深い悩みが、其の夜も、とし子を強く捉へてゐた。予定のレツスンに入つてからも、Y氏の読みにつれて、眼は行を
レツスンが済むと、何時ものやうに熱いお茶が机の上に運ばれた。子供はとし子の膝の上に他愛なく眠つてゐた。快活なY氏夫妻の笑顔も其の夜のとし子には、何の明るさも感じさせなかつた。小さなストーヴにチラ/\燃えてゐる石炭の
外は何時か雪になつてゐた。通りの家々はもう何処も戸を閉めて何処からも家の中の
『こんな時に、親の家でも近かつたら||』親の家||それもとし子には思ひ出せば苦しい事ばつかりだつた。三百里も西の方にゐる親達とは、もう永い間音沙汰なしに過して来た。それも彼女自らが叛いて、離れて来たのであつた。真つ直ぐに、自分を立て通したいばかりに、親達の困惑も怒りも歎きも、
漸くに深夜の静かな眠りを脅かす程の音をたてゝ、まつしぐらに電車が走つて来た。運転手の黒い外套にも頭巾にも、電車の車体にも一様に、真向から雪が吹きつけて、真白になつてゐた。電車の内は
四ツ谷見附で乗りかへると、とし子は再び不快な考へから遠ざからうとして、手提げの中から読みさしの書物を取り出した。けれど水道橋まで来て、其処で一層はげしくなつた吹雪の中に立つてゐる間に、また取りとめもなく拡がつてゆく考への中に引きづり込まれてゐた。刺すやうな風と一緒に、前からも横からも雪は容赦なく吹きつける。足元には、音もなく、後から後からと見る間に降り積んで行く。
『何処かへこのまゝ行つてしまひたい!』
白い柔かな地面に射すうつすらとした光りをぢつと見つめながら、
『何処へでも、何処でもいゝ。』
此処にかうして夜中たつてゐても、今夜出がけに苦しめられたやうな家には、帰つて行きたくない。腹の底からとし子はさう思ふのだつた。けれど、背中に何も知らずに眠つてゐる子供を思ひ出すと、とし子の眼にはひとりでに、熱い涙が滲んで来た。
『自分だけなら、他人の軒の下に震へたつていゝ。けれど||』
何にも知らない子供には、たゞ温かい寝床がなくてはならない。窮屈な背中からおろして、早くのびのびと温かな床にねかしてやりたい。そして可愛想な母親が子供に与へるたつた一つの寝床は、矢張りあの家の中にしかない。とし子の眼からは熱い涙が溢れ出した。
漸くに待つてゐた電車が来た。ふりしきる雪の中を、傘を畳んで
因習的な家庭の主婦たるべく強ひられる多くの試練に対する辛らい忍耐、一人の子供に強奪される終日の勤労、それはとし子にとつては全く思ひがけない違算であつた。
たゞひたすらに、忠実な自己捧持者でのみあるべき彼女は何時の間にか、不用意のうちに、他人の家に深く閉ぢ込められてしまつてゐた。その家のあらゆる習慣と、情実を、肯定しなければならなかつた。そうしてまたその上に不用意な愛によつて子供と云ふ重荷を負はねばならなかつた。若い、無智な、これから延びてゆかなければならない、とし子にとつて、この二つの重荷は、彼女の持つ、
唯だわづかに呼吸をし、食物を要求する事等の生きてゐると云ふのみの状態から、人間らしい智能がだん/\に目覚めてくるのや、一日一日とめざましく育つてゆく体を注意してゐると、何とも云へない無限な愛が湧き上つて来るのであつた。この小さい者の為めには何物も惜しまないと云ふ感激が不断に繰り返されるのであつた。彼女の子供に対して与へるものは無制限に拡げられて行つた。
しかし、それでも猶、彼女は決して彼女自身の生活を忘れはしなかつた。彼女はどんな重荷を背負はされても、自己を忘却したり、見棄てたりするやうな事はしなかつた。それはまた、彼女自身を省みる
他人に強ひられる重荷を背負つて他人の満足を買ひ、そして忠実な自己捧持者たらうとする欲ばつた考へが、もし他人の事であつたら、とし子は真つ先に立つてゞも、嘲笑しかねなかつた。しかし、今は彼女自身がその欲ばつた考へに夢中だつた。
彼女の第一の重荷は、男の家族への奉仕であつた。その母親、弟妹、その連れ合ひ、さう云ふ人との毎日の交渉に、身も心も細つて行つた。それに彼女は普通の場合より更にその人達に対して引け目を感ずるいろいろな事情を持つてゐた。
とし子は、家族の人達の考へによれば、かれ等の生活の支持者である男を失職せしめた。さうして彼等から生活の安定を奪つた。かれ等は、口に出して責めるやうな事は、
実際に、男の失職は、とし子の事がもとになつてゐないではなかつた。しかし、そんな事よりも彼はもうとうから、その仕事に倦きてゐたのだつた。彼は機会を見て、教職などは退いて、他の仕事に転じたかつたのであつた。それは家族のものたちも知つてゐた。しかし、思つた程、仕事は直ぐに見附からなかつた。そして必然に窮迫が襲ふた。とし子にとつては辛らい事の数々が日々にせまつて来た。
若い時から家族の為めに働きつゞけて来た男は、体の自由だけでも、どんなにか
一つの遠慮が、とし子の悉ての考へを内輪に内輪にと押へた。家の中の情実や習慣を何処までも通さうとする母親、気の強い妹、それ等の人達と、出来るだけ不快ないさかひをせずにすまさうとするとし子の努力は、大抵なものではなかつた。母親は、
しかし、彼女は決して自身から他へ目をそらすやうな事はなかつた。彼女はその自身の忍従に対して
けれど、それを折にふれては馬鹿らしく、くだらない事に考へる事が、度々あつた。殊に、一歩後へ引けばその一歩がすぐに、
『こんな生活を何時までもしてゐるのは馬鹿々々しい。』
彼女はだん/\さう思ふ日が多くなつた。重り合つて迫つて来るいろんな家庭内の迫害を、甘受してゐる事の恐ろしい不利益を考へては、
けれど、そんな気持が根ざしかけた頃には、彼女は母親になつた。一人の子供の出生によつて其処に小康が保たれた。子供は母親の限りない愛の対象となつた。そしてまた、とし子の愛の対象でもあつた。暗い家の中はその小さいものゝ出現によつて、急に賑やかに、明るくなつた。皆んなが、その一人の子供にのみ注意と興味を持つて行つた。不快な雲が一と
みんなは歓びのうちに日を暮らした。殊にとし子は、この小さな者によつて家の中が明るくなつた事に、どの位感謝をしたかしれなかつた。けれど、それはとし子を更らに大きな苦悶に導く前提だとは彼女自身すら、まるで気がつかなかつた。子供は、とし子と男との関係を束縛した上に、他の家族の人達との間を一層面倒にした。
日を経るまゝに子供は育つて行つた。そして子供に就いてまるで無経験なとし子は、凡てを母親の指図どほりにするより他はなかつた。たまに、いくらか彼女が、多少育児に関して知つてゐることを持ち出しても、『経験』を楯てに、一々おし退けられてしまつた。多くの無駄や不自由を少しでも除かうとして、母親の流義とは違つたことをしやうものなら、母親はむきになつて怒つた。母親は、とし子が、子供の為めにかける手数や時間の無駄を、少しでも除かうとするのを、子供に対する不親切な面倒くさがりだと解釈した。さうして、反抗的に、子供を大切にかけてかばひたてた。その結果は、みんな容易ならぬとし子の骨折りになるのだつた。子供は終日、大人達の手から手、膝から膝と渡された。家中の者が子供にかゝり切りになつてゐなければならなかつた。殊にとし子は、一時間も子供を離れてゐる訳にはゆかなかつた。
更にまた、その上のとし子の苦しみは、子供が育つに連れて、その一枚のきものにも、出来る丈けの派手を見せたい母親の止みがたい見栄から、一層経済上の窮迫に対する不平が昂じて来た事であつた。しかも男はもう此の頃は、自ら職業に就かうとする意志は、まるでないのだとしか、とし子には思へなかつた。
『何んとか、せめて自分だけでも積極的に働く方法を講じなければならない。』
とし子はさう思つては、あれか、これかと働けさうな仕事を物色した。けれど、母親は子供を抱へたものが、外で仕事をする事には一切不賛成であつた。とし子がさうした覚悟を見せる程母親は息子を責めたてた。そして子供の世話については、
だん/\に、とし子は、子供の為めに、自分を束縛されて来たのに気がついて来た。子供は可愛くて
『私なんか子供を育てる時分には、御飯をたべる間だつて落ちついてゐたことはない。』
などゝ口ぐせのやうに云つた。母親は、彼女がたゞ間断なく、子供の為に働き、家の事で働いて、疲れゝば機嫌がよかつた。実際また、読書をするひまに、他の仕事をする気があれば、する事は、母親の云ふとほりに山ほどあつた。
けれど、とし子には家の中の事を調へて子供の世話でもしてゐれば、それで女の役目は済むと云ふ母親達とは、違つた外の世界を持つてゐた。その役目を果すことを決して厭やだとは思はなかつたけれど、そしてまたそれにも相応の興味をもつて果すことは出来たけれど、そればかりでお仕舞ひにしてしまふ事は出来なかつた。
一歩家の外に踏み出すと、彼女は、自分のみすぼらしさ、意久地なさを心から痛感した。うかうかしてはゐられないと云ふ気が
けれど、
その頃とし子は、友達のHから雑誌の仕事を全部ひきついでゐた。彼女がその雑誌を引きつぐ事になつたのも、Hからその仕事を持つてゐては勉強が出来ないから止めると云ふ決心を話されて、折角持ち続けて来たものを止めると云ふ事が惜しいのと、他の一方にはこの仕事を利用して、自分の勉強の時間を、仕事の時間から出さうと云ふ魂胆もひそんでゐた。そして、その雑誌の同人の一人であるY夫人の処を訪ねたとき、其処でY氏が夫人の為めに、いま大きな社会学の書物を読む計画があるから勉強する気ならと誘はれて、毎週二回くらいづゝ其処に通ふ事になつたのであつた。Y氏は、その書物を手に入れる事がむづかしい為めに、毎週読む筈の幾ページかの部分をわざ/\タイプライタアで写さして送つて寄こした。とし子は、その親切を、本当に、心から感謝しながら、少しでも、さうした勉強の機会を外づさないやうに心懸けてゐた。
けれど、とし子が家の外に仕事を持つことになつたのは、家族の人には、大変な迷惑でも振りかゝつたやうに感ぜられた。この頃になつて、子供は前より手がかゝる位であつたけれど、それには、W夫婦と云ふ人達が親切に大抵毎日来ては面倒を見てくれた。汚れたものゝ洗濯、掃除、さう云ふことにまで働いてくれた。妹などには別に何一つ重い負担がふえる訳でもなかつた。それでも此度は、さう云ふ人達に、よけいな手伝ひをさせて、毎日のやうに出入させる事に対して、いろ/\な批難が矢はり、とし子の仕事の上に降りかゝつて来た。ことに書物をよみに
其の夜のとし子の悩みは、矢張りそれに関連したことだつた。母親は例のとほりに、子供を持つた女が、始終出歩くことの不可をしきりに云つた。そしてだん/\に、家の中のきまりのつかないことをならべたてゝゐるうちに、とうとう総てが男の怠惰が原因だと云ふ処まで押して行つた。母親に、露骨に云はせれば、彼が遊んでゐる為めに、主人としての男の権威が踏みつけにされるのだと云ふのであつた。そして、男が踏みつけられてゐる為めに、自分までが、とし子自身がさうした我まゝをしたい為めに、総ての家の外の事までを自分で背負つてゐるのだと云ふ事にもなつた。ふたりは其の夜さん/″\に母親の為めに愚痴を云はれ、口ぎたなく罵られた。そして母親の云ふ処は、せんじつめれば、彼女を家庭の内にとぢ込めて、彼女の仕事をうちの中だけの事にして、自分の手ごろに合ふやうな嫁にするやうに、それは早く何かの職業につくやうにと云ふ息子への注文であつた。けれども、ふだん思つてゐること、不平に耐えないことを、何も彼も、順序なしに、一度に出して仕舞はうとするので、滅茶々々なものになつてしまつた。
とし子はそれを黙つて聞いてゐた。彼女は母親の気持には理解も同情も出来た。如何に口汚く罵られても、いやみを云はれても、別に腹立たしい気は起らなかつた。しかし、どうしてもこの家族の人達と一緒に生活することは我慢がならないと云ふ事だけは不断よりも一層強く感じられた。例へ男に何かの収入の道がついたとしても、彼女は決して母親の
とし子は坐つてゐればゐるで、何時までも、一つ事を繰り返されるのがいやなのと、丁度Y氏の処にゆく晩なので、子供のことを頼むのも面倒と思つて、子供を背負ふて家を出たのであつた。途に母親の言葉を思ひ出すと今度はその無反省な、虫のいゝ、または悪感にみちた母親の云ひ分に対して、先刻その前でしたやうな冷静な気持での同情などは出来なかつた。不断忍んでゐる多くの不快が、一時に雲のやうに
しかし、やがて、その感情が引いてしまふと、後はどうする事も出来ない事実に対する深い悩みと、それに対する底しれぬ哀しみが残るだけであつた。
男と別れさへすれば、それ等との関係は片づいて仕舞ふ。本当に、何の雑作もなく片附いてしまふ。それは分り切つてゐる。けれど今、あの男と別れる事が出来やうか? あの男に対しては愛もある、尊敬も持つてゐる。そして、今あの家を自分が出れば困るのは男ばかりだ。自分が、少々不実な女と見られる位は仕方がない。けれど、あの男を、自分のやうなものにだまされる、馬鹿な、ウスノロな男だとあの母親の口から罵らせる事は辛らい。けれど、それもまんざら忍べない事はない。前にはさう決心した事もあつた。けれど今は子供がゐる。子供がゐる。これをどうすればいゝのだらう? あゝ、矢張り、子供の為に出来る丈けの事は忍ばなければならないのだらうか? 前には、意久地のない事だと思ひもし、云ひもした、その子供の為めと云ふ口実を、自分も口にせねばならないのだらうか? 仕方がない、仕方がない。とし子は一生懸命に目を
多くの気まづさと、冷たい反目が待つてゐる家! もう帰るまいか、逃げて仕舞はうかと思つた家! 其処に向つてかへりながら、とし子は、ぢつと思ひふけつてゐたのであつた。
頭の上には、真青な木の葉が茂り合つて、真夏の焼けるやうな太陽の光りを遮ぎつてゐた。三四間前の草原には、丈の低い樫の若木や栗の木が生えてゐるばかりで、日蔭げをつくる程の木さへなく、他よりずつと高くのびた草の、深々とした真青な茂みの上を遠慮なく熱い陽が照つて、草の葉がそよぐ度びによく光る。とし子は、森の奥から吹いて来る冷たい風を後ろに受けながら、坐つて、草の葉の照りをうつむいた額ぎわに受けながら、ぢつと書物の上に目を伏せてゐた。それは、
『伝道は、或る人の想像するやうに、「商売」ではない。何故なら、何人でも奴隷の勤勉を以て働らき、乞食の名誉を以て死ぬかも知れないやうな「商売」には従事しないだらう。かくの如き職業に従事する人々の動機は、ありふれた商売とは違つてゐなければならない。誇示よりは深く||利害よりは強く||。』
と云ふ言葉を冒頭においた、エンマ・ゴルドマンの伝記であつた。とし子は、その筆者の調子のいゝ然し熱情のこもつた文章にひかれて熱心によみ進んでゆく。それは主に、一女工として移住して来た若いエンマ・ゴルドマンが、知名な無政府主義者としてアメリカの公生活中に異彩を放つやうになつた今日までの、多くの
其処には、
『革命思想の代表者は二つの火の間に立つ。一方に於いて社会状態から生ずる悉ゆる行動に対して彼に責を負はす現在権力の迫害。他方に於ては、狭い見地から
筆者も彼女の、半生の苦悩を描く前にまづさう書いてゐる。とし子は、さうした一句々々にも強い同感を強ひられるのであつた。
彼女は一八六九年にロシアのコブノ地方で生れ、七歳までカランドのある土地で育つた。両親とも
当時のロシアは、国中に大きなあらしが吹きまくつてゐた。専制政治と智識階級の間の死物狂ひの闘争が国中に漲つてゐた。一八八一年にはアレキサンダア二世が
然し保守的な両親には、この新思想は理解する事が出来なかつた。魂をかきむしるやうな家庭内の争ひが続けられた。そして彼女はとう/\彼女自身で生活の途を立てやうと決心した。そうして他の多くの人々が、『人民の中に』
しかし、アメリカに対する理想的概念は、直ぐに破られた。ザアもゐずコサツクもゐず、チノヴニクもゐない、共和国、自由平等の国では、一人のザアの代りにその数人を発見した。コサツクは重い棍棒を持つた巡査に代り、チノヴニクの代りにもつと苛酷な工場奴隷使役者がゐた。さうして、彼女はロシアのそれよりもずつと、組織立つた、不自由な、些の慰藉もない苛酷な工場に仕事を見つけた。彼女はまるで、牢獄に等しいその工場生活に、その暗い冷たい雰囲気に窒息しさうになつた。しかし、彼女の為めに更に重要な場面が、それからそれへと展けてゆく。
若いエンマの前に展かれる、彼女を一層正しい処に導いてゆく多くの社会的事実が、更に深くとし子の心を捉へた。一八八〇年代のロシア、その頃の革命運動については一エピソオドでも、のがさずに知りたいとおもふ程、とし子はそれ等の話にふれると興味をそゝられるのであつた。エンマは、その運動を目撃し、そして直接にその洗礼を受けた。その上に、更に彼女を自覚した伝道者につくり上げる多くの都合のいゝ局面が彼女の前に展開されるのだ。とし子はその若いゴルドマンと、彼女をとりまく周囲に、その周囲の生きた事実に導かれるゴルドマンが、心から羨ましいやうな気持で、読み進んで行つた。悉ての事実が、それを読む丈けのとし子を興奮さす程にも、ゴルドマンにとつては、都合のいゝ、試錬であつた。
エンマ・ゴルドマンが、セント・ペテルスブルグで洗礼を受けた一八八〇年代の革命運動に従事した人々は、その当時、西
ゴルドマンがアメリカについた時には、丁度、彼女がペテルスブルグに着いた時とおなじような社会的政治擾乱の時代であつた。労働者はその労働状態に反抗した。同盟罷業者と巡査の間の闘争の轟きが国中に反響した。そして、その闘争の極点が、シカゴのハアヴスタア会社に対する大同盟罷業となり、罷業者の虐殺となり、労働者の首領等の死刑執行となつた。しかし、何人も此等の事件の真相を知らうとはしなかつた。
『アメリカの大抵の労働者のやうに、エンマ・ゴルドマンも非常な興奮と心配をもつてシカゴ事件を注目した。彼女もまた、平民の首領等が殺されようとは信ずる事が出来なかつた。一八八七年十一月十一日は彼女に全く違つた事を教へた。彼女は、権力階級からは何等の慈悲をも期待する事が出来ず、ロシアのザリズムとアメリカの資本家政治との間には名義以外に何等の差異もない事を是認した。彼女の全身はその罪悪に激昂した。そして彼女は、彼身に厳粛な誓をたてゝ、革命的平民階級に結びつき、賃銀奴隷状態から彼れ等を解放する為めに、全身全霊を捧げようと決心した。』
彼女は非常な熱心をもつて、社会主義無政府主義の文学に親しみはじめ、同じ主義の傾向をもつた労働者と懇意になつた。そしてやがて、ジヨン・モストの『
それから、彼女が無政府主義者の集会の演壇に立つようになり、演説者としての
彼女の全身全霊を挙げての火のやうな主義に対する熱誠は、休息といふ事を知らなかつた。
一八九二年に、大同盟罷業がピツパアグに勃発した。ホームステツドの闘争、ピンカアトンの敗北、そして国民軍の出動によつて散々に
エンマ・ゴルドマンが此の事件によつて受けた迫害は非常なものであつた。九年後にレオン・ツオルゴオズが大統領マツキンレイを暗殺した時に受けた迫害と共に、それは彼女の霊魂を引つかきむしつた。資本家の新聞雑誌の
マツキンレイ暗殺事件から受けた迫害も同一のものであつた。それはベルクマン事件よりは更に苛酷なものであつた。その事件に対する彼女の説明は一層迫害の度を増さしめたのみであつた。彼女は実際野獣のように到る処で
しかしそれ等の迫害に打ち克つて、彼女は間断なく運動を続けて来た。どんな迫害も彼女の進む道を防ぎ止める事は出来なかつた。むしろ困難に出遇ふ程、彼女の情熱は炎え上る。よしベルクマン事件ツオルゴオズ事件の後のように一時隠退を余儀なくされるような場合があつても、彼女は決してそれ等の時間を無為には過さない。それ等の時は彼女の貴い知的修養の時間であり、再び闘場に帰るべき準備の時である。
かうして彼女は廿数年以上も主義の為めに戦ひ続けてゐる。今では彼女はアメリカの社会的、政治的生活の強力な要素となつてゐる。そして悉ゆる不法な迫害を受けた彼女の真実が知識階級から一般人へと、だん/\に認められて来た。
多くの人間の利己的な心から、全く見棄てられた大事な『ジヤステイス』を拾ひ上げる事が現在の社会制度に対してどれ程の反逆を意味するかと云ふ事はとし子も前から、いくらか理解はしてゐた。けれど、さう云ふ社会的事実に対しては殊にうといとし子には、一人の煽動者に対して、大共和国の政府がとつたあらゆる無恥な卑劣な迫害手段は不思議な程であつた。始めて知り得たそれ等の事実に対して、とし子は彼の
しかし、それよりも更に一層強くとし子の心を引きつけたものは、何よりもゴルドマン其人の勇気であつた。燃ゆる情熱であつた。何物にも顧慮せずに自己の所信に向つて進む彼女の自由な態度であつた。読み進んでゆく一頁毎に、彼女の立派な態度は、敵の陋劣な手段と対して、どんなに、とし子の眼には輝やかしく映つたらう? とし子は静かに自分達の周囲をふり返つて見た。
此処でも、凡ての『ジヤステイス』は見返りもされなくなつてゐた。悉ての者は数百年も、もつと前からもの伝習と迷信に
とし子はそんな事を考へながらも、すばらしいゴルドマンの生活に対して、自分達の生活の見すぼらしさをおもはずにはゐられなかつた。
『生き甲斐のある生き方』は、とし子が自分の『生』に対する一番大事な願望だつた。何物にも煩はされず、
本当に、それ程の『生き甲斐』を得る為めになら、『乞食の名誉』もどんなに尊いものだか知れない。その『名誉』の為めなら、奴隷の勤勉も何んで惜しまう?
だが一体、何時になつたら日本にもさう云ふ時が見舞つてくれるのだらう? さう考へると、とし子は急につまらない気がした。さうして染々と、人間の個々の生活の間に
とし子達が、その機関誌『S』を中心としてつくつてゐる一つのサアクルは、在来の日本婦人の美しい伝習を破るものとして、世間からは批難攻撃の的になつてゐた。みんなはムキになつてその批難と争つた。けれどそれがどれ程のものであつたらう? たゞみんなその『S』誌上に僅かな主張を部分的に発表するのが仕事の全部であつた。集つて話すことも、自分達の小さな生活の小さな出来事に限られてゐた。そして、みんなが与へられたものを着、与へられた物を食べ、与へられた
けれど、とし子だけは、そのサアクルの中でも、ちがつた境遇にゐた。彼女は一たんは自分から進んで因習的な束縛を破つて出たけれど、何時か再び自ら他人の家庭にはいつて、因習の中に生活しなければならぬようになつてゐた。彼女は其の最初の束縛から逃がれた時の苦痛を思ひ出す程、其の苦痛を忍んでもまだ自分の生活の隅々までも自分のものにする事の出来ないのが情なかつた。彼女はたゞそれを、自身の中に深くひそんでゐる同じ伝習の力のせいだとおもつてゐた。さうして彼女はそれを理知的な修養の力によつて除くより他はないとおもつてゐた。しかし、彼女の生活は、他の友達よりは、他人との交渉がずつと複雑にされなければならなかつた。そして其の他人の意志や感情の陰には、到底、彼女の小さな自覚のみでは立ち向ふことの出来ない、社会と云ふ大きな背景が厳然と控えてゐた。彼女は、それを思ふと、どうする事も出来ないやうな絶望に襲はれるのであつた。自分ひとりが少々反抗して見たところで、あの大きな社会と云ふものがどうならう? と思つた。けれど、と云つて、自分の握つてゐる『ジヤステイス』を捨てる訳にはゆかない。『要するに、皆んなが自覚しなければ駄目なのだ』さう思ひながら熱心に、矢張り自己完成を念じてゐた。けれど、いつかは一度は立ち直つて、その大きな力にぶつかる時があるにちがひないとは其の度びにひそかに考へてゐた。
けれども今、とし子に示されたゴルドマンの態度はまるで違つてゐた。彼女は社会の組織的罪悪を、その虚偽を、見のがす事が出来なかつた。彼女はその人間の心をたわめ、冷くする社会組織に対して激昂した。そしてその虚偽や罪悪に対する憎しみの心を、其のまゝそれにぶつかつて行つた。本当に何物も顧慮する隙を持たなかつた。たゞ、正しい自己の心を活かす為めに、多くの虐げられたものゝ為めに、全身全霊を挙げて其の虚偽に、罪悪に、ぶつかつて行つた。其処に彼女の全生命が火となつて、何物をも焼きつくさねばおかぬ熱をもつて炎え上つてゐるのだ。とし子の頭はそれを思ふとクラ/\した。今にも何か自分もさうした緊張した生活の中に悉てを投げ棄てゝ飛び込んで行きたいような気持に逐はれて、ぢつとしてはゐられないような気がするのだつた。
彼女が、そんな回顧に耽りながら、沈み切つた顔をうつむけて家に帰りついた時には、雪はもう真白にすべてのものを包んでしまつてゐた。
子供を床の中に入れると、そのまゝ自分も枕についたが、眼は、どうしても慰さめ切れぬ心の悩みと共に、何時までも悲しく見開いてゐた。電燈の灯のひそやかな色を見つめながら果てしもなく、一年前にゴルドマンの伝を読んで受けた時の感激を、まざ/\と思ひ浮べて考へつゞけてゐた。
それは、最近に彼女の心の悩みが濃くなつてからは、殊に屡々頭をもたげて彼女を憂欝にするのであつた。そして、一年前よりは一層複雑になつた現在の境遇に省みて、諦めようと努める程、だんだんに其の感激に対する憧憬が深くなつてゆくのが、自分にもハツキリと意識されるのであつた。
[『乞食の名誉』聚英閣、一九二〇年五月二八日]