夏めいて来ると、祭りに狂奔した故郷の昔が、思ひ出される。其と一続きに、きつと浮んで来るのは、浄瑠璃から出た「夏祭浪花鑑」といふ芝居である。あんな戯曲の上にも、大阪と東京との違うた、昔の姿が見えて居る。人物の性根が、語り物と舞台とでは、よつぽど違ふ。役者の上方出と、関東生れとで、理会が変つて居る。一寸徳兵衛は、乞食をした男である。其が一般に、すつきりした
たて衆らしい演出をするのは、江戸役者の侠客観が、多分に含まれて来たのである。
如何にも、市井の無頼らしい感激と、虚栄とに、鋭い刹那をひらめかす九郎兵衛は、
ぼてふりの肴屋である。小
博打うちの喧嘩ずきで、五六年前までは、紀州海道の往還で、袖乞ひをした宿なしであつた。其が、いんちき・いかさまの厭な年よりに拾ひ上げられて、その家の娘に狎れて夫婦になつた、と言ふ
はしにも杭にもかゝらぬ「町
裏の人」である。にも拘らず、今もする関東の九郎兵衛は、貸し元とでも言ひ相な長脇ざしの感じを持つてゐる。此は明らかに、解釈が違うてゐる。もつと
やぼで、ねつとりして、而も手ざはりの荒い処がなくてはならぬ。其点では、河内屋といふ役者などは、
すゐでも、
いきでも、
いなせでもない多くの大阪びとの、よそ人には考へられて居ない素質を、最豊かに舞台の上に表現の出来る人である。
も一つ芝居の事を書いて見る。「伊勢音頭
恋寝刃」の中で、一番悲劇らしい、切に胸に来る性格はお鹿と言ふ女郎である。歌舞妓芝居の癖として、二枚目の演出には、必、信頼してゐられぬ様な表裏の両面を感じさせられる。だから、わりに
生まじめな貢にすら、さうした邪推に似た気持ちの起らない訣にはいかぬ。万野となれあうて、お鹿をだました方が、ほんたうだらうと言ふ様な気さへする。お鹿役者が懸命になればなるほど、貢の印象はわるく、おしへされてゆく。貢を色立役(?)といふ先入主を持つて見ればこそ、万野の奸悪に兆したのだ、と言ふ考へがやつと持ちこたへられるのである。ぼくねんじんらしい持ち味の今の高島屋なる人の如きでなくば、非常な名人の外は、貢の憤懣は単なるお紺に対する
見てくれに過ぎないと言ふ風に見えるであらう。先代音羽屋なども、恐らく、お鹿の追窮に堪へられない様であつたゞらう。貢・お紺・万野など、油屋に出て来る性格は皆作者の計画と齟齬もし、浅薄な理会から出た偶像に過ぎない。ところが、お鹿だけは、どうしてあんなよい性格を掴み出したのか、と疑はれるばかりである。兄の家にゐた日疋重亮といふ人と話した事だが、私には、「人形の家」の人物の中で、
くろぐすたつとが、立体的にかゝれてゐると思ふ。日疋君の演出が、偶然にも私の解釈と合つてゐた事を喜んだのであつた。東儀鉄笛等のは、単純な敵役に過ぎなかつた。其と、お鹿とでは、性根の中心が違ふ様であるが、どうしても、泣き笑ひを強ひられない訣にはいかない。
一つは笑はれ、一つは憎まれる。共に凡人の持つ、堪へられぬ寂しさを湛へてゐる。歌舞妓芝居では時々、端役に、人間性に深い人物が現れて来る。お鹿の心を思うて、人道風な心持ちを抱かない人が、どうして芝居を見るのだらう。