一
鯨と名のつくものなら、
ところで、山鯨のすき焼き、なめくじらの照り焼きなどは大そうおいしいけれど、海豚の肉はどうも感服しかねる。晒し鯨の酢味噌にしたところが、肉そのものには何の味もなく、ただその歯切れのよさを貴ぶだけで、酢味噌の出来が
缶詰に至っては、沙汰の限りだ。てんで、口中へはいるものではないのである。君は鯨取りの元締だから、何とか鯨をおいしく食わせる法を講じられないものか、と友人のある捕鯨会社の幹部に問うてみた。そこでその友人が言うに、それは君の認識不足だ。鯨の上肉は到底、山鯨やなめくじらの比じゃない。晒し鯨や缶詰を食っただけで、鯨の味品を論ずるとは僭上至極、近く機会を求めて鯨肉がどんなにおいしいものか君に食わせてみせる。食ってみてから議論を聞こうという気焔である。
晒し鯨は、鯨の皮膚から脂肪を絞った糟だ。缶詰にするのは、肥料にしても惜しくないような肉だから、君が賞讃しないのも無理はないが、一体関東人は鯨肉の本性を知らない。馬肉の方を上等なりとしている人さえある。ところが、大阪人は鯨の肉をよく知っている。紀州や土佐の国など鯨の産地が近いから、鯨の生肉がたやすく手に入ったためであろう。
しかし、大阪の商人はひどいことをやった。生肉のおいしいところは、大阪で上手に料理させ手前たちの口に入れてしまって、捨ててもいい下等の肉、つまり動物園へでも運びこもうか、という
それはとにかくとして、僕の会社のキャッチャーボートが四、五艘、いま牡鹿半島の鮎川港を根拠地としていて、毎日金華山沖で盛んに捕鯨をやっている。僕は、近いうちにそれを視察に行くことになっているから、君も一緒に行ってみないか。そこで、鮮鯨の肉の素晴らしいのをご馳走しようじゃないか、というような訳になった。
よし、万障繰り合わす。
さて、このほどいよいよ金華山沖へ漕ぎ出すことになった。仙台から牡鹿半島の突端まで二十五、六里、その間の山坂ばかりの長い道中を、スプリングの弾力が
町へ入る少し手前の、切り通しの坂までくると自動車の窓から吹き入る風が、呼吸がつまるように臭いのだ。生まれてはじめて鼻が経験する臭いだ。町へ入ると家、道、庭木、草、川、人間、犬、電信柱なんでもかでも臭い。この臭いは何だと問うと、これは鯨の臭いだと友人は答える。
これはひどい。素晴らしい鮮鯨の肉は、こんな窒息的の臭いを出すものか。こんな訳なら
それがために、あの臭いものなら何にでも集まってくる蝿でさえ、あまりにその臭いの強烈なのに驚いて、この鮎川の町から
二
それで安心した。
その夜半十二時、私らは第二京丸というキャッチャーボートに乗って鮎川港から金華山沖へ出た。三百二十トン、軽快な船である。
眼がさめると、朝七時。船は金華山から百二十五
霧の流れる船橋に集まって、船長から鯨の話を聞く。
鯨には
一体、鯨の体重は長さ一尺一トンという計算だが大きくなるほど割合が増してゆく。百尺もある白長鬚になると、重さが百二十トンもあろう。自分達が一日に一貫目ずつ鯨を食うにしたところが、一生かかっても百尺の鯨は食いきれるものではない。
大きな白長鬚鯨一頭で、まず値打ちが二万五千円から三万円というところだろう。抹香鯨は長さは五、六十尺で鯨としては中型だが、この頭だけでも自分たちの住んでいる家くらいはある。その頭の中に、一頭で石油缶二百五十杯の脂が入っている。一頭の抹香鯨の値打ちが、一万円前後というところだろう。
この第二京丸は、昨年の秋から南極へ鯨捕りに行って、この四月に帰国したのだが、南極では百五十頭の大鯨をとってきた。だが、この金華山沖では、南極のような訳にはいかない。それでも、ここは日本近海第一の鯨漁場だ。
日本の近海には北は千島、北海道。それから金華山沖、房州と下ってきて紀州、土佐。南は小笠原島から台湾。西は九州五島沖、玄界灘。北は、朝鮮近海まで随分数多い漁場があるが、それで一ヵ年にとれる鯨は僅かに二千頭前後である。その中の三分の一の七百余頭がこの金華山沖で捕れるのだから、まず日本一の漁場は金華山沖ということになる。
この漁場には抹香鯨と、
昼食の用意ができました、と給仕が知らせてきた。
食堂へ行ってみると、これは驚いた。あらくれ男が乗っている捕鯨船には大したご馳走はあるまい、と考えてきたのだが、この卓上には真鯛の塩焼き、鯛のうしお、野菜サラダに新菊のごまあえ、それに、鯨肉の刺身である。
もう一つ、卓上を飾ったものは、冷たい麦酒の壜だ。
三
鯨の刺身を食うのは、はじめてである。まず、これに箸をつけて口へ持っていった。肉の艶は緋牡丹色で牛肉の霜降りのように脂肪の層が薄く出ている。それを噛むと牛肉のような硬さがない。そして、
おいしい。牛肉と、鮪の味の中間にあるものだ。かつて食べた缶詰にも、晒し鯨にもこんな上品な味覚がなかったが、一体鯨はどこの肉でもこんな上品なものですか。と問うと、船長はいやどこの肉でもという訳にはいかない。この刺身にしたのは腰肉といって、鯨の尻尾から少し上の方にある肉で、鯨一頭のうちほんのちょっぴりしかない。市場に出しても、なかなか高価なものであるというのである。
ところで、今度はカツレツが運ばれた。

そのとき突然、船橋で見えた見えたという水夫らのはげしい喧声が聞こえる。船長は、やおら
絵にあるように、頭から背中からまる出しにして、公園の噴水の如くに、美しく四方に水が散っているのではない。シュッシュッと、斜めに短く、自動車のお尻から出る煙のように吹いているのだ。
船は全速力で、追跡をはじめた。次第に鯨に迫って行く。海中へ沈んでは潜り、潜っては背中を出す鯨だ。ついに、舳から四、五十間のところまで追いつめた時、一頭の鯨がむっちりとした大きなお尻を波間へ出した。
だが、そのとき鯨は自分が船に追いかけられているのを覚ったらしい。全速力||鯨は一時間十五哩走る力がある。それで走ったから、全速力十三哩のキャッチャーボートでは追いつかれない。とうとう、鯨群をまだ晴れきれない霧の中へ見逃してしまった。
おいしいところは、あのむっちりとした腰の肉なんですか、と船長に問うと、そうです、あれは例の
ところが雄鯨は情愛が深い。雌鯨が
また、甚だ物のあわれをとどめるのは、離れ
負けた雄鯨は、一人ぽっちになってしまうのだ。何と情けない雌どもでしょう。これを離れ抹香というのだが、一人ぽっちになった雄鯨は、ほかにも雌から嫌われた雄があるとみえて、大きな雄ばかりが七、八頭群れをなし、雌をまじえず仲よく泳いでいることがある。
四
夕飯のときがきた。
甚だ
鰹のたたき、あいなめの煮物、船で作った絹
食った、食った。額からも、胸からも汗が滝のように流れ出した。
翌日は、早朝から濃霧がからりと消え去った。全乗組員が、一斉に緊張する。金華山と、鮫の港を繋いだ線の百三十哩沖で、とうとう一頭の鰮鯨を仕とめた。長さ五十二尺、重さは六十トンもあろうという雌だ。
このお祝いを食堂ではじめた。まず出たのが挽肉でこしらえた鯨のメンチボール、酢味噌に醤油漬けの焼物。これでもか、これでもかというあんばいである。だが、私はなかなかへこたれない。晒し鯨の酢味噌と異なって生鯨には、肉そのものに清快な風趣がある。メンチボール、これは温かい上に柔らかで、何と結構な料理だろう。
この
よく食えるものである。牛のひれ肉よりもっと柔らかい。そして、薄い脂肪がほんのりと唾液を誘う。肉片の適当に分解したところを捕らえた
ひどく、鯨ばかり食ったものだ。これで堪能した。まことに、鯨肉に対する認識を改めた訳である。東京へ帰ってから一週間ばかりたつと、あの味を思い出して唾液が舌に絡むので何とも堪えられない。そこで、築地の河岸へ行って捜してみると、まさに鯨の腰肉というのがあった。値段をきいてみて驚いた。百匁四円五十銭だ。と吹っかけてちょっと手がでますまい、と言ったような顔をする。これでは、東京に鯨肉が普及しない訳だ。
欲張りをも顧みず、鮎川港の生鯨解体作業場へ手紙を出した。ありがたいことに、腰肉を大樽に一樽贈ってくれた。
これを友達数人と、道玄坂のさる
最近、大阪へ旅行したから有名な新町の鯨料理屋へ行って食べてみたが、ここの水たきと、醤油漬けはさすがに旨かった。瓦斯ビル裏の鯨料理は感服しない。
キャッチャーボートは、この月末に南極の海へ母船と共に、巨鯨を狙って出発するという。その船長連が二、三日前東京へきて会食したとき、来年の四月、日本へ帰ってくるときには、南氷洋の雄鯨の睾丸と甲状腺、雌鯨の腰肉を塩漬けにして持ってくると約束してくれた。
それを食べたら来年の夏は、随分元気が出ることだろう。
五
だが河豚の毒にあたって昇天してしまってはやりきれないのだけれど、そうめったに中毒するものではないから安心だ。日本の近海には三十数種類の河豚がいるそうである。そのうち名古屋河豚(小斎河豚)、目赤、虎河豚、黄金河豚、銀河豚、北枕、篭目河豚などが普通知られている。
私らが、料理屋で食うのは虎河豚、名古屋河豚、世間では金河豚といっている黄金河豚であるが目赤と北枕、篭目は猛毒の持主で、食えば大概極楽行きである。名古屋河豚の名のいわれは、みのおわりだから名古屋とこじつけたのであろうと言う人もあるが、それは当てにはならない。名古屋河豚に中毒した人は、昔から稀であるからだ。北枕は名の示す通り、一度食ったならば北枕に寝かされるのを覚悟しなければならない、という危ない代物だ。
一番人に歓迎されるのが虎河豚で、漁も沢山ある。味が上等で、門司ではこれを紋河豚と呼び皮膚にざらざらの刺があって二貫目以上に育つ。味の点では、黄金河豚が圧倒的だ。しかし、魚体が小さく百匁位より大きくならないのと、漁れる時季が甚だ短いので惜しまれている。虎河豚のように皮膚に刺はなく肌に黄金色の艶が出ているのである。銀河豚、これもなかなかおいしい。黄金河豚と同じに、皮膚に刺がない。
名古屋河豚は、関東では主に
市中の小料理屋で鉄砲鍋とか小斎鍋とか言って売っているのがそれで、毒が少ないからこれならば命に別状はない。昔、江戸っ児が河豚はうまくねえ、と貶してきたのは、安全なものとしてこの味の劣る小斎を選んできたためだと思う。
河豚は、海釣りの外道として釣り人から仇のように憎まれている。そのはずであろう。上腮と下腮に生えている一枚歯は、やっとこのように力強く、
鯛釣り漁師は、丹精して繋いだ百
六
近年、東京市中にだいぶ河豚料理屋が増えた。そのうち一流の河豚料理屋というのは一両年前まで、手前どもでは本場の下関から材料を取り寄せています。と
瀬戸内海では下関方面で広島、九州の中津沖、徳山湾で
東京湾内の三浦半島の野島と房総半島の木更津と、第二海堡を繋ぐ線の上に一之瀬、二之瀬、三之瀬という釣り場がある。これを総称して中之瀬と呼ぶが、ここには素敵に河豚が沢山いて種類も多く味もいい。それから三浦半島の鴨居沖、三崎の湾口。房総半島では、大貫、湊、竹岡、金谷、勝山、館山などで漁れる河豚は、どこへ出しても、関西ものに勝るとも劣っていない。
また、相模灘へ出れば網代沖から伊東方面。下田から伊豆半島の南端長津呂の牛ヶ瀬、神子元島のまわりへ行けば、澄んだ海の中層に三、四尾ずつつながり合って泳いでいるのを見るが、残念ながら外海の河豚は波が荒いので、肉の組織が粗荒で味が落ちる。東京湾内のものに比べて、推奨できないのである。
こんな訳で、
まず、河豚通になろうと思えば、横浜の宝来町の河豚屋へ行って、そこの料理場を見せて貰ってから、食ってみるがいい。ここのなら、ほんとうにたしかだ。
河豚の毒を、テトロドトキンというのは誰でも知っているが、この毒は呼吸中枢を麻痺させるから、人間が死んでしまっても、二、三十分間は心臓が動いている。そして眼もぱちぱちしている。河豚が、岸角へ叩きつけられたときと同じの、風采であるそうだ。
この猛毒が一番に多量に入っているのは、河豚の胸鰭の下の皮膚についている寄生虫である。これを蝶々と言っている。河豚の皮膚と同じ灰色であって、大きさは犬のダニくらいある。一匹の蝶々を、鶏に与えるとその場で死んでしまうくらい猛毒の持主だ。だから河豚料理のうち、皮はよほど注意しないと間違いが起こりやすい。
次に、雌河豚の卵巣もいけない。卵巣を普通マコと言っている。薄墨色で肝臓と間違いやすくもしこれを食えば即死だ。けれど、これは婦人病には特効があるというので、日陰干しにして売っているところがあるが、味はからすみに似てそれ以上であるというから酒の肴には絶好の品であろうけれど、恐ろし恐ろし。よく干したものを削って耳掻きに一杯飲むと、身体自ら熱温を生じ性気昂進して、
抱肝も恐ろしいものの一つだ。抱肝は河豚の肺臓であって、肩胛骨の下側についている。これは必ず捨てねばならないのである。それから青い色の胆嚢、赤黒い色の胃袋も警戒ものだ。血液は、毒の源泉だからこれが一滴ついていても洗い落とす必要がある。
七
河豚の肉皮、五臓のうち最もおいしいのが肝臓だろう。甘味、
それから、雄河豚の睾丸が素敵に珍味だ。白子と言ってちり鍋によく、味噌汁にいい。河豚ぎらいの尾崎行雄老が先年別府で、この白子を豆腐であると言って食わされ、その珍味に感嘆して次の旅行先下関で、あの丸い輪切りの豆腐を出せと言って請求したところ、それは河豚の睾丸であろうという説明を聞き、胆を冷やしたことがある。
嘴の肉を、鴬と言う。これは場所柄だけに肉の量は少ないが甚だおいしい。腹壁の肉をトウトウミと言うが、これはみかわの隣という
兵庫県の加古郡高砂町の漁師は、なかなか河豚料理が上手だという話だが三浦半島の鴨居でも房総半島の竹岡でも、鯛釣りに行って鈎に河豚が掛かると漁師はすぐ料理して食わせる。まず、頭を向こうに向けて腹を上にし、右手に握り、糞落から庖丁を入れて下唇にかけて割き開き、腮、内臓を取り出しておいて皮を引き、肉を落とすという順序になる。そして柳刄で刺をそぎ落とし腮は出刃で血を抜きとる。腸は抜いて血を去り裏返してまた血をとる。脊骨のなかの血は針金を通して掃除し、肝臓は薄皮を剥ぎ賽の目にするのだが、血管の血を去るには塩を厚くまぶすのである。塩は血を吸いとる性質を持っている。そして洗ってさらに水に幾度か晒すのだ。トウトウミは、一種のゼラチン分だから剥ぎとって塩で血を抜き、白子つまり睾丸と笹身とは毒が少ないから、水洗いしたばかりでそのまま食える。河豚の肉は、かまぼこに入れると素晴らしくおいしくなる。伊予のかまぼこには、この肉が大分入っていて人から珍重され、これも河豚嫌いの犬養木堂が、それとは知らずいつも伊予からかまぼこを取り寄せて食っていたところ、そのかまぼこのおいしい理由を説いて聞かされ、急にかまぼこがきらいになったという話がある。
きょう、上総の国、竹岡の漁師から肥った河豚が釣れはじまったという報せがあった。
(一四・一〇・六)