バヌヴィルの
あらまし葉をふるいつくした森は、浴室のようにじめじめしていた。一たび森へ足を踏みいれて、雨のつぶてに打たれた大木のしたにいると、
晩餐をすますと、彼らは、広間に集って、たいして興もなげにロト遊びをしていた。

この遊びももう止めにしようとしていた時である、先刻から、未婚の女でとおして来た年老いた伯母の手を弄ぶともなく弄んでいた一人の若い女が、金色の
彼女はそこでその指環を静かに指のまわりに

「ねえ伯母さま。何でございますの、この指環は||。子供の髪の毛のようでございますわね」
老嬢は面をあかく染めた。と思うとその顔はさッと蒼ざめた。それから
「これはねエ、とてもお話しする気になどなれないほど、悲しい、悲しいことなんですの。私の一生の不幸もみんなこれがもとなんです。私がまだごく若かった頃のことで、そのことを想うと、いまだに胸が一ぱいになって、考えるたびに私は泣きだしてしまうのです」
居合わせた人たちはすぐにもその話を聴きたがった。けれども伯母はその話はしたくないと云った。が、
「私がサンテーズ家のことをお話しするのを、もう何遍となくお聞きになったことがあるでしょう。あの家も今は絶えてしまいました。私はその一家の最後の三人の男を知っておりました。三人が三人、同じような死に方をいたしました。この
まったく、一風変った人たちでした。云わば
ここにこういう形見を残していった人の
「まあ、そんなになるまでには、さぞかし、そのかたは辛い思いをなさったことでしょうねエ!」
ただそれだけのことでした。愛情の悲劇にたいしては、彼女たちは、ただ同情するだけで、そうした人たちが
ところがある秋のことでした。狩猟に招かれて来ていたド・グラデルという若い男が、その娘をつれて逃げてしまいました。
ド・サンテーズさんは、何事もなかったように平然とした容子をしておりました。ところが、ある朝、何匹もの犬にとり囲まれて、その犬小舎で首を吊って死んでいたのです。
その息子さんも、一千八百四十一年になさった旅の途次、オペラ座の歌姫にだまされたあげく、
その人は十二になる男の子と、私の母の妹である女を寡婦として残して逝かれました。良人に先立たれた叔母は、その子供を連れて、ペルティヨンの領地にあった私の父の家へ来て暮しておりました。私はその頃十七でした。
この少年サンテーズが、どんなに驚くべき早熟の子であったか、到底それは御想像もつきますまい。愛情というもののありと

月のあかるい晩などには、夕食がすむと、彼はよく私に向ってこう云いました。
「
私たちは庭へ出ました。林のなかの空地の前まで来ると、あたりには白い
「あれを御覧なさい。あれを||。でも、
私は笑って、この子に接吻をしてやりました。この子は死ぬほど私に思い焦がれていたのです。
また、その子はよく、夕食のあとで、私の母のそばへ行って、その膝のうえに乗って、こんなことを云うのでした。
「ねえ、伯母さま、恋のお話をして下さいな」
すると私の母は、たわむれに、昔から語り伝えられて来た、一家のさまざまな話、先祖たちの火花を散らすような恋愛事件をのこらず語って聞かせるのでした。なぜかと云いますと、世間ではその話を、それには本当のもあれば根も葉もない嘘のもありましたが、いろいろ話していたからでした。あの一家の者は皆な、そうした評判のために身をほろぼしてしまったのです。彼らは激情にかられて初めはそう云うことをするのでしたが、やがては、自分たちの家の評判を恥かしめないことをかえって誇りとしていたのです。
その少年はこうした艶ッぽい話や怖しい話を聞くと夢中になってしまいました。そして時折り手をたたいたりして、こんなことを幾度も云うのでした。
「僕にだって出来ますよ。その人たちの誰にも負けずに、僕にだって恋をすることが出来ますよ」
そうしてその子は私に云い寄りました。ごく内気に、優しく優しく云い寄ったのでした。それが余り滑稽だったので、皆な笑ってしまいました。それからと云うもの、私は毎朝その子が摘んだ花を貰いました。また、毎晩、その子は部屋へあがって行く前に私の手に接吻して、こう囁くのでした。
「僕はあなたを愛しています!」
私が悪かったのです、ほんとうに私が悪かったのです。いまだに私はそれについては始終後悔の涙にくれるのです。私は生涯その罪の
かれこれ一年の間、こういうことが続きました。ある晩のことでした、少年は庭で出し抜けに私の膝のうえに倒れかかって来て、狂気のような熱情をこめて、私の着物のすそ接吻をしながら、こう云うのです。
「僕はあなたを愛しています。恋しています。あなたを死ぬほど恋しています。もし僕をだましでもしたら、いいですか、僕を棄ててほかの男とそういうことになるようなことでもあったら、僕はお父さんのしようなことをやりますよ||」
そして、少年はまた、私が思わずぞッとしたほど深刻な声で、こうつけ足して云うのでした。
「ご存じでしょうね、お父さんがどんなことをしたか」
私がおどおどしていると、少年はやがて
私は口ごもりながら云ったのです。
「帰りましょう。さ、帰りましょう!」
すると少年はもうなんいも云わずに、私のあとについて来ました。が、私たちが入口の段々をあがろうとすると、私を呼びとめて、
「よござんすか、僕を棄てたら、自殺をしますよ」
私も、その時になって、冗談がちと過ぎていたことにようやく気がつきましたので、それからは少し慎しむようにしました。ある日、少年はそのことで私を責めましたので、私はこう答えたのです。
「あなたはもう冗談を云うには大きすぎるし、そうかと云って真面目な恋をするには、まだ年がわか過ぎてよ。あたし、待っているわ」
私はそれでけりがついたものとばッかり思っていたのです。
秋になるとその少年は寄宿舎に入れられました。翌年の夏にその少年が帰って来た時には、私はほかの男と婚約をしておりました。その子はすぐにそれを覚って、一週間ばかりと云うもの、何かじッと思い沈んでおりましたので、私もそのことをだいぶ気にかけていたのです。
九日目の朝のことでした、私が起きますと、扉の下から差込んだ一枚の紙片があるのが目にとまりました。拾いあげて、開いて読みますと、こう書いてあるのです。
あなたは僕をお棄てになりましたね。僕がいつぞや申し上げたことは、覚えておいででしょう。あなたは僕に死ねとお命じになったのです。あなた以外の者に自分のああしたすがたを見つけられたくありませんので、去年、僕があなたを恋していると申し上げた、庭のあの場所まで来て、うえを見て下さい。
私は気でも狂うかと思いました。取るものも取り敢えず、あわてて着物を
私はそれからどうしたのか、もう覚えがありません。私はきゃッと叫んでから、おそらく気を失って倒れてしまったに違いありません。それから、館へ駈けて行ったのでしょう。気がついた時には、私は自分の寝室に身を横たえていたのです。私の枕もとには母がおりました。
私はそうした事がすべて、怖ろしい精神錯乱のうちに見た悪夢だったのだと思ったのです。そこで私は口ごもりながら云いました。
「あ、あ、あの子、ゴントランは?||」
けれども返事はありませんでした。夢ではなくて、やッぱり事実だったのです。
私はその少年の変り果てた姿をもう一度見ようとはしませんでした。ただ、その子の金色の頭髪のながい束を一つ貰ったのです。そ、それが||これなのです」
そう云って、老嬢は絶望的な身振りをして、わなわな顫える手を前にさし出した。
それから幾度も幾度も
「私は
彼女はそれから顔を胸のあたりまでうな垂れて、いつまでもいつまでも、淋しい
一同が部屋へ寝に引上げてしまうと、彼女の話でその静かな心を乱された、でッぷり肥った一人の猟人が、隣にいた男の耳に口を寄せて、
「せんちめんたるもあすこまで行くと不幸ですなあ!」