一月一日
(日曜)橇にのってゆく。大使館のお祝へ。
モヤ、お雑煮がたのしみ故、どうしても行くと云って頑張り、且つ、起きぬけに餅をやく臭いがすると云ってさわいだ。大使館、大使、後藤新平一行その他、女の人達五六人居たが、外交官として随分質がわるく、けちに見えた。かえり、花を買う、シクラメン白(ニキーチナ夫人に)赤、自分達のために。ニキーチナ夫人のところで、「オクチャーブリ」[#十月革命]の作者ヤコブレフ(プロレタリアート作家)に会う。かえったら、子供のための劇場、今日の約束の由、おどろいて行ったがおそく、途中でストローバヤ〔食堂〕により、スタニスラフスキー・スタディオに、オネェーギンを見る。
〔欄外に〕
スタニスラフスキーのオペラは、芝居とオペラとの調和が狙いどころの由、群集をリズム(音楽)に合わせて動かし、イタリーの無駄な遊びを整理しようとして居るところ、セッティングを、四本のコラムをどこまでも利用して居るところ、面白かった。試みを理解する愉快。完成の愉快ではなかった。
スタニスラフスキーのオペラは、芝居とオペラとの調和が狙いどころの由、群集をリズム(音楽)に合わせて動かし、イタリーの無駄な遊びを整理しようとして居るところ、セッティングを、四本のコラムをどこまでも利用して居るところ、面白かった。試みを理解する愉快。完成の愉快ではなかった。
一月二日
(月曜)〔欄外に〕
モヤ、食糧品を売るコムナール〔国営の食堂兼食料品店〕で、赤葡萄酒を買う。パンも買う。リンゴ。夜、秋田さん達来て、一緒にその葡萄酒をのんだ。
モヤ、食糧品を売るコムナール〔国営の食堂兼食料品店〕で、赤葡萄酒を買う。パンも買う。リンゴ。夜、秋田さん達来て、一緒にその葡萄酒をのんだ。
一月三日
(火曜)二時にニキーチナ夫人のところへ行って、それから写真屋へゆき、いろいろの写真をとった。十四日にスボートニックで日本文学の夕をする由。
七時半から、後藤子爵の歓迎を意味する会がВОКС中心で行わる。ルナチャルスキー、カーメネワ夫人、カラハン、前田多門、大使など。後藤、この連中の中に座って居ると、一番単純に見えた。お座なり的の演説があってから、コンサート。
ゲラシモフ(プロレタリアートの詩人)ニキーチナ夫人のところで会う。この人もヤコブレフも、大きな、切り出した岩石のようで、同時に暖いところがあって、まことに心持よい人達だ。所謂日本のプロレタリアートの作家のように貧弱な肩ばかりいやにそびやかして居ず。
一月四日
(水曜)部屋で食事をした。チーズ、茶。
勉強していると、ガウズネル、秋田さん鳴海氏と来。いろいろ話しをし愉快であった。彼には、日本座敷の簡潔な美を理解する力があるらしい。
四時すぎに去る。丁度夕陽が赤く、美しい硝子の氷のとけたところから見えた。
М・Х・А・Т〔モスクワ芸術座〕にドネェ・トロビーニフ[#トゥルビン家のありし日]の切符を買いに行ったが売り切れ。十日のを買ってかえった。
後、二人で出かけ、昨夕食事した家で食事をし、モストルグ[#モスクワの官営売店]で、ウージン〔夕食〕の仕度をしてかえった。夜、モヤ私のために、ベラ・イムベルのエボージボートヌイを読んでくれ、ニキーチナ夫人の本から、ヤコブレフ、ゲラシモフの伝を読んでくれた。ゲラシモフは全生活を革命的生活にすごして来たが、ヤコブレフは農民出のインテリゲンチャで苦しみがあるらしい。
〔欄外に〕
夜、寒さきびし。月が美しい高いところにのぼって、モスクワ市を見下して見たかった。
夜、寒さきびし。月が美しい高いところにのぼって、モスクワ市を見下して見たかった。
一月五日
(木曜)寒非常に愉快で、日本にこのような劇場のないことが残念であった。キノアルス、二十五日に見た「二日」をまだやって居る。十日以上。受けると見える。
夜メーエルホリドに、リチ・キタイ[#吼えろ、支那]を見る。これは只見るようというので、台本を買ったところ、タイプライティングのものだのに三留何
リチ・キタイ、芸術的だとは云い難いが、人の心に迫って或クレイムをするところ||プロパガンダとして成功して居た。自分でさえ苦しいいやな心持になった。英国人は英国人らしいアクセントでロシア語を云い、アメリカ人はアメリカ人らしく、支那人は支那人らしく。所謂写実とはなれかけて居る。メイエルホリドの型が、カブキの型のようにある。(漠然とだが)或誇張、省略。
〔欄外に〕
笑子かえって来た由。
我々のカレンダーは絵入りで、四日にはレーニンが学んだというカザン大学が描いてある。レーニンの、「共産主義者、それは海の澪だ。民衆の海に於ける水滴だ。その場合に於てのみ、彼等は民衆を自己の途に導くことが出来る。若しも宇宙的、歴史的方向のセンスに於て、正しい途を確定するならば」(訳がちょっとあやしい)という風な文句が書いてある。演説の一ならん。レーニンは、然し、自分のロシア語の力で大体見当のつくほどやさしい平易な語を使用したらしい。
笑子かえって来た由。
我々のカレンダーは絵入りで、四日にはレーニンが学んだというカザン大学が描いてある。レーニンの、「共産主義者、それは海の澪だ。民衆の海に於ける水滴だ。その場合に於てのみ、彼等は民衆を自己の途に導くことが出来る。若しも宇宙的、歴史的方向のセンスに於て、正しい途を確定するならば」(訳がちょっとあやしい)という風な文句が書いてある。演説の一ならん。レーニンは、然し、自分のロシア語の力で大体見当のつくほどやさしい平易な語を使用したらしい。
一月六日
(金曜)○かえりに大使館へ廻り、あみのさんよりハガキ、秋田氏への手紙。ニキーチナ夫人の店へよって、ゲラシモフの詩集 1924 出版と、ノビコフ・プリボーイの短篇集を買った。
○夜七時よりボズネシェンスキーを訪ね、ブハーリンの父という人と二人で、狭い、ひどい部屋に暮している。陳淑型という夫人。支那の女の人に会って珍しく愉快であった。支那の女特有の、日本に対する狭い反感を現わさないし、学問があるから。ボズネシェンスキー会があると云って中座した。十時すぎかえる。秋田さん達、四階に越して来た。レーニングラッドのВОКСの人来、おそくまで喋る。ベロ・ロシア〔白ロシア〕の人、愉快で、日本ビイキで、good-hearted なり。
一月七日
(土曜)○ロシアが東洋である点。全然知らぬ新らしき美の発見のよろこびより、どこかで知っているものの完全なデスプレーのうれしさ。
かえりに、コムナールの近くの菜食食堂でたべ、美味かった。
○今日はモヤの誕生日にして、自分コムナールで、カビヤ、オッカ、鶏、カウカーズ〔コーカサス〕の店でスリッパなど買い、散々クレムリンを歩いた揚句だからクタクタになって部屋へ戻った。
〔欄外に〕
○食堂 。菜食者のための第一、第二といくつもある。
○笑子の稽古
○来た人、秋田、鳴海、レーニングラットのВОКСの人、黒田氏、皆二時頃まで居た。
赤ブドー酒、オトカ、キューリ、カプースタ〔キャベツ〕、鶏、腸詰、クルミ、干アンズ、サモワール
○ニキーチナ夫人のスボート[#土曜集会]では二十一日に話すことになった。
○
○笑子の稽古
○来た人、秋田、鳴海、レーニングラットのВОКСの人、黒田氏、皆二時頃まで居た。
赤ブドー酒、オトカ、キューリ、カプースタ〔キャベツ〕、鶏、腸詰、クルミ、干アンズ、サモワール
○ニキーチナ夫人のスボート[#土曜集会]では二十一日に話すことになった。
一月八日
(日曜)真直かえり、眠った。眠い、眠い。この頃十二時にねむることないから眠い。夜ドミトロフカ(Дмитровка)〔街路の名、現在のプーシキン通り〕の角のストロー

一月十一日
(水曜)暖一月十二日
(木曜)暖桜木春江来。光子という友達と。春江さん笑子より少しプロファウンドな性格だ。「十六夜日記」を翻訳して居る由。十時すぎかえる。入浴。
夜、林町と、山本実彦とに手紙をかく。本を送って貰うことについてなり。
一月十三日
(金曜)暖サボイによって、手紙をたのむ。後藤さん出発十七日になった由。いろいろ話し、下葉のSが Petty な根性で苦情ばかり云って居るのに、七十二歳? かの老人はなかなかよく、ロシアを理解して居る。その点心持よく、一寸感服した。かえりに、本やによる。夜八時、モヤ、床に入って居る。自分珍しく、一人で机の前に向ってこの日記を書いて居た。ところへ、急に寺の鐘が鳴った。始め、クレムリの[#「クレムリの」はママ]時計かと思ったらそうでなかった。考えると今夜は金曜日で、正教では何とか云う日に当るのであろう。
〔欄外に〕
晴れた空から日光がふりそそぎ美しい、輝いた町の風景であった。
○自分この頃二人でいつも一つ部屋に暮して居る苦痛をひどく感じ、どこでもよい一人の部屋に、自分の机というものを持ってものを落付き書きたい。
○ロシア人二人で一つの部屋に居て平気らしい。それがつまり東洋人と西洋人との差か?
晴れた空から日光がふりそそぎ美しい、輝いた町の風景であった。
○自分この頃二人でいつも一つ部屋に暮して居る苦痛をひどく感じ、どこでもよい一人の部屋に、自分の机というものを持ってものを落付き書きたい。
○ロシア人二人で一つの部屋に居て平気らしい。それがつまり東洋人と西洋人との差か?
一月十四日
(土曜)〔欄外に〕
○今日室にスティームなし。
ニキーチナさんのところによった。まだよくないよし、ゲラシモフが出て来た。
○今日室にスティームなし。
ニキーチナさんのところによった。まだよくないよし、ゲラシモフが出て来た。
一月十五日
(日曜)何か、今朝もよくなし。Y、ナルミさんをやって、サボイの後藤さん一行のドクトルを迎えにやってくれる。ドクトル来、心臓が弱って居る由。グリップ〔流感〕だろうと云って薬をくれる。
食欲なく苦し。
一月十六日
(月曜)一月十七日
(火曜)ドクトル曰く
「猩紅熱でもなかったらしいね」
関根君
「この前も外国で中條さんグリップをしたことがある」
と誰かに話して居た由
一月十八日
(水曜)関根さんと一緒なり
一月十九日
(木曜)一月二十日
(金曜)カチグリこと佐藤氏来。
白飴の大きなカンを佐藤氏、ナルミさんにことづけてくれた。
一月二十一日
(土曜)Y、朝出かけ、ドクトルに上げるクッションを買って来てくれる。なかなかよろし。
今日は、もう来られまいと思って居たのにドクトル来。
今日はひどいモローズ〔厳寒〕の由。秋田さん達二人ステーションまで行って、髭にかかる息が凍って居た由。
スケートでは大人、よく怪我するな。
〔欄外に〕
レーニン記念日なり。どんなことがあったのか、床に居ては一向分らず。
レーニン記念日なり。どんなことがあったのか、床に居ては一向分らず。
一月二十六日
(木曜)寒○網野さんに手紙を書いた。
○大きな
○アンネットとシルヴィのつづき「母と子」とを読む。
○食欲普通になり始めた。然し、おナカじき一杯になる。
一月二十七日
(金曜)余り本をよまず、寧ろよまされぬ。
一月二十八日
(土曜)今朝、辛いのを堪え、起き、Yに助けられ、すっかり身仕度をして、橇にのり、アレクサンドロフスキー・サード〔アレクサンドロフスキー公園〕へ出かけた。久しぶりで戸外の空気をかいで、いい心持!
ロシアの冬は、戸外散歩をよくしないと、一年居るうちに、すっかり白髪になってしまいそうだ。室内の空気が、それ程わるい。こちらの人、よく「新鮮な空気を吸いに出る」と、全くいうわけなり。自分皮膚が凋み、額など小皺が出た。
一月三十日
(月曜)○ラリス・レイスネルの論文を、Y読み、自分書きつけ。レイスネルの頭のよさよく判る。革命のファウンデーションワーカーの苦痛多き生活、消耗を、公平に認めて居るところ感心した。彼女の作品は、美文的価値によらず、この確な判断力によって価値つけられて居る。
○桜木さん来。日本のキモノを裁つ。自分も下手。
〔欄外に〕
○ロシア語の稽古、今日はイフゲーニア・ミハイロヴナ脚が痛いという。Yのケイコなって居ず、Y、いやがる、いやがる。十留持って行った。
自分この頃いろいろモスクワの生活を見て思う。なまじっかのインテリゲンチャの古手の家になど入るより、清潔でさえあれば斯ういう働き人の生活に入って見たいと。その方ずっとよろし。
○ロシア語の稽古、今日はイフゲーニア・ミハイロヴナ脚が痛いという。Yのケイコなって居ず、Y、いやがる、いやがる。十留持って行った。
自分この頃いろいろモスクワの生活を見て思う。なまじっかのインテリゲンチャの古手の家になど入るより、清潔でさえあれば斯ういう働き人の生活に入って見たいと。その方ずっとよろし。
一月三十一日
(火曜)小雪夜まで、桜木さんの為に「十六夜日記」をよみ始めたついでに「竹取物語」をよむ。なかなかよく、かぐや姫の美しさ、鷹揚さ、爺の愛。天上する少し前のところなど一寸ほろりとした。Yもよみつつそうなり、それを笑い乍ら、二人で又変になった。阿仏尼余りこのもしき女に非ず。和歌凡庸なり。記録としても大したものなし。肝心の鎌倉へ行ってからのこと一向つまらない。
〔欄外に〕
桜木さんに、今流行って居る小歌。
子供を遊ばせるための、カイグリカイグリのようなもの、習った。
一人で、クラースナヤ・プロスチャージ〔赤い広場〕、アレキサンドロフスキー・サードを散歩した。
桜木さんに、今流行って居る小歌。
子供を遊ばせるための、カイグリカイグリのようなもの、習った。
一人で、クラースナヤ・プロスチャージ〔赤い広場〕、アレキサンドロフスキー・サードを散歩した。
二月一日
(水曜)雪、黒い立木、スキーをする男の子、スレッジをする小さい子、犬をつれた女、
きのう一人で散歩したとき居た男が、やはりトウェルスカヤ〔街路名、現在のゴーリキー通り〕の先のところで、松の枝を売って居た。
入浴。
〔欄外に〕
○午後からスティーム室に来ず。北側に居る秋田さん、凋びたレモンのようになって懐炉を腰に入れた。
○午後からスティーム室に来ず。北側に居る秋田さん、凋びたレモンのようになって懐炉を腰に入れた。
二月二日
(木曜)寒○イフゲーニア・ミハイロブナ、Y、いやがって、いやがって閉口、双方がいやなのだろう。稽古がすんで後愉快であったためしなし。Yのいう程きらわずともいいと思う。
〔欄外に〕
○大道のリンゴや「もう二度見た」と云う、きのう(一昨日その前日)Y、価をきいただけでかわなかったから。
小さい男片腕なし
今日はY、リンゴ2、マンダリン〔みかん〕三つを買った。
○大道のリンゴや「もう二度見た」と云う、きのう(一昨日その前日)Y、価をきいただけでかわなかったから。
小さい男片腕なし
今日はY、リンゴ2、マンダリン〔みかん〕三つを買った。
二月三日
(金曜)モローズ秋田、鳴海、我等四人で「シャシュリーク」〔串焼羊肉を食べさせる店〕にゆき、かえり、ホテルの入口で、鳴海君一人「少しブラツイテ来ヨーカナ」と云って、外に止った。彼の心持よく分る。「霧のモスクワ」を歩いて見たかったのだ。
二月四日
(土曜)ひどいモローズ。○モスクワ夕刊新聞を見たら、一九二六年以来の昨夕は霧であったと出て居る。一九二六年のときは電車が止ってしまった。昨夜は、霧の降りた場所がまちまちであった為、電車は止らなかった由。この霧の後二三日して天候が変る由。
〔欄外に〕
桜の園の切符を買う。
桜の園の切符を買う。
二月五日
(日曜)モローズ八時頃光子さん来る、幽霊や狐狗狸の話をした。
○灯をくらくしてしまったとき、秋田さんが来てニキーチナさんが大変わるく、七分通り駄目だという。自分達驚き、体がつめたくなるようであった。心臓が悪い由、いつ心臓マヒを起すか分らないという。
夜眠れず。
二月六日
(月曜)モローズ○ベゲテリアン〔菜食食堂〕本部へよって食事をしてから、橇で、大きい方のコムナールへゆき、水瓜、梨、リンゴ、オレンジ、ブドー等いいのを買い、又それをもって、ニキーチナさんのところへ届けた。
○自分達ニキーチナさんを愛して居る。彼女はミーラヤ〔かわいい〕だ。どうぞよくなってくれるように。
〔欄外に〕
○ゲラシモフが居た。
○ニキーチナさん白い綿レースのナイトキャップに緑色のリボンの下ったのをかぶり短いジャケットを着て居た。電話が鳴る。用談をする。いつもの書斎に寝て居る||ロシアらしいと思った。
今日よりエフゲーニア・ミハイロブナ毎日稽古。
○ゲラシモフが居た。
○ニキーチナさん白い綿レースのナイトキャップに緑色のリボンの下ったのをかぶり短いジャケットを着て居た。電話が鳴る。用談をする。いつもの書斎に寝て居る||ロシアらしいと思った。
今日よりエフゲーニア・ミハイロブナ毎日稽古。
二月七日
(水曜)モローズ暗い中を手さぐりでアムモニアをつけて又眠った。
○例によってベゲテリアン。ソバのカーシャ〔おかゆ〕の美味さよ

○今日、Y、ロシア語の教師と口論に近いことをした由。Е・М、発音をやかましく云うのはよけれど、何か喋ろうとするのに一言一言なおされるはYのような人、口が利けなくなる道理なり。
○桜木さん、光子さん来る。シャシュリークから二人でかえって家の角を曲ったら、光子さんが杖をついて歩いて居る後姿が目に止った。笑子さん、春江さんに電話は掛けなかったらしい。却ってよし。十二時前かえる。桜木さん支那の哲学をやるために、火水土、支那語の稽古して居る由。すっかりつかれ、十六夜日記どころの騒に非ず。いろいろ悪口の話が出たが、Yが、「この間、私は道を歩いて居て、悪口を云われました。ホージャ〔中国人に対する侮蔑的な呼び名〕と云われました」桜、「何故! それ悪口でありませんでしょう」Y「いいえ、悪口です」桜「そうですか······私知りませんでした」それから、もう誰も悪口のことに興がらず、自然その話は消え、他の話題がとり出された。
二月十日
(金曜)雪がすっかり消え、昔勧コー場だったひろいガラス屋根が目の下に現れた。我々は始め温室かと思った。無住の場所だ。ガラスがこわれたまんまになって居る。左の一棟のガラスは殆ど皆ない。骸骨のような枠だけ見える。凄じい感じだし、このガラスの夥しい斜面に反射するモスクワの夏を想像した。
時々、柔かい雪降る。
〔欄外に〕
○大使館へ行って、沢山林町からのハガキを受取った。
○Y、大学聴講のことをNさんにたのむ。
○歴史博物館へ行った。シチェプキナさんに会うことが出来、ブブノワさんからの土産を渡し、やっと安心した。
○大使館へ行って、沢山林町からのハガキを受取った。
○Y、大学聴講のことをNさんにたのむ。
○歴史博物館へ行った。シチェプキナさんに会うことが出来、ブブノワさんからの土産を渡し、やっと安心した。
二月十一日
(土曜)稽古の間、自分手摺りから下を覗いた。
ラボーチャ・モスクワ〔『労働モスクワ』紙〕を買ったところ、自分にもこれなら分るところあり、大いにうれしかった。
○エフゲーニア・ミハイロブナの稽古。来週から又一日置きの稽古にすると云ったところ、Yが居ないとき、自分に「何故そうしたのか、どうかかくさず云って下さい。アットクロベンノ〔かくさず率直に〕という言葉知って居るでしょう」「ああ。今よんだばかりだから」自分笑って、理由を云った。あとで、かえり際、Yに向って、彼女又同じ質問をす、自分傍に居るのに。味のないギスギスした女なり。
○夜、上張りに着かえたところへ、ノックして、女の人が入って来た。秋田さんの部屋はどこかという。多分、名刺に自分の写真をつけて居る女の人らし(エスペラントを話す電信局に働いて居る女、紫っぽい帽子から、黒いベールを下げて居る。唇を赤くして居る。しわがれた声、秋田さんのことを「オン、ウームヌイ」〔彼はかしこい〕と云った。)
〔欄外に〕
Yの眼鏡、出来たが、かけると心持わるい由、ロシアでは、インク、メガネ、スイトリ紙、写真の道具、化粧品までわるし。
○女の郵便配達夫八時間で七十五円、Y、今日は厭露病になった。ベコ! 少しきいて! と書いて居る上張りの袖を引っぱった。よしよしきいて上げましょう。
土曜日の鐘が鳴る。八時半
Yの眼鏡、出来たが、かけると心持わるい由、ロシアでは、インク、メガネ、スイトリ紙、写真の道具、化粧品までわるし。
○女の郵便配達夫八時間で七十五円、Y、今日は厭露病になった。ベコ! 少しきいて! と書いて居る上張りの袖を引っぱった。よしよしきいて上げましょう。
土曜日の鐘が鳴る。八時半
二月十二日
(日曜)暖起きぬけから、ケンカをし、自分泣き、Yも涙をこぼした。Y、自分がYとの生活に倦怠を感じて居ると思って居る。ずっと思って居る。それ故、自分の一寸した憎まれ口がひどく気にさわり、彼女の愛ではない、何かにさわり、直ぐそうさわること自分に反射して不快になる。||そういう心理的原因だ。Yのその気持、自分に責任なしとは云えない。倦怠はして居ない。然し落付かない。馴れないで落付かないのではなく||二人夜も昼も出るも入るも一緒なのや、彼女を知りすぎてしまった点や何かで||フレッシュでなく、彼女の顔を見て自分の内に新鮮なもの生ぜず、自分それを感じ、Yそれを感じる。
〔欄外に〕
泣いた顔を洗ってベゲテリアン食堂へ行き、宿へ一寸かえってから、クレムリンの方へYずんずんゆく。アレキサンドロフスキーかと思ったら電車にのった。ずんずん又行く、降りるとゾーパルク〔動物園〕と書いてある。
「おや、動物園じゃあないの」
「ここへ来たのさ」
自分よろこぶ。白熊、ラクダや驢馬の橇、オーケストラ吹奏楽器□□
人間、悪くなると、心のゆるむことの早いのを感じ自分悲しみを感じた。Y、私がすれたと云った。すれたか? どのような点で?
泣いた顔を洗ってベゲテリアン食堂へ行き、宿へ一寸かえってから、クレムリンの方へYずんずんゆく。アレキサンドロフスキーかと思ったら電車にのった。ずんずん又行く、降りるとゾーパルク〔動物園〕と書いてある。
「おや、動物園じゃあないの」
「ここへ来たのさ」
自分よろこぶ。白熊、ラクダや驢馬の橇、オーケストラ吹奏楽器
人間、悪くなると、心のゆるむことの早いのを感じ自分悲しみを感じた。Y、私がすれたと云った。すれたか? どのような点で?
二月十四日
(火曜)二月十五日
(水曜)まことにうれし。そろそろ書きたいことつもって居る故、本当にうれしい。
アンナ・ミハイロブナとは比較にならず落付いていい先生の由。マダム・キリロフスキー
二月十六日
(木曜)Y、キリロフスキーのところへ行ってから、又ミハイロブナ故、くたびれて閉口して居る。
二月十八日
(土曜)二月十九日
(日曜)寒い。寒い風が吹く。
シチェプキナさんのところへゆく。親類のもの多勢集って居て賑やかであった。叔母さんという太った、ふざけや。かえりに永原さんのところへ廻ったら留守。アルバート〔骨董品、古本屋の多い広場と街路の名〕のソブキノ〔ソビエト映画社〕を見た。巴里の靴屋、面白し。
二月二十日
(月曜)今日エフゲーニア・ミハイロブナのところへゆく筈であったが、やめにして、家でけいこをして貰った。
今日脂油週間の始りの由にて、ブリーヌイ〔うすいパン〕をたべた。甘くないハットケークのようなものであった。
二月二十一日
(火曜)一時半にベゲテリアンへ行ったが、なかなか来ず一時間近く待ってやっと来た。
キリロフスカヤ、今日は日曜に夫婦でころんだ顔が痛むと云って落付かなかったそうだ。
Y、この頃なかなか書くようになった。が、但し、ロシア語作文なり。日本語ではちっとも書かず、ロシア語をかく。可笑しいが、日本へかえって、此も書かなくなったら元のモクアミ?
夜、笑子、A、N、と或建築家のところへ行った。名を知らぬ画家、ゴスイズダートの人、民謡をうたう人、ブラウデの講演会のときピアノを弾いた人、その他、十二時すぎまで居て、随分愉快であった。
このアーキテクト〔建築家〕、一九〇五年のクラブ(マラジョージ〔青年の意〕)を創って五年牢に入れられた(夫婦とも)、革命のとき、六年外国に暮して居てモスクワへ
Y、案外に驚いたらしく見えた。
二月二十二日
(水曜)モローズ朝仕事をしてから、ベゲテリアンへゆき、それからエフゲーニア・ミハイロブナのところへ出かける。
モスクワで、一人、知らぬところへゆく始めてなり。何しろ、電車の窓がすっかり凍ってしまって居るから、どこがどこか分からず、かえりは混むし、気を揉んでくたびれた。
ツルゲーネフの「初恋」を読み始めた。彼女、家に居てもやっぱりがたがたと落付かず、又落つく椅子や机がないのだが。
三月二日
(金曜)Y、赤いチューリップの花を買って来た。
美しい。二本あって、互に頭をよせ合い、葉は、腕を腰に当てて居るような形に巻いて居る。二人の若い女が、腕を組んで笑って居るようなり。
三月九日
(金曜)三月十一日
(日曜)フランス風な色彩だ。
ジェリンスキーが居て、いろいろ話し、秋、アメリカへ行きたいという話。アメリカに彼が興味をもつのは、アメリカが、カウボーイの時代から、金を儲けた時代を経て、今、新しいインテリゲンチャをつくりつつある、その明るさ、活動的さ、人生にプラクティカルにぶつかって行くテクニック、そういうものに興味があるらしい。これは、自分面白く感じた。モスクワに於けるアメリカニゼーション。Н・Л、ベラ・イムベルの夫という活動に関係して居る男は、ホームスパンのような服に、半ズボンという服装で、これはロシアの男の間のアメリカスタイル好みの標本だ。
〔欄外に〕
午前中二人で、死人街にクワルティーラを見に行ったら、そこにはなくて多分コムミシォネール〔ブローカー〕であったらしい。
それからアンナ・サモイロブナのところへ行ったら、しまっていた。
大使館へ手紙をとりに行ったら同様
セメントの切符を買った。
午前中二人で、死人街にクワルティーラを見に行ったら、そこにはなくて多分コムミシォネール〔ブローカー〕であったらしい。
それからアンナ・サモイロブナのところへ行ったら、しまっていた。
大使館へ手紙をとりに行ったら同様
セメントの切符を買った。
三月十二日
(月曜)朝、これまで書いたものを少しよみかえして、手入れすべきところを心づいた。やはり、ただ日記のようにずるずる書いては面白くない。もっと圧さくする必要あり。きのう、ガウズネルにきいたフィリッポフの店で食事す。二人位が丁度よい小テーブルが沢山並んで居て、食物やはり美味し。普通のストローバヤでこしらえないものがあった。こちらの女の人随分ナイフでたべる。而も気どりながら。
稽古、三時すぎから六時すぎまで。アホートニキ〔現在のカール・マルクス通り〕からいそぎかえって来たら、誰かが「マロデェツ!」〔でかした〕と叫ぶ。見たら、鳴海さんであった。
三月十五日
(木曜)三月十六日
(金曜)リアリスティチェスキーへツェメントを見に行った。
三月十七日
(土曜)ひどい雪解けが始った。
今日天気がいいので、ガローシなしで
三月十八日
(日曜)三月十九日
(月曜)錠がこわれて、開かない。椅子をYがかりてその上に立たせて、私に部屋をのぞかせた。百二十五留だ。
夜、ガウズネルが来た。話す。いつもゆっくり話す。十二時近くなった。
三月二十日
(火曜)ケレンスキー一派が何故失墜したか、原因の心理的なものがイディオロギーの他にあることを感ず。勿論彼等がインテリゲンチャ、ブルジョア的であったのが、第一原因だが、その原因によって、結果的にあらわれたのは、一時政府の優柔不断だ。彼等は柔かった。絶えず揺れて居た。ボルシェビキが革命を成功させ得たのは、イディオロギーと、彼等の堅さにあった。この堅さの必要がどこから生ずるかというと、民族性から。||民族性に、日本のような揚げ蓋がないから。日本のアゲ蓋の一つを人情と云い、一を常識という。
三月二十二日
(木曜)三月二十三日
(金曜)和田、アミノ、丹野、苅田、関、林町へ絵ハガキを書いた。
三月二十六日
(月曜)〔欄外に〕
舞台に出た瞬間のキン張した心持は、書くものが原稿紙に向い、紙と心とが平らになったときのあの感じ、あの感じと同じであろう。
舞台に出た瞬間のキン張した心持は、書くものが原稿紙に向い、紙と心とが平らになったときのあの感じ、あの感じと同じであろう。
三月二十七日
(火曜)トルストイ祭が今年あるが、ゴルキーを歓迎するようには盛にしまい。トルストイアンは、目下のロシアにとって、あまり有難いものではないのだそうだ。
又そうらしい、例えばAさんのところへ来る男なども。一種の、ウラナリとなって居る。
三月二十八日
(水曜)三月二十九日
(木曜)三月三十日
(金曜)往来で猫柳を売って居た。一束五銭。いかにも早春の感、自分吸いつけられる心を感じ二束買った。
このコオペラティーブ〔協同組合住宅〕、基礎工事がわるいと見えてディ

〔欄外に〕
Y、南京虫を二匹つかまえ殺し紙の上に並べた。
Y、南京虫を二匹つかまえ殺し紙の上に並べた。
三月三十一日
(土曜)ゴルキーの夕べ。
ベゲテリアンからかえりに廻ったら、彼女久しぶりに起きて、テーブルで、夜のためのキリ貼りの最中であった。少し手伝ってかえる。Y、胃の工合がわるいと云ったり、昨夜眠らなかったりでキゲンわるく、一時間おくれてスボートに行った。女の人も数人来て居たが余りいい心持の人居ず、ニキーチナさんだけ可愛くたっぷりしてよかった。
大使館で手紙をとったら、思いがけず、大瀧叔母の死、片上伸氏の死を知る。おどろいた。いずれも思いがけぬ人々。そしていずれも僅か病んで死んで居る。大瀧の叔母上は肺炎、片上さんは脳の障害。
〔欄外に〕
『婦人公論』を送ってくれた。うれしかったが、中を見てがっかり。こんな雑誌をよむと頭が悪くなる||その程度に記事が散漫だ。その上『女性』そっくり。『女性』つぶれたのではないか、あったらいくら何でもこのように『女性』まるままのことはしまいが。改造から 1000 送って来た。
『婦人公論』を送ってくれた。うれしかったが、中を見てがっかり。こんな雑誌をよむと頭が悪くなる||その程度に記事が散漫だ。その上『女性』そっくり。『女性』つぶれたのではないか、あったらいくら何でもこのように『女性』まるままのことはしまいが。改造から 1000 送って来た。
四月一日
(日曜)コムソモール〔共産主義青年同盟〕が、赤い旗を立て通りすぎた。
大瀧叔父上に手紙をかく。
林町にハガキ、字引をたのんだ。
夜、宿の主人[#ルイバコフ]やってきて、パスポートを渡しいろんなことを喋った。
まだ南京虫は居る。Y曰く「大分居るよ、これは」
四月二日
(月曜)この部屋、なかなかやかましい。それに、やす普請でファウンデーションがわるいと見え、電車の響がつたわるし、トラックなどが来ると、ブルブルする。これはと驚く。然し、この頃は二人とも根性が少し違って来たからやかましい小言は口に出さず。
〔欄外に〕
この家、主人夫婦、妻の妹、二人の子供、女中、親類の子供(娘、小学校第七級)皆仲よく暮して居る。が、小中流人的で、我等悲観なり。然し小さい娘はよい、いろいろ教わる。
この家、主人夫婦、妻の妹、二人の子供、女中、親類の子供(娘、小学校第七級)皆仲よく暮して居る。が、小中流人的で、我等悲観なり。然し小さい娘はよい、いろいろ教わる。
四月三日
(火曜)オビェードはベゲテリアン、夜部屋で冷肉と茶、然し冷肉だけでは飽きて閉口なり。
鳴海さん来、レーニングラッドの口がきまった由、結構、然し彼大してうれしくない。この心持同感される。つまり、彼、モー東洋語学校は迚も駄目とあきらめて、最後に、かえる前に行っておこうというつもりで行った。ところが案外出来てもう三年位居る||急に行手がボーとなったところ面白い。ポズニャクがYにサムライ в юбке〔スカートをはいたサムライ〕という名をつけ、自分実にうまいと感心する。こんなよい
四月四日
(水曜)四月五日
(木曜)まる山のお爺さんは親切なり。
ベゲテリアンでYを待つ、待つ、待つ。
それから、エリセーフ[#食料品店名]へよって、ビクトリア・ゲンリホブナの見舞、夢の話をきいた。
夜、妹、いつまでもいつまでも下手なピアノを弾いて居る。Y、腹の虫のカンシャクで、まともな口がきけず。自分、今日の新聞から、ラブコル〔労働通信員の意〕その他を切りぬきをする。妹、十一時頃までやって、こんどはタイプライターを打ち始めた。そのとき、女中は台所でミシンで、自分の前掛を縫って、湯をわかす間自分は、家庭労働者の сoюз〔団結〕について話す。
〔欄外に〕
クロコディル〔風刺雑誌『わに』〕とスメハチ〔風刺雑誌名〕とを買った。クロコディルの方が面白い。なかなか刺したところを描いて居る。
クロコディル〔風刺雑誌『わに』〕とスメハチ〔風刺雑誌名〕とを買った。クロコディルの方が面白い。なかなか刺したところを描いて居る。
四月六日
(金曜)〔発信〕山本氏へ手紙。加賀美さんへ手紙。
四月七日
(土曜)〔発信〕林町へ手紙
四月八日
(日曜)〔発信〕山岡へ手紙
モヤ中井さんへ
モヤ中井さんへ
四月十四日
(土曜)四月十六日
(月曜)〔欄外に〕
この頃、ひどい道だ。雪が朝起きたら積って居た。
○例えばこの晩でも、ノボミルスキーのところで先ず男の子が唄い出し、皆うたい出し、この皆一緒にうたうというような心持実に日本の家庭の楽しみにかけて居る。
この頃、ひどい道だ。雪が朝起きたら積って居た。
○例えばこの晩でも、ノボミルスキーのところで先ず男の子が唄い出し、皆うたい出し、この皆一緒にうたうというような心持実に日本の家庭の楽しみにかけて居る。
四月十七日
(火曜)モヤどうかして脚が(左)痛く、顔を洗ってきたらびっこを引いて居る。コムプレス〔湿布〕をして自分一人先生にゆく。
今日、自分の最初のロシア語の小説、ミリオンをよみ終った。78頁の本だ。
五月一日
(火曜)〔欄外に〕
トリブーナ〔見物席〕のところに五時間立って居た。足、いたい。それでもパッサージから家まで歩いた。
自分いかなるメーデーであるかと想い、一寸暖い心持がした。
すべてのストロー
ヤ休み、店やすみ、電車終る、通らず。
トリブーナ〔見物席〕のところに五時間立って居た。足、いたい。それでもパッサージから家まで歩いた。
自分いかなるメーデーであるかと想い、一寸暖い心持がした。
すべてのストロー

五月五日
(土曜)これから、彼も一人。
秋田さんのつれ、アメリカの商人体の男だ。
〔欄外に〕
ВОКСで、『伸子』沢山と『改造』、一、三、四月号をもらう。Y、『改造』がうれしいと見え、ステーションへゆく電車の中ででもところどころあけて居る。読めはせぬなり。
「Но」不快な男なり。段々よくなる人間と||つき合えばつき合うほども、いやになる男とあり、あとの方だ。
Yケイコ休む。
ВОКСで、『伸子』沢山と『改造』、一、三、四月号をもらう。Y、『改造』がうれしいと見え、ステーションへゆく電車の中ででもところどころあけて居る。読めはせぬなり。
「Но」不快な男なり。段々よくなる人間と||つき合えばつき合うほども、いやになる男とあり、あとの方だ。
Yケイコ休む。
五月六日
(日曜)Y、もうホテルへゆくのはいやらしい。自分もひとつは緊張しすぎていやなところもある。私の仕事がすんだらレーニングラッドへゆく。そして白夜を見る。一人で一つの室をもって、ものを書く、よむ、どんなにうれしいであろう。冬の頃のようにレーニングラッドにゆくの厭でない。正反対だ。
〔欄外に〕
押韻も問題だ。ああ並べてあるとややモノトーンなり。
午後ベゲテリアンのかえりにミツ子さんのところへゆく。寛の「驢馬とその他」驢馬のところだけ、それから後 一首、よろし。あとは首をそろえるため、のばして、のばしてある。よくない。
横光! カコイ・チェロヴェーク!〔何という人間か〕むしろ彼が大切がる神経さえ存在しない存在だ。
押韻も問題だ。ああ並べてあるとややモノトーンなり。
午後ベゲテリアンのかえりにミツ子さんのところへゆく。寛の「驢馬とその他」驢馬のところだけ、それから
横光! カコイ・チェロヴェーク!〔何という人間か〕むしろ彼が大切がる神経さえ存在しない存在だ。
五月七日
(月曜)自分、印象のつづき。一週間も放ってあったからむずかしい。
この頃暫く日記を書かなくなった。気持の内面のものが、印象記に出てしまう。外部的には平凡だ。故に日記を書くことがへる。
この頃米をたくことを覚えて、今夜も何もない、さあお米をたく、ごま塩をかけてたべた。
五月八日
(火曜)こちらへ来てから、自分の心持の変化、いろいろ目に見えず大なり。交友の点でもいろいろ変って来て苦しい。例えば、N・Y。T・N、に対し、自分とても本気に打ちあたってゆけぬ心持がする。特にN・Y、自分としては早く手紙を出すべき筈だ。それが書けぬ。どこかに、自分を押し出すものがないかと彼女の印象の内をモサクするが、何もない。行く道は違ったって、人として何か忘られぬところあれば、自分このような心にはなれないであろう。時々拘泥し、いやな心持になる。寧ろ苦しい。N・Tは哲学をやっても人間にうまみがないのがつまらない、燃ゆる魂がない。Y・N、もそうだ。つまりひややかなのだ。漱石時代のブリュー・ストキング[#青鞜]のタイプなり。知識で、自分を片づけて居る。
五月九日
(水曜)『プラウダ』、ワルシャワで May Day のとき殺された労働者の写真が出て居る。『イズヴェスチア』にはワルシャワの天国として、ポリツィア〔警察官〕、スード〔裁判官〕その他の天使にとりまかれて、まだ煙の出て居るピストルを持った無頼漢がシャンパンをのんで sofa におさまって居るカツーンが出て居る。
Y、На Дне〔「どん底」〕の特別興行のあるのを見つけて来る、自分ひとりで切符を買いに行って間違え、第二芸術座の使用人入口の中へ入ってしまった。切符やすい。
五月十日
(木曜)電話がかかって、Y又パッサージに居ることにした由。60号。自分達が一番始めてついた夜を過したところなり。
五月十一日
(金曜)今度は、Yもホテルで愉快でないし、自分も愉快でない。
ピアノを弾き出し、腹が立って、手がふるえるようだったのをやっと堪えた。雨が降る。ピアノが音譜を、ねむそうに、くりかえしくりかえし弾く。
五月十二日
(土曜)仕事やっとすむ。いい心持でない。変に郷愁を感ず。日本が恋しい。日本で、小説を書いて、書いて、腹の中まで書きたい。そういう心持だ。
小説が書きたい。刺戟を欲す。
エキスペリメンタリヌイ〔劇場名〕で、トラビアタ〔歌劇「椿姫」〕をきく。いい心持であった。
ピオネェール[#少年団員]にだまされて、金、時計その他とられた。馬鹿らしい話。
五月十八日
(金曜)五月二十日
(日曜)五月二十一日
(月曜)〔欄外に〕
Yも自分も夏の帽子を買った。
Yも自分も夏の帽子を買った。
五月二十三日
(水曜)メリーさん、自分のような赤いシャクヤクの花をもって来てくれた。
メリーさんたちは一緒になって、さわぐ友達だ。
五月二十四日
(木曜)苦しき心持、今死んではつまらぬ。然し||彼の心には正しさを慾する熱しかない。そういう風に純一だ。
国男は岡田さんのところへ通うようになったと皆がよろこんで居る。母は自分達のことを老夫婦と云う。苅田さんも弟が病気になったりいろいろで、心が苦しかったらしい。
ハガキに、英男、ここ少しユカイ? に暮したら悧巧になるか馬鹿になるか、と書いて居る。非常に深い心持だ。それでやってゆけ、それでやってゆけ。
何とかさんという人のところで、花のことを話して居る彼の顔をみて、こんな内面経験をしつつある若者だと誰が思おう。
〔欄外に〕
石橋和訓が死んだ。五十一歳。この石橋のことについて「ゴーゴリの肖像」をYがよんだとき随分話して居た。イギリスからは音沙汰なき由。
父カン暦の誕生日をした由。
石橋和訓が死んだ。五十一歳。この石橋のことについて「ゴーゴリの肖像」をYがよんだとき随分話して居た。イギリスからは音沙汰なき由。
父カン暦の誕生日をした由。
五月二十七日
(日曜)五月二十八日
(月曜)曇かえりに事務所によったら誰かがアレクサンドリスキー停車場で五時に会いたい由。ストラスナーヤからタクシーで出かけたら、笹川春雄氏だ。思いがけないこと、実に思いがけず。パリにゆく由。羊羹を貰った。
〔欄外に〕
この項一日ずつ繰り上げる。
今日はガウズネルのところへゆく。
この項一日ずつ繰り上げる。
今日はガウズネルのところへゆく。
五月二十九日
(火曜)曇驟雨夜、永原さんのところですきやき、宮川さん一緒。ハルピンへ出かける由、ロシアの支那に対する政策その他、いろいろきいて面白かった。かえったのは、午前二時、すでにもう明るし。人通りもある。アルバートから歩いてかえった。
○今年の作がわるいと大分СССР〔ソ連邦〕閉口らしい。
五月三十日
(水曜)曇五月三十一日
(木曜)曇
Yも食堂でパンを見たら、白くない。茶色をして居た由。
臥床
六月一日
(金曜)曇Y、永原さんのところへ行く。
六月三日
(日曜)曇〔欄外に〕永原夫妻来。
六月十一日
(月曜)○午後モストルグへYが見て置いたというヤーシチク〔箱〕を買いに行ったところが無し。Y、肩をふって歩いてクズネツキー・モスト〔古本屋の多い街路名〕の方でカゴ、アディアロ〔掛蒲団〕を見つけ、待たした из〔辻馬車「イズヴォーシック」〕でかえった。
○永原さんのところへ本箱行李一つあずける。ライスカレーを御馳走になる。
○夜十一時半、レーニングラードへ立つ。今度は三等の寝台だ。さっぱりして居て、二段で、天井の下の棚に荷を置く。皆木。車台は鉄。夜更け、すっかり灯をくらくするし、喋る者はないし、静かで眠れた。乗合、前に、いかにも細そりした方のロシア型娘がのって居た。着物の上から、カポート〔婦人用部屋着〕をかぶって、脚をちぢめて寝て居る。
レーニングラード近くなると、景色がモスク

風景に水が多くなる。白夜で、明るい。光なく明るい。草が生えている。どこからとなくそれが沼になって草の間に水が見え、やがて川になる。楊柳が川の中に立って頭を出している。
水つきのように陰気で、或凄さがある。ゴーゴリの小ロシアの小品のようなロシア的神秘あり。
○ステーションにポズニアク、N迎えに出て居た。
○ドーム・ウチョーヌイフ〔学者の家〕、No. 11 に入る。前にネ

○レーニングラード、何より静か、静か、静か、生活がスーッと遠のいたようにしずか。三十分ばかり室に居るうちに、モスク



〔欄外に〕
借りれば枕、マトラス〔マットレス〕あり。自分達はそんなことせず、Y毛布を、自分アジェアーロをかぶってねた。
借りれば枕、マトラス〔マットレス〕あり。自分達はそんなことせず、Y毛布を、自分アジェアーロをかぶってねた。
六月十三日
(水曜)ВОКСへ行く。奇麗な室に、若い女が一人タイプライターをうって居る。それは〔三字分空白〕の細君、あと一人。
いろいろのものを見るに都合よき紹介状と、子供芝居の紹介状を貰う。
○ドーム・ウチョーヌイフ、朝から、十二時迄、夕方から夜十二時迄、台所にキピァトーク〔熱湯〕がある。何かこしらえてもよい。重宝だ。白髪のプロフェッサー、ハムエッグを作って居る。
○子供芝居。モスク


モスク

〔欄外に〕
ネフスキー・プロスペクト〔レニングラードの中心街〕に、ベゲテリアンあり。鳴さん、案内する。なかなかうまし。Москва〔モスクワ〕で、金もののいれものに何でも入って来たのにくらべ、こちらは白い、紋のついたしっかりした瀬戸鉢にシチ〔キャベツのスープ〕が入って来て、自分快かった。
我等の窓の向うの城サイでドンが鳴る。
ネフスキー・プロスペクト〔レニングラードの中心街〕に、ベゲテリアンあり。鳴さん、案内する。なかなかうまし。Москва〔モスクワ〕で、金もののいれものに何でも入って来たのにくらべ、こちらは白い、紋のついたしっかりした瀬戸鉢にシチ〔キャベツのスープ〕が入って来て、自分快かった。
我等の窓の向うの城サイでドンが鳴る。
六月十四日
(木曜)風はさむいが、折角いい日が出て居る。このままかえってしまうの惜しく、島巡りを思い立ち、Y、地図を出して御者と相談して居る間に自分、一旦室まで戻ってレインコートをとり、出かける。公園の方から彼方の島へ渡り、カーメンヌイ・オストロフ〔石の島の意〕、大ネ


〔欄外に〕
ペテログラードスキーの方へ渡ると、又景色が変って、草原がひろい、そこに乳牛が放牧されて居る。山羊が居る。小さいドーミク〔小屋〕の前のスカメイカ〔ベンチ〕の上に小娘が日向ぼっこしつつ眠って居る。市街の入口、道普請が大変。
この島巡り大満足であった。
ペテログラードスキーの方へ渡ると、又景色が変って、草原がひろい、そこに乳牛が放牧されて居る。山羊が居る。小さいドーミク〔小屋〕の前のスカメイカ〔ベンチ〕の上に小娘が日向ぼっこしつつ眠って居る。市街の入口、道普請が大変。
この島巡り大満足であった。
六月十五日
(金曜)ルースキー・ムゼイ〔ロシヤ歴史美術博物館〕、今日しまって居る。人類博物館の方を見る。
○材料は相当あるが、説明が少し不足の観あり。
○一番発達して居るのが、家内手工である刺繍、金銀細工、陶器類、工業的なものは非常に尠い。ペチカのタイルに一寸面白いものがあり、木を刻った昔の橇、糸くり道具の部分品など、農民芸術として興味あった。原始的の面白さ。
六月十六日
(土曜)番兵、銀の甲冑、赤い飾毛、城門は二枚の唐草の扉。王姉妹、純然フランス人形的、大臣、伯父、やはりそう。それと、市民の穢いが色彩あるボロの美と、コントラストあり。
戴冠式が始る。出入口の

六月十七日
(日曜)パンシォン〔下宿〕。
休養所、コンラッド氏
ダーチャー〔別荘〕の主人
六月十八日
(月曜)スパルタクのデレガート〔代議員〕集会。
第一に立った老女、若いものから先に職を与えよ。クラブに家族日をつくれ。
第二に立った女、家庭の妻にも職を与えよ、知識を与えよ、等々。
第三、二人に反対して立ち、自分のクラブはいつも家庭婦人を歓迎するが、彼等自身出てこないのだ。
○場内やや喧噪、間で演台の上にある水を一人が貰ったら、空になる迄一人ずつ皆がのんだ。
ここで、家庭婦人と工場の女労働者との対立になりかかり、議長の注意があって、もうドマーシュニア・ハジャイカ〔家庭婦人〕については語られず。
第四、若い女が、自分は第一のタワーリシチ[#同志]の話も結構と思うが、私はこうだ。結婚した。だからやめさせられた。夫は27
第五、皆が何かというと、ソヴェート・ヴラスチ〔ソビエト権力〕が与えないという。然し、どこの他の国に我々が持つだけ権利を持つ女があるか。プラービリノ! プラービリノ!〔そうだ! そうだ!〕という声盛なり。
老人が立って、アンチ・レリギオズヌイ〔宗教反対〕のドクラート〔報告〕をする。
六月十九日
(火曜)雨六月二十八日
(木曜)六月二十九日
(金曜)パッサージで、シーツ大二つ麻のを買い、マーリア・ドーミトロブナのところに行く。黒パンにバタなしで、茶をのんで居た。月給四十五留位(生徒一人から二留十哥で、今二十人居る)自宅は少し。“自分は八時間以上労働する。公平と此が云えるだろうか?”でも彼女のピアノはどの位か? 又人は今のロシアで、長靴なしでは暮せぬが、ピアノなしでも生きられるのだから||。
〔欄外に〕
生活の辛さには同情するが、彼女の反動論には自分賛成せず。一寸議論した。
十二時すぎてかえり、かえり電車が少なくなってしまって、やっと五番にのった。
生活の辛さには同情するが、彼女の反動論には自分賛成せず。一寸議論した。
十二時すぎてかえり、かえり電車が少なくなってしまって、やっと五番にのった。
六月三十日
(土曜)晴ステーションから宿まで一留であった。ポズ何を云うやら。
ここは空気がよい。そのことは、はっきり感じる。然し暑くない。暑い思いがしたい||日にやけたい望が起るからロシアに居ると面白いものだ。日本で、このように日にやけたいと思ったことなどなし。冬が永い。又すぐ寒くなる。何だか体の中にうんと熱や日光を吸って置きたい気だ。
日本は四季配分よろしきを得た国とその点からも思う。
〔欄外に〕
パンション生活の最初の経験。こんなところに居るのは若いものはない。まだその上人もすくなく、自分達を入れて六七人。胃がカタルだという婆さん、元金持でいくつも学校を持って居たが、今はどこかでエクスクルシア〔見学の団体〕の世話をして暮して居る五十余の黒ずくめの女の人。
夫婦ものは大抵エンジニアらしいから、これが又СССРらし。話題など、犬のことや古い本のことやナポレオンのことや等々。
パンション生活の最初の経験。こんなところに居るのは若いものはない。まだその上人もすくなく、自分達を入れて六七人。胃がカタルだという婆さん、元金持でいくつも学校を持って居たが、今はどこかでエクスクルシア〔見学の団体〕の世話をして暮して居る五十余の黒ずくめの女の人。
夫婦ものは大抵エンジニアらしいから、これが又СССРらし。話題など、犬のことや古い本のことやナポレオンのことや等々。
七月一日
(日曜)一日雨黒服婦人ポルカやワルツを一寸踊った。元気なんだ。自分は盆踊りの踊の手振りをして見せた。(どこの盆踊りだか自分にも見当はつかないが)
一寸散歩す。足がしめる。夕方一人で又出かけ、四角に通りを廻って花をつんで来た。
○自分の室は白と桃色の配色で快い。Yの室は東が好いと云ったのだが狭いし、いやに巨大なウムイワリニク〔洗面台〕が突出したりして居て何だか室のようでなし。十五日に四番があく、それを待つ由。東は大体陰気でよくないのだ。
七月二日
(月曜)驟雨
A・トルストイは此処に住んで居る。レーニングラードに居てもいいものは書けそうもない。ここに居たって||
〔欄外に〕
日記をつける。室の窓が開いて居る。七月二日というのにブラウズだけで居られず、上っぱりにどてらを着て居る。暑さが恋し。
鶏が長閑 に鳴く。アサカを思い出した。Y、きのうあさかをやはり思い出した由。あさかの暑さ。
日記をつける。室の窓が開いて居る。七月二日というのにブラウズだけで居られず、上っぱりにどてらを着て居る。暑さが恋し。
鶏が
七月三日
(火曜)晴れたり曇ったり〔欄外に〕
パンションに、いやに通ぶった女、三十すぎて二十七八に見せて居る女あり。文学の話をやる。フランスでは Dumas とモーパッサン止りだ。「ツェメント」の悪口を云う。重ねて、早口に眼をチョロチョロ動して云う。品のわるい女なり。
パンションに、いやに通ぶった女、三十すぎて二十七八に見せて居る女あり。文学の話をやる。フランスでは Dumas とモーパッサン止りだ。「ツェメント」の悪口を云う。重ねて、早口に眼をチョロチョロ動して云う。品のわるい女なり。
七月四日
(水曜)晴パッサージで敷布、手拭を買う。本屋、髪の手入れ(Y)ホテルで食事。ヨー子さんのところによって靴、字引その他をもってピカデリーにゆき、「危険なる年齢」を見る。女主人公をした女優、なかなか厚みのある演出||苦しさで、心の、口がふさがれ
〔欄外に〕
かえったら戸がしまって居る。女中があける。ふくれっ面をして居る。たべるものをたのみ、Y、1рやった。そしたら、二階まで持って来てくれた。紅茶をいれてくれた。スラーヴァ、ボーグー〔ありがたいことに〕
かえったら戸がしまって居る。女中があける。ふくれっ面をして居る。たべるものをたのみ、Y、1рやった。そしたら、二階まで持って来てくれた。紅茶をいれてくれた。スラーヴァ、ボーグー〔ありがたいことに〕
七月五日
(木曜)雨シンクレア・リュイスの小説下らないと思ったが、或点から興味を持つようになった。||アメリカの楽天主義的宗教をどうリュイスは描くか、フットボールのチャンピオンで、Y・M・C・Aの働きてである迚も jolly な男やバイブルそのまま信じると云う大学生や、それがエルマーを廻って、いかに進化論を教授させぬ派もあるアメリカらしく発展するか、そこが面白いと思うのだ。
食堂にあるピアノひどい。

夜の茶のときアンナ・カレニナの話が出て、女達が皆保守主義で、却って隣室のクリクリ坊主のエンジェニェール〔エンジニア〕が急進論なのは(結婚について)面白い。
〔欄外に〕
○家の食堂、カーテンは白地に大きな花模様あるオールクローズのカーテン、きれいな桃色に斑入りのゼラニアムが卓子の上にのって居る。
自分の部屋には赤い小さいスタンドがある。Yの室はひどい。
○家の食堂、カーテンは白地に大きな花模様あるオールクローズのカーテン、きれいな桃色に斑入りのゼラニアムが卓子の上にのって居る。
自分の部屋には赤い小さいスタンドがある。Yの室はひどい。
七月七日
(土曜)ニーナ、エンジェネールに持ちかけて居る。エンジェネールもう大分傾いて(浮気心だけだが)居る。散歩のときも何ぞというと二人きり先に立ったり後になったりする。ニーナの眼鏡袋(白に花模様のある一八二何年とかの)を、エンジェネール自分の胸のポケットに入れて歩いて居る。出して、私に見せ、又しまう。頭がポケットから出て居る。妻君、手をのばし、それを押し込む。
○自分この事には興味がある。リジア、よい夫人型、かなりふけて、大柄で、落付いて居て、エンジェネール、ちょいちょい気がねをして居る。エンジェネールは少しわかく見える。ニーナと食卓では向い合い。ニーナ、石本夫人的結髪、目鼻だちがこせついて中央に集って居る。とても早口で早口で、ヴジャースノ〔ひどい〕! ピリヤーモ〔全く〕・ヴジャースノ

七月九日
(月曜)七月になったのに馬鈴薯まだ畑で小さい。花が咲くどころではない。
ぬかるみがあって閉口した。堤はドライブのために特に作ったプロムナードらしい。
ナージヤ[#宮本百合子の作品「赤い貨車」のナースチャのモデル]のこと、少し形が出来た。
プロフェッサーと出かけて公園の中の図書館から、レフ・トルストイを一冊かりて来た。主人と僕その他の短篇集なり。
Yと公園にかけて、石、もう一つの民話をよむ。民話を日本語でよんだ時は、単純さだけで感じたが、ロシア語で見ると、文章に力と威厳がある。
○水泳を見に一同で出かける。水泳以外の見ものあり。ニーナとエンジェネールいよいよ露骨で、二人きりで傍にのいて、傍の者に聞えない声で喋って居る。歩き出す。「リージヤ・コンスタンチーヴナ」ニーナが御気嫌とりを見えすかせて妻君によびかけ、又並んで歩く。リージヤ、今日は不快らしい。先へ来るとさっさと歩く。エカテリンスキー宮殿の前の、低いところに何か下らぬ大理石像が並んで居る。ニーナ、何とか云い乍らそこへ下りてゆく、やがてエンジェネールもついてゆく。そして最後に歩いて居る我等を行きすぎさせ、後から追いぬいて行って、先へ行くリージヤと軍医との左右に加った。我等を無視して、すっかり我等に芝居を見せているところ面白し。エンジェネールの妻、明日かえる由、あとでどうなるか。
七月十日
(火曜)夜食後、アレクセイ・トルストイのところへ出かける。遠いかと思って居たら近い。モスコウスカヤ〔街路名〕の角の家の二階。出入口は一向田舎らしくもないクワルティーラだ。家内は奇麗で、書斎にはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子が描いたのにレオナルドがなおしてやったという絵と、ドイツの十七世紀の絵と、〔四字分空白〕だろうという絵と、ピーター大帝の生面(此は非常に
○大して芸術的な話も出来ず。太った大きいアレクセイは、我等のむずかしいロシア語を一々訂正しつつきく根気がない。若いボリスという作家、活動のよいのを見せてくれる約束をした。
〔欄外に〕
妻君 、かえると思ったら妻君は卓子について居てエンジェネルが居ない。ニーナ、ひっそりして居る。リージヤ何でもなさそうにして居る。面白いと思った。なかなか上手 なり。こういうとき西洋の女のタクト〔機転、如才なさなどの意〕あるを感ず。
七月十一日
(水曜)快晴この澄んだ乾いた晴れ方、一種の寂しさのあるはれかただ。キラキラするというよりカーンと澄んで居る。
街、埃、カット照る日光の下で低く小さいような家と人、ずっと彼方にどこまでもその碧い空が見える。暑い。そして寂しい。沓掛へ行ったときは、こんなではなく、もうとして居た。
朝窓をあける。どんなに早くても、日本の朝露の濡れてすがすがしい空気はかげない。楡の木の葉が乾いて居る。アメリカでも此那ではなかった。
七月十二日
(木曜)ベンチに居ると、ドクトル(伯父ミーチャ)やって来てキタエスキー・テアトル〔中国劇場〕が開いて居るという。皇室づきの劇場であったものだ。三人で見に入る。いつも閉って居るところ故、寒い、しめっぽい。小さい建物で、室内装飾が支那風なのだ。暗い。外からさす光でぼんやり金ぴかのバルコンや賓客席を見る。舞台には、花園にスワンが二羽泳いで居るカンバスが立ててある。
彼等は此処で演じたのだ。||光線の関係もあって、夢のような印象を受けた。
七月十三日
(金曜)七月十五日
(日曜)
散歩からかえると、この間、トルストイのところで会った青年来て居る。鳴海、ポズ、五人で話すが、ポズその男に無礼な工合で不快。その男、ソブキノの工場と、Мать〔「母」〕、ポチョムキン、新しき Мой Сын[#わが息子]というのを見せて
〔欄外に〕
オベート後、鳴海とポズ来、Yは中途でかえり、三人で。
オベート後、鳴海とポズ来、Yは中途でかえり、三人で。
七月十七日
(火曜)工場を見てから、Мой Сын を見た。そして、支配人という、ひどいアメリカ語を話す男に会って、お世辞を期待されたが大したものではなかった。撮映の技巧もよいが、殴られる彼奴にあった手法があった。偶中か?
Мать マーチ、やっぱりよろし。最初からが違った。女優も上手にやった。
ポチョムキンも素敵なものだ。迚も後半のつよいうちかたには息がつまるようであった。ここにも箇人的人格はない。マッスがある。この映画は実に独特である。
〔欄外に〕
Мой Сын よりは第三メシチャンストボ〔小市民階級〕の方がよかった。フレッシュなところがあった。
○ロシア映画は mass としての方がよろしい。
熊の結婚がよいというものが沢山ある。私は違う。
Мой Сын よりは第三メシチャンストボ〔小市民階級〕の方がよかった。フレッシュなところがあった。
○ロシア映画は mass としての方がよろしい。
熊の結婚がよいというものが沢山ある。私は違う。
七月二十日
(金曜)センチメンタルでない新しき恋をセンチメンタルな調子でかいてある論文なり。
然しいろいろ一寸面白いと思った。つまり事実を見て居る人間として、自分の意見が対照的にはっきりして来た点など。
Mよりのハガキで自動車のガタガタがひびくと書いてあった。Yとも話し、自分、33の厄年に迷信的な不安を抱いて居たが、今度はMが何かあるのではないか。胃カイヨーの後が刺戟されて云々、M自身書いて居るが、それが怪し、怪し。何だか気が滅入り、M、自動車一台買って後、心持も変に成り上っていやになったとともに命まで早めにしまってしまうのかと、果敢ない心持がする。自動車にのるからよいと、一日にうんと歩く、そして、つかれる、つかれて居てもよいからと又出る||書いて居るうちに腹が立って来た、手紙を書いてやろう、直ぐ。昨日から自分悲しいのだ。
七月二十二日
(日曜)ナースチャの下拵えをする。
七月二十三日
(月曜)日本の自分の家で仕事する心持。
七月二十四日
(火曜)批評は出来るが、その批評を書くことは出来ない。それでは不具だから、何でも書いて見ることなり。Y書けるようにならなければウソだ、と今度は本気だ。いつか駒沢に居た時も、やったが、その時は必然性が足りなかったと見え中止になってしまった。今やるによい時だ。一寸した感想の種は無尽だから。
七月二十五日
(水曜)急雨どんなこと書くのですか
左翼劇団との関係
私が書けば常識論よ
何でもいいんでしょう、そうでなくたって
じゃ書こうかしら
どうぞ。
いつまで、
出来るだけ早く
あさって?
早い程いいんです。
七月二十六日
(木曜)曇すらすら書けるが、今日だけでは怪しい。あしたY、レーニングラードへ出るかと悲観して居たらYも少し書きかけたから、いや、やめ、と云う。助かった! 夕方やっと二人でゆっくり散歩す。
七月二十七日
(金曜)廊下で、それを洗って来たのをドクトルが見て||ビタミンですか? と云った由。我等の間に昔はやったビタミンLを思い出した。
鳴海氏、招待状の翻訳をもって来る。興業主のビラのような訳であった。これをなおし四人で、牛乳をのみにゆき、池田さん、鳴海さんかえる。
鳴海さん、デートスコエの夢あり。大元気にはしゃいで居た。
七月二十八日
(土曜)七月二十九日
(日曜)七月三十一日
(火曜)レーニングラードへ独り出て銀行、パスポートその他やってかえって来る。朝食ぎりで何もたべず。
ゆき、野の景色がこの間とは違って居る。草が苅られたからなり、まだ苅って居る。しかし苅りてがなく放ってあるところがひろい、ひろい、茫漠として居る。
遠くの地平線を平行に汽車が走って居るのが見えた。大変遠くからのとき、海がむこうにあって、艦が浮いて(黒く)居るような、くっきりした印象であった。或ところまで近づいたら煙が見えた。
八月一日
(水曜)終日雨八月二十日
(月曜)○デートスコエへ、アメリカ人が五百人来る由。Main street は通行止。騎馬巡査が立って居ると、濛々然と煙をあげてステーションから aut がふっとんで来る。えらい塵埃で、前に行く自動車の形が見えない位。
イズボーシチクなくて、自分停車場まで歩いた。
小劇場で歌舞伎が始る。見物した。パスタノフカ〔演出〕大したものでないし、感心せず。ここでラボートニッツ・クレスチャンカに会ってメイエルホリドの智慧に悲ありの切符をくれることになる。
〔欄外に〕
新妻伊都子氏より紹介されてという河原崎長十郎 Моя の友人大熊氏
新妻伊都子氏より紹介されてという河原崎長十郎 Моя の友人大熊氏
八月二十二日
(水曜)メイエルホリドの力学的表現が、決して、エイゼンシュテインのようには行かず、масса〔群衆〕を現わさず、箇によって類型を暗示する手法であるかがわかって面白かった。影のもつ暗示。音楽のなかなかよき効果、然しいい心持になりすぎて一幕音楽だけにしたのはよくなし。
この舞台は、レビゾール〔ゴーゴリの「検察官」〕などから見ると、ずっと違ったやり方にしてある。つまり所謂背景などというものはない。ただ人物を反射させるためのスクリーンがあって、特に、幾重にも影をうつすために銀色のスクリーンの一枚は濃いのを、そこで影は非常に濃く真黒にうつる。つぎのやや淡いの、全く淡いの、三番に一人の男のかげがつくのなど暗示して居て効果があった。レビゾールには人形があったが、これには人形がない。その代りこの影をつかって居る。
○貴族の女中に
〔欄外に〕
若い主人公をした男はよくなかった。若い貴族をした男は汐見式の、レビゾールのフリスターコフをやった男、
若い主人公をした男はよくなかった。若い貴族をした男は汐見式の、レビゾールのフリスターコフをやった男、
八月二十三日
(木曜)この前鳴海さんと三人で見たときとは又まるで違うよさを発見し愉快であった。ルーベンスの肖像、男の顔、女の顔(女の目)女の立像、バン・ダイクの母と小さい娘との肖像、忘れられぬよさなり。
レムブラントの部へ来て、三分の一見たら時間になってしまった。が、基督を十字架からおろすところの画、見て居るうちに自分涙が出た。レムブラントという男は何と人生の深い心持を知って居るのか! ここではキリストは従来の神の子ではない。可哀そうな死んだ一人の人間だ。それを抱きかかえて十字架からおろして居る老いた男の溢れる愛、悲しみ、理解、レムブラントは生きて居る人間を描いた。そして死んだ者の残した感銘のつよさを示して居る。生の芸術。
〔欄外に〕
夜、リジア・コンスタンチノヴナの家によばれた。
イラ(娘)その所謂スツデントスキーの写真。赤い卵を貰った。
夜、リジア・コンスタンチノヴナの家によばれた。
イラ(娘)その所謂スツデントスキーの写真。赤い卵を貰った。
八月二十六日
(日曜)夜、クルイシェ〔屋上〕にカバレーあり。三時まで居た。歌舞伎も今日が
八月二十七日
(月曜)○
八月二十八日
(火曜)八月三十日
(木曜)八月三十一日
(金曜)日本人など初めての由、一時から五時まで。
九月一日
(土曜)ヴィノグラドスキー、切符は今夜ゴリキーが病気で駄目だから多分日曜に会がある、それ迄に切符は届けるという。
ゴスイズダート、頭の男のひと、要領よくて、いろいろ本を紹介してくれた。その本は月曜日にとりにゆくことになった。
○夕方衣笠さんドイツに立つのを、クロンシュタット埠頭へ見送りにゆく。かえりに дом советов で обед をたべ、ニェフスキー〔街路名〕を歩いて居て清水さんに会い、サドー

九月二日
(日曜)船にのる。ニェ

フォンタン〔噴水〕を見に行ったのに、水の面見るのもいやとは大笑い。
なるたけ樹の深い公園のベンチに休んで居て、歩き出そうとしたら田淵さん、先生と一緒にやって来た。案内して貰ってすっかり見、宮殿も。夜九時頃かえった。
大して奇なきところ、だが昔フォンタン全部が出て居たとき、正面階段から船つき場まで小さい運河を見とおしたところ、フランス風印象あり。
〔欄外に〕
○フォンタン、それをかこんだ樅の梢、その前を黒く動く人かげ、瀟洒なり。
○フォンタン、それをかこんだ樅の梢、その前を黒く動く人かげ、瀟洒なり。
九月三日
(月曜)スミルノワのところへ行く、五つと幾月かの女の子、音楽と踊をやって居る。
母と娘、夫にわかれた母、子供と二人くっついて変に淋しそうに、ぐざっと暮して居る。子供のお守だけさせられるみたいでY退屈この上なき顔色、自分それを見て随分居心地わるし。
○ニェ

九月五日
(水曜)『伸子』と網野さんに貰った大仏前燈籠の写真と増長天の写真とをおくった。
増長天の方が大分気にいり
チョールト・ワジミ!〔畜生!〕エイ・ヴォーグ〔神かけて〕
といってよろこんだ。○日本の根付を二百も持って居た由、ニッケニッケといった。
スキヤキの会
九月六日
(木曜)レーニンの居た室、もとの洗面室、そのウムイヴァリニクを掃拭する召使の居た室に夫婦で居た。
寝台に布団なし、着のみきのままでその上で眠った。ひどい一の衣類棚、机、赤い粗末な布張のソファー一つ、椅子二つ三つ。
○マリア・ドミトリエヴナのところへ行く。病夫、実に清らかな感じの人で、眼でも皮膚でも、蒼白い皮膚の上の髯の柔かき黒さも、古いラシャの dressing gown を着て、その襟は赤い。袖口も赤い。美しかった。もう恢復せぬ病人の清き美しさ。
九月七日
(金曜)
○池田さん死ぬまい。
○かえりにニェフスキーで茶をのんで、キノ「明るい町」を見た。ちょいちょい無駄あり、二重写しにするところ、夜のスケート場を、光線の遊戯で一寸よくやったのに雪の面のスケートの跡を見せたところなど。だが、ナイーブなところがあって(写し方に)それが女優のそういう味と合い、一寸面白かった。Новый быт〔新しい風俗〕だ、無学な妻にからむ工場生活。
○夜すっかり雨があがった。雨上りのレーニングラードは美しい、ニェフスキーは特に雨あがりの夜美しい通りだ。
ちらりと見えるカザンスキー・ソボール〔寺院名〕の青草、ぼんやり浮立つコラム、
〔欄外に〕
冬宮へ行くアーチが光の工合で黄色い部分と陰翳の部分との面白味、
○街路のつき当りに斜かいに大きな灰色の建物がせり出して居る感じ、エッチングのエフェクト、
○午後九時十分のストロー
ヤ
○音楽につれてロシア踊を踊ろうとした男。
○シャルマンカ〔背に負って歩く小型オルガン〕の乞食。
○ドーム・ソヴェートで新聞を扇のように〈芝居の貴婦人〉のようにして居た女、
自分今日は夜になってから何とも云えず寂し。Yにとってここを去るのは冬又来る当がある。||出かけるのだ。私にとっては去る。もう来ない。今自分の見て居るすべての内に、Yは一人で生活するだろう。一年の間は短い。そうか? 然し、半年の間にあんなことも起った。
○Yに自分のこの感じ分らず
冬宮へ行くアーチが光の工合で黄色い部分と陰翳の部分との面白味、
○街路のつき当りに斜かいに大きな灰色の建物がせり出して居る感じ、エッチングのエフェクト、
○午後九時十分のストロー

○音楽につれてロシア踊を踊ろうとした男。
○シャルマンカ〔背に負って歩く小型オルガン〕の乞食。
○ドーム・ソヴェートで新聞を扇のように〈芝居の貴婦人〉のようにして居た女、
自分今日は夜になってから何とも云えず寂し。Yにとってここを去るのは冬又来る当がある。||出かけるのだ。私にとっては去る。もう来ない。今自分の見て居るすべての内に、Yは一人で生活するだろう。一年の間は短い。そうか? 然し、半年の間にあんなことも起った。
○Yに自分のこの感じ分らず
九月八日
(土曜)雨九月十四日
(金曜)
十月十三日
(土曜)


○一休みしてから大使館広岡さんのところへゆく。そして林町よりの書留貰う。
○Y、鞁外套を買う、なおし、月曜。
○オビ川の手前の駅まで、左右の黄葉、白樺の黄葉実に美しく、その黄金色の秋の葉、曇った空の下にも猶暖く黄金で、奇麗だった。モスク

〔欄外に〕
林町よりの書留、父の手紙、英男の死の前後のことが非常にくわしく書いてあった。筆不精の父をして書かしめた。自分この書留を見て、心休まった。英男、あくまでも彼らしく彼の生を終ったことは安心なり。
玉菜 の畑、モスク
手前に連ってオイ! ムノーゴ!〔おやまあ、なんてたくさんだ〕
もうとってのこった葉の間に牡牛が二匹位歩いて喰っている。リップ・ヴァン・ヴィンクルのキャベジ畑に入る牛を追う絵を思い出した。
林町よりの書留、父の手紙、英男の死の前後のことが非常にくわしく書いてあった。筆不精の父をして書かしめた。自分この書留を見て、心休まった。英男、あくまでも彼らしく彼の生を終ったことは安心なり。

もうとってのこった葉の間に牡牛が二匹位歩いて喰っている。リップ・ヴァン・ヴィンクルのキャベジ畑に入る牛を追う絵を思い出した。
十月十四日
(日曜)広岡さんのところで日本の御飯、白菜のお香物、オデッサのあじの干物御馳走になる。
この香物! 美味し、美味し。お茶を少しかけたお茶漬の味!
十月十五日
(月曜)Y、ノヴォさんの家、然し留守、アンピール〔レストラン名〕で会う。この頃〔このあと三行空白〕
生ける屍を見る。
殆どお話にならぬ演出だが、俳優はわりによく、フェージャなど、暖かさあった。但、田舎くさい表現あり。例えば、ピストルをとろうか、とるまいか、その心理表現など。
コーネンと云う女優、始めて見た、まだ狭い。
十月十六日
(火曜)晴天 5°昇さん、
うっかりしたような、けれども感じはよき人だ。この感じよさで持って居るのなり。
すらりとしたところあり。故に、彼の場当り仕事も、当ててやろうというより、時流の要求にすなおにつれて、「この頃はマルキシズムでなけりゃならんようになったからねえ」と云った風なり。笑う。そして憎まず、よき人の一人なり。明晩立つという、さわぎ、革命座へ出かけ、三人で Человек с Портфелем[#カバンを持った男]を見る。面白かった。
〔欄外に〕
以前より言葉がわかってよいが、最後の彼のドクラード[#演説、報告]の場面、すっかりわからず、この要点わからぬ故半分或は筋全部がわからぬようなもの、惜しかった。
以前より言葉がわかってよいが、最後の彼のドクラード[#演説、報告]の場面、すっかりわからず、この要点わからぬ故半分或は筋全部がわからぬようなもの、惜しかった。
十月十七日
(水曜)顔を洗いかけて居ると、Yより電話、昇さんが娘にやる皮を見て居る、来い、と云う。自分寝て居たの故待てと云えず、いそぎ、いそぎ、ゆく。
昇さん、三百留というのにやめようと云い、一旦出たが、心配で、やっぱり買ってやりたく、戻って買った。
十月十八日
(木曜)

丁度十一時頃、ワシントンへ行ったり、フィラデルフィアへ行ったり、あの頃のシンと寒くて、然し雪はなく木の葉の散って居る感じと似て居る、或は、行きがけのシカゴ公園の感じなど。
野崎さんの居たクワルチーラへ行って、借りられるかどうかきく。Y一人にはまあ辛棒出来るだろう(ニキートスキエ・ボロータの先の時計を門柱の上につけた構の内)即答せず。かえりに白鷲を見る。カチャロフ、メイエルホリドが出演して居る。モスクビンの生れた人間的人気がある。が、筋大したものでなし、カチャロフでなくてならないというのでないのにカチャロフをつかうのは何故か?
〔欄外に〕
自分この? にはこの頃感じることあり。これまでのキノ個人なし。レーニングラードのソブキノの我息子で主人公をピカ一にさせた傾向ここにも現れて居るのではないか。然し自分はこの傾向にはプロチフ〔反対〕だ。何故なら、キノとしてキノ芸術の上から云っただけでも、これは назад〔後退〕だから。
自分この? にはこの頃感じることあり。これまでのキノ個人なし。レーニングラードのソブキノの我息子で主人公をピカ一にさせた傾向ここにも現れて居るのではないか。然し自分はこの傾向にはプロチフ〔反対〕だ。何故なら、キノとしてキノ芸術の上から云っただけでも、これは назад〔後退〕だから。
十月十九日
(金曜)○あと、段々苦しくあの英ぼこがそのように苦しく、やりきれながって死んだのかと、特に小学一年になったときのあどけなき写真を思い出し、涙止らず。
自分、まあ少しはものの足しになる存在と思って居たが、弟一人の力にさえならなかったか、自分のニェ・ガジッツアー〔役立たずの意〕の感に苦しむ。この苦しみは深く、自分は幾度彼を御馳走してやったかということまで数えるような恋しい心持になった。
○五月頃一遍やりかけてやりそこなった。母が手紙をよこした。そこに仄めかされて居たことで、自分、今度の彼の心持も或は誰よりも深くわかる。わかると彼が、自分を当にしなかった心持もわかる。その彼の判断を自分は承認するか? せぬ! 然し、姉、弟がこのような無言の理解を抱くことは自分をつよく打つ。自分はこれで生きる。彼女を生かす。二人生きる。彼は死ぬ。オイ、英ちゃん!
○自殺は悪と云った。この言葉の価値を理解す。自殺は必ず彼に近く生きるものの上に||人生観に影響する。故に、若し彼の死が、一人の近親者に人生を消極に見せたらそれは悪ではないか。自殺はすべきものに非ず、こう思った。(自分の場合は逆だがこの影響は)
○どんなにして死んだか、土蔵、地下室、一隅、この想像で苦しんだ。
○ところが父よりの手紙で、彼も犬のようにみじめには死なず、大きく、円く、膝を叩いて笑った英男らしく、安楽椅子により、ティテーブルをおき、屏風まで立てまわして楽に居心地よくやったと云うには、自分笑った。よし、よし、死ぬならけち臭くなくやって呉れ。けち臭いのがキライだった英男らしく、自分救われた。親も英男自身もすくわれて居る。
○可愛ゆいという心持、切なり。
○華子の死んだとき自分非常に心を打たれ悲しんだ。哀れで。何のために、何という存在であったかと。英男は可哀そうという心持納ってから可愛ゆし、実に可愛ゆし。彼の大きな、絣の単衣を着て黒メリンスのヘコ帯をしめた姿、又制服(東・高の)の姿、目に見えるようで、その姿目に浮ぶと、云う限りなく可愛ゆし。惜しい。(畜生!)何か、私の生涯の前途から一つ見えて居たものが落ちてしまった。この空虚を満たす対象を漠然とした next generation というところまで押しひろげてゆくのはまだ努力だ。
○彼が最後に書いて居たいろいろなもの、一応尤も、だが、何だか尤でない、青く、変なところあって、面白し。
○人生のどの位を彼は理解して死んだか?
○座布団に爆発の穴をあけた彼らしき生活の終りようだ。
○生きられずに死ぬというより、よりよき生への憧憬によって死んだという形。
○思想は実践だ。彼は少くとも彼の信念を実践した。嘘では生きなかった。これを買う。
○但、彼の思想には賛同しかねる。食うに困らぬ人間のゼイタクというところあり。父、失職、母病床、子供が居る、食うに生えず、生きる道なきを感じ、首をくくった男とは比較にならぬ死なり。負けて死んだ哀れな男(これは)勝とうとして、ぶつかってバクハツしたテロリスト英男。
○彼の心のきよさ、自分にうつって居て、青山墓地のごたごたの内に埋めたというのは不足なり。かえったら、多磨墓地の閑静な、からりとしたところに、彼の姿のような墓を考えて(意識をもって終った彼を表すような)花を植えてやりたいと思う。
○自分が二十一のときAと一緒になった。英男は二十一でフッ飛んでしまった。人生に対する二人の態度の違い。
〔欄外に〕
朝、部屋の戸をたたく人あり、見ると、吉屋信子さん友達、京都の医学博士と三人、パクの案内で来た。
大使館へ行って田中さんに挨拶しようとしたら廊下で会ってしまった。
○夜、五時すぎ、信子女史をステーションに送る。パクから変なことを聞かされ、印象が混乱して居るまま、ウェストミンスターをYにやって立った。
朝、部屋の戸をたたく人あり、見ると、吉屋信子さん友達、京都の医学博士と三人、パクの案内で来た。
大使館へ行って田中さんに挨拶しようとしたら廊下で会ってしまった。
○夜、五時すぎ、信子女史をステーションに送る。パクから変なことを聞かされ、印象が混乱して居るまま、ウェストミンスターをYにやって立った。
十月二十三日
(火曜)ユーモアがある。
何時だ?
||私の時計は三十分位
十月二十四日
(水曜)○マテリアルのとりかたが、なかなか用意周到だ。
○本当の百姓が雨乞いをやる。それをわざわざやらせて撮ったのだが、面に対する(人間の)興味、雰囲気に対する興味、(Eの)よくわかって、これがいかに整理されるか興あり、エイゼンシュタイン自身相当写楽づらだ。色白、顔下半のふっくりして大きい。
〔欄外に〕
○彼の様子仕事に向って腰を据えた人間のゆるがなさあって愉快だ。
○ソフホーズ〔国営農場〕をテーマとする、全線の一部の撮映を見る、素人、今度始めて田舎から来たという、稽古をつけて居るが、なかなか根気しごと。E、ゆっくりしてやって居る。大まかなところがある、何度もよいと思うまでやらせる丈で間はポーッとして居る、統一した人格的力がある(これはK君の評言)
○彼の様子仕事に向って腰を据えた人間のゆるがなさあって愉快だ。
○ソフホーズ〔国営農場〕をテーマとする、全線の一部の撮映を見る、素人、今度始めて田舎から来たという、稽古をつけて居るが、なかなか根気しごと。E、ゆっくりしてやって居る。大まかなところがある、何度もよいと思うまでやらせる丈で間はポーッとして居る、統一した人格的力がある(これはK君の評言)
十月二十五日
(木曜)○ヨーロッパの曠野、新婚旅行、妻、曠野の詩人、その間の恋愛の場面等、実にうまい。もっと、もっと見たい。言葉がわからず、やっぱり、惜しい。
〔欄外に〕
○曠野の詩人はガーリンがした。新婚の妻はライフの妹、よろしい。
○曠野の詩人はガーリンがした。新婚の妻はライフの妹、よろしい。
十月二十六日
(金曜)K、いろいろ質問するが、根本に入って理解したら||芸術並に人生を||直ぐわかり、感でわかりそうなことをきく、自分、何だか極りわるくて困った。通訳はこんな感じなしで、訊け、はい、こう云ってくれ、よろしいの方がよし。
ガーリン、小柄な、細そりして頬や鼻の先が赤いようなさっぱりして勝気な若者、十年もう働いて居る由。
K、わかる、が底ブタが落ちて居ず。
〔欄外に〕
進藤氏のところで牛鍋御馳走。
オランジェー
ヤを訪問した。伯母さんという、全然ペテルブルグ式貴婦人の古くて大きいのが居る。
オランジェー
ヤ氏、一人で会った時のように面白くなかったから可笑しい。あの伯母さんが居ては、オランジェー
ヤさん、好きな人など、なかなか出来まい。
進藤氏のところで牛鍋御馳走。
オランジェー

オランジェー


十月二十七日
(土曜)○マールイ・ツェアトルで、リュボヒ・ヤロ

この女のような立場は実際あったのだし、悲劇的取材だが、人の出し入れ茶番、むだな廻り舞台等、マールイ・ツェアトルのたるみを充分にバクロして居る。この人間の出し入れについて、自分興味を持った。そでなど、出て来るな、という予感を与えて出す、ダイナミックと正反対な、新派的エフェクト。
十月二十八日
(日曜)アルキンより電話でパステルナーク(赤い色の百姓女、ロシア、セザン派)が河君の肖像を描く、一緒に行こうと。待っていると来て、今度は我々が行っちゃ工合がわるいらしい。勿論やめる。
第一大学の日曜講座おくれた。モローゾフスキー〔美術館名〕へ、近代フランス画のウイスタフカ〔展覧会〕を見に行ったがひどい人でやめ、トルストイ博物館へ行く。面白かった。トルストイが家出する前後の光景、汽車にまるまって外套かけて横になって居る姿など哀れだった。人生との最後の組み打ち。
○夜、遠いところの小劇場の分れで、レビゾールを見る。マールイ・ツェアトル風の流儀でやって居て、無駄とくすぐりが多い。役者も上手ではないが、やっぱりこの昔のままのも面白し。フレスタコフ丙。
〔欄外に〕
今日МХАТの三十年記念の祝、スタニスラフスキーがこの芸術座のためにつくしたモローゾフのために起立を求め、嘗、芸術を十年のうちにかえようとしても、かわるのは外面的なものでもっと遠いめで見よというような気焔を上げた由。
今日МХАТの三十年記念の祝、スタニスラフスキーがこの芸術座のためにつくしたモローゾフのために起立を求め、嘗、芸術を十年のうちにかえようとしても、かわるのは外面的なものでもっと遠いめで見よというような気焔を上げた由。
十月二十九日
(月曜)曇時々雨○エイゼンシュテインがああやって田舎の百姓をつかったり、素人をつかう点の芸術的意味。これは案外に重大だ。例何故、モスクヴィンの生れた人間があんなに下らなかったか? 何故カチャロフの知事やメイエルホリドの元老はあの位のものか? 例モスクビンがよい、ム・ハ・ト[#МХАТ、モスクワ芸術座]の舞台でモスクビンが、感情表現のために、細かに表情し、こまこま線を描く、舞台は明暗、空間、観衆との距離がある。そのままのこまこました線で白黒のフィルムの上に動きつつ固定して居ると、非常にうるさくてよくない。
○素人はまして mass として扱われるとき、所謂細かいところを全然知らぬ。プロースト〔自然に〕な線でクーと行く。これが印象をつよめる。
〔欄外に〕
もうこの頃は、午後四時前後に電燈がなくてはならぬ。
新鮮な空気が欲しい、欲しい。
もうこの頃は、午後四時前後に電燈がなくてはならぬ。
新鮮な空気が欲しい、欲しい。
十月三十日
(火曜)曇平林たいの小説、少くとも作られたる小説よりはよし。グングン書いて居る。今に視野がひろがったらよい作家になるであろう。
本やへ行く。オブラゾワーニエ〔「教育」〕、若者ベラスケの独逸版の画集(写真だが)4рで買い、ゴッホ、シャガール、ドガなどのも見せて貰い、亢奮して居た。自分達も一寸感染したが、デューラーの大したのでもないのがあるだけで、チェホフの劇の写真集(いつかとられたの)と、カチャロフの写真帖、チュッチェル、コロレンコの手紙、買う。
Y、「正方形」をよみ、一人で笑ってる。
〔欄外に〕
ヒロ岡さんより電話、支那料理は一日の間に合わぬ由。
かえってシュウェイツァール〔守衛〕で鍵をうけとるとザピースカ〔書きつけ〕がついて居る。明日より室代7рとなる報告なり。この頃物価上騰の一徴候、アタプレーニエ〔暖炉〕が高いからであろう、(薪が今年は払底になった、貨車の関係で。)貨車が足りぬ、生産品が増した、□ の出る方を運ぶ。
ヒロ岡さんより電話、支那料理は一日の間に合わぬ由。
かえってシュウェイツァール〔守衛〕で鍵をうけとるとザピースカ〔書きつけ〕がついて居る。明日より室代7рとなる報告なり。この頃物価上騰の一徴候、アタプレーニエ〔暖炉〕が高いからであろう、(薪が今年は払底になった、貨車の関係で。)貨車が足りぬ、生産品が増した、
十一月二日
(金曜)送ってゆく。ВОКСの男、早く来ただけでステーションへは来ず。誰も来ず。あすこの差別待遇はひどいものだ。何と云ってもロシアにはバロン〔男爵〕大蔵、はい、大臣。タワーリシチ大蔵 ウム、秘書、だ。事大的の田舎っぺー。Kに対して思うのではない。大体論として。
十一月三日
(土曜)十一月四日
(日曜)もうそこには別の夫婦が来て居る。
Yもこの室は気に入った。
これから、クラースヌイ・コルプスの家を見にゆく。からりとして、明るい、近代СССРの感。家に人居ず。
十一月六日
(火曜)細雨旅行についで、あっちこっちへ鞄その他あずけてしまったので、新聞紙包ばかりがいくつもある。「ムイ、ソフセム、ベードノ、スターリ〔私たち全く貧乏になってしまった〕」
Y、冗談を云う。
十一月七日
(水曜)細雨昼間、引越したばかりで、外に出る気せず。夜、馬車でズッと河岸を廻り、クラースヌイ・プロシチャージへ抜け見物した。
イルミネーション 普段モスク

クレムリンの壁に

〔欄外に〕
進藤さんのところへ行く。氏曰ク、宣伝にやって来るものもあるがね、案外なところがあるらしい、ただ労働時間の長いのだけには奴等閉口する。陸に居て彼の職業をして居たのじゃやりきれないが、北海道の漁夫なら十六時間位ヘデもないさ、そういう奴の手紙を開けて見るとネ云々、
進藤さんのところへ行く。氏曰ク、宣伝にやって来るものもあるがね、案外なところがあるらしい、ただ労働時間の長いのだけには奴等閉口する。陸に居て彼の職業をして居たのじゃやりきれないが、北海道の漁夫なら十六時間位ヘデもないさ、そういう奴の手紙を開けて見るとネ云々、
十一月八日
(木曜)Y行くか
ベコ行くか、
芝居がおそくなったら、Yのところへ泊ればよいということになって、自分来ることになる。
十一月十日
(土曜)十一月十一日
(日曜)晴 夜雪
ステーションには、鳴海さん野崎さん来て居る。電車で、ニェフスキーへよって、お茶をのみに例の家へ入る。粉々として雪降る。愉快。
チェレパ[#チェレパーノワ=ヨー子]の家、女、若くないの、美しくないの三人、みんな満足な男なく||夫、一人は牢、一人は不定、一人はのんだくれ。
エルミタージへ行く。絵画の部だけでなく、陶器を見てマジョリカ実によかった。マリンスキー[#劇場名]、踊そのものはクラシックのテクニックで上手だが、眠れる美人、アレンジがつまらず、衣裳も色彩のロー費をして居る。
〔欄外に〕
夜十二時頃、マリンスキーからかえると、先が見えない雪降り。今日はカ
シーだから一人でレストランに行くのも困る。
野崎さん二時までおつき合、それから風呂。
夜十二時頃、マリンスキーからかえると、先が見えない雪降り。今日はカ

野崎さん二時までおつき合、それから風呂。
十一月十二日
(月曜)晴月曜日で何もなし。
池田さんの見舞、
当人自分が廃人だということを知らず、なおると思って居るらしい。気の毒だ。日本の食物が欲しく、そのことをばかりつい話す。
カキを持って行ったのは成功だ。
十一時半ので立つ。野崎さん、鳴海、田淵チェレパの姉妹、皆来てくれる。
〔欄外に〕
汽車の中で、婆さん、コンムニストカ〔婦人共産党員〕おかっぱ。女教師で、今の教育制度はロシア語の力をちっともつけず、小学六年でもろくに読めぬ、本がなかった時代を経て居るからと云って居た。
汽車の中で、婆さん、コンムニストカ〔婦人共産党員〕おかっぱ。女教師で、今の教育制度はロシア語の力をちっともつけず、小学六年でもろくに読めぬ、本がなかった時代を経て居るからと云って居た。
十一月十三日
(火曜)
モヤ迎え。プラットフォームに居ないから来て居ないのだろうと思って出口に近づいたら発見した。
進藤さんの送別会。大使館の連中皆。
御大典祝いに清水、高山、レーニングラードから来て居た。遊びに来る。
十一月十四日
(水曜)清水さんのロマンチシズム、芸者の長襦袢のこと、生れた坊やのこと。
十一月十五日
(木曜)ニキーチナさんのところへ行く。詩人、教授等バーベリはユーレー〔ユダヤ〕語で書く、エロシェンコの話など。ニキーチナさん、プーシュキンが棲んだという家にすんで大満足だ。そのようなところ文学談にもあり、彼女のうちには、熱いような精力、意志あるが、文学的神経は比較的少ない、その感じつよい。
果物をかって広岡さん見舞、黄ダンの由。心配して、ヒロオカさんぼんやりして居た。
主人レーニングラードへ出発、置手紙をして行った。Y宛、曰ク、二室人にかすことは出来ないそうだから十二月十五日までに出てくれ。
二室かせないのは既に分って居ることだ。保健大臣氏に奉仕するためヤポンキ〔日本女〕は出て貰う、この方が原因だ。はっきりあけすけにそう云わず、置手紙などするところ、プチなウクライナ人らしい。
十一月十六日
(金曜)いろいろ余興あり。人形ネームカードのを貰う。五時頃かえる。
ここの大使館の夫人連は死人のようなり。彼女等、日本でしなかったゼイタクが出来、上品に貴婦人らしくあることはキドッて澄すことだとだけ思って、次第に空虚な相になりつつある。
十一月十七日
(土曜)Y、クラースヌイ・コルプスへ行くことにするとて二人で出かけ、自分そとで待って居た。モスク

Y、六時半より先生へ出かける。
自分靴下しらべ。切れぬのはもう二足しかない。林町へ手紙をかきかけ中止。ドイツへはいつ行くのか。自分本当に一人行くのか。いろいろ不足で(時季も)しっかりした考えがまとまらぬ。
Y、カキを買ってかえる。たべる、渋い。かえしに二人で出かける、こちらではカキスなり。
〔欄外に〕
例年モスク
はもう雪なのだそうだが、今年はまだ雪ふらず、ただ雨、雨、雨。
モスク
の雨は細かく陰気。
例年モスク

モスク

十一月十八日
(日曜)雨『朝日常識講座』かって来て読む、実に浅い見地に立って居るが、マア分ることは分る。
十一月十九日
(月曜)自分、街に向った窓をこのむ。この室の窓はドウォール〔中庭〕に向って居るので、静かだが、景色流動せず、寂しい。
Y、今日はクタクタで、二時すぎたが床に居る。今日彼女、クラースヌイ・コルプスにかえるなり。
五時近くまったがおやじ今日はレーニングラードから帰らぬことが分った。Y、「何だ! じゃあ土曜日に越しちまったのに。」
例えば、この宿の主人のように、いかにСССРになっても、やっぱり根性はプチな男がある。そして、又、しみじみ家庭生活というものが、人間の休安所であると同時に、人間精神チカン所、フハイ所だと感じる。СССРへ来てから、いろいろ感心することはあるが、成程これはよい家庭だ、二人の男女が本当に人類的な何ものかで結ばれ、生活の目標をそこにおいて生きて居ると思うような家庭を見たことはない。同じように方便、立身、何だかケチさ、そんなものがからみついて居る。
十一月二十日
(火曜)寂しがって水を出した。
自分、気になって、二度も来た。
十一月二十一日
(水曜)Y、頻りに食事その他満足せず、クッションを持って行った自分にくっついて
十一月二十二日
(木曜)十一月二十三日
(金曜)二時頃。
十一月二十四日
(土曜)夜、自分ヒステリーを起した。
十一月二十五日
(日曜)ノボデービチ
きのう買ったСССРクレプデシン〔フランスちりめん〕で電気のかさをつくったら大分おちついた。自分、ここにすめる確信あり。十一月二十六日
(月曜)なかなか面白い。がグルジンスカヤ・ダローガ〔グルジア軍用道路〕は惜しかった。もっとよいつれでゆっくり歩きたかった。
十一月二十七日
(火曜)雨宮川さんの家で牛鍋。夫婦とも勉強して居る。m氏酒のみでも本でちゃんとやって居る。本で、ここに性格的要点があって面白い。
〔欄外に〕
十時頃目をさまし、起き、時間をきき、又眠りかけたら、Она ещё спит?〔彼女はまだねているのか〕とYの声がし、自分大よろこびをした。
十時頃目をさまし、起き、時間をきき、又眠りかけたら、Она ещё спит?〔彼女はまだねているのか〕とYの声がし、自分大よろこびをした。
十一月二十八日
(水曜)雨朝出かけて挨拶をし、花やで見送るときもってゆく花をさがしたがない。キャンデーを買う。
五時頃つかれて家へかえり、обед をして休みステーションへゆく。
何だかつまらなそうな様子で立って行った。
かえる。クラースヌイ・コルプスへ。それから「十月」をすっかりよみ終る。成程。当時としてはよかったと云えようが特に大したものではない。見聞記の書きなおしのようなもの、所謂作者の лицо〔特徴〕よわし。
〔欄外に〕
改造からやっと金が来た。今日ストラスナーヤ〔広場名〕の泥濘を歩きながら、さて、始まったかなと思ったが、
改造からやっと金が来た。今日ストラスナーヤ〔広場名〕の泥濘を歩きながら、さて、始まったかなと思ったが、
十一月二十九日
(木曜)雪この水たまりを同じバシャバシャ歩くのでも、主人公のモンゴリア人は真直、むきに歩く。それとの上手な比較。(こまかい)
モンゴリアの乾いた感じを出すのに一寸成功しない。もっと乾いて乾いて居たらよい。
これを見て思う、エイゼンシュテインの方が頭がよい。人間の
十一月三十日
(金曜)晴六時、女のドクトルのところへ部屋を見に行く。この女には閉口だ。概して女のドクトルは何故一種のいやさを持つか。K・Kの家の細君が恋しくなった。自信ない女ドクトルの方が愛らしい。
八時すぎ家へかえる。こっちで бус〔バス〕をおりたら道は凍っている。市中では泥濘であったが。
コーカサスの部終り。ヴォルガのところを見始める。面白し。日本の旅行には見出されぬ複雑な興味があって、地図を見、うなった。
〔欄外に〕
コルシュ[#劇場名]の手前のパルトニハ〔女裁縫師〕の家、階段の女がキューピットと遊んで居る鋳銅の首やなんかみんなとれて、四階のが一つだけのこって居る。
○戸にはり出した名簿誰には一つ、誰には三つベルの数が書いてある。
○階段に女の不しまつしたものが落ちて居る。
○寺の境内、彼方に昔僧が引こもったものらしい小舎が十近く並んで居る。
コルシュ[#劇場名]の手前のパルトニハ〔女裁縫師〕の家、階段の女がキューピットと遊んで居る鋳銅の首やなんかみんなとれて、四階のが一つだけのこって居る。
○戸にはり出した名簿誰には一つ、誰には三つベルの数が書いてある。
○階段に女の不しまつしたものが落ちて居る。
○寺の境内、彼方に昔僧が引こもったものらしい小舎が十近く並んで居る。
十二月一日
(土曜)〔欄外に〕
今日は本当に雪が居坐ったと見えて、白い、公園のところは美しい、美しい。モスク
が新粧をこらした、そんなに新鮮なのだ。
旅行記の下拵えを終る。すっかり終る。
月曜から始める。
今日は本当に雪が居坐ったと見えて、白い、公園のところは美しい、美しい。モスク

旅行記の下拵えを終る。すっかり終る。
月曜から始める。
十二月二日
(日曜)
小柳さんのところへかえって、夕飯、後、マジャーンを教わる。この前アミノさんとしたときは一向要領を得なかったが、今度は判ったし、又飽きぬ理由判明して愉快。ポーカーに似て居る。十二時にかえる。Yのところへ泊る。
十二月三日
(月曜)少々工合わるし。休む。起き、エキスペリメンタルへ鴎を見に出かける。小柳夫妻同行、一幕二人のために見落した。
生ける屍のフェージャをしたクズネツォフ息子トレプレフを演じた。女優、大して上手くない。例によって、殆どザスルジュンヌイ〔功労芸術家〕で埋って居るのだが。マーシャをやった女は、マーシャの人生に対して憤りを持った心を外面に現して、一種コンミュニストカ[#共産主義者(女)]のような印象を与えた。息子、母、その他うんと大勢の登場人物の性格描写がまだ弱くてチェホフのものでも傑作とは思われぬ。この鴎の中から、然し、三人姉妹、桜の園が生成し(このチャイカ〔「かもめ」〕のうちに、皆タイプとテーマの断片がある)たという点明らかに分って面白い。
〔欄外に〕
○チャイカはチェホフの人生に対する態度の一面を深く現して居る。||人生の齟齬ということを。愛する者は他の者を愛す。(この戯曲は恋愛に於ていたちごっこに齟齬して居る)人生に対するイリュージョンは破れる。チャイカで齟齬の深きプンクト〔点〕を捕えたチェホフは、三人姉妹、桜の園で同じプンクトを戯曲の中心にはしながら、新しい生活、甦る生活力を見出して居る。チャイカでは、齟齬しつつ人生は流れる||被動的な結果で、生活者の意志はまだ表に出るまで生育して居ない。
○チャイカはチェホフの人生に対する態度の一面を深く現して居る。||人生の齟齬ということを。愛する者は他の者を愛す。(この戯曲は恋愛に於ていたちごっこに齟齬して居る)人生に対するイリュージョンは破れる。チャイカで齟齬の深きプンクト〔点〕を捕えたチェホフは、三人姉妹、桜の園で同じプンクトを戯曲の中心にはしながら、新しい生活、甦る生活力を見出して居る。チャイカでは、齟齬しつつ人生は流れる||被動的な結果で、生活者の意志はまだ表に出るまで生育して居ない。
十二月四日
(火曜)*自分の生活に深き齟齬を与えられたとき、人はどうするか、この齟齬に満ちた人生に於ける真実というものを発見しずには生きられぬ。ソゴに満ちつつ実在する人生の根強い力、どこに真実はあるか。
・齟齬に満ちつつ、屡

・人間が人間に及ぼす力は「尤な理屈」ではない。故に「尤なこと」ばかり話し合うような友しか持たぬ奴は、つまり自分と自分の理性とでしか生きて居ぬと同じだ。一人と同じに貧弱だ。透明でわかりきった「尤な」硝子のなかに宝石はない。
〔欄外に〕
*例えば英男が自分のうちに生きて居る力は彼のまだ若冠なる尤もさではない。尤さに対した彼の云うに云えぬ純情さにある。或は彼のただ青年らしき笑いのうちにあった。
*或ものが実在するということは巨大なる安心だ。=そのものの価値を認めないまでに人は安心する。
夜は、Yのところへ泊った。
*例えば英男が自分のうちに生きて居る力は彼のまだ若冠なる尤もさではない。尤さに対した彼の云うに云えぬ純情さにある。或は彼のただ青年らしき笑いのうちにあった。
*或ものが実在するということは巨大なる安心だ。=そのものの価値を認めないまでに人は安心する。
夜は、Yのところへ泊った。
十二月六日
(木曜)これ等を見て感ず。メイエルホリドがこのような喜劇に於て、どのように心理描写を整理して居るかということ。||所謂写実からどのようにどの傾向に於て遠いかという点||演出上||これは注意すべき点だ。例えば、リチ・キタイの子供をつれた母=良人をホバクされた=これの訴えかた、日本の人情を飛躍したところ。
〔欄外に〕
○ゴーレ・オトゥ・ウマー〔「智慧の悲しみ」〕はこのテクニックの点おとる||音楽過剰だ。
○メイエルホリドのラヴシーン、デーエーの、レビゾールの、森の。レビゾールのオーケストラ。
○「森」の全体のペトルシュカ〔人形芝居〕的感じとガルモシュカ〔アコーディオン〕との非常によき調和、(リアリスティックな娘、商人の息子、非リアリスティックな傍系人物、黄色い鬘||トランドットとの比較)
○D・E・のジャズ D・E・のアメリカ女の着付、紺と赤の市松を裏表にうまくはぎあわせたもの。
Yのため、透明な心持よいオレンジ色の石の灰皿 1600 見つけて買った。
○ゴーレ・オトゥ・ウマー〔「智慧の悲しみ」〕はこのテクニックの点おとる||音楽過剰だ。
○メイエルホリドのラヴシーン、デーエーの、レビゾールの、森の。レビゾールのオーケストラ。
○「森」の全体のペトルシュカ〔人形芝居〕的感じとガルモシュカ〔アコーディオン〕との非常によき調和、(リアリスティックな娘、商人の息子、非リアリスティックな傍系人物、黄色い鬘||トランドットとの比較)
○D・E・のジャズ D・E・のアメリカ女の着付、紺と赤の市松を裏表にうまくはぎあわせたもの。
Yのため、透明な心持よいオレンジ色の石の灰皿 1600 見つけて買った。
十二月七日
(金曜)
〔欄外に〕
ひどい人で、九時十五分のに見られず、十時四十五分とかで十一時でかえったら一時、Yのところへ泊る。サラマンドラ、まるで宣伝映画だ。それはよいとして、その宣伝の手法が下手でいやに幼稚で、おまけにルナチャルスキーが茶気を出して、現れる。これですべてぶちこわしなり。
唯一の俳優、危険な年齢で良人の役を演じ、カラマゾフでイ
ンを演じた俳優ゲッケだけでもって居る。どうやら。
ひどい人で、九時十五分のに見られず、十時四十五分とかで十一時でかえったら一時、Yのところへ泊る。サラマンドラ、まるで宣伝映画だ。それはよいとして、その宣伝の手法が下手でいやに幼稚で、おまけにルナチャルスキーが茶気を出して、現れる。これですべてぶちこわしなり。
唯一の俳優、危険な年齢で良人の役を演じ、カラマゾフでイ

十二月八日
(土曜)自分かえる。胡瓜の小ちゃいの買ってかえる。クラースヌイ・コルプスは、住人、胡瓜の大小に頓着しては居ないのだ。太った太った大婆のようなのがあるだけだ。芝居の歴史をよみ、ソブレメンヌイ・ツェアトル〔現代演劇〕をよみ、大分勉強した。知らなかった芝居がある。見たい。
十二月九日
(日曜)そのことを深く感じ困った。困った。||何としても困る。明日Yに話し、何と処置するか、なまじっか絹のスリップなんぞあるからこんなことになるのだ。一生覚えているとよい。在るほどキタナイ。比較の話だ。あに金持のみならんや!
十二月十日
(月曜)一時、パルトニハのところへ行く。外套をおき、モストルグへ出かく。クリスマス前の買物の為、ひどいひどい人でお話にならず。ロシアのこの群集は、金と物資が多くて生じる群集ではない。反対に、金と品物とが欠乏して居る為に生じる。クスタリヌイの時計をさがしたがない。обед Yのところ。それからかえりかけたが、午後六時前で、すぐ家へかえる気がせず。芝居広場へ行って第二芸術座の切符を買った。二人の分のサルフィトカ〔ナプキン〕と。クリスマスの飾を見ると歳末を感じる。が実感なし。自分には続いて居る。
〔欄外に〕
スリップのこと。Yに話したら、Yも閉口した。обед をすまして直ぐソコリスキーへ出かけたが、幸アントーシャにはまだ話してなかった由。大悦び、大悦び、失言チンに三留やって来た由。随分きまりのわるかったろうのに行ったところ、又Yらしく、まあよかった。
スリップのこと。Yに話したら、Yも閉口した。обед をすまして直ぐソコリスキーへ出かけたが、幸アントーシャにはまだ話してなかった由。大悦び、大悦び、失言チンに三留やって来た由。随分きまりのわるかったろうのに行ったところ、又Yらしく、まあよかった。
十二月十一日
(火曜)芝居のことまとめにかかった、この方が面白い。
十二月十三日
(木曜)期待して居たのだが、演出がただゼイタクで、おもちゃみたいで、クレプキー〔しっかりしている〕にあらず。皮肉を活かすだけ省略もしてないし、演出もわるい。喜劇だと思って笑わせようとして居るから駄目だ。
Yのところへ泊る。
十二月十四日
(金曜)それから小柳さんのところへ行って御飯たべてマージャンをおそわった。
小柳さん、もうウラジオストックへゆく由。
Yのところで泊る。
今度のところは狭いから(Yの)泊ってもちっともいい心持でなく、身がつまるようだ。
十二月十五日
(土曜)ここの俳優がミチキン・ツァーリストヴォをやって下手なわけ判った。真直家へかえった。フールのつかい方、下手だ。トルストイの原作よりおそらく俳優の解釈がわるいのだろうと思う。悲劇を深めなかった、効果において。
○俳優のカブキ的熟練。
十二月十六日
(日曜)Yのところで、Y、『文芸春秋』ばっかりよんで居る。日曜だ、いろいろくしゃくしゃして、自分不機嫌だ。
十二月十七日
(月曜)芸術が文化的労作である以上=労働である以上=労働に価するだけ勤勉で能率的でなければうそだ。
十二月十八日
(火曜)朝のうちの気温三時頃下降して、ひどい寒さだ。
オストージェンカでYがかえるまで一寸眠った。腰がいたい。八時頃かえって湯たんぷをした。
○作家として自分の生活はナイーブすぎたと思う。
○Yにふざけて明日は病気かも知れないとおどかした。然し独りでは病気してもつまらないから仕事したと思ったら可笑しくて独りで笑った。そしてねながらミカンをたべた。
〔欄外に〕
ミカンをたべる前、日本の精進あげの蓮、きんぴらごぼう、御飯たべたかった。
ミカンをたべる前、日本の精進あげの蓮、きんぴらごぼう、御飯たべたかった。
十二月十九日
(水曜)十二月二十二日
(土曜)カーメルヌイにバグローヴィ・オーストロフ[#戯曲「赤藍色の島」]を見る。これはよい劇だし演出も上手で愉快であった。なかなか面白い。この位面白い新作は沢山はあるまい。未来派的コムポジション、イリュージョン、楽天的テンポ、チルク。メイエルホリドにそうきまりわるがらないですむ芝居だ。この作者ブルガーコフなかなか現代СССРの主な劇作家だ。Дни トルビーニフ〔「トゥルビン家のありし日」〕、ゾイキンの住居、この赤藍色の島、等。
〔欄外に〕
原色をつかった背景、そこへさす赤い光線、紫、赤、三角のつながり。噴火山のグルグル廻る紙細工の愉快な表現。
原色をつかった背景、そこへさす赤い光線、紫、赤、三角のつながり。噴火山のグルグル廻る紙細工の愉快な表現。
十二月二十三日
(日曜)そこ、ユダヤ人、白髪を派手に結んだ妻、たった二部屋、興業口入業。
||夫はジュルナリスト〔ジャーナリスト〕です劇関係の、
兎に角不健康的だめ。酒匂さんのところへ七時から一時半まで。遊ぶ。
十二月二十四日
(月曜)七枚ずつ。あと二組はのこして置く。
十二月二十五日
(火曜)||何だ、そんななりしてるの、仕事か、
||よく来た よく来た
||仕事おし、ねむくって仕様がないから本よんでねるから。
Y、divan〔長椅子〕にころがった。眠る。目をさましてから雀ヶ岡へ行こうと思って来たのにと云い出しキゲンわるし。又自分も今日は仕事うまく行かずこじれて居たから、くいちがう。結局二人で
広岡さんのところでのクリスマス。自分一杯のブドー酒で悪酔した。油橋さんコニャックを四五杯のんでやっぱり引こんでしまった。いろいろ酒匂評が出た。人の心理||我ことになると冷静で居られない、特に夫婦関係にかかわると。
〔欄外に〕
Yのところへ泊る。日本へかえってからの生活法をいろいろ考える。かえってからの落付きようで、これからの生活がすっかり決ってしまうから大切だ。部屋がりをして、内をたっぷり暮したい。
クリスマスという心持が大してしない。Yのところ部屋が小さい。自分のところには物もない。至って dry な祭日だ。
Yのところへ泊る。日本へかえってからの生活法をいろいろ考える。かえってからの落付きようで、これからの生活がすっかり決ってしまうから大切だ。部屋がりをして、内をたっぷり暮したい。
クリスマスという心持が大してしない。Yのところ部屋が小さい。自分のところには物もない。至って dry な祭日だ。
十二月二十六日
(水曜)○今日はもう休日ではなかろうと思ったら、今日もつづきで、本や一つも開いて居ず。オペラの切符買おうとしたが駄目、光子も留守、ひどい吹雪の中を歩いて、かえった。きのうより今日の方が祭日らしい。大勢人が歩いて居る。十二時一寸前家へかえった。МХАТについてディテールがわかった。うれしい。書きなおそうとたのしみにしたが眠れず。
十二月二十七日
(木曜)食後、明後日の切符を買いに出かく。アペルシン〔みかん類〕を買う。九時すぎ部屋にかえる。眠気さして体が軟い軟い。
芝居のこと、やっぱりただ目で見ただけでは駄目だ。少しはリテラチューア〔文献〕がいる。たとえばワフタンゴフのこともきのうもって来たパンフレットで少しよくわかって、トランドットに同情をもった。
モスクワにて
二月五日
(日曜)
ココ[#「ココ」は手描きの切符の下部の線に結ばれている]にも皆数字が伏せてあって、紙をはがすと下から上図のような数字が出て、出た丈払う。若しかしたら、然し切符が二枚当るかもしれず、一人当りの額は小さい。一寸面白く、ただ箱を廻すよりよし。
○食堂に居る若い男に切符は当ったそうだ。
〔一九二九年のノートに〕
午前四時すぎ、カルタをして帰る。
○もう消えて居る街燈
○角に馬車が居る、御者いねむりをして居る。
○黒外套に黒プラトーク[#スカーフ]の女が三四人居る。
||何をして居るんでしょう。
||七時から開くバターを買いに来て居るんだろう。
○三日ばかり前、急に雪が降った。浅いその雪が凍って、ヴル

○五時すぎの月、緑、赤、紫、黄の円光が月のまわりにかかって居る。土曜日の寺の鐘の音が、その月の輪に入ってふるえた。
○七時頃、月は中天に高い冬の月。
○電車停留場で十五分電車が故障した。
○Р・К・К・フロート[#労農赤色海軍]の水兵が外套の背中に二筋のリボンを下げて
||二十四番はここへ止りますかね
顎骨のはった耳の高くついた顔に地方からの風がのこって居る。
||何番?
片手ない爺、だらりと古外套を着て、右手に火のついて居る煙草とヴォクルーグ・スウェータ〔『世界をめぐって』〕をもって居る。
||二十四番、あっちへ行くんだが
||じゃ、そっちだ、今十八番の止ってるところ、
○鳥打帽をかぶって白まがいアストラハンの外套を着たコムソモールか、新聞包みをかかえて、カタカタ足ぶみをして、自分の手の爪をじっと見て、彼方へ行った。かえったときは、何か口に入れてむにゃむにゃかんで居る。
○電車が来た。人なだれ。
||さあさあ、
車掌
||冗談しないで車内へ入って下さい
||冗談してやしないよ、婆さんとふざけられるか
○停留場のガラスばりの内。
ベンチに黒いタムをかぶって、この頃流行の横線入り靴下をはいた女、両脚をそろえ、エナミルのアングリースキー靴を眺めて居る。
やがて男が来た。青い技師帽。
Grand Hotel の方へ行った。
○元ムラーマルヌイ〔大理石づくり〕であったグランド・ホテルの入口。
○電車を降りたところに、新聞雑誌のラフカと煙草屋などが並んで居る。板壁の彼方は林であった。白樺の林。
○青いタイルでファサード〔正面〕を張った家。
窓から覆いのない電球だけ下って居る白い室の壁が見えた。
○二階だが、下は半地下室の小さい家。
○新しい木の柵、空地、奥の新しいコーペラチーブ[#協同組合住宅]。