流沙の南の、
楊で
囲まれた小さな
泉で、私は、いった
麦粉を水にといて、昼の
食事をしておりました。
そのとき、一人の
巡礼のおじいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来ました。私たちはだまって
軽く礼をしました。
けれども、半日まるっきり人にも
出会わないそんな
旅でしたから、私は食事がすんでも、すぐに泉とその
年老った巡礼とから、
別れてしまいたくはありませんでした。
私はしばらくその
老人の、高い
咽喉仏のぎくぎく
動くのを、見るともなしに見ていました。何か話し
掛けたいと思いましたが、どうもあんまり
向うが
寂かなので、私は少しきゅうくつにも思いました。
けれども、ふと私は泉のうしろに、小さな
祠のあるのを
見付けました。それは大へん小さくて、地理学者や
探険家ならばちょっと
標本に
持って行けそうなものではありましたがまだ
全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ
塗られていかにも
異様に思われ、その前には、
粗末ながら一本の
幡も立っていました。
私は
老人が、もう食事も
終りそうなのを見てたずねました。
「
失礼ですがあのお
堂はどなたをおまつりしたのですか。」
その老人も、たしかに何か、私に話しかけたくていたのです。だまって二、三
度うなずきながら、そのたべものをのみ下して、
低く言いました。
「
······童子のです。」
「童子ってどう
云う方ですか。」
「
雁の童子と
仰っしゃるのは。」老人は
食器をしまい、
屈んで
泉の水をすくい、きれいに口をそそいでからまた云いました。
「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこの
頃あった
昔ばなしのようなのです。この地方にこのごろ
降りられました
天童子だというのです。このお堂はこのごろ
流沙の
向う
側にも、あちこち
建っております。」
「天のこどもが、降りたのですか。
罪があって天から
流されたのですか。」
「さあ、よくわかりませんが、よくこの
辺でそう
申します。多分そうでございましょう。」
「いかがでしょう、聞かせて下さいませんか。お
急ぎでさえなかったら。」
「いいえ、急ぎはいたしません。私の
聴いただけお話いたしましょう。
沙車に、
須利耶圭という人がございました。
名門ではございましたそうですが、おちぶれて
奥さまと二人、ご自分は
昔からの
写経をなさり、奥さまは
機を
織って、しずかにくらしていられました。
ある
明方、須利耶さまが
鉄砲をもったご自分の
従弟のかたとご
一緒に、野原を歩いていられました。
地面はごく
麗わしい青い石で、空がぼうっと白く見え、雪もま
近でございました。
須利耶さまがお従弟さまに
仰っしゃるには、お前もさような
慰みの
殺生を、もういい
加減やめたらどうだと、
斯うでございました。
ところが従弟の方が、まるですげなく、やめられないと、ご
返事です。
(お前はずいぶんむごいやつだ、お前の
傷めたり
殺したりするものが、一体どんなものだかわかっているか、どんなものでもいのちは
悲しいものなのだぞ。)と、須利耶さまは
重ねておさとしになりました。
(そうかもしれないよ。けれどもそうでないかもしれない。そうだとすればおれは
一層おもしろいのだ、まあそんな下らない話はやめろ、そんなことは昔の
坊主どもの言うこった、見ろ、向うを
雁が行くだろう、おれは
仕止めて見せる。)と従弟のかたは
鉄砲を
構えて、走って見えなくなりました。
須利耶さまは、その大きな黒い雁の
列を、じっと
眺めて立たれました。
そのとき
俄かに
向うから、黒い
尖った
弾丸が
昇って、まっ先きの雁の
胸を
射ました。
雁は二、三べん
揺らぎました。見る見るからだに火が
燃え出し、
世にも
悲しく
叫びながら、
落ちて
参ったのでございます。
弾丸がまた昇って
次の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、
遁げはいたしませんでした。
却って
泣き叫びながらも、落ちて来る雁に
随いました。
第三の弾丸が昇り、
第四の弾丸がまた昇りました。
六発の弾丸が六
疋の雁を
傷つけまして、一ばんしまいの小さな一疋だけが、傷つかずに
残っていたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、
悶えながら空を
沈み、しまいの一疋は泣いて随い、それでも雁の正しい列は、
決して
乱れはいたしません。
そのとき須利耶さまの
愕ろきには、いつか雁がみな空を
飛ぶ人の形に
変っておりました。
赤い
焔に
包まれて、
歎き叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまいに
只一人、
完いものは
可愛らしい天の
子供でございました。
そして
須利耶さまは、たしかにその子供に
見覚えがございました。
最初のものは、もはや
地面に
達しまする。それは白い
鬚の
老人で、
倒れて
燃えながら、
骨立った
両手を合せ、須利耶さまを
拝むようにして、切なく叫びますのには、
(須利耶さま、須利耶さま、おねがいでございます。どうか私の
孫をお
連れ下さいませ。)
もちろん須利耶さまは、
馳せ
寄って
申されました。(いいとも、いいとも、
確かにおれが引き
取ってやろう。しかし一体お前らは、どうしたのだ。)そのとき
次々に
雁が地面に
落ちて来て燃えました。
大人もあれば
美しい
瓔珞をかけた
女子もございました。その女子はまっかな
焔に燃えながら、手をあのおしまいの子にのばし、子供は
泣いてそのまわりをはせめぐったと
申しまする。雁の老人が
重ねて申しますには、
(私
共は天の
眷属でございます。
罪があってただいままで雁の形を
受けておりました。
只今報いを
果しました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは
縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお
育てを
願います。おねがいでございます。)と
斯うでございます。
須利耶さまが申されました。
(いいとも。すっかり
判った。引き受けた。
安心してくれ。)
すると老人は手を
擦って地面に頭を
垂れたと思うと、もう燃えつきて、
影もかたちもございませんでした。須利耶さまも
従弟さまも
鉄砲をもったままぼんやりと立っていられましたそうでいったい二人いっしょに
夢を見たのかとも思われましたそうですがあとで従弟さまの申されますにはその鉄砲はまだ
熱く
弾丸は
減っておりそのみんなのひざまずいた
所の草はたしかに
倒れておったそうでございます。
そしてもちろんそこにはその
童子が立っていられましたのです。須利耶さまはわれにかえって童子に
向って
云われました。
(お前は
今日からおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のお
母さんや兄さんたちは、
立派な国に
昇って行かれた。さあおいで。)
須利耶さまはごじぶんのうちへ
戻られました。
途中の野原は青い石でしんとして子供は泣きながら
随いて
参りました。
須利耶さまは
奥さまとご
相談で、何と名前をつけようか、三、四日お考えでございましたが、そのうち、話はもう
沙車全体にひろがり、みんなは子供を雁の童子と
呼びましたので、須利耶さまも
仕方なくそう呼んでおいででございました。」
老人はちょっと
息を切りました。私は足もとの小さな
苔を見ながら、この
怪しい空から
落ちて赤い
焔につつまれ、かなしく
燃えて行く人たちの
姿を、はっきりと思い
浮べました。老人はしばらく私を見ていましたが、また語りつづけました。
「
沙車の春の
終りには、野原いちめん
楊の花が光って
飛びます。遠くの
氷の山からは、白い何とも
云えず
瞳を
痛くするような光が、日光の中を
這ってまいります。それから
果樹がちらちらゆすれ、ひばりはそらですきとおった
波をたてまする。
童子は早くも六つになられました。春のある夕方のこと、
須利耶さまは
雁から来たお子さまをつれて、町を通って
参られました。
葡萄いろの
重い雲の下を、
影法師の
蝙蝠がひらひらと飛んで
過ぎました。
子供らが長い
棒に
紐をつけて、それを
追いました。
(雁の童子だ。雁の童子だ。)
子供らは棒を
棄て手をつなぎ合って大きな
環になり須利耶さま親子を
囲みました。
須利耶さまは
笑っておいででございました。
子供らは声を
揃えていつものようにはやしまする。
(雁の子、雁の子雁童子、
空から須利耶におりて来た。)と
斯うでございます。けれども一人の子供が
冗談に
申しまするには、
(雁のすてご、雁のすてご、
春になってもまだ
居るか。)
みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一つ
飛んで来て
童子の
頬を
打ちました。
須利耶さまは童子をかばってみんなに申されますのには、
おまえたちは何をするんだ、この
子供は何か
悪いことをしたか、冗談にも石を
投げるなんていけないぞ。
子供らが
叫んでばらばら走って来て童子に
詫びたり
慰めたりいたしました。
或る子は
前掛けの
衣嚢から
干した
無花果を出して
遣ろうといたしました。
童子は
初めからお
了いまでにこにこ
笑っておられました。須利耶さまもお笑いになりみんなを
赦して童子を
連れて
其処をはなれなさいました。
そして
浅黄の
瑪瑙の、しずかな夕もやの中でいわれました。
(よくお前はさっき
泣かなかったな。)その時童子はお父さまにすがりながら、
(お父さんわたしの前のおじいさんはね、からだに
弾丸をからだに七つ
持っていたよ。)と
斯う
申されたと
伝えます。」
巡礼の
老人は私の顔を見ました。
私もじっと老人のうるんだ
眼を見あげておりました。老人はまた語りつづけました。
「また
或る
晩のこと
童子は
寝付けないでいつまでも
床の上でもがきなさいました。(おっかさんねむられないよう。)と
仰っしゃりまする、
須利耶の
奥さまは立って行って
静かに頭を
撫でておやりなさいました。童子さまの
脳はもうすっかり
疲れて、白い
網のようになって、ぶるぶるゆれ、その中に赤い大きな
三日月が
浮かんだり、そのへん
一杯にぜんまいの
芽のようなものが見えたり、また四角な
変に
柔らかな白いものが、だんだん
拡がって
恐ろしい大きな
箱になったりするのでございました。母さまはその
額が
余り
熱いといって
心配なさいました。須利耶さまは
写しかけの
経文に、
掌を合せて立ちあがられ、それから童子さまを立たせて、
紅革の
帯を
結んでやり
表へ連れてお出になりました。
駅のどの家ももう戸を
閉めてしまって、
一面の星の下に、
棟々が黒く
列びました。その時童子はふと水の
流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから、
(お父さん、水は夜でも流れるのですか。)とお
尋ねです。須利耶さまは
沙漠の
向うから
昇って来た大きな青い星を
眺めながらお答えなされます。
(水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、
平らな
所でさえなかったら、いつまでもいつまでも流れるのだ。)
童子の脳は
急にすっかり
静まって、そして
今度は早く母さまの
処にお帰りなりとうなりまする。
(お父さん。もう帰ろうよ。)と
申されながら
須利耶さまの
袂を
引っ
張りなさいます。お二人は家に入り、母さまが
迎えなされて戸の
環を
嵌めておられますうちに、童子はいつかご自分の
床に
登って、
着換えもせずにぐっすり
眠ってしまわれました。
また
次のようなことも
申します。
ある日須利耶さまは童子と
食卓にお
座りなさいました。食品の中に、
蜜で
煮た二つの
鮒がございました。須利耶の
奥さまは、一つを須利耶さまの前に
置かれ、一つを童子にお
与えなされました。
(
喰べたくないよおっかさん。)童子が申されました。(おいしいのだよ。どれ、
箸をお
貸し。)
須利耶の奥さまは童子の箸をとって、魚を小さく
砕きながら、(さあおあがり、おいしいよ。)と
勧められます。童子は母さまの魚を砕く間、じっとその
横顔を見ていられましたが、
俄かに
胸が
変な
工合に
迫ってきて気の
毒なような
悲しいような何とも
堪らなくなりました。くるっと立って
鉄砲玉のように外へ走って出られました。そしてまっ白な雲の
一杯に
充ちた空に
向って、大きな声で
泣き出しました。まあどうしたのでしょう、と須利耶の奥さまが
愕ろかれます。どうしたのだろう行ってみろ、と須利耶さまも気づかわれます。そこで
須利耶の奥さまは戸口にお立ちになりましたら童子はもう泣きやんで
笑っていられましたとそんなことも申し
伝えます。
またある時、須利耶さまは童子をつれて、
馬市の中を通られましたら、一
疋の
仔馬が
乳を
呑んでおったと申します。黒い
粗布を
着た
馬商人が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に
結びつけ、そして
黙ってそれを引いて行こうと
致しまする。母親の馬はびっくりして高く鳴きました。なれども仔馬はぐんぐん
連れて行かれまする。向うの
角を
曲ろうとして、仔馬は
急いで
後肢を一方あげて、
腹の
蠅を
叩きました。
童子は母馬の茶いろな
瞳を、ちらっと
横眼で見られましたが、
俄かに須利耶さまにすがりついて泣き出されました。けれども須利耶さまはお
叱りなさいませんでした。ご自分の
袖で
童子の頭をつつむようにして、馬市を通りすぎてから
河岸の青い草の上に童子を
座らせて
杏の
実を出しておやりになりながら、しずかにおたずねなさいました。
(お前はさっきどうして
泣いたの。)
(だってお父さん。みんなが仔馬をむりに
連れて行くんだもの。)
(馬は
仕方ない。もう大きくなったからこれから
独りで
働らくんだ。)
(あの馬はまだ乳を呑んでいたよ。)
(それはそばに
置いてはいつまでも
甘えるから仕方ない。)
(だってお父さん。みんながあのお母さんの馬にも
子供の馬にもあとで
荷物を
一杯つけてひどい山を連れて行くんだ。それから食べ物がなくなると
殺して食べてしまうんだろう。)
須利耶さまは
何気ないふうで、そんな
成人のようなことを
云うもんじゃないとは
仰っしゃいましたが、
本統は少しその天の子供が
恐ろしくもお思いでしたと、まあそう
申し
伝えます。
須利耶さまは童子を十二のとき、少し
離れた
首都のある
外道の
塾にお入れなさいました。
童子の母さまは、一生けん命
機を
織って、
塾料や
小遣いやらを
拵らえてお
送りなさいました。
冬が近くて、天山はもうまっ白になり、
桑の
葉が黄いろに
枯れてカサカサ
落ちました
頃、ある日のこと、童子が
俄かに帰っておいでです。母さまが
窓から
目敏く
見付けて出て行かれました。
須利耶さまは知らないふりで
写経を
続けておいでです。
(まあお前は今ごろどうしたのです。)
(私、もうお母さんと
一緒に
働らこうと思います。
勉強している
暇はないんです。)
母さまは、
須利耶さまのほうに
気兼ねしながら
申されました。
(お前はまたそんなおとなのようなことを
云って、
仕方ないではありませんか。早く帰って
勉強して、
立派になって、みんなの
為にならないとなりません。)
(だっておっかさん。おっかさんの手はそんなにガサガサしているのでしょう。それだのに私の手はこんななんでしょう。)
(そんなことをお前が云わなくてもいいのです。
誰でも年を
老れば手は
荒れます。そんなことより、早く帰って勉強をなさい。お前の立派になることばかり私には
楽みなんだから。お父さんがお聞きになると
叱られますよ。ね。さあ、おいで。)と
斯う申されます。
童子はしょんぼり
庭から出られました。それでも、また立ち
停ってしまわれましたので、母さまも出て行かれてもっと
向うまでお
連れになりました。そこは
沼地でございました。母さまは
戻ろうとしてまた(さあ、おいで早く。)と
仰っしゃったのでしたが童子はやっぱり
停まったまま、家の方をぼんやり見ておられますので、母さまも仕方なくまた
振り
返って、
蘆を一本
抜いて小さな
笛をつくり、それをお
持たせになりました。
童子はやっと歩き出されました。そして、
遥かに
冷たい
縞をつくる雲のこちらに、蘆がそよいで、やがて童子の
姿が、小さく小さくなってしまわれました。
俄かに空を羽音がして、
雁の
一列が通りました時、
須利耶さまは
窓からそれを見て、思わずどきっとなされました。
そうして冬に入りましたのでございます。その
厳しい冬が
過ぎますと、まず
楊の
芽が
温和しく光り、
沙漠には
砂糖水のような
陽炎が
徘徊いたしまする。
杏やすももの白い花が
咲き、
次では
木立も草地もまっ
青になり、もはや
玉髄の雲の
峯が、四方の空を
繞る
頃となりました。
ちょうどそのころ
沙車の町はずれの
砂の中から、古い沙車大寺のあとが
掘り出されたとのことでございました。一つの
壁がまだそのままで
見附けられ、そこには三人の天童子が
描かれ、ことにその一人はまるで生きたようだとみんなが
評判しましたそうです。
或るよく晴れた日、須利耶さまは
都に出られ、童子の
師匠を
訪ねて色々
礼を
述べ、また
三巻の
粗布を
贈り、それから半日、童子を
連れて歩きたいと
申されました。
お二人は
雑沓の通りを過ぎて行かれました。
須利耶さまが歩きながら、
何気なく
云われますには、
(どうだ、
今日の空の
碧いことは、お前がたの年は、
丁度今あのそらへ
飛びあがろうとして羽をばたばた
云わせているようなものだ。)
童子が大へんに
沈んで答えられました。
(お父さん。私はお父さんとはなれてどこへも行きたくありません。)
須利耶さまはお
笑いになりました。
(
勿論だ。この人の大きな
旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛び
去ることはいけないのだ。)
(いいえ、お父さん。私はどこへも行きたくありません。そして
誰もどこへも行かないでいいのでしょうか。)とこう云う
不思議なお
尋ねでございます。
(誰もどこへも行かないでいいかってどう云うことだ。)
(誰もね、ひとりで
離れてどこへも行かないでいいのでしょうか。)
(うん。それは行かないでいいだろう。)と須利耶さまは何の気もなくぼんやりと
斯うお答えでした。
そしてお二人は町の広場を通り
抜けて、だんだん
郊外に来られました。
沙がずうっとひろがっておりました。その
砂が一ところ
深く
掘られて、
沢山の人がその中に立ってございました。お二人も下りて行かれたのです。そこに古い一つの
壁がありました。色はあせてはいましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶さまは思わずどきっとなりました。何か大きい
重いものが、遠くの空からばったりかぶさったように思われましたのです。それでも何気なく
申されますには、
(なるほど
立派なもんだ。あまりよく出来てなんだか
恐いようだ。この
天童はどこかお前に
肖ているよ。)
須利耶さまは
童子をふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、
倒れかかっていられました。須利耶さまは
愕ろいて
急いで
抱き
留められました。童子はお父さんの
腕の中で
夢のようにつぶやかれました。
(おじいさんがお
迎いをよこしたのです。)
須利耶さまは急いで
叫ばれました。
(お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)
童子が
微かに
云われました。
(お父さん。お
許し下さい。私はあなたの子です。この
壁は前にお父さんが書いたのです。そのとき私は王の
······だったのですがこの絵ができてから王さまは
殺されわたくしどもはいっしょに
出家したのでしたが
敵王がきて寺を
焼くとき二日ほど
俗服を
着てかくれているうちわたくしは
恋人があってこのまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです。)
人々が
集って口々に叫びました。
(
雁の童子だ。雁の童子だ。)
童子はも
一度、少し
唇をうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと
申します。
私の知っておりますのはただこれだけでございます。」
老人はもう行かなければならないようでした。私はほんとうに
名残り
惜しく思い、まっすぐに立って
合掌して申しました。
「
尊いお
物語をありがとうございました。まことにお
互い、ちょっと
沙漠のへりの
泉で、お
眼にかかって、ただ一時を、
一緒に
過ごしただけではございますが、これもかりそめのことではないと
存じます。ほんの通りかかりの二人の
旅人とは見えますが、
実はお互がどんなものかもよくわからないのでございます。いずれはもろともに、
善逝の
示された光の道を
進み、かの
無上菩提に
至ることでございます。それではお
別れいたします。さようなら。」
老人は、
黙って
礼を
返しました。何か
云いたいようでしたが黙って
俄かに
向うを
向き、今まで私の来た方の
荒地にとぼとぼ歩き出しました。私もまた、
丁度その
反対の方の、さびしい石原を合掌したまま進みました。