彼女は窓をあけた、さうすると、まるでさういふ彼女を待つてゐたかのやうに、
はじめのうちはよく彼女は、その小鳥に何かやらうと思つて、いそいで食物の殘りをもつてきてやつたが、それを投げると、小鳥はびつくりして逃げてしまつて、二度と近づかないのである。それでこの頃はもう、彼女は窓のところに手をかけたきり、草の中に赤い胸をかくすやうにして、何をあさつてゐるのか、小鳥があちこち走りまはつてゐるままにさせて置くのである······
突然、その小鳥が何かにびつくりしたやうに、飛び去つた。氣がついてみると、彼女の背後に、いつのまにか彼が寢間着のまま突立つてゐるのだつた。
「なあんだ、おれが來ると、すぐいつてしまやあがる」彼はさう不平さうに言ひながら、輕い咳を二つ三つした。
「あなたは亂暴だから······」彼女はいそいで窓を閉めながら、しかしいたはるやうに彼に言ふのだつた。
かうしてすこし病身な彼を相手の、さうして彼の好きな森のなかでの||しかし彼女にとつては最初は淋しくないこともなかつた孤獨な生活にも、だいぶ馴れてきたこの頃である。さうしてその毎朝毎朝は、いつも大抵このやうにして始まるのである······

この山奧の村||去年彼と彼女とが其處ではじめて知り合つた||に二人が結婚して、一しよに暮らしにきたのは、もう一月ばかり前になる、六月のはじめだつた。丁度、アカシヤが花ざかりだつた。それから道ばたの藪は野茨の白い小さな花を簇がらせてゐた。數日、彼等はまだ誰あれも來てゐないその村ぢうを、二人で住むのにいいやうな小さな家を搜して歩いた。ちよつと好ささうなコッテエヂは、その持主を尋ねて見ると、みんな他人の別莊だつたりした。しまひにはがつかりして、もうその持主を訊かうともしないで、二人は住み心地のよささうなコッテエヂがあると、その前にいつまでも立ち止まつたまま、そこに自分たちが住まへたらどんなに樂しげに、幸福さうに見えるだらうと、そんな彼等自身の日常的な姿を空想したりしてゐた。自分たちのものにはなりさうもない幸福そのもののやうな、他人のコッテエヂを前にしての、そんな空想はしかし二人を愉しませた。さうやつて毎日搜してゐてもなかなか氣に入つた家の見つからないことが、そんな道草を食ふ愉しみのために、それほど苦にもならなかつた位。······
數日後、彼と彼女とがそんな家搜しからまたしても空しく歸る途すがら、
「おい、すこうしあのヴェランダで憩んで行かうぢやあないか?」彼は快活さうに彼女をふりむいた。
「構はないかしら?」
「うん。いいだらう。それに、誰れも見てゐやあしないもの。」彼はそのコッテエヂに毎年來てゐる若い外人夫婦とは顏馴染だつた。特にその北歐系らしい美しい細君の顏はいつでもはつきりと蘇らせられた。それだけに彼等の幸福の領分を荒らすやうでちよつと氣のひけたこともひけたが、そのまま其處を過ぎ去つてしまふにはあんまりすべてがその瞬間の自分達に似つかはしく、愉しさうだつた。そこでそんな顏馴染の住人達のことは彼女には
「あら······」と彼女は、丁度彼等のまん前の、生籬の茂みの中をさつきから啼き聲も立てずにしきりに不安さうに枝移りしてゐる一羽の小鳥にそのときはじめて氣がついて、肩を竝べてゐる彼に指さした。「あの小鳥は何をしてゐるのでせうね。なんだかあの野茨の中から出られなくなつちやつて、まごまごしてゐる見たいね。」
「本當だ」と彼もやつとその小鳥に氣がつき出した。葉がくれで、その上氣が狂つたやうに飛び移つてゐるので、さうよくその姿が見えず、その小鳥がどの位の大きさだかすらもちつとも見當がつかなかつたが、胸のところだけちらつと煉瓦のやうに薄赤いのだけが認められた。
そのうち、さうやつて二人して見てゐる前で、その小鳥はどうしたのか、その茂みから拔け出したやうな氣配もなく、突然姿を消してしまつたのだ。······
「あら、あんなところに鳥の巣が······」彼女はさう言ひかけたまま、少女らしく彈む心をおさへるやうにして、そつと腰を浮かせた。
「何處に?」彼は無精さうに腰を下ろしたまま、訊いた。こんなところに鳥の巣なんぞあつてたまるもんかと云つたやうな口吻である。
「ほら、あそこによ······あれが見えないの? ······」いつのまにか立ち上つた彼女が、それを彼に教へるやうに、その生籬の方へ近づいて行かうとすると、何處かへ見えなくなつてゐたさつきの小鳥らしいものが、ついとまた姿を現はし、こんどは巧みにその生籬をくぐり拔けて、さつと飛び立つた。その飛び出したあとへ目をやると、なるほど鳥の巣ほどの黒い塊がある。
彼もそれを見ると、急に元氣よく立ち上がつていつたが、そこいらの茂みは相當深いので、鳥の巣が目とすれすれの高さ位にあるのに、さうしてその巣の中で雛鳥らしいものがぴよぴよ啼いてゐるのさへ彼等に聞えてくるのに、それがどうしても覗けないのである。何んとかして早くそれが見たいので、こんどは二人で林道まで出ていつて、反對の側からそれを搜してみると、それがつい鼻のさきに懸つてゐるのに、こんどは道がそこのところだけ凹んでゐて、いくら背伸びをしてもやつぱり目が屆かない。何しろ野茨だから、棘が一ぱいあるので、枝をたぐりよせることが容易に出來ないのである。そのとき彼はふいと手にしてゐた秦皮のステッキに氣がついて、それを持ち變へて、その握りのところにその鳥の巣の懸つてゐる白い花の一ぱい咲いた枝ごとそつと引き寄せて、爪先き立つたら、やつとその巣の中がのぞけた。巣の中には、目ばかりぎよろつかせた、まだ羽の生えてゐない、へんに不恰好な雛たちが、四五羽塊りあつて、うごめいてゐた。さう、生れてからやつと四五日した位のものに見えた。||さつきの親鳥らしいものがそのとき急に彼の頭上の高い木の梢でけたたましく啼き出した。それに應ずるやうに、巣のなかでも雛たちが一層ぴよぴよと啼き出したやうだつた。彼はなんだか自分が殘酷なことをしてゐるやうな氣がして、もう覗くのを止めてステッキを弛めようとすると、彼女がそれに代つて見たさうにしてゐるので、鳥の巣のある枝をひつかけたままそのステッキを彼女に手渡して、自分はそつと其處を立退いた。
「まあ何んて氣味が惡いの······どんなに可愛いいかと思つたら······」彼女も彼のしてゐたやうな恰好をして、爪先き立つて、その巣の中をのぞき込みながら、驚いたやうにさう言つた。
その間、彼は彼等の頭上を枝移りしながら、氣づかはしげに啼きつづけてゐる親鳥の姿を捕まへようとしきりに目で追つてゐたが、なかなかその正體は目には止まらなかつた。胸のあたりの煉瓦のやうな色だけがときをり、ちらつと認められたきりで······
彼等はそれからまた何といふこともなしに、再びヴェランダに戻つて、そこにさつきと同じやうに竝んで腰を下ろした。
本當にこのままかうして自分達が此處に住んでゐるのだつたら! この住み心地よささうなコッテエヂと云ひ、この花ざかりの生籬と云ひ、この小鳥の巣と云ひ······しかし、まあ、何んだつてこんな人の目を誘ひがちな、眞白な花を咲かせてゐる野茨の茂みの、しかも手を屆かせようと思へばわけなく手の屆くやうな枝を選んで、わざわざこの小鳥は巣なんぞをつくつたんだらう。莫迦だといへば莫迦だが、もしかそいつが何んにも知らないでこの藪に巣をつくつたのだとしたら、もう雛が
何處からか自轉車の音が近づいてきた。前方の、兩側から生ひ茂つて道の上方にトンネルをつくつてゐる灌木の中から、首をこごめるやうにしながら、自轉車に乘つた御用聞きが飛び出してきて、そのコッテエヂの前を急カアブしながら、その花ざかりの生籬にも、その花かげにゐる彼と彼女とにも、それから勿論その小鳥の巣にも、氣がつかないやうに通り過ぎていつた。
「こんなところに巣があるなんて、却つて誰も氣がつかないのかも知れないわね······」彼女はそれを見て、すこし安堵したやうにさう言つた。
「············」彼はどうだか分るもんかと云つたやうな顏を、意地わるさうにわざとして見せるのである。
それから暫くしてから、こんどは反對の、
突然、彼は夢から醒めでもしたやうに立ち上つた。さうして「さあ、もう歸らう」と言つた。
彼女も素直に立ち上りながら、しかしまだ夢に半ば浸つてゐるやうな聲で「このままそつとして置いて、毎日見に來ませうね······私達のほかには誰もきつと氣がついてゐないから······」と囁いた。
「どうだか分るもんか······」彼はそんな場合のいつもの癖で、少しぶつきら棒に言つて、それでも道に出てから、もう一度その鳥の巣を通行人の目につき易いかどうか調べて見るかのやうに見透かすやうにしてゐたが、もうさうしてゐても切りがないといつたやうに、ステッキを振りながらさつさと歩き出した。

その翌日、やつと借してもらへるといふ、まあどうやら彼の氣に入つたコッテエヂが見つかつた。だいぶ山の上なので、少し不便で、淋し過ぎると彼女は思つたが、數本の大きな樅の木を背負つた、何處から何處まで木の皮葺きの、いかにも山小屋然とした造りが大へん彼の氣に入つたらしいので、また自分の方の都合は讓歩して、そのコッテエヂを借りることに同意した。それから早速、荷物をほどいたり何かして、相手の彼が病身なので、何もかも大抵彼女が一人でやらなければならず、さうなるともうきのふの小鳥の巣どころではなかつた。夕方、やつと片づいた頃から、あいにく夕立氣味の雨になり出した。

明くる日も、そのまた明くる日も、どしや降りだつた。せつかく二人きりの愉しかるべき生活をはじめようとしてゐる矢先に、これでは、まだその住みつかないのでどこか空家みたいな感じのする
やつと雨が晴れ間を見せ出したので、足りない世帶道具や食糧品を求めがてら、二人で蝙蝠傘を用心にもつて小屋を下りていつた。
村で買物をすませてから、彼等は靴屋によつて、途中でぶつりと切れた彼の靴の紐をとりかへて貰つた。
その古ぼけた靴屋の店の奧には、鳥籠が一つぶらさがつてゐた。何んといふ小鳥だか知らないが、胸に黄いろいチョッキを着込んだ奴が、きよとんとして彼等を見下ろしてゐた。いつも鼻のさきに老眼鏡をかけてゐる靴屋の主人が出てきたとき、彼は急にこの男がこの村切つての小鳥通だといふ話を思ひ出した。その主人が彼の靴の紐をつけかへてくれてゐる間、彼はそんな事をきくのを羞かしさうに、
「こなひだあの
「どんな鳥でしたな?」靴屋は何を言ふかといつた顏をして、眼鏡ごしにぢろりと彼の方を見た。
「胸にちよつと赤みのあるね、羽はさあ? ······」彼はすこし上づつたやうに彼女の方へふりかへつた。「おい、ありあ鳶色だつたかなあ?」
彼女も説明に困つて、ただ氣まり惡さうに首をかしげてゐるきりだつた。
「アカハラかなんかでせう」靴屋はあんまり興味もなささうに答へた。
「アカハラなら僕も知つてゐるけれど、どうもアカハラぢやなかつたなあ」
「そんなところに巣をつくるのはアカハラ位なものですよ」と靴屋は彼を輕く一蹴した。自分の小鳥の觀察の仕方の出たらめだつたのに、われながら呆れ返つてゐた矢先だつたので、それに文句の言ひやうもなかつた。彼はもう靴屋の説に抗はないことにした。
靴屋を出しなに、ふとそこにぶらさがつてゐる鳥籠に氣がついて、彼は、
「その小鳥は何ですか?」と訊いた。
「これはキビタキです」靴屋はその鳥籠へ目をやると、もう彼等の方をふりむきもしないで、いかにも優しい目つきになつてその小鳥を眺め出した。まあ、何んて變つた、しかし小氣味のいいおやぢなんだらう、と彼は思ひながら、彼女を先に立てて、その靴屋を出た。
それからどちらから言ひ出すともなしに郵便局の角を曲つて、
「あの靴屋は何あに? ずゐぶん無愛想な奴ね。」
「うん。······だが、ああなると、もうあれはあれなりに風格があつて、なかなか好いぢやないか。小鳥のことなんぞ、おれ達みたいな奴に何が分るもんかつて、云つた顏をしてゐる。それはさうだとも。又、あのときのおれの説明の仕方つたら、なつちやゐなかつたからなあ······」
「まあ、あなたつたら、あんなに言はれても憤慨なさらないの? ······隨分人が好いわね······」彼女にはさういふ人の好い彼がいかにも焦れつたさうに見える。しかし實をいふと、彼が何處までも本氣でさういふことを彼女に言つてゐるのか、彼女を揶揄つてゐるのぢやないのか、よく分らないので、その方が本當は心細いのである。
彼は彼で、彼女がさういふ考への中に沈み出したのをいい事にして、あれはやつぱりアカハラだつたらうかと心のうちでとつおいつしながら、片手に二人分の
もう雨のためにあらかた花の散つてしまつてゐるその野茨の茂みの中に、しかし例の小鳥の巣はそのままそつくりしてゐた。あれから五六日經つてゐるのだし、あんなにひどい雨だつたので、どうなつてゐるだらうと思つて、その鳥の巣の懸つてゐる枝ごとこんどは蝙蝠傘の手でたぐりよせて見ると、先づ、聞き覺えのある雛たちの啼き聲がきこえ、それからもうすつかり羽の生え揃つた、嘴ばかり大きい、胸の煉瓦のやうに赤らんだ雛たちが、五六羽まだその巣のなかにどれがどれやら見分けのつかないやうに一塊りになつてるのが認められた。けふは親鳥は何處へいつてゐるのやら、近くに影も形も見えなかつた。
こなひだは、あんなに見事に咲いてゐた野茨の花は、その元氣のいい雛たちとは打つて變つて、雨に打たれてすつかり萎れ切つて、もう殘りの匂さへさせてゐなかつた。この前竝んで腰かけてゐたヴェランダも雨ですつかり汚れてゐた。それでも彼等はそれに近づいていつて、何とはなしにそのヴェランダに立つて見た。そのとき不意と、この前彼等の目のまへの茂みの中をあつちこつち枝移りしてゐた小鳥の影がちらつと彼の記憶から蘇つた。······
「やつぱりアカハラかも知れないや······」彼はやつと納得した。
アカハラなら、この村にはたくさん棲んでゐて、一向珍しくもない小鳥だ。むしろ、秋などになると、二三羽||十二三羽と群をなして、よく人家近くなどに餌をあさりに來てゐる、慣れ慣れしいくらゐの小鳥。きよとんとした顏をして、その小鳥に近づく人間なんぞを見上げる目つきがどうも彼はあんまり好きぢやなかつたのである。その花のさいた茂みの中に巣をつくつた小鳥がもつと珍しい種類のものであることを欲した氣もちが、その鳥の巣を知らず識らず彼に見誤らせてゐたものと見える。
「アカハラの巣ぢやあ、いくら見つけられたつて、誰も持つて行きやしないや」と彼は自ら嘲けるやうに言つた。
アカハラだつて好いわと彼女は、自分の見つけた鳥の巣の中から漸く巣立つて行かうとしてゐるその小鳥たちを何としても可愛がつてやりたかつた。それにアカハラといふ小鳥の名が、彼女に Red-Breast といふ英吉利の俗謠などによく唄はれてゐる可愛らしい小鳥を何となく聯想させて好ましかつた。あれは確かロビンの一種だが、これだつてことによるとその英吉利の有名な小鳥の一種かも知れない。そんなことは彼だつて、あの高慢な靴屋だつて、知らないから、ただこの村にざらにゐるといふだけで、莫迦にしてゐるにちがひない。よし、自分は自分なりにこの小鳥たちを可愛がつてやるからいい······そんな事を夢中に考へ考へ、彼女は彼の速くなつたり弛くなつたりする氣まぐれな歩調に合はせにくさうに、歩いてゐた。

しかし、さういふ彼女にとつて不幸なことには、急に彼の父が病氣になつて二人とも彼の故郷によびよせられたのである。それがどうやら小康を得たので、再びその村に戻つてきたのはもう六月も末になつてからだつた。そしてその小鳥の巣のことなんぞは||少くとも彼はもう忘れるともなく忘れてゐた。

今年はよくよく雨の多い年だと見える。その村を彼等がしばらく留守にしてゐた間も、かなり雨がふりつづいてゐたと見え、彼等のコッテエヂから村へ下りる山道などはよほど注意しないと歩けないくらゐ凸凹がひどくなつてゐて、林の中などは木の枝がいくつとなく折れ、青い葉が生ま生まして一めんに散つてゐるのである。||雨上りの或朝、彼等が散歩のためにさういふ慘とした山道を村へ下りて行かうとすると、彼等の行手に一羽の小鳥が、足でも傷ついたのか、人間の近づいてくるのに一層あわてて、しかし飛び立てずに、ぴよこんぴよこんと跳んでゐるのだつた。アカハラだなと思つて、彼がいつになく元氣になつて追つてゆくと、彼自身がびつくりしたほど、難なくそいつが捕まつてしまつた。見ると、それは何んと巣立つたばかりらしいアカハラの雛鳥だつた! さういへば、さつきから彼等の頭上を遠のいたり近づいたりしながら、梢でけたたましく啼いてゐる鳥がゐたが、それがその親鳥で、さうやつて自分の手もとを勝手に離れていつた雛鳥を氣づかつてゐたのである。
彼は兩手の中に、不思議な、何とも云ひやうのない、火のやうな熱さを感じながら、その仔鳥をおさへてゐた。さうして彼女に近づいていつて、その手を細目にあけながら、それを見せてやつた。小さなアカハラは、この前巣の中で見たのとそつくりな鋭い嘴を大きくあけて、あるたけの聲を出して泣きわめいてゐた。
「捕つていつてしまはうか?」彼はひさしぶりで生き生きと顏を赫やかせながら、彼女の方を見た。
「さうね······」彼女はちらつと彼の手の中のアカハラを見たとき、こりあひよつとするとあの彼等の見つけた巣から巣立つた一羽かも知れないと思つた。若しかあれだつたら||「······でも、なんだか可哀さうね······」と言ひながら、あんまり泣きわめいたので、もう聲が出ないのに、まだ嘴を大きくあけたまま、はあはあ云つてゐる小鳥を、痛ましさうに見つめてゐた。
彼はちよつとその小鳥は足でも折つてゐるのぢやないかと思つて調べて見たが、そんなことは彼にはよく分らなかつた。そのときひよいと彼は小鳥好きな靴屋の事を思ひ出した。さう、あのおやぢの云ふとほり、おれなんぞは小鳥を飼ふやうな柄ぢやなささうだと急にそれと同時に氣がついて、彼はその小鳥をすぐ放してやらうと、彼女にはただ目だけ合圖をした。さうして親鳥の手に返してやらうと思つてそれを搜したが、その鋭い啼聲は彼の頭上にあちらこちら移りながら聞えてゐても、その姿は木の葉がくれになつて見出されなかつた。そこで彼はやむを得ず、或閉された別莊の裏の方へまはつていつて、草むらの中へそつと放してやつた。小鳥はちよつと羽搏きをして飛ばうとしかけたが、すぐ草の上に落ちてしまつた。さうしてもう飛ぶのはあきらめたやうに、親鳥の啼いてゐる方をたよりによろめくやうに走りながら、草むらの中に消えて行つた。······
どこからか親鳥の聲がずつと近づいてきたらしいので、兩方の姿は見えなかつたが、彼等はまあ好かつたといふやうな顏をし合つて、そこを立ち去り、村の方へ向ひ出した。
みちみち、彼はふと思ひ出した靴屋の小鳥好きな話を彼女にして聞かせた。數年前、その靴屋は鳥籠の中に一羽のかはいらしいヒガラを飼つてゐた。そのヒガラは、どうしたのか片脚に燐寸の棒を結はへつけられてゐた。人がそれはどういふわけかと訊くと、その小鳥は雛のとき片脚を折つてしまつたのだつた。それで、靴屋はその小鳥にそんな義足をつけてやつてゐたのだつた······
「まあ、あんなおやぢの癖にずゐぶん可愛らしいことをしてやるのね。」彼女は稍々その靴屋に好意をもち出しながら、その話を聞いてゐた。
「そりあ、小鳥が好きならその位の事は思ひつくさ······」それから彼はいままでそんな事を一度もしたことがないのに、急に彼女の手をとつて、それを自分の兩手でおさへた。「ほら、いつも冷たい僕の手がけふはこんなに温かいよ。どうしてだか分る?」
「············」彼女は默つてうなづいた。さうして自分の手をいつまでも彼の手の中に任せながら、そのいつにない温か味の中に、さつきの小鳥が殘していつた生命の燃燒のほとぼりらしいものを、何とも云へずうれしく感じてゐた。

この頃、彼等のコッテエヂに毎朝のやうにやつてくる一羽のアカハラがゐる。彼等にはそれがどうしても彼の逃がしてやつたアカハラのやうな氣がして可愛がつてやつてゐる。名前も、普通のアカハラといふのは止して、英語でレッド・ブレストと愛稱してやつてゐる。
しかし、なかなか野蠻な奴だ。或朝なんぞ、彼女が窓からそのレッド・ブレストの餌をあさつてゐるのを見ると、何か細長いものを嘴に啣へて、それをしきりに一息に嚥み込まうとしてゐた。この頃よく庭に落ちてゐる栗の花かなんぞだらうと思つてゐたら、それは、一ぴきの蚯蚓だつた。彼女が思はず兩手で目を掩つてゐると、いつのまにか彼女の背後に突立つてゐた彼が、さういふ彼女の肩に手をかけながら、そつと彼女の耳に口をよせて、
「これが人生といふものさ······」とやさしく囁くのだつた。