着ものをきかへようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいつたことを、身に感じて袖に手を通した。
それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまつてあつた着るものを出してひつかけると、薄い汗の
きものにもさま/″\あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。
そんなことを思つてゐるところへお客があつた。きものの話をきいて書くのだといはれる。
いろんな變轉を經て來て、日本の着ものは、この風土と、この家屋とのなかに育つて、平和な時の家庭服としては、ゆくところまでいつた良さがあるといふやうな話をして、
「一人の人が考へたのではなく、長い年月の間に、みんなが、自分たちに具合よくしていつたのだから||」
と、言ひながら、
「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに斷りはなし、あとを堅に二ツにすれば出來る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」
と、昔の人の頭のよさを、また思ひ直した。
反物は、近頃こそ袖が長くなつたので、三丈とか、三丈三寸とか五寸もあるのがあるが、明治時代は二尺八寸がお定まり、木綿ものは七寸のもあつた。これは時代を遡つて、特別の織のほかは、寸尺の短いものであつたことを思はせる。
お針仕事が、津々浦々の、女たちにもわかりよいやうに、反物の
しかも、寸法も、男は何寸、女は何寸と
ふぞくした繻絆でも、下布でも、みんな堅長、横長、角型であるから、たち屑も出ないが、裁ち、縫ふのが樂であると共に、着るのも樂だ。しかも、老年者のは男女共通の布ですむし、夜着にも風呂敷にも、雜巾にも、あますところなく最後まで役に立つ。
どうも、かういふ便利に馴れてゐると、衣服の改良といふことは、仕事服、非常服の方からでなければ具合がわるい。と、いふと、アツパツパ禮讃はどうしたといはれもするが、ここにいふ、日本の平服のよさは、もつとも簡略な、細い帶とゆかたが代表するきものをいつて[#「いつて」は底本では「 つて」]ゐるので、家庭用以外のものではなく、アツパツパの方は働く女と、これからの生活に、時代を意識していつてゐるので、鎖國的平和時代がまた來るものではなし、その時代に發達したきものが、これからの激しい時代に、そのままでよい筈もない。
末の妹がまだ少女の時分、口ばかり達者だといつて、よく
「茶袋は、どんな着ものを、子供や亭主にきせるかな。」
と、笑つてゐた。
「風呂敷のやうな大きな布に、頭の出るところだけ穴をあけて着せておくか。」
ともいつた。
「丹波ほうづきをならべたやうに、男の子は青いの、女の子は赤いの。」
と、父に相槌を打ちながら、わたくしは、ふと何か、暗示といふほどでもないが、思ひあたるものがあつた。
原始的なきるものは、そんなところにもある、それで手を出して、胴をくくれば、今日の言葉でいふ簡單服の型になる。
隨筆集に「きもの」といふ題を不用意につけてしまつたが、きものとは、たけだけしいと考へてしまつた。「きもの」といふ名のもつ廣さ、大きさ、強さは、もつと/\本質的に研究したものへつける題であつたと、蟲の音く夜ごろの凉しさなのに、汗ばんだ。
||昭和十四年九月十日夜||