一月一日
日一月三日
火一月四日
水夜T来る。
一月五日
木基本的人権擁護について。
一月六日
金宮、きのう、きょう、『前衛』の論文をちぢめる仕事。
一月七日
土一月八日
日一月十八日
水一月十九日
木一月二十日
金一月二十一日
土一般報告は、いろいろ疑問をもたれる、所感に対する態度および、文化問題の部分。しかし、関東はやっきになって、本質的討論をさせない。
一月二十二日
日一月二十三日
月政治局決定で宮九州にきまる、人事一任、わきからの報告では何もしないこと、など、を条件とする。
一月二十四日
火一月二十五日
水一月二十六日
木宮のふとんが九州でいる、木綿の地を見る、それとうら。云いつける。
宮の夜着を母のおふるの大島でつくる。裏地をはかっていたら平田氏来る。小説十五日までにのびる。たちまちがいをして、ミシンではいで貰う。
夜、哲学者夫人同伴、美代子の良人。あとからつる。台所でやっていたらY子のところへ電報ハハキトク、スクカヘレ。十時ので立たす、汽車賃 500、見マイ 2000、何だかほんとという心もちがしない。かえって来なくてもいい。彼女のつめたさ。
編輯会議、久保田、岡本、間宮、徳永、あと欠席。間宮、大日本が新日本をことわって来た。アカツキにまわすという、自分反対。徳永反対。またもう一遍押すことにきまる、もしだめというならば、自分がゆこうと思う。五月号のプラン決定。間宮のやりかたのヒートロスチ〔狡猾さ〕よくわかった。
きょう宮、はじめて朝食堂へ下りた、床をしいて。しかしまだ食ヨクなし、やっと仕事にとりつける。大森寿恵子手つだいに泊る、そして、年よりの女、下働きに来ることにきまる。宮十日に出発は無理だ。(以上、二月の分を間違う)
二月四日
土二月五日
日文学サークル協ギ会のことについて岡本潤、青山が指導していると云うと「フーム、そういうことがあるならいい、この間の話は放っておけないね」青山に関東地方の
大日本がダメということ。
二月七日
火朝ふと目がさめたら、となりで人の声がする岡田文吉の声“十三日の芸術家会議には書記長と野坂が出ると云ってる”“紺野がつるし上げられたそうだ”
二月八日
水政治局で、まだ青山の論文をまわしよみしている由。
二月十五日
水『婦人公論』未亡人の手記の選者座談会、もちろん欠席。
やっと『前衛』の論文出るにきまる、“これを出すのは君のためにならない”と云った由。
二月十六日
木二月十七日
金二月十八日
土仕事、もうすこしで終るが、伸子のボーッとしたところがうまく描き出されない。吉田をめぐる文士のおたいこ言葉(ニュアンス)天皇、宮様、首相、それぞれ段があって、うまいものだ、そして小説は益

二月十九日
日税が八十万で、四十万ぐらい払うことになりそうだ。うちにそんな金はない。宮の出発木曜日にきまる。Yちゃんの帰りのびる。アジアの地図を眺める、そして、九州はこんなに近いのに、と思う。わたしが、一つ太陽の下、どこにいても、と思うのが自然にならなければならないのが、しみじみわかる。1950 年の一月は、わたしたち夫婦の一生に一つの大きいマイル・ストーンとなった。
二月二十二日
水二月二十三日
木三月六日
月三月七日
火三月九日
木三月十日
金三月十一日
土アサから奥さん来。判断にやっぱりちがうところがある。
宮から帰りをしらせる電報。
三月十二日
日m夫婦。わたしの生活にない女、男、一家。現実の一つの面。風俗小説の生れ出る原因。分析のできない人のごたごた、とりみだし、それで風俗小説にならざるを得ない。
三月十三日
月仕事
三月十四日
火三月二十日
月四月三日
月四月八日
土第十八拡中以後の言論抑圧と討論の禁止、研究会禁止、はなはだしかった。
四月十日
月四月十一日
火四月二十日
木四月二十一日
金四月二十六日
水四月二十八日
金四月二十九日
土四月三十日
日○宮、全体の動き、自分のたたかいぶりについて、深く考えている、いくらかボッとして見えるほど。
五月一日
月夜の部屋の様子。ねると、体の向いた方へ、胸の中の悲しさがかたよる、あの感じ。
五月二日
火五月三日
水五月四日
木五月六日
土世界評論がつぶれた。青木来、彼の生活についての話もきいて、おどろいた。「十二年の手紙」かえしてもらうことにする。
宮の秘密主義は(私に対する)甚しすぎる。それで、わたしは小説もどうやら書けているのだけれども。
五月七日
日五月八日
月五月九日
火仕事やっと着手。
五月十日
水五月十一日
木五月十二日
金六月一日
木新日本文学会カンカン。
六月三日
土青木、(クラ)早くかえった。
六月四日
日六月五日
月『新日本文学』の原稿、『十二年の手紙』の“はしがき”ちくまもこちらもいそぐ。
きょうの新聞、吉田、非合法化を考慮と声明。団体キセイ令でやるらしい。宮、八日ごろかえる由、東京にいるようになるかもしれぬ由。
六月六日
火六月八日
木七月三日
月徳田ら、キヌ川温泉で会議した由。
七月四日
火七月五日
水m在宅。
七月七日
金七月十二日
水夕立模様
七月十三日
木夕立模様。
十二月八日
金十二月二十七日
水十二月二十八日
木 宮九州行きのためにつくった夜具木綿しき二枚、木綿かけ一枚、めいせんかけ一枚(きれこちら綿だけ)夜着(裏、わた買)総二〇、八五〇円也、びっくり敗亡。
一月七日 出席、統制委員会で、元旦のことについて。明日、統制委員会と政治局合同会議をやるときめる、そのとき、統制委員会としての意見をまとめて答えなかった。ワンと云われてそのままもつことにした。それについて宮自分でいや。
一月八日 野坂に対する「コミンフォルムの批判」各紙に出る、「徳田との勢力争いにピリオド。徳田はストライキやその他の事件に責任あるとみとめられている者だ」というのが、連合国の意見の由。いろいろ微妙重大である。
一月十八日、十九日、二十日 中委
二月┐ 宮九州
三月├ この間二十日ばかり宮九州に行っていたうちにいわゆる「分派」
四月┘ 二十八、二十九、三十、拡中二十九日で「分派」問題をまとめただけで「重大声明」でビュロクラティズム封サ。
五月四日 宮九州。
五月中旬以降アカハタの編輯(!)
六月四日 参議院センキョ。
六月五日 吉田の非合法化声明、オーストラリアの反 K. P. 法をまねする由、まず団体キセイ令をつかうらしい。(五月三〇日の人民ひろばの人民大会でプロボケーション八名つかまり軍事サイバン最高十年GHQで再ケントーして決定の由)
五日 СССР代表43名一どきに交たいした ワシントン「当惑の一語」のよし
六月三日 トルーマン、このさき五年は戦争ナシ、と。
六月六日 党中央委員政治局員公職追放発表
同 八日 宮、九州からかえる、アカハタ編輯部員追放、そのリストの中にはアカハタに関係のない人まで加っている、情報の性質がわかる。日本へ来るとすぐ行っていた。
六月二十七日まで、パージユーヨ期間。
六月二十五日 北鮮軍が38°線を越して南下(二十三日に南から入っている)
六月二十七日号の『指針』、N執筆。めちゃめちゃ。逆効果
六月二十七日 期限だが、徳田その他居所不明。
七月七、八、九日 北京日報の日本の現状放送。
北鮮軍は共産軍とよばれはじめて、ますます南下
七月十五日ごろ、いろいろ
花火があっちこっちであがっている、新聞に納涼踊の写真。徳田その他へタイホ状が出ることにきまった。
七月二十日「潜行

○七月二十五日『活動指針』九州地方委員会の「宮本、志賀、春日庄次郎の政治的責任を追究する」という文章をのせ、宮本は「分派の精神的支柱から今や分派そのものになった」由。
○中国地方委員会決定として、多数派分派の策動をバクロし、党の統一のために中央委員会の確立を要求している。
東京都委、区委。各地区細胞に宮本、志賀除名決定をおしつけて、賛成しない党員は除名、それを反対した細胞は解散とおどしつけている、中央区では決定した。
×本部細胞で、下からの決定を出させることに成功したから普及する。自己批判せよ、自己批判とは、特高的自白要求。意見はうけつけない。
七月二十八日 夕立、おいてある氷から湯気の立つのが見えている、せみの声、青桐の葉をうつ雨。「そんなところへ行くなんて! 何のしかけがあるかわからない」
スエ子が傘をとりに行った七階の気味わるさ、
「軍隊と物資とは依然としてケイゾク的に日本から送られつつある」
「空軍は、九百五十三回出撃した」
各国の軍隊の統一的指揮をするためにマック国際連合軍総司令官一両日中「国際連合軍の旗の下に行動することができるようになるわけです」
あつい日、きょうから氷をおきはじめる。
宮、出かける前のガタガタさわぎ。一息入れて仕事しようとしてお茶の湯をわかして食堂のガスの前にいる。健、食堂で、
「おまわりさん、敵のヅンツっていうよ、『敵のヅンツを攻撃して』って」
「健ちゃん、このごろおまわりさんよくあそんでくれる」
「ウン」
「そして宮本のおじちゃん何しているってきくね、この間九州へ行っていたとき九州へ行っているんですかってきいたね」
「ウン」
◎本日中に徳田居どころをはっきりしなければタイホ命令。
◎昨日文連と『新文化』ガサ、封印、責任者鈴木ケンキョ
○何をなすべきかについて考えた、そしてわかったところあり、科学的自己批判とその発展。
「世界の子供」の運命について考える、アメリカに smash hit Toy $250 が出て模型住宅をこわす。
北朝鮮軍南下
米軍包囲された。靴は泥沼にくわれる。
韓国宛電報とり扱停止
国内朝鮮五十余万人平静○吉川トク審長
国外に脱出したものがあるかどうかは不明である。
刑事部長会議
金ユーキカン
通信鉄道妨害行為とりしまり
○「積極的意義」を、ブルジョア革命の時期として理解しようとするもの多数であるという話。過去のあやまった党の反封建主義がしんとうしている。哲学でさえも。当面の課題を回避しようとする人々の理論づけ。
○金をつくる人が一家の中で一つのかたまりの中でえばるという現象のブルジョア性について。
○党内闘争にだけ目をとられて、日本の解放運動全般についての着目を失っている人々の「動き」
二月二十三日
木曜四月七日
金曜全世界に平和声明
四月八日
土曜四月二十八日
金曜五月一日
月曜五月三日
水曜これをのせて、ボルシェビキ的〔二、三字分空白〕の中から官僚主義批判をのぞく。
五月六日
土曜七月六日
木曜戦車が四十台が七月五日の朝早く
損失を蒙らせた
三七度線南西へ進出、
プラーグのジャーナリスト連盟、
mアカハタ発禁を基本人権蹂リンという、
七月七日
金曜ストラスナーヤーの発 100 回以上
十日間の「総合戦果」22米キおちた
北天安に出た、
33.5°
七月八日
土曜午後一時リン時ニュース
マック、吉田に国家地方ケイサツ七万五千のどこへでも動かせる政府直属よび隊、海上保安隊八千増強要請、勝手に「政令」でできる。
○きょうは34°ぐらいになるそうですよ
34°て何度、マア九十五度よ
七月九日
日曜天安でぶつかって、アメリカ精鋭部隊が動いている、トルーマンは、朝鮮が永びくもの、というきっかけで徴兵法
○マックアーサーが連合軍指揮に当っているから日本人が朝鮮の戦
七月二十六日
水曜七月二十八日
金曜八月一日
火曜八月二十九日
火曜八月三十日
水曜岩崎に『平和をわれらに』原稿わたす。
八月三十一日
木曜九月一日
金曜二百十日平穏
板垣正(26)転向声明を発表、自由労働者の生活をしていた。もつものに非ず
郵逓、農村三千人の赤パージ(予定)
区委員会から新日本文学について詰問。
九月三日
日曜のこちゃん来訪
九月四日
月曜何年ぶりかで本棚を整理する
九月九日
土曜九月十四日
木曜のぞいていいじいさんの面でもなし
九月十六日
土曜九月十七日
日曜アサかけこみ びっくり敗亡
九月十八日
月曜○魚やのつけをもって御用きき
二階へ
九月二十一日
木曜九月二十四日
日曜すっかり仕事がすんで、本当に休めるときはなんとたのしいでしょう。
九月二十五日
月曜ホーラ、アサ! こういうときはお前がいいんだ、一度ごとのホメことば。夜十時、虫の声、アナトール・フランスの「赤い百合」、テレーズは優美かもしれないが下らない。アナトールの婦人カン
九月二十六日
火曜ガノ公と話していたら目の前にドラやきがあるのにそれどころでなし
夜痛んで首をふりふりひとり治療
九月二十七日
水曜五郎やん、
夜、床が体をはじき出すように苦しく、おきたりねたりかがんだりさまざま
九月二十八日
木曜大しかられ。一言もなし、落雷ひとまわりして。
84°あった。キヨ子さん体温はかった由、あつくて変だ、と。
十月一日
日曜岩崎、原稿のこと。
十月二日
月曜十月三日
火曜男ものの単帯、角帯は似合う
夕飯急にたか子たち来て、九時に立つ、べん当もつくれず。
一日のうちのことと思えず
十月四日
水曜十月五日
木曜Yちゃん帰る。実に重荷がおりた。
十月六日
金曜文秋、田川
それで伴からのぞく、細面の男というのの見当がついた。旧特高全部イキている。十月七日
土曜午後四時ごろ号外のベルの音。何だろうかと思いつつ仕事。