去年の秋、小田原の近在に意外の大惨虐が行はれた。恐らく、この吾が人生に於ける悲劇中の悲劇であらう。
この犯罪は更に他に戦慄すべきそれ以上の犯罪を
それがまた、ほんの突嗟||永くて五分か十分||の出来事であつた。
而かも相互の愛情には
たゞ愛ばかりであつた。而かもこの悲劇は誰一人予期したものも無ければ、何一つ当初から計画されたものでは無かつた。
事件は突如として起つてゐる。
当事者は知らず、第三者から観れば、此等の犯罪者乃至自殺者は、全く人意以外の或る悪魔(それはその一家を全滅さすべくのしかかつて来た)の凄まじい翻弄に遭つたか、或は何等かの因果律に依つて、その一家のとどめを刺されて了つたとしか考へられなかつた。
私の仮寓してゐるD寺の和尚さんは『前世からの約束事でせう。』と嗟嘆した。而してまた『因縁事だ、仕方がない。』と、苦もなく諦めて了つた。
多くの人間は一体自分から観て一寸測り知られぬ異常な事件に
私が考へたところでは、全滅した此等四人の家族の中から、一人の悪人でも、矢張り見出せなかつた。が、たゞ一つ犯人の母親がたゞ一言不用意な言葉を使用した。それが凡ての起因で、兎に角母親が不謹慎だつたといふ事はわかる。然し、それを以て母親に最上の悪を担はせる事はできない。
ただ、茲に、私が、心から驚いたのは、此悲劇の主人公たる男の児のすばらしい天才的感覚であつた。
えらい奴である。とにかくその男の子は。
考へると、私は全く讃嘆し崇拝したくなる。
○
事実を言はねばわからない。
時は初秋、一味清涼の秋風が空には流れても、山間の雑木林にはささ栗の
処は函嶺に近いある村落の田家に、両親と二人の子供とがあつた。子供は二人とも男の子で、兄は五歳弟はまだ三歳だつたと云ふから何れも頑是ないものである。ところでまだその年齢が自分の片手の指の数しかない、兄の方が、ある時過つて畳の上にお
それが悲劇の原因である。
それから幾日か経つた後の事であつた。父親はやや離れた裏の田圃の方で
この時まで、兄の方は子供ながら、自分はこの子の兄だと云ふ優越感と、兄としての愛と、その両親の外に出てゐる間は自分がその家を守らねばならぬ、といふ全責任とを深く感じてゐたらしい。始終、兄らしい愛撫と監視とをその弟の方に向けて、その遊びほれてゐる間も少しも油断はしてゐなかつた。
自分の監視下にある弟がお粗相をした。と思つた瞬間、その弟を折檻するのは自分の役目で、それはまた、母親からも喜ばれる事と思つたに違ひない。いきなり弟に乗しかかつて、傍にあつた鋏を取ると、その小さな、また可燐な、恰度朝顔の蕾のやうに尖つた、ヒクヒク動いてゐるそのおちんこをいきなり、チヨンと切り落として了つた。根元からチヨンと一つ。
曾ての母親が確かに不謹慎であつた。まだ神のやうな純潔白紙のやうな子供に滅多な事を云ふものではない。
そこは子供である。兄の子は、弟のおちんこをチヨンと一つ切り落す事が、それほどの一大事とは思ひがけなかつたにちがひない。一つ折檻して、たしなめたら、それはそれで済んで、また一緒に面白く遊べるものと思つてゐたに違ひない。彼は無論弟を愛しきつてゐたからだ。またその弟が死んぢまつてそれつきりだとは思ひがけない事だ。第一まだ五歳ばかりの子供に人間の死などゝいふ大問題がわからう筈も無いのだ。
チヨンと鋏が一つ鳴つた、と、弟の小さな男根はピヨンと弾みをつけた昆虫のやうに飛ぶ、弟はウンと引つくり反る、血がシユウツとその股間から噴出す。
兄の子が火のつくやうに泣き出したのは、やや
然し彼の子は、それでも別段悪い事をしたとは思へなかつたに違ひない。無論それが人殺しで、非常な罪悪だとは知る筈が無かつたに違ひない。弟が死んで了つたなどとは無論まだ知る筈は無い。ただ血を見て仰天して了つたのだと思ふ。
何といふ無邪気な人殺しであらう。
ただならぬ泣声を母家の方に聞きつけると、その母親は洗濯物を投げ棄てて、背戸の方から飛び込んで来た。見ると、弟の子が縁側にひつくり反つてゐる。何事と思つて抱きあげると、その内股は血みどろである。ハツと思つて手を突つ込んだ。
その時、兄の子はわあわあ泣き泣き、飛んでつた弟のおちんこを捨つて、そつと母親の方に差出した。と、
『あれつ、てめえは。』と云ふとそのまゝ母親もそつくり返つて了つた。真つ蒼になつて。
兄の子はそれを見ると、またひいひい泣き立てて母親にむしやぶりつく。それを突き飛ばすやうに振り放すと、むつくり彼女は立ちあがつた。その時はもう元の母親で無かつたのだ。
母親は『ほほヽヽヽヽヽ』とたまらず声を上げて笑ふと、落ちてゐた小さなおちんこを拾ひ上げて、弟の子の血みどろの
『おちんこが。おほほほほ、おちんこが、おほほほほ······』
気が狂つて了つたのだ。
ところへ田圃から父親がふらりと帰つて来た。何気なく帰つて見るとこの始末である。仰天せずにはゐられない。
『ど、ど、どうしたつてんだ、え、おい、こおれおますよお、三太、やい、次、次、次郎公』
女房はただゲラゲラ笑つてゐた。
次郎公はまたひいひい
『小便垂れやがつたからな、おら、チヨンぎつただ。』
『え』と吃驚りすると、ハツと三太の跨ぐらを引つくらかえした。その手がワナワナ顫へ出した。
『と、飛んだ事しやがる、こん畜生。』
一時の驚駭と激怒と惑乱から父親はカツとなつて思はず、次郎公の面部をたたきつけ、一蹴り蹴つ飛ばした。
次郎公がキヤツと叫んで後へドタリと倒れると、女房もまたウーンと云つたまゝ気絶して了つた。
あつと、慌てて、次郎公を抱き起すと、打ちどころが悪かつたか、その子はそのまゝ息の根が留つて了つてゐた。動顛して女房を抱き起して見ると、彼女もまた、口から血をタラタラ出して死んで了つてゐた、舌を噛み切つたのだ。
この思ひがけない悲劇事の続出に、それでも彼が冷静に有り得やうとは誰一人思へる訳は無い。無論彼は逆上して了つた。
『
そのまま、納屋へ飛び込んで行つて、壁にかかつてゐた草刈鎌で、無茶苦茶に腹に突き立てて了つた。
一家全滅。
これで事実は
○
これで見ても、一家四人凡てが善人である。父親は頑愚で、正直一図で、感情が粗く野生的ではあるが愛情は深い。母親も無教育で、不謹慎な点はある、然しかういふ女は百姓の女房としてはザラにある。それに非常にヒステリツクではあるが、それだけ確かに純でもあり、愛情も濃かつたに違ひない。
子供は無論無邪気である。もとより善悪を超越してゐる。
さうなると、果して誰が善で、誰が悪か。
私達はまた誰を憎み、誰を憤り、誰を罪すべきか。
恐らく、最後の審判の日が来つたところで誰一人罪せられる者はゐないであらう。ただ母親が不注意だつたと云ふ事であるが、それも決して深く罪せらるべき問題でない。
父親がまた少々粗骨だつたとは思へる。然し、あの場合では、ああ逆上するのも無理はあるまい。無論ある瞬間に彼が憎悪のあまりその子をたたき殺さうと迄は企らみ得る余裕は無かつた。神の眼には涙がある。
ただ同じ人間の私から見て、思はずハツとしたのは、あのあどけない子供の無意識な端的行為の中に、既に人間通有の惨虐性が根深く潛在してゐた、戦慄するべき一事である。
私自身の事から考へてもさうであつた。
私は弟が生れると、たちまち
その私よりも、次郎公は鋭い。私は彼が弟の上に乗しかかつて、そのちよつぴりと膨れてちくちくと尖つた、可憐な昆虫のやうな朝顔の蕾のやうな小男根をビクビクと息づいてゐるやつを、大きな鋏を開いて
この突き詰めた真実と直覚。荘厳な性慾の萌芽。
『恐ろしい感覚だ。少くとも
私は舌をまいて讃嘆したがまた、
惜しいかな。彼は無心にして彼の父親にたたき殺されて了つた。
『すばらしい奴だつた。ああ、すばらしい事をやつてのけた。』