しばらくね、というかわりに、左手を気取ったようすで頬にあて、微笑しながら、黙って立っている。
玄関で
「おや!」
と、眼を見はった。
わずか一年ばかり逢わずにいるうちに、すっかり
がむしゃらで、野蛮で、喧嘩早くて、頬や襟あしに
袖の短い、ハイ・ネックのジャージイの服を無造作に着こなし、ハンドバッグのかわりに、れいの、ヒットラー・ユーゲントの連中が持っていた、黒革の無骨な
陽ざかりの
キャラコさんは、
「ごめんなさい、タフさん。いつまでもそんなところへ立たせっぱなしで······。どうぞ、あがってちょうだい」
へどもどしながら、じぶんの部屋へ案内して、窓ぎわの椅子にかけさせると、しばらくね、とか、ほんとうによく来てくれたわね、などと思いつくかぎりのお愛想を並べたてる。
話の
「それにしても、もう、どれくらいになるかしら。······犬も馬も、みな、あなたに逢いたがっているわ」
犬も馬も······。家じゅうのものがみな、というつもりだったのだ。
キャラコさんは、あわててやり直す。
「······ええと、家じゅうが、みなあなたに逢いたがっていますわ。······その後、悦二郎氏は、どうして?」
緋娑子さんは、子供でもあしらうように、微笑しながら軽くうなずくばかりで、キャラコさんの月並な挨拶などはてんで受けつけようともしない。美しい
キャラコさんは、いよいよ浮かばれない気持になって、みっともなく舌をもつらせながら、
「ねえ、タフさん、悦二郎氏、······このごろ、また、忙しいのでしょう? よくお逢いになります?」
緋裟子さんは、返事をしない。そっぽを向いたまま、いやに語尾をはっきり響かせながら、つぶやくように、いうのである。
「······白い壁、······鉄の寝台、······窓の外の
どこか、翻訳劇のセリフの調子に似ている。
緋娑子さんが、この前に遊びに来たのは、去年の暮れごろのことだったから、むかしといったって、まだ、半年そこそこにしかならないが、緋娑子さんの
なにしろ、かさねがさねなので、キャラコさんは、すっかり度胆をぬかれてしまって、
「タフさん、あなた、去年の暮れに遊びにいらしたこと忘れていらっしゃるんじゃないこと?······ええ、そうよ、寝台も白膠木でもむかしのままよ。半年ぐらいでそんなに変わるわけもないでしょう」
「そうね、ちっとも変わらないわ。······あんたも、······この部屋も······」
かすかに、軽蔑をこめた微笑を浮べながら、
「······結構ね、ほんとうに結構だわ。······でも、あたしのほうはすっかり変わってしまったのよ。······すくなくとも、タフさんなんてもんじゃないの」
おどろいて、キャラコさんが、ききかえす。
「タフさんでなくて、じゃ、なんなの?」
緋娑子さんは、やり切れないというふうに、露骨に眉をひそめて、
「あたし、緋裟子よ。······それも、まるっきり、あなたなんかご存知のない緋裟子なの。······だから、もう、タフさんなんて呼ばれるわけはないと思うの」
急に
「······女学校時代のなまぬるい友情や感傷なんかは、人生にとって、たいして効用のあるものじゃありませんわ。現象的にいうと、ちょうど、
キャラコさんが、ぼんやりした声を、だす。
「ええ、よくわかりましたわ」
機才に富んだ、ふだんのキャラコさんのようでもない。どうしたものか、きょうはまるっきり気勢があがらない。なにか、もっと気のきいたことをいいたいのだが、のっけからひどく圧倒されてしまったので、
緋裟子さんは、つづけ打ちといった工合に、
「······うるさい思いをするのはいやだから、あらかじめお断わりして置きますけど、あたし、このごろ女学校時代の友達になど、ひとりも逢っていないの。悦二郎にも、
緋娑子さんが、小さな劇団へはいってなにかやっているということは、噂にきいて知っていた。緋裟子さんが、自分がすっかり変わってしまったというのは、どうやら、その辺のことを指すらしい。いままでは、
(それくらいのことなら、なにも、こんなに
「そうそう、あなた、どこかの劇団にいらっしゃるんですってね、面白いことがあって?」
緋娑子さんの眼の中を、傷つけられた知識人の怒りといったようなものがチラと
「面白い?······ご期待にそえないで残念ですけれど、すくなくとも、あなたを面白がらせるようなことは何もありませんのよ、キャラコさん。······あたしたちの仲間には、たとえば、小道具係りのように、すこしもむくいられない仕事を、喰うや喰わずで
キャラコさんが、うっかり口を
「ちがっても、ちがわなくても
つまらないことをいったと思ったが、もう、取りかえしがつかない。果して、緋娑子さんが、えらい勢いではねかえした。
「女性がみな、あなたのように動物化していいなら、はじめっから文化なんか必要なかったわけね。あなたのようなものの考え方こそ文化の敵なのよ。女性全体の恥辱だわ」
だんだんむずかしくなりそうなので、キャラコさんは、あわてて
「あたしのために、女性全体に迷惑をかけては申し訳がないわ。あたしだけは、特別なんだと思って、ちょうだい」
緋娑子さんは、芝居がかった仕方で、西洋人のように肩をピクンとさせる。
「あたしもよ。······あたしも、きょう、あなたの古くさい観念論をうかがいに来たわけではないの。悦二郎や中橋とあたしの関係に、キッパリした結末をつけるために、あなたに、
中橋というのは、叔母の
伯父の秋作などの同期生だが、すこしばかり変人で、日本の野鳥の研究に没頭し、
二年ほど前に、軽井沢の
「······たいして愛してもいないくせに、悦二郎に深入りさせたのは、もちろん、あたしのあやまちにちがいありませんけれど、それは、あのころ、あたしの精神が
「······でも、手紙ぐらい残しておいてはいけないの」
「くだらないと思うかも知れないけど、無意味にそんなものにこだわっているわけではないのよ。······あたし、ごく最近、劇団のあるひとと結婚するつもりなの。······だから、なにもかも、はっきり清算しておきたいの」
そういって、眼に見えないくらい顔を
緋娑子さんは、冷淡に眼を
「······そればかりではなく、あんな
キャラコさんは、それには返事をしない。緋娑子さんは人生にたいして、たいへん我ままだと思う。失敗した自分の過去をいちいち拭い消せるものなら、誰にしたって、それは望ましいことであろうけれど······。キャラコさんが、たずねる。
「それで、あたしに、どうしろとおっしゃるの」
「手紙の
キャラコさんが、ききかえす。
「······つまり、盗むのね」
緋娑子さんは、わかりきったことを、といった顔つきで、
「ええ、盗んで来て、ちょうだい」
「よくわかってもらって、持って来るのではいけませんの」
緋裟子さんは、冷笑をうかべながら、
「あなたのような同情屋さんに、そんなこと、できるかしら」
なるほど、それにちがいない。あんなにも緋娑子さんを愛していた悦二郎氏の手から、大切な思い出の一束をもぎ取ってくる自信はなかった。キャラコさんは、正直に自白した。
「できそうもないわ。······でも、盗みだすなんてことは······」
緋娑子さんは、グイと頭をうしろに引いて、
「
キャラコさんは、すこし腹が立ってきた。こういう無意味な強制に屈服することはないのだが、相手をしているのがめんどうくさくなって、はっきりとうなずいた。
「やって見ますわ」
そして、心の中で、こんなふうに、つぶやいた。
(悦二郎氏にしたって、こんなくだらないひとの手紙なんか
たしかに
「ちょうど、きのう、お帰りになりまして······」
と、小間使いが、いう。
困ったことになったと思ったが、もう、引きかえすわけにはゆかなかった。
「まあまあ」
と、叫びながら玄関へ走り出してきた。
「······、これは、ようこそ。珍らしいひとがひょっくりやって来たもんだ」
「おばさま、いつも、ご機嫌よくて」
御母堂は、顔じゅう笑みをくずして、
「うむうむ、挨拶などは、どうでもいい」
手をとらんばかりにして、
「さァさァ、どうかあがってちょうだい。······ご無沙汰ばかりしていますが、みなさん、おかわりはないの?······うむ、それはよかった。······きのう帰って来たとこでね、ちょうどいい折りだった」
上機嫌に、なにもかもいっしょくたに、ひとりでうけ答えしながら、庭に向いた風とおしのいい
「おいおい、誰かいないのかい。早く、おしぼりを持っておいで」
走りこんできた女中に何かいいつける
「
「ええ、べつに用事ではなかったのですけど······」
胸の中に
「あの······、あまり、ごぶさたしましたから、······きょうは、ちょっと、お顔を見におうかがいしましたの」
相手がなんともいわないのに、あわてて、じぶんから、
「ほんとうよ」
と、つけ足して、心の中で赤面した。
もちろん、疑うようすなどはなく、ほくほくと眼を
「そうかい、そうかい。どうか、ゆっくりしていってちょうだい」
女中たちが廊下の端に固まって、なにかコソコソいってるのへ
「こらこら、なんだい、そんなところでコソコソと······。どうも、
その自慢らしい顔といったらないのである。
キャラコさんが、なにより
古い
キャラコさんは、小さな時から、気さくで太っ腹な、この大叔母がだいすきだった。
浜子夫人のほうも、寛大で
いったん、キャラコさんのことになると、すっかり夢中になって、とろとろととろけてしまう。自慢で自慢でしようがなくて、行く先々で、精いっぱいに吹聴する。
「うちの馬鹿どもとちがって、
そのひとの家へ、今日自分が、何をしに来たかとかんがえると、キャラコさんは、すこし情けなくなる。
留守でさえあってくれたら、多少、良心の呵責が軽くてすんだろうに、まるで
せめて、放って置いてでもくれたらと思うのに、あれこれと気を
「そうそう、首のとこなんかも、よく拭きなさい。······いっそ、服なんかひ※[#小書き片仮名ン、235-下-1]脱いでおしまいな」
「それじゃ、裸になってしまいますわ」
「裸になったっていいじゃないか。よその家じゃあるまいし」
何を思い出したか、急に膝を打って、
「そうそう、まだ、話さなかったね、そら、このお正月。······れいの遺産相続の騒ぎのとき。······あたしゃ、じぶんで玄関にがんばっていて、ひとりずつ新聞屋を追っ払ったんだよ。······もちろん、写真もあれば、居どころも知っているが、新聞などでワイワイ騒がれちゃあの娘の身上に
そういって、その時のようすが見えるような真剣な顔つきをする。見ていられなくなって、キャラコさんは、思わず眼をつぶった。
(おばさま、ごめんなさい······)
恥と、すまなさの感情で、もうすこしで、何もかも打ちあけてしまうところだった。
でも、それでは、悦二郎氏が隠しておきたいことを犠牲にして、自分だけがいい
キャラコさんは、うんざりする。すっかり参ってしまって、ものをいう元気もなくなった。ぼんやりと、こんなことをいって見る。
「悦二郎さんは、お留守?」
母堂は、大袈裟にうなずいて、
「ああ、ああ、あれは、相変らずさ。······
思いついたように、
「
どう
「そうそう、いいものがある。信州から風味なものが届いているから、あれをご馳走しよう。待っていてちょうだい、すぐだから」
キャラコさんは、閉口して、手を合わせんばかりに、
「おばさま、もう、どうぞ。······あたしなら、結構ですから」
「おや、生意気。······お
そういって、身体をゆすりながら、小走りに勝手のほうへ行ってしまった。
キャラコさんの身近で、なにか、たいへんなことが始まりかけている。この
この座敷は母堂の居間で、お勝手に近いので、
キャラコさんは、

小さな声で、
「まあ、きれいだこと」
と、いって見る。
ところで、キャラコさんの本心は、綺麗だともなんとも思っているわけではない。視線はたしかに薔薇の上をうろついているが、心はただひとつのことばかり考えている。自分の手が
ムズムズする感覚や、えたいの知れないこそばゆさが、背筋を
人間には、誰でも一度はこんな助からない気持になることがあるものだ。なんということはないが、身体じゅうから力がぬけて、手も足も出ないような工合になってしまう。いまのキャラコさんが、ちょうど、それである。
ここへ来るまでは、わけのないことのようにかんがえていたが、さて、いよいよ乗り込んで来て見ると、どうして、どうして、わけなしだなんてわけには行かない。
もう一人のキャラコさんが、
||さァ、今がチャンスだ。早く行きなさい。
べつのキャラコさんが、弱々しい声で、こたえる。
||もうすこし、あとで。
もう一人のキャラコさんが、舌打ちする。
||あとなんていってると、チャンスをなくしてしまうぞ。おばさまが帰って来ないうちに、早くやっつけろ!
べつのキャラコさんが、いやいや、をする。
||そんなふうに、コソコソやるのは、いや。
||コソコソでなければ、どんなふうにやるつもりだ?
||もっと、堂々とやる。
もう一人のキャラコさんが、とうとう癇癪をおこす。
||くだらないことをいうな。そんなことをいって、結局やらないつもりじゃないのか?
べつのキャラコさんが、情けない声を、だす。
||やるにはやるけれど、いま、気が乗らないから、いや。
||じゃ、いつになったら、やるつもりだ。
||御飯を食べてから。
せめて、母堂でもいてくれれば助かると思うのに、なかなか戻って来ない。何をしてるのかと思ってお勝手へ行って見ると、母堂は
キャラコさんは、やるせなくなって、壁にもたれて眼をつぶった。
何ものも、母堂の上機嫌を
いわんや、キャラコさんは、むやみに食べる。最後の一杯などは、もう、死んでもいいと思って、喉の奥へ送り込んだ。
あまりたくさん詰め込んだので、頭の奥のほうが
「ほんとうに、よく食べておくれだったね。······でも、こんなじゃ、お嫁に行ったらどうするだろう。それが、心配だ」
母堂がこんなことをいっているのが、ぼんやりと耳にひびいてくる。
キャラコさんは、ニヤリと笑って見せる。ものをいう元気などない。そうするのが、せい一杯のところである。
母堂が、また、何かいっている。
「さあ、メロンをお
メロン······、メロン······。いったい、メロンって
「······おいおい、眠るつもりなのかい。寝るなら寝てもいいけど、喰べてすぐじゃ毒だよ。······
いっぺんに眼がさめた。
(そうそう、たいへんなことがあるんだった!)
キャラコさんの背筋を、また、こそばゆいものが上ったり下ったりしはじめる。
いままでの
(こんな具合ではしようがない。どうせ、やるにはやるけど、まだ、はっきりした決心がついていないようだわ。やはり、それまで、待たなくては······)
キャラコさんは、あわてて異議をとなえる。
「でも、おるすにはいり込んだりしてはいけないでしょう。あとで
母堂は、はッはと、笑い出して、
「あの、のんき坊主が、なんで、そんなことを気にするものですか。面白いから、行って見ていらっしゃいよ」
キャラコさんが、蚊の鳴くような声で、いう。
「今でなくては、いけませんの」
マジマジと、キャラコさんの顔を
「なんて、情けない声を出すの。ゴシャゴシャいってないで、すこし運動していらっしゃい。······さァ、立ったり、立ったり······」
キャラコさんが、あきらめてシオシオと立ちあがる。
「まいりますわ。······でも、おばさま、一緒に行ってくださるでしょう」
母堂は、ぷッと
「いやだ、このひとは。ひとりじゃ、こわいのかい。······ほんとうに、どうかしているよ、今日は。······よしよし、じゃア、一緒に行ってあげよう」
なんとなく、
さっきは雲煙万里だと思っていたのに、こんどはいやに近い。ものの二十歩も歩いたと思ったら、もう
式台の端の花


「おや、おや、せっかく

遠くから庭下駄の音が近づいて来た。玄関から女中が顔をだす。
「ああ、そうか。よし、よし、すぐゆく」
キャラコさんのほうへ振り返って、
「いますぐ来ますから、あなた、ひとりで入っていてちょうだい。税務署からひとが来たから······」
そういい捨てて、女中と二人で
キャラコさんが、書斎の入口に立つ。息づまるような瞬間がきた。
書斎のなかは、妙にしんとしずまりかえり、時々、かすかに小鳥の
大きな本棚の中で本が立ったり寝ころんだりし、鳥箱や、鳥籠や、雀の巣などが雑然と
一瞥しただけで、急に胸がドキドキしはじめる。克服してやろうと思って、せい一杯に息を吸いこむ。ところが、なかなか深呼吸ぐらいでは追いつかない。
(あたしは、いま、落ち着こうとしてるんだわ)
そう思った瞬間、自分の沈着にたいする日ごろの自信がドッとばかりに崩れ落ちて、まるで復讐でもするように、胸のドキドキが一層ひどくなる。
ベートーヴェンの運命交響楽、『忍びよる運命の
心臓ばかりではない。ドキンドキンはいたるところにある。こめかみにも、手
なんであろうと、いよいよ決心しなければならない時が来た。キャラコさんは、額に皺をよせ、ギュッと唇を噛んで
(盗む······)
この言葉が、とつぜん異様な重苦しさで胸をしめつける。
耳のそばで、こんな声がきこえる。
(お前は、いま、飛んでもないことをやらかそうとしているんだぞ!)
キャラコさんの背筋を、ゾッとするような冷たいものが走りすぎる。
じぶんは、今日以後、一度も心にはじることをしたことがなかった、という、嬉しい感情を味わうことはできない。
(あたしは、いちど、ひとのものを盗んだことがある!)
この、忌わしい、情けない記憶は、今後、終生心にまつわりついて、じぶんを責め立てるだろう。
キャラコさんは息苦しくなって、両手で喉をつかむ。心の中で、
(早く、誰か入って来てくれればいい)
ところで、耳をすまして見ても、誰もこっちへやってくるらしい気配はない。庭にも母屋にも、人声ひとつきこえず、森閑とひそまりかえっている。このしずけさがキャラコさんの心を
一人のキャラコさんが、さいそくする。
||早くやっつけろ、どっちみち、やらなければならないんだ。
べつのキャラコさんが、こたえる。
||どういう動機で動いていいかわからないわ。
||動機もくそもあるもんか。ひと
キャラコさんは、渋々承知する。死んだ気になって、ひと足
一歩、二歩、三歩······。
いわゆる、忍び足というやつで、猫のように、虫のように、そろりそろりと這ってゆく。
ようやく、
キャラコさんが、元気のない声で、つぶやく。
「とうとう、やって来た」
ところで、それは
キャラコさんは、ムッとする。
(やろうと思えば、こんなことぐらいわけなくやれてよ)
思い切って手を伸ばす。右の、上から二番目の
その瞬間、なにか形容し難い戦慄が、電光のように頭のてっぺんから爪先まで差しつらぬいた。
自分のうしろで、なにか、物に触れ合うような異様な気配を感じた。キャラコさんは、ぎょッとして、ふりかえる。
この部屋の中に何かいる!
もの静かな息づかいをしながら、微妙に動き廻っているものがある。
気のせいではない。何か
キャラコさんは、不安な眼差しで部屋の中を見廻したが、なにものも見当らない。
お雪さんというペルシャ猫だった。
キャラコさんは、ホッとして、額の汗を拭く。
「おやおや、お雪さんだったの? 遊んであげたいけど、いま、ちょっとご用があるから、しばらく
猫を抱きあげて窓から庭へおろしてやる。
お雪さんは、お愛想に、ザラリとした舌でキャラコさんの手の甲を
これで、邪魔物はいなくなった。いよいよ、とりかかる番だ。
べつのキャラコさんが、宣言する。
||いよいよ、やります。
もう一人のキャラコさんが、はねかえす。
||いわなくともわかっている。早くやれ。
||いまやりかけている。あまり
||グイと
||ひきました。······ほら、
二寸ほどあいた
サヤサヤという
しばらくじっとしていたが、とつぜん、キャラコさんの頭をめがけて突進してきて、翼でちょっと払っては、また、止り木へ戻ってゆく。いくども、こんな動作をくりかえす。
キャラコさんが、かけすを
はじめ、キャラコさんは、見知らない人間が
キャラコさんは、うれしくなって、大きな声で笑いだす。
「
かけすは、止まり木の上で、ちょいと首をかしげる。
キャラコさんは、
かけすは待ちかまえていたようにツイと宙で受けとめ、一・二分
キャラコさんは、面白くて夢中になってしまう。
今度は、銀貨を四つ取り出して、それを、一つずつ、次々に放ってやった。
かけすは、それをひとつも取り落とさずに見事に受けとめ、散らからないように一枚ずつキチンと机の上に重ねる。
キャラコさんが、手を
「やァ、お見事おみごと。······たいへん、お上手ですわ。······ほんとうに、お利口なかけすさんだこと」
うしろに、のっそりと人が立った気配がする。おどろいてふりかえって見ると、それは悦二郎氏だった。
黒い服の上に鼠色のブルーズを着、肩に採集瓶をかけ、木の枝のようなものを手に持っている。チャペックの『虫の世界』の幕開きに登場する、あのベルトラン先生のような超俗なすがたである。
「暑い、暑い」
と汗をふきながら、立ったままで、いきなり、
「······じつは、林の中で、わからない鳥の声をききましてね。それを確かめるので、つい遅くなってしまったのです。······チッチョ、チッチョと鳴く。······どうも、なに鳥かわからないのですね。······それで、そのあとを
果して、悦二郎氏は、今朝の五時ごろから林の中で小鳥の声を追い廻していたのだった。チョッピィと鳴いてくれてご同慶のいたり。さもなければ、鳥のあとをしたって、軽井沢まででもついて行ったことだったろう。
キャラコさんは、がっかりと力を落とす。······それから、ゼンマイのゆるんだ時計のような声をだす。
「チョッピィと鳴いてくれて、ほんとうによかったわねえ」
心の中では、こんなことを考えていた。
(正直に