今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末の一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中庭は乾いたためしはなかった。鼠の死骸はいつまでもジクジクしていた。近くの古池からはなにかいやな沼気が立ちのぼるかと思われた。一町先が晴れてもそこだけは降り、風は黒く渡り、板塀は崩れ、青いペンキが剥げちょろけになったその建物のなかで、人びとは古障子のようにひっそりと暮していた。そして佐伯はいわばその古障子の破れ穴とでもいうべきうらぶれた日日を送っていたのである。
佐伯が死んだという噂が東京の本郷あたりで一再ならず立ち、それが大阪にいる私の耳にまで伝わってきたのは、その頃のことだ。本当に死んでしまったのかとそのアパートを訪れてみると、佐伯はまだ生きていて、うっかり私が洩らしたその噂をべつだん悲しみもせず、さもありなんという表情で受けとり、なにそのおれが死んだというデマは実はおれが飛ばしてやったんだと陰気な唇でボソボソ呟き、ケッケッというあやしい笑い声を薄弱な咳の間から垂らしていた。げっそりと肉が落ち、眼ばかり熱っぽく光らせた蒼白いその顔を見て、私は佐伯の病気もいよいよいけなくなったのか、なるほどそんな噂が立つのも無理はあるまいという想いにいきなり胸をつかれたが、同時に佐伯の生活にはもはや耳かきですくうほどの希望も感動も残っていず、今は全く青春に背中を向け、おまけにその背中を悔恨と焦躁の火でちょろちょろ焼かれているのではないかと思われて、慰める言葉も私にはなかった。
ところが、その佐伯がすっかり変ってしまったのだ。亀のようにむっつりとしていた男が見ちがえるほど陽気になって、さかんにむだな冗談口を叩く。少しお
もっともこういうことは言っていた。胸の病いなんてものは、ひどく月並みな言い方だが、よほど芯の弱い者でない限り気持のもち方ひとつ、つまり精神で癒せるものだ、また人間の性格なんてもののそう急にがらりと変ってしまうものではない。陽気な性格の者ははじめからそういう素質を持っているものだ、ただ自分などあの頃は陰欝な殻を被っていたのでその素質がかくされていたのに過ぎない、つまりはその殻を脱ぎ捨てる切っ掛けを掴んだというだけの話、けれどその切っ掛けを掴むということが一見容易そうでその実なかなかむつかしくて、その動作の弾みをつけるのは並大抵のことではなかったと言うのである。例えば、彼はそのアパートを移るという簡単なことの弾みが容易につかなかったらしい。そしてそれが何よりいけなかったのだ。そのアパートの不健康さについては前に述べたが、殊に彼の部屋ときてはお話にならぬくらいひどかった。
実際私は訪れるたびに呆れていた、いや訪れることすら避けたかったくらい、それはどんな健康な人間でもそこに住めば病気になってしまうだろうと思われた、それほど陰気な部屋であった。佐伯はそのなかに蝸牛のように住みついていたのである。その部屋はアパートの裏口からはいったかかりにあって、食堂の炊事場と隣り合っていた。床下はどうやらその炊事場の地下室になっているらしく、漬物槽が置かれ、変な臭いが騰ってきてたまらぬと佐伯は言っていた。食堂の主人がことことその漬物槽の石を動かしている音が、毎朝枕元へ響いて来る。漆喰へ水を流す音もする。そのたびに湿気が部屋へ浸潤して来るように思われたと言う。それがなくても、いったいが湿気の多いじめじめした部屋であった。日の射さないせいもあろう。年中敷きっぱなした蒲団をめくると、青い黴がべったりと畳にへばりついていた。銀色の背中をした名も知れぬ虫がさかんに飛びまわる。蜘蛛の巣は勿論である。掃除をしたことがないのだ。アパートの女中が見兼ねて掃除をしてやろうと言っても、なにか狼狽して断ってしまうらしい。私はいつ訪ねてもきっと足袋の裏と鼻の穴を黒くして帰った。猫の額のような中庭に面して小窓がひとつきりあるのだが、窓といっても窓硝子を全部とってしまったところでたいしたこともないちっぽけなものだし、それに部屋のなかを覗かれることを極度におそれている佐伯は夏でもそれをあけようとせず、ほんの気休めに二三寸あけてそこへカーテンを引いて置き、その隙間から洩れる空気を金魚のように呼吸するだけという風通しの悪さを我慢していたのだ。勿論部屋は狭かった。佐伯は四畳半あると言っていたが、私は数えてみて三畳半しかないのにびっくりした。
さすがの佐伯もそんな部屋にいてはますます病気を悪くするばかりだとチリチリ焦躁を感じていたらしかったが、ほかのアパートや部屋へ移ろうとしない。その気になれないのだ。ほんのちょっとした弾みがつかないのである。得体の知れぬ部屋の悪臭をかぎながら、つまりこれがおれの生活の異臭なんだと、しかしちょっと惹きつけられてみたり、そうかと思うと、それを毎夜なんのあてもなしにそわそわと街へ出掛けて行く口実にしていた。ひとつには彼が街をほっつき歩くのは孤独をまぎらすためである。彼のような寂しがり屋を私は見たことがない。自分が死んだという噂を聴いてもそんなに悲しまなかったのも、たとえ碌でもない噂にせよひとが自分の噂をしているということが嬉しいのである。全く忘れられてしまうのが辛いのだ。その頃彼はこんな夢を見たといって私に語った。||病気もいよいよいけなくなり死んでしまった。どこかの家の二階の階段を上った狭くるしい場所で長くなって死んでいた。だらんと伸びた足が黒足袋をはいて階段に掛っている。お通夜に集って来た友人が変なところで伸びやがって、登り降りの邪魔だよ、だからノッポは困るんだなどと言っている。がやがやと騒がしいお通夜になって来た。ボートのバック台の練習をしながらワレハ海ノ子と歌いだす者がある。議論がはじまる。ラスコリニコフが階段の途中でペンキ屋にどうかされたとかなんとかシロサキが言っている。よせやい、お通夜じゃないか、静にしろとアオヤマが言うとオダが、いやこいつは派手なお通夜の方が喜ぶぜと言って、おいサエキそうだろうと声を掛ける。すると自分はそうだそうだ、おれは派手な方がいいんだ、陽気にやってくれと言って、ここで死んでちゃ邪魔なんだろうとむっくり起き上って一緒に騒ぎだし、到頭自分のためのお通夜の仲間にはいってしまったという夢である。それほど寂しがり屋なのだ。
しかし街は佐伯の孤独をすこしも慰めてくれなかった。彼が街を歩くと、街は灰色になった。佐伯が掛けると、誰もその卓子を敬遠した。陰欝な眼をぎょろつかせ、落ち込んだ鈍い光を投げながら、あたり構わずいやな咳をまき散らすからだ。時には手帛を赤く染め、またはげしい息切れが来て真青な顔で暗い街角にしゃがんだまま身動きもしない。なにか動物的な感覚になって汚いゴミ箱によりかかったりしている。当然街は彼を歓迎せず、豚も彼を見ては嘔吐を催したであろう。佐伯自身も街にいる自分がいやになる。そのくせ彼は舗道の両側の店の戸が閉まり、ゴミ箱が出され、バタ屋が懐中電燈を持って歩きまわる時刻までずるずると街にいて彷徨をつづけ、そしてぐったりと疲れて乗り込むのは、印で押したようにいつも終電車である。
佐伯が帰って来る頃には、改札口のほの暗い電燈をぽつんと一つ残して、あたりはすっかり明りを消してしまっている。駅員室のせまい暗がりのなかでふと黒く蠢いたのは、たぶん宿直の駅員が終電車の
すべてはその道に原因していたんだと、その頃のことを佐伯は最近私に語った。おかげで毎夜身体はへとへとになり、やっとアパートの自分の部屋に戻って何ひとつ手につかず、そうかといって妙な不安に神経が昂ぶっているのでろくろく睡ることもできなかったという。彼はその頃せめてもに無為な生活から脱けだそうとして、いつかは上演されるだろうことを夢みながら、ひそかに戯曲を書こうと思い立っていたのだが、しかしそんな道をそんな風に帰って来た状態でどうして戯曲の仕事が出来たろうか。出来なかったのである。中庭を黒く渡る風の音を聴きながら、深夜の荒涼たる部屋のなかで凝然として力のない眼を
ところが夏も過ぎ秋が深くなって、金木犀の花がポツリポツリ中庭の苔の上に落ちる頃のある夕方、佐伯が町へ出ようとしてアパートの裏口に落ちていた夕刊をふと手にとって見ると、友田恭助が戦死したという記事が出ていた。佐伯はまるで棒をのみこんでしまった。この人にこそ自分の戯曲を上演して貰いたいと思っていたその友田が死んだのだ。高等学校にいた頃、脚本朗読会をやってわざわざ友田恭助を東京から呼び、佐伯は女役になってしきりにへんな声を出し、友田は特徴のある鼻声をだし、終って一緒に記念写真を写したこともある。コトコトと動いていなければ気の済まない友田は写真をうつす時もひとりでせっせと椅子運びをやっていた、それをものぐさの佐伯は感心して眺めていた。そんなことも想いだされて佐伯はああえらいことになってしもたとホロホロ泣いた。あの、時代に取残された頽廃的な性格を役どころにしていた友田が、気の弱い蒼白い新劇役者とされていた友田が「よしやろう」と気がるに蘊藻浜敵前渡河の決死隊に加わって、敵弾の雨に濡れた顔もせず、悠悠とクリークの中を漕ぎ兵を渡して戦死したのかと、佐伯はせつなく、自分の
つまりはよしやろうだなと呟き呟き行くと、その道には銭湯があり八百屋があり理髪店があった。理髪店から「友田······」という話声が聴えて来た。パン屋の陳列ガラスの中には五つ六つのパンがさびしく転っていた。「電気マッサージ」と書いた看板の上に赤い軒燈があった。ひらいた窓格子から貧しい内部が覗けるような薄汚い家が並び、小屋根には小さな植木鉢の台がつくってあったりして、なにか安心のできる風情が感じられた。魚の焼く匂いが薄暗い台所から漂うて来たり、突然水道の音が聴えたりした。佐伯は思い掛けない郷愁をそそられ、毎日この道を通ろうと心に決めた。三丁行くと道は突き当った。左手は原っぱで人夫が二三人集って塵埃の山を焼いていた。咳をしながら右へ折れて三間ばかし行くといきなりアスファルトの道が横に展けていてバスの停留所があった。佐伯の勘は当っていた。そこから街へ通うバスが出るのだった。停留所のうしろは柔術指南所だった。柔道着を着た二人の男がしきりに投げ合いをしていた。黒い帯の小柄な男が白い帯のひょろ長い男を何度も投げ飛ばした。そのたびドスンドスンと音がした。あんな身体になれば良いと佐伯は羨ましく眺め、心に灯をともしながらバスが迂回するのを待った。
帰りもバスだった。柔術指南所はもう寝しずまっていた。原っぱには誰もいなかった。一本道の前方にかすかにアパートの灯が見えた。遠い眺めだった。佐伯は街で買って来た赤い色の水歯磨の瓶を鼻にくっつけながら歩いた。その匂いが忘れていた朝を想い出させた。あたりの暗闇が瓶の色に吸いこまれ、佐伯の心は新しい道を発見したというよろこびに明るかった。だが、佐伯はいきなりぎょっとして立ちすくんだ。どこからかヒーヒーと泣き苦しむ声がかすかに聴えて来たのだ。佐伯は暗がりに眼をひからせた。道端に白い仔犬が倒れているのだった。赤い血が不気味などす黒さにどろっと固まって点点と続いていた。自動車に
佐伯のいう切っ掛けとはこの時に掴んだものだろうか。
(「文藝」昭和一八年九月号)