四月七日だというのに雪が降った。
同業、東洋陶器の
会場からほど遠い、
池田や小室とおなじく、伊沢もかつては航空機の機体の下受けをやり、戦中は、命がけで新造機に試乗したりして、はげまし合ってきた仲間だが、戦後、申しあわしたように瀬戸物屋になってしまった。
「いやはや、どうもご苦労さん」
「式には、見えなかったようだな」
「洋式の花嫁姿ってやつは、血圧に悪いんだ。ハラハラするんでねえ」
「それにしては、念のいった着付じゃないか」
「なァに、告別式の帰りなのさ。こっちは一時間ぐらいですむんだろう。久し振りだから、今日は附合ってもらおう。そういえば、ずいぶん逢わなかった。そら柚子さんの······」
いいかけたのを、気がついてやめて、
「それはともかくとして······どうだい、逢わせたいひともあるんだが」
「それは、そのときのことにしよう」
チャイム・ベルが鳴って、みなが席につくと、新郎新婦がホールへ入ってきた。新郎は五尺六七寸もある、日本人にはめずらしく燕尾服が身につく、とんだマグレあたりだが、新婦のほうは、思いきり
新郎と新婦がメイーン・テーブルにおさまると、すぐ祝宴がはじまった。新婦は
この戦争で、死ななくともいい若い娘がどれだけ死んだか。戦争中だから、まだしもあきらめがよかったともいえるが、いくらあきらめようと思っても、あきらめられないものもあり、是非とも、あきらめなければならないというようなものでもない。死んだものには、もうなんの
柚子はそのころ、第

だいたいが屈託しない気質で、あらゆる喜びを受けいれられる人生の花盛りを、しかめッ
四月七日の霜柱の立つ寒い朝、滝野川で浸礼を受けた帰り、自分にはいままで幸福というものがなかったが、いま、ささやかな幸福が訪れてくれるらしいというようなことをいった。それが、柚子の人生におけるただ一度のよろこびの言葉であった。
「あれだけが、せめてもの心やりだ」
池田は機械的にスプーンを動かして、
そのころ、池田の会社では、青梅線の
「日本が、いま戦争をしているというのは、ほんとうでしょうか」
日本は戦争をしているが、いまはもう、半ば
「たしかに戦争をしているんだが、真の意味の戦争ではないようだな。こちらだけが、無際限にやられるというんじゃ、これはもう、なにかべつなことだよ」
「このあいだから、あたしもそんな気がしているの······あたしたち、ミナゴロシになるのね。爆撃で死ぬか、焼け死ぬか、射ち殺されるか······それは覚悟していますけど、無宗教のままで死ぬのが、怖くてたまらないのよ」
兄の細君は、代々、京都のN神社の宮司をしている
「無宗教って、お前のところは、たいへんな神道じゃないか。それではいけないのか」
「だって叔父さま、神道は
つまるところ、じぶんの気持にいちばん近いのは基督教だから、大急ぎで洗礼を受けたい。それに立会ってもらいたいということなのだが、兄がいたら、とても、ただでは置くまい。ひょっとしたら、一刀両断にもしかねないところだ。
「えらいことを、いいだしたもんだな」
「あたし、どんなに苦しんだかしれないの。お気に
柚子が浸礼を受けることにしたのは、道灌山の崖下にある古ぼけた木造の教会で、約束の時間に先方へ行くと、西洋人の白髪の牧師が入口まで出てきて二人を迎えた。達者な日本語で、あなたは、どうぞここでと、池田をベンチへ掛けさせると、柚子を連れて奥のほうへ入って行った。
粗末なベンチが二列に並んだ正面に、低い壇があり、そのうしろが
そのうちに、伝道婦らしいのが出てきて、気のないようすでオルガンを奏くと、その音にあわせて、正面の扉のうしろは二坪ほどのコンクリートの水槽になっていて、素膚に薄い
眼をすえて見ていると、牧師は右の掌を柚子の背中の真中あたりにあて、いきなり、あおのけにおし倒した。柚子の身体は、一瞬、水に隠れて見えなくなったが、ほどなく頭から水をたらし、なにかの絵にあった
馬鹿なことをするものだと、池田が腹をたてているうちに、また貧弱なオルガンが鳴って、それで正面の扉が閉まった。
「すみました。ありがとうございました」
柚子は服を着て出て来たが、血の気のない顔をし、歯の根もあわないほど震えている。車が家へ着くまで、充ち足りたような、ぼんやりとした眼つきでなにか考えているようだったが、震えはとまらなかった。
これが肺炎の原因になったことはいうまでもない。その晩から熱をだし、規定どおりのプロセスを経て、四月十三日、夜の十一時四十分、大塚から高円寺まで焼かれた空襲の最中に息をひきとった。死ぬ二日前、
「では、池田さん、どうぞ」
ふと、我にかえると、いつの間にかデザート皿が出ていて、みなの視線がうながすようにこちらへむいている。忘れていた······伊沢の次に弔辞を述べるはずだったと、池田は咄嗟に立ちあがると、眼を伏せたまま、
「小室さんのお嬢さんが、二十三という人生の春のはじめに、この世を見捨てて行かれたということは、惜しみてもあまりあることで、ご両親のご心中······」
と、ねんごろな調子でやりだした。
「池田君、池田君」
伊沢が上着の裾をひっぱる。なんだ、といいながら振返った拍子に、いっぺんに環境を理解した。池田はひっこみがつかなくなったが、さほど、あわてもせず、
「ご当人にとっては、結婚は、新しく生まれることであり、人生における、新しい出発でありますけれども、ご両親にとっては、これで、娘は死んだもの、無くしたもの······そしらぬ顔はしておりますが、娘を嫁にやる親は、みな、いちどはこういう涙の谷を渡って······」
と、むずかしいところへ、むりやりに落しこんだ。
伊沢と二人でラウンジまでひきさがったところで、池田は急に疲れてコージイ・コーナーの長椅子へ落ちこんだ。
「
「もう、よせ」
「よすことはない。あんなオペシャに、百合の花なんか抱えて、花嫁
「おれは、他人が
「結婚式という儀式だけのことなら、柚子さんも、やっていたかも知れないぜ」
「なにを馬鹿な」
「すると、君は、なんの
「感度って、なんのことだ」
「これはたいしたフェア・プレーだ。柚子さんというのは、どうして、なかなかの
伊沢の口調の中に、ひとの心に不安を掻きおこすような意地の悪さがある。なんのことだろうと考えているうちに、柚子が死んでから、日記を読んで感じた、あのわからなさが、またしても気持にひっかかってきた。
終戦の前年、七月の末ごろ、次兄の
「きょうは、おねがいがあってあがったの。大森の工場で働かせていただきたいと思って」
大森の工場といっているのは、航空機の機体の
「働きたかったら、ここで働けばいい」
「事務や庶務なら、正直なところ、気乗りがしないんです」
柚子はながい間、稚い才覚で、自分一人の生活を、設計施工してきたわけで、
翌日、早くから工場へやってきたので、主翼工程の管理をしている技師に預け、
「われわれが注意しはじめてから、雨の日も風の日も、休まずに、もう三週間もつづいているんですがねえ」
柚子は麻布霞町の家から都電で品川まで来て、川崎行のバスに乗るから、当然、大森海岸で降りるわけで、これにはふしぎはないが、四十分もそんなところに立っているというのは尋常でない。尾崎、ゾルゲの事件のあった直後で、うるさい時期でもあった。
翌朝、池田は大森海岸のバスの停留所の近くに車をとめて、窓から見ていると、七時ちょっとすぎに柚子がバスから降りてきた。なるほど携げ袋から岩波の文庫本かなにか出して、立ったまま読んでいる。
ひいき眼ではなく、頭は悪そうではないが、憲兵づれに注目されるまで、毎朝、こんなところで、なにをうつつをぬかしているのかと、ジリジリしていると、まだ
毎朝、島の収容所から、日本通運、京浜運河、三菱倉庫、日本製油、鶴見造船などの
何台か通りすぎて行ったあと、日本通運のマークを入れたトラックが進んできたが、柚子が立っているあたりまで近づくと
その一人は、どこか弱々しい感じのする、二十四五のノーブルな顔をした若い男で、柚子のほうへ花が開くような微笑をしてみせた。羞かんだような微笑の美しさは、たとえようのないもので、あまり物事に動じない池田の心にさえ、強く迫ってくるような異様な情感を味わわせた。
池田が見たのは、それだけのことだった。寄宿舎でばかり暮していた、世間見ずの廿三の娘が、あれほどの魅力を、やすやすとはねかえせようとは思えないが、だからといって、それ以上のことは、なにが出来るものか。柚子の心のなかに分け入って、そういう情緒は不潔だと、きめつけるつもりなら問題は別だが、形のうえでなら、非難することも、叱ることもできないみょうなぐあいのものである。池田も当惑の気味だったが、用心するに
「ちょっと話があるから、寮へ行こう。会社へは、寮から電話をかけさせるから、かまわない」
寮といっているが、この十年来、メートレスの役をしている、
二百米ほどむこうの島に、俘虜収容所の建物があるので、海沿いの家の二階の窓はみな目隠しをされてしまったが、その家は
「あれが収容所だ」
柚子は、のびあがって見ていたが、
「空襲なんかあったらどこへ逃げるんでしょう」
と、つぶやくようにいった。
「まあ、そこへ坐りなさい。けさ、長いことバスの停留所に立っていたね。おれは車の中から、お前のすることを見ていた。注意してくれたひとがあったので、すこし前から、まいにち見ていた」
柚子は困ったような顔で笑って、
「あたし、ほんとうに馬鹿よ。こんどくらい、よくわかったことはないの。もう、やめますから、お叱りにならないで、ちょうだい」
「馬鹿だった、だけじゃ、わからない。なにをしていたのか、お前の口から、いってごらん」
「ごらんになったでしょう、あの若いひと······はじめてすれちがった日から、あんな眼つきで、あたしを見て行くのよ。癪だから、あのトラックが来るまで、あそこに立っていて、睨みかえしてやるの」
「なんだか、わからない話だな」
「でも、それをしないと、一日中、気になってたまらないの。クシャクシャするんです」
「気になるというのは、好きだということなのか」
「それは、あたしも考えてみたことがあるの。でも、そうではなさそうなんです」
「そんなこと、不自然じゃないか」
「不自然でもなんでも、そうなんです」
そういうと、いきなり畳に両手をついて頭をさげた。
「ごめんなさい。あんなつまらないこと、やめるわ」
いきなり、あやまってしまったりするのは、柚子の性質にないことだ。たしかに
「やめられるなら、やめたほうがいいね。ついでに、工場のほうも、しばらく、よせ」
「ええ、そうします」
「明日から千駄ヶ谷へ来なさい。女中より先に起きて、家のことをするんだ。いいかね」
柚子はすこしばかり身の廻りのものを持って池田の家へ移って来た。当座は、沈んだ顔をしていたが、そのうちに、二人の娘を学校へ出してやることから、ベッドに入れる世話まで、かいがいしくやるようになった。若いアメリカ人のことは、忘れてしまったのか、調子はずれな声で、鼻歌をうたったりする。それでも、もしやという
それからしばらくして、女中の口から、柚子が、毎朝、八時ごろに家を出て、夕方、五時ごろ帰ってくるという事情が洩れた。柚子からは、そんなことは一度も聞いていないので、不審をおこして、たずねてみた。
「毎日、どこかへ出て行くそうだが、どんな用があるんだね」
「市川と与野へ、一日がわりに買出しに行っているのよ。そうでもしなければ、とてもやっていけないんですから」
足りないながら、さほど
柚子が死んでから、手箱の整理をしていると、手帳式の
日記は、二月六日にはじまって、翌年の三月で終っているが、池田が記憶している天気と、齟齬しているところが多い。たとえば、九月四日、晴とあるが、その日は朝から土砂降りで、予定した試乗を延期した。十月十二日、雨とあるが、この日は長女の誕生日で、ホテルのグリルで、かたちばかりの晩餐をしたので、よくおぼえている。この日は、一日中、よく晴れていた。
察しるところ、晴とか雨とかいうのは、天気のことでなくて、柚子の心おぼえのようなものだったのだろう。解くべき鍵もないので、疑問のままになっていたが、伊沢の思わせぶりないいまわしを聞いているうちに、ふと、それを思いだした。
煤緑の
ラウンジの窓から、池田は、さざ波の立つ濠の水の色をながめていたが、伊沢が知っていて、自分の知らない柚子の過去があるらしいと思うと、愉快でなくなった。
柚子が
感傷といわれれば、そのとおりにちがいないが、柚子の過去の話が、暗いつまらぬことなら、知らずにすますほうがいい。いまになって興ざめなことを聞いて、幻滅を感じるのでは、やりきれないとも思うが、気持がそちらへ曲りこんでしまった以上、聞かずにすましてしまうというわけにもいかない。
「伊沢君さっき、誰かに逢わせたいといっていたが、それは、どういうひとなんだ」
「カナダから来たマダム・チニーというひとだ。五日ばかり前に東京へ着いて、いまこのホテルにいる」
「バイヤーか」
「バイヤーじゃない。息子の墓を見にきたんだそうだ。君の話をしたら、非常に逢いたがっていたから」
伊沢は池田の顔を見ながら、なにか考えていたが、ひとりでうなずくと、
「そうだな、はっきりさせるほうがいいんだろう······チニー夫人というのは、柚子さんのお姑さんになるはずだったひとなんだ」
「すると、柚子がカナダ人と結婚していたということになるのかね」
「そうだ」
すわり加減の眼の色を見ると、伊沢が冗談をいっているのでも、ふざけているのでもないことがわかる。
「そんな話を、いままでおれに隠していたのは、なぜだ」
「おれはさ、君が知っているのだとばかり思っていた。いいださないのは、触れたくないのだと、邪推していたんだ」
池田は、つとめて平静にしていようと思ったが、ひとりでに
「邪推か、よかったね······ともかく、おれはなにも知らないんだから、よく事情を聞かせてもらいたいな。いったい、いつごろのことなんだ」
「終戦の年の四月八日」
「なるほど······浸礼を受けたのは、結婚式の準備だったわけか」
「そのとおり······
「相手はいったい何者だい」
「ロバート・チニー······フランス系のカナダ人、香港で捕虜になって、こっちへ送られてきた。君はいちど顔を見ているはずだと、柚子さんがいっていたがね」
あの朝、京浜国道をトラックに乗ってやってきた男なんだろうと、池田にも、すぐ察しがついた。
「心あたりはある。しかし、君はどうしてそんなことを知っているんだ」
「柚子さんが、なにもかも、うちあけた」
「柚子が君のところへ行ったのは、どういうわけなんだい」
「ロバート君は、いぜん、うちの工場へ使役に来ていたことがある。やはり俘虜なんだが、
伊沢は火をつけたばかりの葉巻を、灰皿のうえに投げだすように置くと、
「柚子さんは、トラックに乗ってくる名も国籍も知れない男に惚れて、惚れて惚れて、仕方がなくなって、理でも非でもかまわない、敵であろうが味方であろうが、
「そんな役までしたのか」
「なんと言われようと、ロバート君の居どころを教えたのはおれなんだ。柚子さんは、毎日、汽車で平潟から日立へ通っていたらしいが、ロバート君は、そこからまた新潟の分所へやられ、そこで病気になって、東京へ帰ってきた」
終戦の前の年の十月、二人の娘を疎開させなければならないと思いつつ、手がまわりかねていると、柚子は自分で奔走して、友達の郷里の、茨城県の平潟という町へ疎開させることにきめた。転校の手続きまでテキパキとやってのけ、娘達の着換えや学用品をつめたリュックを背負うと、じゃ、まいりますから、ごきげんよろしう、と二人の従妹の手をひいて、サッサと上野から発って行った。
柚子は、娘達が土地馴れたら、帰ることになっていたが、一月の中頃、ぜひ見てあげなければならない病気の友達があって、いま新潟に来ているという便りをよこしたが、三月のはじめごろ、ひどく
「それで、そのロバートというひとは?」
「聖路加病院で死んだ······死ぬすこし前、
「平気な顔で、おれにそんなことが言えるな」
伊沢は膝に手を置いたまま、
「なぜいけない? いったい、あれはどういう時期だった? まさか、こんなざまで降伏するとは思わない。最後の
柚子の日記帳の「晴」というのは、その日、ロバートに逢えたというメモなのだろう。曇後晴というのは、長い間待ったあとで、ようやく顔を見た日の記録である。
そのころの柚子の生活は、晴と雨のほか、なにものも容れる余地のないほど、充足した日々だったらしい。
池田は、むずかしい顔を崩さずにいった。
「これだけ鮮かにやられれば、腹もたたないよ。それで、結婚式は、どんなふうだったんだ」
「
「それは、どうもご苦労さま。たいへんだったでしょう」
ボーイにチニー夫人の都合を聞かせにやると、お待ちしているという返事だったので、二人はエレヴェーターで三階へ行った。
明るい窓際の机の上に写真立が載っている。いつかの青年と柚子が枠の中にべつべつにおさまって笑っていた。
奥の間へつづく扉が開いて、六十歳ぐらいに見える、やさしげな眼差をした白髪の婦人が、銀の握りのついた黒檀の杖を突きながら、そろそろと出てきた。
伊沢が池田を紹介すると、池田は、わざと日本語で、
「このたびは、ふしぎなご縁で」と丁寧に挨拶した。
伊沢が通訳するのを、老人は首をかしげながら聞いていたが、ふしぎ、ふしぎ、と味わうようにいくども口の中でくりかえしてから、
「おう、そうです」
と池田のほうへ手を伸ばした。
この手は、柚子が生きていたら、どんなにかよろこんで[#「よろこんで」は底本では「よろこんて」]握るはずの手だった。そのときの柚子の顔を想像すると、気持まではっきりと伝わってくるようで、なかなか離しがたい思いがするのだった。