堪忍といふ事
9・1
苦楽
むかし、ある
「堪忍」
の二字を忘れてはならぬと話したことがありました。すると、明盲の男は不思議さうに頭をかしげて、
「お言葉ですが、堪忍の二字とおつしやるのは何かの間違ひではございますまいか。
『かんにん』
と申すと、丁度四字になるやうで······」
と、自分の指を一つづつ四本折つて見せました。
物識りの男は、
「いや、違ふ。堪忍とは、『たへしのぶ』と
と言つて、聞かせました。
すると、聞いてゐた男は指を折つて数をよみながら、一層腑に落ちなささうな顔をしました。
「たへしのぶ||なら、また一字殖えて五字になりましたが······」
相手が余りわからないことを言ふので、物識りの男はむつとしました。その
「ともかくも、堪忍は四五字と心得まして、その四五字を忘れぬやうに心掛けませう。いや、ありがたうございました。」
と、お辞儀を一つしました。
物識りは
「まだ四五字だと強情を張るのか。貴様のやうな馬鹿者はとても手におへん。
火のやうに真赤な相手の顔を見上げて、一人は端然と控へたままで、
「どんなに
と、冷やかに言つたといふ話があります。
「あれは堪忍の修業を重ねたいからぢや。」
と答へたさうです。
柳里恭が大阪の華やかな街でどんな遊びをしてゐたかは、大抵推察が出来ますが、そんな陽気な遊びをしながらも、
アメリカの Marion Crawford は、子供の頃余り激しい癇癪持なので、それがため家族も苦しめば、自分自身も弱りぬいてゐました。兄弟の一人にどうかすると Marion のこの性質をなぐさみにして、何かの拍子に彼を
「こんなことではいかん。何とかして直さなきや。」
一しきり嵐が過ぎ去つてしまふと、彼は子供心にもさう思つて
ある日の事、彼の母がふだん滅多に出入りしない部屋に入つて
「まあ、この子といへば。」母親は思はず叫びました。「何をしておいでなんだえ。」
「癇癪を抑へてゐるのだい。」
子供はうんうん
「腹が立つて、腹が立つて、誰でも構はん人殺しがしたくなると、僕いつでもここへ来て、この戸を
堪忍にもいろいろ方法があるものです。
価
10・1
文芸春秋
大阪に大国柏斎といふ釜師の老人が居る。若い彫塑家大国貞蔵氏の父で、釜師としての伎倆は、まづ当代独歩といつて差支へあるまい。伎倆のすぐれてゐる割合に、その名前があまりに世間に聞えてゐないのを惜しがつた知合の誰彼が、
「大阪にくすぶつてゐたのではしやうがあるまい、いつそ思ひきつて東京へ出てみたらどうだらう、名前を売るには便宜が多からうと思ふが······」
といつて勧めたことがあつた。すると、柏斎は
「それは私も知るには知つてゐる。だが、長いこと住んで居ると、大阪の土地にもまたいいところがあつてね······」
といつて、名前のことなどはすつかり忘れてしまつて、馴染の深い土地に今でも安住してゐる。
その柏斎のつくつたものに蘆屋釜のすぐれたのが一つあつた。その味がむかしの名作にも劣らないのを見てとつた茶人のなにがしが、それと同じ手の釜を二つばかり注文したことがあつた。
「お
茶人は釜の価がきめておきたかつた。
「欠けたる摺鉢にても、時の
と、幾百年か前に言ひ遺した利休は実際えらかつた。摺鉢の欠けたのでも事は足りる茶の湯だつたから、道具もなるべく価の安い方がよかつた。
「いや、さうは往きません。」柏斎の返事は意外だつた。「前のと
「それはまた
客は腑に落ちなささうに訊いた。
柏斎の返事ははつきりしてゐた。
「私は同じものをつくるのを好きませんから。」
アメリカの大北鉄道の社長ルイス・ヒル氏が、あるとき Glacier Park を散歩してゐると、薄暗い木蔭で年とつた一人の印度人が、有合せの木片で鳶色の熊をせつせと刻んでゐるのを見つけた。ヒル氏はその前に立ちとまつて、老人の仕事をぢつと見まもつてゐた。すべての素人は芸術家の仕事場をのぞきたがるもので、彼等はここで手品の種を見つけることが出来ると信じてゐるのだ。この印度人も鉄道会社の社長の目から見れば、いつぱしの芸術家で、小刀のさきから熊の頭が生れ、尻つ尾がはえる調子が何ともいへずおもしろかつた。
ヒル氏は見てゐるうち、いい事を考へついた。それは鉄道会社経営のホテルや、公園の休憩所のところどころに、この熊の彫刻をかざりつけておいたなら、どんなにか人目を楽しませるだらうといふことだつた。
「爺さん、幾らだね。これ。」
社長は杖の先きで出来上つた熊の彫りものを指さしながら訊いた。
「一つ五弗しますだ。」
印度人はせつせと小刀を動かしながら答へた。
「わしはこれを二三百欲しいと思ふのだが||」社長はこの見すぼらしい芸術家の救ひ主であるやうな満足さをもつて言つた。「それだけ注文すると、一つ幾らにしてくれるね。」
爺さんは初めて顔をあげて自分の前に白樺の木のやうに立ちはだかつてゐる紳士の顔を見た。その眼にはやや当惑の色が見えた。
「そんなにどつさり注文してくれるなら、旦那さま、一つ七弗五十仙づつに、しときますべえ。」
「七弗五十仙。それはまたなぜだ。」
「これ二三百もつくらんならんと思ふと、思ふだけでもいやになりますからの。」
印度人め、言ひ草だけは、いや、心の持ち方だけは、いつぱしの芸術家になりきつてゐる。
犬
10・1
文芸春秋
医者に言はせると、買ひ薬ほど不信用なものはなく、また薬屋に言はせると、医者ほど危険なものは少いさうである。その不信用な買ひ薬を使ふには、一度飼犬に試した上にするのが最も安全だとは、むかしから言ひ伝へられたことである。飼犬にとつてこんな迷惑なことはあるまいが、世間の犬好きは自分の腹が痛む場合には、急場の買ひ薬を先づ犬に
王の
マルゲリタ皇后は、ウムベルト王がふだんから身の廻りのことに一向無頓着なのが気になつてならなかつた。王の
ある日のこと、王は化粧室に入つて毛染め薬を取出した。染めたのは灰色な自分の頭ではなくて、白い
あとからのつそり入つて来たウムベルト王はにやにや笑ひながら言つた。
「マルゲリタ、こんな真似をするのは厭なことだね。」
私は少年の頃
ある日のこと、私は赤インキの汁を仔犬の背中にぶちまけた。そして両手でもつて犬の顔や首筋に塗りくつた。出来上つたのは火焔のやうに赤く燃えてゐる仔犬だつた。
「さあ、もう大丈夫だ。これなら負けつこはない。どんな犬だつてこの顔を見たら、びつくりして逃げだすにきまつてら。」
私は仔犬を連れて外へ出た。出合ひがしらにぶつつかつたのは、いつも私の犬を咬み伏せてゐる隣の黒犬だつた。仔犬はその姿を見ると、悲しさうにきやんきやん鳴き立てながら逃げ出して往つた。黒犬はその後姿を見送つて笑つてゐるらしかつた。
私はその瞬間、
「しまつた。おれは赤インキで何をしたかつてことを犬に話して、あいつに自分の顔に自信をもたすことをすつかり忘れてゐた。」
と気がついたが、もうおそかつた。仔犬は火の
私は犬も女と同じやうに自分の顔に「うぬぼれ」が必要だといふことを、そのとき初めて知つた。