場所 美濃 、三河 の国境。山中の社 ||奥の院。
名 白寮権現 、媛神 。(はたち余に見ゆ)神職。(榛貞臣 。修験 の出)禰宜 。(布気田 五郎次)老いたる禰宜。雑役の仕丁 。(棚村 久内)二十五座の太鼓の男。〆太鼓 の男。笛の男。おかめの面の男。道化の面の男。般若 の面の男。後見一人。お沢。(或男の妾 、二十五、六)天狗 。(丁々坊 )巫女 。(五十ばかり)道成寺 の白拍子 に扮 したる俳優 。一ツ目小僧の童男童女。村の児 五、六人。
[#改ページ]禰宜 (略装にて)いや、これこれ(中啓 を挙 げて、二十五座の一連 に呼掛 く)大分 日もかげって参った。いずれも一休みさっしゃるが可 いぞ。
この言葉のうち、神楽 の面々、踊 の手を休 め、従って囃子 静まる。一連皆素朴 なる山家人 、装束 をつけず、面 のみなり。||落葉散りしき、尾花 むら生 いたる中に、道化 の面、おかめ、般若 など、居 ならび、立添 い、意味なき身ぶりをしたるを留 む。おのおのその面をはずす、年は三十より四十ばかり。後見 最も年配なり。
後見 こりゃ、へい、······神 ぬし様。
道化の面の男 お喧 しいこんでござりますよ。
〆太鼓の男 稽古中 のお神楽で、へい、囃子 ばかりでも、大抵村方 は浮かれ上 っておりますだに、面や装束をつけましては、媼 、媽々 までも、仕事稼 ぎは、へい、手につきましねえ。
笛の男 明後日 げいから、お社 の御 祭礼で、羽目 さはずいて遊びますだで、刈入時 の日は短 え、それでは気の毒と存じまして、はあ、これへ出合いましたでごぜえますがな。
般若の面の男 見よう見真似 の、から猿 踊りで、はい、一向 にこれ、馴 れませぬものだでな、ちょっくらばかり面をつけて見ます了見 の処 。······根からお麁末 な御馳走 を、とろろも
も打 ちまけました。ついお囃子に浮かれ出 いて、お社の神様、さぞお見苦しい事でがんしょとな、はい、はい。

禰宜 ああ、いやいや、さような斟酌 には決して及ばぬ。料理方 が摺鉢 俎板 を引 くりかえしたとは違うでの、催 ものの楽屋 はまた一興じゃよ。時に日もかげって参ったし、大分 寒うもなって来た。||おお沢山な赤蜻蛉 じゃ、このちらちらむらむらと飛散 る処へ薄日 の射 すのが、······あれから見ると、近間 ではあるが、もみじに雨の降るように、こう薄 りと光ってな、夕日に時雨 が来た風情 じゃ。朝夕 存じながら、さても、しんしんと森は深い。(樹立 を仰いで)いずれも濡 れよう、すぐにまた晴 の役者衆 じゃ。些 と休まっしゃれ。御酒 のお流れを一つ進じよう。神職のことづけじゃ、一所 に、あれへ参られい。
後見 なあよ。
太鼓の男 おおよ。(言交 す。)
道化の面の男 かえっておぞうさとは思うけんどが。
笛の男 されば。
おかめの面の男 御挨拶 べい、かたがただで。(いずれも面を、楽しげに、あるいは背、あるいは胸にかけたるまま。)
後見 はい、お供して参りますで。
禰宜 さあさあ、これ。||いや、小児衆 ||(渠 ら幼きが女の児 二人、男の子三人にて、はじめより神楽を見て立つ)||一遊び遊んだら、暮れぬ間 に帰らっしゃい。
後見 これ、立巌 にも、一本橋 にも、えっと気をつきょうぞよ。
小児一 ああ。
かくて社家 の方 、樹立 に入 る。もみじに松を交 う。社家は見えず。
小児二 や、だいぶ散らかした。
小児三 そうだなあ。
小児一 よごれやしないやい、木 の葉だい。
小児二 木の葉でも散らばった、でよう。
女児一 もみじでも、やっぱり掃くの?
女児二 茣蓙 の上に散っていれば、内でもお掃除 するわ。
女児一 神様のいらっしゃる処よ、きれいにして行きましょう。
女児二 お縁は綺麗 よ。
小児一 じゃあ、階段 から。おい、箒 の足りないものは手で引掻 け。
女児一 私 は袂 にするの。
小児二 乱暴だなあ、女のくせに。
女児三 だって、真紅 なのだの、黄色い銀杏 だの、故 とだって懐 へさ、入 れる事よ。
折れたる熊手 、新しきまた古箒 を手 ん手 に引出 し、落葉 を掻寄 せ掻集め、かつ掃きつつ口々に唄 う。
「お正月は何処 まで、
からから山の下まで、
土産 は何 じゃ。
榧 や、勝栗 、蜜柑 、柑子 、橘 。」······
からから山の下まで、
お沢 (向って左の方 、真暗 に茂れる深き古杉の樹立 の中より、青味の勝ちたる縞 の小袖 、浅葱 の半襟 、黒繻子 の丸帯 、髪は丸髷 。鬢 やや乱れ、うつくしき俤 に窶 れの色見ゆ。素足 草履穿 にて、その淡き姿を顕わし、静 に出 でて、就中 杉の巨木 の幹に凭 りつつ||間 。||小児 らの中に出 づ)まあ、いいお児 ね、媛神 様のお庭の掃除をして、どんなにお喜びだか知れません||姉 さん······(寂 く微笑 む)あの、小母 さんがね、ほんの心ばかりの御褒美 をあげましょう。一度お供物 にしたのですよ。さあ、お菓子。
お沢 さあ、めしあがれ。
小児一 持って行 くの。
女児一 頂いて帰るの。(皆いたいけに押頂 く。)
お沢 まあ。何故 ね。
女児二 でも神様が下さるんですもの。
お沢 ああ、勿体 ない。私 はお三 どんだよ、箒を一つ貸して頂戴 。
小児二 じゃあ、おつかい姫だ。
女児一 きれいな姉 さん。
女児二 こわいよう。
小児一 そんな事いうと、学校で笑われるぜ。
女児一 だって、きれいな小母 さん。
女児二 こわいよう。
小児二 少しこわいなあ。
いい次ぎつつ、お沢 の落葉を掻寄 する間 に、少しずつやや退 る。
小児一 お正月かも知れないぜ。この山まで来たんだ。
小児二 や、お正月は女か。
小児三 知らない。
小児一 狐 だと大変だなあ。
小児二 そうすりゃこのお菓子なんか、家 へ帰ると、榧 や勝栗だ。
小児三 そんなら可 いけれど、皆 木の葉だ。
女の児たち きゃあ||
男の児たち やあ、転 ぶない。弱虫やい。||(かくて森蔭 にかくれ去る。)
お沢 (箒を堂の縁下 に差置き、御手洗 にて水を掬 い、鬢 掻撫 で、清き半巾 を袂 にし、階段の下に、少時 ぬかずき拝む。静寂。きりきりきり、はたり。何処 ともなく機織 の音聞こゆ。きりきりきり、はたり。||お沢。面 を上げ、四辺 を
し耳を澄ましつつ、やがて階段に斜 に腰打掛 く。なお耳を傾け傾け、きりきりきり、はたり。間調子 に合わせて、その段の欄干を、軽く手を打ちて、機織の真似し、次第に聞惚 れ、うっとりとなり、おくれ毛 はらはらとうなだれつつ仮睡 る。)

仕丁 (揚幕 の裡 にて||突拍子 なる猿 の声)きゃッきゃッきゃッ。(乃 ち面長 き老猿 の面を被 り、水干 烏帽子 、事触 に似たる態 にて||大根 、牛蒡 、太人参 、大蕪 。棒鱈 乾鮭 堆 く、片荷 に酒樽 を積みたる蘆毛 の駒 の、紫なる古手綱 を曳 いて出 づ)きゃッ、きゃッ、きゃッ、おきゃッ、きゃア||まさるめでとうのう仕 る、踊るが手もと立廻り、肩に小腰 をゆすり合わせ、と、ああふらりふらりとする。きゃッきゃッきゃッきゃッ。あはははは。お馬丁 は小腰をゆするが、蘆毛 よ。(振向く)お厩 が近うなって、和 どのの足はいよいよ健かに軽いなあ。この裏坂 を帰らいでも、正面の石段、一飛びに翼 の生じた勢 じゃ。ほう、馬に翼が生 えて見い。われらに尻尾 がぶら下る······きゃッきゃッきゃッ。いや化 の皮の顕われぬうちに、いま一献 きこしめそう。待て、待て。(馬柄杓 を抜取る)この世の中に、馬柄杓などを何 で持つ。それ、それこのためじゃ。(酒を酌 む)ととととと。(かつ面を脱ぐ)おっとあるわい。きゃッきゃッきゃッ。仕丁 めが酒を私 するとあっては、御前 様、御機嫌むずかしかろう。猿が業 と御覧 ずれば仔細 ない。途 すがらも、度々 の頂戴 ゆえに、猿の面も被ったまま、脱いでは飲み被っては飲み、質 の出入 れの忙 しい酒じゃな。あはははは。おおおお、竜 の口 の清水 より、馬の背の酒は格別じゃ、甘露甘露。(舌鼓 うつ)たったったっ、甘露甘露。きゃッきゃッきゃッ。はて、もう御前 に近い。も一度馬柄杓でもあるまいし、猿にも及ぶまい。(とろりと酔える目に、あなたに、階 なるお沢の姿を見る。慌 しくまうつむけに平伏 す)ははッ、大権現 様、御免なされ下さりませ、御免なされ下さりませ。霊験 な御姿 に対し恐多 い。今やなぞ申しましたる儀は、全く譫言 にござります。猿の面を被りましたも、唯おみきを私 しょう、不届 ばかりではござりませぬ、貴女様御祭礼の前日夕、お厩 の蘆毛を猿が曳 いて、里方 を一巡いたしますると、それがそのままに風雨順調、五穀成就 、百難皆除 の御神符 となります段を、氏子中 申伝 え、これが吉例 にござりまして、従って、海つもの山つものの献上を、は、はッ、御覧の如く清らかに仕 りまする儀でござりまして、偏 にこれ、貴女様御威徳にござります。お庇 を蒙 りまする嬉 しさの余り、ついたべ酔いまして、申訳 もござりませぬ。真平御免 され下されまし。ははッ、(恐る恐る地につけたる額 を擡 ぐ。お沢。うとうととしたるまま、しなやかに膝 をかえ身動 ぎす。長襦袢 の浅葱 の褄 、しっとりと幽 に媚 めく)それへ、唯今それへ参りまする。恐れ恐れ。ああ、恐れ。それ以 て、烏帽子きた人の屑 とも思召 さず、面 の赤い畜生 とお見許し願わしう、はッ、恐れ、恐れ。(再び猿の面を被りつつも進み得ず、馬の腹に添い身を屈 め、神前を差覗 く)蘆毛よ、先へ立てよ。貴女様み気色 に触 る時は、矢の如く鬢櫛 をお投げ遊ばし、片目をお潰 し遊ばすが神罰と承る。恐れ恐れ。(手綱を放たれたる蘆毛は、頓着 なく衝 と進む。仕丁は、ひょこひょこと従い続く。舞台やがて正面にて、蘆毛は一気に厩 の方 、右手もみじの中にかくる。この一気に、尾の煽 をくらえる如く、仕丁、ハタと躓 き四 つに這 い、面を落す。慌 てて懐 に捻込 む時、間近 にお沢を見て、ハッと身を退 りながら凝 と再び見直す)何 じゃ、人か、参詣 のものか。はて、可惜 二つない肝 を潰 した。ほう、町方 の。······艶々 と媚 めいた婦 じゃが、ええ、驚かしおった、おのれ! しかも、のうのうと居睡 りくさって、何処 に、馬の通るを知らぬ婦があるものか、野放図 な奴 めが。||いやいや、御堂 、御社 に、参籠 、通夜 のものの、うたたねするは、神の御 つげのある折じゃと申す。神慮のほども畏 い。······眠 を驚かしてはなるまいぞ。(抜足 に社前を横ぎる時、お沢。うつつに膝を直さんとする懐中より、一挺 の鉄槌 ハタと落つ。カタンと鳴る。仕丁。この聊 の音にも驚きたる状 して、足を爪立 てつつ熟 と見て、わなわなと身ぶるいするとともに、足疾 に樹立 に飛入 る。間 。||懐紙 の端 乱れて、お沢の白き胸 さきより五寸釘 パラリと落つ。)
神職 これ、婦 。
お沢 (声の下に驚き覚 め、身を免 れんとして、階前には衆の林立せるに遁場 を失い、神職の手を振りもぎりながら)御免なさいまし、御免なさいまし。(一度階 をのぼりに、廻廊の左へ遁ぐ。人々は縁下 より、ばらばらとその行く方 を取巻く。お沢。遁げつつ引返 すを、神職、追状 に引違 え、帯際 をむずと取る。ずるずる黒繻子 の解くるを取って棄て、引据 え、お沢の両手をもて犇 と蔽 う乱れたる胸に、岸破 と手を差入 る)あれ、あれえ。
神職 (発 き出したる形代 の藁 人形に、すくすくと釘の刺 りたるを片手に高く、片手に鉄槌を翳 すと斉しく、威丈高 に突立上 り、お沢の弱腰 を
と蹴 る)汚らわしいぞ! 罰当 り。

お沢 あ。(階 を転 び落つ。)
神職 鬼畜、人外 、沙汰 の限りの所業をいたす。
禰宜 いや何とも······この頃 の三 晩四 晩、夜 ふけ小 ふけに、この方角······あの森の奥に当って、化鳥 の叫ぶような声がしまするで、話に聞く、咒詛 の釘かとも思いました。なれど、場所柄 ゆえの僻耳 で、今の時節に丑 の刻参 などは現 にもない事と、聞き流しておったじゃが、何と先 ず······この雌鬼 を、夜叉 を、眼前に見る事わい。それそれ俯向 いた頬骨 がガッキと尖 って、頤 は嘴 のように三角形 に、口は耳まで真赤 に裂けて、色も縹 になって来た。
般若の面の男 (希有 なる顔して)禰宜様や、私 らが事をおっしゃるずらか。
禰宜 気 もない事、この女夜叉 の悪相 じゃ。
般若の面の男 ほう。
道化の面の男 (うそうそと前に出 づ)何と、あの、打込む太鼓······
〆太鼓の男 何じゃい。何じゃい。
道化の面 いや、太鼓ではない。打込む、それよ、カーンカーンと五寸釘······あの可恐 い、藁の人形に五寸釘ちゅうは、はあ、その事でござりますかね。(下より神職の手に伸上 る。)
笛の男 (おなじく伸上る)手首、足首、腹の真中(我が臍 を圧 えて反 る)ひゃあ、みしみしと釘の頭も見えぬまで打込んだ。ええ、血など、ぼたれてはいぬずらか。
神職 (彼が言 のままに、手、足、胴腹 を打返して藁人形を翳 し見る)血も滴 りょう。···藁も肉のように裂けてある。これ、寄るまい。(この時人々の立かかるを掻払 う)六根清浄 、澄むらく、浄 むらく、清らかに、神に仕うる身なればこそ、この邪 を手にも取るわ。御身 たちが悪く近づくと、見たばかりでも筋骨 を悩み煩 らうぞよ。(今度は悠然 として階 を下 る。人々は左右に開く)荒 び、すさみ、濁り汚れ、ねじけ、曲れる、妬婦 め、われは、先ず何処 のものじゃ。
お沢 (もの言わず。)
神職 人の娘か。
お沢 (わずかに頭 ふる。)
神職 人妻 か。
禰宜 人妻にしては、艶々 と所帯気 が一向 に見えぬな。また所帯せぬほどの身柄 とも見えぬ。妾 、てかけ、囲 ものか、これ、霊験 な神の御前 じゃ、明かに申せ。
お沢 はい、何も申しませぬ、ただ(きれぎれにいう)お恥 しう存じます。
神職 おのれが恥を知る奴か。||本妻正室と言わばまた聞こえる。人のもてあそびの腐れ爛 れ汚 れものが、かけまくも畏 き······清く、美しき御神 に、嫉妬 の願 を掛けるとは何事じゃ。
禰宜 これ、速 におわびを申し、裸身 に塩をつけて揉 んでなりとも、払い浄 めておもらい申せ。
神職 いや布気田 、(禰宜の名)払い清むるより前に、第一は神の御罰 、神罰じゃ。御神 の御心 は、仕え奉る神 ぬしがよく存じておる。||既に、草刈り、柴 刈りの女なら知らぬこと、髪、化粧 し、色香 、容 づくった町の女が、御堂 、拝殿とも言わず、この階 に端近 く、小春 の日南 でもある事か。土も、風も、山気 、夜とともに身に沁 むと申すに。||
神楽の人々。「酔 も覚 めて来た」「おお寒 」など、皆 、襟 、袖を掻合 わす。
神職 ······居眠りいたいて、ものもあろうず、棺 の蓋 を打つよりも可忌 い、鉄槌 を落し、釘 を溢 す||釘は?······
禰宜 (掌 を見す)これに。
神楽の人々、そと集 い覗 く。
神職 即 ち神の御心 じゃ||その御心を畏み、次第を以て、順に運ばねば相成らん。唯今布気田 も申す||三晩、四晩、続けて、森の中に鉄槌の音を聞いたというが、毎夜、これへ参ったのか、これ、明 に申せよ。どうじゃ。
お沢 はい、(言い淀 み、言い淀み)今 ······夜 ······が、満······願······でございました。
神職 (御堂を敬う)ああ、神慮は貴 い。非願非礼はうけ給 わずとも、俗にも満願と申す、その夕 に露顕した。明かに邪悪を退け給うたのじゃ。||先刻も見れば、その森から出て参って、小児 たちに何か菓子ようのものを与えたが、何か、いつも日の中 から森の奥に潜みおって、夜ふけを待って呪詛 うたかな。
お沢 はい······あの······もうおかくしは申しません。お山の下の恐しい、あの谿河 を渡りました。村方 に、知るべのものがありまして、其処 から通いましたのでございます。
神楽の人々囁 き合う。
禰宜 知っておるかな。
||「なあ。」「よ。」「うむ。」「あれだ。」口々に||
後見 何が、お霜婆 さんの、ほれ、駄菓子屋の奥に、ちらちらする、白いものがあっけえ。町での御恩人ぞい。恥しい病 さあって隠れてござるで、ほっても垣 のぞきなどせまいぞ、と婆さんが言うだでな。
笛の男 癩 ずらか。
太鼓の男 恥しい病ちゅうで。
おかめの面の男 ほんでも、孕 んだ娘だべか。
禰宜 女子 が正しい懐妊は恥ではないのじゃ。それでは、毎晩、真夜中に、あの馬も通らぬ一本橋を渡ったじゃなあ。
道化の面の男 女の一念だで一本橋を渡らいでかよ。ここら奥の谿河 だけれど、ずっと川下 で、東海道の大井川 より大 かいという、長柄 川の鉄橋な、お前様。川むかいの駅へ行った県庁づとめの旦那どのが、終汽車 に帰らぬわ。予 てうわさの、宿場 の娼婦 と寝たんべい。唯おくものかと、その奥様ちゅうがや、梅雨 ぶりの暗 の夜中 に、満水の泥浪 を打つ橋げたさ、すれすれの鉄橋を伝ってよ、いや、四つ這いでよ。何が、いま産れるちゅう臨月腹 で、なあ、流 に浸りそうに捌 き髪 で這うて渡った。その大 な腹ずらえ、||夜 がえりのものが見た目では、大 い鮟鱇 ほどな燐火 が、ふわりふわりと鉄橋の上を渡ったいうだね、胸の火が、はい、腹へ入 って燃えたんべいな。
仕丁 お言 の中 でありますがな、橋が危 くば、下の谿河は、巌 を伝うて渡られますでな、お厩 の馬はいつも流を越します。いや、先刻などは、落葉が重なり重なり、水一杯に渦巻いて、飛々 の巌が隠れまして、何処 を渡ろうかと見ますうちに、水も、もみじで、一面に真紅 になりました。おっと······酔った目の所為 ではござりませぬよ。
禰宜 棚村 。(仕丁の名)御身 は何 の話をするや。
仕丁 はあ、いえ、孕婦 が鉄橋を這越 すから見ますれば、丑 の刻参 が谿河の一本橋は、気 もなく渡ると申すことで。石段は目につきます。裏づたいの山道 を森へ通 ったに相違はござりますまい。
神職 棚村、御身まず、その婦 の帯を棄てい。
禰宜 かような婦の、汚らわしい帯を、抱いているという事があるものか。
仕丁 私 が、確 と圧 えておりますればこそで、うかつに棄てますと、このまま黒蛇 に成って
り廻りましょう。

禰宜 榛 (神職名 )様がおっしゃる。樹 の枝へなりと掛けぬかい。
仕丁 樹に掛けましたら、なお、ずるずると大蛇 に成って下 ります。(一層胸に抱く。)
神職 棚村、見苦しい、森の中へ放 し込め。
仕丁、その言 の如くにす。||
お沢 あの······(ふるえながら差出す手を、払いのけて、仕丁。森に行く。帯を投げるとともに飛返 る。)
神職 何 とした。
仕丁 ずるずるずると巻きましたが、真黒な一幅 になって、のろのろと森の奥へ入 りました。······大方 、釘を打込みます古杉の根へ、一念で、巻きついた事でござりましょう。
神職 いずれ、森の中において、忌 わしく、汚らわしき事をいたしおるは必定 じゃ。さて、婦。······今日 は昼から籠 ったか。真直 に言え、御前 じゃぞ。
お沢 はい、(間 )はい、あの、一七日 の満願まで······この願 を掛けますものは、唯一目 、······一度でも、人の目に掛 りますと、もうそれぎりに、願 が叶 わぬと申します。昨夜 までは、獣 の影にも逢 いません。もう一夜 、今夜だけ、また不思議に満願の夜 といいますと、人に見られると聞きました。見られたら、どうしましょう。口惜 い······その人の、咽喉 、胸へ喰 いつきましても······
神職 これだ||したたかな婦 めが。
お沢 ええ、あのそれが何 になりましょう。昼から森にかくれました方が、何がどうでも、第一、人の目にかかりますまいと、ふと思いついたのです。木の葉を被り、草に突伏 しても、すくまりましても、雉 、山鳥 より、心のひけめで、見つけられそうに思われて、気が気ではありません。かえって、ただの参詣人 のようにしております方 が、何 の触 りもありますまいと、存じたのでございます。
神職 秘 しがくしに秘め置くべき、この呪詛 の形代 を(藁人形を示す)言わば軽々 しう身につけおったは||別に、恐多 い神木 に打込んだのが、森の中にまだ他 にもあるからじゃろ。
お沢 いいえ、いいえ······昨夜 までは、打ったままで置きました。私 がちょっとでも立離れます間 に||今日はまたどうした事でございますか、胸騒 ぎがしますまで。······
禰宜 いや、胸騒ぎが凄 じい、男を呪詛 うて、責殺 そうとする奴が。
お沢 あの、人に見つかりますか、鳥獣 にも攫 われます。故障が出来そうでなりません。それで······身につけて出ましたのです。そして······そして······お神 ぬし様、皆様、誰方 様も||憎い口惜 しい男の五体に、五寸釘を打ちますなどと、鬼でなし、蛇 でなし、そんな可恐 い事は、思って見もいたしません。可愛 い、大事な、唯一人の男の児 が煩 っておりますものですから、その病を||疫病 がみを||
「ええ。」「疫病神 。」村人 らまた退 る。
神職 疫病神を||
お沢 はい、封じます、その願掛 けなんでございますもの。
神職 町にも、村にも、この八里四方、目下 疱瘡 も、はしかもない、何の疾 だ。
お沢 はい······
禰宜 何病じゃ。
お沢 はい、風邪 を酷 くこじらしました。
神職 (嘲笑 う)はてな、風に釘を打てば何 になる、はてな。
禰宜 はてな、はてな。
村人らも引入れられ、小首を傾くる状 、しかつめらし。
仕丁 はあ、皆様、奴凧 が引掛 るでござりましょうで。
||揃 って嘲 り笑う。||
神職 出来た。||掛 ると言えば、身 たちも、事件に引掛りじゃ。人の一命にかかわる事、始末をせねば済まされない。······よくよく深く企 んだと見えて||見い、その婦 、胸も、膝 も、ひらしゃらと······(お沢、いやが上にも身を細め、姿の乱れを引 つくろい引つくろい、肩、袖、あわれに寂しく見ゆ)余りと言えば雪よりも白い胸、白い肌 、白い膝と思うたれば、色もなるほど白々 としたが、衣服の下に、一重 か、小袖か、真白い衣 を絡 いいる。魔の女め、姿まで調 えた。あれに(肱 長く森を指 す)形代 を礫 にして、釘を打った杉のあたりに、如何 ような可汚 しい可忌 しい仕掛 があろうも知れぬ。いや、御身 たち、(村人と禰宜 にいう)この婦 を案内に引立 てて、臨場裁断と申すのじゃ。怪しい品々 かっぽじって来 られい。証拠の上に、根から詮議 をせねばならぬ。さ、婦、立てい。
禰宜 立とう。
神職 許す許さんはその上じゃ。身は||思う旨 がある。一度社宅から出直す。棚村 は、身ととも参れ。||村の人も婦を連れて、引立 てて||
村人ら、かつためらい、かつ、そそり立ち、あるいは捜し、手近きを掻取 って、鍬 、鋤 の類 、熊手、古箒など思い思いに得ものを携う。
後見 先へ立て、先へ立とう。
禰宜 箒で、そのやきもちの頬 を敲 くぞ、立ちませい。
お沢 (急に立って、颯 と森に行く。一同面 を見合すとともに追って入 る。神職と仕丁は反対に社宅|舞台上 には見えず、あるいは遠く萱 の屋根のみ|に入 る。舞台空 し。落葉もせず、常夜燈 の光幽 に、梟 。二度ばかり鳴く。)
神職 (威儀いかめしく太刀 を佩 き、盛装して出 づ。仕丁相従い床几 を提 げ出 づ。神職。厳 に床几に掛 る。傍 に仕丁踞居 て、棹尖 に剣 の輝ける一流の旗を捧 ぐ。||別に老いたる仕丁。一人。一連の御幣 と、幣ゆいたる榊 を捧げて従う。)
お沢 (悄然 として伊達巻 のまま袖を合せ、裾 をずらし、打 うなだれつつ、村人らに囲まれ出 づ。引添える禰宜の手に、獣 の毛皮にて、男枕 の如くしたる包 一つ、怪 き紐 にてかがりたるを不気味 らしく提 げ来り、神職の足近く、どさと差置く。)
神職 神のおおせじゃ、婦 、下におれ。||誰 ぞ御灯 をかかげい||(村人一人、燈 を開 く。灯 にすかして)それは何だ。穿出 したものか、ちびりと濡 れておる。や、(足を爪立 つ)蛇 が絡 んだな。
禰宜 身 どもなればこそ、近う寄っても見ましたれ。これは大木 の杉の根に、草にかくしてござりましたが、おのずから樹 の雫 のしたたります茂 ゆえ、びしゃびしゃと濡れております。村の衆は一目見ますと、声も立てずに遁 ぎょうとしました。あの、円肌 で、いびつづくった、尾も頭も短う太い、むくりむくり、ぶくぶくと横にのたくりまして、毒気 は人を殺すと申す、可恐 く、気味の悪い、野槌 という蛇そのままの形に見えました。なれども、結んだのは生蛇 ではござりませぬ。この悪念でも、さすがは婦 で、包 を結 えましたは、継合 わせた蛇の脱殻 でござりますわ。
神職 野槌か、ああ、聞いても忌 わしい。······人目に触れても近寄らせまい巧 じゃろ、企 んだな。解け、解け。
禰宜 (解きつつ)山犬か、野狐か、いや、この包みました皮は、狢 らしうござります。
一同目を注ぐ。お沢はうなだれ伏す。
神職 鏡||うむ、鉄輪 ||うむ、蝋燭 ||化粧道具、紅 、白粉 。おお、お鉄漿 、可厭 なにおいじゃ。······別に鉄槌 、うむ、赤錆 、黒錆、青錆の釘 、ぞろぞろと······青い蜘蛛 、紅 い守宮 、黒蜥蜴 の血を塗ったも知れぬ。うむ、(きらりと佩刀 を抜きそばむると斉 しく、藁人形をその獣 の皮に投ぐ)やあ、もはや陳 じまいな、婦 。||で、で、で先ず、男は何ものだ。
お沢 (息の下にて言う)俳優 です。
||「俳優 、」「ほう俳優。」「俳優。」と口々に言い継ぐ。
神職 何 じゃ、俳優 ?······||町へ参ってでもおるか。国のものか。
お沢 いいえ、大阪に||
禰宜 やけに大胆に吐 すわい。
神職 おのれは、その俳優 の妾 か。
お沢 いいえ。
神職 聞けば、聞けば聞くほど、おのれは、ここだくの邪淫 を侵す。言うまでもない、人の妾となって汚れた身を、鏝塗 上塗 に汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁 えずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒詛 う。
仕丁 その、その俳優 は、今大阪で、名は何と言うかな。姉 様。
神職 退 れ、棚村。恁 る場合に、身らが、その名を聞き知っても、禍 は幾分か、その呪詛 われた当人に及ぶと言う。聞くな。聞けば聞くほど、何が聞くほどの事もない。||淫奔 、汚濁、しばらくの間 も神の御前 に汚らわしい。茨 の鞭 を、しゃつの白脂 の臀 に当てて石段から追落 そう。||が呆 れ果てて聞くぞ、婦 。||その釘を刺した形代 を、肌に当てて居睡 った時の心持は、何とあった。
お沢 むずむず痒 うございました。
禰宜 何 じゃ藁人形をつけて······肌が痒い。つけつけと吐 す事よ。これは気が変になったと見える。
お沢 いいえ、夢は地獄の針の山。||目の前に、茨に霜の降 りましたような見上げる崖 がありまして、上 れ上れと恐しい二つの鬼に責められます。浅ましい、恥しい、裸身 に、あの針のざらざら刺さるよりは、鉄棒 で挫 かれたいと、覚悟をしておりましたが、馬が、一頭 、背後 から、青い火を上げ、黒煙 を立てて駈 けて来て、背中へ打 つかりそうになりましたので、思わず、崖へころがりますと、形代 の釘でございましょう、針の山の土が、ずぶずぶと、この乳 へ······脇 の下へも刺 りましたが、ええ、痛いのなら、うずくのなら、骨が裂けても堪 えます。唯くわッと身うちがほてって、その痒 いこと、むず痒さに、懐中 へ手を入れて、うっかり払いましたのが、つい、こぼれて、ああ、皆さんのお目に留 ったのでございます。
神職 はて、しぶとい。地獄の針の山を、痒がる土根性 じゃ。茨の鞭では堪 えまい。よい事を申したな、別に御罰 の当てようがある。何よりも先ず、その、世に浅ましい、鬼畜のありさまを見しょう。見よう。||御身 たちもよく覚えて、お社近 い村里 の、嫁、嬶々 、娘の見せしめにもし、かつは郡 へも町へも触れい。布気田 。
禰宜 は。
神職 じたばたするなりゃ、手取 り足取り······村の衆 にも手伝 わせて、その婦 の上衣 を引剥 げ。髪を捌 かせ、鉄輪 を頭に、九つか、七つか、蝋燭を燃 して、めらめらと、蛇の舌の如く頂かせろ。
仕丁 こりゃ可 い、可い。最上等の御分別 。
神職 退 れ、棚村。さ、神の御心 じゃ、猶予 うなよ。
||渠 ら、お沢を押取 込めて、そのなせる事、神職の言 の如し。両手を扼 り、腰を押して、真 正面に、看客 にその姿を露呈す。||
お沢 ヒイ······(歯を切 りて忍泣 く。)
神職 いや、蒼 ざめ果てた、がまだ人間の婦 の面 じゃ。あからさまに、邪慳 、陰悪の相を顕わす、それ、その般若 、鬼女 の面を被せろ。おお、その通り。鏡も胸に、な、それそれ、藁人形、片手に鉄槌。||うむその通り。一度、二度、三度、ぐるぐると引廻したらば、可 。||何 と、丑 の刻 の咒詛 の女魔 は、一本歯 の高下駄 を穿 くと言うに、些 ともの足りぬ。床几 に立たせろ、引上げい。
お沢 ええ! 口惜 しい。(殆 ど痙攣的 に丁 と鉄槌を上げて、面 斜めに牙 白く、思わず神職を凝視す。)
神職 (魔を切るが如く、太刀 を振 ひらめかしつつ後退 る)したたかな邪気じゃ、古今の悪気 じゃ、激 い汚濁じゃ、禍 じゃ。(忽 ち心づきて太刀を納め、大 なる幣を押取 って、飛蒐 る)御神 、祓 いたまえ、浄めさせたまえ。(黒髪のその呪詛 の火を払い消さんとするや、かえって青き火、幣に移りて、めらめらと燃上り、心火と業火 と、もの凄 く立累 る)やあ、消せ、消せ、悪火 を消せ、悪火を消せ。ええ、埒 あかぬ。床 ぐるみに蹴落 さぬかいやい。(狼狽 て叫ぶ。人々床几とともに、お沢を押落 し、取包んで蝋燭の火を一度に消す。)
お沢 (崩折 れて、倒れ伏す。)
神職 (吻 と息して)||千慮の一失。ああ、致 しようを過 った。かえって淫邪の鬼の形相 を火で明かに映し出した。これでは御罰 のしるしにも、いましめにもならぬ。陰惨忍刻 の趣は、元来、この婦 につきものの影であったを、身ほどのものが気付かなんだ。なあ、布気田 。よしよし、いや、村の衆 。今度は鬼女、般若の面のかわりに、そのおかめの面を被せい、丑 の刻参 の装束 を剥 ぎ、素裸 にして、踊らせろ。陰を陽に翻すのじゃ。
仕丁 あの裸踊 、有難い。よい慰み、よい慰み。よい慰み!
神職 退 れ、棚村。慰みものではないぞ、神の御罰じゃ。
禰宜 踊りましょうかな。ひひひ。(ニヤリニヤリと笑う。)
神職 何さ、笛、太鼓で囃 しながら、両手を引張 り、ぐるぐる廻しに、七度 まで引廻して突放せば、裸体 の婦 だ、仰向けに寝はせまい。目ともろともに、手も足も舞 踊ろう。
「遣 るべい、」「遣れ。」「悪魔退散の御祈祷 。」村人は饒舌 り立つ。太鼓は座につき、早 や笛きこゆ。その二、三人はやにわにお沢の衣 に手を掛く。||
お沢 ああ、まあ、まあ。
神職 構わず引剥 げ。裸体 のおかめだ。紅 い二布 ······湯具 は許せよ。
仕丁 腰巻 、腰巻······(手伝いかかる。)
禰宜 おこしなどというのじゃ。······汚 れておろうかの。
後見 この婦なら、きれいでがすべい。
お沢 (身悶 えしながら)堪忍して下さいまし、堪忍して下さいまし、そればかりは、そればかりは。
神職 罷成 らん! 当社 の掟 じゃ。が、さよういたした上は、追放 して許して遣る。
お沢 どうぞ、このままお許し下さいまし、唯お目の前を離れましたら、里へも家へも帰らずに、あの谿河 へ身を投げて、死 でお詫 をいたします。
神職 水は浅いわ。
お沢 いいえ、あの急な激しい流れ、巌 に身体 を砕いても。||ええ、情 ない、口惜 い。前刻 から幾度 か、舌を噛 んで、舌を噛んで死のうと思っても、三日、五日、一目も寝ぬせいか、一枚も欠けない歯が皆弛 んで、噛切 るやくに立ちません。舌も縮んで唇 を、唇を噛むばかり。(その唇より血を流す。)
神職 いよいよ悪鬼の形相 じゃ。陽を以って陰を払う。笛、太鼓、さあ、囃せ。引立てろ。踊らせい。
とりどりに、笛、太鼓の庭につきたるが、揃 って音 を入 る。
お沢 (村人らに虐 げられつつ)堪忍ね、堪忍、堪忍して、よう。堪忍······あれえ。
からりと鳴って、響くと斉 しく、金色 の機 の梭 、一具宙を飛落 つ。一同吃驚 す。社殿の片扉 、颯 と開 く。
巫女 (階 を馳 せ下 る。髪は姥子 に、鼠小紋 の紋着 、胸に手箱を掛けたり。馳せ出 でつつ、その落ちたる梭を取って押戴 き、社頭に恭礼し、けいひつを掛く)しい、······しい······しい。······
一同茫然 とす。
御堂 正面の扉、両方にさらさらと開 く、赤く輝きたる光、燦然 として漲 る裡 に、秘密の境 は一面の雪景 。この時ちらちらと降りかかり、冬牡丹 、寒菊 、白玉 、乙女椿 の咲満 てる上に、白雪 の橋、奥殿にかかりて玉虹 の如きを、はらはらと渡り出 づる、気高 く、世にも美しき媛神 の姿見ゆ。
媛神 (白がさねして、薄紅梅 に銀のさや形 の衣 、白地 金襴 の帯。髻 結いたる下髪 の丈 に余れるに、色紅 にして、たとえば翡翠 の羽 にてはけるが如き一条 の征矢 を、さし込みにて前簪 にかざしたるが、瓔珞 を取って掛けし襷 を、片はずしにはずしながら、衝 と廻廊の縁に出 づ。凛 として)お前たち、何をする。
||(一同ものも言い得ず、ぬかずき伏す。少しおくれて、童男 と童女 と、ならびに、目一つの怪しきが、唐輪 と切禿 にて、前なるは錦 の袋に鏡を捧げ、後 なるは階 を馳 せ下 り、巫女 の手より梭 を取り受け、やがて、欄干 擬宝珠 の左右に控う。媛神、立直 りて)||お沢さん、お沢さん。
巫女 (取次ぐ)お女中 、可恐 い事はないぞな、はばかり多 や、畏 けれど、お言葉ぞな、あれへの、おん前 への。
お沢 はい||はい······
媛神 まだ形代 を確 り持っておいでだね。手がしびれよう。姥 、預ってお上げ。(巫女受取って手箱に差置く)||お沢さん、あなたの頼みは分りました。一念は届けて上げます。名高い俳優 だそうだけれど、私 は知りません、何処 に、いま何をしていますか。
巫女 今日 、今夜||唯今の事は、海山 百里も離れまして、この姉 さまも、知りますまい。姥が申上げましょう。
媛神 聞きましょう||お沢さん、その男の生命 を取るのだね。
お沢 今さら、申上げますも、空恐 しうございます、空恐しう存じあげます。
媛神 森の中でも、この場でも、私 に頼むのは同じ事。それとも思い留 るのかい。
お沢 いいえ、私 の生命 をめされましても、一念だけは、あの一念だけは。||あんまり男の薄情さ、大阪へも、追縋 って参りましたけれど、もう······男は、石とも、氷とも、その冷たさはありません。口も利 かせはいたしません。
巫女 いやみ、つらみや、怨 み、腹立ち、怒 ったりの、泣きついたりの、口惜 しがったり、武 しゃぶりついたり、胸倉 を取ったりの、それが何 になるものぞ。いい女が相好 崩 して見っともない。何も言わずに、心に怨んで、薄情ものに見せしめに、命の咒詛 を、貴女 様へ願掛 けさしゃった、姉 さんは、おお、お怜悧 だの。いいお娘 だ。いいお娘 だ。さて何 とや、男の生命 を取るのじゃが、いまたちどころに殺すのか。手を萎 し、足を折り、あの、昔田之助 とかいうもののように胴中 と顔ばかりにしたいのかの、それともその上、口も利かせず、死んだも同様にという事かいの。
お沢 ええ、もう一層 (屹 と意気組む)ひと思いに!
巫女 お姫様、お聞きの通りでござります。
媛神 男は?
巫女 これを御覧遊ばされまし。(胸の手箱を高く捧げ、さし翳 して見せ参らす。)
媛神 花の都の花の舞台、咲いて乱れた花の中に、花の白拍子 を舞っている······
巫女 座頭俳優 が所作事 で、道成寺 とか、······申すのでござります。
神職 ははっ、ははっ、恐れながら、御神 に伺い奉る、伺い奉る······謹 み謹み白 す。
媛神 (||無言||)
神職 恐れながら伺い奉る······御神慮におかせられては||畏 くも、これにて漏れ承りまする処におきましては||これなる悪女 の不届 な願 の趣 ······趣をお聞き届け······
媛神 肯 きます。不届とは思いません。
神職 や、この邪 を、この汚 を、おとりいれにあい成りまするか。その御霊 、御魂 、御神体は、いかなる、いずれより、天降 らせます。······
媛神 石垣を堅めるために、人柱 と成って、活 きながら壁に塗られ、堤 を築くのに埋 められ、五穀のみのりのための犠牲 として、俎 に載せられた、私 たち、いろいろなお友だちは、高い山、大 な池、遠い谷にもいくらもあります。||不断私 を何と言ってお呼びになります。
神職 はッ、白寮権現 、媛神 と申し上げ奉る。
媛神 その通り。
神職 そ、その媛神におかせられては、直 ぐなること、正しきこと、明かに清らけきことをこそお司 り遊ばさるれ、恁 る、邪 に汚れたる······
媛神 やみの夜 は、月が邪 だというのかい。村里に、形のありなしとも、悩み煩らいのある時は、私 を悪いと言うのかい。
神職 さ、さ、それゆえにこそ、祈り奉るものは、身を払い、心を払い、払い清めましての上に、正しき理 、夜 の道さえ明かなるよう、風も、病 も、悪 きをば払わせたまえと、御神 の御前 に祈り奉る。
媛神 それは御勝手、私 も勝手、そんな事は知りません。
神職 これは、はや、恐れながら、御声 、み言葉とも覚えませぬ。不肖榛貞臣 、徒 らに身すぎ、口すぎ、世の活計に、神職は相勤めませぬ。刻苦勉励、学問をも仕 り、新しき神道を相学び、精進潔斎 、朝夕 の供物 に、魂の切火 打って、御前 にかしずき奉る······
媛神 私 は些 とも頼みはしません。こころざしは受けますが、三宝 にのったものは、あとで、食べるのは、あなた方 ではありませんか。
神職 えっ、えっ、それは決して正しき神のお言葉ではない。(わななきながら八方 を礼拝 す。禰宜 、仕丁 、同じく背 ける方 を礼拝す。)
媛神 邪 な神のすることを御覧||いま目 のあたりに、悪魔、鬼畜と罵 らるる、恋の怨 の呪詛 の届く験 を見せよう。(静 に階 を下 りてお沢に居寄 り)ずっとお立ち||私 の袖に引添うて、(巫女 に)姥 、弓をお持ちか。
巫女 おお、これに。(梓 の弓を取り出す。)
媛神 (お沢に)その弓をお持ちなさい。(簪 の箭 を取って授けつつ)楊弓 を射るように||釘 を打って呪詛 うのは、一念の届くのに、三月 、五月 、三年 、五年、日と月と暦 を待たねばなりません。いま、見るうちに男の生命 を、いいかい、心をよく静めて。||唐輪 。(女の童 を呼ぶ)その鏡を。(女の童は、錦をひらく。手にしつつ)||的 、的、的です。あれを御覧。(空 ざまに取って照らすや、森々 たる森の梢 一処 に、赤き光朦朧 と浮き出 づるとともに、テントツツン、テントツツン、下方 かすめて遥 にきこゆ)······見えたか。
お沢 あれあれ、彼処 に||憎らしい。ああ、お姫様。
媛神 ちゃんとお狙 い。
お沢 畜生 !(切って放つ。)
一陣の迅 き風、一同聳目 し、悚立 す。
巫女 お見事や、お見事やの。(しゃがれた笑 )おほほほほ。(凄 く笑う。)
お沢 ああ、どうしましょう、あれ、(その胸、その手を捜ろうとして得ず、空 しく掻捜 るのみ。)
媛神 それは幻、あなたの鏡に映るばかり、手に触 るのではありません。
お沢 ああ唯貴女のお姿ばかり、暗い思 は晴れました。媛神 様、お嬉しう存じます。
丁々坊 お使いのもの!(森の梢に大音 あり)||お髪 の御矢 、お返し申し上ぐる。······唯今。||(梢より先ず呼びて、忽ち枝より飛び下 る。形は山賤 の木樵 にして、翼 あり、面 は烏天狗 なり。腰に一挺 の斧 を帯ぶ)御矢をばそれへ。||(女の童 。階 を下 り、既にもとにつつみたる、錦の袋の上に受く。)
媛神 御苦労ね。
巫女 我折 れ、お早い事でござりましたの。
丁々坊 瞬 く間 というは、凡 そこれでござるな。何が、芝居 は、大山 一つ、柿 の実 ったような見物でござる。此奴 、(白拍子)別嬪 かと思えば、性 は毛むくじゃらの漢 が、白粉 をつけて刎 ねるであった。
巫女 何を、何を言うぞいの。何ごとや||山にばかりおらんと世の中を見さっしゃれ、人が笑いますに。何を言うぞいの。
丁々坊 何か知らぬが、それは措 け。はて、何 とやら、テンツルテンツルテンツルテンか、鋸 で樹 をひくより、早間 な腰を振廻 いて。やあ。(不器用千万なる身ぶりにて不状 に踊りながら、白拍子のむくろを引跨 ぎ、飛越え、刎越 え、踊る)おもえばこの鐘うらめしやと、竜頭 に手を掛け飛ぶぞと見えしが、引 かついでぞ、ズーンジャンドンドンジンジンジリリリズンジンデンズンズン(刎上 りつつ)ジャーン(忽 ち、ガーン、どどど凄 じき音す。||神職ら腰をつく。丁々坊 、落着き済まして)という処じゃ。天井から、釣鐘 が、ガーンと落ちて、パイと白拍子が飛込む拍子に||御矢 が咽喉 へ刺 った。(居 ずまいを直す)||ははッ、姫君。大 釣鐘と白拍子と、飛ぶ、落つる、入違 いに、一矢 、速 に抜取りまして、虚空 を一飛びに飛返ってござる。が、ここは風が吹きぬけます。途 すがら、遠州灘 は、荒海 も、颶風 も、大雨 も、真の暗夜 の大暴風雨 。洗いも拭 いもしませずに、血ぬられた御矢は浄 まってござる。そのままにお指料 。また、天を飛びます、その御矢の光りをもって、沖に漂いました大船 の難破一艘 、乗組んだ二百あまりが、方角を認め、救われまして、南無大権現 、媛神様と、船の上に黒く並んで、礼拝 恭礼をしましてござる。||御利益 、||御奇特 、祝着 に存じ奉る。
巫女 お喜びを申上げます。
媛神 (梢を仰ぐ)ああ、空にきれいな太白星 。あの光りにも恥かしい、······私 の紅 い簪 なんぞ。······
神職 御神 、かけまくもかしこき、あやしき御神、このまま生命 を召さりょうままよ、遊ばされました事すべて、正しき道でござりましょうか||榛貞臣 、平 に、平に。······押して伺いたてまつる。
媛神 存じません。
禰宜 ええ、御神 、御神。
媛神 知らない。
||「平 に一同、」「一同偏 に、」「押して伺い奉る、」村人らも異口同音にやや迫りいう||
巫女 知らぬ、とおっしゃる。
神職 いや、神々の道が知れませいでは、世の中は東西南北を相失いまする。
媛神 廻ってお歩行 きなさいまし、お沢さんをぐるぐると廻したように、ほほほ。そうして、道の返事は||ああ、あすこでしている。あれにお聞き。
「のりつけほうほう、ほうほう、」||梟 鳴く。
神職 何、あの梟鳥 をお返事とは?
媛神 あなた方 の言う事は、私 には、時々あのように聞こえます。よくお聞きなさるがよい。
||梟、頻 に鳴く。「のりつけほうほう」||
老仕丁 のりつけほうほう。のりたもうや、つげたもうや。あやしき神の御声 じゃ、のりつけほうほう。(と言うままに、真先 に、梟に乗憑 られて、目の色あやしく、身ぶるいし、羽搏 す。)
||これを見詰めて、禰宜と、仕丁と、もろともに、のり憑 かれ、声を上ぐ。||「のりつけほう。||のりつけほうほう、ほう。」
次第に村人ら皆憑 らる||「のりつけほうほう。ほうほう。ほうほう」||
次第に村人ら皆
神職 言語 道断、ただ事 でない、一方 ならぬ、夥多 しい怪異じゃ。したたかな邪気じゃ。何が、おのれ、何が、ほうほう······
(再び太刀 を抜き、片手に幣を振り、飛 より、煽 りかかる人々を激しくなぎ払い打ち払う間 、やがて惑乱し次第に昏迷 して||ほうほう。||思わず袂 をふるい、腰を刎 ねて)ほう、ほう、のりつけ、のりつけほう。のりつけほう。〔備考、この時、看客 あるいは哄笑 すべし。敢 て煩わしとせず。〕(恁 くして、一人一人、枝々より梟の呼び取る方 に、ふわふわとおびき入れらる。)
丁々坊 ははははは。(腹を抱 えて笑う。)
媛神 姥 、お客を帰そう。あらしが来そうだから。
巫女 御意 。
媛神 蘆毛 、蘆毛。||(駒 、おのずから、健かに、すとすと出 づ。||ほうほうのりつけほうほう||と鳴きつつ来 る。媛神。軽く手を拍 つや、その鞍 に積めるままなる蕪 、太根 、人参 の類 、おのずから解けてばらばらと左右に落つ。駒また高らかに鳴く。のりつけほうほう。||)
媛神 ほほほほ、(微笑 みつつ寄りて、蘆毛の鼻頭 を軽く拊 つ)何だい、お前まで。(駒、高嘶 きす)〔||この時、看客の笑声 あるいは静まらん。然 らんには、この戯曲なかば成功たるべし。〕||お沢さん、疲れたろう。乗っておいで。姥 は影に添って、見送ってお上げ||人里まで。
お沢 お姫様。
巫女 もろともにお礼をば申上げます。
蘆毛は、ひとりして鰭爪 軽く、お沢に行く。
丁々坊 ははは、この梟、羽を生 せ。(戯れながら||熊手にかけて、白拍子の躯 、藁人形、そのほか、釘、獣皮などを掻 き浚 う。)
巫女 さ、このお娘 。||貴女様に、御挨拶 申上げて······
お沢 (はっと手をつかう)お姫様。草刈 、水汲 いたします。お傍 にいとう存じます。
媛神 (廻廊に立つ)||私 の傍 においでだと、一つ目のおばけに成ります、可恐 い、可恐い、······それに第一、こんな事、二度とはいけません。早く帰って、そくさいにおくらし。||駒に乗るのに坐っていないで、遠慮のう。
お沢 (涙ぐみつつ)お姫様。
巫女 丁 どや||丑 の上刻 ぞの。(手綱 を取る。)
媛神 (鬢 に真白 き手を、矢を黒髪に、女性 の最も優しく、なよやかなる容儀見ゆ。梭 を持てるが背後 に引添い、前なる女の童 は、錦の袋を取出 で下より翳 し向く。媛神、半ば簪 して、その鏡を視 る。丁々坊は熊手をあつかい、巫女 は手綱を捌 きつつ||大空 に、笙 、篳篥 、幽 なる楽 。奥殿 に再び雪ふる。まきおろして)||
||幕||