もう
寒々としたひろい書院の、
江戸一といわれる捕物の名人。南町奉行所の御威勢は、ひとえにこの男の働きによるとはいえ、
きょうの夕刻、お
十月十三日は、浅草どぶ

番所の控えには、『

長井の赤土山について
お濠にそって紀伊国坂をくだったとして、そこから
溜池のほうへ行くには赤坂見附の木戸。
赤坂
どんなことがあっても、いずれかの
消えうせた十三人の腰元のうち七人は、ひと口に『
その恒例の十五日は明後日にせまっている。
こうなれば、もう神隠しにでもあったか、大地に吸いこまれてでもしまったかと思うよりほかはない。あっけにとられて顔を見あわせるばかりだった。
もっとも、あとになって考えると、この日、ちょっと妙なことがあった。
一行が市村座へついたのは
狂言は
湧きかえるような掛け声をあびながら小団次が
「帰りが、こわいぞ。帰りがこわいぞ」
なにしろ、そんな騒ぎのおりからでもあるし、大して気にするものもなかったが、
「あ、あれは、お祖師様のお声です。······ああ、怖い、おそろしい」
と、耳をふさいで突っぷしてしまった。
なにをつまらぬ、で、そのときは笑いとばしたが、このことが、なんとなく不気味に朝顔のこころに残った。
「ひわと申すものは、日ごろから癇のつよい娘でございまして、よく
という大井の申立てだった。
まだひと通りもある宵の口に、十三人もいっぺんに神隠しにあうなどというのは前代未聞のことで、ただただ、奇ッ怪というよりほかはなかったのである。
南と北
甲斐守がふいと顔をあげる。
老中阿部伊勢にみとめられ、
「言うまでもないことだが、古くは
といって、言葉を切り、
「たんに、世評のことばかりではない。実は、このことは、まだ
と言いかけて、チラと美しい眉のあたりを
「この月は、当南町奉行所の月番。······それにもかかわらず、北町奉行所の播磨守へも同様のお沙汰があったというのは、いかにも心外だが、かような緊急を要する事件であって見れば、それもまた止むをえぬ処置かも知れぬ。······ことに、この節は、われわれの番所は失策が多く、とかく北におさえられてばかりいる。······どんなお取りあつかいを受けても、まず······一言もない」
甲斐守は、膝に手をおいて、虫の音に聴きいるような眼つきをしていたが、急に
「しかし、なんとしても、こんどばかりは負けられぬ。······万一
藤波は返事をしない。
名人気質とでもいうのか、辛辣で傲慢で変屈で、あまりひとに好かれぬ男。三百六十五日、機嫌のいい日はないのだが、とりわけこのごろは虫のいどころが悪いらしい。
北町奉行所の与力筆頭、森川庄兵衛の甥の仙波阿古十郎。出来そこないの
今までは北町奉行所などはあるかなしかの存在。番所といえば南のことにきまっていたくらいなのに、この男が北へあらわれてから、急にこちらの旗色が悪くなった。江戸一と折紙をつけられた藤波の肩書に、これでもう三四度も泥をぬられた。
甲斐守はなんとも言えぬ苦味のある微笑をうかべながら、ジロリと藤波の涙を眺め、
「聞くところによれば、数多い、江戸じゅうの陸尺、中間、馬丁などをことごとく身内にひきつけ、それらを手足のように自在に働かすそうな。多寡が番所の帳面繰だというに、ふしぎな男もあればあるもの」
藤波は、キッと顔をふりむけると、
「むこうが中間、小者なら、こちらは、同心、
「ふむ。······では、明後日の朝までに、きっと事をわけるか」
「かならず、しおうせてごらんにいれます」
「もし、しそんじたら」
藤波は、驕慢な眼ざしで甲斐守の眼を見かえし、
「生きちゃアおりません」
霜の朝
寒い朝で、ようやく朝日がのぼったばかり。
永田町よりの地ざかいに心法寺という寺があって、その塀のそばに、
藤波が、定廻りからのしらせで、下ッ引をひとり連れて、霜柱を踏みくだきながら、息せき切って原の中へ入って行くと、黒羽二重の素袷を着流しにした、ぬうとした男が、こちらへ背中をむけ、駕籠のそばへしゃがみこんでいる。
はッとして、立ちどまって眺めると、案にたがわず、北町奉行所のケチな帳面繰、顎十郎こと仙波阿古十郎。
まるで、匂いでも嗅ぐかのように、駕籠に顔をおっつけていたが、そのうちに、のっそり立ちあがると、
藤波はキッと顔をひきしめると、足ばやに顎十郎のそばに進んでゆき
「おお、仙波さん。そこでなにをしておいでです。鳶でも飛んでいますか」
顎十郎は、あん、と曖昧な音響を発しながら藤波のほうへふりかえると、例のとほんとした顔つきで、
「これは、これは、たいへんにお早がけから······」
と言っておいて、ぼてぼてとした冬瓜なりの顎を撫でながら、
「いや、鳶などはおりません。······実はね、駕籠などがふってくる陽気でもないがと思って、いま、つくづくと空を眺めていたところです。······ごろうじ。どうもてえへんな壊れかたじゃありませんか。まるで、
と、油紙に火がついたようにまくし立てながら、足もとに落ちていた鳥の
「ほら、この通り。その証拠に、ここに天狗の羽根が落ちています」
藤波は額に癇の筋を立てながら、噛んではき出すような口調で、
「仙波さん、相変らずはぐらかすねえ。そりゃア、
顎十郎は尾羽をうちかえして、とみこうみしていたが、やア、といって頭を掻き、
「こりゃあ、大しくじり。······いかにも、天狗の羽根にしてはすこし安手です。······しかし、それはそれとして、手前には、やはり、神隠しとしか解釈がつきませんな。······だいいち、これだけの乱暴を働いたとすれば、このへんの草がそうとう踏みにじられていなければならぬはずなのに、そういう形跡がない。足跡らしいものは多少みあたるが、草が倒れていないのはどうしたわけでしょう」
藤波は油断のない
「仙波さん、まア、そうとぼけないでものこってすよ。いくらひどく踏みにじられても、ひと晩はげしい霜にあったら、草がシャッキリおっ立つぐらいのこたア、あなたがご存じないはずはない。つまらぬ洒落はそのくらいにして、そろそろ
顎十郎は、大まじめにうなずき、
「いや、おだてないでください。それほどにうぬぼれてもいません。召捕るというわけにはゆきますまいが、掛けあうくらいのことは出来ましょう。······では、そろそろ出かけますかナ」
こんな人を喰った男もすくない。本来ならば、とうの昔に癇癪を起してスッパ抜いているところだが、いつぞやの出あいで、相手の底知れぬ手練を知っているから、歯がみをしながら虫をころしていると、顎十郎はジンジンばしょりをして、両袖を突っぱり、
「や、ごめん」
と、軽く言って、ちょうど質ながれの烏天狗のような恰好でヒョロヒョロと歩いて行ってしまった。
ひきそっていた千太の一の乾分、だんまりの
「ち、畜生ッ。いつもの旦那のようでもねえ、ああまで、コケにされて······」
と、足ずりする。藤波は見かえりもせず、ずッと乗物のそばへよると底板をかえしたり、網代を撫でたりして、テキパキとあらためはじめた。
朝太郎は、ぬけ目のないようすで藤波のあとについて歩きながら、
「馬鹿なことをおたずねするようですが、実のところ、やはり神隠しなんでございましょうか」
藤波は、フフンと鼻で笑って、
「神隠しなら、いっそ始末がいいが、そんな生やさしいこっちゃねえ、
「でも、どの木戸も出ちゃアおりません」
「なにを。······十三の乗物は、ちゃんと木戸を通ったはずだ。現に、ここにこうして投げだしてあるじゃねえか」
「そりゃアそうですが、番所には、それぞれ十人からのお勤番が控えております。いったい、どうしてその眼をくらましたのでしょう」
「たったひとつ方法がある。······木戸うちにいないとすれば、木戸から出たと思うほかはない。いってえ、どうしてぬけ出したのだろう。······ちょっと頭をひねると、すぐわかった。実にどうも、わけのねえことなのだ。······ゆうべは
朝太郎は感にたえたように膝をうって、
「なるほど。そう聞きゃア、こりゃアわけもねえ」
「那智衆をご所望になっていた、いずれかのお家中が、かねてこの日をめあてにし、あらかじめ紀州さまの陸尺と手はずをしてあったのだ。······間もなく千太がやって来るが、あの刻限に赤坂青山の木戸を通った家中が知れると、神隠しのぬしは、雑作もなくわかる」
ちょうど、そこへ千太がやって来た。
「うわア、こりゃア、どえれえことをやらかしたもんですねえ」
藤波はうなずいて、
「なんではあれ、紀州様のご定紋のついたお乗物をたたっこわすなんてえのは、すこし無茶すぎる。これが表むきになったら、なまやさしいこっちゃアおさまらねえ。······それはそうと、そっちの調べはどうだった」
千太は小腰をかがめて、
「へえ、やはり、お見こみ通りでございました。······紀州様とほぼ同時刻に外糀町口をとおった女乗物は、赤坂表町の松平
「外糀町口の木戸をとおったときのそれぞれのお乗物のかずは?」
「それが、つごうの悪いことに、お三家がお通りになったのが、六つぎりぎりというところ。最後の鍋島さまがお通りになったところで、太鼓が鳴って木戸がしまり、ちょうどそこへ紀州様のお乗物がついたというわけで、したがって、お三家中の乗物の数はわかりかねるんでございます」
「うむ、よろしい。······では、木戸を出たときの乗物のかずは?」
「松平さまは赤坂見附の木戸をお通りになって、これが二十六挺。毛利さまは喰違御門をお通りになって、これが同じく二十六挺。鍋島さまは赤坂御門の桝形で、これが二十四挺でございました」
「よしよし。······それで、市村座のほうはどうだった。役者で駈落ちしたようなものはいなかったか」
「ご承知のように、ゆうべは、三座の
「ふむ?」
千太は喜色満面のていで、
「それが、実にどうも馬鹿馬鹿しいような話なんで······」
「なんだ、早く言え」
「れいの、お
「それが、どうした」
「だれが聞いたところでも、それが、ひどい佐賀なまりだったというんです。······ねえ、旦那、お祖師さまのご
藤波は、眼つきを鋭くして、なにか考えこんでいたが、とつぜん、ふ、ふ、ふと驕慢に笑いだし、
「これで、すっかり、あたりがついた。······なるほど、あのしゃらくな
と言って、日ざしを眺め、
「おお、もう
「ねえ、
「あっしは西の丸の新組におりやした。······へっへ、ちっとばかりしくじりをやらかしましてね。ま、よろしくお引きまわしをねげえますよ。······さア、もうひとつ」
「す、すみませんねえ。······ひッ、······もう、じゅうぶんに頂戴いたしましたよ。······ひッ、······いけねえ、そうついだって飲めません」
「なにも、そう遠慮なさることアねえ、顔つなぎだ。······もうひとつ、威勢よくやってくんねえ」
ぐずぐずになって、いまにもつぶれそうに身体を泳がしているのは薄あばたのあるお
「ねえ、お門番。きのう、ご代参があったようだが、ありゃ、いってえ、いくつ出たんで」
「ご代参って、どちらのご代参」
「ご代参なら、大塚の本伝寺にきまってる」
「ひッ、······よく知ってらっしゃいますねえ。······そ、それならば、十四挺」
「こりゃア、けぶだ。······あっしは部屋の窓からなにげなく数えたんだが、帰って来たときは、もっと多かったようだ」
とほんとした顔で、
「よくわかりませんねえ。······い、いったい、いつのこってす」
「そうさ、ちょうど六ツ半ごろのこってさ」
シャッキリとなって、
「そ、それならば、よく覚えております。······その節、手前、浄るりをうなっておった」
「あっしの数えたところでは、たしかに二十四挺だったように思うんですがねえ」
「さ、さよう。······いかにも、二十四挺。なぜかと言いますと、そのおり二十四孝をさらっておりましてね、それで、はっきり覚えております。ひッ」
「たしかに、二十四挺ですかい」
「たしかに、二十四挺。門帳をお見せしてもよろしい。たしかに。ええ、たしか、たしか······」
とうとう、つぶれてしまったのを素っ気なく見すてて、奥まった
それから小半刻。藤波のすがたが御徒士長屋のうしろのほうへ現れる。ソロソロと駕籠部屋のあるほうへ進んで行って、長いあいだ、軒下の闇の中へしゃがんでいたが、あたりにひとの気配のないのを見さだめると、ツと曳戸のそばへ行く。腰にはさんでいた手拭いを天水桶にひたしてしめりをくれると、それを
「おッ、こいつ、駕籠部屋の錠を」
ひとりは中間部屋のほうへむかって大声に叫び立てる。
たちまち、バラバラと十二三人走りだして来て、グルリと四方を取巻いてしまった。
しまったと思ったが、なまじいジタバタして自分の身分が露見すると、とうてい、ただではすまないから、観念して突っ立っていると、ガヤガヤを押しわけて割りこんで来たのが、顎十郎。
今まで中間部屋で寝っころがっていたものと見え、ねぼけ
「駕籠部屋をねらうとは、変ったぬすっともあるもんだ。後学のために、よく面を見てやろう。部屋へひっぱって行け」
「ようございます」
中間どもはおもしろがって、手どり足とり、藤波を部屋へひきずりこんで、大の字におさえつける。
顎十郎は、のんびりした声で、
「なにか気障なものを持っているかも知れねえ、すッ裸にひんむいてしまえ」
やれやれ、で、寄ってたかって裸にする。
ひとりが胴巻から先刻の手紙をひきずりだし、
「先生、こんなものが」
うけとって眺め、
「なんだ······池さまへ、藤より······。
ドッと笑って、
「それはそうと、こいつの始末はどうします」
「かまわねえから、ぐるぐる巻にして隅っこへころがしておけ。朝になったら百叩きにして放してやろう」
「よし、お前らは、しばらくあっちへ行っていろ。俺は、ちょっとこいつに意見をしてやる」
陸尺どもは、先生はあいかわらず
顎十郎は、板の間にころがされて眼をとじている藤波のそばにしゃがみこみ、
「ときに、藤波さん、寝ごこちはどうです。まんざら悪くもないでしょう」
藤波はくやしそうに、キリッと歯噛みをする。
顎十郎は、へらへら笑いだして、
「まア、そう、ご立腹なさるな。······どういう御縁か知らないが、よく不思議なところで落ちあいますな。御同慶のいたりと言いたいところだが、実をいうと、すこし、小うるさい。······今までのところなら、大して邪魔にならないが、今度は、南か北かという鍔ぜりあい。役所の格づけがきまろうという大切な瀬戸ぎわだから、あなたにチョコチョコ這いだされると、手前のほうは大きに迷惑をする。すみませんが、明日の朝までここへころがしておきますから、どうか、そう思ってください」
藤波は、もう観念したか返事もしない。
顎十郎は、依然としてのどかな声で、
「しかしね、藤波さん。私もあまり
「·········」
「私も男だから、つまらぬ嘘はつきません、どうします」
「·········」
「それとも、破いてしまいましょうか」
「·········」
「お返事がないところを見ると、破ってもいいのですな」
藤波は痩せほそったような声で、
「とどけて、ください。
藤波の眼じりから頬のほうへ、ツウとくやし涙がつたわった。
切腹
百叩きにこそされなかったが、さんざん中間どものなぶりものにされて、門をつきだされたのが朝の六ツ半。
煮えくりかえるような胸をおさえて、
「おお、旦那、ちょうど、よかった。······それで、お調べのほうはどうでした。まるっきり、あてちがいだったでしょう」
藤波は苦りきって、
「なにを言う。······大塚本伝寺御代参の乗物。······出たときが十四挺で、帰ったときが二十四挺。十挺だけ多く入っている。もう、間違いない」
千太は上の空に聞きながして、
「それはそうと、その条は、まだ殿さまへはお
「いや、逐一したためて、昨夜おそく差しだしておいた。今ごろはちょうどお手もとへ届いているころだ」
千太は眼の色をかえて、
「げッ、そ、それは、大ごとだ」
「なにが、どうしたと」
千太は手を泳がせて、
「ま、ま、まるッきりの見当ちがい。······十三人の腰元は、どこの木戸も出ていない。実は、安珍坂よりの不浄門からお屋敷へ入って、大井の局に隠れているんでございます」
藤波はサッと血の気をなくして、
「それを、どこから聞きこんだ」
「へえ、あまり寒いので、
「しかし、鍋島の乗物の数が······」
「だから、それも大間違い。······ふたりを辻番所へあずけて、すぐ赤坂御門へすっとんで行き、門帳をくりながら手きびしく突っこんで見ると、······いや、どうも、まんの悪いときはしょうがないもの。······本伝寺からの帰りの十四挺と、赤坂今井谷へ行った、やはり鍋島さまの十挺の駕籠が、ちょうど御門前で落ちあい、両方あわせて、『鍋島様御内、〆二十四挺』というわけ。誰の間違いというわけでもない。つまり、こちらの運が悪かった。······今井谷は、眼と鼻のあいだ。すぐ寺へ飛んでいって調べて見ると、鍋島さまのご代参の女乗物はいかにも十挺。寺を出たのが、六ツ少し前······」
藤波は、ヨロヨロと二三歩うしろによろめくと、霜柱の立った土堤へべッたりと腰をおろして、両手で顔をおおってしまった。
せんぶりの千太は、肩で大息をつきながら、
「······旦那、旦那、あなたひとりのことじゃない。殿さまが大恥をかく。······ひともあろうに鍋島閑叟侯をこんどの犯人だと正面きって
藤波は、蒼白い頬に紅をはき、狂乱したような眼つきで立ちあがると、
「そうだ。こんなことをしちゃいられねえ。俺はいいが、······俺はいいが、······なんとかして、殿様を······」
もういけない。
藤波は、呟くような声でお帰りを待たしていただきたいと言って
それからふた刻。······正午近いころになって、ただいまお下城になったというしらせ。
驕慢で通してきた俺だ。せめて、最後もそれらしく、と
「おお、藤波か。さすがは江戸一の折紙つき。······今度はよくぞやった。褒めてとらすぞ」
春の海のような喜色を満面にたたえ、はずむように褥にすわり、
「今朝の
サラリと白扇をひらいて、それを高くかざした。
畳が四方からまくれあがって来て、その中に自分がつつみこまれるような気がし、藤波は、気が遠くなって、がっくりと、胸の上に頭をたれた。
ひょろ松の部屋に寝ころがって、例によって顎十郎のむだ話。
「草原はいちめんの霜柱なのに、乗物には霜がかかったあとがない。はは、こりゃア、今朝、木戸がひらくと同時にここへ運んで来たのだとわかった。······なんでわざわざこんなことをしやがるんだろう。······乗物をみると、
ひょろ松は、ひどく照れて、
「いくらでも、おなぶりなさいまし。どうせあっしは女びいきですよ。······ふ、ふ、ふ、······これは、冗談だけど。それで、どうしてお局に隠してあることを見ぬきました」
「見ぬく······? 見ぬくも見ぬかぬもねえ。人間が消えてなくなるわけはないのだから、どうせどこかにいるにきまっている。木戸から出すよりは屋敷へひきこむほうが、なんと言ってもやさしかろう。門番のいない不浄門なんてえものもあるんだから。······木戸々々をたずね歩くまでもない、俺はすぐそうと察してしまった。······しょせん、あまりこしらえすぎるから、かえって尻がわれるのだ。乗物を持ちだして、こわしなんぞしなかったら、俺だって大いにまごついたかもしれない。······ところで、市村座のかえりに鍋島の中間部屋へよってみると、藤波が陸尺に化けこんで、駕籠部屋の前でウロウロしている。鍋島の乗物数のことは俺も知っているから、あいつがどういう間違いをしかけているかすぐわかった。鍋島さまを訴人して、それが見当ちがいだとなれば、奉行と藤波は腹を切らなくちゃならねえ。こちらの月番というわけでもなし、俺にしちゃアどうだっていいことなんだから、へたに泳ぎださねえようにシッカリと藤波をふン縛ってしまい、偽手紙を書いて南の奉行へとどけてやった」
と言いながら、懐中から手紙をとりだし、
「ところで、藤波というやつの強情には、そうとう磨きがかかっている。まア、これを見ろ」
ひょろ松が、受けとって読んで見ると、救命のご恩義は