時
ある春の晴れた朝
所
花咲ける丘
人物
少年 (十三歳位)
少女 (十一二歳)
先生 (小学教師)
猟人 (若き遊猟家)
兎 (十二三歳少女扮装)
舞台は、桜の花など咲いた野外が好ましいが、室内で装置する場合には、緑色の布を額縁として
[#改ページ]
第一景
幕があくと、舞台裏から
さくら さくら
やよいの そらは
みわたす かぎり
かすみか くもか
少年少女が登場すると、舞台裏でもその唱歌を少し遅らせて、やよいの そらは
みわたす かぎり
かすみか くもか
少女「おや! 兄さん、誰 か山の向うでも歌っていてよ」
少年「うそだよ、きっと夏 ちゃんの空耳だろう」
少年歌いつづける。少女耳をすます。
においぞ いずる
いざや いざや
みに ゆかん
いざや いざや
みに ゆかん
少女「いいえ兄さん、よく聞いて御覧なさい······ほらね」
少年「ああ、ほんとだ、誰 だろう」
少女「ね、兄さんもっと何か言って御覧なさい」
さくら さくら
やよいの そらは
やよいの そらは
少年歌いながら首を傾 、舞台裏でも歌を真似 る。
少年「誰だ!」
山彦「誰だ!」
少女おどおどと少年に寄添う。
少年「真似をするのは誰だい」
山彦「真似をするのは誰だい」
少女「兄さん、あたし怖くなったわ」
少年「怖かあないよ。誰かきっと悪戯 をしているんだ」
少年勇敢に力みながら
少年「人の真似をするのは失敬だぞ!」
山彦「人の真似をするのは失敬だぞ!」
少女「大丈夫兄さん?」
少年「大丈夫だよ」山に向い「馬鹿 野郎」
山彦「馬鹿野郎」
少女「兄さん。向うの人きっと怒ったのよ」
少年「そうかなあ」
少年も怖気 づき、妹をかばう。
上手より吉野 先生登場。
上手より
少女「あら先生よ」
少年「あ、吉野先生、こんちは」
先生「今日は」
少年「先生、先生は先刻 、山の方で唱歌をお歌いになりましたか」
先生「いや、歌いませんぞ」
少年「でも、先生、ぼくたちが唱歌を歌っていたら向うの山でも唱歌を歌いましたよ」
先生「なるほど」
少女「それからねえ先生、あんまり真似 をするからお兄さんが誰 だって仰言 ると、向うでも誰だって言いましてよ」
先生「なるほどね」
少年「あれは山の婆 が歌ったんですか」
先生「ははは、それはね山のお婆 さんでも神様でもない。山彦 というものじゃ」
少年「山彦がものを言うんですか」
先生「そうじゃ、こちらの声が向うの山へ響くと、向うの山がそれを返してくるのじゃ、だからこちらの言う通りに向うでも答えるのだ」
少年「だから僕が馬鹿 野郎って言ったら向うでも馬鹿野郎って言いましたよ」
先生「そうだろう。だからこちらで何かやさしい事を言ってやれば、向うでもやさしい事を返してくるのじゃ」
少年「おもしろいなあ」
少女「兄さん、何かやさしい事を言って御覧なさい」
少年(山に向い)「こんちは、ごきげんはいかがですか」
山彦「こんちは、ごきげんはいかがですか」
少年少女顔を見合せて笑う。
少年少女「あなたは好 い方ですね」
山彦「あなたは好い方ですね」
先生「どうだね、山彦は正直だろう。どれ私は行こう、仲よく遊んでおいで」
少年「先生、さよなら」
少年少女「さようなら」
先生下手へ去る。
[#改ページ]第二景
舞台は前景のまま、少年は木の枝など振りて歩きまわる。
少女摘草などする。
この時舞台裏から
ころ ころ 小山の 小兎 は
なぜに ころ ころ お泣きだえ
お母さんがないか
実がないか
お母さんは そばに いなさるし
木の実は お山に あるけれど
九十九人の猟人 が
九十九谷をとりまいて
母子 もろとも打つわいな。
なぜに ころ ころ お泣きだえ
お母さんがないか
実がないか
お母さんは そばに いなさるし
木の実は お山に あるけれど
九十九人の
九十九谷をとりまいて
少年「山彦 がまた歌い出したよ」
少女「そうね」(耳をすます)
歌が終ると、下手から一匹の兎が呼吸 をきらしながら走って出る。
兎「助けて下さい。怖い猟人がわたしを撃ちにくるんです」
少年「その猟人はどこにいるの」
兎「あれあの坂をいま上ってます。もうじきここへ来るでしょう。どうぞわたしを助けて下さい。」
少女「まあ、可哀 そうね。兄さんどうしたら好 いでしょう」
少年「よし、きっとぼくが助けてあげるよ」
兎「ほんとに、坊ちゃんありがとう」
猟人撃方の構えに銃を持って、下手より急ぎ登場。
少女「あら兄さん」
少年「あ、来たな」鋭く少女に「はやく、かくして、かくして」
猟人「坊ちゃん、兎 を知りませんか」
少年「なんですか」
猟人「兎を知りませんか」
少年「知っていますよ、おじさん」
この対話の間に、少女は兎をほどよき叢 にかくす。
猟人「たしかこの辺へ逃込んだがなあ」(独語 をしながら四辺 を見廻 す)
少年(猟人 の注意を自分の方へ向けるようにあせりながら)「おじさん兎の毛は白いんでしょう」
猟人「ああ、その白兎、白兎」
少年「耳が長いでしょう、おじさん」
猟人「そうそう耳が長いね」
猟人、銃を杖 にして話し出す。
少年「ね、おじさん、兎の尻尾 は短いでしょう」
猟人「短いとも、これんばかりさ」
少年「それから、前脚が短くて、後脚が長いでしょう」
猟人「短くって、長くって」猟人は、自分が何をしているかを思出 して、「坊ちゃん、ぼくはその兎を探しているのだよ」
少年「おじさん、その兎はやっぱり赤い眼 を持っているでしょう」
猟人「ぼくは、坊ちゃんの博物の復習 をしているんじゃないよ。一体その兎は······」
少年「白兎ですね。おじさん」
猟人「白兎ですよ。何遍それを言えば好 いんだ。そんなこと言っているうちに、気の利いた兎は、穴の中へもぐって昼寝をするだろう」独語のように「この子は、よっぽど呑込 のわるい子だな」
少年「なあんだ、おじさんは、その白兎 を撃ちにきたの」
猟人「そうさ」
少年「だっておじさんは、いきなり兎を知らないかって言うんだもの、だからぼく、学校の復習 をしちゃったのさ」
猟人「眼 をぱちくりやっている」
少年「ああ、その兎なの」
猟人「そうさ」
少年「その兎なら、もうよっぽど遠くへ逃げました。あの道の先の、ほら左側に赤松があるでしょう」
猟人「あるある」
少女は猟人 の方を見て笑っている。兎も出て来て見ている。
少年「あすこを左へ曲って、桜の木が見えるでしょう」
猟人「ああ、見えるね」
少年「あの木から、一本、二本、三本、四本、五本、六本、十三本目の桜の下へかくれましたよ」
猟人「いや、どうもありがとう」
猟人はあたふたと、上手へ走ってゆく。
少年「おじさん、早く走らないと、また兎が逃げますよ」
少年兎に近づきながら、「万歳、万歳。兎さんもう出ても好 いよ」
少女「ずいぶん心配したわ」
兎「やれやれ、ほんとに危 い所を助かりました。どうもありがとうございます。」
少女「よかったわね」
少年「うまくいったね」
少年を上手に、兎をまん中に、三人手をつなぎ舞台の前へ進み。
兎の挨拶
御見物のお嬢様坊ちゃまがた、わたしはまあ何と言って皆様にお礼を申して
これはみんな、この賢いお坊ちゃまの勇気と、親切なお嬢さまのお
かすみか くもか
はたゆきか············舞台裏の賑 やかな合唱だんだん細りゆきながら
はたゆきか············舞台裏の
(幕)