私が単語の組織を分解するのは、単語の研究が実の処、日本の詞章の本質を突きとめて行くことになると思つてゐるからである。語根の屈折に就いて考へるには、先づ熟語に就いて見るのが一つの方法である。其には、語根と熟語の主部と言ふものを考へて見なければならない。茲に山と言ふ言葉があると、其を修飾する言葉がついて熟語が出来る。この主部に関しては、只今は問題にせずに置く。蓋然の儘に残しておいてもさし支へのないものとして、話を進めて行かうと思ふ。
次の例は、大和に於ける地名例が文献的には一番古いが、山城或は其他の各地にも、或は又普通名詞のやうにも使はれて居るものに、
平安宮廷・貴族の生活上の言葉にしたぐつ(韈)がある。此を音韻変化して、したうづと言うてゐる。此には、昔の熟語を作る意識があつて出来たものであらう。車の前面には簾が垂れてあるが、揚げれば主の顔が見える。其為に簾下がある。其を
日本の古語と近代の朝鮮語との対比を以てする日鮮語同祖の研究は、他の語族の事より見ても考へられない事だと、金沢博士の説を排撃する学者も多い。併し、其は言ふものが間違つてゐる。民間伝承としての特質を言語の上に考へることの出来ない常識論が、さう導いてゐるのである。言葉の伝承といふ事実は、或点まで、時間空間を超越する力を考へなければならないものなのである。
沖縄語と言つても、村々で言葉は違ふ。其は村の神の違ひに依る。必要以外言葉を交さない村々が彼方此方にあり、其為に古い言葉が維持せられて居る。神々の発する神言に依つて、支配されてゐる部分が尠くないのである。おもろ・おたかべ・みせゝりなどいふ種類、或はまたその系統のものが、まだ地方に残つて居る。此が地方の方言を今も尚支配してゐて、日常語を古い状態に置いて居るのである。おもろさうしは、さうしたおもろを六百年前から中央に集め蓄積したものである。
沖縄語では、小いと言ふ意味の言葉が下につく。関東から東北地方へかけて、盛んに語尾にこをつける事実に似てゐる。小い何々と言ふ義で、橋ぐゎぁ・牛ぐゎぁなどゝ言ふ。小い橋・小い牛といふ組織である。ちやうど日本語の接尾語に似てゐるが、此は必しも小いと言ふ意味ではない。国語でもこ・さ・をなど言ふ接頭語は小いものゝ意味であるが、ぐゎぁは親愛の意味で、さゝやかなでりけいとな感じを以て接する時の言葉で、かならずしも小くなくても宜いのである。沖縄では、この熟語法が直ぐ眼につく。かうした文法組織が沖縄には幾らもあつて、おもろ以来の文献にも、方言にも残つて居る。ぐゎぁの古形は、がまである。母及び妣の国を懐しんで「
ところが、さういふ熟語の作り方、即、修飾部を先立てる形の外に、熟語の作り方はまだいろ/\ある。此を時間的に言ふのは避くべき事なのだが、文献時代には著しく現れて来るのであるから、前の形よりは幾分新しいのではないかと思はれる形は、修飾する語根が先に行つて、修飾せられる主部が其後に来るといふ、一見普通の形である。即、二個の言葉が並んで居るのか接続して居るのか訣らぬ為に、或方法に依つて此を区別する形をとつて居る。此が、前述の形式を古いとすれば、次に来るものであらうと思ふ。其は先づあくせんとで表すであらう。事実、さうした試みも、古人は行つたらしいのである。二つの言葉を並べて、今なら小読点を入れるといふ風に、昔の人は単に言葉を並べて行く場合と、熟語を作る場合を区別して、熟語の場合はあくせんとを以て下に接続してゐるものなるを示した。詳しい事は訣つて居ないが、古事記だけには、其が僅かながらある。重んずべき伝統的な固有名詞又は、神秘な文句には、此方法をば採用して居る。熟語があくせんとを促すのか、あくせんとのある為に熟語の職能が果たされるのか訣らぬが、ともかくも、此考へは、とりのける事は出来ない。
其に関聯して、熟語を作る場合に、語根が屈折することに注意を要する。従来、この体言及び名詞の屈折については、多く言はれてゐない。だが、此は大切である。今では体言の語尾は動かぬが、昔は動いたらしい。此事実は、沢山ある。まづ普通音便と称するものからはじめる。エ列の音を持つた名詞が熟する場合は、ア列音に変る。例へば、さけだるはさかだるに、かぜぼろしはかざぼろしに、すげがさはすががさに変る。此は単なる音韻変化ではないのであつて、熟語を作る場合の語根の屈折が、自然に機械的に整理せられる様になつて取つて来た規約である。元を突きとめると、熟語を作る時に、先づウ列の形をとるといふことである。
神風は例外なしにかむかぜと言うて居る。斎はいとゆ両音あつて、音価が動揺してゐる様に考へて居たが、此はいが動かぬ音で、熟語を作る時にゆに変るのである。何故かういふ事が起つて来るかと言へば、かうなる一段前の状態を考へると、総ての語根といふものは、終末音が謂はゞウ列音||即、子音に近い為に、一つ揺れるとウ列||になつて来る。従つて、動詞を作つても終止形がウ列音になる。動詞の中一番動かぬものは、この終止形である。語根と語根が繋つて行くと、ウ列の音が出て来るのである。
語根はウ列に近いものであるから、此考へが先づあつて、熟語を作る場合に其性質が生きて来る。ウ列に近いと言ふ意識が出て、語根だけで満足しきれないで、屈折を生ずる。修飾語の方がウ列に変つて来る。例へば、黄金といふ言葉がある。黄はきで、我々の考へるが如き黄ではなからうが、此きがねがこがねになる。このこがねも動揺してゐるに違ひない。古くはくがね或はくがにと言うて居る。昔はきといふ名詞であるが、熟語を作る時には、熟語の主部に対して語根と主部が結びついたといふ形を意識すると、ウ列音を分出して来るのである。我々の国でも、イ列とウ列は近い。木は始終くと言うて居る。木の神をくゝのちの神と言ふ。瓠の神をくひざもちの神と言ふ。くひざは木で拵へた瓠のことである。きがくに変るのにも、一つの原因がある。語根が熟語を作つた習慣に還つて来るのである。火は熟語を作る場合には、殆例外もなくほと言ふ。ほはふと殆一つ音である。うとおは近いが、ほ・ふは更に近い。単なる音韻変化では済まされぬ訣である。かういふ事実があつて、無意識ながら意識を起して来て、其規則を宛てはめて来るから、
次に起つて来ることは、我々が音韻変化だと考へてゐる現象で、最目に立ち易いのは、熟語を作る時に修飾部の語根が、ア列の音に屈折するものである。即、修飾の主部がア列の屈折韻になる場合である。すがゞさなどの例である。此には、我々が独立した名詞だと思つて居るもので、熟語の主部を脱落させて居るのが多い。
縄は、元、なふと言ふ言葉から出たに違ひない。
次には、イ列の熟語である。此例は、甚多く、又平凡な事実と見られてゐる。上の修飾部も其主部も、各別個の生命を持つてゐる。名詞と動詞が結ばれる場合、或は動詞と名詞が結ばれる場合に、とり・さしはとり・さし共に生きて居る。二つの言葉が結ばれて一つの言葉になつて居るが、別々にも生きてゐるのである。思ひごと・ゆきあしなども同じである。而も亦、熟語なることに疑ひはない。ごく簡単な熟語法である。
このイ列に変つて行くもの以外の熟語法では、昔は普通の連用形のイ列からつかずに、連体形からつく熟語の方が多かつた。連体形から来る熟語は、熟語の感じが不完全だと感じよう。例へば、もゆる火・いづる湯などは、熟語と認めにくいであらう。形は熟語ではあるが、ぴつたり体言の感じが来ない。併し、実は昔は此形が多いのである。文献時代は、此連用形と連体形の熟語が戦つてゐる時期であつて、イ列から連体形ウを伴うた熟語法の方が、実は古かつたことが考へられる。此も先に言うた、ウ列から主部に続いて行く形になつて来る。ところが、此ウ列から主部に続いて来ると言ふ意識が段々変化して来る。此が用言の終止形と連体形の出来た原因で、第四変化は熟語を作るところから出来て来た。此点は、日本の用言の活用の発生には大事なことであつて、連体形から出た熟語いづる湯は、ぴつたり熟語的の言語情調が出ないのであるが、いで湯より古いのである。昔の人には、其感じがあつたのである。言ひ換へれば、連用形イ列の熟語法は、主部と修飾語が別々の意味の感じがあるが、ぴつたりして居る。ところが、連体形よりする熟語は、別々の意味が感じられるばかりでなく、主部が動詞的の感じを持つてゐるのである。
語根の屈折を言ふには、熟語のことを言ふ必要がある。其為、先づ此処では、ア列イ列ウ列の熟語法に就いて言へば足るだらうと思うたのである。
次に、進んで動詞の活用の、どうして出来て来たかを、考へ得る範囲で言うて見ようと思ふ。言葉の研究は、ある程度以上に考へを進めれば、勢ひ推測になるのであるから、或程度に停めて置かなければならないのである。熟語が出来るその前に、語根が屈折を起すと言ふことは説明した。又、語根と同じ形、即、名詞の形でひつくるめられる体言が、やはり屈折をすることも、訣つて貰つた筈だ。扨、これを、今日の我々が使つてゐる動詞の起源と結びつけて見ると、どうなるかと言ふと、実は動詞の起りは訣らないのである。溯れる過去の我々の国語には、ある進歩を遂げた形しかないからだ。唯どうしても、語根のもつと自由に働いた時代を考へる事が、動詞並びに用言の発生に薄あかりを与へることにならうと考へるのである。其には、二通りの道がある。一個の体言が直ちに屈折を起したもの、他の一つは、熟語の形を作つて比較的完全な用言形式を持つやうになつた、即、用言形式を作る為に熟語の形を経て来る、と言ふ此二つである。ふると言ふ言葉は、何処まで体言で何処まで用言か訣らぬ。この用言風のふるは、同時に体言らしい意義も発揮してゐる。熟語とならなくても、明かに体言の職能を示して居るのである。其が屈折を生ずる。我々の知つてゐる限りの形では、ふら・ふり・ふる即、四段の活用に近い。さうして、ふるゝ・ふるれといふ形は不完全である。体言からすぐに動詞になつて来たものは、過去の或時代に都合のよい形だけ働いて、他は働かなかつたものである。此は沢山ある。ふるでも、連体形以前の形は疑はしいと私は思ふ。
ふゆ即、ふえると言ふ言葉は、唯増殖する意味だけではなく、分割する即、同じ性質を持つたものに分裂することである。このふゆと言ふ言葉が、我々の考へて居るところでは、下二段の動詞だけであるが、昔程増殖する意味より分割する意味の方が多かつた。「品陀の日の御子
文法学者の挙げる例は、古代と近代とを混合する。其為、実例なのか、其とも譬喩として使つてゐるのか、訣らない物がある。それで、私は近世の例を避けて言ふ。例へば、鎮魂歌をたまふりの歌と言ふ。国々に於ける鎮魂歌は、くにぶりと言うて現れた。後には段々本義を忘れて、所謂風俗歌の感じになつて来る。くにぶりが、国のたまふりの歌といふ意味を持つ迄には、大分な時間を経て、人の頭に熟して来なければならない筈である。ふゆも其と同じ訣なのである。ふゆとだけ言つて、今の冬の感じが出て来る訣ではない。ふゆと言ふ言葉を持つた印象深い事実があつて、其からふゆといふ単純化せられた言葉が出来、初めて我々にぴつたり訣つて来るのである。熟語の形をとる場合は、其が割合はつきりして居る。みたまのふゆは魂を分割する式の事で、語形としては割に不安がない。後に御蔭を蒙るといふ意味になつて来る。語根と言ふものが段々用言状になつて行くにしても、幾分熟語を作ると言ふ予期を持つて動いて行く。熟語があつて、その上に、その修飾せられる主部を離れた形になるのだ、と考へなければ、完全な用語とはなりにくいのである。つまり、語としての暗示を含まないからだ。語根の屈折と、語根が熟語にくつついて行つて用語が出来るのであるが、屈折を生ずるには、熟語を作る感じを含んでゐるのである。其感じの強く働いて居るのが、語根の屈折の動詞・助動詞・形容詞でなく、語尾を伴つた用言である。此は文法学者の言ふ、活用するしないの語尾ではない。語原的の分解をして見た、意義上の境ひを以て分けられるものである。語根と語尾との間に語幹を入れて来る学者もあるが、其方の議論は省いて、此処では語根の問題だけにして置く。語尾は終止形をとつて考へると、多少の差こそあれ、皆ウ列音が使はれて居る。くの語尾を持つてゐる言葉は、来る意味で、ぬは往ぬ、るはあるが結合して在るの意味に使はれたと言ふ論は、或点までは事実と認められる。万葉集のやうに、日本語を漢字で書いてゐるものを見ると、く・けりなどは来と書いて居る。即、其時分の考へで、語尾を漢字で現してゐるのであるから、一応道理である。又、誰もさう考へたのである。併し、意味の訣つてゐないものがある。一音だからくは来るであらうが、かく・とくなどのくは訣らない。これは語根が屈折して出て来るのだが、今までは統一的の事実を予期して語尾を使つたとする、所謂一音に一義を認める音義説である。更に進むと、母音と子音とに又意味を求めて行くのである。橘守部は、言葉の研究には非常に優れて居たが、語尾の点では何時も此考へに深く陥つて居る。
接頭語が無意味である如く、語尾は無意味なものであつて、語根を動かすに過ぎない、と言ふ考へは捨てなければならないと思ふ。意味あると考へ過ぎるのも、又無意味だと考へるのもよくないのである。い・ぬ或はくの語根意識は全然誤つてゐるとは言へないのであつて、此は或期間を経て、さう言ふ語尾の組織が出来て来た、即或時期以後の語尾の形だと見るのがよい。語根と語尾の関係も、熟語を作る場合の語根の形から推して行かなければならないのである。
割合近代的の感じを持つ言葉を例に引いて見る。みのるは、みがのるだと言ふ説がある。我々には此言葉が、句乃至文章だといふ感じが退化して、動詞の感じが深い。たがやすは一語だと思ひ乍ら、「田をかへす」と言ふ気持も
多く用言殊に動詞の場合は、主部が小くて語根が大い。しかも此主部が、動詞そのものゝ職能を定めてゐる。即、活用形が動詞の形を決めて行く訣である。思ふに、語根と主部とで成り立つた動詞は、最初の動詞ではなく、まう一つ前の形は、語根から屈折を生じて出来たものである。いくは生活する或は呼吸する意味に考へて居るが、語根の場合にはいく弓・いく矢など言うて、威力を持つてゐる意味である。形容詞になるといかしなど言ふ形を持つて居る。さうなる語根の屈折の状態が、第二義の熟語の場合から動詞を作つて来る場合をも、宿命的に支配して居る。単純な熟語ではないのである。所謂動詞といふ形が、一度単純から複雑な形になつて行かなければならないので、みのると言ふ形も余程進まねば出て来ないのである。
ウ列の語尾の意味は、必まう少し意義のある完全な言葉が壊されてなつた、即、体言から動詞に屈折して来る習慣から出来たもので、古い意義の具つた言葉が破壊されて固定したものと思ふ。さう言うてしまへば、
其為、昔の誤つた説を以て、まう一度吟味して見ようと思ふ。部分としては認められても、全体では棄てねばならぬ説であるが、動詞は名詞の形を通つて活用して来るとする説である。例を挙げて言へば、ながめると言ふ言葉には、同音で違つた成立を持つ物が幾つかある。即、同音異義の言葉がある。其うち平安朝に専使はれてゐるものに、男と女が逢へないで憂鬱な気持でゐる意味に使つた、「ながめ」と言ふのがある。ながめには尚遠くの物を見る眺めと、溜息声を出して諷ふ場合がある。かういふ似た言葉の意義をも、少しづゝ兼ねて居るやうである。此ながめは、従来否定して来た説に這入つて来る。性欲的に憂鬱になつてゐる、或は恋愛上のもの思ひしてゐる場合に使つて居る。景行天皇記に、「恒に長目を経しめ、また
ちやうど適切なことは、ながめには尚説明が出来る。これも事実に相違ない。ながめは霖雨の時期の物忌みである。此時期に、神がこの世に現れて来ると信じてゐた。さつきとながつきとは霖雨の時期で、九月と共に五月は物忌みの厳重な時であつた。其中、九月は風俗を離れて信仰だけになつてしまつたが、五月は田植の信仰と結びついて永く残つてゐるから、その理由がよく訣る。五月には、田植の終る迄は逢ふことが出来なかつた。其をながめ忌みと言うて居る。夫婦であり乍ら、逢へないのである。「ながめを経しめ······給ふ」と言ふのと同じである。果して何れが元か訣らぬが、仮に決着をつけて見れば、長雨の時期で禁欲生活をすることからながめが出で、此からめが出て、「ながめを経しめ······給ふ」になつたと言へるのであるが、我々は昔の言葉に対する用意や感覚に乏しいのであるから、簡単には決められないのである。
一つの言葉が出来て用ゐられると、他の類似の言葉に対する理会が働きかける、即、第二義的の語原が元の言葉にかぶさつて来るのである。さうさせるのは、所謂民間語原説である。さうなると、何処から起つて来たのか訣らなくなつて来る。さうして用語例と言ふものが、無限に拡がつて行く。ながむと言ふ動詞は、先づながめと言ふ名詞から来たのに違ひないのである。長雨にせよ、なが
茲にまう一つ言はねばならぬ事は、動詞の終止形を発生させた原動力の問題である。総て、一つの傾向を無意識に感じて、その傾向の下に置かうとする心である。我々の使つてゐる言葉が統一せられて、下二段・上二段・四段・変格と決つて居た訣ではないが、段々整理されて、幾つかの活用形式を生じて来たのである。各動詞の語尾は刈り込まれて、或形式に統一されて来たのである。大体八種の活用に決つてゐるが、音韻変化を頭に置いて考へれば、もつと単純になる。動詞の活用すらも刈り込まれて、統一せられた形に決つて居る。一つの傾向と見るべきは、終止形と連体形が一つに歩み寄るものである。音を刈り込んでなるものである。此を例に見ると、語尾の単純な形と複雑な形となる。四段のものでは訣らぬが、下二段で見ると、終止形と連体形とが分れて複雑になつて居る。其を刈り込んで単純な形に整へて来たものが、四段活用なのである。併し、言葉と言ふものは、さうした所で、他の点から活用を起して行く事情もある。さうして段々活用形式が整うて来るのであるが、古い終止形は連体様の形が多かつた。其を刈り込んだのが何かと言へば、熟語の動詞の中の主部と語根の中、主部が縮小して出来た語尾であつて、古くは勿論意味のあつたものなることは考へられる。今の人の考へるよりも、更に複雑だつたのであるが、とにもかくにも終止形は語尾が次第に展開して来る径路を示してゐるものと言うてよい。
(私は所謂、動詞の活段・活用形に関する用語をそのまゝ使ふには、満足しきれない、別の立ち場に立つてゐるものです。併し、かうした小論文に、一々こむづかしく名目にこだはつた新術語を連ねて、一々その説明をして行かねばならぬと言つた方法をさけさせて頂くことにしました。
其と共に、お断りしておかねばならないのは、あわたゞしいうちの筆記によつたものなので、読み返して見て、其啓蒙式な書き方になつてゐるのに驚きました、この種の物を御覧になる大方諸子に対して礼を失した気がねを感じます。)
其と共に、お断りしておかねばならないのは、あわたゞしいうちの筆記によつたものなので、読み返して見て、其啓蒙式な書き方になつてゐるのに驚きました、この種の物を御覧になる大方諸子に対して礼を失した気がねを感じます。)