「枯淡の風格」とか「さび」といふものを私は認めることができない。これは要するに全く逃避的な態度であつて、この態度が成り立つ反面には人間の本道が肉や慾や死生の葛藤の中にあり、人は常住この葛藤にまきこまれて悩み苦しんでゐることを示してゐる。ところが「枯淡なる風格」とか「さび」とかの人生に向ふ態度は、この肉や慾の葛藤をそのまま肯定し、ちつとも作為は加へずに、しかも自身はそこから傷や痛みを受けない、といふことをもつて至上の境地とするのである。虫がいい、といふ
「枯淡なる態度」が煩瑣を逃れて山中へでも隠れ孤独を楽しむといふやうな、単に逃避的なものであるならまだ許せるが、現世の葛藤をそのまま肯定し、しかも自身はそこから傷も痛みも受けないといふ図々しい境地になると、要するにその人生態度の根幹をなすところの一句は、自らの行ふところに悔ひをもつべからずといふことである。自らの行ふところを善なりとか美なりと強調しない代りには、悪なり醜なりと悔ひないところにこの態度の特質がある。自らの行ふところは人にも之を許せといふと、ひどく博愛にきこえるが、事実はさにあらず、これほどひねくれたエゴイズムはある筈がないし、自分にとつて不利な批判的精神といふものを完全に取りさらうといふのだから、これほど素朴であり唾棄すべき生き方は他にない。人生の「枯淡なる風格」とは自らに悩みの種の批判的精神を黙殺することによつて生れた風格に他ならない。
河上徹太郎氏が人間修業といふことを言つてゐたのは、こういふインチキな諦観をもつて至上とする境地に
正宗白鳥氏の「痴人語夢」(中央公論)を読むと、その書き出しに有島武郎の「或る女」のことが書かれてあるが、痴人語夢の主人公文学青年「彼」は「或る女」に取り扱はれてゐる国木田独歩の恋愛事件に、独歩が青白い皮膚をひんむかれてゐるのが嘔吐を催すほど醜悪だと感じてゐる。つまり「或る女」の中の、
「葉子を確実に占領したといふ意識に裏書きされた木部(独歩)は、今までおくびにも葉子に見せなかつた女々しい弱点を露骨に現はし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかつた。筆一本握ることもせず朝から晩まで葉子に膠着し、感傷的な癖に恐ろしい我儘で、今日々々の生活にさへ事欠きながら、万事を葉子の肩に投げかけて、それが当然な事ででもあるやうな鈍感なお坊ちやん染みた生活のしかたが、葉子の鋭い神経をいら/\させ出した。······結婚前までは葉子の方から迫つて見たに拘らず、崇高と見えるまでに極端な潔癖家だつた彼であつたのに、思ひもかけぬ貪婪な陋劣な情慾の持主で、而かもその情慾を貧弱な体質で表はさうとするのに出喰はすと······」
この件りを読んだ彼(痴人語夢の主人公)は「貪婪陋劣な情慾を貧弱な体質で表はさうとする光景を目に浮べると、嘔吐を催しさうな気持がした。「青春の恋」と言つて、詩に唄はれたり小説に描かれたりしてゐるのを読むと、いかにも美しさうであるが、その正体は概して貧弱であり、醜悪ででもあるらしい。獅子の如く豹の如き肉体を具えた猛獣の「青春の恋」は、想像しても壮観である」と感じてゐるのである。過去の正宗氏の作物から見て、この考へ方は作中の人物のものではなく、氏の本音に最も近いものであらう。
貪婪な情慾を貧弱な体質で表はさうとする肉慾の図に嘔吐を催しさうになるといふ感じ方は、一見潔癖な精神を思はせるやうであるが、事実は全くさうでない。悩むべきものに悩むまいとする逃避的な思想から来たもので、自ら内蔵する醜に強ひて触れまいといふのであるが、彼が斯く「醜」と感ずるそのことが全く実体のない空想的偏見に捕はれてゐるのであつて、真に悩むべきを悩むところの人間にとつては醜も美も文句はなく切実な行があるばかりである。
正宗氏の足跡は苦行者の如く、その数十年の作家生活は一途に悩みつづけてきたかの外貌を呈してゐるが、実際は、当然悩むべきところに悩むまいとする逃避的な悩み方ばかりを悩みつづけてきたものと私は解する。ところが正宗氏は所謂政治家実業家の「腹のできた人間」ほど莫迦になりきるにしては聡明すぎる頭を持ち、峻烈な理知をもつてゐるから、自分の逃避的な人生態度に時々自ら批判者の側に立ち、せめて思弁の中でなりと逃避的ならざる素裸となり景気をつけてみやうとする。然し所詮思弁家は行ふ人であり得ない。
「貪婪陋劣な情慾を貧弱な体質で表はさうとする光景を目に浮べると、嘔吐を催しさうな気持がした。「青春の恋」と言つて、詩に唄はれたり小説に描かれたりしてゐるのを読むと、いかにも美しさうであるが、その正体は概して貧弱であり、醜悪ででもあるらしい」といふ件りまでは正宗式逃避性の然らしむるところとして、まづよろしいが、次に「獅子の如く豹の如き肉体を具えた猛獣の「青春の恋」は、想像しても壮観である」なぞとせゐぜゐ凄さうなことを言ひだすのも、種を明せば中味は何もないのであつて、この空想的思弁家が自分の逃避的な人生態度にあきたらなくなつて、ちよつと色気をだし空景気をつけてみたまでにすぎない。貧弱な肉体の情慾が醜く、猛獣の性慾が壮観であるといふ、かういふ少年の空想のやうな、たわいのない思弁家的美意識が私には鼻持ちならないのだ。肉体の悩みに正面からぶつかつて行かうとせず、頭の中で悟りすまし、或ひは頭の中で悟りを打ちこわしてゐた正宗氏は、いまだに救はれざる肉体を持ち、しかも不当にその肉体を醜なりと卑下しながら、猛獣の性慾が壮観であるなぞといふ薄つぺらな逆説をもてあそびもつて肉体の醜が救はれたかの
徳田秋声氏の「旅日記」(文藝春秋)は冒頭に述べた「枯淡なる風格」的文章の代表的なものである。ここでは枯淡といふことが、隠すべからざるところにも目を掩ひ、悩むべきところにも悩むまいとする毒々しさと、全く同義である。悩まざるがゆえの、救はれない毒々しさが、私を悩ますのであつた。
なにぶん題に示す通りの旅日記で、徳田氏の代表的な作物でないと云へば、それまでの話であるが、然し目下の日本帝国には斯ういふ文章を読んで「枯淡の風格味ふべきものあり」なぞと珍重する読書人がハバをきかしてゐると思ふと、自分の小説の下手糞なのも打ち忘れて、腹が立つてくるのである。題の通り筋も急所もないのだから、読まない人に通じるやうに話せないのが残念であるが、ザッとこの作品の荒筋をのべれば、もはや老境に達した融とよぶ小説家の主人公が、病床の兄夫婦を見舞ふために故郷に帰り、余命いくばくもない兄夫婦の自分の死なぞもはやなんでもなく、ただ一方の死ぬまでは生きのびて看とつてやりたいなぞといふ心境など語りあひ、やがて徒然にも悩むうち甥のすすめるままに、娘のやうに年齢の違ふ東京の情人のところへ電話をかけ、故郷見物がてら来てはどうかと呼びよせる。女が来たので甥に案内させて町をみせたり、一応兄に紹介しておきたくなつて兄を訪れたり、甥と散歩にでた女が赤い顔で帰つてきたので、酒を飲んできたのだらう、いいえ飲みませんと押問答したり、料理をくひに行つたり温泉へ行つたり、昔は美丈夫だつた友達の写真をわざ/\取寄せて女に見せたり、その人がもう死んでゐたり、要するに、さういふ種々の事柄のまことに「枯淡なる」記録である。
この作品のどこに特別の人生的深さがあるものやら、あると云ふ人の、それではどこにその深さがあるといふのか一々丁寧に教へてもらはないことには、全く私の腑に落ちないのだ。
まづ人物にしてからが、どの一人として所謂南画の神品風に生動する活写はなく、娘のやうな女をつれて温泉なぞ歩いてゐる老人の姿にも人生の深さによつて人を打つ筆力は全くない。さういふ表て立つた筆力を殺し、物々しい描写をさけてゐるところに勝れた味ひがあるといふのは、当らない。簡略にして要をつくしてゐるといふなら簡略も要のぶんだけの働きをしてゐることになるだらうが、この作品の簡略な筆触は一向人物を活写せず、少しく濃厚な筆力を用ひたならこれ以上に人物を活写することは容易な業と思はれるからである。人物を活写せずして活写以上の味はひを出してゐるなぞいふ、空想的な文章論は意味をなさない。活写せざるよりは活写する方がいいに極つてゐる。
この作品に記録されてゐるやうな種々な事柄が特別深い人生であるわけもなく、ましていい年をした主人公が、赤い顔をして這入つてきた娘のやうな情人に酒を飲んできたのだらうと、人々のゐる面前であるといふのに思はず色をなして
「またしても羞恥心の乏しい自分をそこに
人々の面前で女を詰つたあとで、氏はただ一行だけ、かう附け加へてゐる。いかにも自分の汚なさを良く知つてゐるといふ風で、そんなことを隠す気持も、飾る気持も、偽る気持もないのだといふ悟りきつた書き方である。これだけを告白してしまへば、あとには微塵も汚いものは残つてゐないといふやうに見える。徳田氏の心事果して此の如く淡白なりや否や、まことに疑はしいものがある。
徒然に悩んでゐるところへ甥がきてすすめるままに、東京の情人へ電話をかけて呼び寄せる件りを次のやうに書いてある。
「『あの人をお呼びになつたら
『いや、今度は見舞に来たんだから。この町を
『それでは呼んだら
融はさういふ時、ちよつと我慢のできない性分なので、つひ長距離を申し込んでしまつたが、一と話してゐると間もなく鈴が鳴つて、立つて行つて受話機を耳にして『もし/\』とやると直ぐ美代子の朗らかな声が手に取るやうに聞えてきた。
『······都合がついたら
『えゝ行くわ』
時間の打合せなどしてから、電話を切つた」
まことに淡々たるもので、作品の全ての部分が斯ういふ調子で書かれてゐるのである。
元来会話といふものは、語られた言葉の内容が心の内容の全部ではなく、語られざる心もあり、言葉の裏側の心もあり、更に二重三重に入り組んだ複雑が隠されてゐることは言ふまでもない。それゆえ語られた言葉ばかりの戯曲では、いきほひ日常そのままの冗漫な会話ではいけないわけで、心の裏を推測するに便利のやうな組み立をもつて立体的な会話を構成する。然し徳田氏の「旅日記」の場合は、会話が決して斯様な立体的な組み立をもつて構成されてはおらぬ。単に日常ありのままの平面的なものを、わざと裏の分らぬやうに取りだし、恰も小学生の綴り方に近づかうとする故意の単純さを
果して会話の裏側に何ものもないのだらうか? 然り、書かれた以外に強ひて説明し反省すべきものはない、と徳田氏は言はれるかも知れぬが、然らば問題は自ら別だ。裏も表も悩みもない、単に日常生活の表面のみを辿つて記録し報告する斯様な文章は、これを綴り方と言ひ、小説とは言はない。小説とは報告にとどまる叙事文ではないのである。裏も表もない会話であつて、さうして単に出来事の報告にとどまる限りなら、小説の場合これを冗漫に書き連ねる必要は毫もないわけであつて、「甥がすすめるので電話をかけ女を呼びよせた」と一行だけ書けば宜しいわけである。会話の行間に裏をにほはす何物もなく、まして会話のあることによつて人物の面目が躍如とする、といふだけの効能もないとなれば、この
徳田氏の眼が、自分の心の奥に向つて、これ以上の深入りをさけるなら、当然これは小学生の綴り方と同列である。
娘のやうな恋人をもつこと、甥のすすめるままに東京から恋人を呼び寄せること、多少の嫉妬を起すこと、さういふことが一見飾らず偽らず隠さずといふ風に書かれてあるのだが、飾らず偽らず隠さざるが故のかやうに裸となつて光を求め道を求めて彷徨する苦難な歩行者の姿は微塵もないのだ。のみならず、飾らず偽らざるが故に救はれた安息者の静かな姿があるかと言へば、なか/\もつてさうではない。悩むべきを悩まざるところの、一途の毒々しさがあるばかりである。
いはば自分の行為を全て当然として肯定し、同様に他人のものをも肯定し、もつて他人にも自分の姿をそのまま肯定せしめやうとする、肯定といふ巧みな約束を暗に強ひることによつて、傷や痛みを持ちまいとする、揚句には内省や批判さへ一途に若々しい未熟なものと思はしめやうとする、「旅日記」一篇の底に働く徳田氏の作家的態度といふものは、これ以上の何物でもないのである。
ジイドのやうに、いい年をして尚個体を先頭に立ててのたうちまはり、悪あがきをする、時々まるで十七八の少年を見るやうな熱狂ぶりを見せたりするが、これが作家の本当の姿ではないだらうか。年をとつても肉体がなくなるわけではないのだし、多少性慾の減退ぐらゐあるにしても、個体にからまる悩みまで失くなるものとは夢にも思へぬ。日本帝国の忠良なる作家達が齢と共に悩みの数をめつきり減らしてくるといふのは、減らすやうな不当な作為を暗に用ひ、或ひは気付かざる伝統の気風によつて、然うならしめられてゐるとしか思はれない。
「通」といふ言葉は江戸の文人が愛好した言葉であり、一体に日本文学の伝統的気風は、いい加減の頃合ひをみて切りよく引きあげ、義理にも納まらうといふ、意気な心掛けを見せるところが理想らしい。現今生活しにくい時世がきて各人相当ニヒリストになりながらも、ニヒリストなみの「通」だけは忘れないところが不思議である。
正宗白鳥氏であつたか、日本人が和臭を嫌ふのは不当であると言はれてゐたやうだが、和臭といつても、古人の文章に匂つてゐる斯ういふ「意気な心掛け」を嫌ふのであつてみれば、
年をとると物分りが良くなるといふので急に他人のことを考へ、慾がなくなるなぞといふ納まり方は信用できぬ、人間生きるから死ぬまで持つて生れた身体が一つである以上は、せいぜい自分一人のためにのみ、慾ばつた生き方をすべきである。毒々しいまでの徹底したエゴイズムからでなかつたら、立派な何物が生れやう。社会組織の変革といへども、徹底的なエゴイズムを土台にしたものでない限り、所詮いい加減なものに極つてゐると私は思ふ。本音を割りだせば誰だつて自分一人だ、自分一人の声を空虚な理想や社会的関心なぞといふものに先廻りの邪魔をされることなく耳を澄して正しく聞きわけるべきである。自分の本音を雑音なしに聞きだすことさへ、今日の我々には甚だ至難な業だと思ふ。日本の先輩でこの苦難な道を歩き通した人を、西鶴のほかに私は知らない。