前大戦が終った翌年、まだ冬のままの二月のはじめ、パリの山手のレストランで働いているジャンヌ・ラコストという娘が、この十カ月以来、消息不明になっている姉のマダム・ビュイッソンの所在をたずねていた。スペインの国境に近いビアリッツにいる姉の一人息子が失明したという通知があったので、大急ぎで知らせなければならないと思ったのである。
心あたりというほどのものはなかったが、前年の夏、休戦の二カ月ほど前、偶然、あるキャフェで姉と落ちあったとき、アンリ四世のような見事な
それで、とりあえずガムベェの村長に宛てて照会の手紙を出すと、折返して返事があった。そういう名の人物は居住していないが、手紙の趣にある
姉の消息を聞きだせるかと思っていたその当のひとまでが所在不明になっている。ジャンヌは考えにあまって、ガムベェの村長の手紙をもって警視庁の人事部へ姉の捜査をねがいに行った。
前年の十月、馬鈴薯袋や防水紙の遮閉幕の蔭で息をひそめていた巴里が、やっとのことで四年という長い暗黒生活から解放されたが、治安状態はまだ闇のままであった。
敏腕な部課員はすべて前線に駆りだされ、捜査局は防諜事務に専念し、各区の自警団とわずかばかりの老年の臨時警官の手で辛うじて治安の最後の線を保持していた状態だったので、捜査局の文書箱には三百件に及ぶ家出人、失踪者の捜索願が積みあげられたままになっていた。
捜査局長は、名探偵といわれたゴロンやギュスターヴ・マセェの弟子のガッファロだったが、三年来、フリードマンという男の捜査請求に手を焼いていた。フリードマン氏の細君の妹にあたるアンヌ・クゥシェという未亡人と当時十七歳になっていたクゥシェ夫人の息子のアンドレェが四年前に消息不明になっている。失踪すべき理由がないのだから、ぜひとも捜査してもらいたいというのである。
戦前でも、人間の片脚や胴体が、一と月に一つや二つはセーヌ河に浮きあがるのはめずらしいことではなかったが、治安のゆるんだ戦中だといっても、四年の間に三百人の失踪者はなんとしても多すぎる。どうも異常だとガッファロも考えていた。
ジャンヌの捜査願が人事部から捜査局にまわってきた。ガッファロが眼をとおしてみると、クゥシェ夫人の失踪になにかの関係があったと思われているレーモンド・デァールという男の人相にそっくりである。レーモンド・デァールとラウール・デュポンとアンドレ・シャルクロァは、ひょっとすると同一人物かもしれないと考えられるので、ガムベェへ部員をやって、三月の末まで「エルミタージュ」を見張らせたが、ラウール・デュポンなる人物はとうとう現われて来なかった。
復活祭も近づいた四月一日のよく晴れた午後、ジャンヌ・ラコストが宝石商や婦人服屋が並んでいるリュウ・ド・ヴォリの歩道を歩いていると、ついそばの店から二十七八の美しい婦人を連れたアンドレ・シャルクロァが出てきて、ゆっくりとコンコルドの広場のほうへ行った。
「たしかにこのひとだった」
と、ジャンヌはつぶやき、ひと時、
顎髯はなかったが、青とも灰色ともつかぬうるんだような一種独得な深い瞳の色は、まぎれもなくいつかの紳士のものであった。
ジャンヌは二人を追いかけようとしたが、自分などの手に負えそうもなかったので、追うのはやめて、町角に立っていた警官にそういった。
「たいへんなひとを見つけた。捜査局のガッファロが幾月も前から探しているひと······いま、あそこの店から出てきた。行って聞いてごらんなさい。アドレスがわかるかもしれない」
シャルクロァはその店で八百
捜査局の刑事がすぐアドレスの家へ出かけて行った。ルシァン・ルルゥはフェルナンド・セグレェという娘と二人で、二月のはじめから通りにむいた四階に住んでいる。玄関番に聞くと、娘はいるが、ルルゥはまだ帰らないといった。
刑事が張込みをしていると、夜の十時ごろになってルルゥが帰って来た。刑事の一人がつぶやいた。
「なんだ、ランドリュじゃないか。自動車の直しをしたり、中古自動車のブローカァをやったりしていたやつだ。たしか、五つや六つは窃盗の前科があるはずだ」
失踪人の関係者というだけでは、令状が出ない。犯罪簿をしらべると、窃盗の古い前科が出てきたので、とりあえずそれを名目にして身柄をおさえることにした。
翌朝、十時頃、ランドリュが通りへ新聞を買いに出てきた。刑事は帰ったところを見すかしてランドリュの部屋の扉をノックした。ランドリュはソファで新聞を読み、愛人のセグレェは寝床の中にいた。
「アンリ・デシレェ・ランドリュ······せっかくのところを気の毒だが、ちょっといっしょに行ってもらうよ」
「おどろきましたね。どんなご用です」
「むかし勤め残した
ランドリュは上着を着こむと、逆いもせずに刑事といっしょに部屋を出た。
リュクサンブゥル公園のわきから、セェヌ河の中洲にある警視庁までは歩いて二十分ほどの距離である。春めいたよく晴れた朝だった。三人は冗談を言いながらサン・ミッシェルの通りをセェヌ河のほうへブラブラ歩いて行った。誇張していえば、これは歴史的瞬間とでもいうようなものであった。凡庸な二人の中年の刑事は、これこそは、犯罪というものの歴史がはじまって以来の最大の捕物になろうとは、夢にも思っていなかったのである。
セェヌ河の左岸と中ノ島をつなぐサン・ミッシェルの橋がむこうに見えだしたとき、ランドリュは、なに気ないふうに上着の内かくしから出した手帳のようなものを車道へ捨て、
刑事の一人が、
「おっと」
といって穴に落ちかけている手帳を靴でふまえた。
「おかしな真似をするじゃないか。どうしようというんだ」
拾いあげて、頁をひらいてみると、年月日や、人の名や、金額などが、気質が察しられるような克明な文字でキチンと書きこまれてある。
「これはなんだい」
「むかし使った取引の手帳だ。要らないから捨てようと思っただけだ」
刑事は手帳を持ったまま、ふむ、といってランドリュの顔を見かえした。
ランドリュは苛立って舌打ちをした。
「
「符牒ね······なるほど、そうらしい」
「ひねりまわしていないで、こっちへよこせ」
「要らないから捨てたんだろう。また欲しくなったのか」
「それは、おれのものだから返せというんだ。さもなかったら、その穴へ捨てろ」
刑事は手帳を返しかけたが、あまりしつっこくせがむので、なんだか妙だと思った。それで渡しかけていた手をひっこめ、
「ともかく、これは預っておく」
といって手帳をかくしにおさめた。
眼にもとまらぬこの一転機を、これこそ神の
ランドリュの手帳に書いてあった符牒とは、つぎのようなものであった。
1 マダム・クゥシェ
ヴェルヌイユ駅行片道切符二枚 十スゥ
2 資産約六万フラン、有価証券二万フラン、家具一万フラン、宝石一万八千フラン(ブレジル)
ブレジル||一九一五年六月十五日
ヴェルヌイユ駅片道切符[#「ヴェルヌイユ駅片道切符」はママ]一枚 五スゥ
3 クロザチェ 一九一五年八月十五日
ヴェルヌイユ駅片道切符[#「ヴェルヌイユ駅片道切符」はママ]一枚 五スゥ
4 マダム・エオン
5 マダム・コロム 一九一六年十二月二十七日 ヴィラ・ガムベェ午前四時||五千八十七フラン
6 バブレェ 四月 零時||午前四時
7 ビュイッソン未亡人 一九一七年九月一日||午前十時十五分
8 マダム・ジェローム 一九一七年十月二十六日||午前三時
9 マダム・パスカル ヴィラ・ガムベェ
10 テレーズ・マルシャンディユ ヴィラ・ガムベェ行自動車賃二十フラン貸||九百五十フラン
ランドリュは取引の符牒だといった。符牒なら符牒で解く方法があるが、これではあまり簡単明瞭で、手のつけようがないといったところだ。ヴェルヌイユは巴里の市門から南八キロほどのところにある村の名で、ヴェルサイユ行の軽便鉄道に同名の駅がある。二年ほど前、ランドリュはその村の「ロッジ」という名の別荘を借りて住んでいたことがある。五スゥとは二十五サンチーム(四分の一フラン)。セェヌ河の河岸にある始発駅(ケユ・ドルセェ駅)、ヴェルヌイユ間の運賃に相当する。
わずか二十五文の[#「二十五文の」はママ]汽車賃を手帳に書きつけておくのはいささか
疑えば疑えるといったあやしげなことはどこにもない。他人に見られては困るというようなものとも思えないのに、ランドリュは軽率の危険をおかして手帳の
試みに三百件を超える失踪者の名簿を繰ってみると、手帳にある名がたくさん出てきた。クゥシェ、エオン、コロム、バブレェ、ビュイッソン、ジェローム、パスカル、マルシャンディユ······ランドリュの手帳にある名に該当するものは、八人ともみな失踪中の女性の名だということになる。
「ブレジル」と「クロザチェ」はなにものを指しているのか。
ブレジルはブレジル、南米のブラジルのことで、クロザチェは、巴里の第十二区、フオブウル・サント・アントアンヌとヴゥルヴァル・ディドロォをつなぐ通りの名である。
八人の女性の名のなかに、国の名と町の名が唐突にまじりあっている。失踪者の名簿を調べてみると、ブラジルで遺産を相続して巴里へやってきたラボルト・リネェという富裕な未亡人がある。ラボルト・リネェは一九一五年の六月十五日に家を出たまま消息不明になっていて、「ブレジル」という斜体の文字の下にある手帳の日附と合っている。「ブレジル」とはラボルト・リネェという未亡人を指していることが、これでわかった。おなじく失踪者の中に、クロザチェの二十八番地に住んでいたマダム・ギランという未亡人の名が載っている。マダム・ギランは一九一五年の八月十五日に失踪していて、これも手帳の日附と合致する。
単純で、そのくせひどく神経を疲らせる謎解きのおかげで、八つの名の序列に、新たにラボルト・リネェとマダム・ギランという二つの名が加わることになったが、同時に、手帳にある日附は、それらの女性をヴェルヌイユかガムベェに連れだし、この世の生活から消しとってしまったその日附だということが推測できるようになった。従って、午前零時、三時、四時とあるのは、それぞれ謀殺を完了した時刻をしめしているので、「五千八十七フラン」または「九百五十フラン」という記載は、その日犠牲者が持っていた金||つまりは、ランドリュが殺害後に掠めとった金額をしるしたものだろうと判定された。
三百人の失踪者については、肉親や友人から捜索願が出ているが、失踪の状況がそれぞれちがうので、特定の概念のなかに
ランドリュの態度に関係なく、ガッファロは着々と捜査をすすめた。ヌイイのイヴリイという通りに、自動車の小さな修理工場とガレージのついたランドリュの本宅があって、細君と四人の子供が住んでいたが、そこでマダム・クゥシェの耳飾と腕輪を、発見した。腕輪は細君が腕にはめ、耳飾は長男の許婚者がつけていた。ガレージの屋根の衣裳
ガムベェの「エルミタージュ」の屋根部屋からもいろいろなものが出てきた。マダム・コロムの服、マドレェヌ・バブレェの戦時身分証明と絹の下着、金を
ヴェルヌイユの「ロッジ」については、一五年中に、田園看守から報告が出ていた。六月十五日の夜の十一時頃、モネェという
ヴェルヌイユの「ロッジ」は法医学のポール・エーノォ博士が調べた。料理ストーヴの灰のなかから、半ば溶けかかったコルセットの留金の一部と二百五十六個の人骨を発見したが、そのうちの百四十七個は頭蓋骨の破片で、少なくとも三人のちがった人間のものだと断定した。煙突の
情況証拠の
ランドリュの手帳には、十人のほかに、二百七十三人の女性の名が書きこまれ、そのうちの百八十九人の名の頭に鉛筆で黒い十字架のマークをつけてある。ランドリュは一九一四年の四月以来「ル・マタン」の案内欄に、たえず求婚と家具買入の広告を出していたことは捜査局にもわかっていた。ランドリュの名簿にある人名と十字架の組合せは、一九一四年の春から一八年の春までの五年間に二百八十三人の女性をまどわしにかけ、そのうちの百八十九人を始末したという意味だったら、いったいどういうことになるだろう。
十五世紀の中頃、ジル・ド・レェヌ男爵は、人民どもにブルタァニュのジョン六世の威風をしめすために、村々を廻って、意味もなく百五十人の幼児と十人の女を殺してみせた。ジル・ド・レェヌは律気な男だったので、ひとだのみをせずに、一人ずつ自分の手で絞り殺したのである。
ジル・ド・レェヌは、青光りのする楔型の黒い顎髯とともにペロオの妖精物語に取込まれて、「青髯と七人の妻」のモデルになった。人間史のおもてでは、一人の人間が自分の手で行なったこれが最大の殺人ということになっていたが、気狂い染みたジル・ド・レェヌでさえ、数においてはランドリュのそれには及ばない。ジル・ド・レェヌは、殺した人間の死体を大衆の前に投げだすだけですませたが、ランドリュのほうは、手のかかる殺人のあとで、たった一人で二百に及ぶ死体堙滅の大業をやってのけていたのである。
ガッファロはランドリュの手帳から写しとった二百八十三人の失踪者のリストを持って総監の部屋へ行った。
「昨日で調査が終りました。実は、
「どうしましょう、というのは」
「やれとおっしゃるなら、やりますが、私としては、手帳の十人だけに限定するほうがいいのではないかと思うのです」
「どういう理由で?」
「失礼ですが、あなたは十人では足りないというような意見をもっていられるのでしょうか。私には想像できるのですが、あとの百八十九人の関係を調べあげた結果はどういう始末になるか、それこそ、眼もあてられないようなことになるでしょう。人間性に絶望したくなかったら、ほどほどのところでとめておくほうがいいのだと私は思いますが、いかがでしょう」
「私が意見を述べてみたところで、どうにもなるまいね。上級裁判所の検事達は、どういう考えかたをするか、それが問題だ」
「十字の印を犯行の記号だと推理したのは、私の頭のなかの出来事なのですが、そういう考えが浮ばない前の状態に捻じもどせば、それですむことでないかと思います」
ガッファロと総監の間で、こういう会話が交わされたと自伝にはそう書いてある。どういう
ランドリュの
ランドリュが「巴里の青髯」と呼ばれるようになったのは、大量の細君殺しのせいばかりでなく、ジル・ド・レェヌの肖像にそっくりな逆三角形の顎髯のお蔭も大いに手伝っているのだが、その髯は監獄にいる間も、毎朝、丹念に刈込まれ、磨きあげられ、法廷に出てくるときは、海からあがった
フランス人の理想とする瞳の色は、碧でも黒でもなく、青とも灰色ともつかぬ曖昧な色合だということだが、ランドリュの瞳の色はちょうどそれで、「絵でも描けぬような光とうるおい」をたたえ、瞳の底に催眠術師のような磁力があって、動かぬ
ランドリュの声も特異なものであった。何気ないディクションのなかに暗示的なひびきがあり、心の底の思いを告白するといった物静かなささやきに、いうにいえぬ味があった。
ランドリュの態度が
「アンリは心のやさしい、尊敬すべきひとでした。普通の人間と変ったというようなところはなかったと思います。私はアンリを愛していますから、こんなことにならなかったら、かならず結婚していたでしょう。アンリは私ばかりでなく、私の母にも親切で、来るたびに、かならず花束や贈物を持ってきました。アンリは大勢の女のひとを殺してお金を
ランドリュは、被告席の椅子で
ランドリュの恋文が山のように法廷に持ちだされて朗読された。二十三年の間、洗濯婦をやり、手のかたちを
「あなたの手は美しく、デリケートで、爪の先までやさしい表情にあふれています」
という文句がその書きだしになっている。
ランドリュはローヌ県の中農の家に生れ、若い頃は学究心のさかんな模範少年だった。教会では
除隊後、巴里であわただしく結婚し、三十歳で四人の子供の親になった。ランドリュが堕落したのは、妻と四人の子供を養いかねる、苦しい生活難のせいだというが、モンマルトルの
出獄してから、巴里の場末にアセチレン酸素の熔接工場を建て、かたわら、自動車の修繕やブロォカァのようなことをしていた。生噛りの科学知識があって、無線電信や写真術に興味をもち、そのほか一般病理にも通じ、応用細菌学や毒物学の本を読んでいた。
小金を持った未亡人や
二二年の二月、再審の上訴が却下され、大統領の請願も見込みがないということになったところで、ランドリュは審理の主査だったボナン判事を呼んで、他人のことでも話しているような
ランドリュの予想どおりに、一五年の春ごろから俄かに戦線が拡がった。あちらこちらの亭主の座に穴があき、見る見る事業がさかんになった。一六年の夏には、一時に七人の未亡人と婚約し、朝は山手にいるひとに電話でご機嫌を伺い、すぐ家を出て、川下にいるひとに花束を届けさせ、昼はモンパルナッスのひとと午餐をともにし、二時から北のほうにいるひととマチネに行き、その間にヴェルヌイユの「ロッジ」へ自動車を乗りつけて、昨夜おそらく息をひきとったひとの死体堙滅をやり、すぐ巴里へ駆けもどって、西の端にいるひとと晩餐をするという、
一四年中は昼間爆撃だけだったが、一五年の夏から夜間爆撃がはじまり、巴里と巴里の隣接四県は、夜は光一筋ささぬ闇の世界になり、この闇黒状態はそれから三年もつづいた。ガッファロが洞察したとおり、ランドリュはその間に二百八十三人の女性と結婚し、そのうちの二百人を殺して死体の処理をしたものらしい。そういう破天荒なことができたのは、ひとえに戦時情勢のおかげなので、ランドリュといえども、闇の
「殺人狂時代」のヴェルドゥ氏は、わずかばかりの女を殺した人間が死刑になり、数百万の人間を戦場へ追いやったものが讃美されるといって刑場に曳かれて行くが、ランドリュはそんな名文句は吐かなかった。
ギロチンの
「お前を見たがっている女どもが、あそこに大勢来ている」
ランドリュは咽喉を
「女なんか、みんな豚だよ」
これが最後の言葉だった。
ランドリュは、いまあって、もうない自然現象を見るような眼つきで女をながめ、なんの感動もなくつぎつぎにひねりつぶした。ヒムラーは何万、何十万のユダヤ人やスラヴ人を虐殺し、ガス・チャムバーによる大量殺人の責任者として、冷酷残忍なサディストのように考えられているが、当のヒムラーは流血を見ることを極度に恐れ、屠殺の現場には一切立寄らなかった。宗教
ランドリュの精神鑑定をしたボーム博士は、こんなふうにいっている。
「ランドリュは精神異状と認められる点はどこにもない。平衡のとれた鋭敏な知能の持主で、ひとを惹きつける座談の名人であり、挙止の美しさということを知っている典雅な紳士である」
遺憾ながら、ランドリュは気狂いではなかったのである。
青髯の手帳に、最初に名を書かれたマダム・クゥシェは、ランドリュがレーモンド・デアールという名で出した求婚広告を見て手紙をよこした。三十九歳の寡婦で、サン・ドニの広大な邸に、息子のアンドレェと二人で住んでいた。
ランドリュはマダム・クゥシェの家へ自由に出入りするようになると、財産収得に邪魔なアンドレェを先に片付けることにし、グラン・ブゥルヴァールのキャフェに呼びだして、アガール
(アンドリュが[#「アンドリュが」はママ]逮捕されると、モルガンティは伊太利へ逃げた)
手続きに不充分なところがあったのだとみえて、アンドレェはひどく苦しんだだけで助かった。
一と月ほど後、映画会社に投資するという口実で、三十万フランでサン・ドニの家を売らせ、偽造の株券を見せて安心させたうえで、マダム・クゥシェとアンドレェをヴェルヌイユの「ロッジ」へ連れこみ、翌十五年のはじめまでいっしょに暮らしていた。
一月の中頃、ランドリュが南米で亡夫の遺産を受取ってきたラボルト・リネェという若い未亡人とリヴォリの通りを二人で歩いているところを、アンドレェに見られた。帰るなり、たやすからぬ
ランドリュは二人をあの世へ送りこむことにきめ、納屋をつくるのだといって、ヌイイの家から耐火煉瓦や砂を運んできた。
一月十六日の夜、二人に
ラボルト・リネェは黒い髪を肩のあたりまで波うたせた四十七歳の未亡人で、二十万フランの資産を抱え、リュウ・ド・プチシャンのしゃれたアパートに住んでいた。
ラボルト・リネェをヴェルヌイユに招待したのは六月十五日の夕方であった。クゥシェの母子が息をひきとった食堂で、おなじ毒をリネェに飲ませ、死体は自動車で運びだしてオアーズ河へ捨てた。リネェの死体は一年後に四キロほど川下に浮きあがり、村の無名墓地に葬られた。
ラボルト・リネェとの取引では、ランドリュは全敗だった。ランドリュはリネェの
マダム・ギランは洗濯婦あがりの五十一歳になる肥っちょの女で、リヨン銀行に二万五千フランの預金を持っていた。
ランドリュは八月の十日にヴェルヌイユへ連れて行き、クッションで圧殺しようとした。なんのつもりでそんな方法をとったのかわからないが、マダム・ギランは思いがけない力持ちで、そのためえらい格闘になった。ランドリュもひどく手古擦ったふうで、ボナン判事に、
「いやもう、ひどい騒ぎでしたよ」
と、ぼやいたということであった。
死体は鉄張りのトランクに詰めて巴里まで運び、河岸のオルセェ駅から
不幸な托送貨物は、行先不明であちこちで積替えされ、七カ月後に不審を抱かれて
マダム・エオンはガムベェの「エルミタージェ」で[#「「エルミタージェ」で」はママ]殺された。その報酬にランドリュが受取ったのは、たった五百フランだった。
マダム・コロムは保険会社に働いている四十二歳の未亡人で、七千五百フランの貯金があった。クリスマスの夜、ガムベェへ行き、細菌のカクテールを飲まされて殺された。
どういうわけか、ランドリュはコロムの死体を念入りに細分している。腐蝕剤や塩酸であらゆる特徴を消しとった断片を二つの麻袋に詰め、
ランドリュの青髯一件は、一九年の春から、高等法院のディユ、ボナン両判事の係で審理を行なっていたが、三年の間、どんな証拠をつきつけてもランドリュは、絶対に「殺した」とはいわなかった。
二一年の十一月八日、ヴェルサイユ地方裁判所の刑事法廷で第一回の公判、十一月三十日までに二十三回の公判があった。公判廷は風通しの悪い窮窟な部屋だったが、毎回、大勢の傍聴者がおしこんできて身動きもできないほどの盛況だった。
関係書類は六千通を越え、判検事の控室は、法廷へもちだす証拠物件で百貨店の倉庫のようになり、被告席のランドリュの禿頭が黄色くなり、一回ごとに力なく萎びていくように見えた。
弁護士のジャフェリ博士は、ランドリュにたいする物的証拠は、すべて間接の状況的なものにすぎず、こういうやり方は刑法違反だと主張しつづけていたが、十一月三十日に判決があり、アンリ・デシレエ・ランドリュは、一九二二年二月二十五日の早暁、ヴェルサイユ市聖ピエール監獄の門前でギロチンにかけられるべき旨を宣告した。
二二年二月、ジャフェリ博士は再審の上訴をした。巴里の再審裁判所は受理せず、ポアンカレ大統領に特別措置を請願したが、これもきかれなかった。
二月二十四日の午前四時、電車道に向いた聖ピエール監獄の門前でギロチンが組みたてられた。
五時四十五分、検察官の一行と司祭と弁護士がランドリュの獄室へ入って行った。
検察官の一人が、昨夜、ポアンカレ大統領から「潔く決意するように」という言葉があったと伝えると、ランドリュは凍った指先に息をふきかけながら、
「この首も、今日あたりが斬られごろですか。麦は青いうちに刈れといいますからね」
とこたえた。
死刑執行官がシャツの襟を切りとり、髪の毛を撫でつけようとすると、ランドリュは、
「髪に触らないでください。悪い癖がつくから」
といった。
胸甲をつけた騎馬警官が監獄の門の両側に分れ、キチンと馬首をそろえている間からランドリュが出てきて、襟のないシャツとズボンだけの姿で、素足で舗石を踏みながらギロチンのほうへ歩いて行った。
ギロチンの下で両手を
「元気をだすんだ、アンリ」
「ありがとう、ミートルさん、私はいつでも元気です」
ランドリュはそういって笑うと、両脇を看守に抱えられながらギロチンの上にあがった。
夜が明け、労働者を満載した始発の電車が、ギロチンから五十メートルほど離れたところを、けたたましくベルを鳴らしながら通って行った。