十日ほども降り続いた梅雨があけると、おそろしくむし暑い日が続いて、街は、腐敗したどぶ川の悪臭が染み込んでぶくぶくと泡立つてゐるやうに感ぜられた。赤茶けた媒煙に
[#「媒煙に」はママ]煙つた陰鬱な低い空の下に並んでゐる家々は、なんとなく古ぼけて傾きかかつてゐるやうであつた。姙婦の腹のやうに丸く脹らんだ橋にさしかかると、車は一瞬仰向くやうに空を見て、橋上に乗り上るとすうつと地底に引き込まれるやうに坂を下つて街路を走り続けた。現はれては消え去る窓外の家並をさつきから首を伸ばして眺めてゐた鹿野巳喜三は、荒々しくぐらりと急カーブを描いた車に思はず上体を車内で泳がせると、ねぢれた体を起してどしんとクッションに腰を埋めて眼を閉ぢた。
「一晩、この街で過すことにしようかな?」
ふとさういふ考へが湧き出て来たが、心身共に不安定な今の自分の状態に思ひ及ぶと、やはり一時も早く東京に帰つた方がいいやうに思はれた。今夜の汽車に乗れば明朝は東京へ着く、懐中にある金はどうせ四五日のうちには使ひ果してしまふつもりでゐるが、遊ぶならやはり万事馴れた東京の方がいい
||。眼を開くと、宿るに手頃な宿屋やホテルが二三窓外に飛び去るのが眼に入つたが、車を停める気持にもならなかつた。
············