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茶話

昭和三(一九二八)年

薄田泣菫




慈善家

5・1

女性


 男といふものは、郵便切手を一枚買ふのにも、同じ事なら美しい女から買ひたがるものなのだ。||故ウヰルソンの女婿ぢよせい McAdoo 氏はよくこの事実を知つてゐた。

 あるとき McAdoo 氏が、自分の関係してゐるある慈善事業のために、慈善市バザアを催したことがあつた。氏はその売子のなかに幾人かの美しい女優を交へておくのを忘れなかつた。

 その日になつて、氏が会場の入口を入らうとすると、そこには紀念の花束を売りつけようとして、四五人の若い女たちが客を待つてゐた。そのなかに一人づばぬけて美しい女優がまじつてゐたが、その女はかねて顔馴染な McAdoo 氏を見ると、顔一杯に愛嬌笑ひを見せながらいち早く歩み寄つて来た。そしてきやしやな指先きに露の滴るやうな花束をとり上げて、

「あなた、お一つどうぞ······

と、押しつけようとした。

 McAdoo 氏はあぶなくそれを受取らうとして、ふと第二の売子の足音を聞いてその方にふり向いた。それは顔立も、服装も、見るから地味な婦人だつた。氏は急に考へをかへて、その婦人から花束を一つ買ひ取つた。

「あなた、なぜ私のを買つて下さらないの。」

 女優は、わざとぷりぷりした顔をしてみせた。以前にも増してそれは美しかつた。地味な姿の売子が新しい来客の方へと急ぎ足に往つたのを見てとつた McAdoo 氏は、低声ていせいで女優に言つた。

「でも、あなたはあまりお美しいから。僕は今日はいつぱし慈善家になりおほせたいから、わざと地味なかたのを選んで買ひました。」

 この言葉は覿面てきめんだつた。女優はそれを聞くと、胸に抱へた花束をそつくりそのまま買ひ取られでもしたやうに、顔中を明るくして満足さうに笑つた。



返辞

5・1

女性


 新入学生が、初めて学校の校庭を踏むときには、地べたを護謨毬ごむまりか何ぞのやうに感じるほど神経質になるものだが、ある年の新学期にエエル大学に入つて来た若い人たちのなかに、とりわけ神経質の学生が一人あつた。

 部長 Jones は、その学生の家族たちと懇意にしてゐたので、学生が訪ねて来ると、愛想ぶりに連れ立つて学校のなかを方々案内して見せた。

 その時ちやうど教会堂の鐘が鳴り出してゐた。さきがたからしきりと話の題目を捜してゐた若い学生は、やつときつかけを見つけたやうに言葉をかけた。

「あの鐘は、すてきによく鳴るぢやありませんか。」

 部長はずぼんの隠しに両手を突つ込んだまま、ほかの事でも考へてゐるらしく、何一つ答へてくれなかつた。新入生は胸に動悸を覚えた。

「あの鐘はよく鳴りますね。僕気に入つちやつた。」

 彼は半分がた自分に話すもののやうに言つた。部長は何とも答へなかつた。

「鐘の音がたまらなくいいぢやありませんか。」

 新入生は泣き出しさうになつて、やけに声を高めた。

「何かお話しでしたか。」部長はやつと気づいたやうに、今まで地べたに落してゐた考へ深い視線を、若い道連れの方へさし向けた。「あの地獄の鐘めが、いやに我鳴り立てるもんだから、つい······


 名高い提琴家ミイシヤ・エルマン氏が、初めて大阪に来て、中之島の中央公会堂で演奏を試みたときのことだつた。づかづかと楽屋へ訪ねて往つたある若い音楽批評家は、そこにおでこで小男の提琴家が立つてゐるのを見ると、いきなりまづい英語で話しかけた。

「すばらしい成功ですね。ところでどうです、この会場ホールのお感じは? 別に悪くはないでせう。」

 熱心な聴衆を二千あまりも収容するこの立派な会場を持つてゐることは、若い批評家の土地ところ自慢の一つだつた。彼はこの名誉ある音楽家から、それに折紙がつけて貰ひたかつたのだ。

 エルマン氏は、禿げ上つた前額ぜんがくみ出る汗を無雑作に手帛ハンカチで拭きとりながら、ぶつきらぼうに答へた。

「ここは音楽会をする場所ぢやないね。大砲を打つところだよ。大砲をね······



良人改造

5・1

女性


 会社官衙くわんがの昼間の勤めをすませて、夕方早く家に帰つて来べき筈の良人をつとが、途中でぐれて外で夜更かしをするといふことは、うちで待つてゐるその妻にとつては堪へがたい苦痛に相違ない。

 さういふだらしのない男に連れ添うた米国婦人の一人が、良人のそんな癖を治さうとして、いいことを思ひついた。良人の穿き古した靴が破けかかつて、別なのを新調しなければならないのを見てとつた妻は、

「これまでのあなたの靴はあまり大き過ぎて、まるでお百姓さんのやうに不恰好でしたわ。今度おあつらへになるのは、もう少し小ぶりになさいよ。きつと意気でいいから。」

と言つて、わざとサイヅの小さいのを靴屋に註文させたものだ。

 このもくろみは確かに成功した。一日外でサイヅの小さな靴を穿かされてゐる良人は、足の窮屈なのにたまりかねて、勤めがすむが早いか、大急ぎで家に帰つて来た。そして窮屈な靴をぬいで、スリツパに穿き換るのを何よりも楽しみにした。

 こんな日が重なるにつれて、良人の悪い癖はいつの間にか治つてゐたさうだ。

 女の抜目のない利用法にかかつたら、どんな男でも羅紗らしや小片こぎれと同じやうに、ただの一つの材料に過ぎない。女はそれが手提袋を縫ふのに寸が足りないと知つたら、代りに人形の着物を思ひつかうといふものだ。||滅多に諦めはしない。



救済

5・1

女性


 滑稽作家マアク・トヱンのところへ、ふだん懇意にしてゐるある娘から、近頃身体からだの加減がよくないことを訴へて来たので、作家は保健用の電気帯でも買つてみたらどうかと知らせてやつたことがあつた。

 すると、暫く経つてから、その娘からの手紙が来た。なかに次のやうな文句があつた。

「お言葉に従ひまして、私は電気帯を一つ求めました。ですが、一向助かりさうには思はれません。」

 作家はすぐに返事をしたゝめた。

「私は助かりました。会社の在庫品が一つけましたので。」



名前

8・19

サンデー毎日



 劇場監督として聞えた Charles Frohman が、あるとき友人の劇作家 J. M. Barrie と連れ立つて、自分の関係してゐるある劇場の楽屋口から入らうとしたことがあつた。

 そこに立つてゐた門番の老人は、胡散さうな眼つきをして、先きに立つた Frohman の胸を突いた。

「ここはあんた方の入る所ぢやござりません。」

 それを聞いた劇場監督は、素直に頷いて後へ引き返した。

 その場の様子を見た Barrie は腑に落ちなささうにきいた。

「何だつて君、あの爺さんに君の名前を打ち明けないんだね。」

「とんでもない。」劇場監督はびつくりしたやうにいつた。「そんなことでもしてみたまへ。爺さん、おつ魂消て死ぬかも知れない。あれは御覧の通りの善人で、ただもう仕事大事に勤めてゐるんだからね。」



 アメリカの俳優として聞えた Joseph Jefferson が、あるときデトロイトの銀行で、持つて来た小切手の仕払ひを受けようとしたことがあつた。

 出納掛の若い男は、小切手から離した眼を、窓の外に立つてゐる男に移して、じろじろとその顔に見入つた。

「失礼ですが、あなたが Jefferson さん御当人だとおつしやるには?」

 俳優はそれを聞くと、ちよつと眼をぱちくりさせたが、急に舞台に立つてゐる折のやうに声に抑揚めりはりをつけて、

“If my leedle dog Schneider was only here, he'd know me.”

と流れるやうにいつた。これは誰でもが知つてゐるこの名優が十八番の台詞せりふだつた。

「いや、間違ひはございません。」

 出納掛は喜ばしさうに叫んだ。そして小切手はすぐ正金に換へられた。



 清の詩画家許友は、ぶくぶくに肥つた背低せひくで、身体中に毛といつては一本も生えてゐなかつた男だが、人が訪ねて来ても、それに答礼するでもなく、そんな交際には一向無頓着であつた。あるとき客が来て、詩だのぐわだのいろんな話をして帰つて往つたが、その後で許友は家の者に、

「今のは何といふ男だつたかな。」

ときいたので、

「あなたの御存じない人が、私に判らう筈はありません。」

といふと、許友は禿げた頭に手をやりながら、

「俺には一向覚えがないでな。」

と呟くやうにいつたといふことだ。



キング


 武野紹鴎ぜうおうは、珠光にはじめられた茶道ちやだうを、利休に伝へて大成させた中興の宗匠で、いろいろの逸話を残した人であるが、あるとき、その頃羽振はぶりをきかせてゐた堺衆の一人が催しの茶会に招かれて往つたことがあつた。紹鴎は相客の三四人と連れ立つて露地に入つたが、ふとあたりの景色が眼につくと、誰に話しかけるともなく、

「これは趣向だ。方々かた/″\、今日は主人秘蔵の恵慶が拝見出来ようかも知れませぬぞ。」

と言つた。

「恵慶の色紙が。||まさか。」

 それを聞いた相客は、恵慶の色紙は主人が誰にも見せない大切な秘蔵なのを知つてゐるので、別に心当こころあてにもしなかつた。

 茶室に入つた客は、眼をあげて床の間を見た。そこにはたつた今噂されたばかりの恵慶の、

むぐらしげれる宿の寂しきに

  人こそ見えね秋は来にけり

といふ小倉をぐらの色紙がかかつていた。皆は言ひ合せたやうにびつくりして紹鴎の顔を見た。

「宗匠、全くお言葉通りでござつたな。それにしても、宗匠には見ぬ前からどうして主人の御趣向をお気づきになられました。」

「さればさ。」紹鴎は吸ひつけられたやうに色紙に注いでゐた眼を二三度続けざまに瞬きした。「こちらの御主人は世に聞えた茶人なのに、露地を入つたところでは、そこらにはうき一つ入れないで、落葉や、枯草がそのままに打捨ててあつた。その荒れはてた容子ようすを見て、ふと御秘蔵の小倉の色紙のことが思ひ出されたものだから······

「なるほど······」皆は紹鴎がその道の巧者ほどあつてさすがに勘のいいのに舌を巻いてしまつた。






底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房

   1984(昭和59)年2月28日第1刷発行

   1988(昭和63)年7月25日第7刷発行

底本の親本:「女性」

   1928(昭和3)年5月1日

   「サンデー毎日」

   1928(昭和3)年8月19日

   「キング」

   1928(昭和3)年11月1日

初出:「女性」

   1928(昭和3)年5月1日

   「サンデー毎日」

   1928(昭和3)年8月19日

   「キング」

   1928(昭和3)年11月1日

※〔〕内の編集者による注記は省略しました。

入力:kompass

校正:仙酔ゑびす

2014年10月13日作成

青空文庫作成ファイル:

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