普通中学校などに
備え
付けてある
顕微鏡は、
拡大度が六百
倍乃至八百倍ぐらいまでですから、
蝶の
翅の
鱗片や
馬鈴薯の
澱粉粒などは
実にはっきり見えますが、
割合に小さな
細菌などはよくわかりません。千倍ぐらいになりますと、下のレンズの
直径が
非常に小さくなり、
従って
視野に光があまりはいらなくなりますので、下のレンズを
油に
浸してなるべく多くの光を入れて
物が見えるようにします。
二千倍という顕微鏡は、数も少くまたこれを
調節することができる人も
幾人もないそうです。
いま、一番度の高いものは二千二百五十倍
或は二千四百倍と
云います。その
見得るはずの大さは、
〇、〇〇〇一四
粍 ですがこれは人によって見えたり見えなかったりするのです。
一方、私
共の
眼に
感ずる光の
波長は、
〇、〇〇〇七六
粍 (赤色)
乃至 〇、〇〇〇四 粍 (
菫色) ですから
これよりちいさなものの形が
完全に私
共に見えるはずは
決してないのです。
また、
普通の
顕微鏡で見えないほどちいさなものでも、ある
装置を
加えれば、
約〇、〇〇〇〇〇五
粍 くらいまでのものならばぼんやり光る点になって
視野にあらわれその
存在だけを
示します。これを
超絶顕微鏡と
云います。
ところがあらゆるものの
分割の
終局たる分子の大きさは
水素が、
〇、〇〇〇〇〇〇一六粍
砂糖の
一種が
〇、〇〇〇〇〇〇五五粍 というように
計算されていますから私共は分子の形や
構造は
勿論その
存在さえも
見得ないのです。
しかるに、このような、
或は
更に小さなものをも
明に見て、すこしも
誤らない人はむかしから
決して少くありません。この人たちは自分のこころを
修めたのです。