一
まだ十時ごろなので、水がきれいで、明るい
「わァい、やって来たぞォ」
「やっつけろィ、沈めてしまえ」
「助けてえ、落ちる、落ちる」
渚から二十
手懸りはないし、ちょっと力を入れるとすぐ
骨を折って、ようやくの思いで
敵方は、海岸から
「わァい、万歳、万歳」
「眼玉やーい、河童の子。
赤と白の渦巻や、シトロン色や、
濃緑色の
白金色の反射光のなかで、さまざまな色と容積が、
思い切った
コテイの
大きな
それから、砂遊びをしている子供たち。走り廻る小犬。
ドーナツのような
波打ち際では、三
腹いっぱいに空気を詰め込んだゴムの象や
沖のほうでは、クロールが白い
波の上に、のんきに浮いている泳ぎ自慢のお嬢さんたち。薄桃色やグウズべリー色の海水着が水蓮の花のように押しあげられたり見えなくなったりする。
ゆるいうねりが来て、
筏の上では、男の子の鮎子さんが、
敵のほうは鮎子さんを引きずり降ろそうというので、水の底を
味方の軍勢は、それを押しのけたり、沈めたり、蹴っ飛ばしたり、たいへんな奮戦ぶりだ。
鮎子さんが、金切り声をあげて、筏の上から指揮をする。
「トクべえさん、あんたの足ンとこへ、真っ黒いのが
もう敵も味方もない。すっかりこんがらかってしまって、そばへ来たやつを、誰かれかまわずとっ
誰も彼もみな、眼が塩ッ辛くなって、シバシバして開けていられない。
そこで、休戦ということになる。筏につかまって、みなゲエゲエやる。いろんな苦情が起こる。
男の子の鮎子さんが、黒いお嬢さんをつかまえて、
「あんた、さっき、あたしの背中を拳骨でゴツンとやった」
と、抗議を申し込んでいる。
お嬢さんのほうも負けていない。
「あんたは、あたしの顎をいやというほど蹴っ飛ばしたわ」
と、やりかえす。
こちらでは、陽気なピロちゃんが、筏につかまったまま、絵の上手なトクさんと足で
遠い沖のほうから、ピカピカ光る金髪が、
毎朝、時間をきめて泳いでいるのだとみえて、たいてい昼すこし前に、沖から戻って来て、
「
と、挨拶しながら、
皆の意見は、英国人だということに一致している。かくべつ根拠のあることではない。言葉使いが丁寧で、アクセントが綺麗だからという理由によるのである。年齢については、陽気なピロちゃんが、こんなふうに断定をくだした。
「あの
詩人の芳衛さんが、
「ふうん、どうして、二十七なの」
ピロちゃんで威厳をもってこたえる。
「どうしてってことはないさ。ワイズミュラーは今年二十七でしょう。だから、あの
なるほど、ワイズミュラーによく似ている。映画に出てくるワイズミュラーのようにふやけた顔はしていないが、身体の釣り合いや、腕の長すぎるところなんか、たいへんよく似ている。いかにも
それにしても、ずいぶん遠くから泳いで来るのだとみえて、
「
普通の挨拶のほかに、ヘップバーンが出てくる映画の『若草物語』の原作、オルコット夫人の有名な小説『
なるほど、うまくいったもんだ。そういえば、もの静かな、すんなりした白い手がご自慢の長女のメグは詩人の芳衛さんに当るし、色が浅黒くて、きりっと身体のしまった男の子のようなジョーはいうまでもなく鮎子さん。
ところで、ピロちゃんも、鮎子さんも、トクさんも、(リットル)といわれることをあまり感じよく思っていない。
「あたしたちは、もうウィメンなんだぞ。ちゃんと一人前に扱ってくれえ」
絵の上手なトクさんが、ふんがいして、いった。
「あたしたちは、すくなくとも(リットル)なんかじゃないぞ。リットルなんていわれて、黙っているわけにはゆかないわ。······英語の『リットル』という言葉のなかには、たしかに、軽蔑する意味もあると思うんだ」
ピロちゃんが、
「あたしも、そう思う。······あの
黙って
「ほんとうに、(リットル)ではいけないわねえ。······でも、お見受けするところ、どなたも、(グレート)とはいえないようだわ」
このひと言のために、筏の上は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「芳べえのばかやろ。国民精神が稀薄だぞ!」
「ひとの真面目な議論をまぜ返すのはよくないです」
芳衛さんは、みなにやり込められて黙ってしまった。
一人前の淑女たちを『リットル・ウィメン』などと呼んだ仕返しに、ワイズミュラー君のことを『ローリーさん』と呼ぶことにした。小説では、『四人姉妹』の隣りに住んでいる、ローレンス家のちっちゃな坊やの名前である。
二
いっぱいに開け放した
白い
絵の上手なトクさんも、陽気なピロちゃんも、男の子の鮎子さんも、誰も彼も、あわてふためいて、御飯をかっこんでいる。
お
誰もものをいわない。鮎子さんだけは、みんなのように早くかっ込めないので、
いったい、何を
絵の上手なトクさんが、
「
と、いって、立ちあがる。窓際へ駆けて行って、味噌汁をひと息に飲みほす。
「はい、すみました。······鮎子さんも、ピロちゃんも、芳衛さんも、いつまで食べてるの? いやァね」
男の子の鮎子さんが、
「
と、立ちあがる。
芳衛さんが、すぐ、それを見つける。
「ずるいぞ。······卑劣ですよ、あなた」
鮎子さんは、
「
と、立ちあがる。
めいめい茶碗と箸を持ってお勝手へ馳け込む。
手早く茶碗を洗ってキチンと食器棚の中へ並べる。食卓の上を大きな
右へならえ! 番号!······一、二、三、四。
東京駅でヒットラー・ユーゲントの一行を見てから、鮎子さんたちの組に、いつの間にかそんな気風が乗り移ってしまった。
規律。質素。服従。団体精神。||こういう新しい感覚が、きゅっと皆の心をつかんで、にっちもさっちもゆかないようにしてしまった。この休暇ちゅう、規律正しい生活をしようと申し合わせたのである。
規律。||六時起床、九時就寝。御飯は必ず三杯食べること。四杯食べたい時は、唾 を呑み込んでおく。
服従。||これは、キャラコさんが来てから。
質素。||観念上の問題。形 より心のほうを重く見ること。(例。||上等のお菓子でも不味 そうに食べること)
団体精神。||一致協力して敵に当ること。
服従。||これは、キャラコさんが来てから。
質素。||観念上の問題。
団体精神。||一致協力して敵に当ること。
朝御飯を無理やり三杯おし込むのも、窓際に整列するのも、みな
規律・規律・規律!
どっちみち悪い気風ではない。それこそ、
服装の点検が終ると、一列縦隊に
ところで、この
砂浜で寝転んでいる
「おうい、見ろみろ、また気狂いどもがやって来やがった。なんでェ、あの
俗説に耳を
キッと口を結んで、穴のあかんばかり、まっすぐに海を瞶めたまま、えらい混雑の中を
そこで、お次ぎは団体精神の発動にうつる。
敵軍はいないか。向ってくるやつはいないか。広い渚をゆっくりと眺めわたす。あまり、平和な眼付きではない。
陽気なピロちゃんは、すこし注意散漫の傾向がある。ほかの三人が熱心に団体精神の予備行動を始めているのに、ピロちゃんだけは、ぼんやり沖のほうを眺めながら、こんなふうにつぶやく。
「あら、また、あのヨットがいるわ」
鮎子さんが、釣り込まれる。
「ほんとだ。どうして、毎朝おなじところにじっとしているんだろう、妙だな」
トクさんが、かんたんに片付ける。
「釣りでもしてるのさ」
鮎子さんが、ふうん、と鼻を鳴らす。
「へえ、あんな沖で釣りをするのかい? あそこは海流からはずれているから、魚なんかいるはずはないんだ」
ピロちゃんが、同意した。
「あたしもそう思う。魚なんか釣ってるんじゃないわ」
トクさんが、ききかえす。
「じゃ、何してるの?」
鮎子さんが、口を
「何をしてるかわからないから、それで妙だというんじゃないか」
右手に、三浦半島のゆるい丘陵がつづいている。その遠い遠い沖合いに、一風変わった赤い帆のヨットが浮んでいる。原色版のナポリの風景などでよく見る『ファルファラ』という、蝶々のような恰好の帆をもった、この辺ではあまり見かけないヨットである。
この風変りなヨットは、きまった時間にどこからかやって来て、江の島の
毎朝、十時から十一時半ぐらいまでの間、きまってこれが繰り返される。ひめじ釣りにしては時間がおそすぎるし、鮎子さんのいう通り
芳衛さんが、結論をつける。これを倫理の先生の口まねでやってのける。
「······たぶん、海岸のザワザワした雰囲気が、諸君を刺激して、いささか神経質にしているんだと思います。······とにかく、諸君はあまり懐疑的です。······ことに、鮎子さんのごときは、何を見ても、怪しいとか、奇妙だとかいわれるが、鮎子さんが懐疑を持ったものをよく調べて見ると、
これには、みな、
あまり腹の皮を
三人のうちで、いちばんこだわっていた鮎子さんが、まっ先にザブンと水の中に飛び込んで、クロールで
「やったな!」
一斉に水の中に飛び込む。すさまじい競泳になる。
陽気なピロちゃんが、鮎子さんの腹の下を
筏のまわりに、今日は一人も女の子がいない。浜じゅうのお嬢さんたちは、四人の
そこで、止むを得ず、四人だけで仲良く筏のうえに
空には、ひとひらの雲もない。海は紺碧の色をして、とろりと
鮎子さんが、
「つまらない、誰かやって来ないかな」
すこし離れたところで、
「おゥい、やって来いよゥ」
お嬢さんたちは、聞えないふりをして、自分らだけできゃッきゃと騒いでいる。
鮎子さんが、
「よゥし、あとでひどい眼にあわしてやる」
この時である。注意散漫のピロちゃんが、また妙なものを見つけた。
「おや、ローリーさんが、あそこで妙なことをしている」
なるほど、すこし妙だ。
いつもは、ゆっくり過ぎるくらいゆっくり
クロールともつかず、横泳ぎともつかず、ひどく出鱈目に手足を動かし、それも、
そんなふうにして、
ところで、そこまで来ると、またすこしようすが変わって来た。眠りかけているひとのような、ぼんやりとした表情で、ものぐさくのろのろと水をかいている。時々、まったく腕の運動が休止して、ガブリと水の中へ沈み込むと、またあわてたように忙がしく手足を動かす。が、それも瞬時のことで、すぐ運動が
芳衛さんが、
「ふざけてるのかしら」
誰も、返事をしない。
みな、吸い取るような眼付きで、ローリーさんの不思議な運動を眺めている。
鮎子さんが、しっかりした声を、だす。
「ローリーさん、
三人の背筋を、何か冷たいものが、すッと走る。チラチラと互いの顔を見かわす。みんな蒼い顔をしている。三人の
鮎子さんは、両手で膝をかかえながら、
「······どうしたんだろうな、
と、ひとりごとみたいにつぶやいていたが、だしぬけに、ザブンと水の中へ飛び込むと、鮮やかなクロールでローリーさんのほうへ泳いで行く。
これで、三人も決心がつく。
三人が行きついた時には、ローリーさんは、もう浮きあがる力がなくなって、水の表面から三尺ほど下のところで、
鮎子さんが、三人のほうへふりかえる。
「あたし、いま、引っぱりあげてくるからね、手足をつかまえて、みんなで
白い
「大丈夫だよ。まだ、死んでやしない。······
手足を持って四人で泳ぎだす。みな元気になる。陽気なピロちゃんが、頓狂な声をだす。
「でも、ずいぶん、でっかいなァ。······
みな、ぷッとふき出す。
ローリーさんを筏に押しあげるのがひと苦労。筏の鎖をはずすのでまたひと騒動。しかし、どうにか、それもうまくゆく。ローリーさんは、長い手足を筏からはみ出させ、筏の上に頬をつけて、ぐったりと眼をつむっている。
四人の
「え※[#小書き片仮名ン、252-上-15]やサ、え※[#小書き片仮名ン、252-上-15]やサ」
と、勇ましく掛け声かけながら、筏を押して岸のほうへ泳ぎ出した。
三
キャラコさんが、やって来た。
ひとつずつ部屋をのぞく。
女中もいれないで四人だけの『神聖の
ところで、思いがけなくどの部屋もキチンと片づいているので、これにはキャラコさんもびっくりしてしまう。
毎年の例ならば、寝間着とラケットが同居したり、
キャラコさんが、笑いだす。
「おやおや、たいへんだ。どうしたというのかしら······」
ふと見ると、毎日の
メグ『虚栄の市 』へ行く
『メグ、虚栄の市へ行く』というのは『
「何のつもりで、こんなことを書きつけてあるのかしら。······きっと、また、何かあったのにちがいないわ。······ほんとに、手に負えないひとたちだこと」
釘にかかっていた望遠鏡をはずすと、
そこで、渚のほうに眼鏡を向けて見る。
どぎつい色彩がいっぺんに眼に飛びついて来る。
ようやく見つけた。······派手な
鮎子さんが、口を
キャラコさんが、つぶやく。
「あたしの予想通りだった。やはり、何か変わったことがあったんだわ。······いったい、何があったのかしら」
キャラコさんは、すこし不安になる。帰るまで待っていられないような気がして、女中の菊やに迎いに行ってもらった。
三人は、すぐ、やって来た。
やって来るにはやって来たが、ひどく元気のないようすをしている。ふだんなら、犬ころのように飛びついて来て、おおはしゃぎにはしゃぐところなのに、ひとりずつ窓際の椅子にかけて、うっそりとうつむいている。
「おやおや、どうしたんです。みな、ひどく元気がないわね」
ピロちゃんが、ニヤリと愛想笑いをする。そして、すぐまた、むずかしい顔をつくる。
キャラコさんが、ニコニコ笑いながら、一人ずつ顔を眺めわたす。
「また、何かあったのね? ······何があったの? ······『メグ虚栄の市へ行く』って、いったい、何のこと?」
鮎子さんが、しぶしぶ、口を切る。
「メグ、ってのは、芳衛さんのことで、虚栄の市、ってのは、
「面白そうな話ね。······つまり、芳衛さんが海浜ホテルへ遊びに行ったということなのね」
ピロちゃんが、うなずく。
「ええ、そう[#「ええ、そう」は底本では「ええ、、そう」]なの」
「でも、海浜ホテルが『虚栄の市』ってのは、なぜなのかしら」
鮎子さんは、首をふって、
「海浜ホテルが『虚栄の市』だというんじゃないの。それには、もっと別なわけがあるんです」
そういって、ピロちゃんとトクさんのほうへ気の弱い眼差しを向ける。
「話しても、いいかしら?」
ピロちゃんが、怒ったような声を、だす。
「鮎子さん、あんた、今日、ハキハキしないわね。キャラコさんに隠して、あたしたちだけで、うまくやれると思っている?」
「そうは思わないよ。······ただね、キャラコさんがいないと、すぐ、妙ちきりんなことばかり始まるんで、うんざりしてしまうんだ。······少女期ってのは扱いにくいね。······とにかく、ひどくむずかしいや、ひとのことでも、自分のことでも······」
トクべえさんが、上品な声で、口をはさむ。
「あたしだけの感情を述べさしてもらえるなら、いま、そんな
キャラコさんが、沈着な顔つきで、いう。
「とにかく、何があったのか話してみたらどうかしら。······できるだけ、くわしくいってみてくださいね。······感じたことではなく、なるたけなら、眼で見たり、耳できいたりした事実だけのほうがいいわ」
鮎子さんが、口を切る。
若い
ピロちゃんが、それにつづいた。
······すると、ローリーさんは、そのお礼だといって、海浜ホテルの晩餐に四人を招待したこと。鮎子さんがまっ先に、そんなもの食いたくねえや、といったこと。海岸で知り合っただけの、どこのどういうひとかわからない外国人の招待などに、
「ねえ、キャラコさん、もちろん、あなたもそう思うでしょう。······向うの気持はわかるけど、あたしたちが、そんなものにやすやす応じるような不見識な娘たちだと思っているのかしら? ······そういうものの考え方に、何か、いやなところがあるわね。鮎子さんが、だれがそんなものを食いに行くもんかって
キャラコさんが、うなずく。
「よくわかったわ。······それで芳べえさんのほうはどうなの」
キャラコさんには、どんなことが始まっているのか、だいたい察しがつく。なるほど、ちょっと軽々しくは
あまりこちらが敏感に察するのはよくないと思いつつ、すこし心配になってきて、
「······つまり、芳衛さんがローリーさんのところへ遊びに行くというのね」
うっかり口走って、キャラコさんは、顔を
女学生がホテルにいる西洋人のところへ遊びに行く······。自分より若いひとたちの前で口にのせるような言葉ではない。キャラコさんは、閉口して
しかし、三人のほうは、そんな意味にはとらなかった。
鮎子さんが、眼玉を大きくひ※[#小書き片仮名ン、255-上-11]
「そうなんだよ、キャラコさん。······芳衛さんは、ご自慢のオーガンジの服を着て、毎日、三時になると、女王様のようにそっくり返ってローリーさんたちの『お茶の会』へ出かけて行くんだ。······そのお茶の会っていうのは、SSヨット
ピロちゃんが、頓狂な声をだす。
「······ヨットといえば、キャラコさんに、まだ『赤い帆のヨット』の話をしなかったね、トクべえさん」
「そう、まだしなかったわ」
トクべえさんが、れいの感じを
みな、芳衛さんのほうを忘れてしまって、赤い帆のヨットについて、思い思いの意見を述べたてた。
鮎子さんが、いった。
「キャラコさん、海流からはずれたところで、わざわざ魚を釣るなんて馬鹿なはずはないんだけどあなたどう思う?」
キャラコさんの頭に、ちょっとした考えがひらめいた。
「······ローリーさんが、毎朝、ずっと沖から泳いで来るといったわね。······その時、沖に、赤い帆のヨットがいるの? いないの?」
トクべえさんが、考えるような眼付きをしながら、こたえた。
「どうだったかしら。······よく、気をつけてなかったけど」
鮎子さんが、突然、大きな声を出す。
「たしかに、いたような気がする!」
ピロちゃんが、うなずく。
「そういえば、なるほど、そうだったかも知れないわ」
キャラコさんが、いった。
「ローリーさんというひとは、毎朝、そのヨットから泳いで来るのじゃないかしら」
なるほど! ピロちゃんも、鮎子さんも、トクべえさんもゾクッとしたような顔で互いに眼を見合わせた。
キャラコさんが、つづけた。
「······赤い帆のヨットが、
三人が一斉に叫ぶ。
「そうだわ!」
ピロちゃんが、真剣の眼付きで、
「でも、なぜ、そんなことをするのかしら?」
「それは、あたしにもわからないけど、こんなことは考えられるわね。······もちろん、これは、あたしの想像よ。······ともかく、ことさら、赤い帆をつかったりするのは、どこからでもはっきり見えるようにするためで、蝶々のような風変りなかたちの帆をあげるのは、他のヨットと紛らわしくないようにして置くためだともとれるわ。······それから、もうひとつ。······この要塞地帯で、わざわざ目立つようなことをするのは、そのゆえに、逆にひとの注意をそらそうとする意図なのじゃないかしら」
いつの間にか、三人は椅子から離れて、キャラコさんの
「そうだとすると、たいへんなことになって来たな。すると、つまり······」
そこまでいって、急に口を
みな、急に声が低くなって、
馬鹿ねえ、といいながら、まっ直ぐに黒板のほうへ歩いて行って、その上の字を拭き消すと、いつもとちがった、ひどくつきつめたような顔で皆のほうへ戻って来て、床の上へ坐り込みながら、
「諸君、たいへんよ。······じつはね、あたし、今日まで、やれるだけやってみたの」
それから、もう一層声を低めて、
「ひょっとすると、ローリーさんは、たいへんなやつなのか知れないんだぞ!」
四
から騒ぎではなく、『赤い帆のヨット』とローリーさんの関係に見きわめをつけることが、五人の義務になってきた。
いろいろな現象をとおして、できるだけ注意深く事実を観察すること。その結果を綜合し、これに結論を与えることは、こういうことに熟達した専門家に任せるほうがいいというキャラコさんの意見だった。
「芳衛さん、あなたが『お茶の会』へ出席して、ローリーさんを監視するようなことはよしたらどうかしら。そんな子供じみたことで、ローリーさんから何か探り出せるわけはないんだし、何より、傍観者の態度を捨てないことが、だいじだと思うんだけど······」
芳衛さんは、もちろん、それに服従した。
そのかわり、ツアイスの二百倍の望遠鏡でヨットとヨットの中の人間の動作を観察する役目が与えられた。
それを記録する係りが、ピロちゃん。······トクべえさんは、ローリーさんがヨットから海へ飛び込む時間を正確に記録して、毎日の時刻の変化を
所定の五日が終った。
芳衛さんの報告書は、なかなか美文だった。
一、ヨットを操縦しているのは、『SSヨット倶楽部』のミス・ダンドレーと称している婦人。ヨットの中の動作はきわめて単純なり。クッションにもたれて常に読書す。時には、ローリー氏が朗読し、ミス・ダンドレーがこれを傾聴することあり。ミス・ダンドレーは、ローリー氏に対して、きわめて冷淡なる態度を示す。これに対して、ローリー氏は、不満を訴えるがごとき動作をなすことあり。他 に著 しき事実なし。ただ、ローリー氏がヨットを離れんとする際、きまって口論するがごとき身振りを相互に交換す。いかなる意味なるや、解し難し。
トクべえさんが、『ローリーさんが海へ飛び込む毎日の正確な時間表』を呈出した。それは、次のようなものだった。
八月十九日 午前九時十二分
同 廿 日 午前十時
同 廿一日 午前十時四十八分
同 廿二日 午前十一時三十六分
同 廿三日 午後零時二十四分
同 廿 日 午前十時
同 廿一日 午前十時四十八分
同 廿二日 午前十一時三十六分
同 廿三日 午後零時二十四分
キャラコさんが、ちょっと、考えてから、
「この時間表で見ると、ローリーさんは、毎日、正確に満潮の頂点で海に飛び込んでいることになるのね」
そして、鮎子さんに、
「お父さまに、すぐ、こちらへ来ていただけないかしら」
といった。心配な時にする、れいの、むずかしい顔をしていた。
ゆうがた、鮎子さんのお父さんの松永氏が、別荘へやって来た。
四人の調査の結果を聴き終わると、瞬間、たいへん緊張した顔つきになったが、すぐ、顔をひきほぐして、
「なるほど! 諸君は、ブラブラ遊んでいたわけではなかったんだね。······なかなか大したもんだぞ、これは」
そういって、あとはなんでもない他の話に紛らわしてしまった。
二人の外国人が、ローリーさんを媒体にして、
ローリーさんの身体の重さは、ちゃんと計量されてあるので、ローリーさんが泳ぐ速度に
ミス・ダンドレーの共謀者は、江ノ島の江ノ島
ところで、ローリーさんのほうは、この研究には何の関係も持っていなかった。ミス・ダンドレーが、一と月の間、ヨットから岸まで泳ぐ勇気があるなら、あなたの
鮎子さんが、ふうんと、いった。
「ローリーさんは、なかなか詩人だったんだね。見なおしたよ」