薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こたびの集『ゆく春』の出づるに及びて、また新たに、詩人繍腸の清婉は日ごろ塵に染みたる俗心の底にもひびきぬ。ことしもうら寂しく暮れゆかむとする詩天のかなたに、世は夕づつのかげの明かに輝くを見ておどろく。
集中絶句「遣愁」の一篇を誦すれば、瘠せたる詩風に泣くの語あれど、泣菫氏が豊麗の詞藻はかの清

粘土の子凍りて息は無きも
天部の火を借り焼くとせずや
また「ああ杜国」九章の「海神願はく||」の高調、盛に新語を収めて却て古意颯爽の風格あり、特に天部の火を借り焼くとせずや
吹き散る海の香顔を打ちて
『南の回帰』に落つるところ
と言ふに到りては、後に「王者」の語を点出するの止み難きをおぼえしめて、豪壮の気おのづから人に逼りぬ。『南の回帰』に落つるところ
その他絶句のうちにては夢心地ふかく、情景双ながら懐かしきもの、雛鳩あたへよの小狐の声もおかしく、詩の名は岩根の戦争談も興多けれど、われはこの集の愛読者に罪を得むのおそれをも冒して、「歓声」の一篇に、心狂ふばかりなる夕、松明あかきよろこびの光を栄ありとおもふものなり。
かのキイツの鶯の賦をおもはしむる「郭公の賦」以下前に数へたる韻ひある句を摘まむはやすけれど聯珠の絲を断たむは口惜しかるべし。况や吟心深く其間に潜みて趣をなせるにあるをや。色彩の濃艶、声調の婉柔は泣菫氏が擅長なるものから、ただ詩中明眸皓歯の人のおもかげ薄きが、情熱の麗句にふさはぬこゝちす。
「鉄幹君に酬ゆ」の篇には「
われはまた、「南畝の人」の完成を望み、「石彫獅子の賦」に御苑にたゝむ雄姿をおもひ、其第二章数節の直截にして遒勁なるにこゝろ牽かれて、巻を掩ひあへざらむとす。ことにこの賦に於て注意すべきは、他の秀什のおほかたは、用語の自在に真情の流露を期して詩形の変態に拠れるに、こゝには流麗なるべき七五調を用ゐて、却て真摯雄渾の響を出せるにあり。
(明星 第拾八号 明治三十四年十二月)