自尊自大と云ふことは固より惡いことはない。こりや人情の自然で、即ち愛國心の命ずる所であるから、或は小供などには殊更らに之を勸めるも宜しい、又勸めなければならぬであらう。譬へば英吉利で學校の小供に地理を教へる、所で英吉利の彼の島を露西亞や亞米利加の領分に比すれば如何にも小さくて何だか風が惡いと云ふところからして、別段に地圖を拵えて殊更らに自分の國を大きく書いて小供に教へて居ると云ふことがありました。その位のもので、隨分自尊自大と云ふことは甚だ宜しい事であるから遣るが宜しい。
甚だ宜しいけれども、扨て此人情は世界普通で、何處の國民でも自尊自大と云ふことを思はないものはない。何處の國へ行つたところが、
然るに今日の日本の世間に流行する所の趣意は、自大自尊と同時に他を卑めるやうに見える風のあるのは如何だ。是れは行はれない話ではないか。隣りの國が卑しいから自分が尊いものだと斯う云へば、之を商賣にして見れば、隣りの者は馬鹿だから自分の家のみを繁昌させやうと斯う云ふ理屈になる。隣りの親爺が果して馬鹿で利を知らないものならばソリヤ甚はだ都合が宜からうけれども、隣りの親爺も馬鹿でない、ちやんと利益を知て居る。利益を知て居るのに、自分の家ばかり利しやうと云ふことは出來られないではないか。そうすれば自尊も宜しい、自大も宜しい。宜しいけれども、隣りの人が卑しいからと云て乃公が尊いと云ふことは何としても是れは云はれない話である。この位な明かなことはない。その理窟が分らないと云ふのは如何云ふ譯だと云ふに、是れが昔から日本に行はれて居る古學主義と云ふものから、自然に斯う云ふ具合に教え込まれて、斯樣な世間見ず空威張りと云ふことになつたのであらうと思はれるけれども、私は決して其古學主義を絶對的に惡いと云ふのではない、その根本の道徳論が宜しくないと云ふのではない。先づ日本國に行はれる道徳論は神儒佛の三道として、其神儒佛の主義は決して惡いものではない、啻に神儒佛のみならず耶蘇教も囘々教も老子も莊子も其外凡ての徳教||宗教と云ふものは皆こりや宜しいと云はなくてはならぬ。其旨意と云ふものは善を勸め惡を誡めると云ふのである。是れが何で惡いことがあるか。結構な道徳論で、尊ばなければならぬ。であるから、此日本を今日の如き文明に進めたと云ふのも、其源に溯り遠い處を詮索して、道徳の點より云へば神儒佛のお蔭と云はなければならぬ。少しも憚るどころでない。口を放つて神儒佛の徳教を難有く思はなければならぬ。難有く思ふけれども、扨て國を開いて今の西洋文明流の交際を爲やうと云ふのには、何分にも昔の神儒佛では間に合はぬ。就中その間に合はぬと云ふのは、自尊自大、他に頓着しないと云ふのは誠にどうも困つた話であると云ふのは、近く例を見れば仁義忠孝の本家本元と云ふ支那の有樣を見たらば如何だ。又支那隨一の屬國と云はれた朝鮮を見ろ。その國民の奉ずるところ信ずるところは仁義忠孝の教であつて、朝に晩に一寸とした話でも一寸とした文章でも仁義忠孝の外に出たものはないと云ふ位の仁義忠孝國でありながら、其實際を見ると凡そ不仁不義不忠不孝の國民の多いと云ふものは此支那朝鮮の右に出づるものはないと云はなくてはならぬ。して見ると其古學の旨意は如何にも美なものである、だが茲に氣の毒な事には腐敗し易いと云ふ性質がある。既に腐敗して仕舞へば從て其毒と云ふものが生じて來る。俗に腐つても鯛と云ふことがあるけれども、魚類の腐つたものよりか新しい野菜の方が餘つ程宜しい。今の古學流に就て私なぞの不平を唱ふると云ふのは其古學の大旨意ではなく、其腐敗し易いと云ふ其働きを云ふのである。働きがどうも好かない、如何にも恐ろしい事である。此處が私なぞの最も不平を唱ふる所で、さうして其自尊自大と云ふものが今日の事實の上に如何やうなる働きをなして居るか、サアその古學流の腐敗した其毒氣がどら程の毒をなして居るかと斯う云ふと、自尊自大、即ち他を卑めて自から得々として居ると云ふことは、即ち自國を辱かしめ自身を侮ると云ふことになるが、如何だ。
抑も外國と相對して自分の本國の榮辱を感ずると云ふことは、日本の國に居るよりも外に出て居る其人達の身には一入強く感ずるものである。ソコで誠に古い/\話であるけれども、茲に一ツお話しなければならぬ事があると云ふのは、今を去ること三十六年前、即ち千八百六十二年、私は日本の使節に隨從して歐羅巴各國を巡囘し、其順路を云へば地中海から

十三日朝第八時ロシフ※[#小書き片仮名ヲ、739-11]ルトに着。ロシフ※[#小書き片仮名ヲ、739-11]ルトは巴里より佛里法九十里にある佛蘭西の海軍港なり。蒸
車より下り船に乘るまでの道十餘丁、此間盛んに護衞の兵卒千餘人を列し、敬禮を表するに以て實は威を示せしなり。日本人は昨夜蒸
車に乘り、車中安眠するを得ず大に疲れたるに、此處に着して暫時も休息せしめず、蒸
車より下り直ちに又船に乘らしむ。且つ船に乘るまで十餘丁の道、日本人の一行には馬車をも與へず、徒歩にて船まで歩みたり。
斯う云ふ事があるが過去つた三十六年の昔の事であるけれども決して忘れない。其時の苦みと云ふものは||何もその休息して茶を呑みたかつたと云ふでもない、物が喰ひたかつた譯でもないけれども、之を一ト口に云へば思ふさま辱かしめられたので、その辱かしめられたと云ふのは、啻に我々共使節の一行が辱かしめられたのみではない、是れが銘々共が日本國中を旅行してどんな目に遇つたつて、そりやソレ切の話で、何でもありやしない。ありやしないけれども、外國に行つて假初にも日本を代表して居る使節が無上の侮辱を蒙むると斯う云ふのは、即ち日本國が無上の侮辱を蒙つたのである。何ともモウ仕樣がない、實に其時の心持と云ふものは云ふに云はれぬ情ない事であつた。マア薩摩の侍と云ふものはどんな奴だか知らないが、何ぜこんな事を爲て呉れたらうか。空威張りに威張つて外國人を斬つて、斬つた後の始末を如何すると云ふ前後の勘辨もなく、只一時腹が立つたから、其腹癒せに人を斬つたと云ふに過ぎぬ話で、外國人を斬れば外國人が怒るであらう、怒つたらば日本に兵を向けるだらう、向ければ戰爭になるだらう、戰爭になつた所で、果して戰つて斯うと云ふ勝算があるか如何か、勝算があるならばそりやどんな事を遣つても宜からうけれども、氣の毒ながら其時の日本に勝算なしと云ふことは明々白々、然るに一時の空威張りで此國を辱かしめたと云ふのは末代の日本の損であると云ふことは、其時日本に居る人はそれほどに思はなかつたらうけれども、私などの一行三十五、六人と云ふものは一人として其憂を催さなかつたものはない。それは三十六年の昔の事であつたが、扨又時勢が移り變つて昨今世の中に排外主義が流行して居る今日、日本から外國に行て居る人は隨分多いだらう。多い其人達は、本國に排外主義の流行する噂を聞いて如何に感ずるだらうか。そりやまさかに私共が三十


今も云ふ通り、近來日本人が排外主義とか何とか云て、動もすれば毛唐人とか赤髯とか云ふ噂を度々私などは聞くことであるが、其排外主義も宜しい、自尊自大も宜しいとした所で、果してそれが行はれる事か行はれない事か、少しは勘考して貰ひたい。自尊自大、自分の國ばかり尊大で、他國を
扨てその深く考へると云ふ一番仕舞は、今の國交際に於て訴ふる所は腕力の外はない。だが直ちに腕力沙汰に及ぶと云ふ其前に、マダ國交際の法と云ふものがある。是れは外交官の與かる所で、虚々實々、樣々な方略があるであらうが、その方略をして自由自在に行はせるやうに爲ると云ふのが、こりや人民の役目ではないか。それを輕々しくも見る物が癪に觸る、聞く事が氣に入らないと云て、恰も外國人を一種外道のやうに認めて空威張りを爲やうと云ふのは、是れは只自から侮辱を買ふに過ぎぬ。
ソコで此慶應義塾と云へば、啻に書を讀み理を講ずるばかりでない、國家の利害と云ふことも自分銘々の腹の底には考へなければならぬ譯であるから、苟くも自尊自大と云ふやうなそんな馬鹿げた考へを持つて居る者はない筈であらうとは思ふけれども、又若い人でどんな踏み外しがあるか知れない、甚だ氣遣はしい事である、呉々も能く考へて輕擧暴行のないやうに爲たいものだ。此塾生が一人でもそんな
〔明治三十一年四月「慶應義塾學報」第二號〕