私は
二十になつた今日までの
生涯にこれぞといつて人さまにお話し申す大事件もなく、父母の
膝下に穏やかな年月を送つて参り
升たが、
併し子供心に刻みつけられて一生忘れられまいと思ふことが二ツ三ツ有り
升。
其中十一才の誕生日に有つた事

をお話し致しませう。私は子供の
中から日課の本より
戯作もの実録ものなど読むが
好で、十一才の時分にはモウお袋の仕事する傍らに
坐つてさま/″\貸本やの書物などや、父が
読ふるしの雑誌なども好んで読み
升た。読むものゝ
中には
解し
悪い
処は
固より
尠からず
有升たから本を
膝の上へ
置て母に質問することが度々有つて、それでも分らぬ
処は想像にたより、よく/\夢中で読む
処もないでは
有ませんでしたが、さういふ
処は
拠なく
捨置いていつか分る時もあらうと
茫然と
迂遠な区域に
止め
置て、別段
苦もいたしませんかつた。十一才の誕生の日には母の
免しを得て一日学校を休み、例の通り少し
斗りの
祝をして
貰らい
升た。
午の赤飯、煮しめも食べ終つて、
午後は雨もよほしで外出も出来ませんかつたから雑誌のよみかけを読まうと母に相談し、さてある社会改革者の事業の一段に読み及ぼして、「
此黄金機会を
外さず」といふ一句へ来升と、書物を下へ置いて、母の顔を
覗き、質問いたし
升た。
おつかさん、黄金機会ツてなに?
大層
好いをり、好都合の時といふことですよ。
では、なぜ黄金ていの?、金のをりなんて、なに?
母はニツコリ笑つて、それは西洋風の
譬の言葉で、金といふものは大層貴い、
稀れなものだから、其場合が貴くつて
稀な機会だといふ代りに黄金といふ重宝な一字で間に合せるのだとおいひでした。
私は
篤と母の説明を考へ合せ、かう
申升た。
かあさま、其黄金機会ツていふ
様なことはお金のたんとある人か、さうでなければ、
昔しの人か、さうでなければ書物に
書てある、マア日本で
正成とか、西洋で
ワシントンとかいふ様な人にしかないかと思ひ升ネ。なんだかふだん見る本統の人や子供にはない様ですわ。
ナニ、
俊子の様な子供に其黄金機会がないとおいひのか?おまへ
一寸、さしあたりどんな黄金機会が
入用なのですか、
私は今考へれば
極く取止めなき子供らしい答へをいたし
升た、
さうネ、こないだ雑誌で読んだ西洋の婦人みたいにどこか戦争のある
処へ行つて
怪我人の看病がして
遣度いですわ、さうでなければ、ソラ日本の歴史にある
橘姫みた様にお国に大切な人の身代りになり
度の。アラ、それでも私が海へ
跳び込んで見たつて、何の
益にも
立ないのネ。
さうですとも。何の
益にもたちませんよ。
私はまた少し考へ、
それから、またそれが何か人の
益にたつたつて、自分にはなんにも分りませんものネ、つまらないわ。死んじまふんだもの。
母はまた笑ひながら「さうとも」といひ
升たから、余り
馬鹿らしいこといふて恥しいとおもひ、
出直てモソツト
悧巧らしい考案を出しました。
かあさま、それはいけないとして、こんなことはどうでせう、
饑饉でみんな貧乏人が
斃れて死んでしまふといふ時、お倉にお米や、お金が沢山ある人になつてゝ、みんなにどん/\施しをして
遣るといふ様なのわ。デモ、さういふ黄金機会がなにもないんですもの。
いゝえ、さうとも一概にいへませんよ。人に善を
施こすといふ折は
誰にも随分有るもんです。さうして其折を外さず用ゐて行けば、キツト人を助けられるもんです。つまりわたしたちの心一ツで黄金機会が出来るんですよ。
アノ、西洋の
ハウアドとかいふ人ネ、
牢屋にはいつて居る可愛さうな人を助けて出してやつたつてネ、わたしもあの鎖で
繋がれて馬や牛みた様に働らかされてる人たちをゆるしてみんなうちへ帰る様にして
遣り
度と思ひ
升たけれどネ
·········それは出来ませんのさ、しかし貧乏人に人間の義務といふものを教へて
遣つたり暮しの立つ様に家業を見つけてやつたりして、貧に迫られて、
盗をしない様に世話をしてやれば、
始から
牢やへはいらない様にしてやれませう。
母は此時私に
噛んで含める様にかういふことの心得をいひきかせてくれまして、人が善をしようと心掛ければ決して機会の見つからぬことはないといふことと、
ハウアドと他の人々の違ふ
処は当時の事情よりか、忍耐と熱心のあるないに因るといふことなどを
細々と聞かせられましたが、
其話しは一々今覚えて
居りません、たゞ間もなく
祖父の部屋へ連れて行かれたことを覚えて居り升。こゝは
祖父が
書物をする書斎で、母は中に取り散らした紙や本などの片づけに来たのでした。
祖父は今思つて見れば、此時原稿の校正をして居り
升たのでした。私は其様子を見て、
兼て母の
申聞かせもあることですから、ヂツト辛抱して黙つて
坐つて居り
升た。
其中お
祖父さまが
摺ものの上へ筆の先で
一寸蚯蚓の
攀れた
様なものをお
書なすつたが見え
升たから、不思議で/\、黙つて居ようと思つても、
堪らへ切れませんで、ツイ
おぢいさま、そのめゝずみたいな物なぜお
書なすつたの?
なぜつて、字が
倒まになつてるから、活版やに直せといふ
記しだよ。
デモ丸でめゝず見たやうですわ、活版やで知つてるのかしら、ヒヨツト知らないで、そんなめゝずの絵を入れてしまつたらどうでせう?
祖父はわたくしの申したことが聞こえた顔もせず、筆を筆立へ納めて、
大欠伸をし、母に命じて
捲いた
書物を待たせて置いた小僧にやらせ
升た。
祖父は母の部屋を出る姿を見送り、私を
側へ引よせて、
どうだ、貴様はお袋の様な音なしくつて
悧こい女になれるか、チツト
六ヶ
敷様だな、今のみゝずの話しも十一の
児にしちやア余り
馬鹿げた
様だな、どうだ、アハヽヽ、そんな
真面目な顔をせずともだ。けふは貴様の誕生日だらう。何か祝つてやらずばなるまいな。どうら。
お
祖父さまは此時
冗談半分に革の大きい金入れを出し、中をあちらこちらと
反して見て居られました。さうして、
おぢいさんなんぞが子供の時は、
誰も金を
呉れる人はなかつたぞ。
私はお
祖父さまの、
機嫌のよくなつたを見済まして、
側へすりよりて、財布の中を
覗き
升た。其中に、一円の金貨が六ツか八ツも
有升たがお
祖父さまは
軈て其
一をとり
出して麗々とわたしの手の
掌へ
戴て
下つた時、矢張
冗談かと思ひ
升た。
貴様それがなんだか知つてるか?
金貨の一円でせう。
どうだ、貴様にやるがつかへると思ふか?
エー/\つかへ升とも。
イヨー、中々
慾に
抜目はないな。貴様にやつたつて
益には
立ないが、どうも仕方がない、誕生日のお祝ひにやるとしやうよ。
アラ、あんなこと
仰つて、
益にたゝないなんて、なぜ?
格別の
益にはたゝんといふのだよ、着るものや、
食るものや、雨露を
凌ぐ家はみんな両親に
供へて
貰らふのだから、外に大した
入用はないではないか?
さうネ、それでも此金貨はわたくしの
好な様につかつてよう
御坐い升か?
よいとも、モウ貴様にやつたものだからな。
全体、おぢいさまなにかはこんな金貨いくら持つて
入つしやるか知れないのネ、つかつておしまひなさるとまたあとからお金入れへはいつて居升のネ、
さうかな。
私なにかは、この一ツつ切りじやありませんか、だから大事ですわ。アノおぢいさま、アノおぢいさまはみんなお金をどうしておしまひなさるんでせうか、私なんかそんなにたんと持つて居たらいろんな
好なもの
買升けどネ。
いかさま、
先第一
木彫の人形か、其次は
·········イヤ
中店のおもちやを一手買占も
出るだらうな。
処がたつたこれ一ツしか授からないから、
先づおあいにくさまといふ
処だ、貴様がうつちやる権理のあるのはこれ一枚限りだ、おあいにくさまだナア、アハヽヽヽ
でも、
私だつてうつちやると
諦つてはしませんよ、なにか
好ことにつかふかも知れませんもの。
善根を
蒔く
為につかふといふのか、これはしたり、それはまた大したこつたな、さうともそれなら、うつちやるもんぢやないとも。
それから私は先刻読んだことから、母に聞いたことを細かに話し始め
升て、丁度おしまひにしようといふ時、下女がはいつて来て、もみくちやになつた紙の上に二十銭の銀貨と一銭銅貨を載せて、「御隠居さま、
靴やにお払いを
遣り
升て、これがおうつりで御座い升」といひ
升た。お
祖父さまはそれを
請取り、銀貨を
引くらかへし、
兎見角見して、新らしい銀貨だと
仰つて二ツとも
其まゝ私に下すつて、まだ
書物があるからといつて急に私にあちらへ行けと
仰り
升たから、私は
真直ぐ母の
居処をさがして、生れて始めて持つた
莫大の富を母に示し
升た。
私は
此時母の前へ此三ツの貨幣を置いて
其廻りをトン/\踊り
廻つたのを覚えて
居り
升、「金の機会に、銀の機会に、
銅の機会だ」といつて。疲れ果てるまで
跳びまはり
升たあとで、フト思ひつき、母に
貰ふた
甲斐絹の
切で三ツの袋を
拵らへに取り掛り
升た。これは何が
為なれば、其貨幣を入れる
為で、それを一ツつゝ形に合せて丸く縫ふことと
太白の糸で口をくゝることなどに容易ならぬ苦心をいたし
升たこともハツキリ覚えて居り升。さてまた此大したお金を何ぞ
善いことに
遣ひ
度と思ふにつけ、さき/\の
考が胸の
中に浮んで来
升たが、
何れも夢か幻の
様な
空な考へでした。しかし前日の母の教へを
記臆して居り
升たから、まんざら
吾儘な
慾張つた様なこと
丈は
其中に
有ませんかつた。
翌日は半日のお
稽古で帰つて来升と、父が
下町へ行くから一処に連れようかといはれ
升た。父と下町へ行くのはいつも私の楽しみにして居たことで、此日もかういはれると
嬉しくて
堪らず、父の手に
引れてイソ/\
出で
行升た。父は銀行に用があるので、
済まで待つて居る様にといつて、出入の仕立ものする女の家へ
暫らく預けられ
升た。
平生田畑の
青々した気色
計り
眺めて居るものが折々
賑やかな都へ出ることですから見るものが珍らしく、小さな魂はみんな
眼一ツへ集つた心地がして居り
升た。
仕立やの隣りには
此辺にて余り見ぬほど立派な西洋小間物を商ふ家があり
升たが、例のシヤツ、
靴足袋、
襟捲などが華やかにブラ
下つて居る
中に、子供の
眼につく
美麗なおもちやが沢山に飾つて
有升た。私は知らず/\
隣店の方へ首を
伸し、
頻りにそちらへ気をとられて居るのを見て、仕立家の
主婦が
お嬢様、おとなりへ
入つして御覧
遊しましな。
行つても
好の?
宜しう御座い升とも、御覧
遊したら、其先へ入つしやらずと、直ぐお帰り遊ばしまし、さう遊ばせば、何にもわるいことは御座いません。
私は
外へ行かぬことにシカト約束を
諦めて、二足三足歩むと隣りの店の前へ参り
升た。私は此時心の
中に此店の主人ほど
羨しい人はないと思ひ、あんなか愛い人形を
棚へのせて
構ずにゐられるとは不思議な人、わたしならばあの人形、あのゴム
鞠、アレあの異人笛、どうしてあゝして飾つて
計り置かれやう、おまけに人がお金を出したとて、どうして手離すことが出来るだらうと思案いたし
升た。私はまばゆい程華やかな店先に
佇んでトント夢中に
見惚れて居たものと見え、店の主人が近よつて声をかけ
升た時ビツクラし
升た。
声を和らげ、
微笑をつくつた其様子を見て、マアなんといふ深切な人だかと
嬉しく、早速敷居を
跨ぎ
升た。主人はいよ/\笑顔になり、
嬢さま、何がお
眼に
止り
升た? 何ぞお買ひなすつて。
といひ升から、知らぬ店へ立寄るは物を買ふ
為でなければならぬのに、ウツカリはいつてと始めて気がつき、我知らず顔を赤らめ、やうやく
いゝえ、なんにも買ふのぢやないの。
それはどうも、イヤナニ此人形や風琴はツイをとつい
イギリスの船で揚り
升たものですから、丁度
好い
処で、ヘイ、なんぞ御意に入つたものは御座い升まいかナ、ナニ十日もたち升とみんな
売切升からナ。折角お
出ですからなんぞ
······と
頻りにしやべり
立升た。私は其言葉を一々
聞とり。
オヤ、さう、みんな売れつちまふの? みんななくなるの?
と
眼を丸くしていふと、主人はまじめに
左様ですとも、モウいまにどん/\
買においでなさい升。見る
中になくなつてしまひ升。
いひながら
側にあつた小形の風琴をとり、両手をかけて引き
伸すと雑作もなく「てふちよ、てふちよ」と何ともいはれぬ面白い調子に鳴り出し
升た。私はあつけにとられて、
聞惚れて居升と、主人はます/\得意に商買口をきく、見たり
聞たりして居る私は
兼ての決心も何もかも忘れ果てゝむやみと風琴が欲しくなり、見てとる主人は
花主を逃さずたうとう
売つけてしまひ
升て、新聞紙へ包んだ風琴を持つて其店を出
升た時は、
巾着へ納めて懐へ入れた大事の/\金貨がチヤント人手に渡つてしまつて居り
升た。
私は父と家へ帰りしな、
此風琴の
弾易いことを父に話し。
とうさま、両方の手に持つて引張つたり、縮めたりしさへすればようく鳴るんですよ、
易しいの、いつでもおとうさまにひいてあげ升よ。
といひ
升たが、父は銀行へ行つた用事のことでも考へてか、
墓々敷く返事もして
呉れませんかつた。家へ着き升と母は他出して留守でしたから、早速祖父に見せますと、これも別段よく買つて来たとも、わるかたつともいはず、善根を
蒔く
為につかはうといつた言葉を無にしたといつて驚ろく様子も
有ませんでしたが、さりとて私は心の
中に何となく
咎められてソロ/\風琴を買つたことが
嫌になつて来
升た。何はさて置き、おもちや屋の
亭主がした通りを
真似て、
引て見ても縮めて見ても、どうひねくり
廻しても「てふちよ、てふちよ」のふしは
出ず、よつて
此時始めて悟り
升た、此風琴も琴、三味線同様、一々人に習はなければ何のふしも出せないといふことを。恥しさと
口惜さに二階の暗がりで風琴を前へ置いて泣いて居り升と、母が丁度帰つて来まして、此様子を見てビツクリし。
私は母の顔を見ると一層激しくシヤクリあげ、
アノ
·········アノこんなもの買つちまつたの
·········弾けも何もしないものを
·········モウ黄金
······黄金機会がなくなつちまつたア
||と
喚[#ルビの「わめ」は底本では「わき」]き
立升と、母は
オヤ、モウあの金貨をつかつてしまひ
升たの? 長やの
捨坊を学校へやる筈ではなかつたの、あのお金があれば、半年学校へやれるつていつて聞かせて
上たでせう。
私はまた新たに
泣始め
升た。母は私の側へよつて
手拭で私の涙をぬぐひ
おまへモウ買つてしまつたのだから仕方がないけれど、よく考へて御覧なさいよ。おまへも
善い事をし
度とおもはないではないが、一生懸命にならないからいけませんよ。それが熱心でないといふのです。
誰でも
善事をし
度ないとおもふ人はないが、本気になつて、一心にそれをしようと思ふ人と
好加減に上つらでし
度と思ふ人とで大変な違ひになるんですよ。おまへは子供にしては余程のお金を持つて、それを
善い事につかへば、大層立派な行状が出来たものを、大切な機会を外しておしまひだつたよ。
私がじつと聞いて居る
処見届けて、母はまたあとをつぎ、
あのお
捨坊を半年学校へやつて御覧、それこそあの
児の
為にどの位
結搆なことだつたか
知ませんよ、第一読書のことも少しは覚えられる、また
色/\身の
為になる
結搆なお話しもきける、あの
児の一生にどの位利益があつたか知れませんよ、さうして其立派な善行を行ふ機会を何ととりかへたかといへば
·········私はこれまで聞いてモウたまらなくなり、
私が大へんわるかつたんですから、かあさまどうぞ御免下さい、買ふつもりでも何でもないんでしたもの、あの人が
弾てるの聞いてたら、みんな忘れつちまつたんです。知らないで、ウツカリ買つちまつたんです。モウ決してこんな事しませんネイ、かあさま、モウおもちや屋なんか
行ませんよ。
オヤおまへおもちや屋
[#「おもちや屋」は底本では「おもち屋」]計りが決心の忘れ
処だとお思ひか、気をつけないとまだ他の
処で幾度かこんなことをし升よ。
涙を流さぬ
計りの母の言葉を
聞升て、私もとも/\悲しくなり、
かあさま、それでは私はモウどうしても
善いことは出来升まいか、私が何か
善事をしようと思ひ升と、いつの間にか外の考へが来て邪魔をして居升もの。とうさまが私のことを棒ふらの様だなんて
仰るんですもの。
おまへは決心をしてそれを
為遂げることの六ヶ
敷方には違ひ
有ません。それが
為におまへもいかい苦労をおしだ、わたしも
中/\はたで気が
揉め升。しかしまた
少さいにしては感心な
処も
有升。それはおまへを高慢にしよう
為ではない、余り気を落さない
為に話して聞かせて
置升。
かあさま、それは何ですか早く話して
頂戴。
ナニネ、おまへが真実善をし
度と思ふ心根です。たとひウツカリ忘れて、ずるに
諦めたことをせずにしまふことが有ても、又
思直して新らしく決心をするから、それが一ツ取どころです。だん/\
其忘れる
癖を
矯め直して、心を落着け、恐れ多いことですが、
総べて
聖き御心のまゝに治めて
入つしやる
御神の見まへと思つて万事する様にしたら、キツトしまひには思ひ通り出来る様になりませう。
かあさま、本統に
仰る通りですよ、此風琴を見ると心地がわるくなり升から、たゝんでしまひませうネかあさま、
といつて、此時涙を
拭ひながら其おもちやを片づけ升た。銀貨と銅貨はまだ残つて居り升たが、黄金機会はモウおしまひでした。
此次は銀と銅の機会を私がどうつかつたかお話しいたしませう。
さて私の誕生日も過ぎて一週間あとになつた時までも銀貨は銅貨とも/\例の絹の袋に居残つて手をつけずに
有升た。私は一
旦落した気も今は
漸く取り直して、あの銀貨はどうしてつかはうとソロ/\分別し始め
升た。一銭銅貨なんぞどう出来ようと思ひ
升た故、それは始めからあてにしては
居りませんかつた。
私の
直近処に
塩煎餅を売つて細々暮らしを立てゝ居た可愛さうな後家が
有升たが、母は家政を整へて次には貧民の面倒を見ることを
義務にして居た人ですから、
此後家を気の毒がつて何かにつけて力になつておやりでした。丁度此時分此女が少し病気で、いとゞ不自由の中を十日
計りも寝て居り
升たから、母は折々私をつれてこの女を見舞ひ、私は母に
申つけられて毎日の
様に参つて
食物なども運んでやり升た。ある日母は独りで
此女のところへ行つて来たかへりがけに、私を見かけて
一寸と手でまねき、かういひ
升た。
おまへ、あの銀貨をあの金貨の
埋合せになんぞ
善いことにつかい
度とおいひだつけネ、あの
塩煎餅やのかみさんもモウ大分よくなつたから、二三日中には田舎へ
行切りに行くつて、けふいつてましたよ、おまへもあの女に今まで可愛がつてお
貰ひだつたから、
日和下駄の一足もそれで買つておやりだと
好ネ。それとも外につかひ道があればだが。
いゝえ、かあさま何にもつかひ道を考へちやないの、だから買つてやりますよ、本たうに
好こと、かあさま
悦び
升かネ、
それは
大悦びでせうよ、それではそれとお
諦だネ、おまへが買つておやりでなければわたしが買つて
贐にやらうと思つてたのです。おまへ又お忘れでないよ。おとうさまが
明日は町へお
出でだから其時行つて見て来たら
好でせう。
私は先日の取りかへしをする積りで心
嬉しく、イソ/\して居る
処へ私の
従妹二人から
其晩
言伝があつて、
明る日の
午過に遊びにくるといふことでした。これは私が自分で
玉蜀黍を蒔いてよく出来たから見に
来と此間いつてやつたからのことで、私の
大中好の人たち故、
日和下駄一件は
一寸忘れてしまひ、其晩
枕についてからもいろ/\あしたの楽しみのことを
思て、夢にまで見る位でした。あくる日になると、私は朝飯前から畑へ出て丹精の
植物を
眺め、
艶々した葉の緑の吹流し見た様な
処、アツサリした茶色の髪が奇麗に垂れた間から黄金色の実の見える
塩梅などをト見カウ見して、
従妹たちがどの様に
羨しがるだらう、折角美事に出来て居るものだから惜しいけれど是非二三本は
掻いて
御馳走せねばなるまいなどと。考へる
中にフト思ひついたことが有つて、手を
拍ち
升た、さうだ/\、さうしよう、此
葦洲と此朝顔、これを上へ
這はして丁度
好涼み場になる、
玉蜀黍畑によく見えるこゝへと独りで合点した、折しも朝飯が出来たとて、母の声で呼ばれ
升た故心に楽しみある身は、何より軽く、トン/\
跳ねながら
家へ参り
升た。
御飯も大急ぎに済まし、
作男のぢいやに委細を
呑込ませ、
四角に竹を打込むから、よしずを
廻り三方と屋根へくご
繩で結びつけるまでもして
貰らひ、あとは自分でさま/\工夫を凝らして
見憎処のない様に
朝貌の
蔓をあちらこちらへ
這はせ升た。
此凝胆をして居る最中に父が出て参り升て、
アヽおまへこゝに居たネ、おつかさんが町へつれてつて
呉れろといつたが、行くなら早く仕度をするが
好い、
直と出るから、
といひ升から、私は時のたつたのにビツクラし、
オヤモウ十時ですか、今行けば
此涼場がどうしても間に合ひませんネ、
何に間に合わんといふのだ?
アレ、とうさま、
吉田のとしちやんと
秀ちやんがくるんですよ、モウお忘れなすつて?
さうだつたナ、さういふ大切なことを忘れては済まんかつた、アハヽヽ併しあれらが来る
設にするのならば、家に居て
拵らへてしまふがよからう町はまたこん度としてナ。
父は例の
下駄のはなしは少しも知らぬもの故、かうしたので、それを知つてはこの様には勤めなかつたらうと思ひながら私は家に
居度くもあり、さりとて前日の決心に対し、行かぬといへば何となく済まぬ様なりて、少しく
躊躇つて居ると、母も出て参り升たから、母に頼んで諦めて
貰らはうと思ひつき升た。父は母に
この
児は
今拵らへて居る
涼場を
仕挙度さうだから、けふはうちに居るとしたらよからう、それにけふは連れて行つて都合のよくないこともあるから、尤も大した用事なら格別だが。
母が答へる
暇のない中に父は足早に家の方へ行つてしまひ私は
朝貌の
蔓を手に持つたなりで
惘然とあとを見送つて居り升た。母は私にあとを追ひかけて行けと命ずるかとおもひ升たが、さうもせず、
併しどうやらジツト私の様子を見て居る様に
掛念されて、まだモヂ/\して居升と、折よくぢいやが庭の草花を植ゑ直す指図をして
貰らひに来て、母はぢいやを先にたて、行つてしまひ升た。私は始めてホツト息をつき、
下駄はいづれ
其中に買はうと自分ながら気安めな
考をして居り升た。
私はこれより心のムシヤクシヤするのを追払らふ積りで一際精神
籠めて働らき、
昼頃までに美事立派な
亭が出来あがり升た。高さこそは私の
丈より少し低い位でしたが、三人
坐つて遊ぶにはもつてこいといふ加減で、下にぢいやに頼んで
枯草を敷いて
貰らひ、
其上へ
胡座を
敷やらおもちやの茶道具を運ぶやらすつかり来客の仕度をして待つて居り升た。
午飯をしまつて少し過ぎると、二人の
従妹が参り升たから
蜀畑を見せ、手製の
亭を見せると、二人は
慾目で見る私さへ満足するほどに
賞揚してくれ升て、私も大分得意になり、此日はいつもより身に
染みて愛想よくし、三人とも暮方まで思ふ存分遊び興じ升た。遊びに
耽れば是非思はぬいたづらもするもので、私は
此日父の
言つけを忘れてウツカリ桃の実を屋根へ
投り挙げ、二階座敷へ近ごろいれた大版のガラス二枚
破し升た。
此日は土曜日でしたが、あくる日曜日を
措いて、月曜日学校から、帰つて来て家に居ると、父が窓下を通る
処を見かけ
升たから、
側に居た母にもし父が町へ行くのならば、一処に行き
度と申升た、すると母が
おまへ何しに行くのだえ?
あれ、かあさま、
塩煎餅やのをばさんにやる
下駄を買ひにですよ。
アヽヽそれならば、モウ今朝早く立ち升たよ。
母は私の顔を見ず、何となく不興気にかういひ升た。さうして
見れば、母は私の忘れて居る間に
下駄を買つておやりなすつたことか、もしさうでなければあの歯かけ
下駄をはいて田舎まで行つたかしら、あの人はよく私を可愛がつて
呉れたつけにヽヽヽヽアヽわるいことをした、又しても面目ないと思ひ出し、一言も口へは出ず、ソツト抜け出して、庭へ出て見ると、パツタリ父に
出逢ひ升た、父は
南向の二階座敷を下から
眺めて、ガラス障子の穴に気の
附たものと見え
うつむく私の様子を見て、少し厳しく、
此間もようくいつて聞かせたゞらう、下の障子をこはした時、又忘れたのかッ?
私はやうやく頭をあげ、
おとうさま、御免なさいな。
おまへは
詫をしても忘れるから困り升。今度は忘れさせない様にせずばなるまい、おまへ自分の金をいくらか持つて居るか?
二十銭の銀貨と一銭銅貨と持つて居升の。
中/\それではあのガラスを取代へる事は出来んが、
先づ
其銭はおまへのいたづらの罰金にとつて置かう。
かう聞くと共に私の
眼は涙で一杯になつて、例の袋をさぐる手先が見えぬ程でした、それ故父の顔も見ず
甲斐絹袋のまゝ渡し升と、父は妙なかほつきして
暫らく其袋を
眺めて居り升た。さまで念入れに
拵らへた袋を見ては、罰金をとるのが可愛さうになつたのでしたらう。
おまへこれ
丈しか持つて居ぬのか?
エー
·········あと銅貨が一ツある切り
·········といつて、私は子供ながらも、父が其金を罰金にとるを非常につらく思つて居つたことはようく分つて居り升た。父は手の平へ
其袋を載せてやゝ
姑らく
眺めて居り升たから、私は今度限り勘弁してやるといつて、返して
呉れるかと一寸は思ひ升た、併しそれほど
姑息な父ではありませんから、
懲めはつまり私の
為と思切つて、
其金を懐へ収め、
これに
懲て今度はモツト気をつけるが
好い。
といひながら向ふへ行つていまひ升た。私は父の影が見えなくなると
直ぐ前日
拵らへた
亭へかけ込んで、声を
惜まず
泣叫び升た。
子供のうち
過をして罰せられた時泣くのは、自分のわるかつたことを後悔するのか、罰しられるが悲しいのか、よく区別がつかぬものです。私も此時までは罰しられて泣く時の涙の訳を我ながら知らずに居り升た。然るに此時はいたづらをして罰金をとられたといふことよりも、父が当惑な顔をして、心を痛めたといふことに
·········自分が遊戯に
耽つて善をする機会を失なつてしまつたといふことよりも、なぜ自分はかうも
意気地なく
善い決心が守れまいといふ
口惜さに泣けたのでした。私はまだ
泣ながらフト頭を挙げて見升と、父が気の毒さうな顔をして
側に立つて居升たから、なにやら恥しい気がして、口早に、
とうさま、あのお金を取りあげておしまひなすつたつて、
泣てるんぢや
有ませんよ。
それでは何を
泣て居るのだ?
といつて、私を
椽先まで手を引いて行き、
側へ
坐らせ柔和に私の
憂の
基を問ふてくれた父に私は心をすつかり打あけて、どうぞ決心のよく守れる仕方を教へてと頼み升た。
存外おはなしが長くなり升てお躰屈でせうが紙数が限つて有升から銅貨のお話しは此次へ廻します。
父は静に私を諭して、つまり
此ごろの失策が私の
稽古で、父の
教より母の諭しより私の
為になるのだから、よく心を沈めて考へる
様にと申されました。父の言葉を一々今覚えて
居りませんが、たゞ一ツしつかりと私の心に留つたことがあり
升、何かといふと、自分の弱味を知る時は
即はち自分の強くなる時で、人は進歩しようと思ふには一歩/\自修して
行ねばならぬといふことです。父が話しをやめ升た時、私は
嘆息をつき、
とうさま、モウ黄金機会も何もなくなつて、たつた
此銅貨一ツになつちまひ升たよ。
其一銭でも真心をもつてつかへば、決して
馬鹿に出来ない
好い結果があるかも知れんよ。
父は間もなく用事が出来て行つてしまひ、私も子供心に
憂を長く覚えては居ず、
椽先で
手鞠をついて居り升た。
暫らくする
中に、時々母がものを恵んでやつた貧乏のおばあさんが門から
這入つて来
升たが、間もなく下女の声ですげなく
御新さまはさつきお出かけで、まだお帰りはないよ、アー、いつお帰りになるかネー、分らないよ。
といふが
聞えると、先のばあさんは力なさゝうにトボ/\元来た道を帰つて行く様子でした。アヽ何かおつかさんに
貰らひにでも来て、留守といふのに気を落したのではないかと、フト私の心に浮んでは、
巾着の一銭銅貨が急にやり
度なり、考へ直す
暇もなく
椽を下りて、一ト走り、
ちよいと、おばあさん、お
待なさいよ、これ
·········とて手に載せて出したものを見て、老母は始めは驚いた様子でしたが、
軈て私がやらうといふのを気づいたと見えて、ニツト、ほんの義理にホヽ
笑の
真似をして
も、口の内で、又トボ/\家路さして帰り升た。何ことと
後へ来て見て居た下女は
可哀さうに、よくおやりなさい升たネ、あのばあさんは、ぢいさんと一処にあした救育院へやられつちまふんですとさ可哀さうに、
と
繰かへして言つて居
升た、私は
漸やく一銭銅貨のつかひ
処を見つけて、まづよかつたと安心した。ばあさんも気の毒と思はないでも
有ませんかつたが、別段久しくは覚えて居ず、
其まゝ時を過ごし升た。
さてこれからどの位たち升たか、半月か一月もたつたことでしたらう、私は
妹を連れて、のぶといふ
守と一処に遊びに出升た。花を
摘み、
木栂をとりなどして、小半日もあちこちと遊び歩き升て
妹は
草臥れたとて泣出し升たから、日影の草原へ腰かけて
息んで居升と、間近に見える草屋根の
家から、ばあさんが
古手桶を下げて出て参り升て、私どもの腰かけてる
側の小川の中へ
手桶を浸し、半分ほどはいつた水を重気に
持あげ升た。
此時までもばあさんは私どものこゝに居るに気つかず、私も格別気を止めませんかつたが、のぶが急に声をかけて、
オヤ、おとめさん、此節はおかはりも
有ませんか、おぢいさんはどうし升た。
アヽ、ナニ、こねいだは大分
好よ、ぢいさまもネ、この
頃は又畑へ出て、アレあすこに、人の仕事してるとこで石ツころを拾はして
貰つてまさあ。ハヽイヤ、ふたりともこねいだからいつにねい、
笑らあこともあるんだ、アハヽヽ
のぶは少し声を張りあげ、(ばあさまの
聾なる故か)
あの、うちでもみんな
悦んで居
升たよ、おとめさん夫婦はとんだ仕合せだつてネ、御新さまなんども大へんと
悦んでおいでなすつたよ。
どうも
有がていこつてネ。
といひながらまだ何か話したさうに、
手桶を
川端へ置き、一本橋を渡つて私どもの
側へ参り升た。のぶは丁寧に自分の
腰掛た草を
別けて老母を腰かけさせ升た、私は
麦藁で
螢籠を編んで居り
升たから、両人の話しを聞くとはなしに聞いて居り升た。のぶは
好い話し合手を見つけたといふ調子で、
で、家賃も何もみんな払へたつて本統ですか?
芳さんなんて
善い息子をお持ちなすつたのが何よりお仕合せですネ。
さうともネ、なんてい、
有がていこつたか、おつかさんがよくしておくんなすつた恩は忘れませんてネ、よ、手紙へけいてよこしてさ、あの
児がネ、ほんたうに孝行だよ。
のぶは何故か
此話しを一生懸命に聞いて居り
升た。
芳さんといつた壮年のことは格別気をとめて聞く訳のあつたことはズツトあとになつて私にも分り
升た。此時もあらましは知つて居たらしい、
其事柄を推して尋ね、
おとめさん、始めつからの話しをおきかせなさいな。話さうともネ、あの日さ、御新さんとけへ行つた時ネ、どうもわたしもよつぽど困つてたのさ、なんて、気持がわるかつたかよ、なんだつていふと、あの朝大家さまから
使が来てネ、おめひら何年もこゝに居て気の毒だが、さう/\
店賃が滞つちやア困るから、どうも仕方がねい、あしたにも出てもれひてい、おれの方からねげひ出して救育院ていのへ
遣つてやるつてネ、
のぶは
此時
ほんたうにひどいネー、こんなに長く居た人たちを
·········ばあさんはあとをつぎ、
それさ、わたしもあんまりだと思ふから、いつたのさ、御
尤様ですとネ、御尤様にやア相違御ぜいませんけど、あの通りぢいさんも足が痛んで寝て居るもんで、今ちつと勘弁は出来升めいかつて、いつて見ても、中々いふことを聞いて
呉れるどこでない、ひでい権幕で、おめいらの様なものへは一日も貸して
置かれねい、
店賃計ぢやねい、あつちこつち
借財があるさうだつていはつしやる、さういへばさうなんだが、わたしらあ茶だら一杯入れやしねい、倹約に倹約して暮らして居たんだからネ、
のぶはまた話しの腰を折つて、
いくら
借ておいでなすつたんだネ?
そつちこつちで三両二分もあつたかネ、それに
店賃が三月分
溜つて二両と七〆さ。米やへは
其前に払ひして、薬料はやる、
家にあ、からつきり一文もなかつたんだよ、食べるものといつたら一とかけらだつてなくなつてさ。
のぶはまた
そこを助けたんだから
芳さんもほんたうに孝行だネ、
さうとも、わたしの腹を痛めた
児ぢやアねいがネ、実の
児とおんなじこと、可愛がつてそだつたから、をやぢよりわたしをこよしがるくらゐだよ。だが、あゝしてうちを出て人につかはれて居るんだから、あの時分居どこが知れなくなつてネ、なほと困つたんだ。丁度あの日わたしも実困つちまつてよ、どうすることもなしだから、いつも
贔屓にしておくんなはる御新さんにおはなしゝて、
迚も大変なお金だからしやうがあるめいけど、たゞ可哀さうだつていつて
貰つてもそれ
丈気もちが
好と思つてさ、
のぶは同情を感じたらしく
本にさうとも、気の毒がつて
貰ふ
計りでも、
嬉しいもんですからネ。
御新さんもお留守ださうで、むだ足して帰るとこをよ、この嬢さんがひよつくら来て、一銭銅貨アくれたんだ、可愛らしいけんど、どうすべい、五両も六両も
借てるもんに一銭があになるべいと思つたが、よく/\思ひ直して、今夜つける油もねいから、よし/\これで
蝋燭一
挺買てぢいさんとふたり
暗闇で今夜泣くとこを、このおかげに、
燈がつけられると思つてネ、
万やへボツ/\いつて
蝋燭一
挺買つてネ、
直ぐ帰らうとすると
万やの
五郎兵衛どんが、おとめさん
久振りだ一服吸つていきなつて愛想するから、其気になつてちよつこら腰を
息めてると、そこへあすこのかみさんが出て来てネ、
思付いた様に「オヤ、おとめさんかへ? きのふ来た手紙を忘れずにやらないでは」といふので、
五郎兵衛どんも
漸く気がついたと見えて、「さうだつけ、モウちつとで忘れるとこだつけ」といふ様な訳さネ。わたしも
粟アくつて、「なにかへ、
芳んとこから来たんぢやねいか」ツていふと、これだといふのさ、
挨拶もろくにしねいでうちへけいて
蝋燭うつけてぢいさんに読んで
貰ふと、今度福井ツていふ
方へお供に来て、大分お金の
貰はれる様になつたから月々送る、これは久しく
溜めておいたのだから少し
計りだけどつてネ、十円札が一枚はいつて居るぢやねいか、ぢいさんもわたしも頭ア
挙らなかつたネ、
嬉し
泣になけてよ、
ばあさんは
其金で
店賃も、
他の借財も奇麗に払つたといふ話しをまだ長々としつゞけ、大家がどんな顔せしたとか、あとに残つたお金はどうつかふとか聞手のあるまゝに
嬉しげに話しつゞけまして、私が一銭銅貨をやつた時とは月と
炭団ほどもちがふ顔して、大口にアハヽヽアハヽヽヽと笑い興じ升て、一時間余もたつたあとで
漸く
手桶下げて家へはいり升た。ばあさんにも、おのぶにも少しも気がつかなかつた様子でしたが、私は子供心に此老夫婦の
悦の中には私の一銭銅貨が
余ほど役にたつて居るといふことを気づき升た。おのぶにも申ませんでしたが、私は帰りがけ何となく
嬉しく、自分の手柄ではない中にも一銭を真心もつて人に恵んだおかげに金銀に
勝たつかひ様が出来たと思ひ、足が地につかない様に
跳び/\家に帰り升た。