を逆にとって返し、多那川の川べりの草堤に来てぶらり/\逍遥します。
雨気の多い歳には似合わなく晴れた日の朝でした。青く澄み渡った空のその青さを一剥ぎ/\して焼けた熱い地金がむき出されて来るようでした。空と同じ変化の色を見せながら川はぐん/\水を上げています。木立という木立で蝉が勇ましく鳴き立て、空気に
釣船宿のお秀は稼業柄、戸を早く開けて店つきを整え、定刻に廻って来る餌屋から鯊釣りの餌のごかいだの、鮒釣りの餌のきじだのを少し
わたくしが「おはよう」というとお秀も「ぼんやりのお喋かい。相変らず早いのね」といいました。
そこへ常客の鮒釣りの客が一人見えたので、預った竿を出してやり、餌と茶
お秀はふと、ゆうべ到頭帰って来なかったモーターボートを思い出したらしく、ゆうべの乗船客の身元控帳を調べ始めます。わたくしも覗いてみます。わたくしはこの土地では毒にも薬にもならないたゞぼんやり乞食とされているので、お秀は蠅ほどにも思わず「おまえ字が読めるのかい」と言ったまゝ勝手なことをさせて置きます。乗客の男の方は永松という姓で、娘と思われるのは同さち子としてありました。職業は会社員としてあります。もし乗逃げなら本名を書く気遣いもないし、まあ念の為というくらいのところでお秀は見ただけでしょう。今朝もやはり心中客とはどうしても思わないようでした。お秀はもう一二時間待って何とも消息がなかったら警察へ届けようと心に決めたらしく帳面を閉じましたが、しかしそのあとの表情では船も惜しくはないし、客のこともどうなろうとたいして気がゝりにはならない様子でした。それよりも察するところこれから母親をかゝえて身の振り方に就て漠然とした不安がある様子です。
父親が生きていて、金廻りも豊だった時分、釣船屋風情の娘として高等女学校へ上ったのですが今日では
「あたしゃ、お前さんとお婿さんに追出されるよりは、お前さんをきれいさっぱり人様にあげた方がどのくらい諦めがいいか知れない」母親はしょっちゅうこう言っています。
附帯条件を充分承知の上でお秀を是非貰いたいと言って来たのは、清光寺の住職と町役場の助役でした。いずれも町の知識階級層には違いありませんが、初老の男で、死んだ先妻の子供もありました。こういう話が出る度毎に、
「どうもあたしにはどこか後妻染みたところがあるのね」
お秀は母親にそういって泣き笑いのような顔を見せていました。母親は「ふーむ」といって黙っていました。
何かしみ/″\と悲しく思い入りながら、しかし一方へぐん/\込み上げて来る若さがあって何か面白いことが先に待っていそうな気もお秀にはするらしいのです。その気分に任せていますと刻々はさほど辛くもないようです。表附きは船宿の愛想のいゝ娘として町の者やお得意の間に通りものになっていながら、内実は誰もかも親身の相手にはなって呉れないのを知っているものですから、孤独を守ることに慣れて独りで寂しさを慰めるこつを覚えています。とき/″\彼女は岸船のあかを掻い出している途中、ふと釣がしてみたくなって客の預り竿を持出し、長門の毘沙門堂の下へ船をつけて鮒を釣ってみたりしました。汚くない乞食だと言ってたまにはわたくしをも船に乗せて連れて行って呉れます。一番心慶むのは乞食の文吉を呼んで新聞のコドモページの写真版の説明をしてやったりすることでした。お秀は文吉を見ていると気が軽くなると言っています。
八時頃になって船の借手の釣人がまた一人来ました。お秀は桟橋へ出て船の用意をしていますと川下からエンジンの音が響いて来ました。おやっと思って見ますと、昨日のモーターボートが帰って来ました。たゞし乗手は違っていました。若い屈強な男でした。その男は船を巧に桟橋につけて上って来てからこう言いました。
「永松さんはゆうべ、磯子へ上ってあすこの旅館に宿り込んで、もう帰るのは億劫だからわたしに代って船を返して呉れと頼みました。期限を遅らしてさぞ迷惑でしたろう。済まないと伝えて呉れと言ってましたよ」
その男は毛糸の腹巻に挟んだ時間外の料金をお秀に渡しました。お秀はその男に渋茶なぞ出してしばらく
「なに、あの辺の遊び宿はこの夏でも別に不景気ということはありません。随分客が来ます」
と言いました。お秀に世間は案外広いものだと思わせました。それから昨日の乗客に就ては、
「親娘じゃありませんよ。あの娘はあれで永松さんの第二夫人でさ。あゝ見えてあれで二十八ですよ」
お秀は娘が妾であったことから、その妾の年がちょうど自分と同じ二十八なのを聞かされたときに、どういうわけか胸がどきりとしたようでした。その男が、陸の乗もので帰って行くといって立ち去った後までも胸騒ぎがしているらしいのです。たぶん自分のような境遇の娘が生活を求めるには妾という道も一筋ある。頭に出しては考え
「文ちゃんの体操、そりゃ面白い。見に行こう」
とお秀を誘いました。だがお秀は、
「そうねえ、でも、あたしゃ、土手でぶら/\している方が好きだから、見に行きたけれゃおまえ一人で行っといで」
と言いますので、わたくしはお秀に別れて小学校へ行き、垣の外から覗いて見ました。
文吉は案の定、小学校の運動場で体操をしていました。台の上で若い体操の教師が、校舎の教員室の窓から拡声して響くラヂオ体操の号令に合わせて模範を示しています。
小さい子供からだん/\上級の子供になって、次に青年団の男女が並んでいます。最後の列は全くの大人で、その中にはこの催しの発起者である手前として学務委員も参加しています。
文吉はこの一隊より二三間離れたところにぽつりと一人で立っていて、手足をリズムに合わせています。仕草は全体の人々と違いはありませんが、四肢を動かすとその弾動で頸や腰が、くた/\動きます。それは
文吉がはじめ運動場の垣の外で体操を真似ているのを見附けた教師は、感心だから中へ入れてやったらと提議したのでした。大人の連中は賛成しませんでしたが、青年たちは教師の提議を支持して、両派の間にいろ/\の押問答があり、乞食も国民の一人だなぞと激しく言い出すものもありましたので、遂に大人の連中も承知したそうです。はじめの日に文吉の位置は前の一年生の端に立たされていました。智能が一年生以下だからという判定によるのでしょう。しかし体操を始めると例の孩児の身体のように、くた/\する様子がみんなを笑わしました。これでは困るというので次の日は隊の後列の端に並ばしましたところ後でその隣りの青年から、いくらなんでも、という苦情が出て、結局数歩後の外に立たせることになったのです。
文吉は最前端に並ばせられたときは、子供の列であっても得々としていました。それで余計に頸がくた/\しました。彼の大人の列に下げられると
文吉は毎朝の習慣通り、町の中の、ところ/″\の家の門に立ちます。そこはみな馴染の家で、米や銭を用意して置いて文吉に快よく呉れます。
文吉はわたくしの姿を見かけると、
「やあ、ぼんやりのお蝶」
と呼びかけます。わたくしはまたやっと気が付いた振りをして鈍い眼ざしを挙げて文吉を眺めます。文吉はつか/\とわたくしの前へ来てわたくしの姿を見上げ見下し、さも笑止に堪えないように首を縮めて、ち ひ ひ と笑います。それから、そろ/\と蚤に向って差出すような人差指を一本出します。指尖がわたくしの額に届くと、
「こいつ低能だな、大きな癖に」
と言って、わたくしの額のまん中をぐいと押します。自分が多分、人からされつけている仕方をそのまゝわたくしの上に移したのでもございましょう。
わたくしは額を押されてよろめく風を大げさに見せながら「ひどいわ」といった
すると文吉は面白いように電気に感染し、かすかな身震いと共に相好を崩し、機械的にへら/\/\と笑います。わたくしのかけた色っぽい電気は普通の性根の男なら、なおも相手の胸の中に浸み入って、そこで好悪の
彼はへら/\/\と笑ったあとは、寂しくぽかんとした平常の少年に還り、たゞ始終、誰かより立優り度い
「おとなしくおれに
わたくしに命令するのでした。
二月ほどまえ、わたくしは遊廓のある川上のT||町附近から、川下のこの鷺町へ移りました。それは嘗て聴いた乞食の老人の
わたくしが二月ほどまえの夕方、この辺に辿りつき、多那川橋の上をとぼ/\と渡っていますとき、はじめて文吉に出会ったのでした。彼は新米の乞食のわたくしを見て、女と
すると彼は
彼は両脇腹へ勿体振った手を置き、わたくしに何処から来たのか、名前は何んというなど仔細らしく問い
けれども、彼はとき/″\全く痴呆してしまう場合があります。それは自分ひとりの中へ潜み入って外界との交渉を全く断ってしまうようにも見え、彼自身は空しくなりながら、代って大地に置き忘れた茫漠とした心がせり上り、彼を支配するようにも思われます。それは虚脱した人間のようにも見え、超越の神の子のようにも見えます。外形はうすぼんやり寂しくて、離れてあとで考えると、窺い知ることの出来ない充ち足った気配いを感じさせます。そういうときわたくしが彼の眼の前に立っても彼は杭のように突き当ってしまったり、見ず知らずの人のように邪魔そうに身体を
わたくしとて、憩いのためには出来るだけぼんやりを装い、他人のみならず自分自身に向ってさえ現実の存在感を
そこでわたくし自身の様子はどうなのでございましょう。
あゝ、わたくしの人並ならぬ生の憩い、それは生活に於ては河沿いの土に起き臥し、こゝろに於ては謎の性質のいく重ねの層を経潜って、この程では、たゞ「謎々なあに、照る日にからかさ」というような稚純極まる心田の素地に朝夕をあくがれ遊ぶ身の上になってまいりました。
説明解説というものくらい生き身のものから匂いも香も振り捨て、物事を薬品臭く押花に乾燥してしまうものはありません。けれども、何の
諸行無常を、人世の矛盾を、生の疲れを、突き詰めてみたり離して眺めてみたり、中にぽっこり嵌り込んでみたり、時によっては全く抛って忘れてみたり、わたくしは心を謎に住せしめているつもりでもわれ知らぬ
あゝ、歿き父のかずけたいのち、歿き母のかずけたいのち、うつし身のまゝ霞を距てゝ負担を負わされている感じの安宅先生や池上、葛岡の不如意のいのちも、この心田に入る場合には自他を無みし不如意も如意もございません。
「謎々なあに、照る日にからかさ」
この子供の唇に
永劫の昔から、それ自ら疑問し来り、永劫の未来へ向けてそれ自ら疑問し去る謎の天地、謎の人生。解決と完成は人間の習性のみに在って、むこうに在るのではございますまい。解決や完成は、人間が局部の限界で墨縄を張るのでもございましょう。遂に終りということを知らない人間の歴史は、未完成は完成の始まりで完成は未完成の発足点であるという連鎖の不分明を教えているようでございます。
人間と自然は、照る日に傘をさすような矛盾を、とっ繰り返し、ひっ繰り返しやっております。また、照日が出て、次にから傘が出て次に照る日が出て次にから傘が出てという互い違いに追っかけっこの形を繰返してもおります。
これを運命という狭い眼界から諸行無常と観ずるなら、その諸行無常にこそ次に向けた運命への勇歩
これを理想という短い尺度から矛盾と
人生、それぞ掻き立てゝは
照る日にから傘の謎に口慣れてしまえば、雨の日のから傘が却って魅力ある不安な謎となり、雨の日のから傘にしばらく住してしまえば
まことさかしらに、かく喋々しますけれども、その喋々しているわたくしの人生のいどころは、笑止にも地下三尺の
呼吸の音も聞えぬほど静かな憩いの席から活溌溌地の現実へ向けて、こういう註解は本質にまだ不熟の素が在って、向うに消化の力が行届かない
たゞ若さは、青春は、娘は、かくおのれを謎の地に伏せる間も、謎の地に伏せるほど身のうちをうす紅梅色に華やがし、
わたくしの流眄の影響を過して元の文吉に戻った彼は、
「おれに
と威張って歩き出しました。
わたくしも、ふと、もとの女乞食に返ります。見る眼に今や鷺町の家も路面も真夏の午前の陽の光りにじゅく/\と油で揚げられかけております。
文吉はわたくしを従えてだん/\門並を貰って行き、百瀬の本家の門を入って行きます。植込みのところで、車廻しのついている表玄関から子持乞食のお三が入るのをちらりと見かけます。台所は一つ小門を潜った右側の中になっていますが、わたくしたちはそっちへは行かないで、左側の方の垣の
文吉の姿を見ると、老人は神経質の眼をぎろ/\と光らして睨むが、直ぐ笑み崩れて、
「ぶんちか、よく来た」
それから、利く方の左の手で呼鈴を鳴らして老妻を呼び、文吉にあれも食わせろ、これも食わせろと、意固地なおせっかいを焼きます。
老妻は、大柄で健康な老女であります。何事もあまり神経に触らない様子で聞き流していますが、文吉が飯類は手料理のもの以外食べないのを知ってるものですから、やがて菓子だけを両手に一ぱい山盛りに持って来て呉れます。
文吉は、枝折戸の外に待たしてあるわたくしに菓子を少し
それが済むと、今度は、
文吉は「いやになっちゃうなあ」と言いますが、何だか、してやらないのも気の毒な気がするらしく、気軽るに立上って、土を叩き固め、棒を片手で支える恰好をして身体に拍子をとって揺り動かしながら、粘土打ちの唄をうたうのでした。
坊さまよ、
お山の道は、
おけさが擦れるよ、
ほい。
彼の声は少しお山の道は、
おけさが擦れるよ、
ほい。
それから文吉が「したこらよいしょ」と掛声して、土手の土に棒を打ち下ろす振りをすると、「ほい、ほい」と合の手を入れます。
老いた眼からは涙はいよ/\ぽろり/\零れています。いつまで繰返していても老人は止めろと言いません。文吉は汗だらけになって、「もう、やだ」と言いました。
その間、老妻は眼鏡をかけて着物に霧を吹いて畳んでいますが、とき/″\唇を伸して眼鏡越しに二人の模様を眺めます。しかし何の感想も起らぬらしい。たゞ稀に大きな口を開けて、
文吉が帰りかけると老人は利く方の手を挙げて人差指を振り、
「ぶんち、向う新家へ行くか。そしたらな、狸おやじに、俺は丈夫でぴん/\してるとそう言ってやれ。いゝか」
老人が言うまでもなく文吉は本家を出た足でわたくしを急き立てゝ新家の百瀬の店へ行くのでした。
こゝの奥座敷にも一人の老人が病気をして寝ています。それが何だか文吉には本家とお揃いのようで、珍らしいのでした。
人々の話を綜合し、多少はわたくしの観察も加えました本家と新家との関係はざっと次のようでございます。維新の騒ぎの後に江戸で禄や職業に離れた人間の幾人かゞこの町に入り込んだが、その中に盲人が一人あった。忠一という子供を連れていた。盲と言っても、うすく人影ぐらいは見えるので百瀬の本家の先代は、多那川橋の橋番に世話してやって橋銭を取らしていた。理財に長けた盲人なので、橋銭を朝から取り集めて夕方、役場へ納める間の七八時間ほどの間を、急場の金の入用者に融通して利金を取った。その他それに似たような機敏な振舞いをして小金を溜めた。
百瀬の本家の先代は、どういうものかこの盲人にひどく気をとられて、盲人の不評を庇護した
「旦那には何かと恩があるので思い切って刃向えないんだ。遠慮さえしなけりゃ、なに」
と、そう言って、また戦を挑む。また負ける。また同じことを言う。決して負けたとは言わない。
本家の先代には、盲人がそういうときの白眼を
これは碁将棋のような遊び事ばかりでなく、如何なる好意に対してもこの盲人から素直な感謝は見られないのであった。しかも、どうかしてそれを見ようとして恩に恩を加えて行き、乳母を娶合せて店を持たしたり、親戚の中に加えたりするのも結局彼の不遇を取挫ぎたい気持の焦慮が
盲人は「旦那がそう言うなら、ま、そうしてもいゝが||」という煮え切らない様子を見せながら結局世話に預る。店を持ってから盲人の家はめき/\資産を増した。
盲人の連れ子の忠一と本家の一人息子の弥太郎とは、いわば乳兄弟である。二人とも当時、寺子屋式の小学校に上ってほゞ同じ教育のコースを執った。
小学校を出ると弥太郎は年若くして町の郵便局長の心得みたようなことをした。忠一は役場の吏員の手伝いをした。これを公務への関係の振出しにして二人は町の為めに尽した。弥太郎が村長をしたときには忠一は助役を勤め、鷺町が町とは名のみでまだ村政だったのを二人は協力して町政に引上げた。
そういうことの運動には弥太郎は何かと金がかゝった。また弥太郎は地方政党にも関係し出した。百瀬の本家の資産は主に土地の不動産だったので土地は次々に典物に出された。始めは見っともないというので川上のF||町の素封家のO||家に融通を頼んでいた。しかし、如何に好意を持つO||家でも、そう遠方の土地を沢山引取り兼ねた。ついに弥太郎は露骨にあらゆる手蔓に向けて土地を金に代える算段をとった。
耕作人は少く新に税が
一方、忠一の方は兼業の金貸しを発展させて金融業の事務所を作り、小さな地方銀行まで設立させていた。忠一は実直な男で酒も飲まず煙草も喫わず、たゞ一途に働いていた。とき/″\「おれのような無趣味な男は全く損だ」とこぼしたりした。彼は弥太郎を敬愛していた。弥太郎の
弥太郎は遂に忠一に向って、田畑を引取って金を融通して呉れるよう言出すようになった。そのときも、
「金の事は引受けたが、なにも他人行儀に田畑なぞよこさなくても||」
と忠一は断るのだが、気前を見せたい弥太郎は強いて抵当価値以上の多くの田畑を証文に書き込んだ。こういうことが二三度あって遂々百瀬家は財産整理の運命に立致った。最後の致命傷は多那川橋の改架事業だった。整理に二年余りかゝったが「古川に水絶えず」で家屋敷と食べるだけのものは残って、その他に川下の尾根の岩山が一個所残った。それはまずよかったけれど
一方、忠一にも思いがけない生涯の変化があった。ふと、この町に流れ込んで来た年増女があった。僅かな縁を頼って尾根の岩山の裾を流れている渓川の水車小屋に寝泊りしていた。前身は甲府の
いつの間にか忠一がこれに係わってしまった。忠一にしてみれば酒も飲まず煙草も喫わず、たゞ働いている自分のような無趣味な男は全く損だとこぼしていた生涯の損をこゝに一度に取戻したつもりかも知れない。
忠一には、息子が三人あって、総領の繁司は忠一の流儀に従って小学校を出ると役場の吏員の手伝いからだん/\公務の実習をして行って、瞬く間に助役を勤めるようになった。政党方面にも関係して若い癖に地方政界のボスのような形になっていた。訴訟沙汰が常に絶えなかった。繁司は背が低いが肩幅の広い敏感で肚の太いところがあった。本家の弥太郎翁の社会的勢力はこの新家の総領息子に移りかけていた。
次男の啓司はインテリ風の青年で主に東京にいて学校生活の経路に入っていた。三男の常司は何処か平凡の非凡というような点がありつゝ無邪気な子供で村の農民の子供たちの中に入って遊ぶのを喜んでいた。
実際は何もかも繁司の時代になっていた。で老年の忠一が女に費う金ぐらいは新百瀬の家の身上に何の影響もなかったし、周囲の連中も、あの律義まっとうの忠一にそういう仕業があるのを彼に人間味でも見付け出したように軽蔑しながら一種の親しみを持った。
忠一は女の言うまゝに東京の場末の繁華地に小料理屋を出さしてみたりF||町の遊廓の店で空いた家の譲受けを交渉したりしていた。そのうち彼は病気にかゝった。何の病気とも判らないが足腰が不自由になった。町の噂では女から悪い病を伝染されたのだと言っていた。忠一は医者廻りをしたり温泉場へ行ったりして、足腰は不自由のまゝ固まってしまったが、女は小料理屋の店を居抜きで人に売渡してしまって料理人と駈け落ちしてしまった。
忠一は新百瀬の奥座敷へ不自由な身体を横えるようになった。
弥太郎翁は忠一が女狂いを始めた頃から、何となく忠一に反感を持つようになった。自分が幼年から認めていた忠一は、皮を冠っていた狸で、今になって正体を現わしたように思った。自分がその律義を、その不粋を、いつも軽蔑の的にしてそれを嘲笑することによって一種の優越感が持てゝいたのを、もうそれも失わせられたような気がした。彼はソレ者になったのだ。もう以前のように自分弥太郎一人を英雄にして莫迦正直に崇拝する忠一のあの気質は無くなってしまっただろうと思うのである。
もう一つの理由は結局、勢力の推移に対する嫉妬だった。
資産が整理されて一たん他人の手に落ちた山林でも田畑でも、地方的事情から、経済力もあり社会的にいろ/\便利の手蔓を持つ新百瀬の家へ転落せねばならなかった。これなぞも
文吉は荷車が沢山着いている新百瀬の店の横の別門から入ります。そこは三つ四つ蔵の囲んでいるちょっとした広場になっていて、店員や荷方が雑貨の荷を解いていました。文吉は声をかけられても知らん顔をして奥へ通って行きます。井戸端に桐の木があるその根元へ彼はわたくしを
文吉は「やあ、こゝでも寝ていら」と言って、同じ身体の動けない老人が道を距てゝ両家の奥座敷に臥せっている不思議さに対する白痴相応の感想を洩しました。
こっちを向きざま周章てた形で起上ろうとして老人は「お、いたたたた」と言って、また身体を元に下ろしました。充血した出眼を神経質にくり/\さして、
「文公か、なにしに来た」と言いました。
文吉は「おまえの臥てるの見に来たんだよ」とあどけなく言います。
「ばか、人が臥てるのを見になんぞ来るもんじゃない」
と忠一は叱りましたが、それよりも文吉だけによって聞かれる本家の消息を期待する気持の方が勝ったのでしょう。彼は文吉を縁の側へ呼び寄せて、家の者には聞えぬような小声で、
「本家のじいさん、どうしてる」と訊くのでした。文吉は自分に粘土打ちの真似をさせたことなぞ覚束なく話しました。
文吉の語る話によって、本家の老主がどういう気持に在るかを探りながら「それから」「それから」と次を催促していた忠一は、しまいに文吉が、
「本家のおじいさんは、こっちは丈夫だからなか/\死なぬ。狸おやじにそう言えと言った」
と言うのを聞くと、忠一は何もかも力が抜けたように息を吐きました。
「やっぱり、弥太さんはおれが憎くって堪らんのかな。それで弱味を見せまいとするのかな。こっちは何も本家に悪いことをした覚えはないんだがなあ」と呟きました。
「何だか知らんが、おまえのことを狸おやじと言ったぞ」
と文吉は面白そうに言いました。忠一の顔の血管は膨れ上って来ました。
「そっちがその気なら、こっちもこっちだ」
と言ってまた溜息を吐きました。これは新百瀬の一家の中で啓司を除いた以外は、本家の理由もなしと見られる憎しみに対する反抗の言葉でありました。
「今度、本家へ行ったら、じいさんにそう言ってやれ、新百瀬の狸じゝいは丈夫だって。本家のじいさんなんかよりも先に死ぬもんかって」
文吉は、もう老隠居を見ているのに飽きたらしくあっさり「さよなら」と言って
わたくしは一人で河ぷちへ戻り、一たん自分のサブリ小屋へ入りました。陽に照され出して、やゝ
次いでお秀は自分がそう思わないときは文吉の存在にたいした関心を持ちもせず、自分にその気が起って尋ねるときには必ず文吉がいるように思えるのはこれは自分のわが儘なのか知らん、それとも文吉はそういった性質の相手であるのかしらんとでも考えている様子を想像させる姿でお秀はぼんやり
まわりにはいよ/\草いきれが立ちかけて、露で粘っていた葉と葉とが、ぴん/\はね弾けます。叢の根元に潜った虫の声が聞えます。陽が
わたくしは人々から聞き集めてこの平凡な景色を控えているこの鷺町にも由緒めいたものやロマンスが伝えられているのを思い出しました。
むかし秩父から山を下りて来た畠山の子孫が、武蔵野に
その一族でこの界隈に住みつき、土豪となったものがこの多那川沿岸にも三四軒ある。川上のF||町のO||家がその筆頭で、川下の旧東海道の駅路に当るM||町のM||家もそれである。
鷺町の百瀬もその一つであった。
江戸は太田道灌の時代、上杉の時代、北条の時代と変ったが、これ等の土豪は土にへばり付いた
この川ともう一つ川を越した東京寄りのE||郡内に女塚というのが七つある。新田義興が敗れて越後から武蔵に入り、再挙を図りつゝあったとき、鎌倉の足利氏では佐京某というのを義興に接近させ討取ろうとした。佐京はまた少将という都下りの女をつけてスパイにした。ところが少将は義興公の情に
だが少将を入れゝば八つ塚でなければならないのに七つしかないのに就てはまた一つ伝説がある。侍女の中に美人の女が一人あって、それに百瀬の家の若殿が恋していた。それで秘かに逃れさせて宿の妻にしたのであると。
お秀の家も昔は百瀬家の家臣筋で、天文の時分に北条氏康が関東
百瀬の弥太郎翁が丈夫の時代に、例の催しもの好きから、この界隈で百瀬を名乗るものばかり集まる百瀬会というのを作ったことがあった。この町から近村に散らばっているものばかりで十二三軒あった。変り種は地方廻りのオペラコミックの女役者と乞食が一人あった。どうしようかと幹事が会長の弥太郎翁に尋ねると、かまわないから連れて来いと言うので連れて来たことがあった。女役者はルイ子といって、その座中では花形だそうである。乞食は兵庫島と呼ばれていて、とても汚い乞食であった。
わたくしが川やお秀の姿を眺めながらうと/\と取り留めもないことを考えていますと、橋の上から女の声がしました。
「文ちゃん。うちの餓鬼に歯が生えた」
それは女乞食のお三らしくあります。橋の下でお秀が黙っていますと、橋詰から土手の上へ子供を抱いて石油鑵を下げ、
「あれっ、貸船屋のお嬢さんかね。おらまた文ちゃんいるかと思ったよ」
お三は手束ねのぼや/\した頭を覗き込まして言いました。
「いゝから、その赤ちゃんの歯が生えたところ見せて呉れない」
お秀は、何だか身体のしんからむず
「そうですか、見て下さいますか」
さすがに悦ばしそうに跛足の足で堤を下りかけたが覚束なさそうなので、お秀の方から登って行ってやりました。
「どれ/\」
お三は破れた着物の袖口で道具のようにこどもの顔を拭いてから突き出しました。
「汚のうございますよ」
平べったくて眼鼻のつけどころが大まかな、そして顎だけしゃくれている顔が母親そっくりですが、こどもの顔にすると愛嬌がありました。丸々と肥っていて、どこで貰ったか七つ八つぐらいの子供の着物を着せられていますのに異様な魅力がありました。
お秀は「まあ、可愛らしい」と言いました。お三は農家出らしい太い人差指で赤子の唇を捲り上げました。歯茎の間にちらりと白いものが見えます。
「ろくに乳も出ませんが、あんまり泣くので乳首を含ましてやると、この歯で噛むんでごぜえます。はあ」
「歯の生え際には歯茎が痒ゆいんだって言うことよ」
こどもは母親の指をうるさがって、意固地のように歯を食いしばる。するとお三は何か道具でも扱うようにこどもの鼻を
「まあ大きいのね、驚いた」
お秀には何か冒険のような気持が起りましたのでしょう。
「あたし、ためしに含ましてみたいわ」
お三は「汚のうござえますよ」と言いましたが、強いて止めさせる様子もなく、また赤子の顔の煤けを二三度掌で擦ってから言いました。
「仕合せだの、この餓鬼は、お嬢さんのおっぺえさ、
お秀はまわりを見廻しました。わたくしがサブリ小屋に寝転んでいるには気が付かず外にあたりに誰も人はいませんでした。お秀は胸を開けて締っている乳房へこどもを宛てがいました。
むくん/\といってこどもは乳房に吸い着きました。お秀は身体中を大きな
お秀は天地が破れでもしたような刺激を感じたのでしょう。思わず「いた!」と、顔を歪める刹那にお三は例の扱い慣れた手つきで赤子の鼻を抓みました。そしてはあと言って口を開けた赤子を抱き取りました。
「は は は は。やっぱり噛み付くでごぜえましょう」と言って、お秀と一緒に乳首を覗きました。少し赤みがかった筋が入っただけで傷にはなりませんでした。
憎んでいゝか憐れんでいゝか判らない興奮がお秀を通過しているらしい間にお秀は、ふと新しい希望が計画のようなものになって胸に浮んだらしく乳房を見詰めたまゝ考え込んでいます。
どういう考えなのでしょうか。一つ、わたくしが想像を逞しくして大胆に当推量を述べてみましょうか。彼女は結婚なんて面倒なことをせずに、こども一人得て育てようかというのではございますまいか。しかし、その子は自分が生むのか、人から貰うのか今、お秀の内へ想い入る眼ざしを見るとそこまでは考え分けていそうもない様子です。
眼鏡の花田は
ふだんの彼の言葉から察するのに彼は
花田の後には隣のサブリ小屋の小娘が立って見ています。小娘はとき/″\話しかけますが花田は「黙って/\」といって止めさせます。小娘は性懲りもなく直ぐ話しかけます。花田は自分の考えを擾されるというよりも、衝動のまゝずば/\やってのけたり言ってのけたりする子供が妙に癇に触るのでした。
「どうも子供という奴はエゴイズムなものだ。やり切れたものじゃない」
彼は
彼はおよそ生きてるもの、動いてるものに何か浅薄で生臭いものを感ずる性質でした。それで彼はだん/\廃物や死物に近づいて来たのですが、それ等に近づくのはたゞそれだけの理由ではありませんでした。そういった死滅の中に秘されている生命を人間の意志というようなもので見付けて使う。その事に異様な魅力を感じるのでした。始めから生きたり動いたりしているものはもう自然の手が先鞭をつけているのである。自然が
鳶のような鼻の根元に、迫って付いている丸い粒のようで意固地そうな眼は、普通のときは怖しい光を放っていますが、また何か現実の力に
彼は肉が叩き上ったので、その中へ混ぜる山椒の粒を取りに自分のサブリ小屋へ入って行きました。その袋は棚から落ちて破れていました。彼は叫びます。
「おやっ、鼠が山椒のような辛いものを食うかな」
すると後から覗いていた女の子が言いました。
「この頃、野鼠が河を渡って来たんだとよ。野鼠は唐辛子でも食うとよ」
「仕方がない、山椒の葉を摘んで来よう」
花田は女の子に烏の叩き肉の番をしておれと命じて、山椒の葉を摘みに出かけました。
わたくしは外に所在もありませんから、学者乞食が野鼠に、当にしていた山椒の実を食われたということにちょっとした愛嬌を感じ、この先もう少し事件は続かないものかと、少し離れながらあとから
香辛料の好きな花田は、そういう種類の草木が在るところをよく知っています。一番近くて山椒の木の在るのは、こゝの町外れより小一町ほど町中へ戻って、町の本通へ折れ曲る角の鷺町劇場がある。そこの楽屋口の大塵芥箱の傍でありました。
もとその劇場のある所は町の助役を勤めている脇百瀬の家の庭で四窓庵という茶室があったそうです。欧洲大戦時代の好況に脇百瀬の主人の新五郎は、この界隈に娯楽場が一つもないのに目をつけ貸席兼、色もの寄席を思い立ちました。そして、こういうことには何事でも力を借りなければならない新百瀬の繁司に相談しました。太腹の繁司は、いっそ株式組織にして活動でもレヴューでもやれる劇場にするさと勧めました。
広い前庭の一角が片付けられ、四窓庵は庭の他の側に移されました。水屋口に山椒の木が在りましたがあまりの老木なので葉は僅か許りしか出ませんでした。山椒はこの土地では植替えて枯らしでもすると縁起が悪いと言う慣わしで、移さずそのまゝにして劇場は建てられました。山椒は楽屋裏の羽目外に当って残されました。誰もそんなことは忘れてしまって、その傍に大塵芥溜なぞ据えました。
花田は山椒の木のところへ行ってみて「おや」といって驚きました。新芽はもうきれいに摘まれていました。食いものが思うようにならないと気狂いのようになって怒る花田は憤慨のあまり塵芥箱の脇腹をいやというほどゴム靴で蹴りつけました。わたくしは思わずくす/\と笑うと、花田は振返ってじろりと睨めました。そこへ兵庫島が来合わせて
「やあ、眼鏡の花田か」
「折角、当てにしていた山椒の芽を誰かにきれいに摘まれてしまった」
花田は指しました。
「山椒かね」と、兵庫島は覗いて、「きにょう夕方、橋下の文公がとって行った。鮒の甲焼をするだって言ってた」
花田は「えっ」とたまげた顔をしていましたが、「あいつ知っとるのかなあ」と呟きました。それから花田が兵庫島に対してなおぶつ/\愚痴を並べているのを聴きますと||この町には山椒の木は少ない方だがそれでも町裏の製紙工場の社宅の傍にもあれば清光寺の
「文吉の奴、何だってこんな遠いところまで山椒の葉を採りに来るんだろう。橋に近いところにはまだあるのになあ」
と眼鏡の花田は思わず嘆声を上げます。すると兵庫島は、
「文公は、きにょうの晩、始めて来たんだが、一ばん柔かくてうまいこの山椒の葉をこないだ見つけといたのだと言ってた。あいつ変な奴でね||」
兵庫島は文吉が自然に対して不思議な感性を持っていることを語りました。||楓はお洒落で、幹を裸で天日に曝しとくのを嫌う。それでだん/\葉の茂りを下におろす。赤松は裸が好きで枝葉をだん/\梢の方へこき上げて行く。牛が向い風を嫌い、追風を好く||こんな観察を文吉がしていることを語りました。
「木の寿命なんかほんとに文公はよく当てるんだ」
劇場では楽屋番が起きたらしく窓の戸を開ける音がします。
「仕方がない。製紙場の社宅の方へ行こう」
「俺らも行こう。楽屋番のおっさんに見つかると、また、どやされるから」
「なにしろ、腹が減ってしょうがない」
「腹か、そうか、ちょっと待ちな」
兵庫島は、爪の長い手を熊手のようにして塵芥箱の中の屑を掻き廻しながら、
「なにしろ、劇場は不景気で、ろくなものも捨てないから」と言っていましたが、紙にくるまって鮨が五つ六つ塊まっているのを拾い上げました。花田は「有難い」と言って紙を剥がして食べながら、二人は大通りへ向います。
わたくしはなおこの山椒事件に発展の見込みがありそうなので、矢張り
何度か大会社から合併の申込みがありましたけれど弥太郎翁は頑張って応じませんでした。大会社も反対に立たれて恐ろしいほどの相手でもないので、そのまゝにして原料を供給しては製品を引取る下受負いの工場にしていました。為替相場の変動で邦貨低落の為めアメリカから輸入する製紙用の糊がとても高価くなりました。この糊は最高級品の紙の
防湿紙の完全なものを作って貰うのは需要者側の商売上重要な問題で、そして今まで使っている蝋引紙にしてもハトロン紙にしても完全とは言えないそうです。工場の技師長の今井田はこゝに目をつけて必死に苦心しているそうです。
今井田は子福者で十八を頭に七八人の子供と一緒にいま社宅の茶の間のチャブ台を取巻いて朝飯を食べているのが見えます。彼は飯茶碗の鳴る音や、子供たちが泣いたり笑ったりする賑かな騒音の中で物を考えて行くのが好きらしいのです。
茶の間の前に庭があり、垣根を越して左側に工場が見えます。右側に社長の社宅が並んでいます。その間に西北方から
ふと見ると、社宅の二番目の竹垣の外から学者乞食の花田が、髭だらけの乞食と話しながら山椒の葉を摘んでいるのを茶の間から今井田は覗いて見ました。
今井田はわたくしの姿も眼に入れてこの町には何でこんなに乞食が多いのかと非難するらしい皺を眉に寄せながら、しかし防湿紙の発明に就いては不断から研究の話し相手である花田と話し合いたい気持が起ったのらしく、たゞ花田は子供が大ぜいいるところは嫌いなことは知っているし、また呼び込んでもあの有名な汚ない髭の乞食が一緒に来ては迷惑なので躊躇していますと、社宅の角を曲って不意に貰い袋を背負った文吉が現れました。それを見て花田が腕を掴え何か二言三言いったかと思うと、打つやら叩くやら始めました。髭の乞食は止めにかゝりましたが一緒に打たれました。今井田は立上って外へ見に出ようとする子供たちを叱って止めています。文吉はわあ/\泣いて悪態を放ちながら逃げて行きました。髭の乞食もどこかへ消えてしまいました。
興醒めた気持になって今井田は服に着替えて出勤の支度をし始めました。花田は残りの山椒の葉を
不思議なことにお秀の姿を見ると花田は山椒の葉を毟る手を止めて、そのまゝ
今井田はこれを見て何か愉快なものを感じあは/\笑いました。子供たちまで縁で眺めて一斉に笑いました。お秀は文吉とわたくしを連れて歩き出しました。振返りますと花田はもう山椒を摘む勇気も無いようにすご/\と反対の方へ去って行きました。
新百瀬の啓司は朝飯を食べますと、早起きの鷺撃ちの疲れが出て一睡する癖があります。わたくしが貰いのため中庭へ入って行きますと、彼は丁度眼が醒めたとみえ
中兄の啓司はこの弟が好きでした。無口で快活でとき/″\
長兄の繁司も中兄の啓司も今では末弟の常司に何一つ立入った話をしない風があります。兄等がそういう話をしようとすると、する方が却ってどきまぎしてしまうような常司に生れつき籠ったり
彼は中学校を出て私立大学の予科へ入り、相撲だの水泳だのゝ選手をしていましたが、ふいと止めてしまって村へ帰って郷土語を語り、郷土に馴染んでその日を暮し出しました。町にはいろ/\の出来事があって権勢家の長兄の繁司の手を煩わしました。繁司は主に東京にいる関係もあり、大概の事はこの末弟に代理を頼みました。
「常司、頼むぜ」長兄が言うと、常司は「いやだ/\」と言ってながら、それでも世話を焼きました。羽織袴をつけて兄の代理に宴席の上座に坐っているのを料理店の窓横を通りがゝりに覗きますと、眉の濃いがっしりした眼鼻立ちの美男子ですが、彼はいつも立上って何か行動的な生活に自分をなずませて置きたいような青年でした。表面無口でも行動へ行動へと心がいつも急いでいるらしくありました。
土地の娘たちにはあまりに彼の性格が明確と行動に透き抜けるので、情緒の対象にはならないらしくあります。彼の親切は普遍で独占しにくいものに見えました。彼は月日と共にだん/\公式的な青年に見えて来る種類の人物のようです。彼が町のカフヱに出入りしても嫉妬する女たちは一人もないようです。カフヱ入りもやはり何かの役目を勤めるための行動生活の義務の一つだろうと女たちには感じられるものですから。彼は女子青年団の世話人もやっていました。彼女等は集団的に纏って常司を
わたくしが貰いのため町を出て小合溜へ行く道を歩いてますと、あとから啓司は常司と自転車を並べて夏の日の午前の村道を走って来ました。がっちりした顎を青々と剃って黒い瞳をちろり/\と動かしながらペタルを踏んで行く二十二の弟を見て、啓司はこいつ馬鹿なのか利口なのかと見定めるよう更めて見詰めました。
町外れまで砂気の多い土で、桃林だの桑畑が多くあります。それが過ぎると真土になって田圃が見晴せます。丘陵近くになると黒土で蔬菜畑になっています。フレームも見えます。極めて緩くうねをうっているこの平地に幾つかの小さい
小合い溜めの水が彼方に光っています。
突き当りに見える丘陵は石灰質の白い膚を現わしているところもありますが、大部分雑木に覆われ、丘陵の背にはその後の九十九谷を埋めている赤松の林が波打って来て、その波頭を現すように丘陵の背に柔かい緑の並列の姿を現しています。里の人は松ヶ丘と呼んでいます。
松ヶ丘からT字形に多那川に向って尾根山の象の鼻が突出ているのが左手に見えます。尾根山の根本のところは松ヶ丘と同じく雑木に赤松を加えて覆われていますが、先きに近づくほど丘陵の岩膚を現わしています。水楊だのアカシヤだのが一列に並んでいるのはそこに渓川の在ることを示しています。水草小屋が見えます。
稲田はいま伸びる盛りで、昼前の日光に青臭く晴々した匂いを立てゝいます。三番目の田草取りの男女がその中を匐い廻っています。
田草取り連中は常司の姿を見ると、何とか言って声をかけます。常司も声をかけます。若い娘を見かけると常司は、
「昼から粘土打ち出てくれろよ」
と怒鳴ります。娘は、
「うん、出るよ。うん」
常司は自転車の上に伸び上って、
「返事ばかりじゃなかろうな||」
「あはははゝゝゝゝ大丈夫」
快さそうな笑い声が稲の青葉の中に隠れます。小合溜の近くになって道はまっ直ぐに畑地の部落と左へ尾根山へと
「繁司兄さんもこの頃、いら/\してるらしいぜ。会社の方はまるで喰い違ってるし、砂利は世間が不景気でコンクリ建築が少ねえから売れねえし、乗車賃が高価過ぎるといってバスは客が乗らねえし||」
「そんなことになってるのか」
啓司は
「俺ほんとによくは知らねえけどまあ大体にはな」
そこで畑地の道へペタルを踏んで分れて行きました。啓司はハンドルを尾根山道の方へ取りながら、ふとわたくしを見つけて「おゝ、ぼんやりのお蝶か。一緒に象ヶ鼻まで遊びに行ってみないか」あっさり言いっ放しで強いて勧めるでもなく首は畑越しに弟の後姿の方に向けて眺めやりました。その弟の姿には何の気がゝりがありそうにも見えません。啓司は再びこの末弟が馬鹿か利口なのかと考えて見ずにはいられない様子です。
わたくしはまたこの青年に誘われたまゝ、小合溜方面の貰いを打ち捨てゝ、自転車の横に附いて黙って歩いて行きました。
啓司は水車小屋に自転車を預けて、尾根の象鼻に上って行きました。わたくしも登ります。
尾根山の象鼻は萱に覆われて小高く丸味があり、なるほどそう思えばちょっと象の頭から鼻へかけての形に見えなくもありません。尾根山の根元から象の頭へかけては本家の百瀬が持主であります。百瀬家に言い伝えがあって、尾根の象鼻は百瀬の家に取ってはなにかの場合には救いになる山だ。決して手離してはいけないというのだそうです。事実二度ほど百瀬家のみならず、この界隈を救ったという言い伝えがあります。一度は天保の
象の頭の上にちょっとした見晴亭があるのが風雨に朽ちて僅かな屋根と柱ばかりになっています。弥太郎翁の全盛時代、芸妓など連れて来て桃林の見晴らしの莚を張った名残りだそうです。
啓司は、風雨に洗い
しばらく景色を眺めていた啓司はわたくしの方を振向いて徐ろに、
「蝶子さん」
と呼びました。言葉は親しみ深くその上、敬称で呼ばれたのでわたくしはおやと思いました。うっかり返事もしかねて啓司の顔を用心深く見返します。啓司の顔は幾分得意気に笑っています。
「蝶子さん、もういい加減マスクを脱いでもいゝでしょう」
陽は午前の十一時に近く、川も町の
「あら恥しいわ、どうして判って」
と言いました。
啓司はわたくしの憶気を察し、わたくしを見ない空の他の方角へ煙草の煙を吹き上げながら、
「どうしてって||あの学者乞食の花田は乞食仲間の身元素性を
学者乞食の花田は廃朽の自然物から何か価値を取出すことに魅惑を持ち、偏執狂的にその在所を究めずには
「その探偵犬にかゝったあなただから、あなたが乞食の血筋出の大学教授の妾の子であることも、生くることの迷いから女だてら親譲りの乞食の体験を積むことも、花田はすっかり調べ上げて僕に話して呉れました。二人だけはこの町でもあなたの本性を知っていたのです」
わたしはもう仕方がないと思います。
「嫌だわ、知ってたの。じゃ、かなりおかしかったでしょう」
「そりゃおかしかった」
啓司は、ともかく、自分と顔を向き合わして話が出来るように、水でゝも顔を洗ってらっしゃいと言います。
「しばらくね、おなつかしゅう」
と挨拶しました。それから、
「でも、あんたはお初にお目にかゝる娘さんかも知れないわね」
とも言いました。
わたくしは何か心の記念のように渚の草の葉を
わたくしが話す乞食の生活の経験、啓司が話す勉強生活の
「僕の今までのすべての失敗の原因は、合理性なるものを人間のいのちに結び付けなかったことだ」
「それ/\その理窟がすでに合理性をいのちに結び付けてない証拠じゃないの」
「違いない。じゃどうすりゃいゝんだ」
「しらふで夢中になれたらいゝわ」
「ふーむ。君を花田はウール・ムッター(根の母)の性がある女だといったが、体験とカンでそんなことも
昼近くなって陽がかん/\照り亘って来ます。くの字に曲って来て、お秀の貸船屋の前の淵に突当った水は、その反動でタガメの住む対岸の毘沙門堂の洲を作り、またこちらの岸にうち当てゝ象の鼻の
郊外の田舎にしては立派な多那川橋がお秀の貸船屋の前の淵から少し上手に
啓司がふと見ると、足下の象の鼻の途中から下、瀞の渚近くまで岩層が露出していて、学者乞食の花田が頁岩のあると言って頻りに研究の材料にしている地点へ、運転手風の男が試掘用のハンマーで岩石を打ち壊しては堤の上の自動車の中へ運び入れています。
啓司は降りて行って「なにしているのだ」と訊いてみました。すると運転手風の男は不機嫌に、
「旦那の工場で試験に使うんだ」と言いました。啓司はまた「何の工場だ」と訊くと「君たちに言ったって判らん」と答えました。啓司は生意気なという気持から、わざと
「ふーむ。なんていう工場だ」
すると男は怒った顔を振り上げて啓司を睨みましたが、癇癪を噛み殺してしまって、たゞ気の無い声で答えました。
「永松というんだよ」
啓司は、こゝでちょっと後につき従っているわたくしの方を振り向き、高等学校時代に永松という秀才の友人があったが、その家が工業家であることを思い出しそれじゃないかなと告げました。
「永松、ふーむ。君は永松のとこの運転手か」
運転手はもう面倒臭がって作業の方に向い何とも返事しません。
わたくしは、また、この運転手が昨日旦那とその第二夫人をお秀の船宿まで車で送りつけ、その旦那と女はお秀のとこのモーターボートに乗って無断で横浜の磯子まで海を渡って泊り、ボートを返しには磯子の旅館の男が来たことを啓司に語りました。
運転手が丘の根の頁岩から幾塊かの岩塊を壊し、車に積んで運び去るのを見て啓司は苦笑しながら言いました。
「事業家という奴は目のつけ方が早いな。殊にこの不景気で四苦八苦している際には。他人の持土地の見境なく、泥棒根性まで出す」
それから、これじゃ、この町の者もうかうかしていられないと語りました。
尾根山の象ヶ鼻の瀞の頁岩へ、東京の事業家が目をつけ出したという報せを啓司から町のスタフ達は聞いて、彼等は今まで兎角煮え切らないでいた町全体の人間と資力を挙げて製紙工場を中心に拡大強化し、積極的に各種の事業を経営して行こうという議は
頁岩からは天然のセメントが出るし、もう少しの研究でベントナイトが得られるとかどうかとかで、そのベントナイトから防湿紙が作り出せるなど、その他いろ/\話に、研究に、この町は活気を呈して参りました。わたくしは素人ゆえこの方面のことはよく判りません。これらはいま鷺町物産会社の技師長となった乞食花田と副技師長の啓司の説によるものでございます。尾根山の岩膚の富源からもし社会に需要さえあるなら、新科学の威力により岩を
その起点を多那川と共に秩父の峰から起し、川の上流で一たん川から遠ざかった山岳地帯は、川を離れながらまだ川を見護るように平行し、やがて裾を拡げて相模の中央部へ方向を振り向け低くなって行きます。この巨大な山岳地帯の尾根は、地質学上、小仏層と称せられる地層で成立ち、そしてその尾根から川の流域の沖積層までの間の洪積層は一面に皺立つ丘陵をなしています。この地質は多那川を越して東京の中まで延び、東京の山の手の高台にもなっているものだそうです。この丘陵は松の多い雑木山で、その煩瑣な起伏を土地の人は九十九谷なぞと呼んでいます。小仏層の山岳の尾根は、ところ/″\で川の方へ慕い寄るように丘陵群の中へ、ごつ/\した山骨を伸しかけますが、たいしたことはありません。たゞ鷺町の附近ではやゝこれが
かくて四年前には、この尾根を背景にして田園のなかに寂しく時代から置き去られていた鷺町は、今は、煙突の林立と、絃歌の声と||いずこいかなる僻地でも既に工場と三業組合が出来たところに生活の単純性はございません。鷺町の
わたくしは花田や啓司に勧められて、今は市政を布いて鷺市であるその市設の倶楽部式会館の女
本家と新家との両百瀬は資力合鞣の関係から仲よくなりました。わたくしはこゝに於て世間の通俗小説の大団円というものに敬意を表します。事実、事件の纏まりというものが世の中にないこともないからであります。
何か人力以上大きなモチーフさえ出て来たなら、人間を木の葉のように一つに吹き寄せることは易々たるものでございましょう。
しかし遺憾ながらこゝまで鷺町の出来事は纏って来て、通俗小説でないこの叙述では事件がまた纏りから喰み出して行くのでありました。
今や市設の興行館、鷺市劇場へ以前から度々出演を頼んでいたお艶という東都の歌曲の名手がありました。出演の都度、休憩や食事の関係からわたくしの経営する鷺市会館へ寄って行きました。童女のような無邪気な女、それでいて、濃艶な魅力を含んだ女。ちんと澄して控えると上品で美しい古代人形になっても見える中年女でした。わたくしを一目見たときから「あらいゝね、この方好き」と、わたくしを抱きかゝえ「まるであたしの姪の気持がする」といって、それからかの女はその気持ちを持ち続け東京の自宅へも招ぶようになりました。わたくしもはじめてこの世で慕わしいこゝろが結ばれる性情の分厚な同性に出会ったと覚りました。しかしそのあまりに情熱の豊さで男の人気をぐい/\
お艶のような人気者が、忙がしい中からこの鷺市のような郊外市の演芸場へ度々
わたくしが鷺市会館の賄の買出しの事などで東京に出るときお艶に悦ばれるまゝちょくちょくこの市塵庵に立ち寄りましたが、そのお艶も遂に数年前に歿くなってしまいました。
その葬儀の盛大なこと、芸界の敵味方ともにその天分を惜んだこと、近年芸界の語り草でございましょう。ところで、お艶の生前は殆んどお艶とばかり交際っていたのでしたが、その死後、彼女の遺志から交際が付きましたこのお艶のおじさんである市塵庵春雄は、わたくしとの間に妙な情緒の
おじさんより
蝶子
川の渡りは無事だったか、家の首尾は。
別に心配もしないが、おまえとわたしがこうなってからの最初の手紙をいま書き出そうとして、その書き出しを何と書こうか、とつおいつ思案の末、却ってあっさりこう書き出した。いかに思いを籠めようかと千々に心惑った揚句、白紙にたゞ「なつかしさのあまり」と書いて封じ遣ったむかしの人の心遣りのように。
別に心配もしない事柄を普通の手紙の問候のようにわたしは冒頭に書く。だが選み出したこのあっさりした言葉によって尋ねかけるわたくしの胸の中の愛の厚みや拡ごりを、||ああ||その無限を、おまえは知るか。
おまえを自動車で送って、わざと鷺市の中まで入らず多那川橋のずっと手前で別れてわたしは庵へ帰って来た。庵の茶の間は弟弟子の秋雄によって珍らしく綺麗に掃除され、電灯も明いように感じられた。その下で二人は番茶を飲みながら少しばかり語った。
わたしは秋雄に「心が通じたという安心はどんなに人を落付かせるか知れないね。こうなったら逢う逢わないはたいした問題じゃない」と言った。秋雄は「その落付きはまず今夜か明日の昼ぐらいまでは続くでしょう。けれども、明日の晩あたりからはまた危ないね」と笑った。彼は、わたしの非常識極まる決心を聞き、側杖の決心を彼もしなければならなかった今朝の暁の雨を思い出で、それに較べる今夜の虫の音の静けさを味って流石にほっとした容子である。二人は男世帯の気さんじな庵の中に敷き放しにされている北窓の下と南窓の下の寝床に、分れて寝に就いた。
蝶子、おまえはきょう昼過ぎわたしの庵へ出て、わたしから突然乱暴なわたしの決心を聞き、「まあ恐ろしい」と言った。その決心というのは、是が非でもわたしはおまえの肉体を一度は自分のものにしたい、その望みの実行だった。その無礼に対しておまえが謝罪を要求するなら貞操蹂躪 の裁きの下に牢獄に下ることと、わたしは自分で生命を断つことと、この二つの何れの代価をも差出すことを用意していることを語った。
さらでだに悶々の情に堪えないで来たわたしのおまえに対する情熱は、ゆうべの夜中頃からいよ/\張り膨らまり、もはや最後の手段を取らないでは居ても立ってもいられない気持になった。やり切れないこの気持でいるのにわたしはちょうど向島の三囲 稲荷に献額 する現代江戸派の俳諧の揮毫 を頼まれて、これを書き上げるのに式日まで四五日の期日を剰 しているだけだ。この献額は私たち江戸派の俳人に取ってかなり重要な企てだった。わたしはやり切れない気持を押えて揮毫を続けねばならない。それでもわたしは、この額を書き上げたときこそ、わたしがこの世の終り、身の終り、その代りわたしがこの世で心から得たいと望んで来た唯一のものを得られるのだと心に言い聞かして揮毫に取りかかろうとした。だが、心というものはそう言い聞かされたくらいで一念に集中するものではない。心は筆から逸れて、とかくにおまえに向って焦立つ。仕方がないから薬嫌いのわたしが、ふだん医者から貰ってある持病の胃痙攣止めの麻痺薬を四五日間は飲み続けることにした。その薬を飲み、薬の作用が現れ出し、わたしを何もかもを一念に似る揺蕩 とした薬効の世界へ融し漂わして呉れる気分に乗じてきょうやっとわたしは揮毫し始めた。そのとき忙しいおまえが思いもかけず庵へ尋ねて来たのだ。わたしはおまえの声を聞いただけでもう苔松に花桔梗の根締めを添えたように和められ、脆くなってしまっている自分に向って不覚にも憐れみを施す涙が零れた。秋雄がわたしの状態の粗筋を病歴のようにおまえに話し聴かして呉れたのち、わたしはいよ/\おまえに会って話を切り出した。
わたしはまだそれほど打ち融けたがらないおまえに市塵庵の茶室の壁に肩を並べて凭 れ、肩に手をかけさして貰った。わたしの肉体に鬱蓄 されている情熱の電気は、こんなことでもして徐々に中和させないと、どんな爆発の形を採るか判らない危険性があった。身体を離している方が寧ろ放電の形は激しいものだ。わたしの語るのを聞いておまえは「まあ恐ろしい」と言った。わたしは秋雄がもしわたしが牢獄へ下るのだったら、その出獄を待って共に遠国へ旅立つ支度をするし、死ぬのだったらそのあと始末をしようと側杖の決心までしていることをもおまえに語った。わたしは大事な献額揮毫のためたとえその決心の実行の日を四五日先に宛てゝあるとは言え、自分が病的とも言えるほどの状態にあり、チャンスとしてまたとない茶室中の半日のどれかの刻々に何故わたしは決心実行を繰上げようとしなかったのだろうか。繰上げようとはしないで却って実行には妨げとなる行動の事情を予告のようにおまえに話したのだろうか。
蝶子、わたしはおまえに対してそれはわたしの芸人の躾 けに在るのだという。わたしはわたし自身に対し相変らず可哀相な躾けの身だなと喞 つ。
蝶子おまえは知ってるかどうか知らないが、わたしの前身は幇間 であって、その幇間の師匠というのは死んだが、滝廼家鯉丈という大師匠だった。日本ばし数寄屋町の花柳街に住み当時東京中で名うての幇間だった。普通のしもた家造りに住み、普通市民の服装をしてどこを探しても幇間という風はなかった。客と見れば妙な手つきをして妙な声を張り上げるあの輩 の幇間とは較べものにならなかった。表通りの堅気な大店の旦那が一通りならない浮世の苦労をしたのち無事に隠居をして晩年の余技にいささか風流を弄 んでいるという風格の人物以下には見えなかった。彼は客の旦那衆に対し物しずかに普通に話した。それでいて旦那衆は馥郁 とした滋味 と馥郁とした暖味とに包まれるばかりでなく、心の底から世間の用心のか
を外ずして打ち解けられた。株屋の旦那が株の話で打ち解けようとして来るときには株の話で相手をし、弁護士が職業上の訴訟の話で打ち解けようとするときにはまたその方面の話で相手をした。その他、違った職業の人々がおの/\その望んで来る話題に於て満足ゆくよう応酬した。これ等を彼は何も専門的や具体的智識があって受け答えするのではない。但 、彼には永年多くの種類の人間との接触から得た経験的智識があり、それと練磨した現実を見破る犀利 な眼光が備えられていて、客から与えられる話題のテーマに就て底の底を語り、コツの中のコツを掴み出して、返し与えるのに何の手間暇は要らなかった。客たちは後から骨身も融けるほど打ち解けさせられた中に人情の機微を学ばせられ、世路に勇み立つ底力を与えられた。彼はこうして客の旦那衆とは普通対等の位で向き合うけれども、利目々々にはひそかに身分を守った。
客がふと便所へでも立つらしい場合は、彼は「おはゞかりですか、はい/\」と言って伴って行き、便所の戸を開けて客を中へ送り込むところから客の出て来るのを待ち、一杓の水と懐から新しい切り立ての手拭とを用意して戸の外に立っている身のこなしには、無雑作と思えるほど嫌味のない中に気をつけてみれば五分の隙も見出せなかった。それでダンスに浮身を
すほどの若い芸者たちさえ「大師匠にはどこというところも無いが、あゝいうところはやっぱり惚れ/\するわね」と言った。
そういう褒 言葉の噂を聞くと鯉丈は肩を落して溜息をつき「そりゃそうだろうよ、おれはあのときいつでも客のために命がけで立って番をしているのだからな」と言った。
彼は言う||すでに買われた幇間である、聘 ばれている間は客の弄 びもの許りではなく客が唯一の主である以上、客の生命さえ護る心得がなくてはならない。幇間といえばなに一つこれを売ものとして出せるほどの纏った芸はない。それを買って下すってご飯が頂戴できる買い主には、せめて買われている間だけでも相手の身体を命をもって護らねばならない。これこそ男芸者の勤めと共に誇りでもあるのだ。これ位の情操と誇りを持たずして、どうして人に爪弾 きされる男芸者という職におのれの良心に許されて身が勤まろうか。自分は客と伴って座敷から廊下へ出るとき、既に、仮りにも客に対する刺客の潜んでいることを予想している。そしてその刺客が打ちかゝった場合にあらゆる方面から盾 となり客の身代りに立つ身構えと心用意を怠らない。「命がけの姿形というものは誰だって隙がなくて惚々するものよ」||蝶子、わたしは父親に命ぜられてこういう気質の幇間のところへ内弟子に遣られた。わたしの父は日本橋界隈でいくらか名の通った踊の師匠だ。けれどもその名の通ることに於て到底滝廼家鯉丈とは較べものにならない。吉原洲崎を除いた都下花柳街の男芸者は大概鯉丈の一門なのを誇りとし、滝廼家を名乗っていた。滝廼家の大師匠といえば東京のみならず三都の芸人間にも江戸幇間の明治中興の祖のようにも敬われてその名は鳴り響いていた。
大概の芸人はそうなのだがわたしの父は特に名誉餓鬼だった。理由を訊けばもと伊勢藩の儒家の出で、その兄弟には発明に凝って乞食に成り下ったものもある代りに二十歳台で当時大阪の学界で碩学の誉れ高かった夭死の人物もいたという。わたしの父は流浪の末その器用さから芸が身を救けて東都の一部間の踊の師匠にはなったが、天才的の家系とのみ信じ切っている彼は、自分の卑賤に陥った身の上を運命にとのみかずけて、つね/″\世を恨み人を恨みながら家名挽回 の志は妙な方に持って行った。「何でもいゝから日本一になれ」と言ってわたしを十三の歳に父が崇拝している鯉丈のところへ強いて弟子入りさした。
蝶子、わたしは子供の時自分が心底から嫌いな芸人風情にならされることにどんなに歎きを感じたか。師匠の家から小学や中学に通うのだが級友たちがいつかわたしの身柄を知って「やい、小狸」と呼びかけるのをどんなに侮蔑と感じたことか。すでにならされた以上、出来るだけそれに没頭しようとしてどんなに自分自身の好みを殺すのに骨を折ったか、多少はいつかおまえに話したつもりだから今更書くまい。わたしは内弟子として師匠の飯の給仕や使い走りの暇をみて、師匠の言い付け通り、そこに在り合うお飯櫃のようなものに向い、それを客と見立てゝ、扇を片手におべんちゃらや軽口を稽古しながら眼に涙は絶えなかったことだけを聞いて置いて貰う。
師匠の鯉丈はその時分長命の芸人によく有り勝ちな枯淡厭世の時期に入っていた。聘 ばれる座敷は気が向いた客のみにしか行かず、弟子取りも断って、わたし一人だけ幼年の無邪気なのを取得に家に置くことを許した。家の中は老人の師匠の外はこれも老人で聾 の飯炊き爺がいるだけだった。夜更けに飯炊き爺は寝てしまい、わたし一人師匠の寝酒の用意をしながら師匠の帰りを待っていると、師匠はお座敷から帰って来て膳の盃を取り上げながらわたしの眼瞼が濡れているのを見つける毎に「春や、てめえ寂しいか。おら、てめえの機嫌を取り直して気を楽にさせる術 はいくらでも持っている。だが、それは商売ものゝ術だ。おら客でもないてめえにそんな商売ものゝ術を使うのは空々しくて嫌だ。さりとて親身の親切なんていものはもう残り少なで、わが身自身の生き料にしか使えねい。まあ仕方がねえから、そこで存分に泣きな、泣きな」と言って、師匠はわたしにそこで勝手に泣かしてその前で酒を飲み進んで行く。
「泣くだけ泣けば思いが晴れよう、おれは見ていてやる」これが師匠の僅に少年のわたしに与えて呉れる親身の親切なのだが、思いが晴れるほど泣けただろうか。わたしがやゝ安心して泣き出す姿形を見て、師匠は「なんてい野暮な泣き方をするんだ」と叱言を言ったり、「下手だなあ、それで芸人の泣き方といえるか」と窘 めたり、口では終えなくて箸を逆持ちにした太い方で少年のわたしの小腕をぴしりと打つときもあり、自分が代って泣き方の模範を示して呉れるときもある。その躾けを十分受けてから師匠を床に寝かしつけ、「有難うございました。おやすみなさいまし」と自分の寝床へこれからがいざ自分のために本当に泣けるのだと行く時分は、夜明けの烏が鳴き、東の空は白みかかっている。早くちょっと一寝入りしとかないと師匠の朝湯のお伴に間に合わない。鯉丈に於ては芸も生活も躾の上ではけじめがなかった。
世の中に躾けというものがあって、これに較べたら自分の好みなぞというものは物の数でもないのだ。この事実をわたしは少年の日から骨身に厳しく刻み込んだ。修業の甲斐があり、またわたしは私立大学の文科も卒業して||師匠はこれからの幇間は学問がなくちゃ駄目だといってわたしをそこへ入れた||年齢より早く売出し、少しは人気の出た若手幇間になった。そのときもう全くお座敷から離れてたゞ一個の雑俳を弄ぶ隠居に成り切ってしまっていた鯉丈は、珍らしく彼の隠居の部屋にわたしを呼んだ。「春や、学校も卒業し、世間にもだいぶ売出して来て結構だと思っている。それにつけて女の噂もちらほら耳に入るが、幇間の身分としてこれ丈けは心得て置いて貰いたい。」幇間が自分土地の商売女とは関係できないこと、もし止むなく出来ても自分土地では決して遊んではならないこと、よその土地の商売女相手に金で買われた場合や自分が金で買う場合のこと、また相惚れの場合のことなど||こんな事に対して花柳街で伝統的に仕来られている掟は最早や師匠に言われずともわたしはとっくに知っている。今更、何をいうかとわたしは手を閾外につかえて聞いている。師匠は言った「素人衆の女を相手の場合は、これも向うから金で買うような奴なら商売人同様だから何のいざこざも無い、いくらでも金をふんだくれ。しかし若し相手が本手で惚れて来たという場合は、これは大事だ。その弱味につけ込んで相手をおもちゃにしてはならない。はっきりこっちの心持を判らして金で買って呉れるようなご贔負 筋に仕替えるか、それともきっぱり断るか、こっちも惚れさせられてしまえば歴とした女房にするか、そのどのみちか一つを取り、決して商売の術であしらうではないぞ。幇間というものは自分から身分を一段堕 した人間だ。素人衆の無垢な惚れ方に対しては神仏のような慎しみを持たなければならない。そうでないといつかは罰が当るのだぞ。それからもし自分が先手に素人衆の女に惚れたのなら」||鯉丈は茲 で声を厳しくして言った「幇間には素人衆の女のなさけ真ごころに引き宛てにするほどのものは何一つ身の中に持ってないのだ。それを首尾しようとするなら、命を的の仕事と思って、まず商売は捨て、几帳面の素人に還りなさい」と。
蝶子、おまえとわたしは四方締切りの茶室の中に半日以上もいた。ときには肩に手も組んだ。炉に燻 る香の匂いと床の間の花の籠った匂いでおまえは頭が痛いといった。
生れて始めてのような恋を感じ、やり切れない切なさを感じ、病的にさえなっているわたしとして、どうして斯かる際に決心を実行に移さなかったか。
わたしの順々に打ち明けて行く心の秘密に撃たれておまえは身体の性さえ抜けたと言った。わたしの肩近くに身体を斜にし、やゝ髪を乱して靠 れかゝった。わたしの庵の小庭にいまサルビヤが群り咲いている。雨後の暁に見出すその艶美で無垢で而かも知性的なしどけなさ。そのうまさとそっくりなうまさをわたしの肉感の舌はそのときのおまえの姿に感じていた。けれどもわたしは敬虔 と、切情と、涙と、訴えとだけで押し切った。何故だろう。そこにわたしの躾けがあった。だが、掴み出す心には躾けも何もかなぐり捨てゝ、生れ立ての純情をむき付けた。
花柳の巷にまた一つ諺 がある「玄人が素人に還ったほど生 なものはない」と。わたしはこれだ。わたしが話を切出した言葉の冒頭は「蝶子、もうだめだよ。僕は恥も外聞もなく切出すよ」こうであった。そして終りの言葉は男だてらに「どうかね蝶子、済まないとは思うが、いつまでも僕を捨てないでね」というのであった。
女を口説くのに男が涙を見せては将来負けの分で附合わねばならぬこと、女を口説くのに自分の秘密を握らしては男の急所を握られたも同様なこと、わたしは花柳街の人としてこんな情事のかけ引は朝飯まえに知っていた。それから女を自分に蕩し込むにはまず囮 の女を立てゝそれに競争心を起させ釣り込むこと、周囲にあらぬ噂を立てさせ嘘から出たまことの寸法で破れかぶれになった女を自分の手に入れる。そういう情事の政治外交手段も幾つか知っていた。だがわたしは自分の心のまことがおまえに通じないのをもどかしがり、胸を捌 いて心臓の在所を示すようにこれ等の言葉を吐いた。心を通じさして貰う||この一点の努力以外に何でトリックを考える暇があろうか。技巧や策略などゝいうものはそも/\末の事である。わたしは罷 り間違えば一週間後には縲絏 の辱めを受けているか最早やこの世にはいない人間である。話しつゝある間も心はしんとして首の座に直っていた。
おまえはわたしの話の大半を聴いたとき、急にわたしの肩を抱え、涙をさん/″\と流して「何という可哀相なおじさまなの」と言った。それからわたしの孤独を揺り華やがそうとでもするように抱えた肩を涙と共に揺った。「あーあ、おじさまってば/\」美しく乱れたおまえの額の下に在ってわたしは腕組をし、薄く眼を瞑っていた。わたしはやっと竹の節を抜いたあとのような気の衰えを感じていた。
わたしの秘密というのはこの間歿 くなった古典歌謡曲の名手のお艶との間の事情である。お艶はもと柳橋で芸者をしていた時分にわたしと恋仲になった。恋仲というよりわたしが吸い込まれたという方が適当であろう。お艶は世上稀にある聖女型と童女型の混った女で、声のみならず人間に一種の魅気を持っていた。彼女に魅せられた男は蛙が蛇に睨まれたように居すくまされたまゝそろ/\と呑まれた。それでなければ相手は彼女の気魄 を打込まれ、今更別に妻を持っても情人をもってもそれには到底気が移らずして、生涯かの女を忘れられない中途半端の畸形の男にした。わたしがはじめて知った時分の彼女は海のものとも山のものとも判らないぼんやりした無口の若い芸者であった。お座敷へ出ても一ところに座ったきりでじっと畳を見詰めたまゝ考え込んでいるという風だった。気品ばかり高くて面白くはないのでお座敷は流行らなかった。かの女自身も流行ることは一向に望まなかった。かの女はそのように鬱屈した姿で心を内へ内へと探り入り、持って生れたまゝで何と表現すべくもない異常な情熱の魅気を自分で眺めて自分をあわれみ、自分にすゝり泣いていたのだった。たゞ歌を謡う段になると神秘にまで美しいメロデイが咽喉から噎 び出るのでその点は買われた。
わたしはとき/″\職業上の関係からかの女と一座した。その無口で陰気さ加減には不思議なものがあった。何かわたしの心を焦立たせ、かの女の内気を掻き廻してしまいたい乱暴な気分をわたしの内に起らした。わたしはそのときむろん気はつかなかったのだが、わたし自身子供のうちから躾けというものによってすっかり取り籠められてしまっている自分に対して限りない恨みと愛愍の情を潜在させていて、それと同じ状態のように見えるかの女を見出し、ヒューマニスチックな義憤を感じたのではあるまいか。
わたしは日本橋の幇間だし、かの女は柳橋の芸者である。逢曳くに何の妨げもなかった。わたしはしば/\鉄の欄干と枝垂れ柳の柳ばしを渡り、また河岸を代えたところへかの女を連れ出した。
一年後にわたしはかの女を身抜きして宿の妻にした。
わたしの潜在的なものは一ばん底にかの女に吸込まれたこと、その次の層は前に述べたようなヒューマニスチックの義憤であったが、普通に意識されるはじめの気持はこの芸者らしくない変った女を一つ手に入れてみようかぐらいな遊びごころであったらしい。なお、傍因となるものは、いくら眼立たない女にしろ潜まっている魅気にかゝってこのとき既に二人の若い芸人がかの女に吸い寄せられていた。わたしが遊び心と思うようなものを振り捨てゝかの女を宿の妻というような絶対な心を起したのは一つはそれ等の恋敵の鼻を明かしてやり度い若気の競争心もあったらしい。かの女の生れは東京近在の零落 した旧家という話で、かの女はその身元を生涯明かさなかったが、かの女は気品と共に意外に頭が高かった。それ故にかの女は自分の好きな客情人が嘗 て一人か二人あった外、窮屈な旦那は取らなかったし、勿論金のために待合の客の枕辺へは一度も侍さなかった。それをまたかの女の抱え家も許してかの女を甘やかして置いていたということは、気品とその頭の高さと共にかの女の魅気であった。かの女の魅気というものは特別なもので中には同性の女でそれに引っかゝるのもあった。何事もせずして大きな芸妓屋の抱え主の夫婦をも魅了していた。抱え主夫婦は、かの女に目がなく、何様かのように大事に取扱い、子飼いの雛妓時分からお嬢さま/\と呼んで侍いていた。従って朋輩 からは随分嫉まれていた。
わたしはそういう家からかの女を抜くためにどのくらい骨を折ったろう。父や師匠の手前も随分無理なところがあった。わたしはかの女と歴とした媒酌人を立て結婚式を挙るまで遂に肉体の交渉はしなかった。これを聞いた人は芸人の癖にと訝 るかも知れない。だがわたしは言う。その芸人なるが故に、躾けを尚ぶ芸人の古道なるが故に、却ってこの筋道を濫りはしなかったのだと。何故というのにわたしはかの女の魅気に捉えられたにも違いないが、それにしても、自分から惚れたと思っていた。しかるにかの女のわたしに対する態度は惚れたが如く惚れざるが如く、はっきり判らなかった。わたしはこれをかの女の何等か旧家の躾けのさす業か又はわたし同様、幼時から大きな芸妓家の躾けの下に在って、自分の卒情を打ち出し得ない第二の性格のためなのだと自惚を持ちながら義憤を感じていた。しかし現在確と惚れたと見分けらるべき証拠もない女と肉体的の交渉をするのは手籠めも同様なのだ。これは芸人として最も恥じるものなのだ。なぜならば靡 かす技倆が無いということになるから。わたしはかの女を宿の妻にして満足した。わたしはそのときいよ/\売出して来たインテリ幇間の名と共にまた江戸派の俳人として多少名前を揚げかけて来ていた。
わたしの父はわたしに「何でも日本一になれ」という自分の理想を満足させられそうな希望を幾分見出し、近いうちに自分の踊り方の名跡 を継がし、自分の目がねに叶う妻を宛がって、自分の名を担って日本一の幇間になって貰おうと思っていた。自分の目がねに叶うという妻は少くとも芸人の妻として四方八面へ自在に応酬して、所帯持ちもよく、その上親孝行の嫁に外ならなかった。それを他人の家の猫を借りて来たような変哲もない芸妓を貰い込んでしまったので、わたしに対する熱意は薄らいだが、なお悴 に日本一になって貰う事には未練がある。
師匠はまた師匠で自分の名跡 を継がし、自分の理想する内容の立派な幇間を仕立上げようと企んでいた。わたしは師匠の方針によって私立大学だけは卒業し、この点インテリ芸人として花柳界の他の幇間は足元にも及ぶものはない。しかし師匠はなお慾を持っている。それはいくらインテリ幇間でも、たゞ幇間では高が知れている。この現代に於て元禄の其角、英一蝶を見るほどの風流達道の幇間を自分の後嗣者の上に見たい。つまり真の芸術家としての幇間をわたしの上に望みかけた。彼に言わせると、其角も一蝶も俳人や画人であると共に幇間でもあった。そのためとしてわたしは彼の勧めにより、その時凋落 の底にある江戸座の俳人の元老市塵庵四季雄の門人となったものだが、そして師匠がわたしの身の上に望んだ事は、自分同様一生の独身であった。家庭の捉われは芸を磨くのに邪魔であるからと。
わたしが嫁の事に就き彼を裏切ったことによって師匠は大の不服を覚えたが、なおわたしの上に自分の後嗣者として芸術家としての幇間の夢の実現は捨てない。
わたしは宿の妻を得て満足のうちにも、父と師を裏切ったことに対し憫然の情に虐まれ、妻だけは自分の好みを立てたがあとは何物をも犠牲にして努め励み、どうか二人に酬ゆるに足るほどの彼等の満足を得さしめてやり度いと秘に心に期するのであった。わたしはそのとき二十を充分過ぎた一人前の男である。いくら父でも師でも、わたしに対し面と向っては阿漕 なことはもう口に出せない。彼等はわたしが彼等を裏切るようなことを告げてもたゞ「それもよかろう」「まあ、やるがよい」という大様なポーズを取るだけになっている。だが子供のときから躾けというものによって自分を殺し切り、人の思惑や人の好みを察して酌取 ることにだけ発達させられて来たわたしの心というものが何でこのポーズを見破らずには置こうぞ。老人がこのポーズを取ったあと、口振りとはおよそちぐはぐの恨めしそうな白眼でちろりとわたしの方を見て、それからもぞ/\と身体をわたしと反対の方へいざり向け、何やら覚束なく手慰みの細工仕事に向うそのうしろ肩の寂しさ。父には諦めに扱 き剥かれた裸鳥の首のような寂しさがあり、師匠には強情な負惜しみから大木の幹を打って空 の音のする太味の寂しさがあった。どっちにしろわたしの腸に苦酸く浸み込む。わたしは宿の妻を持って、この二恩人にやゝ反抗の勝利を感じながら最後には「えゝ、もう自分なんかどうでもいゝ、あの年老いた餓鬼たちの夢の餌食になってやれ」と身を抛つ決心をするのだった。
蝶子、わたしが小娘のおまえに年甲斐もなく縋 り付いても嘆き度かったのは、このわたしの気の弱さだ。わたしはどういうものかおまえを見た最初からこれを訴えたかったのだ。この心を通じさして貰い度い、それが潜在しながら世俗不敏なものが途中いろ/\の思わぬ作略をした。あーあ、わたしが外面は洒落の風流人で、江戸気質で、ソレ者、通人と言われ、ときには自分から放埒 無慙の人間のようにも見せかけていたのは、たった一つ自分に在るこの気の弱さを隠すカムフラーヂュに過ぎないのだ。子供のときから今に至るまで、憐れなもの、その殊に体裁や負け惜しみで隠された人々の自我慾の憐れさ、これに引っかゝるとわたしの気の弱さは一堪りもなく前に突きのめるのであった。
わたしは育て上げたお艶を、あまりにも愛のスケールの大きい女にしてしまった。わたしが嘆いてかの女を揺がすとき、かの女の心の中にわたしと同列している幾人かの人への愛をも揺がす恐れがあった。それらからかの女の魅気は、それを運び出したこっちの衷情を無意識のうちにも取り食って自分のいのちの滋養にしてしまう作用をした。それらの危惧 からわたしは全部無条件でかの女に嘆き込めはしない。だからわたしはかの女に嘆くときは、奪われても大事ない程度の心をおず/\と運んだ。いまわたしはおまえによってわたしの全てを投げかけても相手に取り食われてしまわずに寧ろより多く酬いられさえする嘆き寄るに頼母しい天地にたった一つの褥 の壁を見出した。それはわたしへ死のように悠久な憩いを与え、底知れずあたゝかく甘い眠りを誘うふだんのわたしから見ればちょろ/\して、ぴんと弾ねて、ころ/\笑ってばかりいる何とも目まぐるたくて手に終 えない倶楽部の娘が、一たん胸を据えてわたしを受け止めるとき、またどうしてこんなに深味も厚みもある女になるのであろう。わたしは真のおまえに逢った。いじらしさ限りない女に逢ったのだ。
話は前に戻って、わたしは一方で宿の妻としてお艶を得て幸福を味い、一方おのれを抛って父や師匠の理想の犠牲の道具になろうとしている。わたしは幇間の方はなるべく蕪雑なお座敷は断って、高級な方ばかり勤め、余力を作って俳道を励んだ。収入多かろう筈はない。わたしはお艶に貧乏さした。お艶に当時のこころを訊いてみるとかの女は言った||貧しさはちっとも嫌ではない、たゞあなたが専心に自分に向って呉れないのに失望を感じたと。そりゃそうなのだ、いくら選び捨てると言っても幇間はお座敷が商売である。出る夜は多い。わたしに稚気もあって、女房持ちになってから兎角家にこびりつく、つまり野暮だと言われ度くないために仲間の交際 いは出来るだけ勤めたい。花婿姿の紋服を着てお茶屋へも行き嘗てわたしと浮名を謡われ、而 かもわたしを直ぐ袖にしてしまった商売女にそれを見せつけてもやりたい。
ところがお艶という女は聖女と童女と混った女である上になお魔女のところもあった。かの女が男を得ると、その男の心にまだ安心ならないうちは男に対して二時間でも三時間でも一室中に瞳と瞳と合わして睨み合わさす所為 を課するような事もする。男の心が須臾 も自分より反れないために、その男は魅気に疲れヘト/\となり、かの女の愛の薬籠 中のものとなる。かの女は得た男ならその男が独りで寝て見る夢の中ですら他の女の現れたのを話すことに嫉妬した。わたしは今でも思う||一人にしてかの女と対等の力で愛し合える男がこの世で在り得るだろうかと。もしあっても、恐らく永い間には愛の気魄 に負かされて精神羸弱 者になってしまっただろうと。かの女の愛には何か相手からいのちの分量を吸取る磁力のようなものがあった。子孫の種を取った後に雌は雄を食ってしまい、それが愛の完成であるあの蟷螂 の精のようなものであった。また一方、かの女くらいいじらしく憐れな女はなかった。何故ならば普通の分量の女が如意としているものもかの女に取っては不如意であった、儘ならないのであった。この意味でかの女くらい現実に諸行無常を感じた女は少く、かの女は人界以上のものを人界に望んでいるのだ。そしてかの女自身は獣身を持ちながら聖なるものをも掴んでいた。わたしはかなり後までそれに気付かなかった。
夫婦となってしまえば素人ですら二三年の後には男女としての間柄の興味は失せてしまう。ましてや垢抜けしている筈の芸人同志である。如何なる恋女房も恬淡で事務的な世話女房として見出して来る筈である。わたしはそうなりつつあった。だが、かの女はそうならない。寧ろかの女の男女的の情熱は結婚後にわたしに向けて累進 して来るようである。かの女は宿の妻となってから眼覚めたように恋人的の愛情を鋭い針のようにしてわたしに刺し込み、わたしにもそれを差し違えることを望む。侍くことを知らずして良人を捉え、夫婦的の愛情を運ばずして男を良人にする。この無理に見えるようなことを昆虫の女王蜂は行っている。かの女はまた人間の女として女王蜂であった。
わたしはかの女の情熱の熾烈 に煩いを感じ、一方、女王蜂のような威力に惧 れて、わたしは無意識のうちにかの女の青眼に向けて来るものを右に左にまた八方へ外らすことに骨を折ったらしい。「ちっとは捌 けないかい。芸人の女房じゃないか」芸人の女房というものは良人の浮気を大目に見て、良人の世間の働きを自由にする。その代り自分も買食い程度の男を持つのはこりゃ技倆だ。この旧思想は明治末の芸人界の一般の風でもあった。結局のところ良人の世間の人気を挙げるということが協力した夫婦愛の表現である。
「お互いに胸の奥で諾 き合うものが一つあれば、あとは大概は商売のためと思って見逃がし合う。芸人の夫婦はそれでいゝのだ。おまえも、ちと渋くなりなさい」かの女は詰らない顔をして聞いていた。まだこのときわたしは良人の優位により男の力でかの女を鞣 し改造されるものと信じていた。世間にそうされる女は多い。しかし稀にそうされない女がある。わたしはその稀な女をかの女の上に見出して遂に兜を脱がざるを得ない時が来た。
わたしは或日、遠出の客に誘われ江戸川を渡って秋の紅葉を見に江戸川端の丘にある真間の弘法寺へ行った。客というのはもう遊びも仕飽きた旦那で、連れて行く取巻も老妓を混ぜた男芸者四五人。いずれも俳句はちょっと捻れる手合なので、帰りに市川の河沿いの料理屋でわたしを判者に運座の真似事をした。晩飯になって酒が弾んだ揚句が、一つ洒落 に田舎芸妓でも揚げてみようじゃないかということになった。聘 んだ妓の中に美しくもないがたゞ若くてしなやかな女がわたしに当った。わたしは日頃の世事不如意の鬱屈、それから宿の妻の刺激に疲れていた頭がこの妓によって意外に宥 められるような気がした。老妓だけを東京へ返し、わたし達はめい/\相手としての芸妓を一人ずつ連れ、その夜から八幡、船橋、行徳というような都人の思い及ばぬ平素で牡蠣殻の臭いのする海村を二三日遊び廻った。わたしが結婚後かの女に理由を知らせずに外泊したのはこれが始めてだった。海村漫遊の逃れた気分はそれをするさえ億劫だった。
わたくしがわが家の門へ一歩入ると、そこへ飛出して来た妻のお艶の顔を見てわたしは立竦 んだ。その顔は狂人のそれのように表情が壊れていた。わたしを見て却って怯えるように後じさりをしつゝ涙をぽろ/\零した。「もう駄目です」かの女はたった一言いった。そしてよゝと泣き倒れた。
もっともかの女をこう嘆かせたには智識的幇間のわたしの優越を嫉みながら先輩なるが故に兄貴振りたがり、その上、わたしの妻のお艶に横恋慕していた古参の幇間が、帰京した老妓からわたしの消息を聞き、これはうまい種が出来たと、その消息に、
繞 をかけてお艶に焚 きつけたのにもよるが。
芸人の妻の癖に、而 かも注進 する相手の男の性質を知ったなら、それほど煽られずともよさそうなものをお艶はまともにそれを受けた。お艶は幾つになっても経験というものに教えられない童女のところがあった。わたしが情を動かしてその妓と道行をしたと受取った。
わたしがお艶と結婚するとき、わたしの過去に於ての情事は律義な素人衆の結婚前のように花嫁お艶に告白してある。お艶はわたしを花柳街の芸人としては負傷の少ない方と思って喜んでいた。それを今度は、わたしに商売女による陥ち込みがあったと取ったのでお艶の打撃は酷かったのだ。
一年ほどの間お艶は精神を壊してたゞ死に度い死に度いとばかり言っていた。事実死に兼ねまじき所作もあったがお艶は最後のところで思い止まった。わたしたちの間に一人の娘の子が生れていた。この子は十二のときに歿くなったが、お艶が遂に死を果さなかったのはこの娘のためと、当時親師匠のために自分まで名誉餓鬼だったわたしの世間態を憚 って呉れたからだった。かの女をもし貞女の妻として育てたなら、また完璧に近い貞女ができたかも知れない。かの女をそうさせなかったのは相手の男の性格の為か職業的環境によるか、とにかくわたくしにも責任がないことはあるまい。次いで二年ほどの間はかの女は強力な薬を用いながらしかし徐々に恢復して来た。
わたしは今まで来た生涯のうちでお艶のために首の座に直った気持をさせられた事は数え切れぬほどである。だがあの三年間ほどあす知れない命と思い続けた日々はなかった。わたしはお艶をこうした原因がわたしに在るのを深く悔いている。お艶の深い懊悩の傍に在って、もしお艶が一口でも「あなた一緒に死んで呉れない」と声をかけられたなら、寧ろ悔が取戻せるように喜んでわたしは死んだであろう。当面の気持としてその方がどのくらい楽かも知れなかった。だが流石にそこはお艶だとわたしは今でも妙な感心の仕方をしている。かの女はその一言を言わなかった。かの女にすればわたしにいつまでも自分の深い懊悩を眺めさして、わたしに幾久しく悔いさせてやるという執念深い復仇の念と、これほどの結果になるとは知らずにこの人はうっかり仕出かした事だのに可哀相にという憐みの心とが組打ちしてかの女の口を開かせなかったという。
お艶という女は「もう取返しがつかない」という言葉をよく口癖に言う女であった。例えば襦袢の布れ一つ裁ち損 ねても、まるで過って処女性を失った人のようにそれを言って悔いに悔いた。玄人出の女にしては珍らしく諦めの悪い女であった。わたしから言うのもおかしいが、かの女の言葉そのまゝを伝えると、かの女はわたしの他のどこにも魅力を感じない。しかし世間に珍らしい美男である点からその心も共にそっくり自分の持ちものとして永く自分のそばに置きたかったと言う。それが一度人手に渡ったのだ。かの女の心にすれば「もう取返しがつかない」ことになったのだ。
わたしは派手な一座をして踊り狂ったお座敷から帰って来る。すると電灯を暗くした部屋の中でかの女は呻吟いている。わたしはかの女の額を叩いてやりながら疲れてその傍で寝る。既に精神が壊れている病女なのだ。夜中に急に狂って激発し、眠りの中にわたしの息の元がいつ止められるかも知れない。わたしは朝ふと眼覚めて朝湯に行き、湯屋の鏡に向って生きて動く自分の顔に会うのが何だか不思議に思える朝な朝なであった。
蝶子、わたしがおまえにたゞ一回稀有のことを望み、しかもその謝罪の代価として人間が最も惜しむ生命すら投げ出すという決意を聞いて、おまえはわたしがあまりに易々と生命のことを口にしたり取扱ったりするのに疑念や嫌味を感じたかも知れない。しかしそれは決して脅しでも気取りでもない。わたしに取ってはそれは身体から離して捨てるのにかなり稽古が積んでいるのだ。お艶の病気中、わたしはそれを稽古したし、それから幕末維新の苦難な芸界を経て来たわたしの父親も師匠も、何ぞといえば難事掴得に支払う貨幣として生命を引宛てることを言った。踊りの立廻りにまた幇間の職業上の強酒の稽古に、両老は口癖に「命がけでやれ」と言って而 かもそれは言葉だけではなかった。わたしは事実、無理な強酒の稽古のため一時絶息したことは何遍もある。ぐら/\と身体に地震が揺れると急な闇は足を掬 ってわたしは絶対の安息のようなところへひょな/\と萎 れ込む。ふと気付くと眼からは空中にあらゆる星が燦き飛び、身体は懐かしい曖昧に蘇る。やがて眼の前に浴後の新月のような鮮かな世界が展じ出て来る。これで生死の一生涯を越したのだ。わたしは死を覚悟するとき、眼を瞑 って頭を一つ振れば、曳舟が曳かれて行くあの蒸汽船から曳綱を外ずしたように前途の慾望から直ぐ自分を切り放つことが出来るし、同時に過去に僅かばかりした仕事の量が愛撫の手となって背中を撫でゝわたしを送って呉れることに充分の慰めをうけて、まさに入ろうとする烏羽玉の闇の世界も、暗いものではなくなる。わたしの気持では死はたゞこの儘で失礼するだけだ。そのときちょっと合掌の形を取って念を籠むれば既に失礼の先のほの/″\した世界の潮さきを感ずることが出来る。明治年代の山路愛山という歴史評論家は「一片れの木片に向ってでも精神を集中することに少しく慣れゝば、死の恐怖を征服するのは割合に雑作もないことだ」という意味のことを言ったが、わたしもそう思う。死はそう難かしくはない。しかし生は、これはまた何という骨が折れることだろう。殊に愛を得たのちの人に取っては||
蝶子、それゆえ、わたしがおまえの娘時代に於て最も貴しとするものと引換えにするわたしの死なるものは、実はわたしに取ってそれほど高価なものではないのだ。けれどもわたしが死以上に高価でありとするわたしの生をおまえに支払おうといったところで、おまえの中なる通俗性はそれに道徳的な貨幣価値を認めはしまいし、従ってわたしの誠実を疑いもしよう。止むなくわたしは通俗に準じてわたしの生命を賭けたばかりだ。ところでお艶は三年間ほどの間、死に度い死に度いと言い続けて来た。それも、子供にひかされ、わたしの体面を重んじ、得果てざる間に、むっくり起き上った。そして粛然 とした態度で言った。「おまえさん、済まないが、正式に離縁の手続きをとって名義上これからあたしの亭主でなく兄さんになって呉れない。きれいな交際の」お艶は潔癖症のところがあって身肌につけるものは人手にかけず不器用ながらみな自分で縫った。自分と親しいものに人手のかゝるのを忌 んだ。それで、商売女に結婚後のわたしを穢されたということはかの女の潔癖症がわたしを良人としてこれから肉体上ばかりでなく精神上の伴侶とすることを拒んだ。わたしは充分謝罪の責任を感じている。かの女が蘇ってさえ呉れるのならどんな注文にも嵌 ろう。
かの女はまた言った。「いくら色気抜きの兄さんでも、あたしは兄さんが他の女にとられるのを見ちゃいられないわ。だから済まないが身状 だけは正しくしといてね。その代りあたしも身状は正しくしとくから」
わたしはこれも承知した上、かの女自身の誓いをも信じた。
蝶子、かくてわたしは、さよう、おまえが物ごころつく時分から今の娘になるまでぐらいの歳月の間を、絶対に異性の肌には触れなかった。
蝶子、こればかりでなくわたしという男は花柳界に人となり、芸人の癖に身状の上の女の印跡は案外、寥々たるものなのだ。わたしがもし自分のゲシュレヒツ・レーベンを書いて見たら恐らく相手の異性の数は当時の地方のその点放埒にされている青年よりずっと少ないかも知れない。外部からの理由としては直ちに例の芸人の躾けへ持って行けるが、内部的にはわたし自身の性格に帰する。わたしはこれが江戸っ子気質の通人意識から来るなぞという自惚れは鵜 の毛ほどもない。たゞ苛酷に批判してわたしという男は、何という馬鹿正直な、ヒロイズムを好む、偶像性を多分に持った見栄坊の男だろう。言い換えれば容易く祭り上げられるお目出度い人間に出来てるのだと嘲笑したい。殊に女にかけては。
わたしが嘗 て青年で幇間をしながら私立大学に通っていた時分に、日本橋の花柳街にお品という中年の名妓がいた。地方の醸造家を旦那に持ち、当時日本橋に在った魚河岸の魚問屋の若旦那を客情夫にしていて暮しに何の不自由もなかった。このお品がわたしを贔屓にした。その贔屓の仕方が結局はいま言うわたしの性格の弱さをハンドルに握って、わたしを自由自在に自分の好みに叶う装飾品に仕立てるに外ならなかった。彼女はわたしの美貌を利用し、最も都会的で灰汁抜けした書生風の服装や動作を仕込んだ。謙遜を抜きにして言うが事実わたしのその当時は恍として眼も細めたいような美しい青年であったろう。それでいて薩張 りして活溌な書生さんでもあったろう。彼女はその客情人の若旦那や取巻き芸者と共にわたしをも引具して諸処で友だち芸妓の開いているお座敷へ遊びの他流試合に行く。花柳界で行われるお座敷の芸というものは大概たかが知れたものである。勝負は俄に断じ難い。ところがお品はわたしに眼くばせして面布 を脱ぐことを命ずる。今までたゞ薩張りした書生さんと見えたものが一度び闥を排すれば子飼いから叩き上げた芸人である。唄うほどに踊るほどに、打拳、弄弁、挑みかゝる満座の芸人と八面応酬してこれを斬り靡 かすのに何の雑作もなかった。みんなは遂に兜を脱いで「もう/\書生さんには適わない」と言う。お品はほくそ笑む。わたしは力の戦利を感ずる。かくて再び鋒を収むれば恍として眼を細めたいような美しい書生さんである。わたしに幾人かの岡惚れというものが出来た。名妓と言われるほどのものは、その旦那と共に手の者の芸人を集め、花柳街に一つのグループとして勢力を張る。グループとグループは名声を競い合う。その勢力の消長は指導者の名妓の評判の高低にも関した。だから手の者の芸人に猛者を得ることに、彼女等は腐心したのであって、つゞまるところわたしはお品のプロパガンダの道具に使われたに過ぎないが、しかし、わたしをそうしたに就て、下町の名妓の好みもあった。始終商人や株屋を相手にしつけている彼女等は、当時の書生というものに新奇な興味を持ち、さりとて野暮やむくつけき書生は彼女等の教養の肌理に合わない。粋 な書生。これこそ彼女等の好みの向うところであった。わたしは女のリードには弱い性格に付け込まれ、名妓によって彼女の理想の偶像に作り上げられた。
彼女は訓戒する||「料理屋さんなら独りで行って遊んでもいゝが、待合さんへは決して入ってはいけない。あんたの名が悪くなるから。」彼女はわたしにとき/″\取り代えて若い芸妓の雛妓を愛人としてつけて呉れる。二人は身体に間違いのない逢曳は許されるが、その他はお品の声がゝりによって花柳街総がゝりで厳重に監視する。止むを得ずわたしたちはその範囲内で果敢 無き恋を娯しむ。「なんという、きれいな二人の恋仲だろう」人々は美しい名を立て、お品はまたほくそ笑む。あ、あ、人というものは、何でこう自分に出来ないことを人にさせて傍から見たがるものだろう。そして世にはまた稀に自分を捨てゝ人の注文に嵌 り、その偶像の役を勤める人間もあるのだ。わたしはその稀な方の人間に生み付けられたのだ。
蝶子、わたしはおまえに何でこんな自分の意気地なしを語り度がるのだろう。わたしがお前にきょうとい望みを起した理由の中の一つになるのだから、わたしはお艶にさせられた多年の禁慾の他、なおこうした他から強いられての禁慾の歴史を持っているのだ。斯くて永らく女から遠ざかっていたわたしは女の肉体なるものに仄かな月明りを感じ、神聖な白い碑を感じ、長生の霊果を感じるのだ。この頃よく/\考えてみるのにわたしは生涯に自分自身のためとして何一つこの世にいのちを彫り止めたものがないということが判った。それがいまわたしはわたしの恋ごころを必死の鑿 としておまえの肉体の壁にわたしのいのちを彫り止めようと企てさした大きな原因らしい。滅多に死を惧 れないと言ったわたしは既にこの世ならざる世界の不朽を認めるものである。だが、この世の上にとて絶対に未練がないというわけではない。われを遺さずして空しくこの世を去るのか。その刹那、わたしはおまえの肉体を素材の大理石のように感じたのだ。
いわゆる人の恩を返すということにかけてはわたしほど恵まれた運の人間は少いだろう。父親のためには彼の理想の踊りの名跡に於て事実上日本一の幇間になり得たし、師匠のためには、この野暮と田舎風の俳句横行の時代に、江戸座の俳諧を再興するほどの業蹟 を挙げ、幇間にして真の芸術家のわたしに成り得たし、こういうのは痴人の類かも知れないが、わたしは父親や師匠が夢に現れて何度もわたしに礼を述べたのを見た。そしてお艶は生前、一度あの頭の高い女が、畳に両手をつかえ「おじさん有難う、もう大丈夫」と言った。わたしは何だかそれがかの女の生涯の果が望まれたような不安な気がしたので、わざと怒りの声を荒らげ「ばか、このくらいのことで満足する奴があるか。きみはこれからだ」と励ました。するとかの女は気を替えて「あゝそうなのね」と言った。
蝶子、おまえはわたしがお艶のおじさんとなってお艶のために尽したことはかなり知っている。お艶の望みは自分の中に悶えている人間の心情の最高の美しさと最深の苦悩とが幽に激しくもつれて融けるあの魂の至情を出来るだけ多くの人間に彫り込み度いというのに在った。わたしは当時、世に行われ出した蓄音器を表現舞台とする流行歌謡曲に眼をつけた。わたしは逸早くその世界にかの女を押出した。わたしは人知れず古謡と古曲を漁り、これを現代の好みに向けて再生産した。わたしは彼女に歌謡の章句を噛み味わせ、自分から三味線を把って歌い巧ませ、大衆の好みの在るところをかの女に差し示した。何でかの女がその社会の名手にならずに置こうぞ。一個の有能の男子がいのちを籠めて息を吹き込むのであるから。しかし、かの女にも偉いところがあった。かの女は自分のいのちの好みを守る場合には磐石のように重くなって動かない女だが、そのために尽して呉れると判った人にはまたおのれの全部を投げ出して与えた。そのときかの女は羽毛のように軽くなってその人に添った。わたしはかの女に「わたしの指図だ。日本橋の橋の上で裸の大の字になりなさい」と言ったところでわたしが傍にさえいたらわたしの方を子供のようにちろ/\頼りに見ながら群立つ人々を人臭いとも思わず、赤子の寝起きのようにやおら裸の大の字になり得る女だった。男としてこの意気を見せられ何で力を籠めずに置かりょうぞ。それはわたし一人ではなかった。かの女を後援する幾人かの男は、この捨身の寄りかゝりにかゝってみなわれを顧みずに援けにかゝった。かの女はまた、とき/″\予習して行った既定の歌詞の章句や歌曲から全然離れてその場の思いつきで何事かを唄い出すときがある。これは思いつきなぞという軽いものではない。全く人間の巧みを離れていのちそのものが噴き出し唄い出すのだ。その歌や声が人界を離れて優しく神秘に融遊するさまは天界の聖女の俤 があった。人々は誰れでもこれを知っていて、かの女がこの意味でのハメを外ずすのを待受けた。
ラヂオというものが出来てからかの女が名手の名を獲得する舞台は数百倍に拡がった。かの女の本真は芸術の坪をはみ出して生活に情熱を漲 らす女である。かの女がその多量で滾々 と湧いて尽きない新鮮な愛情は幾人かの男女をさまざまの意味の愛で愛し取った。肉身 の姪のようにも思えて蝶子、おまえをお艶は愛し取ったし、若さの美味な漿汁を湛えた愛人としていまわたしと庵居を共にしている秋雄をも愛し取った。わたしがかの女と名実共に永く夫婦の縁を遮断してきょうだいの関係へ飛び移ったのを世間は知って、而 かもなおわたしがかの女に恋々として世話を焼くのをみて、「愚図な兄さん」というのがわたしの渾名となった。演奏場の楽屋の燥 忙の中でかの女の弟子たちがわたしを見失い、探し出すのに本名を呼ばずして「どっかにいませんか、愚図の兄さん」と声高らかに呼ばる。誰か途中に位置するものがわたしを見付けて「はい/\愚図の兄さんはこゝにいますよ、ちょいと愚図の兄さん」と取次ぐ。わたしはまた「はい」と返事をする。そしてその言葉を誰も笑わずわたし自身異とせざるほどの歳月間それを通用さした。
次いでお艶はわたしを「おじさん」と呼び出した。如何にそれがいろ気がないばかりでなく女に対して義務のみで、権利は一つも主張されない都合のよい呼名であることよ。蝶子、おまえもお艶に習ってわたしを「おじさん」と呼ぶ。秋雄もそう呼ぶ。あーあ、やんぬるかな。
お艶は名に於てわたしをおじさんと呼ぶと共に実に於てわたしにおじさんと同じような世話を焼かした。幾人かかの女が生涯で次々と愛し取った男女をわたしはお艶諸共、迷惑にならぬために、わたしは支えたり庇ったりした。わたしが庵に同居し俳道の弟子にする秋雄と俳名する人物もその一人である。もとはその職業界に於ても嘱望されていた一廉の青年紳士だったが、お艶は彼を前途から
ぎ取って来て、わたしに預けた。わたしはこれを庇った。
お艶はかゝる事件を惹起 し、それを凌 いで掌裡に収めるまでには何度でも毎回新なる情熱を湧かし、一本気でいのちがけの行動をした。わたしは毎回魂を燃え立たして、それから電火のような紫の焔を放つかに感ぜしめられるかの女に怯えもし、その真摯に頭を下げた。
しかし、最初のほどはまだわたしにかの女に対する未練からの嫉妬があり、臆病からの世間態も考えないことはない。そういう煮え切らないとき、かの女はわたしの胸に取付いて必死に言う。「おじさん、いゝでしょう、ねえ、いゝでしょう」するとわたしの中で躊躇停滞させていたものが一種の光栄あるやけ力で弾ね飛ばされ、いざというときかの女を小脇に引っ抱えて立退こうとする仄明るい死の世界までが眼前に覗かれて来るのだった。「よし、やりなさい。」けれどもわたしは、なお心の震えが止らないので諦めの言葉でこう勇気付ける。「やり損なったら滅びる許りだ。どうせおれ達は滅びる人種にできている。」するとかの女はそういうわたしの顔を怪訝に見上げながらわたしの襟を揺り「どうしてこれっぽっちの事で、そんな大げさなことを言うの。怖いわ。いゝえ、あたしは滅びるのなぞ嫌です。」わたしはこれを聞いて女の本能の強さというか、いのちの逞しさというか、とにかくかの女の奥底知れないものにぶっ突かり、首筋を掴み上げられるように勇気立たされるのであった。
わたしは何回かこういう危機を冒してかの女を庇い通して来た。自分自身に対して根性悪く考えれば、人生に必要なスリルというもの、それをわたしは自分自身の為めに起す力を失ってしまっている。わたしはかの女がいのち賭けで起して呉れるそれのお相伴に与って、僅に人生の無聊 を消し得たのではあるまいか。それならわたしは相当狡い人間である。やっぱり自分自身に就て愛想が尽きる。実際、かの女が生きていたうちは、しょっちゅう激しい不安の期待にはら/\させられ、震災の際の夜の帯のように緊張を解く暇はなかった。かの女が死んで全てが嘆きである中にたった一つ天を拝し地を拝しても感謝すべきことがある。それはかの女が狂気することの惧れから逃れたことである。わたしは意識不通になったかの女の傍で看護すべき歳月をも予想して、それにも堪える覚悟さえしていた。
そしてこの惧れが無くなった日に遭遇してみて、あまりに天地がぽかんとしたのにどうしてあの時分のその覚悟が自分の力で出来たものかと不審がられるくらいであった。かの女は元来壊れ易いものに出来ていた。その癖、自分を壊れるか壊れないかの界まで試みてみなければ承知できなかった。かの女の生涯の口癖は「乗 る か逸 る か」であった。中間のものは生甲斐としなかった。これに添ってゆく傍の者は遣り切れないの連続と共に傍目も振れぬ充実の継続であった。
かの女に取り、兄さんからたゞのおじさんとなったわたしには、かの女を女の生活の総ての方面で成就さすことはまたわたしの成就でもあった。わたしはかの女を世界一幸福な女として花開かしたいものだと希ったのは取りも直さずわたしの世界一の幸福を意味する。他の関係筋ではかの女と精神肉体ともに悉く交渉を打切られてしまったわたしは、ただ親切という管に於て、たゞかの女の最上無上の幸福に努力するということだけに於て、わたしの肺臓は満腔 の力を吹き込むのを許されるのだった。蝶子よ、おまえがわたしの上に平気で呼び慣れて来たおじさんというものは、そういう果敢無くも似非義人的なものなのだ。
女の幸福には、先立つものはやっぱり金だ。幇間の纏頭 や俳句の選者料ぐらいはタカが知れている。わたしは書画骨董の鑑定を学んで、それ等の仲介のコンミッションを取ったり、自分でも売買する方面へ職業を転出して行った。わたしの物ごとの嗜味に対する鋭さと上部の如才なさとは、この社会に入ってかなり大きな額の金が掴めた。かの女は、金を使うのに螺鈿 の軸の万年筆で小切手帳に金額とサインをする労力だけ払えばあとは顧ることなしに無尽蔵の資力をうしろに控えていた。
蝶子、お艶が病気で死んだとき、お艶やおまえのいわゆるおじさんは悲嘆は別として、まずかの女に見果てぬ夢はなかったか、気がゝりなものは無かったか、それを心の中で探してみたものだ。それがわたしのかの女に対する残った愛の仕事だった。勿論かの女に死ぬ気はない。かの女のような女はいつの間にか精神上から死の世界を拭い去ってしまった女であろう。それ故に遺言というものをしない。わたしはたゞ平常の言行や素振りで察するだけである。
わたしの胸に直ぐ来たことは、指折り数えてかの女の十八年間の禁慾生活である。それはかの女がわたしに「二人はお互いよ」と誓ってわたしもそれを守って来たものではあるが、それにしても肉体の均勢 がとれたかの女の、而かも幾人かの男を次々と愛し取った身の上として、その精神に伴わざる肉体的の克己はどのように辛かったろう。わたしはわが身の体験から推してそのことの苦しみを重々察した。はら/\と涙を零した。さりとて墓に若い男を供えるわけにも行くまい。わたしはこのどうしようもない遺憾の情を、他に思い残されたと見るべきものゝ上に弔い移そうとした。
それはかの女が生前、おまえを肉身 の姪の感じがするといっていろ/\気がゝりにしていたことである。「ねえ、おじさん、あれをどうかしてやれよ」と、かの女はわたしにひと言葉晩年に言った。わけは蝶子、おまえの結婚のことだった。自分の仕出来したことは結局わたしに後仕末をさして、わきへ行ってだけはつく/″\わたしへの感謝の言葉を放っていたが、わたしに面と向っては頼んだり礼を言ったりは滅多に出来ない生れ付きの性質であるかの女が、こう言うのはよく/\のことなのだと察した。お艶がどうして蝶子、おまえにこれほど念を残したかわたしには判らない。たぶん、かの女は結局は寂しい人間で、姪のように感じられるおまえに唯一肉身 の親しみを覚えたのではあるまいか。
だが、おまえの結婚というものはおまえがたいして望んでいないだけにこれはちょっと骨が折れる。わたしはおまえを庵へ呼んで多分お艶がおまえに向ってこれが気持だったと思うところを述べて、おまえの気を結婚に向けようとした。お艶にしてみれば自分のいのちを燃やし切ること一筋に気を入れ、殆ど他人の世話に力及ばなかったことを顧み、寂しい気がしたのと、それから流石のお艶も、あまりに奇矯な自分の生涯を顧みては切なく、せめて愛する同性のおまえには平凡とするも無事な道を辿らせようとしたのではあるまいか。たゞ不思議に思うことはかの女がまたそれの後に言った言葉には「総てのあとでは何でもおじさんに任せる」と言ったことだ。このあとの言葉はそのまゝにして、わたしはそれからあらゆる術でおまえの結婚の口を探し廻った。
お艶にはなお、これが伯母だとか義姉だとか異母妹だとか、他人を勝手に引張って来て勝手にそう思い込み、そう思い込むが最後、その通り肉身 の気持になれる幾人かの女性がある。わたしは、それ等の女性とかの女の遺志と思われる方向にめい/\附合って来た。そのとき、おまえ、蝶子なるものに対する交際や気持もこの範囲を出ないで冷静なものである。たゞお艶の生前の気持が蝶子には特に重くかゝっていたらしいのでわたしの気配りもその範囲内で深かった。
蝶子、何事もお艶によって決断に慣されて来たわたしのすることに後悔はあまり無いとするも、わたしは、無意識にもお艶を失った寂しさのあまり、おまえに世間を見せるつもりで伴れ出し、おまえの好みをタテとして遊楽や行歩した一年あまりの日の数々を深い感慨をもって眺め返さないわけにはゆかない。おまえははじめわたしの洒脱と親切に心置きない父親を得た心地してわたしに親しみ伴って来たと言う。しかし蝶子、おまえもたゞの娘ではなかったのだ。おまえの親系にはあゝした故障があり、それ故に、蝕まれた心の口には秘かに同類の痛みのものに向って慈愍となつかしさが絶えず滲み出る性質でないことはなかったのだ。蝶子、おまえの上部は明朗で如才ない。ちょっと狡いのではないかとさえ見える。だが、わたしはいつの間にかそれを透しておまえに寂しいものと、寂しいものを慈しむ厚いあたたかいもののあるのを感じて、だん/\離れ難くなって来た。おまえは「おじさんのお守りをする」と言うし、わたしはまた「おまえのお守りをする」と言った。
一つは結婚の談が数あって、永引いたのもよくなかった。現代に娘が急に結婚を思い立ち、求婚の角笛を無垢嚠喨と吹いたところが直ぐおいそれと世間の男たちがその笛に乗って躍るものではない。彼等は求婚に対しては優位の資格から揣摩憶測 し、比率較計し、殉情より利益を考える。わたしは見合いという様式によっておまえがデパートの食堂の食品見本のように人前に曝され、相手から目度分別されるのを屡々するに堪えなくなって来た。求婚は千三つだ。「心臓を強くしなさいよ」とはじめは慰め励ましていたわたしが、だん/\屈辱の憤りを感じて来て、「勝手にしやがれ」と気を短くしてしまった。
だが、これにはおまえも悪いところがある。実を言うとそれ等の数ある結婚談を蹴り、または永引かしたのも悉くおまえの方寸のためなのだろう。それでいながらわたしは決してその罪をおまえに帰させ度くない。全くわたしがおまえに代ってもそうするに決まっていたのだ。生涯の男、それはこっちに躊躇心慮する暇を与えないほど、何等かの意味でこっちを根底から揺り動かすものがなければならない。彼等の何れもにそうした因縁愛的な魅力を備えているものは一つもなかった。
わたしが自分を遂にそうと知って悶々の末、決断しておまえに恋を打ち明けたとき、おまえは呆れた。しかしおまえはそれを光栄とした。なぜならば、おまえはわたしの生涯の外面的なるものを知り、洒落の風流人で江戸っ子気質で、ソレ者で通人と言われ、ときには放埒無慙の人物のようにも見えている中年過ぎの俳諧師が脱然、胸を断ち割って動く本心の心臓を見せたからだ。わたしの初恋の人として敬意を運んだからだ。わたしは年甲斐もなくおまえのような小娘に何故それをなしたのだろうか。
おまえは桐の花に花桔梗を混ぜたような声を持っている。この声の耳触りはわたしの永年世俗に従うための克己努力によって殻に殻を重ねてしまった松株のような心に容易く浸透してわたし自身の中なる本質のナイーヴなものをわたし自身に気付かせる。
おまえの姿は可憐にも瑞々 しく盛上っている。そしてどのように置き代えてもちゃんとして格式の見える身体の据りに躾けで鍛えられて来たわたしの趣味の嗜慾は礼拝歓喜する。
おまえの容貌は純真の美そのものであると共に家附の娘のウール・ムッター(根の母)の格が豊かにしっかりした顎の辺の肉附に偲ばれる。わたしに何か言われて詩を想うように嬉しそうな眼で上眼遣いに考える。それは夢の国に通ずる。
これ等はみな、わたしの方がおまえに索 かれる魅点ばかりを述べたものだ。ところでわたしがおまえに与える魅点の番である。
おゝ、憐れなるアドルフ・マンジュウよ。こゝへ来て、わたしの口は凋 む。わたしは蝶子、おまえに恋を語り出たとき、自分の年齢の事も言わなかったし、わたしの容貌のことも言わない。わたしが唯一の頼みとするところは、お艶が死んで、鋭い丸鑿のような痛苦に抉 られて一たん絶息した想いを潜ったのち、心の底から新鮮な若さの木地が見え出した意外な事実と、お艶がさすがわたしの永年のおじさん役の忠勤を賞でゝ、この世では使い剰りの青春をたっぷりわたしに呉れて行ったような気持と、それからわたしの十八年間の禁慾生活から来る精力の蓄積の自信である。わたしはかなり多くの青年と語りつゝ、ひそかに彼等と精神の弾力を較べ試みてみるのだが、どうしてもわたしの方に若さの粘りがあって、美しき夢を捉えて現実化する努力と冒険心に於てわたしの方が余程すさまじいものを持っているとよりしか思われなかった。恥かしさと飛びかゝり度い気持と捻じ合うあの切ない胸の中のときめきは、紙に染めたらおまえの好きな鳳仙花の花の汁の色にもうつりそうである。
お艶は、死ぬ間際まで、とき/″\わたしの髪の毛に指をさし込んで好もしそうに掻き上げて呉れながら「美しいおじさん」と言って呉れたものだが、それをおまえに伝えたとて、嫌味なプロパガンダになるばかりだ。あの恋の打明けばなしの時、わたしはおまえの魅点だけを語って、わたし自身の魅点には一切触れなかった。あのときは実際、それに触れなかった。あのときは実際、それに触れなくてもよかったのだ。わたしはおまえに惚れっ放しで、そしてわたしはおまえから何の返しも要求しなかったのだから、やはりおじさんの恋なのだ。それゆえ負担のないおまえは呆れながらも「光栄ですわ」と言えたのだ。たゞわたしはこれだけは言った「最早やこうなったら、わたしの惚れているおまえのために嫁入り口は探せもしないし、相談にも乗れないよ。あんまり空々しくて偽善だよ。だから済まないがそれだけは一人でやってお呉れ。どうせ、わたしのこの恋ははじめから失恋を覚悟してかゝってるのだから、それに就ては何の遠慮もわたしに要らないよ」
ところが、その日は訣れてその翌朝、わたしは猛然と立上っておまえに結婚を申込んだ。前夜一晩考えて、わたしがおまえと結婚することはわたしの為めばかりでなく、おまえをも幸福にするその結論に達したものだから。
おまえは困ってしまった。おまえは言った。「あたしがおじさんのお嫁さんになるの。||そんな気持にはとてもなれないわ」と。おまえはまた言った。「あたしは何でも話せるいゝパヽを見付けたつもりで悦んでいた気持の外は何にもないのだから||」わたしは、嘆きながら温順しく待つ外に道はなかった。わたしはおまえの気が変るまでいつまでも待つと言った。
その夜わたしは、秋雄と愛の肉体的と精神的とに関するいろ/\の問題を検討していた。そしてわたしはおまえへの恋の打ち明けから求婚まで何一つ隠さず相談して来た庵の同棲者のこの秋雄からお艶に関して彼とかの女との間柄に就ての意外の打ち明け話から、わたしは天地もひっくり返る想いをし、こゝに新なる心理に門出した。
····························································
わたしはこれを聴いてから三日の間に三段に心がでんぐり返るのを感じた。まず最初は秋雄の手を取り激しく振って言った。
「よく、そうして呉れた。わたしの最大の苦しみは、わたくしの義理のためにお艶が十八年間も禁慾していたということだった。しかし実はそれが無かったのだ。わたしはこんなに生れてから重荷を卸 した気持のしたことはない。おれは君にこのようにお叩頭 をしてから、何でも奢 るよ」
次の夜が来たときわたしは秋雄を避けてさめ/″\と一晩中泣いた。それは青年になってからは嘗て零したことのない涙だった。わたしは青年になってから父のため師匠のため、その憐れな心根を察して何遍か泣いたことがある。しかし自分自身の不憫さについては子供のとき以外泣いたことがないではないか。躾けが筋目を言い立てゝ自分のために泣くということはヱゴイズムで自分に甘える嫌味な涙とした。
その夜は心逝くばかり泣いた。われとわが躾けを外ずして、わたくしは自分のために始めて泣いた。その生涯の馬鹿正直さ加減を、おかしな男気を、ヒロイズムを、自分を捨てゝ人の注文に嵌るその偶像性を、その見栄坊を、嘲りながら泣いた。わたしはその夜、わたしのために一生涯の分量の涙を零した。もうわたしとしてはこれでいゝではないか。あとに残る天外孤客の感じ。そんなものはどうでもいゝ。
わたしの天地を覆えしてしまったほどの大きな偽りを、わたしに構えて世を去ったお艶を、わたしは憎むべき筈なのにどうしても憎み切れないこのもどかしさに、またわたしは翌日の一日を費して考え込んでしまった。心の中に声が聞える。「おじさん、ねえ、それでいゝでしょう。」すると、わたしは是も非もなく抗意も何もかも投げ出してしまうのだった。所詮 かの女は頑是 ないこどもの大人である。わたしはこの子供に向ってどの手でもっても争う術を知らない。
秋雄は平常通り明朗だ。わたしの七転八倒を傍で愉快そうに見ている。彼はお艶が世を去ってからしばらくこの庵中の空気に絶えていた生死の沙汰のスリルがわたしの今度の恋愛事件で復活したかのように生々としてわたしの相談に与り側杖の覚悟もした。わたしは秋雄にお艶のため礼こそいえ、怒る心はなかった。訊けば、彼とてもお艶に愛し取られるまでに、お艶のため天地も覆えるほどの偽りを構えられた経験が三つもあったという。彼はそれを覚って、怒心頭に発し、一時は激しく争いまでしたが、あとで顧みて、かの女が自分を得たいたゞ一筋の火のために斯くまで苦心したことを想うといじらしくなったという。彼がお艶のために生涯を棒に振ったということはむかしからわたしに彼を慈ましめていた。彼はお艶との恋愛事件から親の代よりの職業を退いてわたしの市塵庵に入り、わたしの弟分の俳人となり、それから江戸派の俳句をわたしと共に現代に再興するに与って力があった。わたしにもし万一なことがあった場合に市塵庵の当主となり、江戸派の俳句を指揮して行くのは彼であるであろう。わたしがお艶のため専ら古典の歌詞歌曲を漁るに対し、彼はモダンを研究してお艶の芸を培 った。このモダンを媚薬の如く忍び込まさずして何で古典だけでお艶の歌謡があれほど大衆の心を掴み取れよう。彼ははじめ、わたしを、彼が愛するお艶に尽して呉れるおじさんとして親しみかけたのだが、やがてその架け橋を除ねて直接わたしに親しむようになった。女に生涯を賭ける人間の哀れさが男二人をそうしたのでもあろうか。そも/\お艶という女の異常な魅気の制禦的な親和力がそうさしたのか。二人は兄弟とも叔父、甥とも、何とも名状すべからざる親身の繋りになっている。今、わたしから離縁し去った後のお艶の内実の良人は秋雄であったと知った、わたしに死んだお艶に対する未来永劫の義務と思った一部の権利を放棄する念が萌し始めると共に、その空間へ心の軽さ、また寂しさが襲って来る。それはまたわたしへの欺き手の組合人と知りつゝ矢張りわたしを秋雄へ慕い寄らさせずには置かない。
「秋雄、ちょいと三味線を持って来て呉れよ」「珍らしいな、おじさん」
わが恋は細谷川の丸木橋、渡るにゃ恐し渡らねば、思うお方にゃ逢えはせぬ。
川の渡りは無事だったか、家の首尾は。
別に心配もしないが、おまえとわたしがこうなってからの最初の手紙をいま書き出そうとして、その書き出しを何と書こうか、とつおいつ思案の末、却ってあっさりこう書き出した。いかに思いを籠めようかと千々に心惑った揚句、白紙にたゞ「なつかしさのあまり」と書いて封じ遣ったむかしの人の心遣りのように。
別に心配もしない事柄を普通の手紙の問候のようにわたしは冒頭に書く。だが選み出したこのあっさりした言葉によって尋ねかけるわたくしの胸の中の愛の厚みや拡ごりを、||ああ||その無限を、おまえは知るか。
おまえを自動車で送って、わざと鷺市の中まで入らず多那川橋のずっと手前で別れてわたしは庵へ帰って来た。庵の茶の間は弟弟子の秋雄によって珍らしく綺麗に掃除され、電灯も明いように感じられた。その下で二人は番茶を飲みながら少しばかり語った。
わたしは秋雄に「心が通じたという安心はどんなに人を落付かせるか知れないね。こうなったら逢う逢わないはたいした問題じゃない」と言った。秋雄は「その落付きはまず今夜か明日の昼ぐらいまでは続くでしょう。けれども、明日の晩あたりからはまた危ないね」と笑った。彼は、わたしの非常識極まる決心を聞き、側杖の決心を彼もしなければならなかった今朝の暁の雨を思い出で、それに較べる今夜の虫の音の静けさを味って流石にほっとした容子である。二人は男世帯の気さんじな庵の中に敷き放しにされている北窓の下と南窓の下の寝床に、分れて寝に就いた。
蝶子、おまえはきょう昼過ぎわたしの庵へ出て、わたしから突然乱暴なわたしの決心を聞き、「まあ恐ろしい」と言った。その決心というのは、是が非でもわたしはおまえの肉体を一度は自分のものにしたい、その望みの実行だった。その無礼に対しておまえが謝罪を要求するなら貞操
さらでだに悶々の情に堪えないで来たわたしのおまえに対する情熱は、ゆうべの夜中頃からいよ/\張り膨らまり、もはや最後の手段を取らないでは居ても立ってもいられない気持になった。やり切れないこの気持でいるのにわたしはちょうど向島の
わたしはまだそれほど打ち融けたがらないおまえに市塵庵の茶室の壁に肩を並べて
蝶子、わたしはおまえに対してそれはわたしの芸人の
蝶子おまえは知ってるかどうか知らないが、わたしの前身は

客がふと便所へでも立つらしい場合は、彼は「おはゞかりですか、はい/\」と言って伴って行き、便所の戸を開けて客を中へ送り込むところから客の出て来るのを待ち、一杓の水と懐から新しい切り立ての手拭とを用意して戸の外に立っている身のこなしには、無雑作と思えるほど嫌味のない中に気をつけてみれば五分の隙も見出せなかった。それでダンスに浮身を

そういう
彼は言う||すでに買われた幇間である、
大概の芸人はそうなのだがわたしの父は特に名誉餓鬼だった。理由を訊けばもと伊勢藩の儒家の出で、その兄弟には発明に凝って乞食に成り下ったものもある代りに二十歳台で当時大阪の学界で碩学の誉れ高かった夭死の人物もいたという。わたしの父は流浪の末その器用さから芸が身を救けて東都の一部間の踊の師匠にはなったが、天才的の家系とのみ信じ切っている彼は、自分の卑賤に陥った身の上を運命にとのみかずけて、つね/″\世を恨み人を恨みながら家名
蝶子、わたしは子供の時自分が心底から嫌いな芸人風情にならされることにどんなに歎きを感じたか。師匠の家から小学や中学に通うのだが級友たちがいつかわたしの身柄を知って「やい、小狸」と呼びかけるのをどんなに侮蔑と感じたことか。すでにならされた以上、出来るだけそれに没頭しようとしてどんなに自分自身の好みを殺すのに骨を折ったか、多少はいつかおまえに話したつもりだから今更書くまい。わたしは内弟子として師匠の飯の給仕や使い走りの暇をみて、師匠の言い付け通り、そこに在り合うお飯櫃のようなものに向い、それを客と見立てゝ、扇を片手におべんちゃらや軽口を稽古しながら眼に涙は絶えなかったことだけを聞いて置いて貰う。
師匠の鯉丈はその時分長命の芸人によく有り勝ちな枯淡厭世の時期に入っていた。
「泣くだけ泣けば思いが晴れよう、おれは見ていてやる」これが師匠の僅に少年のわたしに与えて呉れる親身の親切なのだが、思いが晴れるほど泣けただろうか。わたしがやゝ安心して泣き出す姿形を見て、師匠は「なんてい野暮な泣き方をするんだ」と叱言を言ったり、「下手だなあ、それで芸人の泣き方といえるか」と
世の中に躾けというものがあって、これに較べたら自分の好みなぞというものは物の数でもないのだ。この事実をわたしは少年の日から骨身に厳しく刻み込んだ。修業の甲斐があり、またわたしは私立大学の文科も卒業して||師匠はこれからの幇間は学問がなくちゃ駄目だといってわたしをそこへ入れた||年齢より早く売出し、少しは人気の出た若手幇間になった。そのときもう全くお座敷から離れてたゞ一個の雑俳を弄ぶ隠居に成り切ってしまっていた鯉丈は、珍らしく彼の隠居の部屋にわたしを呼んだ。「春や、学校も卒業し、世間にもだいぶ売出して来て結構だと思っている。それにつけて女の噂もちらほら耳に入るが、幇間の身分としてこれ丈けは心得て置いて貰いたい。」幇間が自分土地の商売女とは関係できないこと、もし止むなく出来ても自分土地では決して遊んではならないこと、よその土地の商売女相手に金で買われた場合や自分が金で買う場合のこと、また相惚れの場合のことなど||こんな事に対して花柳街で伝統的に仕来られている掟は最早や師匠に言われずともわたしはとっくに知っている。今更、何をいうかとわたしは手を閾外につかえて聞いている。師匠は言った「素人衆の女を相手の場合は、これも向うから金で買うような奴なら商売人同様だから何のいざこざも無い、いくらでも金をふんだくれ。しかし若し相手が本手で惚れて来たという場合は、これは大事だ。その弱味につけ込んで相手をおもちゃにしてはならない。はっきりこっちの心持を判らして金で買って呉れるようなご
蝶子、おまえとわたしは四方締切りの茶室の中に半日以上もいた。ときには肩に手も組んだ。炉に
生れて始めてのような恋を感じ、やり切れない切なさを感じ、病的にさえなっているわたしとして、どうして斯かる際に決心を実行に移さなかったか。
わたしの順々に打ち明けて行く心の秘密に撃たれておまえは身体の性さえ抜けたと言った。わたしの肩近くに身体を斜にし、やゝ髪を乱して
花柳の巷にまた一つ
女を口説くのに男が涙を見せては将来負けの分で附合わねばならぬこと、女を口説くのに自分の秘密を握らしては男の急所を握られたも同様なこと、わたしは花柳街の人としてこんな情事のかけ引は朝飯まえに知っていた。それから女を自分に蕩し込むにはまず
おまえはわたしの話の大半を聴いたとき、急にわたしの肩を抱え、涙をさん/″\と流して「何という可哀相なおじさまなの」と言った。それからわたしの孤独を揺り華やがそうとでもするように抱えた肩を涙と共に揺った。「あーあ、おじさまってば/\」美しく乱れたおまえの額の下に在ってわたしは腕組をし、薄く眼を瞑っていた。わたしはやっと竹の節を抜いたあとのような気の衰えを感じていた。
わたしの秘密というのはこの間
わたしはとき/″\職業上の関係からかの女と一座した。その無口で陰気さ加減には不思議なものがあった。何かわたしの心を焦立たせ、かの女の内気を掻き廻してしまいたい乱暴な気分をわたしの内に起らした。わたしはそのときむろん気はつかなかったのだが、わたし自身子供のうちから躾けというものによってすっかり取り籠められてしまっている自分に対して限りない恨みと愛愍の情を潜在させていて、それと同じ状態のように見えるかの女を見出し、ヒューマニスチックな義憤を感じたのではあるまいか。
わたしは日本橋の幇間だし、かの女は柳橋の芸者である。逢曳くに何の妨げもなかった。わたしはしば/\鉄の欄干と枝垂れ柳の柳ばしを渡り、また河岸を代えたところへかの女を連れ出した。
一年後にわたしはかの女を身抜きして宿の妻にした。
わたしの潜在的なものは一ばん底にかの女に吸込まれたこと、その次の層は前に述べたようなヒューマニスチックの義憤であったが、普通に意識されるはじめの気持はこの芸者らしくない変った女を一つ手に入れてみようかぐらいな遊びごころであったらしい。なお、傍因となるものは、いくら眼立たない女にしろ潜まっている魅気にかゝってこのとき既に二人の若い芸人がかの女に吸い寄せられていた。わたしが遊び心と思うようなものを振り捨てゝかの女を宿の妻というような絶対な心を起したのは一つはそれ等の恋敵の鼻を明かしてやり度い若気の競争心もあったらしい。かの女の生れは東京近在の
わたしはそういう家からかの女を抜くためにどのくらい骨を折ったろう。父や師匠の手前も随分無理なところがあった。わたしはかの女と歴とした媒酌人を立て結婚式を挙るまで遂に肉体の交渉はしなかった。これを聞いた人は芸人の癖にと
わたしの父はわたしに「何でも日本一になれ」という自分の理想を満足させられそうな希望を幾分見出し、近いうちに自分の踊り方の
師匠はまた師匠で自分の
わたしが嫁の事に就き彼を裏切ったことによって師匠は大の不服を覚えたが、なおわたしの上に自分の後嗣者として芸術家としての幇間の夢の実現は捨てない。
わたしは宿の妻を得て満足のうちにも、父と師を裏切ったことに対し憫然の情に虐まれ、妻だけは自分の好みを立てたがあとは何物をも犠牲にして努め励み、どうか二人に酬ゆるに足るほどの彼等の満足を得さしめてやり度いと秘に心に期するのであった。わたしはそのとき二十を充分過ぎた一人前の男である。いくら父でも師でも、わたしに対し面と向っては
蝶子、わたしが小娘のおまえに年甲斐もなく
わたしは育て上げたお艶を、あまりにも愛のスケールの大きい女にしてしまった。わたしが嘆いてかの女を揺がすとき、かの女の心の中にわたしと同列している幾人かの人への愛をも揺がす恐れがあった。それらからかの女の魅気は、それを運び出したこっちの衷情を無意識のうちにも取り食って自分のいのちの滋養にしてしまう作用をした。それらの
話は前に戻って、わたしは一方で宿の妻としてお艶を得て幸福を味い、一方おのれを抛って父や師匠の理想の犠牲の道具になろうとしている。わたしは幇間の方はなるべく蕪雑なお座敷は断って、高級な方ばかり勤め、余力を作って俳道を励んだ。収入多かろう筈はない。わたしはお艶に貧乏さした。お艶に当時のこころを訊いてみるとかの女は言った||貧しさはちっとも嫌ではない、たゞあなたが専心に自分に向って呉れないのに失望を感じたと。そりゃそうなのだ、いくら選び捨てると言っても幇間はお座敷が商売である。出る夜は多い。わたしに稚気もあって、女房持ちになってから兎角家にこびりつく、つまり野暮だと言われ度くないために仲間の
ところがお艶という女は聖女と童女と混った女である上になお魔女のところもあった。かの女が男を得ると、その男の心にまだ安心ならないうちは男に対して二時間でも三時間でも一室中に瞳と瞳と合わして睨み合わさす
夫婦となってしまえば素人ですら二三年の後には男女としての間柄の興味は失せてしまう。ましてや垢抜けしている筈の芸人同志である。如何なる恋女房も恬淡で事務的な世話女房として見出して来る筈である。わたしはそうなりつつあった。だが、かの女はそうならない。寧ろかの女の男女的の情熱は結婚後にわたしに向けて
わたしはかの女の情熱の
「お互いに胸の奥で
わたしは或日、遠出の客に誘われ江戸川を渡って秋の紅葉を見に江戸川端の丘にある真間の弘法寺へ行った。客というのはもう遊びも仕飽きた旦那で、連れて行く取巻も老妓を混ぜた男芸者四五人。いずれも俳句はちょっと捻れる手合なので、帰りに市川の河沿いの料理屋でわたしを判者に運座の真似事をした。晩飯になって酒が弾んだ揚句が、一つ
わたくしがわが家の門へ一歩入ると、そこへ飛出して来た妻のお艶の顔を見てわたしは
もっともかの女をこう嘆かせたには智識的幇間のわたしの優越を嫉みながら先輩なるが故に兄貴振りたがり、その上、わたしの妻のお艶に横恋慕していた古参の幇間が、帰京した老妓からわたしの消息を聞き、これはうまい種が出来たと、その消息に、

芸人の妻の癖に、
わたしがお艶と結婚するとき、わたしの過去に於ての情事は律義な素人衆の結婚前のように花嫁お艶に告白してある。お艶はわたしを花柳街の芸人としては負傷の少ない方と思って喜んでいた。それを今度は、わたしに商売女による陥ち込みがあったと取ったのでお艶の打撃は酷かったのだ。
一年ほどの間お艶は精神を壊してたゞ死に度い死に度いとばかり言っていた。事実死に兼ねまじき所作もあったがお艶は最後のところで思い止まった。わたしたちの間に一人の娘の子が生れていた。この子は十二のときに歿くなったが、お艶が遂に死を果さなかったのはこの娘のためと、当時親師匠のために自分まで名誉餓鬼だったわたしの世間態を
わたしは今まで来た生涯のうちでお艶のために首の座に直った気持をさせられた事は数え切れぬほどである。だがあの三年間ほどあす知れない命と思い続けた日々はなかった。わたしはお艶をこうした原因がわたしに在るのを深く悔いている。お艶の深い懊悩の傍に在って、もしお艶が一口でも「あなた一緒に死んで呉れない」と声をかけられたなら、寧ろ悔が取戻せるように喜んでわたしは死んだであろう。当面の気持としてその方がどのくらい楽かも知れなかった。だが流石にそこはお艶だとわたしは今でも妙な感心の仕方をしている。かの女はその一言を言わなかった。かの女にすればわたしにいつまでも自分の深い懊悩を眺めさして、わたしに幾久しく悔いさせてやるという執念深い復仇の念と、これほどの結果になるとは知らずにこの人はうっかり仕出かした事だのに可哀相にという憐みの心とが組打ちしてかの女の口を開かせなかったという。
お艶という女は「もう取返しがつかない」という言葉をよく口癖に言う女であった。例えば襦袢の布れ一つ裁ち
わたしは派手な一座をして踊り狂ったお座敷から帰って来る。すると電灯を暗くした部屋の中でかの女は呻吟いている。わたしはかの女の額を叩いてやりながら疲れてその傍で寝る。既に精神が壊れている病女なのだ。夜中に急に狂って激発し、眠りの中にわたしの息の元がいつ止められるかも知れない。わたしは朝ふと眼覚めて朝湯に行き、湯屋の鏡に向って生きて動く自分の顔に会うのが何だか不思議に思える朝な朝なであった。
蝶子、わたしがおまえにたゞ一回稀有のことを望み、しかもその謝罪の代価として人間が最も惜しむ生命すら投げ出すという決意を聞いて、おまえはわたしがあまりに易々と生命のことを口にしたり取扱ったりするのに疑念や嫌味を感じたかも知れない。しかしそれは決して脅しでも気取りでもない。わたしに取ってはそれは身体から離して捨てるのにかなり稽古が積んでいるのだ。お艶の病気中、わたしはそれを稽古したし、それから幕末維新の苦難な芸界を経て来たわたしの父親も師匠も、何ぞといえば難事掴得に支払う貨幣として生命を引宛てることを言った。踊りの立廻りにまた幇間の職業上の強酒の稽古に、両老は口癖に「命がけでやれ」と言って
蝶子、それゆえ、わたしがおまえの娘時代に於て最も貴しとするものと引換えにするわたしの死なるものは、実はわたしに取ってそれほど高価なものではないのだ。けれどもわたしが死以上に高価でありとするわたしの生をおまえに支払おうといったところで、おまえの中なる通俗性はそれに道徳的な貨幣価値を認めはしまいし、従ってわたしの誠実を疑いもしよう。止むなくわたしは通俗に準じてわたしの生命を賭けたばかりだ。ところでお艶は三年間ほどの間、死に度い死に度いと言い続けて来た。それも、子供にひかされ、わたしの体面を重んじ、得果てざる間に、むっくり起き上った。そして
かの女はまた言った。「いくら色気抜きの兄さんでも、あたしは兄さんが他の女にとられるのを見ちゃいられないわ。だから済まないが
わたしはこれも承知した上、かの女自身の誓いをも信じた。
蝶子、かくてわたしは、さよう、おまえが物ごころつく時分から今の娘になるまでぐらいの歳月の間を、絶対に異性の肌には触れなかった。
蝶子、こればかりでなくわたしという男は花柳界に人となり、芸人の癖に身状の上の女の印跡は案外、寥々たるものなのだ。わたしがもし自分のゲシュレヒツ・レーベンを書いて見たら恐らく相手の異性の数は当時の地方のその点放埒にされている青年よりずっと少ないかも知れない。外部からの理由としては直ちに例の芸人の躾けへ持って行けるが、内部的にはわたし自身の性格に帰する。わたしはこれが江戸っ子気質の通人意識から来るなぞという自惚れは
わたしが
彼女は訓戒する||「料理屋さんなら独りで行って遊んでもいゝが、待合さんへは決して入ってはいけない。あんたの名が悪くなるから。」彼女はわたしにとき/″\取り代えて若い芸妓の雛妓を愛人としてつけて呉れる。二人は身体に間違いのない逢曳は許されるが、その他はお品の声がゝりによって花柳街総がゝりで厳重に監視する。止むを得ずわたしたちはその範囲内で
蝶子、わたしはおまえに何でこんな自分の意気地なしを語り度がるのだろう。わたしがお前にきょうとい望みを起した理由の中の一つになるのだから、わたしはお艶にさせられた多年の禁慾の他、なおこうした他から強いられての禁慾の歴史を持っているのだ。斯くて永らく女から遠ざかっていたわたしは女の肉体なるものに仄かな月明りを感じ、神聖な白い碑を感じ、長生の霊果を感じるのだ。この頃よく/\考えてみるのにわたしは生涯に自分自身のためとして何一つこの世にいのちを彫り止めたものがないということが判った。それがいまわたしはわたしの恋ごころを必死の
いわゆる人の恩を返すということにかけてはわたしほど恵まれた運の人間は少いだろう。父親のためには彼の理想の踊りの名跡に於て事実上日本一の幇間になり得たし、師匠のためには、この野暮と田舎風の俳句横行の時代に、江戸座の俳諧を再興するほどの業
蝶子、おまえはわたしがお艶のおじさんとなってお艶のために尽したことはかなり知っている。お艶の望みは自分の中に悶えている人間の心情の最高の美しさと最深の苦悩とが幽に激しくもつれて融けるあの魂の至情を出来るだけ多くの人間に彫り込み度いというのに在った。わたしは当時、世に行われ出した蓄音器を表現舞台とする流行歌謡曲に眼をつけた。わたしは逸早くその世界にかの女を押出した。わたしは人知れず古謡と古曲を漁り、これを現代の好みに向けて再生産した。わたしは彼女に歌謡の章句を噛み味わせ、自分から三味線を把って歌い巧ませ、大衆の好みの在るところをかの女に差し示した。何でかの女がその社会の名手にならずに置こうぞ。一個の有能の男子がいのちを籠めて息を吹き込むのであるから。しかし、かの女にも偉いところがあった。かの女は自分のいのちの好みを守る場合には磐石のように重くなって動かない女だが、そのために尽して呉れると判った人にはまたおのれの全部を投げ出して与えた。そのときかの女は羽毛のように軽くなってその人に添った。わたしはかの女に「わたしの指図だ。日本橋の橋の上で裸の大の字になりなさい」と言ったところでわたしが傍にさえいたらわたしの方を子供のようにちろ/\頼りに見ながら群立つ人々を人臭いとも思わず、赤子の寝起きのようにやおら裸の大の字になり得る女だった。男としてこの意気を見せられ何で力を籠めずに置かりょうぞ。それはわたし一人ではなかった。かの女を後援する幾人かの男は、この捨身の寄りかゝりにかゝってみなわれを顧みずに援けにかゝった。かの女はまた、とき/″\予習して行った既定の歌詞の章句や歌曲から全然離れてその場の思いつきで何事かを唄い出すときがある。これは思いつきなぞという軽いものではない。全く人間の巧みを離れていのちそのものが噴き出し唄い出すのだ。その歌や声が人界を離れて優しく神秘に融遊するさまは天界の聖女の
ラヂオというものが出来てからかの女が名手の名を獲得する舞台は数百倍に拡がった。かの女の本真は芸術の坪をはみ出して生活に情熱を
次いでお艶はわたしを「おじさん」と呼び出した。如何にそれがいろ気がないばかりでなく女に対して義務のみで、権利は一つも主張されない都合のよい呼名であることよ。蝶子、おまえもお艶に習ってわたしを「おじさん」と呼ぶ。秋雄もそう呼ぶ。あーあ、やんぬるかな。
お艶は名に於てわたしをおじさんと呼ぶと共に実に於てわたしにおじさんと同じような世話を焼かした。幾人かかの女が生涯で次々と愛し取った男女をわたしはお艶諸共、迷惑にならぬために、わたしは支えたり庇ったりした。わたしが庵に同居し俳道の弟子にする秋雄と俳名する人物もその一人である。もとはその職業界に於ても嘱望されていた一廉の青年紳士だったが、お艶は彼を前途から

お艶はかゝる事件を
しかし、最初のほどはまだわたしにかの女に対する未練からの嫉妬があり、臆病からの世間態も考えないことはない。そういう煮え切らないとき、かの女はわたしの胸に取付いて必死に言う。「おじさん、いゝでしょう、ねえ、いゝでしょう」するとわたしの中で躊躇停滞させていたものが一種の光栄あるやけ力で弾ね飛ばされ、いざというときかの女を小脇に引っ抱えて立退こうとする仄明るい死の世界までが眼前に覗かれて来るのだった。「よし、やりなさい。」けれどもわたしは、なお心の震えが止らないので諦めの言葉でこう勇気付ける。「やり損なったら滅びる許りだ。どうせおれ達は滅びる人種にできている。」するとかの女はそういうわたしの顔を怪訝に見上げながらわたしの襟を揺り「どうしてこれっぽっちの事で、そんな大げさなことを言うの。怖いわ。いゝえ、あたしは滅びるのなぞ嫌です。」わたしはこれを聞いて女の本能の強さというか、いのちの逞しさというか、とにかくかの女の奥底知れないものにぶっ突かり、首筋を掴み上げられるように勇気立たされるのであった。
わたしは何回かこういう危機を冒してかの女を庇い通して来た。自分自身に対して根性悪く考えれば、人生に必要なスリルというもの、それをわたしは自分自身の為めに起す力を失ってしまっている。わたしはかの女がいのち賭けで起して呉れるそれのお相伴に与って、僅に人生の
そしてこの惧れが無くなった日に遭遇してみて、あまりに天地がぽかんとしたのにどうしてあの時分のその覚悟が自分の力で出来たものかと不審がられるくらいであった。かの女は元来壊れ易いものに出来ていた。その癖、自分を壊れるか壊れないかの界まで試みてみなければ承知できなかった。かの女の生涯の口癖は「
かの女に取り、兄さんからたゞのおじさんとなったわたしには、かの女を女の生活の総ての方面で成就さすことはまたわたしの成就でもあった。わたしはかの女を世界一幸福な女として花開かしたいものだと希ったのは取りも直さずわたしの世界一の幸福を意味する。他の関係筋ではかの女と精神肉体ともに悉く交渉を打切られてしまったわたしは、ただ親切という管に於て、たゞかの女の最上無上の幸福に努力するということだけに於て、わたしの肺臓は
女の幸福には、先立つものはやっぱり金だ。幇間の
蝶子、お艶が病気で死んだとき、お艶やおまえのいわゆるおじさんは悲嘆は別として、まずかの女に見果てぬ夢はなかったか、気がゝりなものは無かったか、それを心の中で探してみたものだ。それがわたしのかの女に対する残った愛の仕事だった。勿論かの女に死ぬ気はない。かの女のような女はいつの間にか精神上から死の世界を拭い去ってしまった女であろう。それ故に遺言というものをしない。わたしはたゞ平常の言行や素振りで察するだけである。
わたしの胸に直ぐ来たことは、指折り数えてかの女の十八年間の禁慾生活である。それはかの女がわたしに「二人はお互いよ」と誓ってわたしもそれを守って来たものではあるが、それにしても肉体の均
それはかの女が生前、おまえを肉
だが、おまえの結婚というものはおまえがたいして望んでいないだけにこれはちょっと骨が折れる。わたしはおまえを庵へ呼んで多分お艶がおまえに向ってこれが気持だったと思うところを述べて、おまえの気を結婚に向けようとした。お艶にしてみれば自分のいのちを燃やし切ること一筋に気を入れ、殆ど他人の世話に力及ばなかったことを顧み、寂しい気がしたのと、それから流石のお艶も、あまりに奇矯な自分の生涯を顧みては切なく、せめて愛する同性のおまえには平凡とするも無事な道を辿らせようとしたのではあるまいか。たゞ不思議に思うことはかの女がまたそれの後に言った言葉には「総てのあとでは何でもおじさんに任せる」と言ったことだ。このあとの言葉はそのまゝにして、わたしはそれからあらゆる術でおまえの結婚の口を探し廻った。
お艶にはなお、これが伯母だとか義姉だとか異母妹だとか、他人を勝手に引張って来て勝手にそう思い込み、そう思い込むが最後、その通り肉
蝶子、何事もお艶によって決断に慣されて来たわたしのすることに後悔はあまり無いとするも、わたしは、無意識にもお艶を失った寂しさのあまり、おまえに世間を見せるつもりで伴れ出し、おまえの好みをタテとして遊楽や行歩した一年あまりの日の数々を深い感慨をもって眺め返さないわけにはゆかない。おまえははじめわたしの洒脱と親切に心置きない父親を得た心地してわたしに親しみ伴って来たと言う。しかし蝶子、おまえもたゞの娘ではなかったのだ。おまえの親系にはあゝした故障があり、それ故に、蝕まれた心の口には秘かに同類の痛みのものに向って慈愍となつかしさが絶えず滲み出る性質でないことはなかったのだ。蝶子、おまえの上部は明朗で如才ない。ちょっと狡いのではないかとさえ見える。だが、わたしはいつの間にかそれを透しておまえに寂しいものと、寂しいものを慈しむ厚いあたたかいもののあるのを感じて、だん/\離れ難くなって来た。おまえは「おじさんのお守りをする」と言うし、わたしはまた「おまえのお守りをする」と言った。
一つは結婚の談が数あって、永引いたのもよくなかった。現代に娘が急に結婚を思い立ち、求婚の角笛を無垢嚠喨と吹いたところが直ぐおいそれと世間の男たちがその笛に乗って躍るものではない。彼等は求婚に対しては優位の資格から
だが、これにはおまえも悪いところがある。実を言うとそれ等の数ある結婚談を蹴り、または永引かしたのも悉くおまえの方寸のためなのだろう。それでいながらわたしは決してその罪をおまえに帰させ度くない。全くわたしがおまえに代ってもそうするに決まっていたのだ。生涯の男、それはこっちに躊躇心慮する暇を与えないほど、何等かの意味でこっちを根底から揺り動かすものがなければならない。彼等の何れもにそうした因縁愛的な魅力を備えているものは一つもなかった。
わたしが自分を遂にそうと知って悶々の末、決断しておまえに恋を打ち明けたとき、おまえは呆れた。しかしおまえはそれを光栄とした。なぜならば、おまえはわたしの生涯の外面的なるものを知り、洒落の風流人で江戸っ子気質で、ソレ者で通人と言われ、ときには放埒無慙の人物のようにも見えている中年過ぎの俳諧師が脱然、胸を断ち割って動く本心の心臓を見せたからだ。わたしの初恋の人として敬意を運んだからだ。わたしは年甲斐もなくおまえのような小娘に何故それをなしたのだろうか。
おまえは桐の花に花桔梗を混ぜたような声を持っている。この声の耳触りはわたしの永年世俗に従うための克己努力によって殻に殻を重ねてしまった松株のような心に容易く浸透してわたし自身の中なる本質のナイーヴなものをわたし自身に気付かせる。
おまえの姿は可憐にも
おまえの容貌は純真の美そのものであると共に家附の娘のウール・ムッター(根の母)の格が豊かにしっかりした顎の辺の肉附に偲ばれる。わたしに何か言われて詩を想うように嬉しそうな眼で上眼遣いに考える。それは夢の国に通ずる。
これ等はみな、わたしの方がおまえに
おゝ、憐れなるアドルフ・マンジュウよ。こゝへ来て、わたしの口は
お艶は、死ぬ間際まで、とき/″\わたしの髪の毛に指をさし込んで好もしそうに掻き上げて呉れながら「美しいおじさん」と言って呉れたものだが、それをおまえに伝えたとて、嫌味なプロパガンダになるばかりだ。あの恋の打明けばなしの時、わたしはおまえの魅点だけを語って、わたし自身の魅点には一切触れなかった。あのときは実際、それに触れなかった。あのときは実際、それに触れなくてもよかったのだ。わたしはおまえに惚れっ放しで、そしてわたしはおまえから何の返しも要求しなかったのだから、やはりおじさんの恋なのだ。それゆえ負担のないおまえは呆れながらも「光栄ですわ」と言えたのだ。たゞわたしはこれだけは言った「最早やこうなったら、わたしの惚れているおまえのために嫁入り口は探せもしないし、相談にも乗れないよ。あんまり空々しくて偽善だよ。だから済まないがそれだけは一人でやってお呉れ。どうせ、わたしのこの恋ははじめから失恋を覚悟してかゝってるのだから、それに就ては何の遠慮もわたしに要らないよ」
ところが、その日は訣れてその翌朝、わたしは猛然と立上っておまえに結婚を申込んだ。前夜一晩考えて、わたしがおまえと結婚することはわたしの為めばかりでなく、おまえをも幸福にするその結論に達したものだから。
おまえは困ってしまった。おまえは言った。「あたしがおじさんのお嫁さんになるの。||そんな気持にはとてもなれないわ」と。おまえはまた言った。「あたしは何でも話せるいゝパヽを見付けたつもりで悦んでいた気持の外は何にもないのだから||」わたしは、嘆きながら温順しく待つ外に道はなかった。わたしはおまえの気が変るまでいつまでも待つと言った。
その夜わたしは、秋雄と愛の肉体的と精神的とに関するいろ/\の問題を検討していた。そしてわたしはおまえへの恋の打ち明けから求婚まで何一つ隠さず相談して来た庵の同棲者のこの秋雄からお艶に関して彼とかの女との間柄に就ての意外の打ち明け話から、わたしは天地もひっくり返る想いをし、こゝに新なる心理に門出した。
····························································
わたしはこれを聴いてから三日の間に三段に心がでんぐり返るのを感じた。まず最初は秋雄の手を取り激しく振って言った。
「よく、そうして呉れた。わたしの最大の苦しみは、わたくしの義理のためにお艶が十八年間も禁慾していたということだった。しかし実はそれが無かったのだ。わたしはこんなに生れてから重荷を
次の夜が来たときわたしは秋雄を避けてさめ/″\と一晩中泣いた。それは青年になってからは嘗て零したことのない涙だった。わたしは青年になってから父のため師匠のため、その憐れな心根を察して何遍か泣いたことがある。しかし自分自身の不憫さについては子供のとき以外泣いたことがないではないか。躾けが筋目を言い立てゝ自分のために泣くということはヱゴイズムで自分に甘える嫌味な涙とした。
その夜は心逝くばかり泣いた。われとわが躾けを外ずして、わたくしは自分のために始めて泣いた。その生涯の馬鹿正直さ加減を、おかしな男気を、ヒロイズムを、自分を捨てゝ人の注文に嵌るその偶像性を、その見栄坊を、嘲りながら泣いた。わたしはその夜、わたしのために一生涯の分量の涙を零した。もうわたしとしてはこれでいゝではないか。あとに残る天外孤客の感じ。そんなものはどうでもいゝ。
わたしの天地を覆えしてしまったほどの大きな偽りを、わたしに構えて世を去ったお艶を、わたしは憎むべき筈なのにどうしても憎み切れないこのもどかしさに、またわたしは翌日の一日を費して考え込んでしまった。心の中に声が聞える。「おじさん、ねえ、それでいゝでしょう。」すると、わたしは是も非もなく抗意も何もかも投げ出してしまうのだった。
秋雄は平常通り明朗だ。わたしの七転八倒を傍で愉快そうに見ている。彼はお艶が世を去ってからしばらくこの庵中の空気に絶えていた生死の沙汰のスリルがわたしの今度の恋愛事件で復活したかのように生々としてわたしの相談に与り側杖の覚悟もした。わたしは秋雄にお艶のため礼こそいえ、怒る心はなかった。訊けば、彼とてもお艶に愛し取られるまでに、お艶のため天地も覆えるほどの偽りを構えられた経験が三つもあったという。彼はそれを覚って、怒心頭に発し、一時は激しく争いまでしたが、あとで顧みて、かの女が自分を得たいたゞ一筋の火のために斯くまで苦心したことを想うといじらしくなったという。彼がお艶のために生涯を棒に振ったということはむかしからわたしに彼を慈ましめていた。彼はお艶との恋愛事件から親の代よりの職業を退いてわたしの市塵庵に入り、わたしの弟分の俳人となり、それから江戸派の俳句をわたしと共に現代に再興するに与って力があった。わたしにもし万一なことがあった場合に市塵庵の当主となり、江戸派の俳句を指揮して行くのは彼であるであろう。わたしがお艶のため専ら古典の歌詞歌曲を漁るに対し、彼はモダンを研究してお艶の芸を
「秋雄、ちょいと三味線を持って来て呉れよ」「珍らしいな、おじさん」
わが恋は細谷川の丸木橋、渡るにゃ恐し渡らねば、思うお方にゃ逢えはせぬ。
さっさ、 やれこら、
わが恋は荒砥 にかけし剃刀の、逢いもせなけりゃ切れもせぬ。蛇じゃないぞえ、生殺し。
「いよ/\珍らしいなおじさん。三下りなんて」と秋雄は言った。「うむ、だが、おれたちがお座敷を勤めた若い頃は、どんな乱れた席でも芸妓が三味線を執れば、まあ、形だけでもと言って、お座付 をつけ、続いてちょっとでもこの三下りに入ったものだな||それからめい/\客の注文の座興の唄に応じたものだ。今のようにのっけに唱歌調子の流行歌なぞは、芸妓は操にかけてもやらなかった」とわたしは話した。「またおじさんの躾け話かね」わたしは寂しくふ ふ ふと笑い、「この三下りを前に唄ったのは数えてみると今から二十八年前だ」と、つく/″\述懐した。「そのときおじさんは歿くなったあのお艶のために唄ったんだろう」「そうだ」「そして今は蝶子のためにか」「そうだ」「唄は同じだがコンディションは違うね」「相手が煮え切らねえところは同じことよ」秋雄はさすがに大きく笑った。わたしは秋雄に勧めて、巴里の新流行歌「ジュ、ジュの唄」を輸入の楽譜によって唄わして聴いた。唄のこゝろの哀れさに東西変りはない。
枕に響く夜の雨。一夜まんじりともせず考え明かしてわたしは、更に新しく到達した決意に立った。それはおまえに話して「まあ、恐ろしい」と言われたその決意だ。
わたしの人生に於て、わたしは愛人としてどの女の心も得なかった。おじさんとしてのそれだけを得た。寂しい生涯だった。たゞ唯一の暖味は、天下の歌手お艶が、わたしのためにわたし同様禁慾してるということだった。それはわたしに大きな負担を感じさせてはいたが、何となくわたしに艶気のある心情を感じさせた。それはおじさんに対する好意以上のものとしてわたしは永くお艶の死後もなお悦んで禁慾の生涯を続ける力があるように思えた。その努力に於てわたしはお艶をやゝ色っぽい心も通ずる女性として死後も扱って行けたのだが。
お艶が歿くなったとき、わたしは秋雄と肩に手を支え合いながら言った。「もはや生き支える力もないが、しかし、ともかく生きて行こう」お艶はあんな派手で電力のような女だ。眠ったとて死のような陰気な世界へは行くまい。わたしたちが下手に自殺でもしてその世界へ行きかの女に行き違いでもしたら、取り返しがつかない。何とかお艶と行く先に就ての考えが定まるまで、とにかくおれたちは生き延びて行こう。これがわたしの腹であった。いつのことか判らないが、この世のような苦楽の世界で再びかの女に巡り逢える気がしてしようがなかった。秋雄にもこの事は厳重にいい聴かした。だが、その繋りも除れた。お艶と多少のいろ気に於て繋がれていたと思われるものは除れた。わたしの禁慾はもはや人情上の片務で、意味ない。さればとてこれを今更誰に繋ごうぞ。秋雄はわたしの七転八倒を流石に心配して「身体にいろ気が籠ってるのじゃないですか、試しに金で買えるようなもので放散してみちゃ」と言った。だが、わたしは、これをむざ/\金で買えるようなものに向って捨て散らすのはあまりに勿体ない。欺かれたとはいい条、わたしの十八年間の克己精進の魂が歔欷くであろう。もはやわたしに取ってわたしというものは何の興味も希望もない。わたしは要らなくなった自分の命を熨斗 にして、わたしが今世で純粋に誠実な愛を注げたと信ずる蝶子おまえに無理にも引取って貰おうかとも思って来たのだった。
なぜ肉体を目ざすか。心を目ざしたら直ぐおじさんとして弾ね返されてしまう。そしてわたしが永い禁慾生活のため異性の身体が抽象に美化され、仄かな月明りに匂い、白い神聖な碑に見え、長生の霊薬に感じられて来たことは前に語った。
わたしの異性に向う感じは形而上に昇華し、一人の美女の肉体は幅としては世界上の美女の肉体に繋り、竪には歴史上の美女に繋がっている。わたしは今世の思い出にこのふくよかな巌にわたしの魂を刻みたい。人間には何か自分を具体のものに刻み込んで遺したい本能がある。支那の寒山という慾無しを自慢の清僧ですら、吾心似秋月などゝ恬淡 そうな句を詠み放しだけでよさそうなものを、未練らしく巌壁に書きつけている。清僧のおさとが知れる。
さて、女の壁はそのような無窮無限の壁なのに何でわたしがおまえ一人を目指すのかとおまえは訝 るかも知れない。刻むのには中心がいる。そしておまえはわたしに取っていちばん虫が好く娘なのだ。なぜ虫が好くというのか。虫が好くというのに理由があるか。
わたしの躾けは、この事を決行するまえおまえがわたしから逃れも騙しも出来る余悠 の時日を与えるように、その日より四五日以前の市塵庵の茶の間でわたしはおまえにそれを明かした。躾けとは言いながら、しかし結局それはわたしの悲痛な詩であったであろう。何でわたしがこの世に愛情の極みのおまえを、如何なる理由にしろ壊してよいものか。その底の底の心ではわたしはおまえが巧みに逃れもし騙しもして呉れて、結局わたしはたゞ一つのまことしやかな美しい思い出をおまえから胸に抱かせて貰って、漂泊の旅に出るか、放蕩無惨な生活に入るか、意識と共に姿形を消え失さすか、どうもそういうことにして貰うに違いないと念じていたことをいま気付いている。恋は心を迷わせる。あのときと今と、あゝ、わたしは自分に対して何が何だか判らない。市塵庵の茶室で、わたしはおまえの心の竹の節を抜いた。おまえはわたしを理解して呉れた。これはわたしに取っても思いもよらないことだった。不思議や、そのときからわたしに肉体的の慾はきれいに失くなった。わたしはたゞしなやかで敬虔な生物に早変りしていた。わたしがおまえに見出したおまえの無限な厚みのある、暖かくふくよかに百合の花の中のように匂って湿気のある胸にリードの儘になる一個の無心の生物になっていた。
秋雄も茶の間へ来て、一緒にわたし達はお蕎麦を食べた。おまえは言った。「もう少し考えさして頂いてから||あたし、ひょっとしたらおじさんに貰って頂くかも知れませんわ」
わたしは嬉々として「そいつは有難い」とは言ったが、||もうそのときからわたしは自分を省いて、たゞおまえの幸福のみに就て考えるおじさんの躾けを再び取上げて来たらしい。
わたしはおまえを自動車に乗せて、多那川橋の近くまで送って行って帰った。晩はぐっすり眠った。そしてその翌日からこの手紙を書き出した。書けども書けども尽きない。大事な奉納の俳句の額へ筆を染めたのはちょっとだけで、あとは飯もろく/\食わずにこの手紙を三四日書き続けて来た。たぶん懸額は奉納の式日までには間に合わないだろう。胃痙攣の麻痺薬の連飲計画なぞはどこかへ飛んでしまった。そして手紙の冒頭を書いたときの気持と、この終りを書くときの気持とはもう違っているのだ。わたしはおまえの肉体も諦めるし、わたしの結婚の申込なぞ、おまえがいろ/\探して試みてよいところが見付からず、最悪の場合に転げ込む休息所として、数多い中に一枚加えといて呉れゝばそれで有難いと思っている。何がわたしをそうさせたか。それはおまえがわたしの話を聴き終って、われ知らず飛びかゝり、「おじさん、これからこそ、ほんとに/\自分のためによ」と言いつゝそこで夢中で与えて呉れた、たった二つの唇のためにだ。わたしはその濡れてしなやかな匂わしい小さな感触を、自分の唇から切抜き、記憶の押花として胸の中に蔵い込んでいる。とき/″\出して唇に宛てる。いつも色も香も湿り気も変らない小さな押花である。わたしがそれを唇に宛てるとき、たった二つのこの唇の小さな押花から女の真ごころが身体中に痺れるほども染み亘る。殻だらけのわたしが殻だらけの世の中で、これを得たということは、せめてこれからのわたしを幸福な男と思い込むのに唯一の手がゝりになるものだ。
蝶子、おまえはおまえ自身もあの刹那のときのおまえばかりでもあるまい。しかしわたしはこの唇二つによってあの刹那のときのおまえばかりとおまえを思い込むことが出来る。そのお礼にわたしは非望を捨て、わたしを捨てゝおまえの幸福ばかりを計るおじさんに還ろう。寂しいけれども、やっぱりそれがわたしの地についているような気がする。おまえに義務は負わせない。しかしこれだけは聴かして置きたい。おまえが捧げる相手が見付かるまで、わたしはなお禁慾の生活を続けるであろう。このくらいの秘密の繋りがなくて、たゞのおじさんと仮りの姪とではあまりに寂しい。
「いよ/\珍らしいなおじさん。三下りなんて」と秋雄は言った。「うむ、だが、おれたちがお座敷を勤めた若い頃は、どんな乱れた席でも芸妓が三味線を執れば、まあ、形だけでもと言って、お
枕に響く夜の雨。一夜まんじりともせず考え明かしてわたしは、更に新しく到達した決意に立った。それはおまえに話して「まあ、恐ろしい」と言われたその決意だ。
わたしの人生に於て、わたしは愛人としてどの女の心も得なかった。おじさんとしてのそれだけを得た。寂しい生涯だった。たゞ唯一の暖味は、天下の歌手お艶が、わたしのためにわたし同様禁慾してるということだった。それはわたしに大きな負担を感じさせてはいたが、何となくわたしに艶気のある心情を感じさせた。それはおじさんに対する好意以上のものとしてわたしは永くお艶の死後もなお悦んで禁慾の生涯を続ける力があるように思えた。その努力に於てわたしはお艶をやゝ色っぽい心も通ずる女性として死後も扱って行けたのだが。
お艶が歿くなったとき、わたしは秋雄と肩に手を支え合いながら言った。「もはや生き支える力もないが、しかし、ともかく生きて行こう」お艶はあんな派手で電力のような女だ。眠ったとて死のような陰気な世界へは行くまい。わたしたちが下手に自殺でもしてその世界へ行きかの女に行き違いでもしたら、取り返しがつかない。何とかお艶と行く先に就ての考えが定まるまで、とにかくおれたちは生き延びて行こう。これがわたしの腹であった。いつのことか判らないが、この世のような苦楽の世界で再びかの女に巡り逢える気がしてしようがなかった。秋雄にもこの事は厳重にいい聴かした。だが、その繋りも除れた。お艶と多少のいろ気に於て繋がれていたと思われるものは除れた。わたしの禁慾はもはや人情上の片務で、意味ない。さればとてこれを今更誰に繋ごうぞ。秋雄はわたしの七転八倒を流石に心配して「身体にいろ気が籠ってるのじゃないですか、試しに金で買えるようなもので放散してみちゃ」と言った。だが、わたしは、これをむざ/\金で買えるようなものに向って捨て散らすのはあまりに勿体ない。欺かれたとはいい条、わたしの十八年間の克己精進の魂が歔欷くであろう。もはやわたしに取ってわたしというものは何の興味も希望もない。わたしは要らなくなった自分の命を
なぜ肉体を目ざすか。心を目ざしたら直ぐおじさんとして弾ね返されてしまう。そしてわたしが永い禁慾生活のため異性の身体が抽象に美化され、仄かな月明りに匂い、白い神聖な碑に見え、長生の霊薬に感じられて来たことは前に語った。
わたしの異性に向う感じは形而上に昇華し、一人の美女の肉体は幅としては世界上の美女の肉体に繋り、竪には歴史上の美女に繋がっている。わたしは今世の思い出にこのふくよかな巌にわたしの魂を刻みたい。人間には何か自分を具体のものに刻み込んで遺したい本能がある。支那の寒山という慾無しを自慢の清僧ですら、吾心似秋月などゝ
さて、女の壁はそのような無窮無限の壁なのに何でわたしがおまえ一人を目指すのかとおまえは
わたしの躾けは、この事を決行するまえおまえがわたしから逃れも騙しも出来る
秋雄も茶の間へ来て、一緒にわたし達はお蕎麦を食べた。おまえは言った。「もう少し考えさして頂いてから||あたし、ひょっとしたらおじさんに貰って頂くかも知れませんわ」
わたしは嬉々として「そいつは有難い」とは言ったが、||もうそのときからわたしは自分を省いて、たゞおまえの幸福のみに就て考えるおじさんの躾けを再び取上げて来たらしい。
わたしはおまえを自動車に乗せて、多那川橋の近くまで送って行って帰った。晩はぐっすり眠った。そしてその翌日からこの手紙を書き出した。書けども書けども尽きない。大事な奉納の俳句の額へ筆を染めたのはちょっとだけで、あとは飯もろく/\食わずにこの手紙を三四日書き続けて来た。たぶん懸額は奉納の式日までには間に合わないだろう。胃痙攣の麻痺薬の連飲計画なぞはどこかへ飛んでしまった。そして手紙の冒頭を書いたときの気持と、この終りを書くときの気持とはもう違っているのだ。わたしはおまえの肉体も諦めるし、わたしの結婚の申込なぞ、おまえがいろ/\探して試みてよいところが見付からず、最悪の場合に転げ込む休息所として、数多い中に一枚加えといて呉れゝばそれで有難いと思っている。何がわたしをそうさせたか。それはおまえがわたしの話を聴き終って、われ知らず飛びかゝり、「おじさん、これからこそ、ほんとに/\自分のためによ」と言いつゝそこで夢中で与えて呉れた、たった二つの唇のためにだ。わたしはその濡れてしなやかな匂わしい小さな感触を、自分の唇から切抜き、記憶の押花として胸の中に蔵い込んでいる。とき/″\出して唇に宛てる。いつも色も香も湿り気も変らない小さな押花である。わたしがそれを唇に宛てるとき、たった二つのこの唇の小さな押花から女の真ごころが身体中に痺れるほども染み亘る。殻だらけのわたしが殻だらけの世の中で、これを得たということは、せめてこれからのわたしを幸福な男と思い込むのに唯一の手がゝりになるものだ。
蝶子、おまえはおまえ自身もあの刹那のときのおまえばかりでもあるまい。しかしわたしはこの唇二つによってあの刹那のときのおまえばかりとおまえを思い込むことが出来る。そのお礼にわたしは非望を捨て、わたしを捨てゝおまえの幸福ばかりを計るおじさんに還ろう。寂しいけれども、やっぱりそれがわたしの地についているような気がする。おまえに義務は負わせない。しかしこれだけは聴かして置きたい。おまえが捧げる相手が見付かるまで、わたしはなお禁慾の生活を続けるであろう。このくらいの秘密の繋りがなくて、たゞのおじさんと仮りの姪とではあまりに寂しい。
わたくしはこの長い手紙を、興奮したり、知ってるところの二度書きには退屈したり、心に触れて来るところでは涙を流したりしながら、やっぱり終いまで読まないわけには行きませんでした。読み終ってから、わたくしは、これが今まで自分に交渉して来た男たちとどう違うか、何か新しい見つけどころはあるのかと、手紙を胸に当てゝ考えてみました。すべてを差引して胸に染み残るものは、何だかこの男はわたくしの胸の中へ荒っぽく手を突き込んで、わたしの女の図星を強引に掴み出したような感じがすることです。わたくしに交渉して来た他の男は、わたくしに
「おじさん、もう駄目よ/\」と口の中で呟き叫びましたが、やはり、待てしばしと思いました。わたくしはこのおじさんから、わたくしが他の男から取出さなかった純性に燃えたものを引出すほど、わたくしの女なるものは成長したらしいですが、なおこのおじさんがわたくしを独占するには若さと積極性が足りませんでした。わたくしは当時二十三の娘でした。姿形は別としても、このおじさんはなお青春に於てわたくしに均合いませんでした。このおじさんが運命や因習から染みつけられ、おじさん自身ずいぶん骨折って拭い去ったつもりでもなお染み残っている老醜の気がありました。おじさんがそれを悉く脱ぎ去って、そう、わたくしと同じ二十三の青春に蘇り切れたら、わたくしは彼の恋人にでも結婚の相手にでもなってやろうとそのとき思いました。
だがわたくしはおじさんには何とも返事せず、そのまゝ白痴の乞食の文吉を連れてこの鷺市を出ました。なぜでしょうか。文吉がふだんしきりに海が見たい/\と口癖に言ってるその望みを達しさしてやり度いたゞその為めです。わたくしはこの白痴が口癖に言って而かもまだ遂げないその望みを察するとき、いつも誰にも零れない涙をわれ知らず零すのでした。わたくしはもはや若い母の年齢に達しながら、子というものを持たないためでしょうか。それとももっと大きな人間的なものが女の身の中に動かされるのでしょうか。文吉にこの慾望を達しさしてやることは、いまわたくしの胸に最新鮮な力となって湧いて来ました。
わたくしは文吉に乞食の服装を脱がして普通の青年らしく
声をも立て得ずびっくりして青い拡ごりに見向った文吉の眼は、鈍いようにも見え、張り切って冷徹そのものにも見えて来ました。いまその眼球には、寄せては返し、返しては寄する浪が映っています。永劫尽くるなき海の浪の動きにつれて文吉の瞳は張り拡がり、しぼみ縮みます。やがて、文吉はいいました。
「この中に生きたもの沢山いるのかい」
「そうよ、沢山」
「その生きたもの死んだら、どこへ埋めるの」
わたしは、はたとつまりながら「さあ」と言っただけでいると、わたくしに関わず文吉はひとり
「うん、そうだ。海にお墓なんか無いんだね」
墓場のない世界||わたくしが川より海が好きになって女船乗りになったのはそれからです。