若園君
往昔とつくにの曠野に一匹の魔物が棲んでおりました。人里もなく森林もなく徒らに不毛の曠野がつづくばかりで、日毎々々の太陽は地平線から垂直に登り、頭上をぐるつと一回転して向ふ側の地平線へ没して行くといふ、光と夜のほかには陰といふもののない、まことに魔物には棲みにくい単調なところであります。ところがこやつ相当に呑気な奴で、退屈であつたには相違ないが別段それを苦にやむといふほどでもない、これを魔物の Fain

「どちらへ!」
「わッ! これは/\!」
忽ち慌てふためいてお辞儀やら敬礼やら挨拶やら似たやうな色々のものを一時にごた/\と連発したのが旅人で「ときにアナタ||」と、かう、開き直つたのか直らないのか、とにかく間髪を入れず喋りだしたのも亦旅人でありました。「ときにアナタ||」と、この旅人は二度三度吃りました。
「ときにアナタ||」いや、これはお初に珍らしいところでお目にかかりました、いやまことにお珍らしい、ときにアナタ、ソツジながらお尋ね致すがかのバル・ザック氏を御存じで。御存知ない? それは残念! そもそもバル・ザック氏といへば······」
いや驚いたのは悪魔の奴で。||むらむらと薄気味悪い不安にかられ二歩三歩退きますと、「そこでバル氏はハン・スカ夫人と······アナタ、ハン・スカ夫人を御存知ないですか? 御存じない! 困るですね、それではですねアナタ······」情熱を傾けて語りながら衆人は悪魔の奴が退くだけ夢中につめよせてくるのです。悪魔の奴も辟易しました。万事休す、こはかなはじといふので印を結んでドカッとばかり地下へ潜れば。どつこい問屋で卸さない。「さうですよ、バル・ザック氏も金鉱を探しにでかけたですよ、さういふわけで||」
旅人も夢中の態で地下へのこ/\這入つてくるではありませんか! 勝負あつた、と云ふべきですね。もはや
若園君
バルザックは五十年生きぬ
天帝清太に百年の生を与ふれば
清太は百年バルザックを語るべし
天帝清太に百年の生を与ふれば
清太は百年バルザックを語るべし
若園君! これは君にあてつけたエピグラムではありません。私の人生は矛盾撞着に富み、それ自身エピグラム的です。
さて、君のエピグラム的労作の第一歩がきられた。全て人間のエピグラム的弱点にこざかしい皮肉の武器をもつて対立するものがかのメフィストフェレスであるなら、さうしてメフィストフェレスを圧倒するものが一にかかつてひたむきな誠意と情熱とでありますならば、バルザックと同じやうに生ける情熱の印刷機械であるところの君はたとひ天性世に稀な慌て者であるとは云へ(失礼!)