以前
狆のモデルで苦労した経験がありますから、今度はチャボのモデルは好い上にも好いのを選みたいというのが私の最初の考えであった。
しかし、
矮鶏は狆と違ってその
穿鑿も楽であろうと思った
······とにかく、早速、狆のモデルの事で注意を与えてくれた彼の後藤貞行氏を
訪ねて、今度の製作のことを話し、チャボの
良いのがなかろうかと相談しました。
動物には何かと関係のある人だから、早速、或る人を私に紹介してくれた。その人は、元農商務省の役人をしていた人で、畜産事業をやっていたが、目下は役をやめ家畜飼養をやっている、
本郷駒込千駄木林町の
植木氏という人であった。
私は直ぐその人を訪問しました。ちょうど、現在の私の宅と同町内で、その頃
長寿斎という
打物の名人があった、その横丁を曲がって真直突き当った家で、いろいろ
家禽が飼ってあった。
植木氏に逢って、これこれと話をすると、同氏は
暫く考えて、矮鶏の見本として上乗のものがある、という事。それは何処にありますかと
訊くと、自分の宅にある。が、しかし、それは、世間でおもちゃにして飼っている矮鶏とは
異って、本当の矮鶏で、自分が六代生まれ
更らせて、チャボの本種を作り出そうと苦心して
拵え上げたもので、これ以上本筋のチャボはない。世間で一升
桝に雄雌
這入るのが好いとか、足が短くて羽を
曳くのが好いとかいうのは、これは
玩具で、いわば不具同様、こんなのは矮鶏であって、矮鶏ではない。今、それをお目に掛けようといって、主人は書生に命じてその雄雌のチャボを私の前へ持って来させました。
見ると、これが矮鶏かと思うような
鶏である。
しかし、立派なことはなかなか立派であった。
脚が長く、尾は上へ
背負っている。羽毛は切れ上がって非常に活溌で、鶏としては好い鶏とは思えますが、どうも、従来、私たちが目に
馴染んでいる矮鶏とは形が余り大まかで、矮鶏という感じがない。けれど、以前、葉茶屋の狆と、戸川さんの狆との対照のこともあるから、家禽専門家の言葉を信用せぬわけには行きません。
それに植木氏はこういって説明を加えられている。
「お話を聞くと、フランスの博覧会へお出しになる木彫りの見本になさるというのだと、日本の在来のおもちゃのチャボでは困りましょう。あれは型にはめていじめて作ったもので鉢植えの植木と同様、そういう
不具物を見本にしたのではフランスの家禽通が承知をしまい。やはり、モデルとするとなるとこの私の丹誠して仕上げたものが適当で、これなら
万非点の打たれようはあるまい」
との事。至極もっともな話だ。では、どうかこれを拝借することにお願いしたいと頼みますと、植木氏は一風変った人で、お役に立てばお持ちなさい。あなたに差し上げましょう。私も道楽に六代も生まれ変らせて作ったものが、そういうことに役に立てば
甚だ満足ですといって、早速書生さんに
苞を拵えさせ、一匹ずつ入れて、両方に
縄を附けて、
提げて持てるようにしてくれました。鶏は苞から
頸だけ出して、びっくりした顔をしている。私は素直に植木氏の好意を謝し
頂戴して帰りました。
狭いけれども宅には庭がありますから、右の矮鶏を、
掩せ
籠を買って来て、庭へ出して、半月ばかり飼って置きました。
そうすると、色々な人が来て庭にいる植木さんから買って来た鶏を見て
「あれは何んの鳥ですか」
という
塩梅。
「矮鶏ですよ」
といっても、どうも
腑に落ちないような顔をして
「へへえ、矮鶏ですか。
······」といって、チャボにしちゃ変だなあといいそうである。私は、その説明をするために植木さんの受け売りをするのだが、どうも誰も承知しません。中にはチャボ通などがあって、
「どうも、チャボとは受け取れませんね。元来、チャボは
占城国とかから渡ったもので舶来種だが、この鶏は舶来なんですかね。鶏の中でも極めて小さいもので、
脛の高さがわずか一、二寸、それが低いほど、また
体が小さいほど好いものとなっています。小さいのは
南京チャボとか
地※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、298-3]りとかいって脚も
嘴も眼も黄色です。これはチャボの化けたようなものでしょう」
など講釈するものもあって、十中の十まで右の鶏を本当のチャボといいません。私も半月ほどいろいろ鶏の批評を聞きながら、その姿や動作を見ていたことですが、右のようなわけで少し不安心になりました。
それで、今度は普通のチャボの、つまり
背の低い方のを探したいと思い、
御成街道の
錺屋に好いのがいるという話を聞いたので、また出掛けて行きました。
御成街道のどの辺であったか今日
能く記憶しませんが、訪ねて行ってその錺屋の主人にチャボを見せてもらいました。が、これは今の南京チャボとか地※
[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、298-11]りとかいう方のものでしょう、小ぢんまりした可愛らしいいかにも矮鶏らしいチャボですから、また、事情を話して借りたい旨を申し込んだ。すると、この人は工人だけに分りが早い。御同様に仕事のことでは苦労します。これでよければ持って行って御覧なさいといって快く貸してくれました。
そこでこの方の鶏も庭に飼って、前のと両方、別々の
掩せ
籠に入れて置いた。
そうしますと、来る人ごとに錺屋の方のチャボを見て、これこそチャボだといって賛成しますが、植木さんの方のは依然として反対します。私もどっちをどうと判断に苦しんでいる処へ、例の後藤さんが見えた。
で、早速、先日の礼をいい、植木さんから貰って来た鶏を見せますと、何んだか不得心らしい顔をしている。実はこれこれと例の受け売りをやって見ましても、後藤氏は腑に落ちた様子がない。で錺屋の方を見せると、
「これは好い、これはどう見てもチャボです」と
首肯いているので私も案外、狆の時とは違って、立派に見える方が落第ということにまずなった。
つまり、私は、十目の見る所、世間に通用する矮鶏をチャボのモデルとする方に考えが決まりましたのです。毎度このモデル問題では
大真面目でありながら
滑稽に近い話などが
湧いて、家のものなども大笑いをしたことが
度々ありました。