家の者が、「座右寶」に梅原氏の絵が出ていると言うので、私はさわらせて貰った。さわってみても私に絵がわかる筈はないが、それでもやはりさわってみたい。いろいろと説明を聞きながらさわっている中に、子供の時に見た絵を想像した。
子供の時に見た絵を思い出してみると、主に人物で、景色の絵などはかすかである。私の前にお膳があるとか、茶碗がのっているとか、火鉢があるということがわかると、みんな見えているように思うが、それが昔見た想像である。しかし、さわってみてもあまり見当は違っていない。
月とか、花とか、景色なども、少し見えていた子供の時のことを、今ではかえって美しく想像する。
よく人が、盲人は真暗のように思っているが、それは少しでも見えることで、私には暗いのも見えなくなっているので、結局、明るくもなく、暗くもなく、なんにもないことになる。
こうして現実の光から遠ざかった私は、耳で聞いたり、手に触れたりする感覚によって、また見る世界を想像するのである。
何時であったか、増上寺のお霊屋で、全国から集った婦人の髪の毛を、一本ずつ織りこんで浮きだしたようになっている極楽の絵をさわってみて、深く感じたことがあった。
フランスのドビッシーは、日本の絵を見ていろいろ作曲されたといわれている。また昔、ある絵かきが、


嬉しいことには、今年も早や、春が訪れて、つい、二三日前から、家の庭に鶯が来て、しきりに囀っている。
或る朝、私が眼を醒ますと、春雨のしとしと軒を打つ音が聞こえて、すぐ横の障子の外の方で、鶯の声が続けさまに聞こえた。あまりしきりなく聞こえるので、二匹が掛合に囀っているのかとも思った。
私は、雨の音や、鶯の声に、春の朝ののどけさを感じて、寝床の中で、のんびりとした気持になりながら、思い出したのは、何時であったか内田百間氏が、私に鶯の声を聞かせたいというので、障子のはまった立派な箱を下げて来られた。
夕食に一杯飲みながら、私がその箱をさぐっていると、


鶯の声には、上げ、中、下げというのがあって、上げは高く鳴き、中は中音、下げは落著いた静かな声である。鳴きはじめの「ホー」のひっぱり方にも、「ケキョ」の早さにも、いろいろ特徴のあることなど教えて貰った。また、谷わたりの節は、薮鶯が上手であるという話であった。わたしはその話を聞きながら、そっと箱へ耳をつけてきいてみたが、鶯はねむっているのか、何の音もしなかった。
百間氏は、この鶯を今夜一晩とまらせるから、明日ゆっくり聴くようにといいながら、あかりの工合がむずかしいからと、自分で置き場所を探して、其処において帰っていかれた。翌日は早くから、よい声を聞かせてくれた。わたしが箏の稽古を始めると、興にのったように、谷わたりや、いろいろに囀った。
私は今寝床の中で、こんなことを思い出している中に、さっきの鶯の声は聞こえなくなったが、春雨の音は、少し強くなっていた。