十月九日
こちらはもう秋が深い。冬までゐられさうなことを言つてゐた川端さんも、これからずつと木曾をまはつて鎌倉へ歸ると、さきをとつひお別れに來られたが、たぶんけふあたりはその木曾を旅してゐられることだらう。僕達はいまやりかけてゐる「續かげろふの日記」の仕上がるまでは頑張つてゐるつもりだが、さあ、いつ出來上がることか知らん? 實はその仕事もいよいよこれからといふところで、僕が一週間ばかり寢込んでしまつたので、二人ともすつかり悄げてゐた。が、きのふけふはもう大ぶいい。||その病氣の原因はといふと、こなひだうちの栗拾ひらしい。採れたときは、わが家のまはりだけでも、さう、毎日百個ぐらゐづつは採れたらう。しまひには僕よりも身輕な女房に、裏の大きな栗の木に登らせて、枝をゆすぶらせると、忽ち二十やそこいらは大きな音を立てて落ちてくる。僕はその木の下で、それを傍から拾ふのである。そんな勞働が過ぎてか、或晩、僕はなんだか身體がへんに大儀なのでためしに熱を測つて見たら、三十八度近くもあつた。······それからはもう朝つぱらから大きな音を立てて屋根の上なんぞに落ちるのもそのままにさせつきり、女房を傍らのラッキング・チェアに坐らせて、おとなしくベッドに寢てゐた。川端さんがお別れに來られたのはそんな最中だつたのでちよつと淋しかつた。歸られたすぐあと、藤屋の子供が川端さんを搜しに來たので、丁度いいところと思つて、まだどつさり殘つてゐた栗をみんな川端夫人にお屆けさせたりした。||しかし、もうそんな熱もすつかり下つた。
こんやあたりから又ぽつぽつと仕事をはじめようかとさへ思つてゐる。その前にちよつと夕方庭へ望みたら、僕が閉ぢ籠つてゐた間に、いつのまにか何處もかしこも枯葉の山、||そんな中から可哀いやな、
おまけに、日が暮れると一しよに、急に風が物凄く吹きだした。ときどきそんな野分めいた風がさつと屋根や窓にそこらぢゆうの枯葉を夕立のやうにぶつつけてゐる。そんな枯葉の或物は窓や戸の隙間なんぞを見つけては、無遠慮にコッテエヂの中まで飛び込んでくる。そして僕たちのまはりで、一塊りになつて、くるくると旋囘してゐる。僕は無關心を裝つて、あかあかと燃やしたファイア・プレェスの前で、ほんの仕事の眞似、女房もかういふ山住みには大ぶ馴れて來たと見え、僕の傍で落着いた顏をして手紙を書いてゐる。さういふ僕たちを恰も
人も馬も道ゆきつかれ死ににけり。旅寢かさなるほどのかそけさ