はしがき
父さんが
遠い
外國の
方から
歸つた
時、
太郎や
次郎への
土産話にと
思ひまして、いろ/\な
旅のお
話をまとめたのが、
父さんの『
幼きものに』でした。あの
時、
太郎はやうやく十三
歳、
次郎は十一
歳でした。
早いものですね。あの
本を
作つた
時から、もう三
年の
月日がたちます。
太郎は十六
歳、
次郎は十四
歳にもなります。
父さんの
家には、
今、
太郎に、
次郎に、
末子の三
人が
居ます。
末子は
母さんが
亡くなると
間もなく
常陸の
方の
乳母の
家に
預けられて、七
年もその
乳母のところに
居ましたが、
今では
父さんの
家の
方へ
歸つて
來て
居ます。
三郎はもう
長いこと
信州木曾の
小父さんの
家に
養はれて
居まして、
兄の
太郎や
次郎のところへ
時々お
手紙なぞをよこすやうになりました。
三郎はことし十三
歳、
末子がもう十一
歳にもなりますよ。
父さんの
家ではよく
三郎の
噂をします。
三郎が
居る
木曾の
方の
話もよく
出ます。あの
木曾の
山の
中が
父さんの
生れたところなんですから。
人はいくつに
成つても
子供の
時分に
食べた
物の
味を
忘れないやうに、
自分の
生れた
土地のことを
忘れないものでね。
假令その
土地が、どんな
山の
中でありましても、そこで
今度、
父さんは
自分の
幼少い
時分のことや、その
子供の
時分に
遊び
廻つた
山や
林のお
話を一
册の
小さな
本に
[#「に」は底本では「こ」]作らうと
思ひ
立ちました。あの『
幼きものに』と
同じやうに、
今度の
本も
太郎や
次郎などに
話し
聞かせるつもりで
書きました。それがこの『ふるさと』です。
[#改ページ] 一
雀のおやど
みんなお
出。お
話しませう。
先づ
雀のおやどから
始めませう。
雀、
雀、おやどはどこだ。
雀のお
家は
林の
奧の
竹やぶにありました。この
雀には
父さまも
母さまもありました。
樂しいお
家の
前は
竹ばかりで、
青いまつすぐな
竹が
澤山に
竝んで
生えて
居ました。
雀は
毎日のやうに
竹やぶに
出て
遊びましたが、その
竹の
間から
見ると、
樂しいお
家がよけいに
樂しく
見えました。
そのうちに、
雀の
好きなお
家の
前には
竹の
子が
生えて
來ました。
母さまのお
洗濯する
方へ
行つて
見ますと、そこにも
竹の
子が
出て
來てゐました。
『あそこにも
竹の
子。ここにも
竹の
子。』
と
雀はチユウチユウ
鳴きながら、
竹の
子のまはりを
悦んで
踊つて
歩きました。
僅か
一晩ばかりのうちに
竹の
子はずんずん
大きくなりました。
雀が
寢て
起きて、また
竹やぶへ
遊びに
行きますと、きのふまで
見えなかつたところに
新しい
竹の
子が
出て
來たのがあります。きのふまで
小さな
竹の
子だと
思つたのが、
僅か
一晩ばかりで、びつくりするほど
大きくなつたのがあります。
雀はおどろいて、
母さまのところへ
飛んで
行きました。
母さまにその
話をして、どうしてあの
小さな
竹の
子があんなに
急に
大きくなつたのでせうと
尋ねました。すると
母さまは
可愛い
雀を
抱きまして、
『お
前は
初めて
知つたのかい、それが
皆さんのよく
言ふ「いのち」(生命)といふものですよ。お
前たちが
大きくなるのもみんなその
力なんですよ。』
と
話してきかせました。
二
五木の
林 太郎よ、
次郎よ、お
前達は
父さんの
生れた
山地の
方のお
話を聞きたいと
思ひますか。
檜木、
椹、
明檜、
槇、
||それを
木曾の
方では
五木といひまして、さういふ
木の
生えた
森や
林があの
深い
谷間に
茂つて
居るのです。
五木とは、
五つの
主な
木を
指して
言ふのですが、まだその
他に
栗の
木、
杉の
木、
松の
木、
桂の
木、
欅の
木なぞが
生えて
居ます。
樅の
木、
栂の
木も
生えて
居ます。それから
栃の
木も
生えて
居ます。
太郎や
次郎は一
度父さんに
隨いて、
三郎の
居る
木曾の
小父さんの
家を
訪ねたことが
有りましたらう。あの
小父さんの
家の
前から、
木曽川の
流れるところを
見て
來ましたらう。
小父さんの
家のある
木曾福島町は
御嶽山に
近いところですが、あれから
木曽川について十
里ばかりも
川下に
神坂村といふ
村があります。それが
父さんの
生れた
村です。
三
山の
中へ
來るお
正月父さんも
昔はお
前達と
同じやうに、お
正月の
來るのを
樂みにした
子供でしたよ。
お
正月が
來る
時分になると、
父さんの
生れたお
家では
自分のところでお
餅をつきました。そのお
餅は
爐邊につゞいた
庭でつきましたから、そこへ
爺やが
小屋から
杵をかついで
來ました。
臼もころがして
來ました。お
餅にするお
米は
裏口の
竈で
蒸しましたから、そこへも
手傳ひのお
婆さんが
來て
樂しい
火を
焚きました。
やがて
蒸籠といふものに
入れて
蒸したお
米がやはらかくなりますとお
婆さんがそれを
臼の
中へうつします。
爺やは
杵でもつて、それをつき
始めます。だんだんお
米がねばつて
來て、お
餅が
臼の
中から
生れて
來ます。
爺やは
力一ぱい
杵を
振り
上げて、それを
打ちおろす
度に、
臼の
中のお
餅には
大きな
穴があきました。お
婆さんはまた
腰を
振りながら、
爺やが
杵を
振り
上げた
時を
見計つては
穴のあいたお
餅をこねました。
『べつたらこ。べつたらこ。』
その
餅つきの
音を
聞くと、
父さんは
子供心にもお
正月が
山の
中のお
家へ
來ることを
知りました。
四
子供の
時分これから
父さんはお
前達に、
自分の
子供の
時分のことをお
話[#ルビの「はなし」は底本では「はな」]しようと
思ひます。
父さんの
幼少な
時分には、
今のやうに
少年の
雜誌といふものも
有りませんでした。お
前達のやうに
面白いお
伽噺の
本や、
可愛いらしい
繪のついた
雜誌なぞを
讀むことも
出來ませんでした。
讀んで
見たくも、なんにもさういふお
伽噺の
本や
雜誌が
無いんでせう、おまけに、
父さんの
生れたところは
山の
中の
田舍でせう、そのかはり、
幼少な
時分の
父さんには、
見るもの
聞くものがみんなお
伽噺でした。
五
荷物を
運ぶ
馬『もし/\、お
前さんは
今歸るところですか。』
父さんがお
家の
門の
外に
出て
見ますと
馬が
近所の
馬方に
引かれて
父さんの
見て
居る
前を
通ります。この
馬は
夕方になると、きつと
歸つて
來るのです。
『さうです。
今日は
荷物をつけて
隣の
村まで
行つて
來ました。』
とその
馬が
父さんに
言ひました。
『お
前さんの
首には
好い
音のする
鈴がついて
居ますね。』
と
父さんが
言ますと、
馬は
首をふりながら、
『えゝ。
私が
歩く
度にこの
鈴が
鳴ります。
私はこの
鈴の
音を
聞き
乍らお
家の
方へ
歸つてまゐります。
馬も
荷物をつけて
行く
時はなか/\
骨が
折れますが、一
日の
仕事をすまして
山道を
歸つて
來るのは
樂みなものですよ。』
さう
馬が
言つて、さも
自慢さうに
首について
居る
鈴を
鳴らして
見せました。
父さんのお
家の
前は
木曾街道と
言つて、
鐵道も
汽車もない
時分にはみんなその
道を
歩いて
通りました。
高い
山の
上でおまけに
坂道の
多い
所ですから
荷物はこの
通り
馬が
運びました。どうかすると五
匹も六
匹も
荷物をつけた
馬が
續いて
父さんのお
家の
前を
通ることもありました。
男や
女の
旅人を
乘せた
馬が
馬方に
引かれて
通ることもありました。
父さんの
聲を
掛けたのは、
近所に
飼はれて
居る
馬で、
毎日々々隣村の
方へ
荷物を
運ぶのがこの
馬の
役目でした。
馬が
自分のお
家へ
歸つた
時分に
父さんはよく
馳け
出して
行つて
見ました。
『
御苦勞。
御苦勞。』
と
馬方は
馬を
褒めまして、
馬の
脊中にある
鞍をはづしてやつたり
馬の
顏を
撫でゝやつたりしました。それから
馬方は
大きな
盥を
持つて
來まして、
馬に
行水をつかはせました。
『どうよ。どうよ。』
と
馬方が
言ひますと、
馬は
片足づゝ
盥の
中へ
入れます。
馬の
行水は
藁でもつて、びつしより
汗になつた
身體を
流してやるのです。
父さんは
馬方の
家の
前に
立つて、
樂さうに
行水をつかつて
貰つて
居る
馬を
眺めました。そして、
馬の
行水の
始まる
時分には
山の
中の
村へ
夕方の
來ることを
知りました。それに
氣がついては、
父さんは
自分のお
家の
方へ
歸りませうと
思ひました。
六
奧山に
燃える
火父さんの
田舍では、
夕方になると
夜鷹といふ
鳥が
空を
飛[#ルビの「と」は底本では「とび」]びました。その
夜鷹の
出る
時分には、
蝙蝠までが一
緒に
舞ひ
出しました。
『
蝙蝠||來い、
來い。』
と
言ひながら、
父さんは
蝙蝠と一
緒になつて
飛び
歩いたものです。どうかすると
狐火といふものが
燃えるのも、
村の
夕方でした。
『
御覽狐火が
燃えて
居ますよ。』
と
村の
人に
言はれて、
父さんはお
家の
前からそのチラ/\と
燃える
青い
狐火を
遠い
山の
向ふの
方に
望んだこともありました。あれは
狐が
松明を
振るのだとも
言ひましたし、
奧山の
木の
根が
腐つて
光るのを
狐が
口にくはへて
振るのだとも
言ひました。
父さんは
子供で、なんにも
知りませんでしたが、あの
青い
美しい
不思議な
狐火を
夢のやうに
思ひました。
父さんの
生れたところは、それほど
深い
山の
中でした。
七
水の
話父さんの
田舍は
木曾街道の
中の
馬籠峠といふところで、
信濃の
國の一
番西の
端にあたつて
居ました。お
正月のお
飾りを
片付ける
時分には、
村中の
門松や
注連繩などを
村のはづれへ
持つて
行つて、一
緒にして
燒きました。
村の
人はめい/\お
餅を
竿の
先にさしてその
火で
燒いて
食べたり、
子供のお
清書を
煙の
中に
投げこんで、
高く
空にあがつて
行く
紙の
片を
眺めたりしました。
火の
氣と、
煙とで、お
清書が
高くあがれば、それを
書いたものの
手があがると
言ひました。
松の
燃える
煙と一
緒になつてお
清書が
高く、
高くあがつて
行くのは
丁度凧でもあげるのを
見るやうでした。その
正月のお
飾を
集めて
燒く
村のはづれまで
行きますと、その
邊にはびつくりするほど
大きな
岩や
石が
田圃の
間に
見えました。そこからはもう
信濃と
美濃の
國境に
近いのです。
父さんの
田舍は
信濃の
山國から
平な
野原の
多い
美濃の
方へ
降て
行く
峠の一
番上のところにあつたのです。
さういふ
岩や
石の
多い
峠の
上に
出來たお
城のやうな
村ですから、まるで
梯子段の
上にお
家があるやうに、
石垣をきづいては一
軒づゝお
家が
建てゝありました。どちらを
向いても
坂ばかりでした。
父さんがお
隣の
酒屋の
方へ
上つて
行くにも
坂、お
忠婆さんといふ
人の
住む
家の
方へ
降りて
行くにも
坂でした。
この
田舍は
水に
不自由なところでした。
谷の
底の
方まで
行けば
山の
間を
流れて
來る
谷川がなくもありませんが、
人家の
近くにはそれもありませんでした。そこで
峠の
方から
清水を
引いて、それを
溜める
塲所が
造つてあつたのです。
何といふ
好い
清水が
長い
樋を
通つて、どん/\
流れて
來ましたらう。
父さんが
輪でも
廻しながら
遊びに
行つて
見ますと、
流れて
來た
水が
大きな
箱の
中に
澄んで
溜まつて
居ます。その
水が
箱から
溢れて
村の
下の
方へ
流れて
行きます。
天秤棒で
兩方の
肩に
手桶をかついだ
近所の
女達がそこへ
水汲に
集まつて
來ます。
水の
不自由なところに
生れた
父さんは
特別にその
清水のあるところを
樂く
思ひました。みんなが
威勢よく
水を
汲んだり
擔いだりするのを
見るのも
樂く
思ひました。そればかりではありません。
父さんが
子供の
時分から
水といふものを
大切に
思ひ、ずつと
大きくなつても
水の
流れて
居るのを
見るのが
好きで、
水の
音を
聞くのも
好きなのは、
斯うして
水に
不自由な
田舍に
生れたからだと
思ひます。
父さんのお
家には
井戸が
掘つてありました。その
井戸は
柄杓で
水の
汲めるやうな
淺い
井戸ではありません。
釣いても、
釣いても、なか/\
釣瓶の
上つて
來ないやうな、
深い/\
井戸でした。
父さんの
祖母さんの
隱居所になつて
居た二
階と
土藏の
間を
通りぬけて、
裏の
木小屋の
方へ
降て
行く
石段の
横に、その
井戸がありました。そこも
父さんの
好きなところで、
家の
人が
手桶をかついで
來たり、
水を
汲んだりする
側に
立つて、それを見
るのを
樂く
思ひました。
父さんの
幼少な
時分にはお
家にお
雛といふ
女が
奉公して
居まして、
半分乳母のやうに
父さんを
負つたり
抱いたりして
呉れたことを
覺えて
居ます。そのお
雛は
井戸から
石段を
上り、
土藏の
横を
通り、
桑畠の
間を
通つて、お
家の
臺所までづゝ
水を
運びました。
八
凧山の
中の
田舍では、
近所に
玩具を
賣る
店もありません。
村の
子供は
凧なぞも
自分で
造りました。
父さんはまだ
幼少かつたものですから、お
家の
爺やに
手傳つて
貰ひまして、
造作なく
出來る
凧を
造りました。
紙と
絲とはお
祖母さんが
下さる、
骨の
竹は
裏の
竹籔から
爺やが
切つて
來て
呉れる、
何もかもお
家にある
物で
間に
合ひました。
爺やが
青い
竹を
細く
削つて
呉れますと、それに
父さんが
御飯粒で
紙を
張りつけまして、
鯣のかたちの
凧を
造りました。みんなのするやうに、
凧の
尾には
矢張紙を
長く
切つてさげました。
末子は
學校の
先生[#ルビの「せんせい」は底本では「せうせい」]から
手工を
習ひませう、
自分で
紙の
箱などを
造るのは、
上手に
出來ても
出來なくても、
樂みなものでせう。
父さんが
自分で
凧を
造つたのは、
丁度お
前達の
手工の
樂みでしたよ。
細い
竹や
紙でこしらへたものが、だん/\凧
ののかたちに
成つて
行つた
時は、どんなに
父さんも
嬉しかつたでせう。
父さんはその
凧に
絲目をつけまして、
田圃の
方へ
持つて
行きました。
『
風[#「風」は底本では「凧」]よ、
來い、
來い、
凧揚れ。』
と
言つて、
近所の
子供も
手造りにした
凧を
揚げに
來て
居ます。
田圃側の
枯れた
草の
中には、
木瓜の
木なぞが
顏を
出して
居まして、
遊び
廻るには
樂い
塲所でした。
[#「。」は底本では「、」]『あゝ
好い
風[#ルビの「かぜ」は底本では「たこ」]が
來ました。この
風に
早く
揚げて
下さい。』
と
凧が
言ひました。
父さんが
大急ぎで
糸を
出しますと、
凧は
左右に
首を
振つたり、
長い
紙の
尾をヒラ/\させたりしながら、さも
心持よささうに
揚つて
行きました。
凧は
空の
方に
居て、
父さんにいろ/\な
注文をします。『あゝわたしは
面喰ひそうになりました。もつと
絲をたぐつて
下さい。』と
言ふ
時には、
父さんは
凧の
注文する
通りに
絲をたぐつてやります。『
今度は
左の
方へ
傾ぎさうになりました。
早く
右の
方へ
糸を
引いて
下さい。』と
言ふ
時には、
父さんはまた
凧の
言ふ
通りに
右の
方へ
糸を
引いてやります。そのうちに
凧は
風をうけて、
高く
高く、のして
行きました。
『
凧さん、よく
揚りましたね。そんなに
高いところへ
揚つたらそこいらがよく
見えませう。』
と
父さんが
下から
尋ねますと、
凧は
高い
空から
見える
谷底の
話をしました。
『
凧さん、
何が
見えます。ほうぼうのお
家が
見えますか。』
[#底本では「』」が脱字]『えゝ、
石の
載せてあるお
家の
屋根から、
竹藪まで
見えます。
馬籠の
村が一
目に
見えます。
荒町の
鎭守の
杜まで
見えます。』
『お
祖父さんの
好きな
惠那山は
奈何でせう。』
『
惠那山もよく
見えます。もつと
向ふの
山も
見えます。
高い
山がいくつも/\
見えます。その
山の
向ふには、
見渡すかぎり
廣々とした
野原がありますよ。
何か
光つて
見える
河のやうなものもありますよ。』
『それはきつとお
隣の
國です。』
父さんの
生れた
田舍は
美濃の
方へ
降りようとする
峠の
上にありましたから、お
家のお
座敷からでもお
隣の
國が
山の
向ふの
方に
見えました。
極くお
天氣の
好い
日には、
遠い
近江の
國の
伊吹山まで、かすかに
見えることがあると、
祖父さんが
父さんに
話して
呉れたこともありました。
『お
蔭で、
高いところから
見物しました。』
と
凧が
言ひました。
父さんも
凧を
揚たり、
凧の
話を
聞いたりして、
面白く
遊びました。
自分の
造つた
凧がそんなによく
揚つたのを
見るのも
樂みでした。
『
凧も
見物で
草臥れました。もうそろ/\
降して
下さい。』
と
凧が
言ふものですから、
父さんが
絲をたぐりますと、
凧はフハ/\フハ/\
空を
舞ふやうにして、
田圃のところまで
嬉しさうに
降りて
來ました。
九
猿羽織猿羽織と
言つて、
父さんの
田舍の
子供は、お
猿さんの
着る
袖の
無い
羽織のやうなものを
着ました。
寒くなるとそれを
着ました。その
猿羽織を
着て
雪の
中を
飛んで
歩くのは、
丁度木曾の
山の
中のお
猿さんが、
雪の
中を
飛んで
歩くやうなものでした。
十
雪は
踊りつゝある
父さんの
田舍では、
何處の
家でも
板で
屋根を
葺いて、
風や
雪をふせぐために
大きな
石が
並べて
屋根の
上に
載せてありました。なんと、あの
石を
載せた
板屋根は
山の
中の
住居らしいでせう。
山には
大きな
檜木の
林もありますから、その
厚い
檜木の
皮を
板のかはりにして、
小屋の
屋根なぞを
葺くこともありました。
雪が
來ればさういふお
家の
屋根も
埋まつてしまひ、
畠も
白くなり、
竹藪も
寢たやうになつてしまひます。
元気な
雀は、そんな
歌[#ママ]に
頓着なしで、
自分のお
宿も忘
れれたやうに
雪と一
緒に
踊つて
歩きます。
坂路の
多い
父さんの
村では、
氷滑りの
出來る
塲所が
行く
先にありました。
村の
子供はみな
鳶口を
持つて
凍つた
坂路を
滑りました。この
氷滑りが
雪の
日の
樂みの一つで、
父さんも
爺やに
造つて
貰つた
鳶口を
持出しては
近所の
子供と一
緒に
雪の
降る
中で
遊びました。
積つた
雪を
凍つた
土の
上に
集めて、それを
下駄の
齒でこするうちには、
白いタヽキのやうな
路が
出來上ります。
鳶口を
手にしながら
坂の
上の
方から
滑りますと、ツーイ/\と
面白いやうに
身體が
行きました。もしか
滑り
損ねて
鳶口で
身體を
支へ
損ねた
塲合には
雪の
中へ
轉げこみます。さういふ
度に
子供同志の
揚げる
笑ひ
聲を
聞くのも
樂みでした。
自分の
着物についた
雪をはらつて
復滑りに
行くのも
樂みでした。どうかすると
凍つて
鏡のやうに
光つて
來ます。その
上に
白く
雪でも
降かゝると
氷滑りの
塲所とも
分らないことがあります。
村の
人達が
通りかゝつて、
知らずに
滑つて
轉ぶことなぞもありました。
父さんはお
前達のやうに、
竹馬に
乘つて
遊び
廻ることも
好きでした。
雪の
日には
殊にそれが
樂みでした。
大黒屋の
鐵さん、
問屋の三
郎さんなどゝといふ
近所の
子供が、
竹馬で一
緒になるお
友達でした。そんな
日でも、
馬が
荷物をつけ、
合羽を
着た
村の
馬方に
引かれて
雪の
路を
通ることもありました。
父さんが
竹馬の
上から
『
今日は。』
と
言ひますと、お
馴染の
馬は
鼻から
白い
氣息を
出して
笑ひながら
『やあ、
今日は、お
前さんも
竹馬ですね。』
と
挨拶しました。
美濃の
中津川といふ
町の
方から、いろ/\な
物を
脊中につけて
來て
呉れるのも、あの
馬でした。
時には
父さんの
村なぞに
無いめづらしい
玩具や、
父さんの
好きな
箱入の
羊羹を
隣の
國の
方から
土産につけて
來て
呉れるのも、あの
馬でした。
『
雪が
降つて
樂みでせうね。』
と
馬が
言ひましたが、
雪が
降れば
馬でも
嬉しいかと
父さんは
思ひました。
山の
中へ
來る
冬やお
正月には、お
前達の
知らないやうな
樂さもありますね。
氷滑りや
竹馬で
凍へた
手をお
家の
爐邊の
火にあぶるのも
樂みでした。
一一
庄吉爺さん
お
前達は
荒神さまを
知つて
居ませう。ほら、
臺所の
竈の
上に
祭る
神さまのことを
荒神さまと
言ひませう。あゝして
火を
鎭める
神さまばかりでなく、
父さんの
田舍では
種々なものを
祭りました。
繭玉のかたちを、しんこで
造つてそれを
竹の
枝にさげて、お
飼蠶さまを
守つて
下さる
神さまをも
祭りました。
病氣で
倒れた
馬のためには、
馬頭觀音を
祭りました。
歩いて
通る
旅人の
無事を
祈るためには、
道祖神を
祭りました。
父さんは
爺やに
連れられて、
山の
神さまへお
餅をあげに
行つた
事を
覺えて
居ます。
湯舟澤といふ
方へ
寄つた
山のはづれに、
山の
神さまが
祭つてありました。その
小さな
祠の
前に、
米の
粉で
造つたお
餅をあげて
來ました。その
邊は、どつちを
向いても
深い
山ばかりで、
爺やにでも
隨いて
行かなければ、とても
幼少な
時分の
父さんが
獨りで
行かれるところではありませんでした。
山や
林は
父さんの
故郷です。
父さんのやうに
大きくなつても、
忘れずに
居るのは、その
故郷です。
父さんは
爺やに
連れられて
深い
林の
方へも
行つて
見ました。そこへ
行くと
爺やの
伐つた
木がありました。
松葉の
積んだのもありました。
爺やはその
木を
背負つたり、
松葉を
背負つたりして、お
家の
木小屋の
方へ
歸つて
來るのでした。
この
爺やは
庄吉といふ
名で、
父さんの
生れない
前からお
家に
奉公して
居ました。
『よ、どつこいしよ。』
と
爺やは
山からかついで
來た
木をおろしました。
木小屋のなかでそれを
割りました。この
爺やの
大きな
手は
寒くなると、
皸が
切れて、まるで
膏藥だらけのザラ/\とした
手をして
居ましたが、でもその
心は
正直な、そして
優しい
老人でした。
爺やは
山から
伐つて
來た
木を
木小屋にしまつて
置いて、
焚つけにする
松葉もしまつて
置いて、
要るだけづゝお
家の
爐邊へ
運びました。
赤々とした
火が
毎日爐邊で
燃えました。
曾祖母さん、
祖父さん、
祖母さん、
伯父さん、
伯母さんの
顏から、
奉公するお
雛の
顏まで、
家中のものゝ
顏は
焚火に
赤く
映りました。その
樂い
爐邊には、
長い
竹の
筒とお
魚の
形と
繩とで
出來た
煤けた
自在鍵が
釣るしてありまして、
大きなお
鍋で
物を
煮る
塲所でもあり
家中集まつて
御飯を
食べる
塲所でもありました。
父さんの
田舍では
寒くなると
毎朝芋焼餅といふものを
燒いて、
朝だけ
御飯のかはりに
食べました。
蕎麥の
粉に
里芋の
子をまぜて
造つたその
燒餅の
焦げたところへ
大根おろしをつけて
焚火にあたりながらホク/\
食べるのは、どんなにおいしいでせう。その
蕎麥の
香ひのする
燒きたてのお
餅の
中から
大きな
里芋の
子なぞが
白く
出て
來た
時は、どんなに
嬉しいでせう。
爺やは
御飯の
時でも、なんでも、
草鞋ばきの
土足のまゝで
爐の
片隅に
足を
投げ
入れましたが、
夕方仕事の
濟む
頃から
草鞋をぬぎました。
爐邊にある
古い
屏風の
側が
爺やの
夜なべをする
塲所ときまつて
居ました。
爺やはその
屏風の
側に
新しい
藁なぞを
置いて、
父さんのために
小さな
草履を
造つたり、
自分ではく
草鞋を
造つたりしました。
爺やのお
伽話はその
時に
始まるのでした。
父さんはこの
好きな
老人から、
畠よりあらはれた
狸や
狢の
話、
山で
飛び
出した
雉の
話、それから
奧山の
方に
住むといふ
恐ろしい
狼や
山犬の
話なぞを
聞きましたが、そのうちに
眠くなつて、
爺やの
話を
聞きながら
爐邊でよく
寢てしまひました。
一二
草摘みに
父さんの
幼少な
時分には、お
錢といふものを
持たせられませんでしたから、それが
癖になつて、お
錢は
子供の
持つものでないと
思つて
居ましたし、
巾着からお
錢を
出して
自分の
好きなものを
買ふことも
知りませんでした。お
家からお
錢を
貰つて
行つて
何か
買ふのは、
村の
祭禮の
時ぐらゐのものでした。
そのかはり、お
庭にある
柿や
梨なぞが
生りたての
新しい
果物を
父さんに
御馳走して
呉れました。
祖母さんが
朴の
木の
葉で
包んで
下さる
※[#「熱」の左上が「幸」、50-3]い
握飯の
香でも
嗅いだ
方が、お
錢を
出して
買つたお
菓子より
餘程おいしく
思ひました。お
家の
外を
歩き
廻つても、
石垣のところには
黄色い
木苺の
實が
生つて
居るし、
竹籔のかげの
高い
榎木の
下には、
香ばしい
小さな
實が
落ちて
居ました。
村のはづれには「けんぽ
梨」といふ
木もあつて、
高い
枝の
上に
珊瑚珠のやうな
實が
生る
時分には
木曽路を
通る
旅人はめづらしさうに
仰向いて
見て
行きましたが、その
實も
取れば
食べられて
甘い
味がしました。そればかりではありません、
山にある
木の
葉、
田圃にある
草の
中にも『
食べられるからおあがり。』と
言つてくれるのもありました。
「スイ
葉」と
言つて、
青い
木の
葉の
生で
食べられるものもありました。
草では「いたどり」や「すいこぎ」が
食べられましたが、あの「すいこぎ」の
莖を
採つて
來てお
家で
鹽漬をして
遊ぶこともありました。
『
手をお
出し。
私もおいしいものを
上げますよ。』
父さんが
石垣の
側を
通る
度に、
蛇苺が
左樣言つては
父さんを
誘ひました。
蛇苺は
毒だと
言ひます。それを
父さんも
聞いて
知つて
居ました。あの
眼のさめるやうな
紅い
蛇苺の
實が
甘いことを
言つてよく
父さんを
誘ひましたが、そればかりは
觸りませんでした。
父さんの
幼少い
時分に
抱いたり
背負つたりして
呉れたお
雛は、
斯ういふ
山家に
生れた
女でした。
筍の
皮を三
角に
疊んで、
中に
紫蘇の
葉の
漬けたのを
入れて、よくそれを
父さんに
呉れたのもお
雛でした。それを
吸へば
紫蘇の
味がして、チユー/\
吸ふうちに、だん/\
筍の
皮が
赤く
染つて
來るのも
嬉しいものでした。このお
雛は
村の
髮結の
娘でした。お
雛のお
父さんは
數衛といふ
名で、
男の
髮結でしたが、
村中で一
番汚いといふ
評判の
人でした。その
汚い
髮結の
家のお
雛に
育てられると
言つて、
父さんは
人に
調戯れたものです。
『やあ
數衛の
子だ。』
こんなことを
言つて
惡戯好きな
人達は
父さんまで
汚い
髮結の
子にしてしまひました。しかし、お
雛は
幼少い
時分の
父さんをよく
見て
呉れました。お
雛の
歌ふ
子守唄は
父さんの一
番好きな
唄でした。それを
聞きながら、
父さんはお
雛の
背中で
寢てしまふこともありました。
父さんが
獨りでそこいらを
遊び
廻る
時分にはお
雛に
連れられてよく
蓬を
摘みに
行つたこともあります。あたゝかい
日の
映つた
田圃の
側で、
蓬を
摘むのは
樂みでした。それをお
家へ
持つて
歸つて
來て、
臼でつけば
草餅が
出來ました。
一三
燕の
來る
頃燕の
來る
頃でした。
澤山な
燕が
父さんの
村へも
飛んで
來ました。一
羽、二
羽、三
羽、四
羽||とても
勘定することの
出來ない
何十
羽といふ
燕が
村へ
着いたばかりの
時には、
直ぐに
人家へ
舞ひ
降りようとはしません。
離れさうで
離れない
燕の
群は、
細長い
形になつたり、
圓い
輪の
形になつたりして、
村の
空の
高いところを
揃つて
舞つて
居ます。そのうちに一
羽空から
舞ひ
降りたかと
思ふと、
何十
羽といふ
燕が一
時に
村へ
降りて
來ます。そして
互に
嬉しさうな
聲で
鳴き
合つて、
舊い
馴染の
軒塲を
尋ね
顏に、
思ひ/\に
分れて
飛んで
行きます。
父さんのお
家へ
飛んで
行くのもあれば、お
隣の
大黒屋へ
飛んで
行くのもあれば、そのまた一
軒置いてお
隣の
八幡屋の
方へ
飛んで
行くのもあります。ずつと
坂の
下の
方の三
浦屋という
宿屋の
方へ
飛んで
行くのもあります。
村で
染物をする
峯屋へも、
俵屋のお
婆さんの
家へも、
和泉屋の
和太郎さんのお
家へも
飛んで
行きました。
父さんが
村役塲の
前を
通りますと、そこへ
來て
羽を
休めて
居る
燕もありました。
燕は
役塲の
前に
建てゝある
木の
標柱を
眺めて、さも/\
遠い
旅行をして
來たやうな
顏をして
居ました。
『
長野縣西筑摩郡木曾神坂村』とその
木の
標柱には
書いてあるのです。
父さんは
燕の
話を
聞いて
見たいと
思ひまして、いろ/\に
話しかけましたが、まるでこの
燕は
異人でした。一
向に
言葉が
通じませんでした。
『もしもし、
燕さん、お
前さんは一
年に一
度づゝ、この
村へ
來るではありませんか。
遠い
國の
方へ
行つて
居て、
日本の
言葉も
忘れたのですか。』と
父さんが
言ひますと、
燕は
懷かしい
國の
言葉で
物を
言ひたくても、それが
言へないといふ
風で、
唯、ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ、
異人さんのやうな
解らないことを
言ひました。
燕は
嬉しさうに
父さんを
見て
尻尾の
羽を
左右に
振ながら、
遠い
空から
漸くこの
山の
中へ
着いたといふ
話でもするらしいのでした。それを
國の
言葉で
言へば、『
皆さん、お
變りもありませんか、あなたのお
家の
祖父さんもお
健者ですか。』と
尋ねるらしいのでしたが
燕の
言ふことは
早口で、
『ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ。』
としか
父さんには
聞えませんでした。
斯うした
言葉の
通じない
燕も、
村に
住み
慣れて、
家々の
軒に
巣をつくり、くちばしの
黄色い
可愛い
子供を
育てる
時分には、
大分言葉がわかるやうになりました。
燕が
父さんのところへ
來て
何を
言ふかと
思ひましたら、こんなことを言
ひました。
『
私共は
遠い
國の
方から
參るものですから、なか/\
言葉が
覺えられません、でも、あなたがたが
親切にして
下さるのを、
何より
有難く
思ひます。
鶫といふ
鳥や
鶸といふ
鳥は、
何百
羽飛んで
參りましても、みんな
網や
黐に
掛つてしまひますが、
私共にかぎつて
軒先を
貸して
下すつたり
巣をかけさせたりして
下さいます。それが
嬉しさに、
斯うして
毎年旅をして
參るのです。』
一四
永昌寺『
今日は。』
と
狐が
永昌寺の
庭へ
來て
言ひました。
永昌寺とは、
父さんの
村のお
寺です。そのお
寺に、
桃林和尚といふ
年とつた
和尚さんが
住んで
居ました。この
僧侶は
心の
善い
人でした。
『お
前は
何しに
來ました。』
と
桃林和尚が
尋ねますと、
狐の
言ふことには、
『わたしはお
寺を
拜見にあがりました。』
父さんが
初めてあがつた
小學校も、この
和尚さんの
住むお
寺の
近くにありました。
小學校の
生徒に
狐がついたと
言つて、一
度大騷ぎをしたことがありました。
父さんはその
時分はまだ
幼少くてなんにも
知りませんでしたが、その
狐のついたといふ
生徒は
口から
泡を
出し、
顏色も
蒼ざめ、ぶる/″\
震へてしまひました。
何度も/\も
名前を
呼ばれて、
漸くその
生徒は
正氣に
復つた
事がありました。
桃林和尚はその
話も
聞いて
知つて
居りましたから、いづれ
狐がまた
何か
惡戯をするためにお
寺へ
訪ねて
來たに
違ひないと、
直に
感づきました。
『
和尚さん、
和尚さん、こちらは
大層好いお
住居ですね。この
村に
澤山お
家がありましても、こちらにかなふところはありません。
村中第一の
建物です。こんなお
住居に
被入しやる
和尚さんは
仕合せな
方ですね。』
斯う
狐は
言ひました。
狐は
調戯ふつもりでわざと
桃林和尚の
機嫌を
取るやうにしましたが、
賢い
和尚さんはなか/\その
手に
乘りませんでした。
『ハイ、
御覽の
通り、
村では
大きな
建物です。しかしこのお
寺は
村中の
人達の
爲めにあるのです。
私はこゝに
御奉公して
居るのです。お
前さんは
私がこの
住居の
御主人のやうなことを
言ひますが
私は
唯こゝの
番人です。』
斯う
桃林和尚が
答へましたので、
狐は
頭を
掻き/\
裏の
林の
方へこそ/\
隱れて
行きました。
桃林和尚が
御奉公して
居た
永昌寺は、
小高い
山の
上にありました。そのお
寺の
高い
屋根は
村中の
家の一
番高いところでした。
狐が
來て
言つた
通り、
村中一
番の
建築物でもありました。そこで
撞く
鐘の
音は
谷から
谷へ
響けて、
何處の
家へも
傳はつて
行きました。その
鐘の
音は、
年とつた
和尚さんの
前の
代にも
撞き、そのまた
前の
代にも
撞いて
來たのです。もう
何百
年といふことなく、
古い
鐘の
音が
山の
中で
鳴つて
居たのです。
永昌寺のある
山の
中途には、
村中のお
墓がありました。こんもりと
茂つた
杉の
林の
間からは、
石を
載せた
村の
板屋根や、
柿の
木や、
竹籔や、
窪い
谷間の
畠まで、一
目に
見えました。そこには
父さんのお
家の
御先祖さま
達も、
紅い
椿の
花なぞの
咲くところで
靜かに
眠つて
居りました。
一五 お
茶をつくる
家雀が
父さんのお
家へ
覗きに
來ました。
丁度お
家ではお
茶をつくる
最中でしたから、
雀がめづらしさうに
覗きに
來たのです。
『お
前さんのお
家ではお
茶をつくるんですか。』
と
雀が
言ひますから、
『えゝ、
私の
家ではお
茶を
買つたことが
有りません。
毎年自分の
家でつくります。』
と
父さんが
話してやりました。その
時、
父さんが
雀に、あの
大きなお
釜の
方を
御覽と
言つて
見せました。そこではお
家の
畠で
取れたお
茶の
葉を
煮て
居る
人があります。あの
莚[#ルビの「むしろ」は底本では「むろ」]の
上を
御覽と
言つて
見せました。そこではお
釜から
出したお
茶の
葉をひろげて
團扇であほいで
居る
人があります。あの
焙爐の
方を
御覽と
言つて
見せました。そこでは
火の
上にかけたお
茶の
葉を
兩手で
揉んで
居る
人があります。
『チユウ、チユウ。』
とめづらしいことの
好きな
雀が
鳴きました。そしてめづらしいことでさへあれば、
雀は
喜びました。
お
家では
祖母さんや
伯母[#ルビの「をば」は底本では「おば」]さんやお
雛まで
手拭を
冠りまして、
伯父さんや
爺やと一
緒に
働きました。
近所から
手傳ひに
來て
働く
人もありました。
好いお
茶の
香がするのと、
家中でみんな
働いて
居るので、
父さんも
雀と一
緒にそこいらを
踊つて
歩きました。
父さんのお
家ではこのお
茶ばかりでなく
食べる
物も
着る
物も
自分のところで
造りました。お
味噌も
家で
造り、お
醤油も
家で
造り、
祖母さんや
伯母さんの
髮につける
油まで
庭の
椿の
樹の
實を
絞つて
造りました。
林にある
小梨の
皮を
取つて
來て、
黄色い
汁で
絲まで
染めました。
父さんの
子供の
時分には
祖母さんの
織つて
下さる
着物を
着、
爺やの
造つて
呉れる
草履をはいて、それで
學校へ
通ひました。さうして、この
手造りにしたものゝ
樂みを
父さんに
教へて
呉れたのは、
祖母さんでした。
祖母さんは
働くことが
好きで、みんなの
先に
立つてお
茶もつくりましたし、
着物も
根氣に
織りました。
祖母さんは
隣村の
妻籠といふところから、
父さんのお
家へお
嫁に
來た
人で、
曾祖母[#「ひいおばあ」は底本では「ひいおば」]さんほどの
學問は
無いと
言ひましたが、でもみんなに
好かれました。
林檎のやうに
紅い
祖母さんの
頬ぺたは、
家中のものゝ
心をあたゝめました。
祖母さんの
着物を
織る
塲所はお
家の
玄關の
側の
板の
間と
定つて
居ました。そのお
庭の
見える
明るい
障子の
側に
祖母さんの
腰掛て
織る
機が
置いてありました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
祖母さんの
筬が
動く
度に、さういふ
音が
聞こえて
來ます。
父さんが
玄關の
廣い
板の
間に
居て、その
筬の
音を
聞きながら
遊んで
居りますと、そこへもよくめづらしいもの
好きの
雀が
覗きに
來ました。
一六
梨や
柿はお
友達父さんのお
家の
庭にはいろ/\な
木が
植てありました。
父さんはその
木を
自分のお
友達のやうに
想つて
大きくなりました。お
前達の
祖父さんのお
部屋の
前にあつた
古い
大きな
松の
樹も、
表の
庭にあつた
椿の
木もみんな
父さんのお
友達でした。その
椿の
木の
側には
梨の
木もあつて、
毎年大きな
梨がなりました。
あの
青い
梨の
實のなつた
樹の
下へは
父さんもよく
見に
行[#ルビの「い」は底本では「ゆ」]つたものです。
『もう
食べてもいゝかい。』
と父さんが
梨の
木に
聞きに
行きますと
『まだ
早い、まだ
早い。』
と
梨の
木は
言つて、なか/\
食べてもいゝとは
言ひませんでした。そして、その
梨の
實が
大きくなつて、
色のつく
時分には、
丁度御祝言の
晩の
花嫁さんのやうに、
白い
紙袋をかぶつて
了ひました。これは
蜂が
來て
梨をたべるものですから、
蜂をよけるために
紙袋をかぶせるのです。お
勝手の
横には
祖父さんの
植ゑた
桐の
木がありました。その
桐の
木の
下は一
面に
桑畑でした。お
隣の
高い
石垣や
白い
壁なぞがそこへ
行くとよく
見えました。
桑の
實の
生る
時分には
父さんは
桑の
木の
側へ
行つて
『
食べてもいゝかい。』
とたづねますと、
桑の
木は
見かけによらない
優しい
木でした。
『あゝ、いゝとも。いゝとも。』
と
言つて
呉れました。
父さんはうれしくて、あの
桑の
木に
生る
紫色の
可愛い
小さな
實を
枝からちぎつて
口に
入れました。
土藏の
前には、
柿の
木もありました。
父さんはよくその
柿の
木の
下へ
行つて
遊びました。
柿の
木はまた
梨や
桐の
木とちがつて、にぎやかな
木で、
父さんが
遊びに
行く
度に
何かしら
集めたいやうなものが
木の
下に
落ちて
居ました。
柿の
花の
咲く
時分に
行くと、あの
甘い
香ひのする
小さな
花が一ぱい
落ちて
居ます。
實の
生る
時分に
行くと、あの
蔕のついた
青い
小さな
柿が
澤山落ちて
居ます。そろ/\
木の
葉の
落ちる
時分に
行くと
大きな
色のついた
柿の
葉がそこにもこゝにも
落ちて
居ます。
父さんはそれを
拾集めるのが
樂みでした。それに
他のお
家の
柿の
木へは
登らうと
思つても
登れませんでしたが、
自分のお
家の
柿の
木ばかりは
惡い
顏もせずに
登らせて
呉れました。
父さんは
枝から
枝をつたつて
登つて、
時にゆすつたりしても
柿の
木は
怒りもしないのみか、『もつと
遊んでお
出。もつと
遊んでお
出。』
と
父さんに
言ひました。
一七
鳥獸もお
友達山の
中に
育つた
父さんは、いろいろな
木をお
友達のやうに
思つて
大きくなつたばかりではありません。お
前達の
好きなお
伽話の
本や
雜誌の
中に
出て
來るやうな、
鳥や
獸まで
幼少い
時分の
父さんにはお
友達でした。
お
家にはおいしい
玉子を
御馳走して
呉れる
鷄が
飼つてありました。
父さんが
裏庭に
出て、
桐の
木の
下あたりを
歩き
廻つて
居ますと、その
邊には
鷄も
遊んで
居ました。
『コツ、コツ、コツ。』
と
鷄は
父さんを
見かける
度に
挨拶します。
時には
鷄はお
友達のしるしにと
言つて、
白い
羽や
茶色な
羽の
拔けたのを
父さんに
置いて
行つて
呉れることもありました。
めづらしいお
客さまでもある
時には、
父さんのお
家[#「いへ」はママ]では
鷄の
肉を
御馳走しました。
山家のことですから、
鷄の
肉と
言へば
大した
御馳走でした。その
度にお
家に
飼つてある
鷄が
減りました。あの
締められた
首を
垂れ
眼を
白くしまして、
羽をむしられる
鷄を
見て
居ますと、
父さんはお
腹の
中でハラ/\しました。これはお
客さまの
御馳走ですから
仕方が
無いと
思ひましたが、
近所のお
家では、
鬪鷄や
鷄を
締殺して
煮て
食ふといふことをよくやりました。
村には
隨分惡戲の
好きな
人達がありました。さういふ
人達は
生きて
居る
鬪鷄の
毛をむしりまして、
煮て
食ふ
前に
追ひ
廻して
面白がつたものです。あの
赤はだかに
毛を
拔かれた
鳥がヒヨイ/\
飛び
歩くのを
見るほど、むごいものは
無いと
思ひました。
父さんは
子供心にも、そんな
惡戲をする
村の
人達を
何程憎んだか
知れません。
お
家の
土藏には
年をとつた
白い
蛇も
住んで
居りました。その
蛇は
土藏の『
主』だから、かまはずに
置けと
言つて、
石一つ
投げつけるものもありませんでした。
不思議にもその
年とつた
蛇は
動物園にでも
居るやうに
温順しくして
居てついぞ
惡戲をしたといふことを
聞きません。
父さんはめつたにその
蛇を
見ませんでしたが、どうかすると
日の
映つた
土藏の
石垣の
間に
身體だけ
出しまして、
頭も
尻尾も
隱しながら
日向ぼつこをして
居るのを
見かけました。
この
土藏について
石段を
降りて
行きますと、お
家の
木小屋がありました。
木小屋の
前には
池があつて
石垣の
横に
咲いて
居る
雪の
下や、そこいらに
遊んで
居る
蜂や
蛙なぞが、
父さんの
遊びに
行くのを
待つて
居ました。
裏木戸の
外へ
出て
見ますと、そこにはまたお
稻荷さまの
赤い
小さな
社の
側に
大きな
栗の
木が
立つて
居ました。
風でも
吹いて
栗の
枝の
搖れるやうな
朝に
父さんがお
家から
馳出して
行つて
見ますと『
誰も
來ないうちに
早くお
拾ひ。』と
栗の
木が
言つて、三つづゝ一
組になつた
栗の
實の
毬と一
緒に
落ちたのを
父さんに
拾はせて
呉れました。
高いところを
見ると、ワンと
口を
開いた
栗の
毬が
枝の
上から
父さんの
方を
笑つて
見て
居まして、わざと
落ちた
栗の
在る
塲所も
教へずに、
父さんに
探し
廻らせては
悦んで
居りました。
『あんなところに
落ちて
居るのが、あれが
見えないのかナア。』とは
栗の
毬がよく
父さんに
言ふことでした。
栗の
木は
花からして
提灯をぶらさげたやうに
滑稽な
木でしたし、どうかすると
青い
栗虫なぞを
落してよこして、
人をびつくりさせることの
好きな
木でしたが、でも
父さんの
好きな
木でした。
一八
榎木の
實お
家の
裏にある
榎木の
實が
落ちる
時分でした。
父さんはそれを
拾ふのを
樂みにして、まだあの
實が
青くて
食べられない
時分から、
早く
紅くなれ
早く
紅くなれと
言つて
待つて
居ました。
爺やは
山へも
木を
伐りに
行くし
畑へも
野菜をつくりに
行つて、
何でもよく
知つて
居ましたから、
『まだ
榎木の
實は
澁くて
食べられません。もう
少しお
待ちなさい。』とさう
申しました。
父さんは
榎木の
實の
紅くなるのが
待つて
居られませんでした。
爺やが
止めるのも
聞かずに、
馳出して
木の
實を
拾ひに
行きますと、
高い
枝の
上に
居た一
羽の
橿鳥が
大きな
聲を
出しまして、
『
早過ぎた。
早過ぎた。』と
鳴きました。
父さんは、
枝に
生つて
居るのを
打ち
落すつもりで、
石ころや
棒を
拾つては
投げつけました。その
度に、
榎木の
實が
葉と一
緒になつて、パラ/\パラ/\
落ちて
來ましたが、どれもこれも、まだ
青くて
食べられないのばかりでした。
そのうちに
復た
父さんは
出掛けて
行きました。『
大丈夫、
榎木の
實はもう
紅くなつて
居る。』と
安心して、ゆつくり
構へて
出掛けて
行きました。
木の
實を
拾ひに
行きますと、
高い
枝の
上に
居た
橿鳥がまた
大きな
聲を
出しまして、
『
遲過ぎた。
遲過ぎた。』と
鳴きました。
父さんは、しきりと
木の
下を
探し
廻りましたが、
紅い
榎木の
實は
一つも
見つかりませんでした。ゆつくり
出掛けて
行くうちに、
木の
下に
落ちて
居たのを
皆な
他の
子供に
拾はれてしまひました。
父さんがこの
話を
爺やにしましたら、
爺やがさう
申しました。
『
一度はあんまり
早過ぎたし、
一度はあんまり
遲過[#ルビの「おそす」は底本では「はやす」]ぎました。
丁度好い
時を
知らなければ、
好い
榎木の
實は
拾はれません。
私がその
丁度好い
時を
教へてあげます。』と
申しました。
ある
朝、
爺やが
父さんに『さあ
早く
拾ひにお
出なさい、
丁度好い
時が
來ました。』と
教へました。その
朝は
風が
吹いて、
榎木の
枝が
搖れるやうな
日でした。
父さんが
急いで
木の
下へ
行きますと、
橿鳥が
高い
木の
上からそれを
見て
居まして、
『
丁度好い。
丁度好い。』と
鳴きました。
榎木の
下には、
紅い
小さな
球のやうな
實が、そこにも、こゝにも、一ぱい
落ちこぼれて
居ました。
父さんは
木の
周圍を
廻つて、
拾つても、
拾つても、
拾ひきれないほど、それを
集めて
樂みました。
橿鳥は
首を
傾げて、このありさまを
見て
居ましたが、
『なんとこの
榎木の
下には
好い
實が
落ちて
居ませう。
澤山お
拾ひなさい。
序に、
私も
一つ
御褒美を
出しますよ。それも
拾つて
行つて
下さい。』と
言ひながら
青い
斑の
入つた
小さな
羽を
高い
枝の
上から
落してよこしました。
父さんは
榎木の
實ばかりでなく、
橿鳥の
美しい
羽を
拾ひ、おまけにその
大きな
榎木の
下で、『
丁度好い
時。』まで
覺えて
歸つて
來ました。
一九
木曾の
蠅木曾は
蠅の
多いところです。
木曾には
毎年馬市が
立つくらゐに、
諸方で
馬を
飼ひますから、それで
蠅が
多いといひます。
蠅は
何にでも
行つて
取りつきます。
荷物をつけて
通る
馬にも
取りつけば、
旅人の
着物にも
取りつきます。
蠅は
誰とでも
直ぐ
懇意になりますが、そのかはり
誰にでもうるさがられます。こんなうるさい
蠅でも、
道連れとなれば
懐かしく
思はれたかして、
木曾の
蠅のことを
發句に
讀んだ
昔の
旅人もありましたつけ。
二○
蚋似て、
違ふもの
||蠅と
蚋。
蠅はうるさがられ、
蚋は
恐がられて
居ます。
蚋は
人をも
馬をも
刺します。あの
長くて
丈夫な
馬の
尻尾の
房々とした
毛は、
蚋を
追ひ拂
ふのに
役に
立つのです。
父さんが
幼少な
時分に
晝寢をして
居ますと、どうかするとこの
蚋に
食はれることが
有りました。その
度に、お
前達の
祖父さんが
大きな
掌で、
蚋を
打ち
懲して
呉れました。
二一
木曾馬木曾のやうに
山坂の
多いところには、その
土地に
適した
馬があります。いくら
體格の
好い
立派な
馬でも、
平地にばかり
飼はれた
動物では、
木曾のやうな
土地には
適しません。そこで、
石ころの
多い
坂路を
歩いても
疲れないやうな
強い
脚の
力が、
木曾生れの
馬には
自然と
具はつて
居るのです。
木曾馬は
小いが、
足腰が
丈夫で、よく
働くと
言つて、それを
買ひに
來る
博勞が
毎年諸國から
集まります。
博勞とは
馬の
賣買を
商賣にする
人のことです。
木曾の
山地に
育つた
眼付の
可愛らしい
動物がその
博勞に
引かれながら、
諸國へ
働きに
出るのです。
二二
御嶽參り
『チリン/\。チリン/\。』
山が
夏らしくなると、
鈴の
音が
聞えるやうに
成ります。
御嶽山に
登らうとする
人達が
幾組となく父さんのお
家の
前を
通るのです。
馬に
乘るか、
籠に
乘るか、さもなければ
歩いて
旅をした
以前の
木曾街道の
時分には、
父さんの
生れた
神坂村も
驛の
名を
馬籠と
言ひました。
汽車や
電車の
着くところが
今日のステエシヨンなら、
馬や
籠の
着いた
父さんの
村は
昔の
木曾街道時分のステエシヨンのあつたところです。ほら、
何々の
驛といふことをよく
言ふでは
有りませんか。
木曾の
山の
中にあつた
小さな
馬籠驛でも、
言葉の
意味に
變りは
無いのです。
丁度、お
隣りで
美濃の
國の
方から
木曽路へ
入らうとする
旅人のためには、
一番最初の
入口のステエシヨンにあたつて
居たのが
馬籠驛です。
御嶽參りが
西の
方から
斯の
木曾の
入口に
着くには、
六曲峠といふ
峠を
越して
來なければなりません。そこが
信濃と
美濃の
國境で、
父さんの
村のはづれに
當つて
居ます。
馬籠の
驛まで
來れば
御嶽山はもう
遠くはない、そのよろこびが
皆の
胸にあるのです。あの
白い
着物に、
白い
鉢巻をした
山登りの
人達が、
腰にさげた
鈴をちりん/\
鳴らしながら
多勢揃つて
通るのは、
勇しいものでした。
二三
芭蕉翁の
石碑お
前達は
芭蕉翁の
名を
聞いたことが
有りませう。あの
芭蕉翁の
木曾で
讀んだ
發句が
石に
彫りつけてあります。その
古い
石碑が
馬籠の
村はづれに
建てゝあります。
美濃の
國境に
近いところに、それがあります。
『
朝を
思ひ、また
夕を
思ふべし。』
と
芭蕉翁は
教へた
人です。
二四 お
百草御嶽山の
方から
歸る
人達は、お
百草といふ
藥をよく
土産に
持つて
來ました。お
百草は、あの
高い
山の
上で
採れるいろ/\な
草の
根から
製した
練藥で、それを
竹の
皮の
上に
延べてあるのです。
苦い/\
藥でしたが、お
腹の
痛い
時なぞにそれを
飮むとすぐなほりました。お
藥はあんな
高い
山の
土の
中にも
藏つてあるのですね。
二五
檜木笠麥藁でさへ
帽子が
出來るのに、
檜木で
笠が
造れるのは
不思議でもありません。
木曾は
檜木[#「檜木」は底本では「榎木」]の
名所ですから、あの
木を
薄い
板に
削りまして、
笠に
編んで
冠ります。その
笠の
新しいのは、
好い
檜木の
香氣がします。
木曾の
檜木は
[#「は」は底本では「を」]材木として
立派なばかりでなく、
赤味のある
厚い
木の
皮は
屋根板の
代りにもなります。まあ、あの一ト
擁へも
二擁へもあるやうな
檜木の
側へ、お
前達を
連れて
行つて
見せたい。
二六 ふるさとの
言葉山や
林は
父さんのふるさとですと、お
前達にお
話しましたらう。
山や
林ばかりでなく、
言葉も
父さんのふるさとです。
邊鄙な
山の
中の
村ですから、
言葉のなまりも
鄙びては
居ますが、
人の
名前の
呼び
方からして
馬籠は
馬籠らしいところが
有ります。たとへば、
末子のやうなちひさな
女の
子を
呼ぶにも、
『
末さま。』
と
言つたり、もつと
親しい
間柄で
呼ぶ
時には、
『
末さ』
と
言つたりしまして、
鄙びた
言葉の
中にも
何處か
優しいところが
無いでもありません。
父さんの
田舍には『どうねき』などといふ
言葉もあります。もう
仕末におへないやうな
人のことを『どうねき』と
言ひます。こんな
言葉は
木曾にだけ
有つて、
他の
土地には
無いのだらうかと
思ひます。それから、『わやく』といふやうな
言葉もあります。『いたずらな
子供』といふところを『わやくな
子供』などゝ
言ひます。
ふるさとの
言葉はこひしい。それを
聞くと、
父さんは
自分の
子供の
時分に
歸つて
行くやうな
氣がします。お
前達の
祖父さんでも、
祖母さんでも、みんなその
言葉の
中に
生きていらつしやるやうな
氣がします。
二七 お
百姓の
苗字父さんの
田舍の
方には
働くことの
好きなお
百姓が
住んで
居ます。
今でこそあの
人達に
苗字の
無い
人はありませんが、
昔は
庄吉とか、
春吉とかの
名前ばかりで、
苗字の
無い
人達が
澤山あつたさうです。
明治のはじめを
御維新の
時と
言ひまして、あの
御維新の
時から、どんなお
百姓でも
立派な
苗字をつけることに
成つたさうです。
父さんのお
家にも
出入のお
百姓がありまして、お
餅をつくとか、お
茶をつくるとかいふ
日には、
屹度お
手傳ひに
來て
呉れました。あの
人達はお
前達の
祖父さんのことを『お
師匠さま、お
師匠さま』と
呼んで
居ました。あの
人達が
苗字をつける
時のことを
今から
思ひますと、
『お
師匠さま、
孫子に
傳はることでございますから、どうかまあ
私共にも
好ささうな
苗字を一つお
願ひ
申します。』
斯うもあつたらうかと
思ひます。そして、
大脇[#ルビの「おほわき」は底本では「おはわき」]の
脇の
字を
分けて
貰ふとか、
蜂谷の
谷の
字を
分けて
貰ふとかして、いろ/\な
苗字が
村にふえて
行つたらうかと
思ひます。
二八
狐の
身上話お
稻荷さまは
五穀の
神を
祀つたものですとか。
五穀とは
何と
何でせう。
米に、
麥に、
粟に、
黍に、それから
豆です。
粟は
粟餅の
粟、
黍はお
前達のお
馴染な
桃太郎が
腰にさげて
居る
黍團子の
黍です。
父さんのお
家の
裏にも、
斯のお
百姓の
神樣が
祀つてありました。
赤い
鳥居の
奧にある
小さな
社がそれです。二
月初午の
日には、お
家の
爺やが
大きな
太鼓を
持出して、その
社の
側の
櫻の
枝の
木に
掛けますと、そこへ
近所の
子供が
集まりました。
父さんもその
太鼓を
叩くのを
樂みにしたものです。
お
前達はあの
繪馬を
知つて
居ますか。
馬の
繪をかいた
小さな
額が
諸方の
社に
掛けてあるのを
知つて
居ますか。あの
額の
中には『
奉納』といふ
文字と、それを
進げた
人の
生れた
年なぞが
書いてあるのに
氣がつきましたか。
父さんのお
家の
裏に
祀つてあるお
稻荷さまの
社にも、あの
繪馬がいくつも
掛つて
居ました。それから、
白い
狐の
姿をあらはした
置物も
置いてありました。その
白狐はあたりまへの
狐でなくて、
寶珠の
玉を
口にくはへて
居ました。
『お
前さんがお
稻荷さまですか。』
と
父さんがその
狐にきいて
見ました。さうしましたら
白狐の
答へるには、
『どうしまして。
私はお
稻荷さまの
使ひですよ。この
社の
番人ですよ。
私もこれで
若い
時分には
隨分いたずらな
狐でして、
諸方の
畠を
荒しました。一
體、
私の
幼少な
時分には、ごく
弱かつたものですから、この
白狐はこれでも
育つかしら、と
皆に
言はれたくらゐださうです。その
私を
可哀さうに
思つて、
親狐は
私の
言ふなりに
育てゝ
呉れましたとか。
私は
他の
言ふことなぞを
聞かないで、
自分のしたい
事をしました。
鷄が
食べたければ、
鷄を
盜んで
來ました。そんな
眞似をして、もう
我儘一ぱいに
振舞つて
居りますうちに、だん/″\
私は
[#「は」は底本では「ば」]獨りぼつちに
成つてしまひました。
誰も
私とは
交際はなくなりました。
私の
眼が
覺める
時分には、
誰も
私の
言ふことを
本當にして
呉れる
者はありませんでした。
御覽の
通り、
私は
今、お
稻荷さまの
社の
番人をして
居ます。
私のやうな
狐でも
生れ
變つたやうになれば、
斯うして
社の
番人をさせて
頂けるのです。
私がもう
若い
時分のやうな
惡戯な
狐でない
證據には、この
私の
口を
御覽になつても分ります。
私がお
稻荷さまのお
使ひをして
歩く
度に、この
口にくはへて
居る
寶珠の
玉が
光ります。』
とさう
申しました。
二九
生徒さん、
今日は
村の
學校の
生徒が
石垣の
間の
細い
道を
歸つて
來ますと、こちらの
石垣から
向ふの
石垣の
方へ
通りぬけようとする
鼠がありました。
丁度、
村では
惡戯をした
鼠の
噂が
傳はつて
居る
頃でした。いかにそゝツかしい
山家の
鼠でも、そこに
寢て
居る
女の
人の
鼻を
間違へて、お
芋かなんかのやうに
食べようとしたなんて、そんなことはめつたに
聞かない
惡戯ですから。
學校の
生徒に
逢つた
鼠は
賢い
鼠でした。
他所の
鼠の
惡戯から、
自分までその
仕返しをされては
堪らないと
思ひましたから、
先づ
自分の
鼻を
大事[#ルビの「だいじ」は底本では「なだいじ」]さうにおさへて
居まして、それから
斯う
挨拶しました。
『
生徒さん、
今日は。』
三○
黒い
蝶蝶ある
日のことでした。
父さんはお
家の
裏木戸の
外をさん/″\
遊び
廻りまして、
木戸のところまで
歸つて
來ますと、
高い
枳殼の
木の
上の
方に
卵でも
産みつけようとして
居るやうな
大きな
黒い
蝶々を
見つけました。
いろ/\な
可愛らしい
蝶々も
澤山ある
中で、あの
大きな
黒い
蝶々ばかりは
氣味の
惡いものです。あれは
毛蟲の
蝶々だと
言ひます。
何の
氣なしに
父さんはその
蝶々を
打ち
落すつもりで、
木戸の
内の
方から
長い
竹竿を
探して
來ました。ほら、
枳殼といふやつは、あの
通りトゲの
出た、
枝の
込んだ
木でせう。
父さんが
蝶々をめがけて
竹竿を
振る
度に、それが
枳殼の
枝を
打つて、
青い
葉がバラ/\
落ちました。
そのうちに
蝶々は
父さんの
竹竿になやまされて、
手傷を
負つたやうでしたが、まだそれでも
逃げて
行かうとはしませんでした。そこいらにはもう
誰も
人の
居ない
頃で、
木戸に
近いお
稻荷さまの
小さな
社から、お
家の
裏手にある
深い
竹籔の
方へかけて、
何もかも、ひつそりとして
居ました。
大きな
蝶々だけが
氣味の
惡い
黒い
羽をひろげて、
枳殼のまはりを
飛んで
居ました。それを
見ると、
父さんはその
蝶々を
殺してしまはないうちは
安心の
出來ないやうな
氣がして、
手にした
竹竿で、
滅茶々々に
枳殼の
枝の
方を
打つて
置いて、それから
木戸の
内へ
逃げ
込みました。
未だに
父さんはあの
時のことを
忘れません。
母屋の
石垣の
下にある
古い
池の
横手から、ひつそりとした
木小屋の
前を
通り、
井戸の
側の
石段を
馳け
登るやうにしまして、
祖母さん
達の
居る
方へ
急いで
歸つて
行つた
時のことを
忘れません。
それにつけても、
父さんはある
亞米利加人の
話を
思ひ
出します。
その
亞米利加人がまだ
子供の
時分に
龜の
子を
打つた
話を
思ひ
出します。
生れて
初めて『
惡い』といふ
事をほんたうに
知つた、
自分で
惡いと
思ひながら
復た
棒を
振上げ/\して
龜の
子を
打つのに
夢中になつてしまつた、あんな
心持は
初めてだ、さう
亞米利加人の
話の
中に
書いてあつたことを
思ひ
出します。その
亞米利加人が
母親から
言はれた
言葉を
引いて、あれが
自分の『
良心の
眼ざめ』だ、
自分が一
生の
中のどんな
出來事でもあんなに
深く
長續きのして
殘つたものはない、とその
話にも
言つてありましたつけ。
三一
梨の
木の
下子供が
片足づゝ
揚げて
遊ぶことを、
東京では『ちん/\まご/\』と
言ひませう。
土地によつては『
足拳』と
言ふところも
有るさうです。
父さんの
田舍の
方ではあの
遊びのことを『ちんぐら、はんぐら』と
言ひます。
問屋の三
郎さんは
近所の
子供の
中でも
父さんと
同い
年でして、
好い
遊び
友達でした。
父さんがお
家の
表に
出て
遊んで
居りますと、
何時でも
坂の
上の
方から
降りて
來て一
緒に
成るのは、この三
郎さんでした。
二人は
片足づゝ
揚げまして、
坂になつた
村の
往来を『ちんぐら、はんぐら』とよく
遊びました。
ある
日の
夕方の
事、
父さんは
何かの
事で三
郎さんと
爭ひまして、この
好い
遊び
友達を
泣かせてしまひました。三
郎さんの
祖母さんといふ
人は
日頃三
郎さんを
可愛がつて
居ましたから、
大層立腹して、
父さんのお
家へ
捩じ
込んで
來たのです。
問屋の
祖母さんと
言へば、なか/\
負けては
居ない
人でしたからね。
父さんはお
家へ
歸ればきつと
叱られることを
知つて
居ましたから、しょんぼりと
門の
内まで
歸つて
行きました。お
家には
廣い
板の
間の
玄關と、
田舍風な
臺所の
入口と、
入口が二つになつて
居ましたが、その
臺所の
入口から
見ますと、
爐邊ではもう
夕飯が
始まつて
居ました。ところが
誰も
父さんに『お
入り』と
言ふ
人がありません。『
早く
御飯をおあがり』と
言つて
呉れる
者も
有りません。
父さんは
自分のしたことで、こんなに
皆を
怒らせてしまつたかと
思ひました。そのうちに、
『お
前はそこに
立つてお
出で。』
といふ
伯父さんの
聲を
聞きつけました。あのお
前達の
伯父さんが、
父さんには
一番年長の
兄さんに
當る
人です。
父さんは
問屋の三
郎さんを
泣かせた
罰として、
庭に
立たせられました。あか/\と
燃える
樂しさうな
爐の
火も、みんなが
夕飯を
食べるさまも、
庭の
梨の
木の
下からよく
見えました。
爺やは
心配して、
父さんを
言ひなだめに
來て
呉れましたが、
父さんは
誰の
言ふ
事も
聞き
入れずに、みんなの
夕飯の
濟むまでそこに
立ちつくしました。
斯ういう
塲合に、いつでも
父さんを
連れに
來て
呉れるのはあのお
雛で、お
雛は
父さんのために
御飯までつけて
呉れましたが、
到頭その
晩は
父さんは
食べませんでした。
愚かな
父さんは、好い
事でも
惡い
事でもそれを
自分でして
見た
上でなければ、その
意味をよく
悟ることが
出來ませんでした。そのかはり、
一度懲りたことは、めつたにそれを
二度する
氣にならなかつたのは、あの
梨の
木の
下に
立たせられた
晩のことをよく/\
忘れずに
居たからでありませう。
三二
翫具は
野にも
畠にも
父さんの
幼少い
時のやうに
山の
中に
育つた
子供は、めつたに
翫具を
買ふことが
出來ません。
假令、
欲しいと
思ひましても、それを
賣る
店が
村にはありませんでした。
翫具が
欲しくなりますと、
父さんは
裏の
竹籔の
竹や、
麥畠に
乾してある
麥藁や、それから
爺やが
野菜の
畠の
方から
持つて
來る
茄子だの
南瓜だのゝ
中へよく
探しに
行きました。
爺やが
畠から
持つて
來る
茄子は、
父さんに
蔕を
呉れました。その
茄子の
蔕を
兩足の
親指の
間にはさみまして、
爪先を
立てゝ
歩きますと、
丁度小さな
沓をはいたやうで、
嬉しく
思ひました。
南瓜も
父さんに、
蔕を
呉れました。
『
御覽、
私の
蔕の
堅いこと。まるで
竹の
根のやうです。これをお
前さんの
兄さんのところへ
持つて
行つて、この
裏の
平らなところへ
何か
彫つてお
貰ひなさい。それが
出來たら、
紙の
上へ
押して
御覽なさい。
面白い
印行が
出來ますよ。』
と
南瓜が
教へて
呉れました。
裏の
竹籔の
竹は
父さんに
竹の
子を
呉れました。それで
竹の
子の
手桶を
造れ、と
言つて呉
れました。
『こいつも、おまけだ。』
と
細く
竹の
割つたのまで
呉れてよこしました。その
細い
竹を
削りまして、
竹の
子の
手桶に
差しますと、それで
提げられるやうに
成るのです。
水も
汲めます。
父さんは
表庭の
梨の
木や
椿の
木の
下あたりへ
小さな
川のかたちをこしらへました。
寄せ
集めた
砂や
土を
二列に
盛りまして、その
中へ
水を
流しては
遊びました。
竹の
子の
手桶で
提げて
行つた
水がその
小さな
川を
流れるのを
樂みました。
麥畠に
熟した
麥は、
父さんに
穗先の
方の
細い
麥藁と、
胴中の
方の
太い
麥藁とを
呉れました。
『
是をどうするんですか。
黄色い
麥藁でなけりや
不可んですか。』
と
父さんが
聞きましたら、
麥の
言ふには、
『ナニ、
青いんでもかまひませんが、なるなら
黄色い
方がいゝ。
麥は
熟するほど
丈夫ですからね。この
細い
麥藁の
穗先の
方を
輕く
折つてお
置きなさい。
氣をつけてしないと、
折れて、とれてしまひますよ。それから
太い
麥藁の
節のある
下のところを一
寸ばかりお
前さんの
爪でお
裂きなさい。これも
氣をつけてしないと、みんな
裂けてしまひますよ。
太い
麥藁には
必ず
一方に
節のあるのが
要ります。それが
出來ましたら、
細い
方の
麥藁を
太い
麥藁の
裂けたところへ
差し
込むやうになさい。』
成程麥の
言ふ
通りにしましたら、
子供らしい
翫具が
出來ました。
細い
麥藁を
下から
引く
度に、
麥の
穗先が
動きまして、『
今日は、
今日は』と
言ふやうに
見えました。
父さんは、
種々な
翫具が
野にも
畠にもある
事を
知りました。
竹籔から
取つて
來た
青い
竹の
子、
麥畠から
取つて
來た
黄色い
麥藁で、
翫具を
手造にする
事の
言ふに
言はれぬ
樂しい
心持を
覺えました。
畠の
隅に
堤燈をぶらさげたやうな
酸醤が、
父さんに
酸醤の
實を
呉れまして、その
心を
出してしまつてから、
古い
筆の
軸で
吹いて
御覽と
教へて
呉れました。
筆の
軸は
先の
方だけを
小刀か
何かで
幾つにも
割りまして、
朝顏のかたちに
折り
曲げるといゝのです。その
受口へ
玉のやうにふくらめた
酸醤をのせ、
下から
吹きましたら、
輕い
酸醤がくる/\と
舞ひあがりました。そして
朝顏なりの
管の
上へ
面白いやうに
落ちて
來ました。
三三
旅の
飴屋さん
父さんの
村へも、たまには
飴屋さんが
通りました。
旅の
飴屋さんは、
天平棒でかついて
來た
荷を
村の
石垣の
側におろして、
面白をかしく
笛を
吹きました。
なんと、
飴屋さんの
上手に
笛を
吹くこと。
飴屋さんは
棒の
先に
卷きつけた
飴を
父さんにも
賣つて
呉れまして、それから
斯う
言ひました。
『さあ、おいしい
飴ですよ。これを
食べて、おとなしくして
居て
下さると、
復た
私が
飴をかついで
來てあげますよ。』
日に
燒けて
旅をして
歩く
斯の
飴屋さんは、
何處か
遠いところからかついで
來た
荷を
復た
肩に
掛けて、
笛を
吹き/\
出掛けました。
あの
飴屋さんの
吹く
笛は、そこいらの
石垣へ
浸みて
行くやうな
音色でした。
三四
水晶のお
土産ある
日、
父さんは
人に
連れられて
梵天山といふ
方へ
行きました。
赤い
躑躅の
花なぞの
咲いて
居る
山路を
通りまして、その
梵天山へ
行つて
見ますと、そこは
水晶の
出る
山でした。
父さんはめづらしく
思ひまして、あちこちと
見て
歩いて
居ますと、
路ばたに
大きな
岩がありました。その
岩が
父さんに、
彼處を
御覽、こゝを
御覽、と
言ひまして、
半分土のついた
水晶がそこいらに
散らばつて
居るのを
指して
見せました。
『あそこにも
水晶の
塊がありますよ。』
とまた
岩が
父さんに
指して
見せました。その
水晶は
千本濕地といふ
茸のかたまつて
生えたやうに、
枝に
枝がさしたやうになつて
居まして、その
枝の一つ一つが、みんな
水晶の
形をして
居ました。
『こんなところから
水晶が
出るんですか。』
と
父さんが
聞きましたら、
『えゝ
[#「ゝ」は底本では「う」]、さうです。
水晶はみんな
斯うして
生れて
來ます。
人は
遠いところにばかり
眼をつけて、
足許に
落ちて
居る
寶石を
知らずに
居ますよ。さういふお
前さんは、この
山は
初めてゞすか。よく
來て
下さいました。
山の
土産に、あそこに
落ちて
居る
美しい
水晶でも一つ
拾つて
行つて
下さい。』
斯うその
岩が
答へました。
父さんはそこいらを
探し
廻りまして、
眼についた
水晶の
中でも
一番光つたのを
土産に
持つて
歸りました。
三五
雄鷄の
冒險若い
雄鷄がありました。
他の
鷄と
同じやうに、この
雄鷄も
人の
家に
飼はれて
大きくなりました。
小さな
雛ツ
子の
時分から、
雄鷄は
自分で
飛べないものとばかり
思つて
居ましたが、だん/″\
大きくなるうちに、
自分に
生えて
居る
羽を
見てびつくりしました。
雄鷄はまだ
若くて
元氣がありましたから、こんな
立派な
羽があるなら一つこれで
飛んで
見たいと
思ふやうに
成りました。そこで
林の
方へ
出掛けて
行きまして、
他の
鳥と
同じやうに
飛ばうとしました。
林には
百舌が
遊んで
居ました。
百舌は
雄鷄の
方を
見ては
笑ひました。そこへ
鶸も
舞つて
來ました。
鶸は
雄鷄の
方を
見て、
百舌と
同じやうに
笑ひました。
何度も
何度も
雄鷄は
木の
枝へ
上りまして、そこから
飛ばうとしましたが、その
度に
羽をばた/″\させて
舞ひ
降りてしまひました。
百舌には
笑はれる、
鶸にも
笑はれる、そのうちに
雄鷄は
餌を
欲しくなりましたが、
林の
中にある
木の
實や
虫はみんな
他の
鳥に
早く
拾はれてしまひました。
誰も
雄鷄のために
米粒一つまいて
呉れるものも
有りませんでした。でも、この
雄鷄は
若かつたものですから、どうかして
飛んで
見たいと
思ひまして、
木の
枝へ
上つて
行つては
羽をひろげました。その
度に
舞ひ
降りるばかりでした。
雄鷄はもう
高い
聲で
閧をつくるやうな
勇氣も
挫けまして、
『クウ/\、クウ/\。』
と
拾ふ
餌もなくて
鳴きました。
そこへ
山鳩が
通りかゝりました。
山鳩は
林の
中に
聞き
慣れない
鷄の
鳴聲を
聞きつけまして、
傍へ
飛んで
來ました。
百舌や
鶸とちがひ、
山鳩は
見ず
知らずの
雄鷄をいたはりました。
『もうすこしの
辛抱||もうすこしの
辛抱||』
と
鳴いて、
山鳩は
林の
奧の
方へ
飛んで
行きました。
饑えた
雄鷄は
一生懸命に
餌を
探しはじめました。
他の
鳥に
拾はれないうちに、
自分で
木の
實や
虫を
見つけるためには、
否でも
應でも
飛ばなければ
成りませんでした。その
時になつて、
初めて
雄鷄の
羽が
動いて
來ました。そして
餌らしい
餌にありつきました。
雄鷄はこの
林へ
飛びに
來て
見て、
鷹があんな
高い
空を
舞つて
歩くのも、
自分で
餌を
見つけに
行くのだといふことを
知りました。
三六 たなばたさま
三
月、五
月のお
節句は、
樂しい
子供のお
祭です。五
月のお
節句には、
父さんのお
家でも
石を
載せた
板屋根へ
菖蒲をかけ、
爺やが
松林の
方から
採つて
來る
笹の
葉で
粽をつくりました。七
月になりますと、
又、たなばたさまのお
祭の
日が
山の
中の
村へも
來ました。
たなばたさまのお
祭に
飾る
竹は、あれは
外國の
田舍家で
飾るといふクリスマスの
木にも
比べて
見たいやうなものです。
墨や
紅を
流して
染めた
色紙、または
赤や
黄や
青の
色紙を
短册の
形に
切つて、あの
青い
竹の
葉の
間に
釣つたのは、
子供心にも
優しく
思はれるものです。
三七
巴且杏巴且杏の
生る
時分には、お
家の
裏のお
稻荷さまの
横手にある
古い
木にも、あの
實が
密集つて
生りました。
父さんは
自分の
子供の
時分と、あの
巴且杏の
生る
時分とを、
別々にして
思ひ
出せないくらゐです。
巴且杏は
李より
大きく、
味も
李のやうに
酸くはありません。あの
木は、
先の
方の
少し
尖つて
角の
出たやうな、
見たばかりでもおいしさうに
熟したやつを
毎年どつさり
父さんに
御馳走して
呉れましたつけ。
三八
鰍すくひ
父さんの
兄弟の
中に三つ
年の
上な
友伯父さんといふ
人がありました。この
友伯父さんに、
隣家の
大黒屋の
鐵さん
||この
人達について、
父さんもよく
鰍すくひと
出掛けました。
胡桃、
澤胡桃などゝいふ
木は、
山毛欅の
木なぞと
同じやうに、
深い
林の
中には
生えないで、
村里に
寄つた
方に
生えて
居る
木です。
漆の
葉を
大きくしたやうなあの
胡桃の
葉の
茂つたところは、
鰍の
在所を
知らせるやうなものでした。
何故かといひますに、
胡桃の
生えて
居るところへ
行つて
見ますと、きまりでその
邊には
水が
流れて
居ましたから。
父さん
達は
笊を
持つて
行きまして、
石の
間に
隱れて
居る
鰍を
追ひました。
もしかして
笊のかはりに
釣竿をかついで、
何かもつと
他の
魚をも
釣りたいと
思ふ
時には、
爺やに
頼んで
釣竿を
造つて
貰ひました。
斯ういふ
遊びにかけては、
友伯父さんはなか/\
※心[#「熱」の左上が「幸」、142-2]でした。なにしろ
父さんの
村には
釣の
道具一つ
賣る
店もなかつたものですから、
釣竿の
先につける
糸でも
何でもみんな
友伯父[#「友伯父」は底本では「及伯父」]さんが
爺やに
手傳つて
貰つて
造りました。
糸は
栗の
木の
虫から
取りました。その
栗の
木の
虫から
取れた
糸を
酢に
浸けて、
引き
延ばしますと、
木小屋の
前に
立つ
爺やの
手から
向ふの
古い
池の
側に
立つ
友伯父さんの
手に
屆くほどの
長さがありました。それを
日に
乾して、
釣竿の
糸に
造ることなどは、
友伯父さんも
好きでよくやりました。
斯の
釣の
道具を
提げて、
友伯父さん
達と
一緒に
復た
胡桃の
木の
見える
谷間へ
出掛けますと、
何時でも
父さんは
魚に
餌を
取られてしまふか、さもなければもう
面倒臭くなつて
釣竿で
石の
間をかき
廻すかしてしまひました。そしてお
家の
方へ
歸つて
來る
度に、
『
釣竿ばかりでは、
魚は
釣れませんよ。』
と
爺やに
笑はれました。
三九
祖母さんの
鍵お
前達の
祖母さんのことは、
前にもすこしお
話[#ルビの「はなし」は底本では「はなた」]したと
思ひます。
祖母さんは、
父さんが
子供の
時分の
着物や
帶まで
自分で
織つたばかりでなく、
食べるもの
||お
味噌からお
醤油の
類までお
家で
造り
祖母さんが
自分の
髮につける
油まで
庭の
椿の
實から
絞りまして、
物を
手造りにすることの
樂みを
父さんに
教へて
呉れました。『
質素』を
愛するといふことを、いろ/\な
事で
父さんに
教へて
見せて
呉れたのも
祖母さんでした。
祖母さんはよく
※[#「熱」の左上が「幸」、145-2]い
鹽のおむすびを
庭の
朴の
木の
葉につゝみまして、
父さんに
呉れました。
握りたてのおむすびが
彼樣すると
手にくツつきませんし、その
朴の
葉の
香氣を
嗅ぎながらおむすびを
食べるのは
樂みでした。
この
祖母さんと
言へば、
廣い
玄關の
側の
板の
間で
機を
織りながら
腰掛けて
居る
人と、
味噌藏の
側の
土藏の
前に
立つて
大きな
鍵を
手にして
居る
人とが、
今でもすぐに
父さんの
眼に
浮んで
來ます。
祖母さんの
鍵は
金網の
張つてある
重い
藏の
戸を
開ける
鍵で、
紐と
板片をつけた
鍵で、いろ/\な
箱に
入つた
器物を
藏から
取出す
鍵でした。
祖母さんがおよめに
來た
時の
古い
長持から、お
前達の
祖父さんの
集めた
澤山な
本箱まで、その
藏の二
階にしまつて
有りました。
祖母さんはあの
鍵の
用が
濟むと、
藏の
前の
石段を
降りて、
柿の
木の
間を
通りましたが、そこに
父さんがよく
遊んで
居たのです。
味噌藏の
階上には
住居に
出來た二
階がありました。そこがお
前達の
曾祖母さんの
隱居部屋になつて
居ました。
四○
祖父さんの
好きな
御幣餅木曾の
御幣餅とは、
平たく
握つたおむすびの
小さいのを二つ三つぐらゐづゝ
串にさし、
胡桃醤油をかけ、
爐の
火で
燒いたのを
言ひます。その
形が
似て
居るから
御幣餅でせう。
人々は
爐邊に
集りまして、
燒きたてのおいしいところを
食べるのです。
お
前達の
祖父さんは、この
御幣餅が
好きでした。
日頃村の
人達から『お
師匠さま、お
師匠さま。』と
親しさうに
呼ばれて
居たのも、この
御幣餅の
好きな
祖父さんでした。
祖父さんは
學問の
人でしたから、『
三字文』だの『
勸學篇』だのといふものを
自分で
書いて、それを
少年の
讀本のやうにして、
幼少な
時分の
父さんに
教へて
呉れました。
山の
中にあつた
父さんのお
家では、
何から
何まで
手製でした。
手習のお
手本から
讀本まで、
祖父さんの
手製でした。
四一 お
隣りの
人達お
隣りの
大黒屋は
酒を
造る
家でした。そこの
家でお
風呂が
立てば
父さんのお
家へ
呼びに
來ましたし、
父さんのお
家でお
風呂が
立てばお
隣りからも
呼ばれて
入りに
來ました。
田舍のことで、
日が
暮れてからお
隣りまでお
風呂を
呼ばれに
行くにも、
祖母さん
達は
提灯つけて
通ひました。二
軒の
家のものは、それほど
親しく
往つたり
來たりしましたから、
子供同志も
互に
親しい
遊び
友達でした。それに、お
隣りの
鐵さんでも、その
妹のお
勇さんでも、
祖父さんのお
弟子として
父さんのお
家へ
通つて
來ました。
父さんのお
家の
方から
見ますと、
大黒屋は
一段と
高い
石垣の
上にありまして、その
石垣のすぐ
下のところまで
父さんのお
家の
桑畠が
續いて
居ましたから、
朝日でもさして
來るとお
隣りの
家の
白い
壁がよく
光りました。
父さんはこゝでお
前達に、
自分の
生[#ルビの「うま」は底本では「う」]れたお
家のこともすこしお
話しようと
思ひます。
父さんのお
家は
昔は
本陣と
言ひまして、
村でも
舊い/\お
家でした。
父さんの
幼少な
時分には、
昔のお
大名が
木曽路を
通る
時に
泊まつたといふ
古[#ルビの「ふる」は底本では「ふ」]い
部屋まで
殘つて
居ました。
部屋々々には、いろ/\な
名前が
昔からつけてありまして、
上段の
間、
奧の
間、
中の
間、
次の
間、それから
寛ぎの
間なぞといふのが
有りました。
祖父さんはいつでも
書院に
居ました。
父さんもその
書院に
寢ましたが、
曾祖母さんが
獨りで
寂しいといふ
時には
離れの
隱居部屋へも
泊[#ルビの「とま」は底本では「ま」]りに
行くことが
有りました。
祖父さんの
書院の
前には、
白い
大きな
花の
咲く
牡丹があり、
古い
松の
樹もありました。
月のいゝ
晩なぞには
松の
樹の
影が
部屋の
障子に
映りました。この
書院から
中の
間へつゞく
廊下のあたりは、
父さんのよく
遊んだところです。
中の
間はお
家のなかでも一
番明るい
部屋でして、
遠く
美濃の
國の
方の
空までその
部屋から
見えました。
祖母さんや
伯母さんが
針仕事をひろげるのもその
部屋でしたし、
父さんが
武者繪の
敷寫しなどをして
遊ぶのもその
部屋でしたし、お
隣りのお
勇さんが
手習に
來て
祖父さんの
書いたお
手本を
習ふのもその
部屋でした。
お
隣りの
鐵さんは、
父さんのお
家の
友伯父さんと
同い
年ぐらゐで、
一緒に
遊ぶにも
父さんの
方がいくらか
弟のやうに
思はれるところが
有りました。
近所の
子供の
中で、
遊んで
氣の
置けないのは、
問屋の三
郎さんに、お
隣りのお
勇さんでした。この
人達は
父さんと
同い
年でした。
祖父さんは
字を
書くことが
好きで、
赤い
毛氈の
上へ
大きな
紙をひろげて、
夜遲くなるまで
何かよく
書きましたが、その
度に
眠い
眼をこすり/\
蝋燭を
持たせられるのはお
勇さんや
父さんの
役目でした。
末子よ。お
前は『おばこ』といふ
草の
葉を
採つて
遊んだことが
有りますか。あの
草の
葉は
糸にぬいて、みんなよく
織る
真似をして
遊びませう。お
隣りのお
勇さんもあの『おばこ』を
採つて
來て
織ることを
樂みにするやうな
幼い
年頃でした。
四二
屋號どこの
田舍にもあるやうに、
父さんの
村でも
家毎に
屋號がありました。
大黒屋、
俵屋、
八幡屋、
和泉屋、
笹屋、それから
扇屋といふやうに。
笹屋とは
笹のやうに
繁る
家、
扇屋とは
扇のやうに
末の
廣がる
家といふ
意味からでせう。でも
笹屋と
言つてもそれを『
笹の
家』と
思ふものもなく、
扇屋と
言つても『
扇の
家』と
思ふものはありません。
屋號といふものは、その
家々の
符牒のやうに
思はれて
居るものでした。
四三 お
墓參りの
道村の
人達||殊に
女の
人達の
通る
裏道は
並んだ
人家に
添ふて
村の
裏側に
細くついて
居ました。
父さんのお
家の
裏木戸から、
竹籔について
廻りますと、その
細い
裏道へ
出ました。
祖母さんに
連れられて、
父さんはよくその
道をお
墓の
方へ
通ひました。
お
墓へ
行く
道は、
村のものだけが
通る
道です。
旅人の
知らない
道です。
田畠に
出て
働く
人達の
見える
樂しい
靜かな
道です。
父さんのお
家のお
墓は
永昌寺まで
登る
坂の
途中を
左の
方へ
曲つて
行つたところにありました。これが
誰だ、あれが
誰だ、と
言つて
祖母さんの
教へて
呉れるお
墓の
中には、
戒名の
文字を
赤くしたのが
有りました。その
赤い
戒名はまだこの
世に
生きて
居る
人で、
旦那さんだけ
亡くなつた
曾祖母さんのやうな
人のお
墓でした。
祖母さんは
古い
苔の
生えたお
墓のいくつも
並んだ
石壇の
上を
綺麗に
掃いたり、
水をまいたりして、
『
御先祖さま、
今日は。』
と
言ふやうにお
花を
上げました。
祖母さんがお
墓の
竹箒を
立てかけて
置くところは
大きな
杉の
木の
根キでしたが、その
杉の
木の
間から
馬籠の
村が
見えました。
お
墓にある
御先祖さまは
永昌院殿と
言ひました。
永昌寺のお
寺と
同じ
名でした。あの
御先祖さまが
馬籠の
村も
開けば、お
寺も
建てたといふことです。あれは
父さんのお
家の
御先祖さまといふばかりでなく、
村の
御先祖さまでもあるといふことです。
なんと、あの
御先祖さまのやうに、
開かうと
思へばこんな
村も
開けて
行きますし、
建てようと
思へば
永昌寺のやうなお
寺が
建つて、それが
父さんの
代まで
續いて
來て
居ます。
先づ、
思へ。
何もかもそこから
始まります。
御先祖さまがさう
思つてこんな
山の
中へ
村を
開きはじめたといふことには、
大きな
力がありますね。
四四
蜂の
子地蜂といふ
蜂は、よく/\
土のにほひが
好きと
見えまして、
地べたの
中へ
巣をかけます。
土手の
側のやうなところへ
巣の
入口の
穴をつくつて
置きます。
蜜蜂、
赤蜂、
土蜂、
熊ン
蜂、
地蜂||木曾のやうな
山の
中にはいろ/\な
蜂が
巣をかけますが、その
中でも
大きな
巣をつくるのは
熊ン
蜂と
地蜂です。
熊ン
蜂は
古い
土塀の
屋根の
下のやうなところに
大きな
巣をかけますが、
地蜂の
巣もそれに
劣らないほどの
堅固なもので、三
階にも四
階にもなつて
居て、それが
漆の
柱で
支へてあります。こんなに
地蜂の
巣[#「巣」は底本では「親」]は
大きいのですが、
地蜂の
親といふものは
小さな
蜂で、
熊ン
蜂の
半分もありません。あの
小さな
建築技師が三
階も四
階もある
巣を
建てゝ、一
階毎に
澤山な
部屋を
造るのですから、そこには
餘程の
協せた
力といふものが
入つて
居るのでせう。
父さんの
田舍の
方ではあの
蜂の
子を
佃煮のやうにして
大層賞美すると
聞いたら、お
前達は
驚くでせうか。
一口に
蜂の
子と
言ひましても、
木曾で
賞美するのは
地蜂の
巣から
取つた
子だけです。
蜂の
親は
食べませんが、どうかするとあの
巣の
中からは
親に
成りかけたのが
出て
來ます。それを
食べます。お
前達はそこいらに
居る
蜂が
庭なぞへ
飛んで
來て
花の
蕋を
出たり
入つたりするのを
見かけるでせう。それからあの
黄色い
蓋のしてある
蜂の
巣の
見事に
出來たのを
見かけることも
有るでせう。
蜂は
汚いものでは
有りません。もしお
前達が
木曾でいふ『
蜂の
子』を
食べ
慣れて、あたゝかい
御飯の
上にのせて
食べる
時の
味を
覺えたら、
『
父さん、こんなにおいしものですか。』
と
言ふやうに
成るでせう。
ある
日、
友伯父さんは
裏の
木小屋の
近くにある
古い
池で
蛙をつかまへました。
土地のものが
地蜂の
巣を
見つけるには、
先づ
蛙の
肉を
餌にします。それを
友伯父さんはよく
知つて
居ましたから、
細い
竿の
先に
蛙の
肉を
差し、
飛んで
來る
蜂の
眼につきさうな
塲處に立てゝ、
別に
餌にする
小さな
肉には
紙の
片をしばりつけて
出して
置きました。
丁度釣をするものが
魚を
待つて
居るやうに、
友伯父さんは
蜂の
來るのを
待つて
居ました。
蛙の
肉を
食べに
來た
蜂は
餌をくはへて
巣の
方へ
飛んで
行きますが、その
小さな
蛙の
肉についた
紙の
片で
巣の
行衛を
見定めるのです。
斯うして
友伯父さんは
近所の
子供達と一
緒に、ある
地蜂の
巣を
見つけたことが
有りました。
地蜂の
巣を
取りに
行くものは、
巣の
出入口へ
火藥を
打ち
込んで、
澤山な
親蜂が
眼を
廻して
居る
間に
獲物を
手に
入れるのだと
聞きました。そして
巣を
持つて
逃げ
歸るのだと
聞きました。どうかすると
蘇生つた
蜂に
追はれて
刺されたといふ
人の
話も
聞きました。さうなると
鐵砲をかついで
獸を
打ちに
行くも
同じやうなものです。
四五
青い
柿『もうお
前さんはそんなに
赤くなつたのですか。』
とまだ
青くて
居る
柿が、お
隣りの
柿に
言ひました。この
青い
柿と、
赤い
柿とは、お
百姓の
家の
庭にある二
本の
柿の
木の
枝に
生つて
居ました。
赤い
柿は
青い
柿を
慰めようと
思ひまして、
『さう、
力を
落すものでは
有りません。お
前さんだつても
今に、
私のやうに
好い
色がつきますよ。』
と
言ひましたら、
青い
柿は
首を
振りまして、
『いえ、あのお
猿さんが
蟹にぶつけたのも、きつと
私のやうな
澁い
柿で、
自分で
取つて
食べたといふのはお
前さんのやうな
甘い
柿ですよ。』
と
力を
落したやうに
言ひました。
お
百姓は
庭へ
見廻りに
來まして、
赤い
柿を
大きな
笊に
入れて
持つて
行つてしまひました。その
木の
枝の
高い
上の
方には、たつた一つだけ
柿の
赤いのが
殘つて
居ました。
殘つた
赤い
柿が
高いところからお
隣りの
柿を
見ますと、まだ一つも
色のついたのが
有りませんでしたから、
『どうしてお
前さんは、そんなに
愚圖々々して
居るんですか。』
と
尋ねました。さう
言はれると、
青い
柿はまた
力を
落したやうに、
『
澁い
柿は
何時までたつても
澁いと
言ひますよ。さういへば
節分の
日に、
棒を
持つた
人が
來て、『さあ、
生ると
申すか、
生らぬと
申すか』と
言つて、
柿の
木を
打ちませう。その
時、もう
一人の
人が
柿の
木に
代つて、『
生ります、
生ります』と
答へますね。あの
棒で
強く
打たれゝば
打たれるほど、
柿は
甘くなるとかき
聞きました。どうも
私は
節分の
日に、
棒で
打たれ
方が
足りなかつたと
思ひます。』と
答へました。
柿の
好きなお
百姓の
子供は
青い
柿を
見に
來ましたが、
取つて
食べて
見る
度に
澁さうな
顏をして、
食べかけのを
捨てゝしまひました。それからお
隣りの
赤い
柿の
方へ
行つて、たつた
一つだけ
高いところに
殘つて
居たのを
長い
竿で
落しました。もうお
隣りの
木の
枝には一つも
赤い
柿がありません。それを
見ると、
青い
柿は
自分獨り
取殘されたやうに、よけいに
力を
落しました。
そのうちに、お
百姓が
復た
庭へ
見廻りに
來ました。
今度は
青い
柿の
生つた
木の
下へ
來まして、
斯う
聲を
掛けました。
『
御覽、
甘い
柿はもう一つもなくなつてしまひました。
今度はお
前さんの
番に
廻つて
來ましたよ。どんな
柿の
澁いのでも、
霜が
來れば
甘くなります。
皮をむいて
軒下に
釣るして
置いても
甘くなります。
澁い
柿はもつとそこに
辛抱してお
出なさい。そして
時の
力といふのをお
待ちなさい。』
四六
小鳥の
先達小鳥の
來る
頃になりますと、いろ/\な
種類の
小鳥が
山を
通りました。
鶫、
鶸、
子鳥、
深山鳥、
頬白、
山雀、
四十雀||とても
數へつくすことが
出來ません。あの
足の
色が
赤くて、
羽に
青い
斑の
入つた
斑鳩も、
他の
小鳥の
中にまじつて、
好きな
榎木の
實を
食べに
來ました。
木曾の
山の
中は
小鳥の
通り
路だと
言ふことでして、
毎朝々々、
夜のあけがたには
驚くばかり
澤山な
小鳥の
群が
山を
通ります。その
中でも、
群をなして
多く
通るのは
鶫、
鶸などです。
この
小鳥の
群には、
必ず一
羽づゝ
先達の
鳥があります。その
鳥が
空の
案内者です。
澤山に
隨いて
行く
鳥の
群は
案内する
鳥の
行く
方へ
行きます。もしかして
案内する
鳥が
方角を
間違へて、
鳥屋の
網にでもかゝらうものなら、
隨いて
行く
鳥は
何十
羽ありましても
皆同じやうにその
網へ
首を
突込んでしまひます。
『さあ、
皆さん、お
支度は
出來ましたか。』
そんなことを
案内する
小鳥が
言つて、
澤山な
鳥仲間の
先に
立つて
出掛けるのだらうと
思ひます。
鳥にも
先達はありますね。
四七
鳥屋村の
人達に
連れられて、
山の
上の
方の
鳥屋へ
遊びに
行つた
時のことをお
話しませう。
鳥屋は
小鳥を
捕るために
造つてある
小屋のことです。
何方を
向いても
山ばかりのやうなところに、その
小屋が
建てゝあります。
屋根の
上は
木の
葉で
隱して、
空を
通る
小鳥の
眼につかないやうにしてあります。その
小屋の
周圍に、
細い
丈夫な
糸で
編んだ
鳥網の
大きなのが二つも三つも
張つてあるのです。
網を
張つた
高い
竹竿には
鳥籠が
掛つて
居ました。その
中には
囮が
飼つてありまして、
小鳥の
群が
空を
通る
度に
好い
聲で
呼びました。
『もし/\、
鶫さん。』
この
囮になる
鳥の
呼聲は、
春先から
稽古をした
聲ですから、
高い
空の
方までよく
徹りました。それを
聞きつけた
小鳥の
先達が
好い
聲に
誘はれて
降りて
來ますと、
他の
小鳥も
同じやうに
空から
舞ひ
降りて
來ます。
その
時、
降りて
來た
小鳥をびつくりさせるものは、
急に
横合から
飛出す
薄黒いものと、
鷹の
羽音でもあるやうなプウ/\
唸つて
來る
音です。
『これは
堪らん。』
と
小鳥の
先達は
張つてある
網の
中へ
飛び
込みます。
他の
小鳥もあはてまして、みんな
網の
中へ
飛び
込みます。
鳥屋で
捕れる
小鳥はこんな
風にして
網にかゝりますが、
小鳥をびつくりさせたのは
他のものでも
有りません。
横合から
飛出した
薄黒いものは、
鳥屋で
人の
振る
竹竿の
先についた
古い
手拭か
何かの
布でした。
鷹の
羽音でもあるやうに
唸つて
來た
音は、その
竹竿を
手にした
人が
口端を
尖らせてプウ/\
何か
吹く
眞似をして
見せた
聲でした。
鳥屋で
捕れる
小鳥は、
一朝に六十
羽や七十
羽ではきかないと
言ひました。この
小鳥の
捕れる
頃には、
村の
子供はそろ/\
猿羽織を
着ました。
急に
降つて
來て、また
急に
止んでしまふやうな
雨も、
深い
林を
通りました。
四八
爐邊爺やが
山から
茸を
採つて
來たり、
栗を
拾つて
來たりする
頃は、お
家の
爐邊の
樂しい
時でした。
爺やは
爐で
栗を
燒いて、
友さんや
父さんに
分けて
呉れるのを
樂みにして
居ました。ある
晩、
爺やが
裏のお
稻荷さまの
側から
拾つて
來た
大きな
栗を
爐にくべまして、おいしさうな
燒栗のにほひをさせて
居ますと、それを
爐邊の
板の
上で
羨ましさうに
見て
居た
澁柿がありました。
『
庄吉爺さん、
栗の
澁が
燒けてそんなに
香ばしさうになるものなら、
一つ
私も
燒いて
見て
呉れませんか。』
とその
澁柿が
言ひました。
爺やは
父[#ルビの「とう」は底本では「う」]さんの
見て
居る
前で、
爐邊にある
太い
鐵の
火箸を
取出しました。それで
澁柿に
穴をあけました。
栗を
燒くと
同じやうにその
澁柿を
爐にくべました。そのうちに、
※[#「熱」の左上が「幸」、178-8]い
灰の
中に
埋まつて
居た
柿の
穴からは、ぷう/\
澁を
吹出しまして、
燒けた
柿がそこへ
出來上りました。
『さあ、
私も
食べて
見て
下さい。』
とその
柿が
父さんに
御馳走して
呉れるのを
貰ひまして、
黒く
燒[#「ルビの「や」は底本では「た」]けた
柿の
皮をむきましたら、
軒下に
釣るして
乾した
柿でもなく、
霜に
逢つて
甘くなつた
柿でもなく、その
爐邊でなければ
食べられないやうな、おいしい
變つた
味の
柿でした。
四九
山の
中へ
來る
冬東京で『ネツキ』といふ
子供の
遊びのことを
父さんの
田舍では『シヨクノ』と
言ひます。
山の
中は
山の
中なりに
子供の
遊びにも
流行がありまして、
一頃『シヨクノ』が
村中に
流行りました。どこの
田圃側へ
行つて
見ても、どこの
畠の
隅へ
行つて
見ても、
子供といふ
子供の
集まつて
居るところでは、その
遊びが
始まつて
居ました。
枯々とした
裏庭に
出て、
父さん
達は『シヨクノ』の
遊びにする
細い
木を
探したり、それを
手ごろの
長さに
切つたり、
地べたへよく
打ちこめるやうに
先の
方を
尖らせたり、
時にはもう
幾度か
勝負[#ルビの「しやうぶ」は底本では「やうぶ」]をした
揚句に
土のついて
齒のこぼれたやつを
削り
直したりして
遊びました。
父さん
達がそんな
子供らしいことをして
居る
間に、
爺やはまた
木曾風な
背負梯子を
肩にかけ、
鉈を
腰に
差しまして、
木の
枝をおろすために
林の
方へと
出掛けました。
山の
中へ
來る
冬は、
斯うして
冬ごもりの
支度にかゝる
爺やのところへも、『シヨクノ』の
遊びに
夢中になつて
居る
父さん
達のところへも一
緒にやつて
來ました。
黒い
枯枝や
黒い
木の
見えるお
家の
裏の
桑畠の
側で、
毎朝爺やはそこいらから
集めて
來た
落葉を
焚きました。
朝の
焚火は、
寒い
冬の
來るのを
樂しく
思はせました。
五○
木曾の
燒米木曾の
燒米といふものは
青いやわらかい
稻の
香氣がします。
『お
師匠さまが
好きだから。』
と
言つて、お
勇さんの
家からも、つきたての
燒米をよく
祖父さんのところへ
貰ひました。
父さんのお
家の
祖父さんは
好きな
燒米をかみながら、
本を
讀んで
居たやうな人かと
思ひます。
お
勇さんの
家では
毎年酒を
造りましたから、
裏の
酒藏の
前の
大きな
釜でお
米を
蒸しました。それを『うむし』と
言つて、
重箱につめては
父さんのお
家へも
分けて
呉れました。あの『うむし』も、
父さんの
子供の
時分に
好きなものでした。
五一
屋根の
石と
水車屋根の
石は、
村はづれにある
水車小屋の
板屋根の
上の
石でした。この
石は
自分の
載つて
居る
板屋根の
上から、
毎日々々水車の
廻るのを
眺めて
居ました。
『お
前さんは
毎日動いて
居ますね。』
と
石が
言ひましたら、
『さういふお
前さんは
又、
毎日座つたきりですね。』
と
水車が
答へました。この
水車は
物を
言ふにも、ぢつとして
居ないで、
廻りながら
返事をして
居ました。
風や
雪で
水車小屋の
埋まつてしまひさうな
日が
來ました。
石は
毎日座つて
居るどころか、どうかすると
風に
吹き
飛ばされて、
板屋根の
上から
轉がり
落ちさうに
成りました。
水車は
毎日動いて
居るどころか、
吹きつける
雪に
埋められまして、まるで
車の
廻らなくなつてしまつたことも
有りました。
この
恐ろしい
目に
逢つた
後で、
屋根の
石と
水車とが
復た
顏を
合せました。
石はもう
水車に
向つて、
『お
前さんは
毎日動いて
居ますね。』
とは
言はなくなりました。
水車も、もう
屋根の
石に
向つて、
『お
前さんは
毎日座つたきりですね。』
とは
言はなくなりました。
五二
炬燵いろ/\な
話の
出る
山家のあたゝかい
炬燵。
鳥がとまりに
行くところは
木です。
子供が
冷いからだを
温めに
行くところは、
家のものゝ
顏の
見られる
炬燵です。
五三
唄の
好きな
石臼石臼ぐらゐ
唄の
好きなものは
有りません。
石臼ぐらゐ、
又、
居眠りの
好きなものも
有りません。
冬の
夜長に、
粉挽き
唄の一つも
歌つてやつて
御覽なさい。
唄の
好きな
石臼は
夢中になつて、いくら
挽いても
草臥れるといふことを
知りません。ごろ/\ごろ/\
石臼が
言ふのは、あれは
好い
心持だからです。もつと、もつと、と
唄を
催促して
居るのです。
そのかはり、すこし
手でもゆるめてやつて
御覽なさい。
居眠りの
好きな
石臼は
何時の
間にか
動かなくなつて
居ます。そして
何時までゞも
居眠りをして
居ます。
父さんのお
家の
石臼は
青豆を
挽くのが
自慢でした。それを
黄粉にして、
家中のものに
御馳走するのが
自慢でした。
山家育ちの
石臼は
爐邊で
夜業をするのが
好きで、
皸や『あかぎれ』の
切れた
手も
厭はずに
働くものゝ
好いお
友達でした。
五四
冬の
贈り
物峠の
上から
村の
小學校へ
通ふ
生徒がありました。
近いところから
通ふ
他の
生徒と
違ひまして、
子供の
足で
毎日峠の
上から
通ふのはなか/\
骨が
折れました。でも、この
生徒は
家から
學校まで
歩いて
行く
路が
好きで、
降つても
照つても
通ひました。
寒い、
寒い
日に、この
生徒が
遠路を
通つて
行きますと、
途中で
知らないお
婆さんに
逢ひました。
『
生徒さん、
今日は。』
とそのお
婆さんが
聲を
掛けました。お
婆さんは
通り
過ぎて
行つてしまはないで、
『
生徒さん、
今日も
學校ですか。この
寒いのに、よくお
通ひですね。
毎日々々さうして
精出して
下さると、このお
婆さんも
御褒美をあげますよ。』
と
言ひました。
知らないお
婆さんは
見かけによらない
優しい人でして、
學校通ひをする
生徒がかじかんだ
手をして
居ましたら、それをお
婆さんは
自分の
手で
温めて
呉れました。
『まあ、
斯樣なかじかんだ
手をして、よく
寒くありませんね。そのかはり、お
前さんが
遠路を
通ふものですから、
丈夫さうに
成りましたよ。
御覽、お
前さんの
頬ぺたの
色の
好くなつて
來たこと。』
とさう
言ひました。
生徒は
知らない
人から
斯樣なことを
言はれたものですから、そのお
婆さんをよく
見ましたら、
右の
手には
山からでも
伐つて
來たやうな
細い
木の
杖をついて、
左の
手には
籠を
提げて
居ました。
籠の
中には、
青々とした
蕗の
蕾が一ぱい
入つて
居ました。そのお
婆さんは、まるでお
伽話の
中にでも
出て
來さうなお
婆さんでした。
『お
前さんは
誰ですか。』
と
生徒が
尋ねましたら、お
婆さんはニツコリしながら、
提げて
居る
籠の
中の
蕗の
蕾を
見せまして
『
私は「
冬」といふものですよ。』
と
生徒に
言つて
聞かせました。
夫から、こんな
事も
言ひました。
『お
家へ
歸つたら、
父さんや
母さんに
見てお
貰ひなさい。お
前さんの
頬ぺたの
紅い
色もこのお
婆さんのこゝろざしですよ。』
五五
少年の
遊学父さんは九つの
歳まで、
祖父さんや
祖母さんの
膝下に
居ましたがその
歳の
秋に
祖父さんのいゝつけで、
東京へ
學問の
修業に
出ることに
成りました。
父さんは
友伯父さんと一
緒にお
家の
伯父さんに
連られて
行くことに
成りました。
『
二人とも
東京へ
修業に
行くんだよ。』
と
伯父さんに
言はれて、
父さんは
子供心にも
東京のやうなところへ
行かれることを
樂みに
思ひました。
父さんより三つ
年長の
友伯父さんが、その
時やうやく十二
歳でした。
今から
思へば
祖母さんもよくそんな
幼少な
兄弟の
子供を
東京へ
出す
氣になつたものですね。その
時の
父さんは
今の
末子より
年が二つも
下でしたからね。
この
東京行は、
父さんが
生れて
初めての
旅でした。
父さんが
荷物の
用意といへば、
小さな
翫具の
鞄でした。それは
美濃の
中津川といふ
町の
方から
翫具の
商人が
來た
時に、
祖母さんが
買つて
呉れたものでした。
『お
前が
東京へ
行く
時には、この
鞄へ
金米糖を一ぱいつめてあげますよ。』
と
祖母さんは
言ひました。
父さんもその
小さな
鞄に
金米糖を
入れてもらつて、それを
持つて
東京に
出ることを
樂みにしたやうなそんな
幼少な
時分でした。
五六
祖父さんと
祖母さんのおせんべつ
祖母さんは、おせんべつのしるしにと
言つて、
東京へ
出る
父さんのために
羽織や
帶を
織つて
呉れました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
と
祖母さんは
例の
玄關の
側にある
機に
腰掛けまして、
羽織にする
黄八
丈の
反物と、
子供らしい
帶地とを
根氣に
織つて
呉れました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
その
祖母さんのおせんべつが
織れる
時分には、
父さんが
生れて
初めての
旅に
出る
時も
近くなつて
來ました。
祖父さんは、
父さんに
書いた
物を
呉れました。
好きな
燒米でも
食べながら
田舍[#ルビの「ゐなか」は底本では「ゐか」]で
本を
讀まうといふ
祖父さんのことですから、
父さんが
東京へ
行つてから
時々出して
見るやうにと
言ひまして、
少年のためになるやうな
教訓を七
枚ばかりの
短冊に
書いて
呉れました。
[#底本では「。」が脱字]それを
紙に
包みまして、
紙の
上にも
父さんを
送る
言葉を
書いて
呉れました。
『これは
大事にして
置くがいゝ。
東京へ
行つたら、お
前の
本箱のひきだしにでも
入れて
置くがいゝ。』
と
言つて
呉れました。それが
祖父さんのおせんべつでした。
五七
伯父さんの
床屋東京をさして
學問に
行かうといふ
頃の
友伯父さんも、
父さんも、まだ
二人とも
馬籠風に
髮を
長くして
居ました。
友伯父さんはもう十二
歳でしたから、そんな
山の
中の
子供のやうな
髮をして行つて
東京で
笑はれては
成らないと、お
家の
人達が
言ひました。
そこで
友伯父さんだけは
頭を五
分刈にして
行くことに
成りました。
[#底本では「。」が脱字]ところが、
村には
床屋といふものが
有りません。
仕方なしに、
伯父さんが
裏の
桐の
木の
下へ
友伯父さんを
連れて
行きまして、
伯父さんが
自分で
床屋をつとめました。
面白い
床屋がそこへ
出來ました。
腰掛はお
家の
踏臺で
間に
合ひ、
胸に
掛ける
布は
大きな
風呂敷で
間に
合ひました。
床屋をつとめる
伯父さんの
鋏は、
祖母さん
達が
針仕事をする
時に
平常使ふ
鋏でした。
この
伯父さんは
若い
時分から
神坂村の
村長をつとめたくらゐの
人でしたが、なにしろ
床屋の
方は
素人でしたから、
友伯父さんの
髮をヂヨキ/\とやるうちに、
長いところと
短いところが
出來て、すつかり
奇麗に
刈りあげるのはなか/\
大變な
仕事でした。
鷄は
驚いて、
桐の
木の
下に
頭をさげて
居る
友伯父さんの
方へ
飛んで
來ました。そして、
髮を
刈つて
貰つて
居る
友伯父さんの
側で
鳴きました。
長いことお
馴染の
友伯父さんが
東京へ
行つてしまふので、お
家の
鷄もお
別れを
惜んで
居たのでせう。
五八 お
別れ
山家では
何かある
度にお
客さまをして、
互に
呼んだり
呼ばれたりします。
[#底本では「。」が脱字]いよ/\
父さん
達が
東京行の
日もきまりましたので、お
隣りのお
勇さんの
家では
父さん
達をお
客さまにして
呼んで
呉れました。その
晩は
伯父さんも
友伯父さんも
呼ばれて
行きましたが、『
押飯』と
言つて
鳥の
肉のお
露で
味をつけた
御飯の
御馳走がありましたつけ。
父さんはお
雛の
家へも
遊びに
行つて
見ました。
幼少い
時分から
父さんを
抱いたり
負つたりして
呉れたあのお
雛の
家へも、もう
遊びに
行かれないかと
思ひまして、お
別れを
告げるつもりもなく
遊びに
行く
氣になつたのです。お
雛の
父親の
名は
數衛と
言つて
村でもきたないので
評判な
髮結ですとは、
前にもお
話して
置いたと
思ひます。
日頃父さんはそのきたない
髮結の
子に
育てられたと
言つて
村[#ルビの「むら」は底本では「む」]の
人達にからかはれて
居ましたから、
數衛の
家へ
遊びに
行くところを
誰かに
見つけられたら、
復た
人にからかはれると
思ひました。そこで
父さんはお
墓參りに
行く
道の
方から、
成るべく
知つた
人に
逢はない
田圃の
側を
通りまして、こつそりと
出掛けて
行きました。
數衛の
家は
村の
中でもずつと
坂の
下の
方にありました。
父さんの
小學校友達に
扇屋の
金太郎さんといふ
子供がありましたが、その
金太郎さんの
家よりもまだずつと
下の
方でした。
父さんが
遊びに
行きましたら、
數衛は
大層よろこびまして、
爐にかけたお
鍋で
菜飯をたいて
呉れました。それからお
茄子の
味噌汁をもこしらへまして、お
別れに
御馳走して
呉れました。
藁で
編んだ
莚の
敷いてある
爐邊で、
數衛のこしらへて
呉れた
味噌汁はお
茄子の
皮もむかずに
入れてありました。たゞそれが
輪切りにしてありました。しかし
父さんは
後にも
前にも、あんなおいしい
味噌汁を
食べたと
思つたことは
有りません。
五九 さやうなら
お
家を
出る
日が
來ました。
その
前の
日に、
曾祖母さんは
友伯父[#ルビの「ともをぢ」は底本では「ともぢ」]さんと
父さんを
側へ
呼びましてお
家の
爐邊でいろ/\なことを
言つて
聞かせて
呉れました。
父さんはこの
年とつた
曾祖母さんがお
膳にむかひながら、お
別れの
涙を
流したことをよく
覺えて
居ます。でも
曾祖母さんはしつかりとした
氣象の
人で、
父さん
達がお
家を
出る
日には、もう
涙を
見せませんでした。
伯父さんに
附いて
東京へ
行く
父さんの
道連には、
吉さんといふ
少年もありました。
吉さんはお
隣りの
大黒屋の
子息さんで、
鐵さんやお
勇さんの
兄さんに
當る
人でした。この
人は
父さん
達と
違ひまして、
眼の
療治に
東京まで
出掛[#ルビの「でか」は底本では「でかけ」]けるといふことでした。なにしろ
父さんはまだ九
歳の
少年でしたから、
草鞋をはくといふ
事も
出來ません。そこで
爺やが
小さな
麻裏草履を
見つけて
來まして、
踵の
方に
紐をつけて
呉れました。
父さんはその
新しい
草履をはいた
足で、お
家の
臺所の
外に
遊んで
居る
鷄を
見に
行きました。
大きな
玉子をよく
父さんに
御馳走して
呉れた
鷄は、
『コツ、コツ、コツ、コツ。』
とお
名殘を
惜しむやうに
鳴きました。
その
邊にはお
馴染の
桐の
木も
立つて
居ました。その
桐の
木は
背こそ
高くても、まだ
木の
子供でして、
『いよ/\
東京の
方へ
行くんですか。
私も
大きくなつてお
前さんを
待つて
居ます。
御覽、あそこにはお
前さんに
桑の
實を
御馳走した
桑の
木も
居ます。お
前さんのよく
登つた
柿の
木も
居ます。あの
土藏の
横手の
石垣の
間には、
土藏の
番をする
年とつた
蛇が
居て、
今でも
居眠りをして
居ます。
私達はみんなお
前さんのお
友達です。
[#底本では「。」は脱字]私達をよく
覺えて
居て
下さいよ。』
と
言ひました。
父さんはその
草履[#ルビの「ざうり」は底本では「ざいり」]で、
表庭の
門の
内にある
梨[#ルビの「なし」は底本では「なり」]の
木の
側へも
行きました。
『まあ、
好い
草履を
買つて
貰ひましたね。その
草履には
紐が
結んでありますね。お
前さんが
大きくなつて
歸つて
來たら、
私もまた
大きな
梨をどつさり
御馳走しますよ。』
とその
梨の
木が
言ひました。
伯父さんは
父さん
達を
引連れまして、
日頃親しくする
近所の
家々へ
挨拶に
寄りました。
大黒屋へ
寄れば
小母[#「小母」は底本では「小毎」]さん
達が
家の
外まで
出て
見送り、
俵屋へ
寄ればお
婆さんが
出て
見送つて
呉れました。
八幡屋、
和泉屋、
丸龜屋、まだその
他にも
伯父さんの
挨拶に
寄つた
家は
澤山ありましたが、その
度に
父さん
達は
坂になつた
村の
道を
峠の
上の
方へ
登つて
行きました。
馬籠の
村はづれまで
出ますと、その
峠の
上の
高いところにも
耕した
畠がありました。そこにも
伯父さんに
聲を
掛けるお
百姓がありました。
父さんが
遊び
廻つた
谷間と、
谷間の
向ふの
林も、その
邊からよく
見えました。
山と
山の
重なり
合つた
向ふの
方には、
祖父さんの
好きな
惠那山が一
番高い
所に
見えました。
祖父さんも、
祖母[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんも、さやうなら。
馬籠も、さやうなら。
惠那山も、さやうなら。
六〇
峠の
馬の
挨拶馬籠の
村はづれには、
杉の
木の
生えた
澤を
境にしまして、
別に
峠といふ
名前の
小さな
村があります。この
峠に、
馬籠に、
湯舟澤と、それだけの
三ヶ
村を
一緒にして
神坂村と
言ひました。
『
名物、
栗こはめし
||御休處。』
こんな
看板を
掛けた
家が一
軒しかない
程、
峠は
小さな
村でした。そこに
住む
人達はいづれも
山の
上を
耕すお
百姓ばかりでした。その
村にも
伯父さんが
寄つて
挨拶して
行く
家がありましたが、
入口の
柱のところに
繋がれて
居た
馬は
父さん
達の
方を
見まして、
『お
揃ひで、
東京の
方へお
出掛けですか。』
[#底本では始めと終わりの二重かぎ括弧が脱字]と
聲を
掛けました。この
馬は
背中に
荷物をつけて
父さんのお
家へ
來たこともある
馬でした。
やがて
父さんは
伯父さんの
後に
附いて、めづらしい
初旅に
上りました。
父さんが
歩いて
行く
道を
木曽路とも、
木曾街道ともいふ
道でした。
六一
初旅『もし/\、お
前さんの
草履の
紐が
解けて
居ますよ。』
と
路ばたに
咲いて
居た
龍膽の
花が
父さんに
聲を
掛けて
呉れました。
龍膽は
桔梗に
似た
小さな
草花で、よく
山道なぞに
咲いて
居るのを
見かけるものです。
父さんがその
小さな
紫いろの
花の
前で
自分の
草履の
紐を
結ばうとして
居りますと、
伯父さんは
父さんの
側へ
來て、
腰を
曲めて
手傳つて
呉れました。
慣れない
旅ですから、おまけに
馬籠から
隣村の
妻籠へ
行く二
里の
間は
石ころの
多い
山道ですから、
父さんの
草履の
紐はよく
解けました。その
度に
伯父さんが
足をとめては
紐を
結んで
呉れました。
六二
木曽川隣村の
妻籠には、お
前達の
祖母[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんの
生れたお
家がありました。
妻籠の
祖父さんといふ人もまだ
達者な
時分で、
父さん
達をよろこんで
迎へて
呉れました。そこで、
初の
日は
妻籠に
泊りまして
翌朝また
伯父[#ルビの「をぢ」は底本では「おぢ」]さんに
連れられて
出掛けました。
妻籠の
吾妻橋といふ
橋の
手前まで
行きますと、
鶺鴒が
飛んで
居ました。その
鶺鴒はあつちの
大きな
岩の
上[#ルビの「うへ」は底本では「う」]へ
飛んだり、こつちの
大きな
岩の
上へ
飛んだりして、
『どうです。
妻籠には
大きな
川があるでせう。』
と
言つて
見せました。
父さんも、そんな
大きな
川を
見るのは
初めてでした。
青い、どろんとした
水は
渦を
卷いて、
大きな
岩の
間を
流れて
居ました。
『これが
木曽川ですか。』
と
父さんが
尋ねましたら、
鶺鴒は
尻尾を
振つて、
『いえ、これは
蘭の
山奧の
方から
流れて
來る
川です。
木曽川へ
入る
川です。』
と
教へて呉れました。
吾妻橋の
手前で
見た
川が
大きいと
思ひましたら、
木曽川はそれよりも
大きな
川でした。
六三
御休處何といふ
深い
山や
谷が
父さんの
行く
先にありましたらう。
父さんは
木曽川の
見える
谷間について、
林の
中を
歩いて
行くやうなものでした。どうかすると
晝間でも
暗いやうな
檜木や
杉のしん/\と
生えて
居るところを
通ることもありました。あゝこれが
三留野といふところか、これが
須原といふところか、と
思ひまして、
初めて
見る
村々が
父さんにはめづらしく
思はれました。
何もかも
父さんには
初めてゞした。
高い
山の
上の
方から
村はづれの
街道のところまで
押し
寄せて
來て
居る
黒い
岩だの
石だのを
見るのも
初めてゞした。
父さんが
東京へ
出る
時分には、
鐵道のない
頃ですから、
是非とも
木曽路を
歩かなければ
成りませんでした。もう
好い
加減歩いて
行つて、
谷がお
仕舞になつたかと
思ふ
時分には、また
向ふの
方の
谷間の
板屋根から
煙の
立ち
登るのが
見えました。さういふ
煙の
見えるところにかぎつて、
旅人の
腰掛けて
休んで
行く
休茶屋がありました。
『
御休處』
として、
白いところに
黒い
太い
字で
書いてある
看板は、
父さん
達にも
寄つて
休んで
行けと
言ふやうに
見えました。さういふ
休茶屋には、きまりで『
御嶽講』の
文字を
染めぬいた
布がいくつも
軒下に
釣るしてありました。
樂しい
御休處。
父さんが
祖母さんから
貰つて
來た
金米糖なぞを
小さな
鞄から
取出すのも、その
御休處でした。
塲處によりましては、
冷い
清水が
樋をつたつて
休茶屋のすぐ
側へ
流れて
來て
居ます。さういふ
清水はいくらでも
父さんに
飮ませて
呉れました。
六四
寢覺の
蕎麥屋寢覺といふところには
名高い
蕎麥屋がありました。
木曽路を
通るもので、その
蕎麥屋を
知らないものはないと、
伯父さんが
父さん
達に
話して
呉れました。そこは
蕎麥屋とも
思へないやうな
家でした。
多勢の
旅人が
腰掛けて、めづらしさうにお
蕎麥のおかはりをして
居ました。
伯父さんは
父さん
達にも
山のやうに
盛りあげたお
蕎麥を
奢りまして、
草臥れて
行つた
足を
休ませて
呉れました。
六五
[#「五」は底本では「七」] 浦島太郎の
釣竿寢覺には、
浦島太郎の
釣竿といふものが
有りました。それも
伯父さんの
話して
呉れたことですが、
浦島太郎の
釣をしたといふ
岩もありました。それから、あの
浦島太郎が
龍宮から
歸つて
來まして
自分の
姿をうつして
見たといふ
池もありました。
木曾の
人は
昔からお
伽話が
好きだつたと
見えますね。
岩にも、
池にも、
釣竿にも、こんなお
伽話が
殘つて、それを
昔から
言ひ
傳へて
居ます。
六六
棧橋の
猿『もし/\、お
前さんの
背中に
負つて
居るのは
何ですか。』
木曾の
棧橋といふところの
休茶屋に
飼つてあるお
猿さんが、そんなことを
父さんに尋
ねねました。
父さんは
小さな
鞄を
風呂敷包にしまして、それを
自分の
背中に
負つて
居ましたから、
『お
猿さん、これは
祖母さんがおせんべつに
呉れてよこしたのです。
途中で
退屈した
時におあがりと
言つて、
祖母さんが
呉れてよこした
金米糖です。わたしはこれから
東京へ
修業に
行くところですが、この
棧橋まで
來るうちに、
金米糖も
大分すくなくなりました。』
とお
猿さんに
話して
聞かせました。
このお
猿さんの
飼つてあるところは
高い
崖の
下でした。
橋の
下を
流れる
木曽川がよく
見えて、
深い
山の
中らしい、
景色の
好いところでした。
街道を
通る
旅人は
誰でもその
休茶屋で
休んで
行くと
見えて、お
猿さんもよく
人に
慣れて
居ました。
父さんが
東京へ
行く
話をしましたら、お
猿さんも
羨ましさうに、
『わたしも
一つ
金米糖でも
頂いて、
皆さんのお
供をしたいものです。
御覽の
通り、わたしはこの
棧橋の
番人でして、
皆さんのお
供をしたいにも、こゝを
置いては
行かれません。まあ、この
山の
中の
土産話に、そこにある
古い
石でもよく
見て
行つて
下さい。これから
東京へお
出になりましたら、その
石に
發句が一つ
彫つてあつたとお
話し
下さい。その
發句をつくつたのは
昔[#ルビの「むかし」は底本では「むか」]の
芭蕉翁といふ人だとお
話し
下さい。』
と
言ひました。
伯父さんも、
吉さんも、
友伯父さんも、みんなお
猿さんの
側へ
來まして、
崖の
下にある
古い
石碑の
文字を
讀みました。それには、
『かけはしやいのちをからむ
蔦かづら』
としてありました
六七
山越し
やがて、
父さんは
伯父さんに
連れられて、『みさやま
峠』といふ
山を
越しにかゝりました。
父さんも
馬籠のやうな
村に
育つた
子供です。
山道を
歩くのに
慣れては
居ます。それにしても、『みさやま
峠』は
見上げるやうな
險しい
山坂でした。
大人の
足でもなか/\
骨が
折れるといふくらゐのところでした。
何故、
伯父さんがそんな
山越しにかゝつたかといふに、
早く
皆を連れて
馬車のあるところまで
出たいと
考へたからです。
木曾は
山に
圍まれた
深い
谷間のやうなところですから、どうしても
峠一つだけは
越さなければ
成らなかつたのです。
何と
言つても
父さんはまだ
幼少かつたものですから、
友伯父さんや
吉さんのやうには
歩けませんでした。
『さあ、
金米糖を
出すから、もつと
早くお
歩き。』
と
伯父さんに
言はれましても、
父さんの
足はなか/\
前[#「ルビの「まへ」は底本では「まい」]へ
進まなくなりました。
伯父さんの
金米糖に
勵まされて、
復た
父さんも
石ころの
多い
山坂を
登つて
行きましたが、そのうちに
日が
暮れかゝりさうに
成つて
來ました。
伯父さんはもう
困つてしまつて、
父さんの
締めて
居る
帶に
手拭を
結ひつけ、その
手拭で
父さんを
引いて
行くやうにして
呉れました。
六八
沓掛の
温泉宿今だに
父さんはあの『みさやま
峠』の
山越しを
忘れません。
草臥れた
足をひきずつて
行きまして、
日暮方の
山の
裾の
方にチラ/\チラ/\
燈火のつくのを
望んだ
時の
嬉しかつた
心持をも
忘れません。
その
燈火のついて
居るところが、
沓掛の
温泉宿でした。
六九
乘合馬車沓掛まで
行きましたら、やうやくその
邊から
中仙道を
通ふ
乘合馬車がありました。
それから
父さんは
伯父さんや
吉さんや
友伯父さんと
一緒に
東京行の
馬車に
乘りまして、
長い
長い
中仙道の
街道を
晝も
夜も
乘りつゞけに
乘つて
行きました。やがて
馬車がある
町を
通りました
時に、
父さんは
初めて
消防夫の
梯子登りといふものを
見ました。
高い
梯子に
乘つた
人が
町の
空で
手足を
動かして
居ました。
父さんは
馬車の
上からそれを
眺めて、
子供心にめづらしく
思つて
行きました。
伯父さんの
話で、そこが
上州の
松井田といふ
町だといふことも
知りました。またそれから
飽きるほど
乘つて
行くうちに、
馬車はある
川の
岸へ
出ました。
川にかけた
橋の
落ちた
時とかで、
伯父さんでも
誰でも
皆その
馬車から
降りて、
水の
淺い
所を
渉りました。
父さんは
馬丁の
背中に
負さつて、
川を
越しました。その
川は
烏川といふ
川だと
聞きました。
まあ、父さんも、どんなに
幼少い
子供だつたでせう。
東京行の
馬車の
中には、
一緒に
乘合せた
他所の
小母さんもありました。その
知らない
小母さんが
旅の
袋からお
菓子なぞを
出しまして、それを
父さんにおあがりと
言つて
呉れたこともありました。いくら
乘つても
乘つても、なか/\
東京へは
着かないものですから、しまひには
父さんも
馬車に
退屈しまして、
他所の
小母さんに
抱かれながらその
膝の
上に
眠つてしまつたことも
有りました。
七〇
終の
話こんな
風にして
父さんは
自分の
生れたふるさとを
幼少な
時分に
出て
來たものです。それから
長い
年月の
間を
置いては、
木曾へ
歸つて
見ますと、その
度にあの
山の
中も
變つて
居ました。しかし
父さんの
子供の
時分に
飮んだふるさとのお
乳の
味は
父さんの
中に
變らずにありますよ。
太郎よ、
次郎よ、お
前達も
大きくなつたら
父さんの
田舍を
訪ねて
見て
下さい。
[#改ページ] ふるさとの
後に
この
本は
前に
出した『
幼きものに』と
姉妹のやうにして
出します。あの
佛蘭西土産には、
父さんのお
話ばかりでなく、
佛蘭西の
方で
聞いて
來たいろ/\なお
話も
入れて
置きましたが、この『ふるさと』には
父さんのお
話ばかりを
集めました。この
本が
出來ましたら、
木曾の
伯父さんの
家に
勉強して
居る三
郎のところへも一
册[#ルビの「さつ」は底本では「さい」]送りたいと
思ひます
[#「ます」は底本では「すま」]。
父さんはこの
少年の
讀本を
書かうと
思ひ
立つた
頃に、
別につくつて
置いたお
話が一つあります。それは『
兄弟』のお
話です。それをこの
本の
後に
添へようと
思ひます。
こゝにそのお
話があります。
早く
眼がさめても
何時までも
寢て
居るのがいゝか、
遲く
眼がさめてもむつくり
起きるのがいゝか、そのことで
兄弟が
爭つて
居ました。
そこへこの
兄弟の
祖父さんが
來まして、
『まあ、お
前達は
何をそんなに
爭つて
居るのです。』
と
尋ねました。
兄が
言ふには、
『
祖父さん、
私は
早く
眼がさめました。そのかはり
何時までも
寢て
居ました。
弟は
遲く
眼がさめました。そのかはり
私より
先に
起きました。
私達は
今そのことで
言ひ
合つて
居るところです。』
『
私は
遲く
眼がさめても、
兄さんのやうに
長く
寢て
居ないで、むつくり
起きた
方がいゝと
思ひます。』
と
弟が
言ひました。すると、
兄が
言ふには、
『
弟があんなことを
言つて
威張つて
居ます。そのくせ、
私が
早く
眼のさめた
時分には、
弟はまだなんにも
知らないでグウ/″\グウ/″\と
眠つて
居ました。
私は
鷄の
鳴いたのを
知つて
居ます。
夜の
明けたのも
知つて
居ます。』
『そんなことを
言つて
兄さんが
威張つても、
何時までも
兄さんのやうに
寢て
居たら、
眼がさめないのも
同じことです。』
とまた
弟が
言ひました。
祖父さんはこの
兄弟の
爭ひを
聞いて
笑ひ
出しました。さうして
斯う言ひました。
『
馬鹿な
兄弟だ。お
前達がそんなことを
言つて
爭つて
居るうちに、
太陽さまはもう
出てしまつたぢやないか。』
(終)