一月一日
(金曜)晴一月五日
(火曜)雨 寒退屈まぎれに、しきりに方角を日記でしらべ、やっと
一月八日
(金曜)ああいう種類の男を見面白かった。
他に、男妾のようなものをつれた醜い、人の好い、情の厚そうな三十五ばかりの女など。
吉奈の東府やの主人、駅前の、舟橋がこわくて、自動車を降りたのは可笑し。ゴーゴリ的人格。汽車の中にも面白い男が居た。正月の旅行はそのような点面白し。
一月九日
(土曜)石橋夫人。平凡人。ひどい平凡人で、沢山描かないと云って小言を云う。彼のように生産的でもそういう不平をきくなら、他の人であったらどうだろう。
Artist's life is not easy in anywhere.
という。少し説教してあげたい位であった。
十一時頃かえり、門明かず困って居ると、Y、かえって来。丁度よかった。花の茶屋というのに、秀雄と行った由、ほろよいで愉快そうであった。
一月十日
(日曜)一月十一日
(月曜)熱はないのだが頭重く。床につく。
一月十二日
(火曜)ひる間、一寸二人でカルタをする。自分この頃カルタがすきになり、じきしたい。やり方が判ったばかり故らし。Yこの正月は運よく勝つというのでよろこんで居る。
とし子を金山にやり、風邪で、原稿を、十五日までのばして欲しいと云ってやる。
一月十三日
(水曜)一月十四日
(木曜)一月十五日
(金曜)Y、発熱、7.5、床につく。クロボトキンの[#「クロボトキンの」はママ]「革命家の思い出」をよみはじむ。(Y)
よろこび面白がって居る。
一月十七日
(日曜)「私は、描写ということが出来ないのね」Y。「今頃其那ことでどうする!」とかえりに云う。Yの野上さんに対する感情不穏なものあり。Yはなぜ広く人がいれられないか。下のものには寛容、上のものにはやかましい性質。
一月十八日
(月曜)疲労のためにか、生活が暗し。
こちらに抵抗力がないので、Yの我ままその他気にさわる。
自分など、いくじのない奴なり。恒心がともすればあやうくなるなど。
きのう野上さんで見た呉昌セキ[#呉昌碩]の牡丹と水仙の画。忘られず。あのたっぷりさ、雄々しさ、自由さ。自賛に、描終自賞頗似十三峯、とあり。
一月十九日
(火曜)〔欄外に〕
『婦、公、』「大道無門」
。この頃の
の甘さよ!
ところが一月のはこれとは違ってよいよし。
如是閑[#長谷川如是閑]の、男女関係が、征服であったのを、平等な愛にまで高めたいという主旨の論文。よんで居るうちに悲しさを感じた。自分、今の生活にも、猶強弱の(性格的)圧迫、我まま、不公平、原始的さを感じることがある。もう五十年か百年か経ったら、性的生活はどうなるだろうとYにも野上さんにも云ったが「同じでしょう」という。
『婦、公、』「大道無門」


ところが一月のはこれとは違ってよいよし。
如是閑[#長谷川如是閑]の、男女関係が、征服であったのを、平等な愛にまで高めたいという主旨の論文。よんで居るうちに悲しさを感じた。自分、今の生活にも、猶強弱の(性格的)圧迫、我まま、不公平、原始的さを感じることがある。もう五十年か百年か経ったら、性的生活はどうなるだろうとYにも野上さんにも云ったが「同じでしょう」という。
一月二十六日
(火曜)見ると、二十九日に小樽にゆく。一緒に行ってもよしという。これはよい、これはよいと、Yに相談す。Yもすぐ賛成してくれる。たった一人ぼっちになる故Yは、京都に行ってもよいと云う。
一月二十七日
(水曜)一月二十八日
(木曜)又夜になってから、アイラヴユーを書いた。それをやることにする。
Y、風呂たきをし、労力と費用と時間の浪費だと云っておこる。
もっともだが、私は決して銭湯には行かない。これはYもわかって居るがやって見ると、それをつくづく感じ、おこるところ、Yらしくて面白し。夜Y眠れず、二人で喋り、眠ったの三時すぎ。
〔欄外に〕
加藤首相、今朝急性肺炎にて逝去。
加藤首相、今朝急性肺炎にて逝去。
一月二十九日
(金曜)父上小樽三井銀行支店建築の用向を帯びて。
オテテコテンテンが鳴ったのでYも目がさめる。下に来て、じぶくり。
「いやー、いやー」とじぶくり乍ら涙を出して居る。一緒に出かけ、Y、さくや風呂タキのときこわした眼鏡なおさせに神田でおりる。却ってよく、元気になって居た。林町につくとすぐYより電話。母上「毎日一緒に居て、まだ話すことがあるのかい、あきれたね、まあ」Y、一人になる故、京都に行こうかと秀雄にきいたら、十日すぎにゆく由で中止にした。
〔欄外に〕
林町からクルマ廻して貰い、三越で買ものす。
林町からクルマ廻して貰い、三越で買ものす。
一月三十日
(土曜)船、実に珍しくおだやかであった。
九時すぎ小樽着。中山夫妻[#中山正直、本田道之の弟]出迎。
青森でも吹雪いて居たが、海上以北晴れる間もない吹雪。
停車場より始めて橇にのる。
一月三十一日
(日曜)曇 時々吹雪。雪景色は大抵単純。
室内に居ると、陰気だ。天光がささないから。北海道の冬がわびしいのは、雪があるからではない。雪をふらすために日光が人間の生活からうばわれるからだ。小樽見るところもうなし。明日一人でもよい、札幌に行こうかと思う。
二月一日
(月曜)二月二日
(火曜)吹雪Yより手紙と電報、Y到頭京都に来た由。
ヤッパリキタ 五ヒカエル ユアサ
〔欄外に〕
きのう、今日、汽車の中にて志賀直哉の「廿代一面」をよむ。
面白し。
きのう、今日、汽車の中にて志賀直哉の「廿代一面」をよむ。
面白し。
二月三日
(水曜)晴これも久しぶりの心持よい朝飯で、父上竹中自分、皆大よろこび、すっかり上機嫌になる。米沢人の骨董屋とかいうのを訪ねた。何もなし。市役所にゆき、小楠の兄などに会う。日本銀行の建築場を見る。竹中氏と別れ、二人であちこち歩き、又五島軒にかえって食事。竹中氏も二人手下をつれて来て食事。四時までロンジ・ルームに休む。自動車で港に来、五時出帆、珍しく静かな海なり。青森で竹中氏と別る。彼越後の令嬢のところに廻る。
〔欄外に〕
ハムズンをよみつづく。もう終りの方になって、captain の妻が、下らない若者の子をもったところ、及、それを夫に告げ、夫堪えようとして堪え得ず、終に夫人死ぬ。
生活のアンニュイから来る破滅
She had no child, but had a piano, no child. Nothing to do; 余り上々の作でない。
ハムズンをよみつづく。もう終りの方になって、captain の妻が、下らない若者の子をもったところ、及、それを夫に告げ、夫堪えようとして堪え得ず、終に夫人死ぬ。
生活のアンニュイから来る破滅
She had no child, but had a piano, no child. Nothing to do; 余り上々の作でない。
二月四日
(木曜)晴父上との旅行楽しく、竹中氏に、実に珍らしいお二方です、世間に滅多にない、と云われた程よい旅の道づれではあったが、自分にはそれだけでは欠けたものあり、Y! Y! と思う。切な心持。K上野に迎に出て居る。母上の口上「きのう国府津から帰ってつかれて居りますから上りません」上りません、珍しい改まりようだと大笑い。かえると髪しあげ。父上少しぐずついて居ると「あなた、もうあっちへいらっしゃい」愉快、又笑う。
二月五日
(金曜)晴二月六日
(土曜)とし子を迎えにゆき、来させ、二人でひるね。二人とも、たった一週間別っこに居たと思われず永い心持がした。
Y、父上から、家をたてる金、二千円位出して貰えることに話して来た由、夜そのプランなどについて楽しむ。
家をたてるということ、自分、嬉しさ、不安
二月九日
(火曜)ああいう商売人、どんなに平気でうそをつくかということわかって世間学だ、モヤーの云う通り。
二月十日
(水曜)苦し。
二月十三日
(土曜)モヤー私の部屋に居、「ほー、おあがり」十二時すぎまで話し、三人江戸川に出て小型自動車を見つけ、のせ、かえす。
途中酔っぱらいの土方、何かわめいて居る。私、北村、くっついて通りぬけ、モヤーその男が「庖丁一本持ってるぞ!」と威張って居るのを見た由。
二月十四日
(日曜)どうしたものかと相談す。どうしたものか。それは結局Yの心持のすむようにするしかない。Y、彼女がたった一人東京で、あんなにして居てはやがて立つ瀬のなくなるのを考え、じっとして居られない心持、いやさ、いろいろあるらし。
これから先、知人としてつき合ってゆくほど互に平静ならよし、そうでない以上きっちりする方がよかろうというYの考。自分、うまくつき合ってゆけたら素敵と思うが、彼女の必要とするものを考えると何とも云えず。
二月十五日
(月曜)従って自分も落付かず。
二月十六日
(火曜)Y、じきかえって来る。留守で、いやな留守の婆が居た由。
却ってよかった。
Yの言葉。
二月十七日
(水曜)モヤー何でもなかった。自分ただ nervous な丈。目出たし目出たし。かえりに本
「フム、いい御芝居だ! 本牧夜話のようね、貴方小説なんか読まない方がいいわ」
二月十八日
(木曜)二月十九日
(金曜)かえりに歯医者に廻る。
江戸川から、草履なのでうまく歩けず、関口パンで洋菓子を買い、そこへ来た乗合にのる。坂の途中でギャソリンの爆発不充分で車動かず。一人の巡査同乗、ショファー「すみませんが一寸車のうしろに石をかってくれませんか」巡査、下車。石をかい口を歪め、妙な顔をして戻る。
「いつも此那ことがあるのか?」「いいえ、一つの||の工合がわるいんで」「乗客を云々」「どうもすみません」巡査の威厳を失った自意識のあらわれた顔。
二月二十日
(土曜)二月二十一日
(日曜)「今日はいい天気ですよ」
そうきいたら外に出たくなって庭に下り、菊の新芽の上にのこった去年の枯枝などを折る。なるほどよい日だ。
耳鳴す。相談(モヤーハルピンにでも、まあ行くこと)出来たと思ったら、今朝
モヤー本当に行く?
何のこと?
昨夜の話
知らんよ
と云ったようなことになった。モヤー私一人で置くのが不安な由、左様、よくはないな、私にしろ。
〔欄外に〕
今日より、私下の三畳の bed にて眠る。
よし。
モヤーもよし。
二階では二人ねるにせますぎる。
今日より、私下の三畳の bed にて眠る。
よし。
モヤーもよし。
二階では二人ねるにせますぎる。
二月二十二日
(月曜)曇娘さん、学校の入学試験があったと云って、先生、治療して居るわきに来て話して居るのをきく、学制の不備にフンガイを感ず。
〔欄外に〕
ひるまで仕事。
やっと目はながつきかけてうれし。
臭剥きいて、ミミナリよくなる。
ひるまで仕事。
やっと目はながつきかけてうれし。
臭剥きいて、ミミナリよくなる。
二月二十三日
(火曜)曇三沢氏来。
モヤー、ブフノワに[#「ブフノワに」はママ]話すといって、『中央公論』正月号掲載の無産階級の文学(片上伸)論の梗概を話す。ロシア語で喋るのだから難しい。
三月二日
(火曜)三月三日
(水曜)会をやめてしまい、書くこと、語学など勉強しようと云う考えが、つよくわいて居る。つまり会の仕事を自分が馬鹿にしながらやって居るのはよくないからというつもり。
私は、どっちでもよい。Yが一生に一度、ああ力一杯やった! と私が仕事をすましたときのようなあの浄められさっぱりした感じを味えばよいと思う。
三月五日
(金曜)新橋演舞場へ行って中井さん、アミノさんに会い、三人で又歩き、中井さんを有楽町まで送って尾張町からタクシーでかえる。
三月六日
(土曜)不快、臥床。
とにかく、家があるのは重荷とY云う。二人でも女中なしではやってゆけず、その為いろいろな不便があるからと。老松館はどうだろう。あすこならきっと落付ける。行って見て来てくれない? 行って見る。所謂旅館の二階三部屋で食費とも百十円という。やすい。Yのりきでかりることにしたがる。自分まあ一遍部屋を見てからにした方がいいわ。
〔欄外に〕
自分も家はなかなかやっかいなり、何だか書生っぽになって居られず、細君
までだが||的で。しかしそれなら、と云うとやはり、この家に未練あり。この家はなかなかよいから。
自分も家はなかなかやっかいなり、何だか書生っぽになって居られず、細君

三月七日
(日曜)Yによき忠告を与えてくれる。
Y不安だったところなので、おとなしく云うことをきいて、八日に中井さんを支那料理になどまねくことはやめ。
うちでたべるように、ハガキを出す。
三月八日
(月曜)九十一枚、「苔」。
きょう中井氏が見えると云うので、すっかりすましてしまったのだが来ない由。
自分十時頃から二階にあがり、一気に四時すぎまで寝通した。
三月九日
(火曜)Yの方針もかわり、会はやめず、自分の書くものをのせ、もっと積極的にやって行って見るようにすることになる。まあこれが両だめであろう。すぐ誰にもたのまず書いたものをのせ得る方便があるのだから。活字になって見ると、あらがよく見えてよろしい。
三月十日
(水曜)雨網野さん泊る。始めて。
つかれ、話しすぎその他、自分よく眠れず。bed に来たいと思ったが、あみのさんが気にするといけないと思って我慢。
『新潮』の「浦島」をよもうとて、Y、とし子に買わせる。広津の「白霧」評、合評、その他、Yフンガイしてもう「浦島」をよまず。Y、私をヒイキにし、おこる。
合評会の云いぐさ、今に見ろ! と思う。しかし客観性の足りなさは、自分として承認せざるを得ないと思う。私は一体客観性のあるようでない女なのだから。
〔欄外に〕
この日記、ずっと経ってつけて居、批評によって受けた心持変って居る。
「白霧」の二つの方がよくなかったとしたら、それは佃に対する心持より、あの作に対しての心持、つつしみの欠乏によったものと思い、閉口して居る。いい心持になりすぎ||まあ勢にのりすぎのような傾向、つつしむべし、つつしむべし。
この日記、ずっと経ってつけて居、批評によって受けた心持変って居る。
「白霧」の二つの方がよくなかったとしたら、それは佃に対する心持より、あの作に対しての心持、つつしみの欠乏によったものと思い、閉口して居る。いい心持になりすぎ||まあ勢にのりすぎのような傾向、つつしむべし、つつしむべし。
三月十一日
(木曜)不安であったり、何だ
床について居たので「大菩薩峠」を買って来たら、よむことよむこと、よむことよむこと。
三月十二日
(金曜)Yの腸の工合並に動きたくなさから。
三月十四日
(日曜)ロープシンの「黒馬を見たり」と自ら比較す。ステプニャーク、いかにも革命の中に青年となったらしき作品。
ロープシン、その前から生存し、違った生活の様式と、違った目標とで生きて来た人||ピリニャークは、革命状態が彼として知って居る生活そのものの全部で、他に life of today を知らない者。そこに二人の作家の違いがある。
ロープシン、理想をもたずに革命は見られぬ人、そこに悲しみ、英雄主義、センチメンタルがある。ピリニャーク、平たく現実と見る。辛くても何でも今日の生活とはこういうもの。||日本の作家がデーリーライフを書くそれと同じデーリーライフの書かれたもの。
ピリニャークは、非凡な作家か? 技巧に於て。||全ロシアの揺れ動き、動乱を感じて居る人々の感情を描ける点に於て。
「ユニークなソールではなし。」
○モヤーのお灸はじまり
三月十五日
(月曜)下らない、しかし書きようは知って居る小説の多いこと! これが半年あと、それどころか! 二十日後には紙くずのようになる。恐ろしいことだ。
いつも、遠い、大きい、揺がぬ一点を見つめて行かないと、現代はすぐ生存の足をすくう。一旦掬われたら、おだぶつ。新進作家の小器用さ、鋭さ、しかし規模の小ささ。自分の掬われて居る足許に心づかぬことが最大原因だ。
三月十六日
(火曜)寒「家はいいね||うちは」
という。ほら! だから云うのだ。
◎とし子をかえす。三十円やる。
◎国男来。この頃彼の性格かわり、ひどくしまつやで、実際家で、よいあととり的になった。よしわるし。然しうまく生きては行くであろうからよしよし。
◎「ビュビュ・ドゥ・モンパルナッス」、ベルトという淫売婦、モオリスという情夫||女喰い、ピエールという小役人。全く、フィリップはこのような題材を、モウパッサンでも、ゾラでも、ドストイェフスキーでもなく扱って居る。生活の力がどんなに強い不可抗なものか、生存の恐ろしさ、かなしさ、人間のそういうものに対する生きものとしての従順さ。道徳的であって誰にも説教せず、肉慾を明るく美しく悲しく見るところ、よし。彼の温い平静なきどらない心は、独特だ。
三月十七日
(水曜)風つよし自分で食事その他をやると、下宿へゆきたくなる。ただ下宿で、この家に居るような落付きが得られるや否や不安ではあるが。
夜、ソシオロジーをよむ。伊藤綾子来。
Yと仕事の話をし、京都並、祇園の生活をこれまでのどの人が描いたのとも違う書きぶり、見かたで書いたらさぞ面白かろうということを話す。Yはいろいろのことを知って居るから先導して貰って。
〔欄外に〕
『婦人公論』安成二郎が原アサヲ[#原阿佐緒]のことを書いた、「恋の見合」。
面白く心持よくよんだ。彼としてよい作と思う。弱くて小さい原に対する男の、よい愛があらわれて居る。その妙な小ささなどが。
彼女の周囲に男を引つけ、同時に彼女を不幸にもするのだと思う。
『婦人公論』安成二郎が原アサヲ[#原阿佐緒]のことを書いた、「恋の見合」。
面白く心持よくよんだ。彼としてよい作と思う。弱くて小さい原に対する男の、よい愛があらわれて居る。その妙な小ささなどが。
彼女の周囲に男を引つけ、同時に彼女を不幸にもするのだと思う。
三月十八日
(木曜)三月十九日
(金曜)風 曇クープリンのチェホフの思い出をよむ。一寸
老松館には到頭ゆかぬことにきまる。自分すぐYに雷同し、あとでこまる。これからは注意。
夜より降雪、淡い、水の多い春の雪。
三月二十日
(土曜)雪一日降る。
ロシア語、一昨々日のところをやる。ロシア語は複雑でむずかしくていや。
Y、書きかけのものを、こねて居る。何が出来るか。なかなか骨が折れるらしい。
「大道無門」失敗の作なり。惜しき才。
この頃朝大抵九時までに離床。台どころをやるのでつかれ、早く眠る。しかし、頭は何だか密度があらくなるようでいや。『時事』に広告を出して居た女中にハガキを書く。山岡何とも音さたなし。
〔欄外に〕
クープリン、彼は芸術家としてとび切りの一流ではなかった。何故?
彼の、チェホフの思い出にでもある一種の Sweet なところが、何か関係がありはしなかったか。
クープリン、彼は芸術家としてとび切りの一流ではなかった。何故?
彼の、チェホフの思い出にでもある一種の Sweet なところが、何か関係がありはしなかったか。
四月九日
(金曜)「役の行者」、初めて築地小劇場にて上演。ひどく評判よし。青山[#青山杉作]の役の行者。行ったが、満員で入れず。シネマギンザにゆき、ヤンニングスのラストマンを見る。ヤンニングスの厚手な、暖みのある、而して単純な心の老爺よくやって居た。ヤンニングスだけで見せるものだ。
四月十日
(土曜)「秋の反射」。
四月十二日
(月曜)四月十三日
(火曜)今日は自分達が始めて一昨年、野上さんのところで会い、自笑軒へ行った記念日だ。早いもの。もう足かけ三年になった。あの時はもう
四月十四日
(水曜)アミノ、モヤーの古い西部という友達。夕方、とし子、H、Y、S、なので、Y、家で食事をするのをいやがり、三人で出かけ、海市[#洋装店]によってから甚兵衛。
銀座を歩く。
実にひどい、さむい風。
四月十五日
(木曜)四月二十七日
(火曜)特急にて。
七時すぎ京都につく。
木原にとまる。
十時すぎ、たの、ぶす、秀雄君来。
池の寮というのに出かける。偉いさわぎ。よっぱらいの仲居、すごい有様。
四月二十八日
(水曜)秀雄さん、おこと、四人で清水から河合卯之助氏のところへより、モヤ父上へのみやげ、その他買い、
四月二十九日
(木曜)都踊見物、ぶすが利巧で自分に近い方へ我々を座らせた。ノーエンにゆく。
〔欄外に〕
花見小路を走る人力車の後について、小桃万歳! と叫びつつついて馳る学生あり。
花見小路を走る人力車の後について、小桃万歳! と叫びつつついて馳る学生あり。
四月三十日
(金曜)五月一日
(土曜)別府行。
五月二日
(日曜)五月六日
(木曜)五月七日
(金曜)深田の石仏見物
五月八日
(土曜)五月九日
(日曜)日向の青島による。
五月十日
(月曜)城山。
集成館
夜十一時立つ長崎に向って
五月十一日
(火曜)五月十二日
(水曜)図書館 本や
五月十三日
(木曜)五月十四日
(金曜)夜立つ
五月十五日
(土曜)五月十六日
(日曜)昇之助[#豊竹昇之助、女義太夫]を南座にてきく。楽屋始めて見る。
五月十七日
(月曜)ぶすの気取りと、いじわる。
円山公園に、秀雄、我々、たの、ぶすにて散歩。モヤーの兄上、昇之助、来。
五月十八日
(火曜)京都座喜多村緑郎「婦系図」
大原。
五月十九日
(水曜)五月二十日
(木曜)六月八日
(火曜)自分、『文芸春秋』の仕事もあってゆけず。又ゆけても、今度は留守番をすべきコンディションあり。
縁側の机に出て仕事につき考えて居たが、フト気が向き、随筆のようなもの数枚かく。家じゅう、急に空気の流通が感じられるように、いやにからりとして淋し。これをしまう頃、国男、春江二人来る。よく来てくれたと、助った気持し。夕飯四人でたべ、十時頃まで居てかえる。国男、少々ヒポコンデリアの気味であった。夜 bed でねたが、何としても眠られず、異様な淋しさ、淋しさに追い立てられて二階へ上り、Yの床をしき、机の上で歌のようなものをかき、鴎外全集中短篇小説のホンヤクなどをよみつつ眠る。
ガスタヴ・ウィードの「尼」、「薔薇」、フローベルの「聖ジュリアン」、アナトオル・フランスの「舞踏」等。
フランスの皮肉さ。
六月十一日
(金曜)夜Yかえると思い、楽しみに楽しみに待って居たところへ、午後三時すぎて電報。ケサノリオクレタアスアサタツモヤー
がっかりし、泣き出したい位になった。
憤然とす、のりおくれるということがあるものか。本当にかえりたいと思ったら、誰がのりおくれなんぞする······と。
然し考えなおし、まあよいよいと思う。一日位当てがはずれて、斯うがっかりしては、我ながらたよりにならない。腹に力のない奴と思いなおす。午後渡辺竹中二人づれで来た。渡辺氏どうしたかひどく笑いはしゃぐ。
六月十三日
(日曜)六月十五日
(火曜)六月二十日
(日曜)晴七月十四日
(水曜)七月十五日
(木曜)晴朗 暑気きびし。○フロをたき乍ら、婦公、の武林文子の文をよむ。人世と闘い、あばずれて居るという感じ。然し何か心を動すところあり。
〔欄外に〕
私の六畳はなかなかあつし。鎌倉を思い出す。
昨夜Y、ねしなに去年は十五日に秀雄が来、十六日に京都にかえったねという。
本当にそうであった。
私の六畳はなかなかあつし。鎌倉を思い出す。
昨夜Y、ねしなに去年は十五日に秀雄が来、十六日に京都にかえったねという。
本当にそうであった。
七月十六日
(金曜)晴Y、あついあついとて何も出来ず、「アンナ・カレニナ」をよんで居る。
○自分一昨々日林町から帰ってからどうも胃の工合悪しく、今日、朝パン二片、ひるスープにパン一片、晩、飯一杯半という有様。
半ば暑気あたりらしい。
〔欄外に〕
大塩平八郎を、吉蔵[#中村吉蔵]かつて戯曲とする。今度真山青果又、全然違った見方であつかってドラマナイズしてある。作者の性格の違いが見えて面白い。吉蔵のは社会学的立場から、青果のは性格劇として見せようとして居るのらしいが、成功と云えず。神経質すぎ、こんな小器ではなかったろうと思う。但、養父の妻とリーベになったところなど、青果氏のつくりか。
大塩平八郎を、吉蔵[#中村吉蔵]かつて戯曲とする。今度真山青果又、全然違った見方であつかってドラマナイズしてある。作者の性格の違いが見えて面白い。吉蔵のは社会学的立場から、青果のは性格劇として見せようとして居るのらしいが、成功と云えず。神経質すぎ、こんな小器ではなかったろうと思う。但、養父の妻とリーベになったところなど、青果氏のつくりか。
八月十日
(火曜)
八月十四日
(土曜)暑気甚しく、汽車にのって居て、ウスイにかかるまで、気がボーとなる位なり。
八月十九日
(木曜)[#「(木曜)」は底本では「(本曜)」]八月二十五日
(水曜)八月二十九日
(日曜)生馬の「葡萄圃の中」をよむ。こんどの仕事の参考として。
この頃運動不足を感じ、夕方散歩したいしたい心持になった。が、一人でゆけず、髪を結ったりして気をまぎらして居たが、夕飯後、Y、町へゆこうという。うれし。出かけ、変な活動の割引きで、チャップリンと、キートンのとち麺棒|| Seven Chances というのを見、かえる。気が変ってよかった。
八月三十日
(月曜)〔欄外に〕
この頃、ささきふさ氏のことを考え、妙にいじらしいみたいな、あわれみたいな、癪にさわるような心持を抱く。
面白し。何かにどうかして書いて見たい。
この頃、ささきふさ氏のことを考え、妙にいじらしいみたいな、あわれみたいな、癪にさわるような心持を抱く。
面白し。何かにどうかして書いて見たい。
九月一日
(水曜)作品の話、その他。十時おなかがすき、二人で食糧品やに行ってマカロニを買って来た。私それをゆで、二人でトマトケチャップでたべる。アミノさん泊る。
あの食糧品や、Y大キライだが、可笑しい男だ。このマカロニどの位にふえますかときいたら「フランスのはふえますが、イタリーのは大してふえません。直観したところはちがいませんが水分をふくみますから
九月二日
(木曜)一日で、まるで秋らしくなった。美しい、澄んだ、磨いたような空気、さぞ今日など竹藪が美しいだろうと思って散歩を欲したが、アミノさん動かず。
「何だかぼんやりしてしまった」とくつろいで居る。
○伊藤綾子の母上死去の由、ハガキで「忙中乍ら御通知まで」と云って来た。母のこしらえたというカキモチなど貰ったこともあり、死んだ人に対しては別に悪感はもって居ないのだが、彼女の態度が何だかいや。こういう風な心持はどう処理するのがよいのか返事出さず。
九月三日
(金曜)九月四日
(土曜)雨がふき込む。雨戸をしめたにつれて、子供の時分、荒れた日、縁側の雨戸が少しずつすかして閉められ、すき間からふきこんだシブキで廊下がぬれ、よく辷れたこと。
一年にもっと度々大洪水があったような気がすること。こわく面白く、大きな声を出して亢奮したことなどいろいろ思い出した。
Y、「ジャングル・ブック」をよむ。自分よまなかった Kaa's Hunting などよむ。面白し。日本にこのような作家がせめて一人あってもよいと思う。ヨーロッパの豊富さ、一方にこのような物語の書ける作家があり、サイコアナリシスの作家あり、モーランあり等。日本なんか、やっと薄手の二色三色という気がしさえする。尤も、和郎が、批評(藤村、秋声の作品)のとき、このような人生に対する積極的、意志的理想主義の日本の文学が、廃頽の欧州文学に向って持つ価値というようなことは同感だ。
九月六日
(月曜)〔欄外に〕
『光子』の出た心祝のつもりなり。アミノさん、十月までに奈良に行く故、東京のなごりがおしそうに見えた。
『光子』の出た心祝のつもりなり。アミノさん、十月までに奈良に行く故、東京のなごりがおしそうに見えた。
九月七日
(火曜)曇不快なり、不快、不快(この心持、少し病的なところあり。)
昨夜アミノさんから借りて来た中川一政の『見なれぬ人』をよみ、感動した。
オースティンの「プライド and プレジュデス」よみ始む。面白いし、うまいものだ。凡俗な女がいかにもよく描けて居、Mrs. Batchelor のこと、Miss Yae の会話など思い出した。日本の女、よく外国婦人の自由な生活とか、独立せる生活とか云って羨しがるが、母親の関心、年頃の娘の生活目標が young man にのみある驚くべき現象は、日本と同じか、或はひどい位なものだ。
但、現在ではどの位かわって来て居るだろうか? そういう点について、何か面白い観察が外国に行ったら出来よう。
九月八日
(水曜)晴ひどくむし暑し。九月九日
(木曜)晴〔欄外に〕
女の小ささ、成上りものの女房の方が亭主よりいやな理由よくわかる。||何でも不満。自由のきくことに拘泥した心持。
女の小ささ、成上りものの女房の方が亭主よりいやな理由よくわかる。||何でも不満。自由のきくことに拘泥した心持。
九月十二日
(日曜)九月十四日
(火曜)九月十七日
(金曜)九月十八日
(土曜)網野さん来、泊る。
九月十九日
(日曜)九月二十一日
(火曜)九月二十二日
(水曜)九月二十四日
(金曜)九月二十五日
(土曜)この頃自分野上さんのことを考えると苦しく心が重くなる。
自分がわるいのであろうか? どこか?
野上さんの根気よいところ、忍耐づよいところ、それ等を私はどんなにか高く買って居るのだが、何だか窮屈で||彼女が高いところに居て、というより、狭く、人生にもうキメ
九月二十六日
(日曜)〔欄外に〕
アンドレ・ジッドのシャルル・ルイ・フィリップ。
よいよみものであった。いろいろな意味で力をつけられる。
アンドレ・ジッドのシャルル・ルイ・フィリップ。
よいよみものであった。いろいろな意味で力をつけられる。
九月二十七日
(月曜)十月八日
(金曜)○これから永いものを書くときには決してこのように区切っては書かぬ。区切ると、一つのものとしてもよませる必要上あとになると重複してこまる。
十月十九日
(火曜)アミノさん今日奈良に立つなり。
十月二十九日
(金曜)十月三十一日
(日曜)快晴関さん、三沢さん
九品仏に行く
この中に三体
ずつ、頭デッカチ
の金仏。
立派な古銀
杏、門から見
えた稲田の夕景色
九品仏に行く
この中に三体
ずつ、頭デッカチ
の金仏。
立派な古銀
杏、門から見
えた稲田の夕景色

十一月一日
(月曜)十一月二日
(火曜)「金色の秋の暮」
十一月三日
(水曜)この前、『新潮』にやろうとして書き出した海辺に三人の男女のこと、うまく行かなかったが今度書いても行くまい。モデルに意識があり、遠慮するから。それ故ヤメ。もっとずっと後にしよう。一つの大きなものの部分としてとって置こう。
この間の子供のエビハラのこと。あれを子供の側から書く。面白かろう。
午後になって林町から母上来とのデンポー。五時頃母上、スエ子、K来る。Y、会へ行ってかえりに鳥を買って来てくれ、皆で賑やかに食べた。十時頃まで居てかえる。
十一月四日
(木曜)雨春江、Kに「あの背中にコブ背負った人ね、そばで見ると随分変てこよ」と云って居る。一人、古風な束髪にバラのカンザシをさし、派手な派手な着物を着て居た下町娘を評してなり。若い娘から少しふけた娘になる女の評言らしく。つまらないつまらない芝居。「女楠」愚の極、ああしか芝居に出来なかったのか。鴈治郎も自分の放蕩を
〔欄外に〕
Y、「紙治封印切」を評して、上方の芝居は、舞踊が入らないから美くしくないと。
自分、ああいう情痴気分がいや。
二人の感じ方の差一寸面白し。これも
Y、「紙治封印切」を評して、上方の芝居は、舞踊が入らないから美くしくないと。
自分、ああいう情痴気分がいや。
二人の感じ方の差一寸面白し。これも
十一月五日
(金曜)三十五日。一年半越しなり。九十五円やすい。Yも落ち合い、見て貰った。
夜秋庭さん来。キレイなバラ、その他。
十一月六日
(土曜)大風さざん花。美し。落葉も美し。このような落葉今迄見たことなし。ポプラー、ザクロ、萩、楓、庭一面。
苅田さん[#
Y、日露芸術協会の集りがあり出るつもりのところ、ひどい天候なのでやめ。
○自分今日何だか少しヒスにて、不愉快なり。Yの我ママを感ズルこと、平常より敏し。
○久しぶりで日記をつけ、十月ナおし仕事ばかり[#「ナおし仕事ばかり」はママ]して暮したのを感ず。九月以後の日の短かさ!
○あした雨で誰も来ないといいナア。
〔欄外に〕
夫婦の生活でもよく仕て行こうとするには努力が必要。友人関係もそうなりと思う。女によい友達の出来ぬのは、ナグリもしないがなでてもやらぬという態度による。生活に入られることを防いで居るから。
夫婦の生活でもよく仕て行こうとするには努力が必要。友人関係もそうなりと思う。女によい友達の出来ぬのは、ナグリもしないがなでてもやらぬという態度による。生活に入られることを防いで居るから。
十一月七日
(日曜)鈴木澄、大瀧龍太郎、木村秀吉。すみ子、すっかり膨れてひどくなって居るのであわれになり、自分金があったら、一月働かずに食えるだけの金を上げるがと思った。百円もあればよいのだろうが。こちらの金さえないのだから仕方なし。
十一月八日
(月曜)どうなるか、
出すとよいな。
Yの自信のため
よいホンヤクのため
チェホフのため
我々のため||チェホフを愛する。||
ああ全くYはもっと自信がなければいけないのだ。自信なしに生きられぬ人間のくせに仕事がまとまらぬので苦しがる。興味ある一人の女性なり。モヤーそうでしょう? この本が出来ると、来年はいい年だな。
十一月九日
(火曜)Y。今夜何年ぶりかにて田村とし子さんのところへ手紙を書いた。亢奮して「到頭書いちゃった!」と来た。
十七日に船が出る由。どんな返事が来るかしら?
アミノさん部屋がなくて家をかりた由。家では大変だが、瓦斯や水道があるそうだからよい。本当に落付くまでは大変であろう。
十一月十日
(水曜)晴白金三光町の家。秋庭さんのところでよいバラがとられる筈のところなくて貧弱な花。天現寺で降り、川の上の線路をわたるときこわくて這いたい程であった。有馬さん、紫の襟、やはり紫がかった絹天の前かけ。毛糸でアンダ足袋。林ひろ子さん。一緒に住んで居るはっきり名のわからぬ令嬢、有馬さん、その娘がすきですきで、始めて家族というものを与えられたという心持。娘、こんどの絵のモデルにもなった。虎の門出の、ハイカラーで金があって、即興的情熱めいたものがあって不良的チャーミングさ。有馬さん、五時頃私がかえるとき、二人で送って来てくれ、三人で柳川で食事をす。Yやがてかえって来、有馬さんたちのかえったのは十時半。
有馬さんの今度の絵見れば見る程愛のこもった絵で殆ど涙ぐましくなるものあり。
「この人が来てからお金のことも少し考えなければならないようになったでしょう。くれにお金が来たらこの人に靴を買ってやって羽織をかってやって。」そういうこと、いかにも有馬さんの愛を示し羨しい位であった。
有馬さん、生活費のたしには、宝石箱などに金泥でミニチュアを書いて居る由。面ソウの細い細いのでかく。
十一月十一日
(木曜)○Yの体はどういうのか。おキューをするといいのはフシギだ。気むずかしくなってグズグズいう。自分もナアバスになって居るから互にシャクにさわる。可笑し。
○夜仕事をしながら有馬さんに貰ったハガキを眺め、有馬さんの真心につき感じ幸福を祈った。
○「貧しき人々」素晴らし。エキスプレッションの自由さ||つまり作りものをする気でなく心の溢れるままに溢れる美。これが大切。
〔欄外に〕
Yのオキュー。体に沢山のおキューのあとがあるから、Yが万一外国で病気したらそのおキューを何とフランス語で云ったものかと夢現に考えた。ネシナニ。
Yのオキュー。体に沢山のおキューのあとがあるから、Yが万一外国で病気したらそのおキューを何とフランス語で云ったものかと夢現に考えた。ネシナニ。
十一月十二日
(金曜)○夜中に一時間もかかってYのおキューをすえたりしたので朝になって眠り、つかれすぎた故か一寸変になって、目がさめたら二時。テンテコ舞をして会へ行ったが電車の工合わるくて四時。Y、電車の中で「一太と母」をよむ。乙の由。Yの点カラし、二人でフィリッポフの部屋に行く。自分とめられてサンドウィッチの御馳走になり、郵便局へ廻ってかえって来る。Yは日露芸術協会の集りへゆく。
軽部さんが居てしきりに気焔をあげて居た由。
〔欄外に〕
八木さんへ、Y一人ゆく。さくや三時すぎで九時すぎ。
僅かしか眠らないのにオキューで元気だとはおどろいた。
八木さんへ、Y一人ゆく。さくや三時すぎで九時すぎ。
僅かしか眠らないのにオキューで元気だとはおどろいた。
十一月十三日
(土曜)かえりに渋谷でスシをたべて居たら、ケイオーの学生というの、中條さんではありませんかと云い、訪ねて来るという。キネマの、ナタリー・コバンコをあてにしてたのしみにして行ったのに、ナタリーを美しいドレイの女にしてカトランの王侯が救い出すというようなのでつまらず。コバンコをああ使うカントクの頭のわるさ。早々かえって来て眠る。
十一月十四日
(日曜)晴 夕刻からひどい風になった。Yと二人天狗俳諧をして遊ぶ。
アミノさんにハガキを書く。
十一月十五日
(月曜)ひどい風 寒し小田来、活動の話をきいて行く。小田、プロフェッショナル談話筆記者、面白がって居るような風、又妙に感服したように一寸対手の言葉をくりかえすところ。など。
○ドストイェフスキーのギャチゴラーと「貧しき人々」とをよんだ。が二つとも何だかお仕舞いで一寸スポ抜けのようなところあり。マア字で云えばきっちり る と納めてない。最後のところでフーとなって居。
十一月十六日
(火曜)後、林町にゆく。泊る。
m、Yのことを実に云う。
十一月十七日
(水曜)Yそれからフィリッポフ。自分かえる。
「作者の感想」。
きのうから今日にかけて心持陰鬱なり。本当の勇猛心を失って居る。注意すべし。
十一月十八日
(木曜)昨夜鼠がさわいで仕方ないので、サダのうちから猫をかりて来る。赤い紐を頸に結んでやる。名してミミという。
十一月二十六日
(金曜)十一月二十七日
(土曜)十一月二十八日
(日曜)アミノさんに永い手紙を書く。二人で。
五番町のところの楓、塵をかぶり乍らも美し。こちらはもう冬だ。市内は晩秋
〔欄外に〕Tess
十一月二十九日
(月曜)ハーデーの、社会のコムヴェンションに対する心持、運命に対する心持などよくわかり、テスの生活力の純な激しさ、そのつよさ、よわさなどよくわかり、つまり面白かった。が、というところあり。この作品にあらわれる著しき傾向はインテレクトがハートにサレンダーするのが人生だというような点、そして、重り重った運命が終にそれを運ぶ人間をクラッシュせずんばやまぬところ、大きな或ものを感じさせる。
〔欄外に〕
イギリスの farm folk の生活を知るにはよかった。
仕事
イギリスの farm folk の生活を知るにはよかった。
仕事
十二月三日
(金曜)十二月七日
(火曜)Yの誕生日。生憎の雨だが、三沢、苅田さん来。夕方から一層ひどい雨になった。私何にもプレゼントなく、この間思いついて買っておいた Westminster だけがたそくとなる。夕飯は宍戸君と五人。すんだところへ秋庭氏来。
苅田、宍戸、三沢。三沢、宍戸君泊る。
十二月八日
(水曜)彼等が生活の一年。
三沢君と一緒に出かけた。
十二月九日
(木曜)サダを出してやる。
十二月十日
(金曜)○Y、印税にすること。
○三月一杯に原稿送ること等約束して来た由。
十二月十一日
(土曜)「牡丹」の校正来る。
十二月十二日
(日曜)十二月十五日
(水曜)十二月十六日
(木曜)十二月二十四日
(金曜)ラジオ十五分毎に陛下御容体を発表す。落付かず。Y、雑誌の編輯上の必要もあって眠れず。自分もつき合う。
十二月二十五日
(土曜)昭和となった。
自分いろいろに年号の換るのがいやだ。一九二六年でやってゆく方簡単でよろしい。然し字の感じ大正よりはよし。
十二月二十六日
(日曜)自分、彼等をつれて秋庭さんの温室見物にゆく。Y、今日は昨日のあとにて、一人で勉強したいだろうから。
かえり、サダと四人で須田町までゆき、眼鏡やに行ったがもうしまって居て駄目。Yのためにネマキのフランネルを見たがこれもなし。閉口した。
十二月二十七日
(月曜)それから三越。やっとYのきれあり。うれし、うれし。山本でのり。中力で食糧品、いそいでいそいで須田町まで来たら六時四十分から七時五十分まで陛下の還御のため切符は売らず。やむを得ずヤブで一寸おなかをこしらえる。Y、一人で、どうして居るか、待ちかねて居るだろうと心配して来て見たらそうでもなし。よかった。
十二月二十八日
(火曜)帯も新しいのがよいと切れをさがし紋ハ二重の茶色のにする。
十二月二十九日
(水曜)十二月三十日
(木曜)これにつけ、母がまだ若く、娘のためによい着物を縫った心持、それをきせてやった心持、又父のため、彼女がそうしたであろうことなど思い、今、母が何一つ縫わず、スエ子母の手縫いのものは一つも着ると云うことを知らぬのを思い、金の出来たということ、情味をころす点もあり、と思った。林町の生活は大ざっぱで、そう云う点に欠けた淋しいものあり。スエ子など、どういう女になるであろうか。
十二月三十一日
(金曜)〔欄外に〕
Y、私の縫ったネルのねまきに新しい兵児帯をしめ、大満足なり。自分キモノ縫ったの、もうこれで何年ぶりか。
[#改ページ]Y、私の縫ったネルのねまきに新しい兵児帯をしめ、大満足なり。自分キモノ縫ったの、もうこれで何年ぶりか。

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