やさしきこころのうちに愛のひそむは、森のみどり葉がくれに鳥のすむに似たりといふなるに、このはかなき草わかばのかげにはいまだ夢さそふにほひもなきがごとく、わが調に慣れぬ胸のおもひは、色をも彩をもなしあへぬをいかにせむ。
香を慕ふにも
細き葉がくれ身をよせて
羞ぢてかくるるさまながら
花はほがひのよそほひや
空には夢のたはぶれの
紅こそ淡くかかるなれ
春のたくみの手は高く
夕にはまた
光は雲にながれけり
いのちのねざしうるほへば
ここなる花もかをるなり
神の
いろあやとくもととなひて
影かすかなり星の
雲はいと濃き紫に
うすくれなゐの糸をぬき
つぼみひらくる曙や
げにかぎりなきよそほひの
いとものふりし冬の夜の
もぬけいでては天の原
春の霞のもろつばさ
まだかよわげに見ゆれども
おほはぬ空もなかりけり。
夜の闇消えてゆく空に
見よ白鳩の
にほふ桂の
かの
星の光のゆらぐ時
この世なやめる人の身も
こごえし
春の日影にむかへかし
をりこそよけれ
わきほとばしる
にほふがごとくみなぎりて
光さしそふ日のみ神
ああうるはしき

まだ
影清かりし朝ぼらけ
遠き光を身にしめて
誰か
神のみ聲をこの日傳へむ
手にふれたまふことなかれ
うれしき君とおもへども
まだうらわかき野の花は
ゆめふれたまふことなかれ
いといともろきわが胸に
涙くだかばつらからむ
ただふれたまふことなかれ
もしかかる夜に罪やどる
星
おもふに夢に誰かわが
手にふれたりや知らぬまに
空はかすめる夢としも
げに春はこそいふべけれ
知らですごしぬこの日まで
その
さあれ知りてはやすからず
ああわが胸のいつになく
おもふに誰かめづらしき
たよりを夢に傳へけむ
かしこよりとしたのむにも
あやなく雲ぞかすみたる
嗚呼さばかりに何ゆゑに
あくがるるわがおもひぞや
もゆるは何の夢ごこち
おもふに春にいづこより
遠き調の傳ふとも
うらわかみこそ
色し慕へどわりなくも
香をし戀ふれどさながらに
されば
野ぢよりひとりかへり來て
あやしくなぞやはづかしき
髮にかざしし草の花
それさへ
髮にかざしし草の花
色さへ香さへさとらせじ
見せよと人の
しづかに胸にひめてまし
靜かにさらば
ああいつはりぬわれながら
かくこそ胸はさわぐなれ
浪だつ胸にたよりつつ
花は眠りてあるならむ
よしや夢みてさめずとも
つらき人にはえも見せじ
春うらわかき
空のこころもかすむ時
雲は流れて
よろこびにこそかへるなれ
ああその影のいと淡き
光に
少女が
輕げにとくるすがたあり
ああそのかげの靜けさや
たとへば遠き
われや野の空うちあふぎ
いつか
なげきよりこそ人
春の
さてしも
胸のしろきにくらぶれば
げに
夢かよふなり春の雲
あくがれたちてながむれば
また見かへせばうまざけの
誰かおもはむこの時し
なかぞら高き紫の
雲ゆふまぐれ消え去りて
おもひわづらふこともなく
雲もながれて
よろこびにこそかへるなれ
わかやぐひかり野べのいろ
しらべもかすむ春のうた
あはれこの世にいくちとせ
人はなさけの
たのしや遠き
その日に空の
まためづらしき音にたたむ
星よ雲ゐの
しばしは人の世にくだり
めぐらばいかに春の野を
ここには匂ふ
ゆらめくいきももゆるとき
よろこび
夢よただへてわづらひの
さにてはなきや
冬のあはれはこもりしか
追憶ふかき草なれば
やさしく匂ふ花なれば
そのこころさへ
されば知れりや
泉にかかる琴のねを
ここには
世はすががきのみだれのみ
さてしも
かくも忘れし
いやまし人は嘆く日に
匂ひは深き花すみれ
森の香いかに高くとも
われはかへじよ花すみれ
神のこころはほのかにて
人知る
いくよ忘れし思ひさへ
ただこの花に忍ばるる
げに世は夢よ
泉はつきてかへらねど
古井のかげの
なほ新しきにほひあらずや
海に來て戀をおもへば
わが戀はみだるるうしほ
君にゆき君にむかへば
わが身たださみしきおもひ
わが
ふたつもしくらべみるとき
いかでわが
君が野のいづみに
浪ひびく夢の
君はこれにほひの身なり
君はまたしらべのすがた
われはまた
君が
うるはしき
色すめるかげをぞたのむ
かくてわが
君が戀ほのほはげしき
海にこそ
君はまた
緑なるつきせぬ
その廣野君が狩くら
狩くらにわが身迷へり
わがなやみ君がよろこび
わが愁ひ君が琴のね
君が戀あまりに高く
たふれゆくわが身およばじ
かくもはてなき海にして
そのおもひこそ悲しけれ
身はこれ
ねざむるままにおほうみの
いかに
色しも清くひたすとて
朽つるのみなる牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼
たとへ夕づついと清き
光は浪の穗に照りて
似たりとてはた何ならむ
ふかきしらべのあやしみに
夜もまた晝もたへかねて
愁にとざす殼のやど
されど
海の林のさくる日に
朽つるままなる牡蠣の身の
殼もなどかは
いまだ
枝うちかざし風呼べば
わかるる人もしばしとて
夏は
さればきのふのわが春よ
草ひきむすびやすらひて
過ぎし夜がたりつぐべけれ
その葉がくれの夢にだに
春よ消えにし花の
淡げにのみも見えよかし
みどりの夢のそのいきの
はげしく深き夏の野べ
かなたに消ゆる世のかげの
みだれはここにをさまりて
光は高き
この時ひとりただよへば
聲も傳へぬ
かしこ港やいと清き
おもひぞ
かしこ盡きせぬ
さぐるもよしや野のいづみ
戀ぢは野ぢにあらねども
なやみの草の夏しげき
かげにもなどや靜けさの
よろこび深き夢のなからむ
浪を
へだつればこそ君が
垣根いといとしめやかに
けふ枳殼の
一重に白き花あはれ
身は
われや
嘆くと知れる君ならず
もとより
花をし
あまりある血をいたづらに
青葉の下に冷さむや
一たび君がにほひある
こころの底に染めてこそ
鴎に寄する歌
何とはなしにはてもなく
昔にかへるわが身かな
おもふはその日旅の空
すでに
その日は海の夕まぐれ
わが船浪に
鴎つばさは白くして
ひとり
鴎よはじめ
心
嗚呼塵染めぬ
わが身を
愁ひはさわぐ
やみがたくしてすべぞなき
鴎よ
消え去るかげを惜めども
おもひはつきずある夜また
夢に
そのはてをしも慕ひけり
可怜小汀か甲斐なくも
問ふはいくたびそもいづこ
夢浮舟のすゑ悲し
鴎よかくてはてもなく
昔にかへるしばらくは
白き翅にさそはれて
胸ゆらぐこそあやしけれ
くろかみ風にみだれたる
菱の實とるは誰が子ぞや
ひとり浮びて
君なほざりにうたふめり
ききまどふこそをかしけれ
かごはみてりや秋深く
菱の葉のみは朽つれども
げに菱の實はおほからじ
かごはみたずや光なき
日は暮れてゆく短かさよ
なほなげかじなうらわかみ
なさけにもゆる君ならば
君や菱
はしる
そのすがたをば
ああなど
君がゑまひの花かげに
ふれなばおちむ實こそあれ
うるはしとおもふ實のひとつ
いつかこの身にこぼれけむ
旅ゆき迷ふわづらひも
しばしぞ今は忘らるる
あやしむなかれわれはただ
なさけのかげを慕ふのみ
さながらわれは
枝に來て鳴く
『
愛の泉のしたたりや
その聲よまたさながらに
聖なる
その
光の海の
天いと深く傳ひゆけ
『いざ
つとめ』といへばひざまづく
ああ夕まぐれわが
言はむのまどひさてやみぬ
祈祷はつひにつとめはて
見よ聖燭の火は
人の世われに夕短かき)
かの紫の
かの
あふぎ見るだにたへがたき
いろこそ深く染めにけれ
愁ひの影の夕暮の
魂の少女のくろ髮の
にほひもあらぬ空のうへ
我が胸にしもさらばまた
みだるる髮のかからずや
みだるる髮はかかるとも
わが手にさぐるちからなく
ひとりもだゆるこころより
ただ
沈むこころの
浪の響はさはあれど
わかき血潮はしづみゆく
わが身にもなほ戀あらば
高きみ
かがやきわたれる星のかの
いづれの光もいと慕はし
さはあれひとへにわけてめづる
ゆかしき影こそ胸は照らせ
いろ
そのかげ
すぎにし
やすみの
かたらひ契りし少女の名に
わが星いづれと問ふをやめよ
はてなき空を流れ去りて
星の光も消ゆるごと
愁ひのかげは時として
胸ふかくこそおちにけれ
わがよろこびは
野べとしおもふその日だに
愁ひのかげは
闇となる身のはかなしや
さても聞きしるわがこころ
げに人の世のことわりの
深きにほひもたそがれて
身はいたづらに沈みゆく
光はにほふ
慕ひしたひしたのしさに
めでにし星も
こよひは清き愁ひより
うるほひひらく影見れば
ふたたび空にあくがれむ
迷ふわが身のたよりなる
さればよ照らせ荒磯に
また
光かすかに日は落ちて
愁はせまるゆふまぐれ
またうちさわぐわが胸の
ものおもひこそあやしけれ
つつむは何のこころぞや
憶 ひいづるぞさてはよき
しばしはあはき影ひけよ
野の
さしもつつみて何かせむ
憶ひいでずばかひなしや
憶ひいでずばかひなしや
ただかりそめに星
ただ
ほのぐらき
さあれつつむに忍びむや
憶ひいづればたのしきを
憶ひいづればたのしきを
雲にかくれてゆきにしか
清きしらべもかへり
つつむといふもこころから
ああまたおもひいでてまし
ああまたおもひいでてまし
嗚呼かの野邊のかたらひや
その
よろこびの
つひにつつむにたへがたし
おもひいづるぞさてはよき
おもひいづるぞさてはよき
かすかに胸にけふはまた
むかしの海の
ひとり寂しきうたがひに
山邊にかくは
遠きおもひもあらざりき
雲に
あらき
夢の翅ぞ匂ふなる
かくて忘れつ
かなたに今はひたすらに
海の響をきかむとす
その
わが日むかしの歌の聲
ふるるによけれ
されどわが世の
浪はひとたびすぎしのみ
浪は
今はた聞けば
すさめる胸の
海のひびきのゆかしきを
夢の翅の
獨りかくてもおくつきに
とくいりはてばいかにせむ
嗚呼また
いつまでわれに見えぬらむ
つらくすべなくなりぬめり
嗚呼堪へがたし
とよみむなしく聽てあれば
そは似たりけりかの
あだなる人の
すべて忘れてありつるを
夢よいかなるいつはりぞ
翅もつひに沈むまに
をぐらくなりぬ空のはて
よろこび
なれがゆらめく
光にみちてもあふるるなれ
よろこび
なれがにほへる
かの曉に
焔なれやさこそ
熱き
よろこび
なれがすがたや何なる
さればさればさこそ
いといと高きをたたふるなれ
ここに
ああ誰かはここに
み
くにたみ
われらささぐる
せめて眞白き翅とらば
ああ
この日の
よろこび
なれがねがひはくまなく
かがやく
さればさればさこそ
いといと高きをたたふるなれ
曙のうた
深き遠きを問はずして
胸によろづの聲を
夜を
人の世の岸洗ひ去る
曙に海鳴りわたれ
鳴りわたれ海あけぼのに
磯うち湧きてあがり
溢 れて沙 噛 めよ
鳴りわたれ海あけぼのに
磯うち湧きてあがり
曉の星あふぎ見て
にほひ
曉の空いと清く
その胸にしもうつりけり
曙に風吹きかへせ
吹きかへせ風あけぼのに
高きに光纒 ひ
微 かに淨 く拂へ
吹きかへせ風あけぼのに
高きに光
思ひは暗き
かなしみ細くいと
海のほとりによみがへり
雲は匂へる朝ぼらけ
生るる
曙に海鳴りわたれ
鳴りわたれ海あけぼのに
豐 かに遠く湛 へ
流れて岸に觸 れよ
鳴りわたれ海あけぼのに
流れて岸に
海に
雲あひ
母なる
塵もこの時また
野の花わかき髮に添ひ
森の香
曙に風吹きかへせ
吹きかへせ風あけぼのに
極 より極 に過ぎて
天 より地 に下りよ
* * *吹きかへせ風あけぼのに
忘られぬ日は
世をば
嗚呼その
光もいつか影
雲
うち
この曙に
雄々しき魂の生れいで
この曙に琴のねの
祝ひの歌を
やさしき魂の聲あげむ
われ今清き曙に
色と香を慕ふ時
おのづからなる
響は浪に高くたち
光は雲に
嗚呼この清き曙に
風吹きかへせ浪鳴りわたれ
(明治三十五年一月刊)