かれこれ批評を聞いたり、姿形を研究したりしている間に、一月余りも経ってしまいましたので、いよいよ取り掛かることにしました。
材は桜です。その時分はまだ桜の材で上等のものが沢山あったが現今では甚だ
といって日限が来たのですから、そのまま、打っちゃって置くわけには行かない。それに若井氏の心持も分って私もその厚志に感じてやっている仕事であるから、いずれにしろ、御返事をしなければならないが、返事をするとなると、申し訳をするよりほかない。訳を話して日限に間に合わなかったことをいって、以前受け取った手附けの金をお返しするよりほかはないのでありますから、私は考えを決め、二十一年の十二月の
「その後はどうしました。時に、御願いしてあった鶏は出来ましたか」
というようなことになりました。
私は、その後の製作の経過を物語り、とうとう日限に遅れた旨をお
若井氏は私の申し納れを大分不機嫌な顔をして聞いておりましたが、その話はそれとして、何よりまずその荒彫りを見せて頂こうといいますから、私は風呂敷を解きました。
すると、中から彫刻の矮鶏が出て来たので、若井氏はそれを見ていましたが、急に機嫌が直ったような様子になった。
「どうも、これはおもしろい。これはよく出来ました」
そういって感心したような顔をしている。そして手に取って打ち返しなどして
「高村さん、あなたのお話はよく分りました。ですが、私はお約束を解きませんよ。博覧会の日限は一月の船が積み切りで、もはや間に合いません。しかし、それは、それでよろしゅうございます。今後、あなたが
これは思うに、若井氏が荒彫りを見て、これならと思ったよりも、同氏の気性が私の気持をよく理解しておもしろいと思ったことが手伝ったのでありましょう。とにかく、私には好い気持な人だという感を与えてくれました。で、私は厚意を謝し、この矮鶏は製作は出来るだけ早く仕上げて若井さんにお渡ししようという考えで、その約束をして、私は持って参ったものを、また元の通り持って帰りました。
大晦日のことで、私も随分入用の多い時、それを耐えて返済しに行ったのですが、話が一層進んで帰って来たのですから、その金を諸払いに使い、都合がよかったことでありました。
明けて明治二十二年、一月、二月何事もなく鶏の仕上げを続けておりました。